孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
一昨日 東京で、古いレコードの大コレクター 三浦武氏と イブ・モンタンのSP盤を挟んで交した会話。 初期のレコードは。音源を其のまま刻み込んで作られた様だ。又集音 音の受け皿と言うべき機能が未発達 故
紅葉の季節 京都の街は賑わいを見せている。毎朝出掛ける珈琲屋も観光客で溢れ返っている。 開店は7時だが、其の時点で既に店の外まで 席待ちの客が並ぶ。客の観察や店の対応を見るのも其れなりに面白い。
腰椎の圧迫骨折を起して、完全に治りきらない内 胸椎も同じように圧迫骨折。背中も腰もまがってきた。元に戻る事は無いだろう。専門の先生に勧められて毎日自分で皮下注射をする療法を続けているが、先日先生に尋ね
乗り越えられない壁 隔たりと思う事が有る。否 有ると思っていた。男女間の関係 壁を乗り越えて成就する事もある。幼かった時 仲の良かった関係でも、長じたら人妻となり 嫁持つ身となり 幼馴染の姿かたちの侭
先日お越しの客人 御来店歴はかなり古く、柳居子徒然プリント版を来店毎欠かさず差上げて、隅々まで目を通して頂いている。八十一歳 前職に触れることは出来ないが、今も現役で仕事をされている。長岡京市在住だが
小・中学校で、お世話になった先生の事を話す機会が有って、今、振り返って往時の事を思い起こすと、どの先生にも大変お世話になった。人によって依怙贔屓も感じなかったし 一寸ませていたのか 教え諭すという場
祝祭日を定休日としている昨日の午後 電動アシスト三輪自転車に乗って。ブログプリント版の配達も兼ねて。蹴上の国際交流会館やあと二・三ケ所所要済ませて。三条通り下り坂西行 花見小路の信号が赤になった 青
今年も もう残り少なくナってきた。朝の珈琲屋同卓のYさんは月日の経過を 新年を迎える残余の日数の減るのを度々口にする。柳居子より少し年上。新年を迎える残余の日数では無く 命尽きるまでの残余の日数の話
日曜日 店の定休日が忙しいのは、今に始まった事では無い。営業日には出来ない掃除や 足らなくなった材料(消耗品)の注文や 昼過ぎには『今日しか散髪する時間が無い』とやらの 押し掛けの客人 よく無理を言
国際日本文化研究センター教授で、日欧交渉史がご専門の「フレデリック・クレインス氏が表題の一文 地元紙夕刊の『現代の言葉』欄に載せておられた。 在日三十年を超える氏が以前 所用で出かける時 細君も友
以前 京都の遊廓を構成する町 町名を調べた事が有った。 江戸時代京都の花街の元締め(官許)とも言われた『島原』に 島原を冠する町名は無い。 六条柳町から現在地への移転命令が余りに性急だつたので、同じ
早暁夜明けまでは未だ三時間ほど有る 丑三つ時過ぎた頃 つけ放ちのラじを深夜番組に ふと耳だけが起きだした。それではイブ・モンタンの『枯葉』秋の深夜に静かにお聞き下さい。というアナウンスに首から上 全
少子高齢化の影響も関係が有ろうかと思う事に、世帯辺りの人数 家族数が、昔に比べると信じられない程少人数になっている。独居の率も高くなる一方である。 時代はどの様に変って来たか 例えば食材の調達
昨日 武勇伝という一文を載せたところ、文中に『暴対法も無かった時代 ヤクザに絡まれた事もあった 口先の機転でヤクザが飛んで逃げた事もあつた。』という部分を読んだ読者から、『面白そうだから其の事も詳し
若い時の武勇伝と書くと 猛々しく勇ましいという印象を持たれると思うが。実際は真逆 口が並はずれて勇ましかった。内容は以前本サイトに載せた事もあったと思うがうろ覚え 本人の記憶が定かで無いから読者はもっ
