孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
元旦から数えて三百六十五日目 今日を限りに又新しい年を刻む。そういう繰り返しを七十六回続けてきた。若い時は考えもしなかった一年の過ぎ去る事の速さを思う。これは残余の年数を本能的に感知しているのかな?
古代と言っても、何処まで遡るのか判らないが、日本人の精神構造を確定する様な大きな出来事と言えば 地祇地神と天津神天神との並立が歴史に残る諍いも無く並立した事だと柳居子は 考える 時代が下って 仏教
歳末の風景が様変わりしたと載せたが、年末の喧騒 皆が走り回っていた時代、お正月はのどか静かな感じで、今のお正月とは異質な時間が流れていた様に思い出す。 この記事を読む人の年代によって捉え方が違うと思
昨日やって来た三人組 白人二人と黒人一人 其々見上げるような巨躯 連れ立って入って来ても一人の散髪の終わるのを二人が待つ図式と思っていた。彼らに見合う楽曲等判る筈も無く 待ち時間の退屈しのぎになれば
昨日 日曜日は今年最後の定休日という事もあり、刷り上がったばかりの ブログプリント版 配達兼ねて、沢山の人と 年末のご挨拶を交す事が出来た。 記事にも書いた様に 来年も今年と同じ様に過ごせたら結構
二十三日の昼前、ゆうバック クッション付封筒に入ったクリスマス・プレゼントが届いた。今は埼玉県に住んでいる ウクライナの女性 カテリナちゃんから彼女手作りのテーブルクロスと 2022年の年賀状の裏に
一年三百六十五日 毎朝出掛けるイノダ珈琲本店への来店歴は六十年を越えた。単に客と客を迎える店という関係以上に進展するのは 六十年という歳月が為す自明の理と言う事だろう 早暁社長を始め 一番最初の
大晦日の夜か 元旦の朝か 百八撞かれる除夜の鐘は、煩悩を除去してくれると言うのだが、天下万民の煩悩の除去を託される鐘の使命は頗る大きい。又何故百八回鐘を撞くのか? 柳居子には興味深い事で、以前少し
一人で店を開いていて一番困る事は、仕事中に固定電話に掛って来るセールスの電話。 顧客の問い合わせの有るから、絶対電話には出るのだが、失礼・横着な電話も結構数ある。 友人で定年退職した後 屋根瓦の
残すところ今年も一週間余りになった。国内外の十大ニュースが紙面をにぎわす時期。十大ニュースを発表してから加えねばならない事も起るから 世の中常に大きく動いているという事だろう。 時代遅れの床屋
二ヶ月ほど前の事だが、日曜日の昼 父の代から長年ご贔屓を頂いていた客人から、昼食のお招きが有った。ご高齢で暫く柳居子の店へはお越しが無かったので気になっていた。前々日金曜日 御子息から電話が有って『
もう二週間足らずで、この年が終るだなんて実感が湧かない。もう幾つ寝るとお正月とか クリスマスプレゼントに心ときめかした日々は 記憶の遥か奥底に沈んで甦る事は無いが、長じて仕事をするようになってからの
架蔵の本の中に、文化予算の国際比較という表が載っていて 少し興味を惹いたので披露したい。少し旧い数値ではあるが、『文化予算の国際比較』絶対値2015 『国家予算に於ける文化予算の比較』の二図 文化庁が野村
一寸先は闇を思わせる事件、大阪北新地で起こった放火殺人事件は、京アニ事件を嫌が上でも思い起こす 痛ましい凄惨な事件である。又最近は電車乗り物内での殺傷事件が度々報じられている。 これ等の被害者の多
以前 ご贔屓頂いていたお客様の未亡人 生前御主人にブログプリント版を差上げていた。『家に持って帰ると 儂より嫁さんがしっかり読んどる。』と仰っていた。近所にお住いの事もあり 御主人が亡くなった後も
このところ 在日の外国人のご来店が続いている。一週間に二・三人位か。二度目 三度目と言う人も居られる。先日紹介したセビリアのフェルナンドさんの例も有る。数多く有る理髪店の中から選んでお越し頂きく事は
