孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
平成最後の年と、令和の重なったこの年、今日で一年の三分の二を刻む。時代の移り変わりは早い。過去に学ぶという先人の言葉が有る一方、過去を忘れ去る事が出来るから今が有るという事も出来るのではと考える。
昨日、友人のサイトに 古い地名がどんどん消されて、忘れ去られていくという記事を見て。京都に於いては小・中学校の統廃合の関係で。数多くの校名が消されたというコメントを入れておいた。 【 歴史の否定
亡父 柳居は、接客会話に付いて遺戒を残している。其れはお客様に物を教える様な態度は絶対とるな お客さんより賢くなったらアカン 賢く振舞う事が駄目という事を何度か言われた。目に余る事が有ったのかも知れ
凄惨な大量殺人に繋かった放火事件が発生して、もうひと月以上経った。決して忘れてはいけない事件ではある事を認識をしてはいる。犯人も大火傷を負い取り調べが直ぐに出来なかった事 又遺体の損傷が激しく 身元
泉屋博古館へは、このところ年に一度は必ず出掛けている。お目当ては常設展示の青銅器コレクションに再会。一度見たら充分ではないかと言う人も沢山居るが、出掛ける毎 其の青銅器を使って生活をしていた人達の事を
新聞各紙は読者からの困りごと相談、人生相談とか人生案内と云うようなタイトルの記事を昔から載せつづけている。相談内容も時代の移り変わりと共に変り 庶民の生活レベルが向上したのか、昔の様な切実な 今日の
メディアや、ネット配信で得る 韓国・北朝鮮関係のニュースは、我々日本人の一般常識とか、感覚とは程遠いものが有る。 政(まつりごと)が、其々の国民を世界の大勢とか、国際的な常識から遠避けて 何も見せ
ノーベル賞受賞学者の訴訟事件として、大きな話題となった 京都大学の偉い先生と、O製薬との訴訟裁判事件は、その後余り報じられる事が無いが、粛々と審理は行われている事と思う。 我々が普通考えるノー
すこし前の話しだが、気楽なメンバーばかりが寄るのだが、新京極の話しをして貰えないかと頼まれた事が有った。 新京極の事に付いては、何度か本サイトに載せているが、専門的・学術的検証を伴ったモノは一つも無
先週 店にやって来た 小・中学校からの同級生、頭を刈りながらの会話の中で、『どうも 最近は人の心が読めなくなってねェ。』と言われた。『何か有ったのか?』と、尋ねると。ずっと仲の良かった友人が゛急に人
ブログの記事を五千日近く毎日ウェブサイトに連載していると、よく言われる事に『よくそれだけ、書きネタが有りますね。尽きる事無しですね。』と声掛けられる事が多い。やはり物事事象を捉える術と言うのか 針小
昨日早朝 始発のバスを降りたところ バス停横に信号機の配電盤か何かが入っているスティール製の箱の上に。無造作にショルダーバッグが置いてあった。何気なく通り過ぎようと思ったのだが、周囲誰も居ず 気にな
概して夏の熱さには強い性質(たち)だったが、今年のここ一・二週間の暑さは堪えると言うのか 体力の衰えの様な事を感じる。同年配の誰に聞いても同じような返事が返ってくる。 加齢による衰えで暑く感じる
ツタンカーメン王墓の発掘は、1922年(大正11年)6月の事で、九十七年前の事になる。 発掘者ハワード・カーターと、発掘支援のカーナボン伯爵の事に付いては本サイトに何度か載せた事がある。 王墓の発掘に
毎年八月は 先の大戦を想い返す月となっている。広島・長崎への原爆投下そして終戦記念日。 日本では第二次世界大戦・太平洋戦争の終結は、八月十五日 昭和天皇の終戦の詔勅を自ら直接国民に知らしめる玉音放送
昨日は大風が吹いて 大雨も降ると報じていたから、店は早仕舞い こんな日は客も来ないと決め込んで、早々と帰宅 借覧の一冊『喘息百話』久保裕氏著を読んだ。 本を一冊上梓出版されるについては、出版の
上田秋成が雨月物語の作者であることは、誰もが知っているが、彼の生涯の一時期、医師として頑張っていたことを知る人は少ないと思う。 代表作『雨月物語』は、明和五年(1768)三十五歳の時に完成させてい
同じ事を伝えるのでも、相手の理解度とか、性質・性格とかの諸々を勘案して、その相手に一番効果的な伝え方とか教え方が有るという意味だろう。 お釈迦様が、弟子たちに教義を伝えるのに、弟子の習熟度によって言
