孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
食材の買足しに立ち寄る自宅近くの、食品スーパーの隣りに 間口の広い靴屋さんが在る。入り口横に旗指物 広告がひらめいている。 『日本転倒予防学界 推奨 つまずきにくい靴有ります。アサヒシューズ株式会
以前「ありがとう」という謝意を表す言葉が、本来謝意のレベル『有り難し』有り得ないという表現が、謝意を表す本意の様になったと書いた。 八千草薫さんを悼む記事に 彼女の凛とした生涯変らぬ うつくし
柳居子の仕事場直ぐ近く 北側に石原旅館という宿が有る。 黒沢明監督が、京都に仕事が有る時は定宿にしていた。黒沢を訪ねた若き日のスピルバーグ監督を見た事も有った。左程古い店では無く 元は「石安」という
珈琲屋仲間・風呂仲間・出勤仲間・・・・ 皆共通するのは、同じ時間帯仲間と言う事が出来るかと思う。 自転車通勤の時は、出勤仲間というのは居なかった。始発のバス仲間は、遠隔地勤務とか早朝出勤の仕事の人
先日、朝の珈琲屋の卓で 市電の話題が出た。又 鐡道オタクのFB仲間でもあるO氏のサイトにも。出張先の広島市内で現役で頑張っている旧京都市電に乗った事を画像付きで載せておられた。 昭和五十二・三年の
三条大橋が 酷い事になっている。檜の欄干がボロボロに朽ち果てそうになっている。今のところ橋を渡る人が危険という状態ではないが、早晩手を打たないと何が起るか判らないし 何ともみっともない廃屋器材を使っ
『三つ子の魂百まで』子供の頃の性質や性格は、幾つになっても変らないと言われる。三才の子供に物事教えるのは少し早いとも思うから、多分天性 持って生れた気質の様なモノかと思う。 天性 生まれつき
今年の四月頃から 外国人の来客数が、半端では無い。特別外国人向けの広告を打っているわけでは無い。四月は、十八人の客人が有った。営業日ほぼ毎日一人見えた勘定になる。 ネット社会の恩恵とはこういう事か。
先日 限界集落対策という言葉を聞いた。日本全国 都会・都心部を除いて、過疎地化の傾向に拍車が掛かって。歯止めが出来ない様に感じられる。少子化・高齢化の大きな流れは、生活其の物を一変させてしまう。
百均ショップ。別に買わなくても良いものを ついつい買い込んでしまう。付けられた値段 価格は購買の最も大きな決定要素なのか 等と考えながら、品選びと言うよりブラブラ見て回っている。 百均にも税対策
丁度今頃の日没の様を昔の人は、『釣瓶落としの秋の空』という形容をした。釣瓶を見た事があるとか 覚えている人は最早絶対少数になったと思われる。縄のついた桶を水を汲む井戸へ放り投げる様が、秋の日没 あっ
マツモト ヨーコさんと云う版画家・イラストレーター・書籍の装画 又新聞・雑誌へのエッセーや 客船「ニッポン丸」の乗船客に版画の手ほどきをするというマルチ・アーティストが居る。 柳居子の友人と言うと彼
七十歳台半ばの我々の年代になると、体力の衰えと言うのを皆が自覚する様になる。特別元気そうに振舞っている人も ご本人の若かった頃に比べたら 確実に何もかも弱っている筈。柳居子も口に出すのがみっともない
時代物の小説や テレビドラマ・映画などを、読んだり見た時、其の時代背景を些かでも知っていると、突拍子もない錯誤の有る事に気付く事が稀に有る。 背景無視 その時代の空気が反映されていない位だから まし
手島堵庵という人の名前をよく知っていた。小学校への通学路に『手島堵庵五楽舎跡地』という石碑が建っていて、如何いう人が何をしていたのか?の疑問は、随分経ってから、石門心学の祖と言われる石田梅岩の後を継
色々な人が 色々な相談事を持ちこんでくれる。苦しみを誰かに訴えたいが、周りに話を聞いてくれる人が居ないとか、隣の犬が一日中吠えまくり煩くて仕方無いが、どうにかならないか 等と解決の難しい事も有れば、
ラグピ― ワールドカップ戦に、日本は従前手の届かなかったベスト8 順々決勝戦にまで、駒を進める事が出来、メディアは嬉しいニュースとして取り上げ 日本中が湧きかえっている。出場選手は元よりコーチ・監督の
海外旅行はおろか 京都市内以外へも殆ど何処へも出掛けない。自慢でも無いが徹底している。判で押したような毎日 名刺を配る訳でも無い。『よくそれだけ狭いゾーンにじっとしていて 人脈を築く事が出来ますね?。
