孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
柳居子が、人並みに仕事ができる様になって以降 何時もご指名を頂く大事な客人が居られた。 戦前は六条通り近くの小さな家で法衣商を始められたと聞いていた。一代で、中京区で 間口十間近く有ろうかと言う昔風
今年2020年 令和2年が始まって未だ90日 一年の四分の一しか経っていないのに、今年の世界の十大ニュース 国内の然り 筆頭に上がるのが コロナウイルス禍に決まり これ以上大きな事件・ニュースは現れ
中村栄助という名前は、殆どの人が 何処の何方はん という感じになったが、戦後京都市政に大きな足跡を残し、宝ヶ池国際会議場の初代館長にもなった「高山義三」氏の父君と言えば判る人も居るが、其れとて柳居子
コロナウイルス禍で、売上げが大きく落ち込んだ企業・業界を助ける目的で、自民党水産部会が、お肉券とかお魚券の発行を検討中という記事を読んで、この期に及んで未だ自分の票とか自分の支持者にだけ眼を向ける政
本サイトも このところ 新型コロナの話題ばかりが続くが、若しこの流行り病が出て来なかったら、今頃はオリンピックムードが盛り上がり、開会が心待ちされるような時期。 国際関係も色々と展開が有る筈と思うに
ドイツのメルケル首相と、台湾の蔡英文総統の コロナウイルス問題に対する其々の国民に対する呼びかけ談話の訳文が相次いでネット上に上がったのでシェアした。誰にでも判り易く、秀でた談話だったと思う。
昨日お越しの客人と交した話し。何時も政治・経済・世相・歴史・文学と広範な識見をもつ人で、ご来店を心待ちする人である。判らない事 おかしいなぁと思う事を質問して。『私の知る範囲では』と色々とご教示頂く
2020東京オリンピックの延期が本決まりになった様だ。諸般の現況から見て。当然の帰着とは思うのだが、決定のプロセスを廻り こなさねばならない壁が幾つも有ったのだと推測する。 決定が二転・三転するの
直接お眼に掛かって。話しを交したり、ご来店のお客様のうちでも 何時までも若い。若い時の営みを変えずに維持されていて、許されるものなら肖(あやかり)りたい。見習いたいと思う人が二人居られる。 年齢
楽天のウェブサイトに、柳居子徒然のタイトルでウェブログ ブログ記事を載せ始めたのが、2006年4月 もうじき14年間の連載を刻む。 当初何年かは、左程アクセス数が伸びる訳でも無く、此の先十年とか二十
歴史にイフ 若しは無い。起った其の事だけが正しい歴史 正史と言う事になるのだろう。起った事に対して 色々と後の世の人の解釈 自分の都合の良いように書かれたり 又時代 社会背景の変化に対応して 歴史解
柳居子は、人から随分色々な呼び方をされる。流石 後期高齢者にもなると、『チャン』づけで呼ばれるのは、同じ町内に住む少し年上 子供の頃からの仲間 其れも他人の居ない二人だけの場所限定 親しみ込めて『國
幼馴染 小・中学校が同級・同窓だった友の、体調不良を聞く事 数が増えだした。自分自身も色々と体の衰えを感じるのだが、入院治療とか、大きな手術 手術が既に出来ない状況等と聞くと。未だ現役の様な顔をして
結構な時代で、スマホ使ってネット情報検索すれば、判らぬ事・確認したい事は、殆ど瞬時に判る様になった。簡単に入手できる情報と言うのは、其の信憑性を担保する事が希薄 削除されたら元情報は無かった事になる
我々の生活 営みと言うのは、法に定める事とか 社会規範に則り、変らぬ事の繰り返しが当たり前の事。ある意味平和の証しの様な事と考える事が出来るかと思う。筋道外さず条理の世界だと思う。親は仕事 自分の持
