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  • オヤジのあくび510

    山田耕筰「はるかなり青春のしらべ」を読む3 小山内薫がベルリンにやってきて、山田耕筰に真の芸術家として歩み始めるきっかけとなる一言を告げる。作曲とか音楽者へのこだわりから解放された瞬間なのだ。それにしても人は人との出会いにより成長し、変化する。演劇の小山内、音楽の山田、日本の文化史に輝ける足跡を残した二人がベルリンでデカダンス芸術やニーチェについて語り合っていたのだ。 日本の音楽を開拓する屯田兵たることを使命と感じた山田耕筰は、ドイツのヴェーバーやロシアの グリンカのように歌劇の作曲によって道を拓く方針を固めた。そして完成したのが日本初の本格的な楽劇「堕ちたる天女」。同時期の作品として卒業制作…

  • オヤジのあくび509

    山田耕筰「はるかなり青春のしらべ」を読む2 音楽家には、とりわけ作曲家、指揮者、ピアニストには文章が達者な人が多い。作曲家や指揮者は自分自身でお客様へ音を発していない鬱憤がガス抜き的に文章に転化されるのだろうか? 山田耕筰も同様で、軽妙且つ抱腹絶倒な文で読者を喜ばせてくれる。 さて芸大時代。予科を首席で卒業した山田耕筰は、声楽科に入る。当時の芸大にまだ作曲科はなかったのだ。理由は教授がいなかったこと。副科はトランペットだったが、なかなか凄まじい音だったらしい。やむなくフルート経由でチェロに転じる。怪しげな西洋人の偽名を用いて、作曲を始めてアンサンブルするが、彼の曲に批判を加える人が周囲にいない…

  • オヤジのあくび508

    山田耕筰「はるかなり青春のしらべ」を読む1 コロナ禍で学校が休校だった頃、朝ドラで古関裕而を主人公にした「エール」が放映されていて、作曲界の重鎮として山田耕筰がでているわけですが、演じていたのが生前の志村けんさんでした。確かに頭髪が寂しい感じは共通でしたが、最後に演じていた役柄として記憶に残っています。頭髪と言えば、山田耕筰の作にタケカンムリが付いているのは、ケを生やしたい願望だったというエピソードが伝わっています。 瀧廉太郎、宮城道雄と並んで、音楽室に肖像画が掛けられている山田耕筰ですが、小学校の教科書に出てくるのは「赤とんぼ」「この道」「待ちぼうけ」「ペィチカ」あたり。いずれもイントネーシ…

  • オヤジのあくび507

    梨木香歩「ほんとうのリーダーのみつけかた」を読む 話は同調圧力の実験から始まる。おかしいと感じていることに同調してしまうことは、教室内の子どもたちにもある。おかしいと感じるけれど、みんなが黙っているからボクも黙っていよう。筆者が言うように「みんな違って、みんないい」というお決まりのスローガンが登場するのは、そこだと思うのですが、触らぬ神に祟りなし的に同調圧力に押し流されてしまう。 続いて、ドッグトレーナーの話。問題のある犬は、まず飼い主を指導して、犬自身にはリハビリに努めるという。そして飼い主に必要な資質は「毅然として穏やかであること」という。そのまま人間の親子関係や学校での教師と子どもたちの…

  • オヤジのあくび506

    池辺晋一郎「耳の渚」を読む3 ・映画監督今村昌平さんの「楢山節考」の音楽作りの中で「五線が見える」と指摘された経験を話している。農家でわら打ち仕事をしながら歌う歌。五線が見えるとは、西洋音楽らしさが透けて見えて、農民の作業歌になっていないと言う意味らしい。五線に音符を書くことは作曲かもしれないが、それだけでは音楽を作ったことにはならないのだろう。 ・否応なしに聞こえてしまうBGMについて書いている稿がある。池辺さんが仰るようにBGMは辺りの音を支配し覆い尽くしてしまう。現在スマホ音楽をイヤホンで聴いている多くの人々はBGMに対して自分の好みの音楽を聴いているのだと、ささやかな抵抗を示しているの…

  • オヤジのあくび505

    池辺晋一郎「耳の渚」を読む2 ・楽譜に書いてある音に忠実であれ! と生前おっしゃっていた朝比奈隆さんのエピソードが出てくる。しかし、朝比奈氏の指揮から著者はベートーヴェンの交響曲で楽譜の指定がないritardandoを見つけてしまう。そして語る。楽譜が音楽なのではなく、現実に音になった時にだけ音楽は在るのだと。 ・江戸時代津山藩に宇田川榕菴という洋学者がいた。珈琲や沢山の科学用語など現在につながる訳語を作った人だ。この人が西洋音楽を研究していた話が出てくる。シーボルトと会って音楽の話をしたらしい。海外の情報を得ることが困難な時代に素晴らしい好奇心だと感じます。 ・ビートルズについて書いている箇…

  • オヤジのあくび504

    池辺晋一郎「耳の渚」を読む1 エッセイというのは、何か書きたいけれど、持久力がない人に向いた表現した方法だと思います。「オヤジのあくび」だってその時その時でそれなりに自分の本心や立ち位置を書いているつもりなのだけれど、長編小説のように延々と物語を綴る訳ではない。池辺さんも小さなエッセイの一つ一つが、かなり音楽界の課題を突いてきている気がします。野球に例えれば毎打席がホームランみたいな感じでしょうか? 読んでいておもしろいのは、氏の同業者である作曲家について書いているところ。例えば・・・ ・バッハが音楽の父として祭り上げられてしまう以前に、その時代の人としては、牢屋に入れられたり決闘したりしてい…

  • オヤジのあくび503

    繋げる、伝える5 読書の喜び 実はボクもスマホゲームはやりますし、まだ仕事もそれなりに続けていますので、日々読書三昧という生活ではありません。 しかもボクの読書傾向は偏っていて、図書分類で言う900番台は、随筆くらいにしか手が伸びず、ほとんどは800番台以前の本なのです。つまり文学のメインである小説をあまり読んでいないのです。 読書でなにを満たしたいのか? それは人それぞれでしょう。今のボクは興味をもったものについて、もう少し知りたいという気持ちが強いです。 それがオヤジのあくびに登場する本のジャンルが、よく言えば多種多様、まぁ支離滅裂である理由なのです。でもこれから学び始めて何かの専門を極め…

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