孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨日は、柳居子の店へ初来店という客人が二人見えた。最近は初めて見えた客人も大変とかプレッシャーを感じなくなった。「こんな腰の曲がったお爺さんで良いの?」とか 昔は上手 手も早かったがとか 若い今今
先日ラジオの歌番組(午前2時)で、ルイ・アームストロングが登場して『聖者がやって来る』を独特のだみ声で唄う音声が流れた。一度聴いたら絶対忘れない歌唱。お世辞にも歌手の範疇には入らないと思うのだが 類
自転車で、自宅・店の間 往復していた時は、雨降りは大変だったが、季節の移ろいを肌で感じる様な事が多かった。 新芽 青葉・若葉の頃から 満開桜のトンネルをくぐる菜感覚は、バス通勤に変えてから感得する事
小学校時代の同級生の女性で、公立の幼稚園の園長をしていたのが居て、同窓会の席上で、近頃の園児の保護者の気質とか無軌道ぶりを 憤慨とか諦めの話をしてくれた。 ある日 園児の男の子が、眼も鮮やかな茶
どうも最近は、本職以外の仕事と言うのか お遊びと言うのか お付き合いと言うのか そういう事に時間を使う事が多い様に思う。 迎える客人も売り上げに繋がらぬ人もやって来る。煩わしいと思う事は滅多にない。
最近眼に付く事だが、女性の体位向上と言うのか 背丈だけでなく 体重 何を取っても昔は想像もつかない程 栄養が隅々まで行き渡った様な女性を見る事が多い。 柳居子が縮んでしまった分 余計感じる事かも知れ
一旦始まってしまったら、あのコロナの大変な時に一応のスケジュールを確実に消化して、今迄の常のオリンピックとは違う特別の感慨を皆が持つ様な 後に振り返って思い出深い大会になれば良いと思う。 国立競技場観
京都通などと言われると 面映ゆいが、正しくは京都に精通している人を沢山知っているという事だろう。歴史は色々な捉え方が有るし 年代 分布 又ジャンルも広く 際限のない拡がりが有る。興味の向いた事 その道
昭和三十九年(1964)に開かれた 東京オリンピック開催・運営をした人達の多くは鬼籍の人達 出場した選手とて八十路に手の届く年代。しかしそれを知る年代にとっては、オリンピック開会式の10月10日の事は、前日
マスクを嵌めると 女性の場合、眼の化粧に特化できるのか目許パッチリ美人が増えている様に思う。百貨店の化粧品売り場の女性に『一日中マスク外さないの?』と尋ね『はい』と言うものだから 『マスク外した顏見
新聞の折り込み広告は、食料品の特価販売の記事以外は殆ど眼を通す事も無く 細かく丁寧に折りたたんで処分する。綺麗に折りたたむ事が指先のトレーニング 又折り目を揃えないと綺麗に折りたためないから 紙の隅
昨日午後一番 お迎えした客人 年若いどちらかと言うと今風の若者。例によって『こんな年寄でもよいの? 今風の流行りのカットは出来ません』とスルーをお願いした。 出来もしない仕事引き受けて 後で不興買うよ
コロナの対応に付いて、結果論的に如何こういう人は、野次馬的論考を述べている様に感じてしまう。総理大臣の対応が拙かったと言っても、誰がその地位に就いても同じような結果になっていたと思う。 感染
今日十八日は、煌びやかに荘厳された様な山鉾が、一夜明ければ跡形なく消えてしまう日である。あれは一体何だったのか? と。鉾町の静寂に不思議な思いを持つ日でもある。 巡行の日 昨日多くの人と交した会話
今日 十七日は、神輿の渡御も山鉾の巡行も無い祗園御霊会。病魔退散を祷っての祭礼が、祈祷より 効果の高い隔離・遮断 密を避ける方が病魔に対峙するのに 効果的という知恵を人類が獲得しての結果としての 山
先日『柳居子さんは、顔役ですね。』と客人に言われた。 自分自身が顔役だなんて思った事は微塵も無いが、客仕事長く頑張って来た結果として、顔が広いとか 売れている様な事は有るようだ。顔が売れていると 顔