朝の珈琲屋では、28日に迫った東京での公演会かいの打ち合わせ お世話役の松井孝治さんと、時間配分の事や 確定出席者の名簿の事など 諸々 同卓の祇園町の町内会長の困り事 四条以南 花見小路の 歩車分離
何十年のお越しのお客様 何もかも判っているつもりでも、其の日 其のタイミングの顔色とか気配を、何時もと同じか? 変った気配はないかを見るというのは 接客業全般に通じる事と思う。 何十年も前、木屋町
細木数子という女性の訃報 本人の写真入りで、フェイスブック繫がりの有る人のサイトに上がった。 略伝や彼女を取り上げた本の事などが載っていた。 柳居子は、『安岡正篤氏を 籠絡させた女性ですね。』という
史上最初の宗教改革 多神教から唯一神 太陽信仰 『ラー信仰』の事や、ハワード。カーター スポンサーだったカーナボン伯爵の事 歴史文学者 ミカ・ワルタリの事など、古代エジプトに関わる記事を数件本サイト
特別「終活」を意識している訳では無いのだが、身の回り整理・整頓が、煩わしくなってきて、人をお迎えするとなると大掃除をしなければならない。 物を買って増える事は少ないと思うのだが、頂きものは相変わらず
歌手『越路吹雪』さんが亡くなって七日の日 四十一年経った。歳月の経つ余りの速さを改めて実感する。 四十一年前オギァと生れた子供が分別盛りの四十一歳 彼女は大正十三年生まれだから 柳居子の母の二歳下
『色柄とも エー マフラーですね。』と声掛けられた。『頂き物です。』 店の隣りに在った会社が 洋傘・ショール・マフラーを扱う会社で、年に一度 在庫整理のセールをして其の売れ残りを必ず毎年何枚か頂い
交遊と言うのは、交わり遊ぶの意味だから 『藤田裕之』さんとの関係を言う言葉では無い、そんな軽い人とは交遊は無いと仰ると思う。最初にお眼に掛かった時は、毎日新聞社の最上階て゛大文字送り火を見る会に招か
京都・大阪・奈良の境界を跨いだ 京阪奈丘陵と呼ぶ広大な土地に、地域住民にも大きく寄与する事業として、華々しくスタートした学園都市事案が 当初の思い入れ程には機能していない様に感じられる。 既に撤収し
金曜日の昼 昼食はこのところ外食 食べに行く事に決めている。〖只今 食事で外出中 暫くお待ち下さい 御免〗という書付をドアに貼って、出掛ける先は『松長』と決めている。 松長の店歴を語れば、長いコ
コロナ過のもたらす二次的現象と言えると思うのだが、人の集まるところへは行かない。密を避けるようにと云う呼び掛けは、当然の事ながら 病院・医院への足が遠退く。少々体調が悪くてもコロナに罹ったら大変とばか
毎朝出掛ける珈琲屋の呼びは、美味しい珈琲を点てて客に供する事は、当然至極の事だが、客が客を呼ぶと言うのか 客同士がホスト役になり 一刻共に過ごすという事が この店の大きな目玉と思う事がある。店は美味
正式に遷都令も 詔も発せられていないから 都は未だ「京都」と考える人が居る事を 以前儀典都市のタイトルで載せた事がある。 一部再録 『明治・大正・昭和・平成 150年余を経て令和の御世 今は江
今 物事の日時の取り決めは、殆どが陽暦で動いている様に見える。しかしカレンダーや日捲りの類 旧暦表記も少なからず有る。中国や東南アジア諸国では、旧正月は賑やかに祝う日 連休仕事をしない日とされている。
朝一番から、今月末に迫った東京での講演会の打ち合わせ。 講演会とは言っても公演会に近い色合い。何を喋るのか事前チェックか 探りを入れて貰って『本物の古色を残す』というタイトルが付いたようだ。 勉強をす
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と