孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
どんなに偉い人でも 最初から偉かった訳では無い。必ず親や兄弟姉妹 又其れに代わる人の庇護とか慈しみを受け 又 師と言う人が居て 人格 学識 立ち居振る舞いに至るまで 影響を受けて育てられた。又 反面
世間と言う言葉、余り使わなくなった。自分達は世間・社会の中で生きているという意識が希薄になっているのではなかろうか? 引き籠り世間と没交渉でも生きている人は沢山居る。 世間体とかご近所付き合いと言う
昨日お越しの客人二人連れ 父柳居の時代時代からの出入りのクリーニング屋さん親子。 最近はクリーニングに出すようなモノは着ないから 全然発注無しの こちらが一方的に散髪にお迎えする出入り業者になってい
「あの頃、京都の路上に生きた 伝説の男の物語」というサブたてトルの『ジュリーの世界』を著した 増山実氏の一冊に読後感を本サイトに載せた事がある。一度増山氏にお眼に掛かってお話したい事がある。其れはジ
週一度だけ お弁当を作らず昼食を外で食べることにしている。出掛ける先は 高倉御池上がるの『松長』の日替わり定食 そう好き嫌いが有る訳では無いし 料理選ぶ事無くあなた任せが良い。 自分で作るのは結
歌を唄う・聞く 又一人で・大勢で。おそらく人類が言葉と言うモノを身に付けて以来 絶える事の無い事 他の生物とは違う多様性を持った一つの結果とも言えると思う。 悲しい時 愉しい時 あらゆるシーンで
昨日朝 珈琲屋にやって来た御仁は、早朝東京を発ち 京都駅から地下鉄経由三条堺町に至る迄の軒先・道筋に日章旗の掲げてある家が数多く 又市バス・地下鉄でも日章旗がひらめいていたと仰った・ 『大江戸では
大衆という言葉は、今 おおきな拡がりを持ち、多くのシーンで使われる言葉だと思う。沢山の人が寄り集まるという意味以外 日本では特に労働者階級・ 地主に対する小作農等 ある種の階層を指す言葉でもあるよう
朝の珈琲屋で、今が咲き時の「曼珠沙華」の話題が出た。 柳居子の自宅庭にも 毎年必ず十数本 位置も期間も決まった様に咲く。曼珠沙華の赤い花を見つけたら ああ 季節はもう彼岸に入ったのだなぁという思いが
一昨日 日曜日は、毎日曜の営業以外の用事が思いのほか早く終わったので。柳居子としては、大変面白い所へ出掛けた。先日来顔に少し傷が出来て 髭ぼうぼう伸び放題 髪も伸びていたから 顔剃りとカットをして貰
政治・まつりごとに無関心では無いが、積極的にアクションを起したり、主義主張を高々に掲げる事もした事が無い。誰か強烈に惹かれる人物 政治家との邂逅も無かった。 さりとて棄権はせず権利としての参政権は行使
父 柳居は、自他ともに認める大酒飲みだった。飲酒による武勇伝は数知れず。神社に備えてあるお神酒にまで手を出した事の得る猛者だったが、其れに比べると柳居子は下戸 《親父みたいなよー 酒飲みなどに なら
頂き物ばかりだが、リュックサックを三点持っている。毎日の弁当の嵩が結構大きいので。一番大きいリュックを使用しているが愛用では無い。他にものを持って歩く手段が、若い時の様に両手にカバンや諸々持つという
昨日夕刻にお越しの客人は、今年の三月始めて見えて、必ず月半ばにお越し頂いていた。最初に見えた時、東山区に在るホテル勤務 千葉県に本社が有るのだが 京都店に半年間勤務を命じられたと仰っていた。 『今度
ここ 十日ほど四回 自宅と店との間自転車で往復した。電動アシストの付いた三輪車で、帰路はのぼり坂道一筋でひたすらペタルこぎ続けねば前へ一歩も進めなかったのが 上り坂という負担は全く考えなくても良いし