維新後、否 其れ以前からも日本を訪れた外国人が、急激な西欧化に対して、危惧の念を持つという発言が数多く残っている。模倣に走り、特にヨーロッパ圏の人は、米化 アメリカ化するのではと云う声も残っている
維新後、否 其れ以前からも日本を訪れた外国人が、急激な西欧化に対して、危惧の念を持つという発言が数多く残っている。模倣に走り、特にヨーロッパ圏の人は、米化 アメリカ化するのではと云う声も残っている。
清水寺から古文書が出てきたと云う報道に関連して フェイスブック繫がりの出来た人との間で、コメントの遣り取りが有った。御室仁和寺の話題も出て、世に打た古文書をベースにドキュメンタリー特集が出来ると面白
山鉾巡行が無くても、鉾が辻々に建つ事が、氏子町に生まれ育った者にとっては 梅雨が終って夏を迎えるセレモニー節目の頃という思いが強い。コロナ禍 昨年は巡行はおろか鉾立ても行われなかった。 今夏 鉾を建
姉小路通り烏丸を西に向かうと、北側に白い鳥居の社に着く。社域は左程広くは無いのだが、社歴は結構古くから有るようだ。 高松神明社と云う。 醍醐天皇の皇子で 西宮大臣と呼ばれた源高明邸跡である
通っていた小学校の正門真向かいに、ダンスホールなるものが在った。店名は中央ダンスクラブとかホールを名乗っていたと思う。 オーナーだったと思う小柄なおじさんと、眼が合うと「お早うございます。」とか「こ
若い未だ独身時代の話だから 多分五十年程前の事。仕事終えるとほぼ毎夜新京極に在った『桜湯』という銭湯へ出掛けた。 当時近辺の商店は住込み店員と言って仕事場二階が寝る所 当然風呂を作る様なスペースはなく
新聞の折り込み広告は、食材の特売・住宅マンションの広告 又 予備校の案内とか 大凡 曜日によって同業広告が多い様だ。個別に広告を打つより 曜日業種に特定した方が 選択肢が大きくなり宣伝効果が高まると
毎朝出掛ける珈琲屋の常連席は、メンバーの殆どが敬老乗車証を頂いている七十歳越えの老人特化席 若い人は子供がようやく学齢期に達した若いお医者さん一人 当然の事ながら古い話題や 今は使わない様な言葉がポ
自分と全く同じ人と云うのは居ない。個体差と言われる。人間社会だけの話では無いと思う。群れて生きる動物には必ずリーダーとされ個体が居ると思うし 其れも一定の期間が過ぎると 引継ぎが行われる様だ。
相手国の政情不安や 革命運動の真っ只中という事情もあるが、中国とロシア・ アメリカ相手に 戦争して二勝一敗という国は、世界中 何処にも無い。 戦で物事を処理するのが決して上等の解決法では無いと思う
7月3日 掲載洩れ 眼に見えない敵との対峙は、相手が全身これ破壊兵器とも言えるウイルス。 蔓延が予測される当初から 第三次世界大戦と捉え 解決の端緒すら見つけられない戦争と論じた。又 人類側唯一の兵
数年前 某出版社から、自費出版を勧める手紙の中に挟んで有った『作品講評』なる一文 柳居子徒然を読んでの読後感が 綴られていた。 【【 京都に住まう著者の手になる 滋味溢れるエッセィを たいへん興
京都市内・市外 府下を通じて、難読地名の事を何度か本サイトに載せているが、京都府久御山町東一口 西一口の地名ほど 難解で皆が首を傾げる地名は無い。 「一口」と書いて『いもあらい』と読む。一も口も音訓
今年もコロナ過で、昨年同様 祇園祭の山鉾巡行が、行われない事が決まった様だ。 しかし 幾つかの鉾は町内だけの展観と云う事で 鉾建てが行われるという。祇園囃子を聞き山鉾巡行を見ないと京都の夏は来ないと
昨日は、妙齢の御婦人から 今日はこれを食べる日と。水無月をお届け頂いた。 寺町の 小松屋さんという和菓子屋さんの品 『この店の先代は 確か京一商のご出身でしたね。』と言ったら『そう 聞いています。
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から