孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
毎朝『お待たせしました。』と、眼前に珈琲を運んでくれるウエイトレスさん。『お待たせしない』と言うのが ウエイトレスという意味だよとひとくさり 開店時間の20分 30分も前に扉こじ開け 開店準備の邪魔
あの世とやらで、先に逝った人との邂逅と言うのが有ったら、必ずお眼に掛かりたい人が居る。もう21年も前に亡くなったが 実に長い深い御縁だった。 恩師であり 店に迎える客人であり 何よりも歳の離れた親しい
いつも日曜日は、平日営業日に比べて オーバー・ワーク気味になる。特にブログのプリント版を配る日は、中京・下京・上京・東山・左京の五区 電動アシストが付いているとは言え 自転車で走り回る。勝手に忙しが
昨日お越しの客人との会話は。涎が出るほど美味しそうだが、財布が軽くなるという話しだった。二週間程前に初めて見えて 私は月に必ず二回散髪をします 又来ますと仰っての再来店である。二週間前に見えたのは確
歴史が古くから続き 観る所が多い事から、京都の町は外から見ると観光都市のイメージが強い町だと思う。数多く迎える修学旅行の生徒さん達を見ると、原初京都体験 京都の町を印象深く見て廻るのだと思うし 最初
最近は見ることが無くなったが、自宅や自店の前の道路を毎朝『かど掃き』という風習が有った。自宅・自店の間口の分だけ掃くのが習わし ついでに隣家隣の店の前まで掃除をするのは 親切では無く越権行為 不干渉
羅という一字は、昔から何となく気になる字で羅の付く術語機会ある毎調べて来た。 糸偏が付いているから 織物の事と判る。紗(シャ)・綺(キ)・絽(ロ)等の夏物 薄い織の列に並ぶのかと思う。 網という意味や
『五千五百を超える連載の中で。車の話題が殆ど有りませんね。』と、言われた。言われてみると 車の事で書いたのは、日・米と、欧州圏との 物の販売システムとか戦略の様な事を論じた中で 日・米は絶えず新しい
七十年近く 二代に渡って 客人をお迎えする仕事をしていると、随分人の気質が変わってきたなぁ。と、思う事が有る。ご近所親の代からという人を除くと、柳居・柳居子の店へ最初にお越し頂いた理由 動機と言うの
応仁の乱後、秀吉の 洛中散在のお寺を、東京極大路の東側に移転させた話を去年東京で『床屋談議』と銘打って話したのだが、今以って寺町通り沿いには 北は一条から 南は七条に至るまで寺が建ち並んでいる。しか
いよいよ迫って来たオリンピック 第二陣として到着したウガンダの選手団九人の内の一人がPCR検査結果が陽性と出て 隔離措置がとられたという。本国でアストラゼネカのワクチンを二度接種して万全の体調での来
岩波の広辞苑 初版を含めて三冊持っている。他にも三省堂 大辞林 学研国語辞典 携帯持ち運びの出来る小さな紙の辞書も有る。一つの言葉を引き比べるとそれぞれに面白い。 『現代』という言葉 以前本サイ
時々 手作りのちりめん山椒を差上げる方から、『柳居子さんの作る ちりめん山椒は 中々 乙な味がするね。』とお褒めの言葉を頂いた。「オツ」という言葉は、何となく判っている様で 判らない言葉 漢字表記は『
昨日は、小学校時代の同級生が三人も散髪にやってきた。鉢合わせならミニ同窓会だが 其れでは柳居子の体が持たない。入れ替わりやってきた三人は。誕生日を迎えると皆が喜寿 七十七歳になる。親の後を継いだとか
先生と言う言葉 随分昔から使われていた様だ。 本義は先に生れた人 年長者を指す言葉だが、加えて学識・徳の有る人 学問を教える人 教師 師匠を指す。単純に人を呼ぶ敬称として使われるのだが、孟子とか史記
