孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
以前 飛びっきり忙しい人から、『滋賀県と京都市の関わりの事を書いてくれと頼まれたのだが 何かヒントになる事有るか?』と聞かれた。『了解しました。』と答えた。 先ず『一衣帯水』というタイトルが思
自分の娘か もっと若い独身女性に声掛けられ。「御茶でも飲みに行こうか?」と誘ったら 『行きましょ 行きましょ』と二つ返事。御茶飲み以上に進展する事は万に一つも無い。誘ってラッキーと言われると ああ
我々日本人が使う表記の日本語には、漢字・平仮名・カタカナの三種有って、殆ど全ての営みはこの三種で事が足る。 文字文化が無かったか脆弱だった時代、全てが口伝で物事が伝えられた。稗田阿礼(ひだのあれい)が
始めて郵便番号制の導入の時、京都では「上がる・下がる・東入る・西入るだけのあて名郵便物が沢山あり、コンピューターの読み取りが問題になった。又市内 同区内に同名町が沢山有って其の処理が大変だったと聞い
いつも食卓の上 手に取れば直ぐに読める位置に置いてある文庫本 表紙ボロボロ 中身欠落も有る本。座右の友と言うより 眼前の友とか師とも言える一冊の本 著者は『佐藤一斎』江戸時代後期の儒者 林家の人と
死刑判決を下した裁判官に向って、被告が『生涯後悔するぞ。』と言い放った裁判て、過って有っただろうか? 自分は実行犯では無いから刑に服する事は仕方が無くても極刑とか無期懲役の判決は 想定外の事 思
医学部定員に、感染病科 枠の増設 専門医の育成という記事が載った。増々増えつづけている患者数のコロナ対策の一環と思われるのだが、政府は23年度にも適用を謳ってはいるのだが、泥縄の成句が頭をよぎる。
明治の新政府と言っても政(まつりごと)のシステムも出来ていなかった頃 新しい権力の威厳を衆目に知らしめるため、色々な手だてを使った様だ。旧の威厳を木端微塵に潰すとか無く為す事は。新たな権威の擁立には
最近は、愉しく仕事をするように心掛けている。 自分に出来る事は、時代の流れ流行りに取り残されていると思うし 今更新しい技術の修練 導入という 煩わしい事は、若い元気な同業に任せて、自分の出来る事特化
今夏は、毎年の真夏というイメージとは、全く掛け離れた様な雨続き。其れも未曾有の大雨が何時まで続くか判らない様に降っている。水不足で無いが 水過剰も色々な害が大きい。。 客待ち仕事だと、お越しの
月日は 百代の過客と言うから、客が過ぎ逝く事は 大きな定め事と判っては居るのだが、共に親しく過ごした昔を想いだし、若しあの人が生きていたら 今 どの様な話題を 如何話し合っているだろうか? そういう
終活を意識しているのでは無いが、溜まりたまった書類の破棄処分を進めている。 本は破棄若しくは人に差上げるとか 先年肺癌を疑われた時 大量に処分したのだが、書類 新聞の切り抜きとか コピー 下らない物
父 柳居が今の店を始めた 昭和20年代の終り頃から30年代に掛けての雇用体系と言うのは、職人さんと呼ばれる仕事の出来る即戦力と 丁稚小僧と言うのか見習いと言う 徒弟制度が未だ厳然と残っていた。年季奉公
京都市は、随分前から市パス・市営地下鉄の敬老者割引では無く無料パスを発給している。年寄の外出を勧める 其れが健康増進 運動が出来て豊かな老後 公益企業の名分の様に感じる時も有る。 この制度が始
幕末・維新の前後、三舟と呼ばれる時代の落し子の様な三人が居た。 勝海舟 高橋泥舟 山岡鉄舟の三人である。決して歴史の主人公 表舞台を演じた訳では無いが、主役を支える様な お膳立てを担う様な役割 この人
ガールフレンドからの 再手紙とは言っても、こちらはボーイフレンドでは無い。何と言って七十歳以上の年齢差が有るのだから。みずきちゃんから 朝顔の種のお礼に送ったお返しに 折紙と折紙作り方の本をプレゼン
