孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
何時もブログプリント版を読んで頂いている 柳居子より年若いキャリアの女性から『よくスラスラと毎日書く事が出来ますね。』と言われた。『続けることは 拘りですが 負担と感じたら其の時点で止めようと何時も
良い行いをして、報いとして得る物を 冥利と言う。仏教用語だが、嬉しい事を表わす言葉として一般にも広く使われていると思う。 先日お越しの客人 何年か前からご贔屓頂いているのだが お年がお若い 若く見える
再生とは、死に瀕した人が生き返るとか この世に生まれ変わる 叉録画した物を再生と云う様な時に使う言葉 創造は 今迄無かったものを始めて作りだす事 神は万物を創りだすから創造主とも言う。 この御大
朝の珈琲屋の帰り 六角柳馬場に在る「百均スーパー」とは言っても 最近は百円で提供出来る商品が少なくなったのか 原材料の高騰で何もかもが値上げラッシュ 百円硬貨一枚で買い物は出来ない。 何某の買い物を
時代祭の日 二十二日は、鞍馬の火祭の日でもある。 古くから続く祭礼の日と言うは、春は豊作祈願 夏は病魔退散 秋は収穫お礼と言うのが多い、 秋の火祭と言うのは実った穀物を虫や鳥に先取りされない様に
朝の珈琲屋で、出てくる話題は千変万化 何が飛び出すか判らないという面白さが有るのだが、考えてみると柳居子の店でも同じような事が言えるのではと思う。 只 珈琲屋の会話と店での会話 本質的には喋りあうと
お眼を汚すとか 煩わす事すら 憚るような些細な事件。柳居子の日常。 昨日 開店と同時にお越しの客人は、店から少し離れたマンションの六階にお住いの 柳居子より少し年下の方か? 何年か前からお越しになっ
修学旅行シーズンの到来 秋は高校生が多いという。 コロナ禍で修学旅行の出来なかつた年次の子供達には、生涯の悔やみ事になるかも知れない。朝の珈琲屋の少し南に在る旅館は、修学旅行生で賑わっている。最近は大
楽曲の演奏や歌唱毎に 著作権料の支払い義務が発生するという 国際的な機運が高まり、2000年 改正著作権法が施行されて BGMとされている音源に付いても広く適用され 音楽教室からの徴収についても 全国68
明治の国家神道の興隆政策を如何見るか? 旧勢力とか権威を徹底的に弾圧する事は 新たな権威を打ち立てる一番安易な方策であり 強固なモノになると判っていたのだろう。お寺への弾圧は新しい政府が権威を示す格好
来春の 文化庁の京都移転が、少々不透明になって来たと地元紙が報じていた。 日本国内の宗教関係の法的な問題は、一切が文化庁の管掌する事は知っていたが 今回の旧統一境界問題は。庁内宗務課が引き受けている
真言陀羅尼 『オン・・・・ギャーティ・ギャーティ』と百万回唱えたら、悟りの境地に入る事が出来るとか 柳居子の自宅近く 浄土宗の大本山知恩寺は、寺号より 百万遍の名で知られている。百万回の読誦が有って
柳居子より、年若い人とカラオケに出掛ける事が続いて、気付いた事が有る。 柳居子の十八番は、父柳居の影響も有って ド演歌 浪曲崩れの曲から始まって ムード歌謡とか 学園ソング等 唄う事の出来る歌手の
時々 思いがけない言葉を掛けて頂く事が有る。『柳居子さん あんた一体何者?』 得体が知れないから近付くこと注意と云う様な雰囲気を感じる声掛けでは無さそうだから『腰と背中の曲がった 未練たらしく現役
平安京開府から、千二百年以上経つ。 京都の歴史は日本の歴史の大きな部分を占めると言っても過言では無いと思う。盛者必衰は、世の習いだと言うが繰り返しの続く事が歴史とも捉えられるだろう。 例えば御所と
柳居子の生まれ育った 姉小路の一筋北の御池通りの一番古い記憶は、終戦間際の強制疎開跡の荒蕪地だった。多分市立柳池幼稚園に通っていた頃 柳馬場御池に在ったから「柳池校」と名乗ったのだろうか 鳩居堂