姓は変れど 音読み柳居子と同名『クニヒロ』さんが客人に居られる。 工学系の大学の名誉教授で、柳居子より少し若いがもうじき後期高齢者か?現職時代よりは、格段に軽い教育機関で今も時々教鞭を取っておられる
大相撲・プロ野球・今の流行り歌等に、興味・関心が薄れていくのはやはり加齢現象なのか? 四股名と顔の一致する唯一の力士 白鵬関が引退したからもうすっかりご無沙汰 判らなくなった。 プロ野球もメジャー・
日曜日 何時も通りの朝のセレモニーが終って、最初に出掛けた先は、『金剛能楽堂』三味線の会。 無粋者 細かい芸の事など判ろう筈が無いのだが。「是非お越しください」と前日も声掛けられると出掛けない訳に
先日 中学三年の時 父帰るの劇に出演した同級生の事を書いた内、娘役をした女性の事を 長年病み伏す夫君を看取り終えたという事を書いた。 一昨日金曜日 彼女含めて四人でミニ同窓会を開いた。 看取り終り
今は 数量表示が、メートル法表示が殆どで、尺貫法や伝統的な数え方をしなくなったケースが少なくない。 只 伝統文化とか其れに関わる分野では、メートル法にそぐわない事もあり、特に時代設定が旧い時代の小説や
まつりごとに参ずると云う『参政』と言う言葉は、時代によって意味が変って来た様だ。江戸時代は摂政を輔弼する若年寄を始めとする実務官 お役人を指す言葉だった様だ 明治になって以降 国体の近代化が進み、まつ
コロナウイルス第六波関連の新聞見出しを見ていて。ふと気になった事が有った。 最悪のケースを想定しての対応という記事である。病気平癒 病魔退散を神に祈る時代では無い。最悪のケースを想定内に組み入れる爲
『柳居子さんの記事は、漢字が多いですね、もう少し平仮名が多いと読み易いのですが。』と、言われる事が有る。 『おまけに、長ったらしいね。』と、こちらから言い添える。言いたい 伝えたい事を端的に表すのが
先日 東京で 京都の話をした時、町を美しく残すという取り組みをしている『姉小路界隈を考える会』の事を披露した。 会の取り組みの一つだった『界隈老舗の御主人に自分の店の事を語って貰う』というシリーズが
菊池寛の小品に『父帰る』という一篇が有る。若い時 妻子供を見捨てて放蕩三昧を尽くした男が 年取ってれいらくして家族の前に姿を現す。追い返せと迫る長男 やつれ果てた夫を久し振りに見る妻 間に入ってオロオ
昨日早朝 スマホ画面に『本日7時半過ぎ イノダコーヒーに伺います。』というメッセージが入っているのに気付いた。先日東京へ出掛けた時、大変お世話になった麗人 何か手土産をと思ったが 前日に判っていたら
東洋の一番端の 小さな四つの島の住民、其れも自分の住む町から一歩も出ない老人が ヨーロッパの町の名前・国の名前を逐一知る筈が無い。 昨日お越しの フェルナンドさん もう二年近く柳居子の店に来られ
柳居子より年若い同業者の訃報が届いたり、勝手ながら暫く休業致しますの張り紙が、入院中だったり 偶然出逢った友に『忙しいか?』と尋ねたら『三年前に仕事はリタイアしてます。指先痺れて仕事にならんのです
作詞・作曲家で、歌手でもあった 『浜口庫之助』氏の特集を組んだ歌番組 深夜放送を聞いていて 歌手や 作詞作曲家という職業は、人気稼業 流行り廃れの有る、自由だがある意味ハードな世界に生きる人達だと思
医師が患者を診察して、病名を告げたり 薬の処方 病気に対する取り組みなどを患者に伝えるのは、極めて大事な部分だと思う。 又 患者は、一人一人が病状が違って 本人の性格とかレベルの違う事も勘案して
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と