接客稼業で、客への気遣い配慮と言うのは営業上必然の事である。 美辞麗句を並べて 揉み手さすり手で、客に媚びるような会派は一切しない。其れは入ってくる金に対していらっしゃいませよくお越しでと言う意味
大相撲に興味を失ってから随分と歳月が経つ。現役力士で、顔と四股名が合致するのは、引退寸前の白鵬一人になった。土俵際検査役を務める元力士も現役時代を思い出す人が居ない。 何故興味が失せたかと言うと。
保守・革新はよく使われる言葉では有るが、我々一般庶民には判っている様で判らない言葉だと思う。 我々が一番イメージするのは、政権与党と野党と言う事だろう。其々の言葉先の一字「保」と「革」を合わせて 『保
コロナ過の真っ最中、遠方からお越しのご年配のお客様の足が遠退いた分を埋める様に 新規始めてお越し頂く客人の有るのは嬉しい事である。仕事に掛る前 必ず『こんな腰の曲がった老人でも宜しいのか?』 とい
梅棹忠夫氏が、三十年程前に 角川書店から出された〖京都の精神〗というタイトルの本の中で、京極の事を取り上げた一項が有る。 左程長文でも無いので紹介してみる・ 【 地方のどこの都市でも もっとも繁
十年一昔という歳月の一つの区切りとする言葉が有る。 十年経てば昔の事と言う意味でも使われる。今の十年は昔の特定の十年とは比較対象とするのに 余りにも変化のスピードが速すぎて 十年前は遥かな過去という感
京・大坂間の移動の所用時間とか、何キロ離れているのかという 物理的な二つの町の距離の話では無い。今でこそ 大阪は完全通勤圏 毎朝乗る始発のバスは 大阪まで通うサラリーマンで満席になる。 逆に大阪か
ある一定の年齢以上の会話の中で、「ひばり」と言う言葉が出て来たら、それは美しい空を飛びまわる雲雀(ひばり)では無く 芸名 美空ひばりの事と見て間違いない。日本人の日常生活に溶け込んだ様な ひばりと
〖小蕪の甘酢漬け柚子風味〗と言うのは、料理の範疇には入らないと思うが、箸休めとしては恰好の藻のだと思う。最初に作った時の出来映えがよく 大好評だったから、小蕪の出盛りの頃にはよく作る。 例によって柳居
インドネシアのスカルノ大統領が、日本の水商売上がりの女性を第三夫人とかに迎えた時、これは複婚を認めているイスラム圏の話 ましてや一国の大統領 一時期までは終身大統領という絶対権力者だから インドネシア
妙齢と言うに 少しキャリアを重ねておられる御婦人 お三方個々に コロナが下火になったら、カラオケに行きましょというお誘いを受けている。常の営みが変ると 誰彼なく調子が狂ってくるのだろう。 カラオケ人前
時代考証という専門の職領域が有る。時代劇や映画 テレビドラマ 芝居等の脇役としての道具や衣装また 風俗等々 その時代に適合しているか如何かを考証する仕事 その道に詳しい学者の小遣い稼ぎと言ったとこ
若い人と並んでとか、自分の若い時と同じように現役で仕事が出来ているとは思わないが、店をほぼ定刻に開けると お顔馴染みや 初めての客人を迎える事が出来るのは、一応現役の証しかと思う。 後継 継ぐ人が
病魔調伏という切実な願いで始まった祇園御霊会の付帯 山鉾巡行が コロナという病魔により 去年に続いて二年続けて中止と決まった。五月の加茂社葵祭も中止だった。 七十六年前 昭和二十年も山鉾巡行が一切
あっという間にもう六月。今月末には一年の半分を刻む事になる。 『年の始めの・・・・・・終り無き世のめでたさを 松竹立てて角毎に・・・』と唄ったのは何時の頃だったか? 記憶も朧気になつて来た。 未
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から