孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
例年になく、梅雨明けが早く連日の猛暑。水不足が憂慮されるし 節電と熱中症の狭間。僅か摂氏の10度程の温度差で 生活がコロリと変る。 この先 増々暑くなるのに、マスクの装着は、熱中症の発症を助長しないか
酉年生まれだから 鶏肉はおろか卵までが 共食いになるのだが そういう事はお構いなし 胸肉 腿肉 鳥肝 卵 胸肉を使ったマリネ等は 肉をⅠキロ使っての大仕事 例によって柳居子の口に入るのは。味見のつま
《看護師さん》 《いやしのプロ》 北区 〇〇五郎 無職 (72) 【過日、3時間を超える手術をした。今は退院して経過も順調である。入院中、のべ数十人の看護師さんにお世話になった。それぞれにタイプの
昨日 新橋のお茶屋の大女将と交した会話の大部分は、「他人への親切・気配り』の話し。 柳居子の飴玉の話は、ドンドン枠が拡がっている、バスに乗っていて席を譲られた時 偶然ポケットに入っていた飴玉一つを
2006年4月 楽天のブログサイトに書き込みを始めて5900余日 もうじき6000連載になるのだが、最近愈々お粗末と思う事が続出している。 掲載する記事は、起き掛け 頭が一番冴えていると思い聞かせて一気に紙に書き
選挙戦が始まっているのだが、一向に関心が向かない。何故だろう 一票の票の軽さと言う事も有る。何等かの思い入れを一票に託し続けて、投票で毛は 国民の権利と言うより 自分自身の果たすべき義務の様に考えて
遠くからやって来ると云う意味で『遠来』と銘打った 海外からの御来客一人一人に、柳居子の店へのメッセージを書いて貰っている帳面 「朱印帳」の三冊目が 昨日裏表 埋め尽くされた。 海外からの客人が
朝一番 淹れたての珈琲を運んでくれるウエイトレスさん達 毎朝の事とて 親しく言葉を交わすのだが、皆年若いし 眼鏡を掛けているのは誰も居ないと思い込んでいたのだが、実際はコンタクトレンガの装着の女子
『歌は世に連れ 世は歌に連れ』 随分前の歌謡番組の、オープニングのフレーズだったが。 世が進み 唄の方が遅れ出すと 暫くは懐メロという扱いで。その歌を懐かしく思う人が カラオケで唄ったり 懐メロ番組
最近は 有史以来とか 過去に例を見ないと云う様な形容 表現の言葉を聞いたり見ることが少なくなったように思う。有史以前に何が起こっていたのか? 人類が歴史という事を意識して後に残すという事が有史の始ま
式亭三馬の『浮世床』という本 時々頁を捲る。滑稽本と言われる内容は、市井の営み其のもの 士農工商相混じり 身分序列がこの本に登場する人に限って無いように感じる。皆 目的は髪結 市井の人とは言っても
貸家の立ち退き事件を二件抱えて居た二十歳台の時、弁護士への「お中元・お歳暮」は、ウイスキーと決めていた。 その当時舶来の洋酒で一番値の高かったのが『ジョニーウォーカー黒ラベル』俗に言う「ジョニ黒」だ
最近は、親しくして頂いた方の 訃報を随分後から知るケースが多い。 コロナ禍の影響も大きいが、九十 百にも近い 過ぎた年齢にもなると、亡くなったご本人と親しかった人とか 同世代故人を知る人の会葬と言う
連載中のブログ記事に、京都の事を取り上げる事も多い爲か 『柳居子さんは 京都通ですね。』と時々言われる。『通だなんて 飛んでもない 長い間見たり 聞いたり 読んだりの知識等知れたもの 特別一つの事に
毎日新聞6月8日 夕刊第一面1ページ全段と9頁三分の一を割いて『何気ない日常 平和だから』の表題で「焼けただれた理容ハサミが伝えたもの」という内容の記事が載った。ウクライナ南東部の町 マリウボリで理髪