アニメやゲームは興味が無いので、若い人との会話は苦労する。漫画と言うのも 如何言う訳か子供の頃から余り興味が無かった様に思う。只 ネット上の四字熟語ケームにはよくアクセスして 四字熟語〇囲み欠けた一
時々 切干大根(千切り)の煮物を大量に作る。料理を手際よく早く作るという事は一つの評価では有るが。絶対必要な時間とか手間 これも大事な事である。口に入れ舌先 から喉奥食道に送ったら其れまでのモノでは有
コロナ過で、給料どころか雇用そのものが。風前の灯の様な業種が有る。少し逆の面を考えると、超多忙 コロナのお蔭でと云う様な業種も必ず有ろうかし思う。 ワクチンの製造に関わっている企業等 不眠不休の
寺町押小路上るの 古書肆 稲場尚学堂との縁は、もう七十年近くなるのではと思う。小学校へ上がって直ぐ 仲間・友達という意識が有ったから とにかく長かった。付かず・離れず適当な距離感と言うのは、ある意味
取るに足らぬ駄文では有っても、他人が読む事を前提にして十五年間一日も休まずの連載に付いては、 最近読み始めて貰った読者からは 一様に よく書きネタが毎日続きますねと仰る。 ブログを始めた頃からの読
昨夜 自宅近くの食品スーパーで、塩鮭の切り身四片を買い求めた。一匹分骨と頭を落とした 食べられる部分四片である。値段だけ確認して買求めたのだが、自宅に戻り包装ラップフィルムに貼ってある丸い紙切れを見
十一月末に 東京で又 『床屋談議』を開く事 コロナの状況判断で未だ未定。浅学菲才は、何を喋ったら良いのか戸惑っているのだが、京都を飛び出せない井の中の蛙 又京都の事を少し喋ってお茶を濁す事とする。
地表に産するモノだけで 人類が生きる営みをしていた時代と、今の時代 地球人口の比較をすると 丁度産業革命が始まった頃から急カーブで増え続けている様に思う。これは地中深く埋蔵されている化石燃料のお蔭で
月に一度出掛ける整形外科医院での 院長先生と患者との会話が面白かったので、忘れないうちに取り上げてみる。 柳居子の診察は、一年三・四度 骨密度を測った時の結果を効かせてもらうだけ、月に一度自分で
一日に出来る仕事量の限界の様な物が。何となく見えてくる思いがする。見えてくると言うより体が感じると言えば良いのか? これは仕事をする日 休日も含めての事。 営業日 他人よりは二・三時間早起きして
生まれ育った京都の町を一歩も動かず 他所の事は何も知らずに多分この地で果てるだろう。一歩も動かずを徹底している。九州へ新婚旅行に出掛けたのと 娘の嫁ぎ先埼玉の大宮迄出掛けたくらい。 井の中の蛙の典型
多摩美の学長をされている 建畠晢氏とは。京都芸大の学長をされている時からの昵懇である。 最初の出会いが面白かった。河原町に在る六曜社という珈琲屋 店が狭く 相席当然という感じの店だった。 某日
漢字表記で使われる事は、滅多にないが咄嗟という言葉 時々使う事が有る。 咄嗟の判断とか 瞬時と言う意味で使われているケースが多いかと思うのだが 咄(とつ)も嗟(さ)も 口構えの字 架蔵の漢和辞典で《咄》
昨日 九月一日は『防災の日』 何故この日を防災の日と定めたのかという事 若い人はご存知ない人も多いのではと思う。 大正十二年 今から九十八年前関東地方を襲った M7・9の大地震の起った日 東京・横浜を
父 柳居が存命なら百四歳 没後二十四年になる。 仕事を退いたのは亡くなる十年程前からだったから 三十年以上前が父の現役時代だった。常連のお客様でも、父の事はご存知ない方も多く『柳居子さんのお父さんも
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と