孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
大晦日 恒例のNHK紅白歌合戦の放送が終って、突然画面が切り替わって、お寺の除夜の鐘が鳴り響き 番組画面は ゆく年 くる年のタイトル お寺や神社の迎春の模様を伝えだす。僅か十五分経てば元旦の午前零時
朝の日課 珈琲屋から帰って、夕方までの客待ち仕事、終えると何処へ行く訳でも無く自宅へ一目散 其の生活パターンを変えないで、よく人間関係を築く事が出来ますね。と言う意味の事を時々言われる。 人を迎
泣いても笑っても 今日を含めて後三日 一年経つのは早い。先日も同年配の客人との対話の中で、『年取ると 何故月日の経つのを早く感じるのだろう』という話しが出た。本サイトで度々描いているが、原初体験と既体
昨晩 二十七日 夕食を,祇園新橋のお茶屋の大女将 若女将の招待を受けていた。柳居子の紹介で、色々と其のお茶屋の催事のお手伝いをした友人と二人の招待だったが。床屋稼業の暮れの二十七日 一寸時間取れない
相変わらず お眼に掛った記憶が無いとか 忘れた人から声掛けられる事が多い。昨日は店の前 三輪自転車に乗ろうとした時、妙齢の御婦人から『こんにちは』と声を掛けられた。まつたく何方か判らなかったので『マ
昔 蝦夷地は、米が出来なかったと言われたが、品種改良も進んで道産米が結構巾を利かせている。 暖地では二毛作という労働が過酷な作業を今でも行っているのだろか? あらゆる食材の調達が、長年の伝統とか習
昨夜は、馴染みの割烹屋の クリスマスパーティと贔屓客との忘年会を兼ねた会合に出掛けた。プリント版の読んでくれている人も沢山来るから、読後感等も聞く事の出来る格好の機会なのだ。 漢字が多い 難解な表
明日二十五日は『終い弘法』数多くの露店が並び 多くの人が集う。寺・神社の縁日・忌日・祭礼等は、人集め・金集めの結構な日に違いない。吉田神社の節分会に、露店の出店を取り仕切っているテキヤの親分に声掛けた
コロナ禍は、一時的な禍(わざわい)と捉え難い部分が有る。 感染者・患者が居なくなると終息 終わったという事になるのだろうが。一番大きな影響を受け その対応が将来の人格形成にまで影響を及ぼすのは、教育の
遠来の客人が相変わらず多い。此処は一体何処かと云う様な思いがする。昨日はロンドンから見えた客人が帰ったら 入れ替わりタヒチからやってきた人。確かこの人の髪の毛切ったなぁと思いながら 髭を剃り出して前
五十年程前 日中国交正常化を記念して、中国文物展という催しが 京都国立博物館で開かれた。 中国が誇る国宝の展観とあって、どの様な物が展示されるのか、期待を込めて出掛けたのだが、国宝中の国宝と言われ
昨日は 少し遅めの昼食をほぼ食べ終わったタイミングで、立派な体格の遠来の客人が、奥さんと思しき女性を伴って店にやってきた。「ソーリ― ランチタイム ナウ」と言いながら食事の後片付けを素早く済ませて
毎日曜日の午後 所用で出かける祇園町の道筋に在る 喫茶店で、よく出逢う何人かの人と親しくなって 其の中の最長老 「失礼」 老という言葉はこの地域では禁句 お母さんと親しくなってガールフレンドと呼んで
徒弟奉公という言葉 殆ど死語領域に入る言葉と思うのだが 柳居子の若かった業界入りした頃は、日常会話にも良く出て来ていた。仕事を教えて頂くから徒弟 年を期っての奉公が終ると、御礼奉公と言って無給で暫く
以前 人口減少と、都心部のドーナツ化現象に対応して、少・中学校の統廃合が続いた時、残存校と廃校になる住民意識を考えて、統合されて残った学校には 全く新しい校名を公募して数の多かった名前を新校名に付け
旧統一教会の献金問題の終息を、亀のように首を竦めて、心待ちしている人が沢山居る様に思う、信者からの献金の組織的関与の検証とやらで。宗教法人法に抵触せぬ様な状況を作り 組織ぐるみの犯罪か如何かの検証