遠い旧い思い出話し 当事者は柳居子以外は皆鬼籍の人『毀誉褒貶』と書くと大層な話になるのだが、柳居子の言いたい事言いの本領発揮に何時までも印象深く残る事 父 柳居が未だ店に居た時だから 三十五年程前
先日 初めてお越しの客人との会話 遣り取りが面白かった。 どの様な些細な事でも 覚えておいて 当意即妙と言うのか 会話の流れの中でタイミングよく乗せることが出来ると、 初対面に関わらず 長年の知己の
飴玉一つのプレゼントが、これほど大きな展開を見せるとは、思っても居なかった。 元はと言えば、バスに乗っていてお年寄りと見て『どうぞ』と言って席を立って譲られた時 偶然ポケットに姉玉がバラで数個入って
漢字の多い冗長なブログ記事を毎日載せているのだが、人様の記事に対するコメントは 短く これでコメントになっているのか? と思うほど短文 且つ一つの事に絞って 相手が何を書いているのか 何を訴えているの
京都に古くから住む人の季節感覚とは、 毎年繰り広げられる年中行事と言われる祭りを始めとする諸々の行事と季節が絡まって。体感温度を口にする時も諸行事とセットで話す事が多い。 『祇園祭が終ったのに
自宅近くの 百万編交差点に在る 薬局と百均ショップ併設の店が、どうやら店仕舞いする様だ。 ほんの二ケ月ほど前までは 必要に迫られて買に出掛けた時は 必ずいつも所定の位置に販売商品がおいてあったのだが
自宅のポストに 小さな封筒に入った手紙が投函されていた。 〖こんにちは、 あさがおのたねをいれました。しもまえのおじいちゃん いつも あめをくれてありがとう あめはいつもくれるときおいしいです
京都の三大祭「時代祭」が、何故10月22日に挙行されるのかを 知る人は少ないと思われる。長岡京から山背の四神相応の地を平安京と定めたのは。延暦15,年 桓武天皇の時代。 この年の10月22日に 詔 (みことのり
常連さんの年齢が高くなっててきて その上のコロナ禍 高齢の客人が漸減傾向だが、其れを埋める様に初来店や 外国人の客人が増えてくるのは嬉しい事だ。コロナで来日の観光客は皆無だが 日本在住 日本で学んで
始発のバス仲間で、ネクタイ・スーツ姿は、サラリーマン 多分大阪勤務と思われる。阪急かJR乗り換えで大阪に着き 其処から又乗り換えて勤務地に向う人だと思われる。少なくとも乗継含めて一時間以上 場所によっ
概して京都は教育熱心な町だった思う。学校の数も人口割にしても多かったし、何よりも歴史が有った。 日本初と云う様な教育施設とか システムも 他所では考えられない様な事が枚挙暇なく有る。 広く門戸を
後期高齢者が、一人で仕事をしている理髪店へよくお客さまが来て頂けるものだと感謝している。 際だって仕事上手という訳でもなく 老人の辿る道だと卑下している訳では無いが 腰もしっかり曲がって来ている。
対面とか同席の場で、お互いの意思疎通は口から出す言葉。相手に応じて 敬語を使ったり 気楽な仲間同士だと 挨拶言葉殆ど省略の『オッ』と一声出すだけで お早う 今日は こんばんは 又 元気そうだなぅ と
毎朝の珈琲屋の常連席 柳居子の隣りに座る老先生は、医者は〖士・農・工・商〗の身分序列から外れた 埒外の存在 はみ出しと取れるような事を言われる。 埒外の 『埒』一字は、馬場に於ける囲いとか仕切りと
一昨日午後 お越しになった客人は、事前に電話が有った。『アイパー掛けて貰えますか?』 という内容だった。 パーマネントの熱処理技術として一世風靡した技術も 今は技術者が居なくなった。柳居子の店でも数
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から