番組小学校の事を知りたいと言われて、朝の珈琲屋でお眼に掛り。柳居子の知る範囲 お話をした。 幼児期教育とか、聾唖者教育 又女子の教育についても、全国に先駆けた先進性を何度か本サイトに載せた事が
町づくりとか、町おこしを表題に掲げる 住民運動は国内いたる所に在る。知恵を絞って色々なアクションや、提言も為されている様に思う。提言とか提案がその地域のどの位深い所まで立ち入ることが出来るのか? 其の
縄手新橋を上がった西側に『北斎』という御猟鍋と名付けられた料理を出す店が在った。このお店の古くからの番頭さんが柳居子の店のご贔屓だった事も有り、この御猟鍋の命名の由来を聞いた事が有った。 【い
定点観察には。二つの意味が有るのではと柳居子思う。其れは長年の自転車通勤を経て、自転車で転んでバス通勤が始まって気付いた事である。 毎朝 鴨川堤の脇道を。自転車で通りすぎる毎 桜の新芽が出てい
確たる記録が有るのだが、誰一人見たり、語る事のない京都の歴史。発掘と云うような大層な事では無いが、人々の関心が薄れ忘却の彼方 歴史の闇のゾーンに入るような事。例え僅かな人が読むブログサイトであっても
東本願寺は、他の京都の大寺と同様に、火災で焼亡しているのだが、いつの火災の時も立派に再建が為されている。一番最近の再建は明治十三年から十五年間の歳月を掛けて再建された。 大師堂(北側の堂)から
毎日書いているブログ記事のプリント版 発刊毎コピーをお世話になっていた本屋さんが、御主人の病が篤く為られて店を閉じられた。格安にコピーをお願いしていたのだが、直ぐに同じ価格で引き受けてくれるところが
一寸暇が有ると、岩波の広辞苑を開ける。別段調べものが有る訳で無くても、色々な言葉 知っているつもりでも、全く違った意味が本義 その運用を後の世の人によって大きく変わったという事例を知るのは愉しい事だ
先日、祇園祭に付いて書いた中に、祭りが始まって今年は1150年 節目の年と書いた。1150年前は869年日本の元号では、貞観十一年になる。 架蔵の大部 京都史の歴年事項をまとめた巻で、貞観年間を紐解いてみた
昨日お迎えした客人は、柳居子より二歳年上。奉仕団体ロータリー・クラブのシニア会員。京都の老舗の御主人。お越しになる毎 色々と最近の世相の事など遠慮なく語り合う仲間。何十年も父の代からお越し頂いている
昨夜 仕事終えて自宅への帰路 バス停は生暖かいが強い風が吹いていて、凌ぎやすい夜になるかなと思いながら車中の人となった。幾許もせぬバス停三つ位から ふとガラス窓越し外を見ると、前が見えない程の土砂降
柳居子は、同じ年代の仲間内では、比較的 若い人との出会いとか対話が多い方だと思う。 年嵩や同年代の相手には 何の衒いも無く思った事を其の侭伝える事が出来るし 仲間だけだと 指示代名詞 こ・そ・あ・ど
五千連載をこの十二月に迎える今迄、記事に対する炎上騒動は、一度も無かったが、初めて記事の部分削除されると云う事態を招来した ・7月21日〖参議院選挙の記事〗 フェイスブックのサイト運営者から 次
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
相変わらず 遠来の客人の絶え間が無い。 月に一度は必ずお越しの御常連が、先日『毎月一回 散髪にお邪魔するけど、度々外人さんに出くわすね。』と仰った。 六月は53人外人客を数えたから 営業日数 単純に割
日本の歌謡曲が、最初に世界で認められた曲と云うのをご存知だろうか? 未だ戦後という色合いが若干残っていた昭和三十年代 『上を向いて、歩こう』 坂本九の歌唱の曲 アメリカに渡ってスキヤキソングと
戰や、大勢の人が住む故の度々の大火、諸々の事情で途切れた事も有ったと思われるが 祇園御霊会 祇園祭が続いている事に 特に山鉾巡行に直接関わる 鉾や山町の人々に 深甚なる敬意と、ご苦労様の気持ちを伝え
このところ オーバーワーク気味で、昨日 『海の日』とやらで、午後三時半頃には 雨にも降られず帰宅した。 家に帰ったら色々と用事が有るのだが、ひとまず一服と 常時腰に巻きつけているコルセットを外し ベ
常日頃 何気なく使う日本語を難しいと思う事がある。『敬語』である。 使う年代を限定される言葉かと思う。余り歳の端もいかない 子供が 大人が使う敬語を使うと 可愛げが無いし 柳居子の年代が、年若い
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