孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
朝の珈琲屋へ 先日イタリア旅行に出掛けた人の 土産話を聞く機会を得た。御縁の出来た人の結婚式に参加したという話しだった。ローマ・ミラノ・フィレンツェ等の地名が出た時 ふと大昔見た『ミラノの奇跡』とか
お正月と彼岸に襲った厄災という見出しの記事 能登半島を中心とした元旦の地震災害と 今回の大雨による浸水騒動。 正月・湖岸の恒例の営みが何一つ出来なくなった人々 気の毒 掛ける言葉も無い。 婦
灰燼に帰すという言葉が有る。木造建築物が大部分だった日本は 一旦火が出ると その建物だけで納まらず 空気や風の流れ 其の強弱によっては 一面焼け野原と言う状態になる事が多かった様だ。 人の営みが
2007年 今から17年前 書き残しを冊子にしてくれた 柳居子徒然を取り出して 17年前 どの様な事に興味が有って どの様に取り上げたかを 思い出し読みするのは 愉しい事である。 今も同じことを書く
ウクライナ出身のガールフレンド カテリナちゃんの消息を暫く聞かず、こちらからの問いかけも何となく控えている。 どの様な出来事が起こっているのか 問い合わせる事が、大きな悲しみを呼び起こす事になっても
店から帰ると。直ぐ横になり寝入ってしまう。大体午後七時台 午前二時過ぎには目覚める。 未だ夜だ もう一眠りとは思わずに 「あぁ よく寝たなぁ」の思いから一日が始まる。ラジオ番組を聴きながら ブログ記事
朝 店を開けてから、最後の御客様を見送るまで、九人をお迎えして 七人の仕事をして、日本人の客人は一人も来られなかった。 秋のお彼岸は、日本人社会だけの祝祭日 遠来の客人の文化圏とは大きくはなれて
昨日 買い求めた冷蔵庫の納品に立ち会った。 寸法をよく確かめずに 潰れた冷蔵庫より少し小さめ 背の低い冷蔵庫を買い求め 支払済みだったが、高さこそ低かったが、縦横の寸法は確認していなかった。
熱中症で 入院中 冷蔵庫の具合も悪くなり。 冷凍部分は起動しているのだが 冷蔵・野菜庫は完全にアウト状態になった。昔なら修理に頭が行ったと思うが 退院して間もないから 外食 若しくは出来あいの物
昨日お越しの客人は、『最近 街歩きをする時は 京都の地図を持ち 町名とか通り筋名を 確かめながら歩くと 京都の町は面白いところですね。』というお話が出た。 お仕事はリタイアされて 洛北花背にご自
三日続けて、月見て眼福の宵は。 元祇園町で腕を磨かれて、河原町丸太町に店を出され 近年少し離れた閑静な場所に移されたと云う 日本料理のお店に連れて行って貰った。 熱中症で倒れて 無事生還のお祝い
一昨日 中秋の月を 自宅への帰路 東一条通り 京都大学前を自転車で通行中に見た。 吉田神社の大鳥居の真上に 鎮座するが如くに 煌々と輝いていた。 毎月 毎日の満ち欠け 流石に兎が餅つきなどは考え
老いるという事だけで。敬われる対象になるのだろうか? 自分自身が対象年齢になると。 若い人から敬われる様な事をしているか 如何か 心許無い。 「江戸時代の看取り」という本を読んでいて、平均的な死亡年
毎朝 珈琲屋から 帰ると日曜日以外は開店準備をするのだが、昨日は真向かい 乾物屋が月曜の営業日なのに店を開けていない。三連休とか言っていたのを想い出した。 柳居子は、日曜以外の祝祭日は 特
美空ひばりの 晩年の歌唱『みだれ髪』と言う曲。秋と女心を表わす意味深いフレーズが有る。 『春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋』 秋は男女間の厭「あき」の季節なのかも知れない。春夏に対して、
医師の患者に対する 薬剤処方以外に、患者が自分の言う事を どの様に解釈するかによって、発する言葉の意味が大きく変る というお話を 朝の珈琲屋の隣りに座った 泉孝英先生から 伺った事がある。 酒を
東京日野市の 遊歩道を歩いていた三十六歳の男性が 頭上から落ちてきた銀杏の木の枝の直撃を受けて死亡という事件を報じていた。 事件の原因となった 銀杏の木の 管理責任が、何処にあるのか? 遊歩道と言うの