長くお越しだった客人が、お年を召されて少なくなった分 入れ替わり新しい客人を迎える事が多くなった。ご来店の動機は、今の時代を反映して、ネット情報を検索したり ユーチューブに載った動画をご覧になってお
ブログ記事の連載を始めた 六千三十一日前 〖親父の雅号 『柳居』 従って息子 『柳居子』〗この一行から柳居子徒然が始まった。 最近の読者は 如何読むのですか とか 正しくはと聞かれる事が多いから少し
ピアフが美声だと言う人は少ないと思う。姿。形も美人で、人が振り返る様な人では無かったと思われる。しかし人々の心に強烈に訴える歌の力と言うのを並はずれて 彼女独特の一つの世界を確立した人の様に思う。 最
ウクライナへのロシアの侵攻は 今年の二月に始まったから 既に八カ月も経っている。 解決の糸口すら見つける人が出来ない。 何時の時代 どの戦争に付いても、一方的被害者 全く戦争とはかかわりのない被
昔は誰彼なく知っていた童話 今の子供は全く知らないと思う。童話だけでなく 童謡という子供向けの歌も滅多に聞く事も無い。忘れ去られた世界という感じがする。 他人を差別する事は許される事で無い事は知っ
先日お越しの客人との会話。いつも ああだ、こうだとお互いの考えを交す客人。 仕事をして料金を頂く段は客人だが、それ以外は仲間 何でも遠慮なく好き勝手の言いあえる間柄と言うのは愉しい。 『おおきに
このところ 北朝鮮がミサイル発射を繰り返している。青森上空を飛び越したとも伝えていた。 ミサイル保有の誇示と言うのは過去の事。 保有している事が戦略核と言うのなら、実戦に使う事を想定しての核は 戦術核
十七年間に渡って、一日も止まらずブログ記事の更新や フェイスブック ユーチューブにも登場するから、柳居子はパソコンはおろかスマホもいと易く自分のモノにされていると思う人が多いが、実際は全く逆。
新旧違えず地図を見るのが好きだ。 京都市編 『京都の歴史』全十巻 学芸書林版は、第一巻「平安の新京」から第十巻 「年表・事典」迄 付録として取り上げた時代の京都の地図が付いていた。特定の場所の千百
先日 ラジオの深夜放送で 『李香蘭』特集を放送していた 懐かしい曲が流れていた。 戦前・戦中・戦後を、逞しく且つ華やかに生涯を全うした女性の一人として、山口淑子 又の名李香蘭を挙げたい。 柳居子
バス通勤をしていた頃、腰の曲がった老人と見て、席を譲ってくれた人に 細やかな謝意として飴玉一つ差し上げると言う事を初めてもう五年程になる。 読売新聞 気流という投稿欄に 席を譲られた人への感謝の
十月にもなると、秋色一段と強くなるのだが、未だに昼間は暑くクーラーを掛ける日も続く。 汗かきの客人がお越しにになると、汗が少し引くまで待って貰う。もう一枚余分の刈布という裂を巻きつけるから。 冷たい
地元紙夕刊に、「認知症の人の行動制限をせず安全を守りたい」というサブタイトル『行方不明防ぐ、模擬バス停』という記事が載った。伏見区醍醐に在る高齢者福祉施設を運営する『同和園』 の敷地内に二ヵ所模擬バ
京都の町の様子 このところ特に消長が激しい様に感じる。 代表的な繁華街 観光客が溢れていた時代、店舗のテナント募集広告が建物の前に張出す様な事は皆無だった。 然るべきスペースを確保すれば、絶対物が売
昨日は、一見さんだが ベルギー在住の日本の方がお越しになった。 『年が年ですので お好みのスタイルに刈りこむ事が出来るか如何か判りませんが、精一杯頑張ります。』と言って仕事に取り掛かる。若い時は上
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす
日本麻雀連盟の認定 五段を持っているのだが、段位認定書は四段止まり 五段の認定に 二万円と云う金額を払えと言われ 五段位権利放棄をしたのだ。連盟の総裁は、新日鉄の稲山さんがされていた。 何十年も前の