毎朝出掛ける珈琲屋の卓と席 今から二・三十年程前までは、どの席も客が混みあって来たら相席が当然の様に皆が受け入れた。二人だけとか 一人の場合 一段低いフロアー テラス席に座った。見ず知らずの人と朝
寛延 天保期 1750年から1830年頃に活躍した禅僧『仙厓義梵』の事は、以前取り上げた事が有るが、逸話が沢山残っている人として比類がない。 其の多くは、見方・考え方を変えると 悪事が善事になり 逆のケ
何時も通りの日曜日 朝からブログのプリント版を配りながらの街中観察。 トピックは,京都文化博物館で開催中のジブリ 子供向けか 大人対象か判らないのだが、入場待ちの長い列 最後尾のプラカードを持った係員
我々が常使っている言葉遣いが、時勢から外れて死語化 若しは休眠語化していると思うケースが多々ある。『アベック』とブログ記事に書いて 若い読者から アベックて何ですか? と尋ねられると、もう我々は死後
昨日は 柳居子の店へのご来店歴が、一番長いと思われるお花の家元がお越しになった。柳居子より十才ほど年長 多分昭和の一桁代か十年代の始のお生まれだと思う。 美術学校に通っておられた頃 河原町通りで、父
暑くなってきて、長く伸ばした髪の毛を バッサリと短く切り落す女性が周囲見回して沢山居られる。朝の珈琲屋のウエイトレスやレジ係の女性たちも 誰かが短くすると 私も短くしようかな という連鎖心理が働くの
分不相応の頼まれ事を『鍛冶屋が軍艦を引き受けろ』と言った。鍛冶屋と言う職がもう存在しないと思うから、この成句も そのうち消え去ると思う。鍛冶屋だけでなく 軍艦と言う字句の近頃は聞いた事も見た事も無い
コロナ禍は、本来「家内安全」「病魔退散」を祷り願いが届くようにと託す神社が大流行り 大忙しかとおもいきや さに非ず 寺社仏閣 どこも参拝客の激減で やり繰りが大変と聞く。 仕入も加工も要らない 濡
朝の珈琲屋で出た話題。結果の直ぐに出る仕事 結果の出るのに日数の掛る仕事 又仕事内容が残す事が出来る仕事 言い換えると残る事が一つの評価にもなる仕事と 当座限りの仕事 仕事の業種分けの様な話題。 全
多種多様な人と人との接点が有って、有効機能的に物事が進む様 些かでも柳居子が絡むと 直接の事案から蚊帳の外に居ても嬉しい思いがするものだ。 人一人の能力と言うのは限界があり 秀でた力を発揮する人でも
店は定休日だが 昨日も大勢の人とお眼に掛かり、会話を交わした。忙しく一日過ぎた。 朝3時台 NHKの歌番組で『ディック・ミネ』特集を組んでいた。懐かしい曲が掛ると 眼が覚めて其の侭起きる。 ラジオ番
三根徳一と言っても、殆ど誰もが知らない人物名 世に知られた流行歌歌手。活躍した期間は、昭和九年にまで遡る事が出来る。 我々は当然の事だが、太平洋戦争 それ以前の日支事変という戦争時代の世相と言うの
着物の衿と言うのは 今は和服の付属商品の様に考えられ そういう位置づけになっているが、昔は衿 半襟の販売だけで、立派なお店を構える事が出来た様だ。 首筋地肌に直接触れるという事も有って ある種の消耗品
郡という字が最初に使われたのは、古代中国『周』の時代まで遡る事が出来るという。 地方の行政区画の一つだが『秦』の時代は県よりは上 我が国では大化の改新の頃から使われ始めたという。 是と言う言葉
毎朝配られる薄いビニール袋に入った新聞 其の侭朝の珈琲屋へ持ち込むのだが、挟んである広告物を取り出して毎朝するセレモニーが有る。 一応何が書いてあるのかチェックする。 食品スーパーの特価安売り商品の
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす