孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
歴史が古く 今に続く京都ならではと思う場所が有る。 岡崎公園内で、市立美術館 平安神宮の大鳥居を挟んで 西側 国立近代美術館 其の北隣が、府立図書館 市・国・府 公立の文化施設が真向かい隣同士と言う
日本が、戦争に負けたのは、八月十五日 終戦記念日と考える人が大部分かと思うが、その日は天皇の終戦の詔勅が発せられた日 考えて見ると戦う相手が有るにも関わらず 一方的にもう戦争終り 終戦という言葉は、
日本人の平均的な髪質は、直毛 真っ直ぐに生えて且つ硬い毛質が多い。 生え方によっては。櫛で梳きつけるだけで 形よく納まる毛と そうでない毛 軽い癖毛の人も居る。大方の癖毛の人は、刈り方次第で 納まり
先日 韓国で、有事に備えた避難訓練を 大規模に行ったと報じていた。地上が危険と想定して 地下に避難する訓練だった様だ。 有事を想定して予め訓練をしておくと 事が起こると 訓練の結果が出てくるのだろう。
日曜日の午後 所用を全て済ませて、自宅に戻ろうとしたのが 午後三時半 愛用の電動アシスト三輪車は 負担が大きいだろうとよく言われるのだが、河原町町のバス停まで歩いて バス待ち 必ず座れるとは限らな
百年近く前の 流行り歌の話題で有るが、銀座の柳並木は、昔 柳が植わっていた頃を懐かしむ曲と、新しく植わって嬉しいという二曲が有った。 前曲は、1929年(昭和四年 九十五年まえ 佐藤千夜子の歌唱
朝食に金を掛けるのは、非日常 例えば旅先 朝 珈琲屋て゜ 隣の卓に座る観光客と思しき人達は、テーブルの上満艦飾 皿数を並べて、お腹に入ってしまったら 跡形も無くなるから 食前に朝飯散財の記録を画像
会話とか対話を交す機会は、多ければ多い程 経験智として生きて来るように思う。 聞いた話をしっかりと覚えておいたり。 接客会話は 如何に相手に口を開かせるか 此方からの話しかけには乗って来ない人も居る
柳居子徒然 プリント版を発刊した頃は、未だ高齢者がSNS環境には、馴染みの薄い頃 お年寄りに読んで頂けたら良いかと始めた。 そもそも書いて載せる記事自体が 高齢者たる柳居子の書く事。 書きはじ
頂き物のデニムのズボンを愛用している。もう何度か洗濯もして 後ろの方の裾が擦り切れたり 膝周りが白く変色している。 柳居子は左利きだから 札で払った買い物の釣銭硬貨は、左前のポケットに入れる癖
佐藤一齋の四録の内 第三録 『晩録』の中に。『良医に託せ』269編と言うのもアップして 披露したい。 【親に事(つかえ)うる者は。 宜しく医人の良否を知りて、 以ってこれを託すべし 親没するの後
佐藤一齋著す『言志四録』は。柳居子お勧めの一冊。本サイトでも何度か採り上げた事も有る。江戸時代後期の儒学者で有るが碩学の人である。何に惹かれたかと言うと、簡易な語り口 物事の説明に これ以上は思いつ
京都の町の 町名とか通リ筋名とか 特定の場所を示す名称などは、歴史を伝える生き証人の様だと常々言っている。 今の時代許されない表記ではあっても 人々の記憶から消し去る事が 本当に正しい事か 歴史の
パリ オリンピックの事を報じた記事の中で、日本の国歌『君が代』が、他国の国歌に比べて、極めて異彩を放っている。荘厳なメロディだけでは無く 歌詞内容も 支配者 戦後は象徴となられた歴代の天皇の平安を祈
昨日は、京大病院へ、退院後始めての再診に出掛けた。順調に回復を自分でも感じていたのだが、 やはり専門のお墨付き【再診不要】が出ると、病が終わったという思いがする。 「お大事に」という とうり一片
『お体の具合 其の後如何ですか?』と、見ず知らずの若い女性から 声掛けられると、一瞬戸惑いを覚える。自宅に戻る道すがら 相手は完全に柳居子の極近の動静を充分ご存知の方だから 失礼ですがどなた様ですか
ぼちぼち体調は戻りつつあるが。熱中症で緊急入院 退院後も、持久力と言うのが今一つで、仕事は出来るのだが 続けて何人もの客人を一人で迎えて頑張る事は 未だ少し時間が掛かるか 今のレベルが常態になるのか
季節の移ろいは早い。猛暑が続いているとは言え もう直ぐ傍にだ大文字の送り火 春夏秋冬季節の切り替えのエポックの様な日と、捉える京都人は多いと思う。 大文字の起源は、諸説有る様だが、お盆を子孫の我
楽天のブログサイトへの 連載を始めて、足掛け十八年を越え 十九年目に入り 連載は、この調子で続けられたら 七千連載 八千連載と繋ぐ事が出来たら良いと思って居たが 今回の入院騒動で 六千九百八十四連載
オリンピックが終わった様だ。若い時あれほど関心が高かったオリンピック。 否 オリンピックに限らず 大相撲 プル野球等など 関心度が希薄になって、頑張っているなぁ 程度の関心の無さに我ながら情けなくな
僅か 一週間程の 入退院前後の騒動ではあったが。なかなか元の生活に戻すのは大変な事である。 洗濯が終ったら干そうと思って居た時に騒動が始まったから 洗濯物は、脱水した状態の侭 洗濯器の中でしっか
己の歳の自覚と言うのは、現役で仕事をしていて、気儘な一人暮らしを続けていると判らないもので、楽々出来ると思って居た事が体力の限界を越えていたとか 直ぐに症状が出なくても後から結果が迫ってくる。一晩寝
猛省 幾ら反省しても 心と身は別物 炎天下 店と松ヶ崎を往復した翌日 何となく足腰が痛くなってきて とにかく自宅から店に辿り着き 掛かりつけ医の整形外科の先生の所へ駆け込んだ。歩き方に異変を感じたのか
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす
日本麻雀連盟の認定 五段を持っているのだが、段位認定書は四段止まり 五段の認定に 二万円と云う金額を払えと言われ 五段位権利放棄をしたのだ。連盟の総裁は、新日鉄の稲山さんがされていた。 何十年も前の
今の時代 物事が多数決で決まる。我々の参政権の行使 なり代わって代表として選出する 議員とか首長の選出も 例え一票の差であっても 多数決という前提の決まりで、物事が動いて行く。 論議を尽くしたと
昨日やって来た 地元紙の記者との会話は、遊廓の話しで盛り上がった。 『今を生きる人の眼から見ると、方々に存在した遊廓を、昔の人は余程好色漢だったと考えるかも知れないが、誰もが有る一定の年齢になると、
ことわざと、格言の使い分け、これから「ことわざ」を喋りますとか これは格言ですと、説明する様なシーンは無いから、あえて分類する事でも無いのだが、昨日迄で 6633日 毎日何か一文を書き連ねていると