迷走台風10号の影響も有ったと思うのだが、京都市内は さしたる大きな被害も無く 関東・東北圏は 大雨が続いても 京都の町は一時的には前が見えない程の大雨も有ったが 青天の日が続いた事も有り、空の色や
知っている歌謡曲 若い時よく唄ったとか 聞いていたという曲目で どの世代か判るという話題が 珈琲屋で出た。 柳居子より少し若い世代なら 当て嵌まる式かも知れないが、一台のテレビを家族皆がかこんで
相変わらず 遠来の客人の数が半端で無い。今月入ってからでも既に二十人を越える。 営業日日数で割っても 一日二人以上お越しと言う事になる。 諸外国から見ると、日本が 観光で出掛けるに相応の國と言うの
朝の一時 珈琲屋の五番テーブルには、色々な人が座る。柳居子の隣りに座る人も このところ 毎日の様に変る。以前は誰の隣りは誰と暗黙の了解の様に決まっていたのだが。遠来の人も居れば メンバーの紹介でやって
昨日は 珍しく 自宅にお客様を迎えた。 一週間かけて 眼に着くところ掃除して お茶を淹れて出すのは面倒と 市販のペットボトルのお茶を準備した。午前十時にお越しの約束 時間通りお越しになった。 初
色々な客人が、お越しになるのは 床屋稼業の面白い部分でもある。 先日お越しの客人『お一人 取り掛かったとこですので 大分お待たせする事になりますが? 』と、二人間をおかずにお越しの客人の後から到着
生涯現役という言葉は有っても、年取って若い時と同じような仕事が出来る筈が無い。仮に若い時と同じ仕事が出来たとしても 時間が掛かり 出来映え其の物にも 老いを隠せるものでは無い。 柳居子の仕事の様
昨日午後 一寸 訛りが強いと言うのか あやふやな日本語の様な感じの、予約の電話が掛って来た。予約制では無いと伝えると 『今 空いてますか? 料金は幾らですか?』 と、立て続けに聞いてきたので 『料金
昨朝 朝の珈琲屋の前で、見知らぬ人に突然声掛けられた。夫婦連れの朝の散歩といういでたち 柳居子の事一方的にご存知の人の様で、「もうすっかりお元気になられた様ですね。」声掛けの最初だった このとこ
北の政所『ねね』の四百年忌を記念する事業の一つとして 「ねね」の眠る東山 高台寺が ココロにキク、コトバのチカラ。のサブタイトルで 【辞世の歌 臨終のことば】銘打って あなたのコトバで表して下さい
自転車通勤は。 バス通勤に比べると、通勤仲間という人的交流は出来ない分 道の傍や橋の上から見る 木々や草花 又其の移ろい 空や雲の流れや色に付いても 色々と眼を愉しませてくれる事も有る。 毎朝
京都観光や探訪を目指す人は、テーマとか時代を特定して 出掛けるのも一つの方法かと思う。 明治維新後 天皇が東京へ移御されて 京都が東京に対して 西京と呼称された時代 何もかもが退潮気味の時代の
自分の書いた 旧いブログ記事を読んでいると、物事への関心度とか 理解度と言うのが 甦って来る。自分自身の忘備録として書き始めたのだが、文として纏める作業は、決して安易な事では無い。公開する事前提で書
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす
日本麻雀連盟の認定 五段を持っているのだが、段位認定書は四段止まり 五段の認定に 二万円と云う金額を払えと言われ 五段位権利放棄をしたのだ。連盟の総裁は、新日鉄の稲山さんがされていた。 何十年も前の
今の時代 物事が多数決で決まる。我々の参政権の行使 なり代わって代表として選出する 議員とか首長の選出も 例え一票の差であっても 多数決という前提の決まりで、物事が動いて行く。 論議を尽くしたと
昨日やって来た 地元紙の記者との会話は、遊廓の話しで盛り上がった。 『今を生きる人の眼から見ると、方々に存在した遊廓を、昔の人は余程好色漢だったと考えるかも知れないが、誰もが有る一定の年齢になると、
ことわざと、格言の使い分け、これから「ことわざ」を喋りますとか これは格言ですと、説明する様なシーンは無いから、あえて分類する事でも無いのだが、昨日迄で 6633日 毎日何か一文を書き連ねていると
朝の珈琲屋から 店に戻ろうと、三条柳馬場北側で、スマホ画面を熱心に見ていた髭面の男と 画面から目を外したタイミングで 柳居子と目線がピタリと合った。何処かを探している様子。散歩をしている内戻るホテル