ほぼ全世界が、コロナウィルス肺炎の発生を伝え、続報は急激に感染者・発症者・死者の増加を伝えている。今がピークとは言えない先の見えない戦いの真っ最中の思いがする。 常の営みがプツンと切れてしまう事の戸
京都市内を南北に貫く、鴨の流れを知らぬ人は居ないと思うが、其の流れの始まり源流を知る人は案外少ないと思う。 始発のバス仲間 毎日顔を見せる訳ではないが、何処かのガードマンの会社のアルバイトの様
先日 コロナウィルスの世界的な蔓延は、砲弾の飛び交わない世界戦争 相手の姿の見えない戦争と論じた。経済環境は全世界が 大戦下の様相を呈してきている。生活物資の供給は、今のところマスク・消毒用のアルコ
毎日 書き続けるのが当然と思われる 昔からの読者は口にされないが、最近読み始めて貰った人からは、時々『ブログ記事の連載 よく続きますね』と言われる。タイトル「記事数」を重ねる毎、頭に浮かぶモチーフの
寺町二条の三月書房の閉店の事を地元紙が大きく取り上げていた。店主の父君が創業した店 後を継いだ息子さん現当主が七十歳と言うから、父君の穴戸恭一さんとは、随分年の離れた友人関係だった事を改めて感じる。
昔の銭湯は、大きな浴槽の傍に水の出るカランが付いていた。湯の温度調節は客がする事が出来た。又浴槽の縁から絶えず湯が溢れ流れていた様に思う。熱い温度の湯の好きな人が多いと 必然その風呂屋は熱いのが売り
新聞の折り込み広告に 3・10 数字の語呂合わせで今日は『ミート』の日と食肉の大売り出しの案内を告げていた。今日三月十日が何の日? と、若い人に聞いて答えられる人は皆無と思う。我々の世代でも果たしてど
『暾』という字は、丸いと言う意味が有る。朝の円とは太陽 丸い太陽の意味。月は満ち欠けが有るが、太陽は常に丸い。毎朝 同じ時間同じ繰り返しをしていると、朝の早い柳居子は、季節の移ろいを 始発のバスに乗
先行不安からの株の全面安。世界中の国が其々複雑に絡み合った現代社会で、渡航制限とか物流が止まると如何いう事になるのか? 患者の発生を伝える報道は、その場所に焼夷弾ならぬ細菌弾が投下されたのと同じ事にな
作家であり 外交評論家でもある 佐藤優氏の書かれた物や発言に何時も興味深く接する。外務省入省以前 同志社大学大学院神学研究科を出たというから 外務省も型破りの人材を採用した様だ。勿論 主流に乗れるキ
昨日は、頂戴する物の特別多い一日だった。 毎木曜日は ウクライナのカテリナちゃんと、手料理交換の日だから これは双方の遣り取り 戴きものには当て嵌まらないかも知れないが、彼女の手製の「胡瓜のピクルス
コロナウイルス発生以来の 我が国の対応 クルーズ船の長期間隔離や、学童の一斉休校も含めて、国の対応が何かと問題視されている。 現場・現況の判る人が、国の中枢に誰一人居なかったの如くに。当初色々とメ
丁度 今頃の季節から、桜が満開・散り果てるまでが、自転車通勤をしていた頃の一番楽しい時期だった。 鴨川堤 東側荒神橋を渡る手前 ソメイヨシノの老木が一本立っている。自転車に乗った柳居子の目線の辺
仕事柄も有るが、処世の大事は 他人との会話・対話に有り 人間関係も含めて よく考えてみる事かも知れない。 脇目振らず、無駄口一切言わず 真面目真剣に仕事をするというスタイルも 対人だと そう云うス
世界一 人が為す事の結果としての世界一 何と心地よい響きを持つ言葉かと思う。何処の国誰よりも高みに居るとか 富が大きいとか 色々と尺度の違う世界一が現れるが、世界一を望む所に諍いの元とも言える 人間
コロナウイルス騒動が勃発してから、気掛かりな事が一件有った。 柳居子が押し掛けの応援団長をしている 京舞篠塚流の家元の 先代名跡を継ぐ大事な会が、今月十五日先斗町の歌舞練場で開かれる事が 随分前に
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の