楽天のウェブログ ブログの連載を始めて五年め よく五年も続いたと,自讃の意味も含めて、読者から五周年連載おめでとう というコメント集の冊子を友が作ってくれた。 五年で止まらず 十年続けられたのは立派
古典を読む時、その読み物が書かれた時代の世相とか平均寿命とか 通信手段 人の移動にどの位の時間が掛ったか 又男女間のスタンスの問題等 今の時代とはかけ離れた時間がゆったりと流れていた事を、先ず頭に入
明治十九年の学制改革の時 東京大学を 東京帝国大学と改称して、関西にも分校を開くという事が 漠然と取沙汰されていたそうだ。当初 大阪に開校する様な開校の原案が 京都市民挙っての誘致運動も有り 京都に
先日お越しの客人は、柳居子の店へは、初めてのご来店。 『散髪屋さんで、料金払って髪の毛切って貰った事が無い。』と、仰る。 色々とお話を承ると、同業理髪店の息子さん 年子の兄が父の後を継いで、自分
サッカー ワールドカップ ドーハ大会に於ける日本チームの動静やサポーターとして現地に繰り出した日本人の事を海外メディアが大きく取り上げている。試合の幾つかは最終PK戦で勝ち負けが決する事を少し違和感
十二・三年程前に、テレビが壊れて新しく買い替える事無く テレビ無し生活を続けている。見たい番組が有る訳でも無く 又 どの様な番組が人気が有るのか 其れすら何も判らない。 十年以上のギャップと言うのは
京都で「事始め」と言うと十二月十三日。其の日は、正月の準備を始める日という意味が有る。朝・昼・晩と 一日三食食べる様になったのは比較的新しい事で、昔は一日朝一食だったのがいつの間にか三食食べる様に
八十一年前の今日 十二月八日 午前三時一九分『ニイタカヤマ ノボレ』という暗号電報から、真珠湾攻撃が始まり。太平洋戦争の開戦記念日である。ある一定の世代の人と言っても今日が会戦の記念日と知る人も少な
今年の十大ニュースが取沙汰される頃になった。国内外共に波乱含み。日本は嵐の前の静けさという思いもする。 十大ニュースのランク付けは、然るべき人があれこれ考えて決めるのだと思うだが まだ一度もお眼に
昨日の午後 お越しになった客人は、何年か前 麩屋町御池下がるの 柊屋旅館の紹介でお越しになった。柊屋の南 姉小路角に平野豆腐店が有る。柊屋のお店の人に平野豆腐店迄送ってもらって 真っ直ぐ西に二筋目の
今年の十大ニュースが取沙汰される頃になった。国内外共に波乱含み。日本は嵐の前の静けさという思いもする。 十大ニュースのランク付けは、然るべき人があれこれ考えて決めるのだと思うだが まだ一度もお眼に
このところ 毎朝出掛ける珈琲屋に対するメディアの取材に付き合わされることが多い。お客様代表になるとは思わないが、同じ時間帯 変らず同じ席に座り続けて六十年と言うのは柳居子以外でも僅かな数 珈琲屋の
蔵書は多い方だと思う。座右として置いてある本 立ち上がって一歩進めば棚には辞書・事典の類が二十冊ほど。広辞苑だけでも三分割した初版も含めて三冊有る。 正価で買い求めた物も有るが、頂もの 何故手許に有る
遠来の一見さん以外の御常連との店での会話 話題は、「月日の経つのが増々早く感じる様になったねぇ」と仰る事が多い。世間は既に歳末商戦真っ盛り 迎春という言葉も方々で踊っている。 まだ十二月始まったとこ
今から七十七年以前の四十年間、外地と呼ばれる日本が 日本の最北端 稚内の北 僅か四十キロ先に在った。今はサハリン ロシアの版図だが『樺太』と呼ばれていた。 水産資源に恵まれ 良質の石炭が出て 木
柳居子自身は、取り留めのない駄文を 長々と書き続けていると思う。 何故駄文かと考えると、テーマを考え書きはじめても前段に興が乗り書き進めていくうち、本来書こうと思っていた事がだんだん細く消えてしまう様
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす
日本麻雀連盟の認定 五段を持っているのだが、段位認定書は四段止まり 五段の認定に 二万円と云う金額を払えと言われ 五段位権利放棄をしたのだ。連盟の総裁は、新日鉄の稲山さんがされていた。 何十年も前の