自然災害は 忘れた頃にやって来ると言うが、どうも昨今は忘れ得ぬ内に繰り返す。台風や地震で壊れた家のブルーシートの被せてあるその上を又襲う。何か起ると、ネット社会の特徴だが 必ず其の地に知人・友人が居
以前、作詞家 阿久悠氏の手帳という一文を読んだ事がある。数々の名作詞をされた阿久氏は、常時携行の手帳を持っておられた。さぞや名作の雛型が書いてあるのかと思いきやさに非ず 言葉の切れ端 天候や草花など
昨夜は京都の会 久し振りの参加だが、主宰の斎藤宏保さんに促されて、「京都の話し」開宴前のほんの少しの時間 長過ぎたら駄目 短すぎても頼りない。難しい注文の話しの内容 以下の如し。 【 皆さん
季節の移ろいを一番如実に感得するのは、体感温度が大きいかと思う。木枯らし一番 秋の終り冬を感じさせる冷たい風の吹き始め。 若い時から木枯らしという言葉を訝しく思っている。木を枯らす様な冷たい風など吹
どの様な事由が有ったにせよ、其の職分を全うせねばならない仕事があると思う。医師とか学校の教師など 人々から先生と尊称で呼ばれる人は、命とか教育という重い責任を課せられた上での 先生であると柳居子は思
自宅の庭と言っても左程広くは無いのだが、隣の家と軒を接する事無く 奥まってはいるが 敷地の中央に建っている。この家に移ってから自分が植えた木は『金木犀』一本と『さつき躑躅』二株だけだが、松や梅 門扉
簡潔で内 容が有り。誰が読んでも判り易い文を書きたいと常々思っては居るのだが、ウェブサイトに載せた文を読み返してみると 冗長であったり 重言言葉変えて同じことを言って見たり タイトルと内容との整合性
昔の町並みと言うのは、その町に住んで居たとか、馴染みの深かった人達の記憶の中では生き続けるが、其れを覚えている人が居なくなれば 過去の歴史としても残る事は無い。古い写真が残されていても、其処が如何い
海の恵みの大きな処は、料理の技術・技法・工夫と言うのが進歩しないと思う。其れは素材 其の物を美味しく食べることが出来るから、殊更加工の技術が必要ないという事でも有ろうかと思う。 人が早くから大勢
判らない事や 不思議・何故と思った時、其の疑問について 答えてくれる人や、、その道の先達・物知りを紹介してくれる人が、身近に居た事を柳居子は生涯の果報と思っている。 何の衒いも無く どんな事でも聞
世の中の動きに 附いて行けないと思う時が有る。其れは通勤バスの車中を見れば明らか。皆がスマホを覗きこんでいる。特に若い人は耳にも端末を指しこんで、完全自分の世界に閉じこもっているかの如く 皆のそう云
『降る雪や 明治は 遠くなりにけり』と読んだ中村草田男は、明治が終って20年経った昭和6年の 彼31歳の冬 小学校時代の母校を訪れた際 この句を作ったと言われる。。 草田男は、1901年 明治34年の生ま
始発の市バス 河原町三条で下車 通り横切って、本能寺と天性寺の間 姉小路通りを西行 寺町通りを曲ろうとした時。週に二・三度 男女組 アベックのホームレスに出くわす。 年老いて寄る辺無さそうなホームレ
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
相変わらず 遠来の客人の絶え間が無い。 月に一度は必ずお越しの御常連が、先日『毎月一回 散髪にお邪魔するけど、度々外人さんに出くわすね。』と仰った。 六月は53人外人客を数えたから 営業日数 単純に割
日本の歌謡曲が、最初に世界で認められた曲と云うのをご存知だろうか? 未だ戦後という色合いが若干残っていた昭和三十年代 『上を向いて、歩こう』 坂本九の歌唱の曲 アメリカに渡ってスキヤキソングと
戰や、大勢の人が住む故の度々の大火、諸々の事情で途切れた事も有ったと思われるが 祇園御霊会 祇園祭が続いている事に 特に山鉾巡行に直接関わる 鉾や山町の人々に 深甚なる敬意と、ご苦労様の気持ちを伝え
このところ オーバーワーク気味で、昨日 『海の日』とやらで、午後三時半頃には 雨にも降られず帰宅した。 家に帰ったら色々と用事が有るのだが、ひとまず一服と 常時腰に巻きつけているコルセットを外し ベ
常日頃 何気なく使う日本語を難しいと思う事がある。『敬語』である。 使う年代を限定される言葉かと思う。余り歳の端もいかない 子供が 大人が使う敬語を使うと 可愛げが無いし 柳居子の年代が、年若い
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