孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
サプリメント製剤の広告については、其の効能・効果云々が 個々の広告については薬事法に触れるような事は微妙な言い回しで、試した人の体験談の様な形で 謳っている例が少なくない。又繰り返し大きく打たれる広
国会参議院議場の改修工事を画像を入れて各紙が伝えていた。先の参議院選挙で当選した、令和新撰組の議員二人の登院に対するバリアフリー化の工事である。二人は筋萎縮症側索硬化症の男性と重度障害者の女性 議員
日曜日は、相変わらず店の営業日よりは、格段忙しい。どうしても果たさねばならない事は幾らも無いのだが、義理を欠く事や、変らず続けている事は、其れが止まるとか途切れると 自分自身のガソリン切れとか、ある
祇園御霊会が始まったとされる 貞観十一年(1150年前)は、殊の悪病が流行り。伝染病という認識が無かった時代は、次々と倒れる人に慄き、神に祈る 神威をもって病の征圧を願ったのは 他に手段の無い当然の事だっ
畏友 川本卓史さんが、「英国エコノミスト誌が語る 保守主義の危機」というタイトルの一文をウェブサイトに載せておられた。海外生活が長かった川本さんの週一度のアップ記事は。軸足が日本という国の中での視点
小林秀雄氏のエッセー 原稿用紙数枚の短い文に『骨董』のタイトルの一文が有る。明代中国で起こった焼き物の真贋を廻って起った 殺人・自殺事件の実話を紹介した 幸田露伴の同名の作品を例に取って。小林氏自身の
参議院選挙が終わって、柳居子の一番の着目は、改憲議席数を上回るか。届かぬかと言う事だった。今の憲法が完全無欠とは思わないが、戦後70余年を経て、戦死者と言うのを公式にはただの一人も出さなかった事も考え
興味の無い事を理由の アニメの世界の無知蒙昧、何一つ語る資格は無いと思うのだが、大勢の人が亡くなって其の報が全世界に流れるやいなや、柳居子には想像も付かない 世界中の著名の人の追悼メッセージが寄せら
柳居子の生まれ育った町内は、祇園祭後祭りの区域。三条通りを南・北観音山の曳山に挟まれた山を粛々と東行する様を 母の実家の二階の窓から見るのが習いだった。二十四日の巡行が、先の祭り十七日と合同で執行さ
祇園御霊会の神輿の担ぎ手の事が、朝の珈琲屋の卓で話題となった。 三若・四若・錦の三組が三基の神輿の渡御を担うのだが、錦は昭和二十二年から担ぎ役が廻ってきたと言う。それ以前は確か壬生近辺の人が担いで
衆・参議院選挙、正直言って誰に投票したら良いのか、いつもながら戸惑ってしまうのだ。利益代表として割り切って選ぶ事が出来たらどれだけ気が楽な事か。 残念か如何かは判らないが、頼み込まれる一票では
韓国が世界史に残る一頁を書き加えるかも知れない。只其の加担者が日本となると考え込んでしまう。 日韓国交正常化に伴う協定で、一切の請求権問題は最終的に解決されたと約束して、1965年の時点で、無償3億ドル
何とも痛ましい事件が起こった。事件の背景は何も判らない状況でこの文を書いている。何の罪咎(つみとが)の無い若者が、或る朝 突然灼熱地獄を味わって落命する。其の事が何より大きい。火事に限らず無辜(むこ)の
文を短く書く事の専門家 筆頭は新聞記者であろう。取材した大量の情報を如何に短く本筋を押えて書くと云うのは切り捨て上手とも言える。これを日常仕事としている人が短文に付いては長けていると思うのだ。 多く
祇園祭山鉾巡行を見る度、数年前に掛けた一本の電話の事を思い出す。 小・中学校同級の、今は関東圏 どちらかと言えば田舎に住んでいる女性 実家に鉾町に住む親戚が居て、兄か弟かが囃し方笛を吹いていたので、
日曜日の夜出掛けた会食の席で 出た話題は、我々の生活の殆どは、先人たちの途方もなく膨大な歳月を掛けて知り得た事の積み重ねで成り立っているという話し。 尤も 古い絵画や文化財の修理を受け継いでい
先日 中学校時代の同窓生 徳倉勝治君がふらっと店にやって来た。いつも前触れ無く 風の様にやって来て風の様に立ち去る。二年前に細君を亡くし、自身も大腸癌の手術を受けて大変な身だが、今は小康状態。亡く
祇園御霊会の正式な神事は、華やかな山鉾巡行では無く 神輿の渡御にある事を知る人は意外と少ない。毎年神輿の先導を南区久世に在る綾戸国中神社の氏子の子供が 久世駒形稚児として出仕する。 綾戸国中社
世界文化遺産に 百舌鳥・古市古墳群の登録が決まった時、旧い事を思い出した。其れは戦後GHQが 日本に駐留支配を始めた頃。GHQの威令を日本国民に知らしめるため、天皇陵の発掘を命じた。戦争を始めた張本人の先
昨夜は京都の会 呼びかけ人のNHK解説主幹をしていた斎藤宏保さんが。二月に心臓病で倒れたが、手術後、療養の身ながら 元気な姿を見せてくれた。倒れる前に比べて6キロも痩せたと言っていた。 声の大き
先日の祇園町南側の大火は、一旦鎮火したかの様に見えたのだが。突然大きな火柱が上がって瞬く間に近隣に燃え広がったそうだ。全焼したお茶屋『吉うた』の女将さんと、一旦鎮火と見えた時 『大変どしたなぁ、怖い
柳居子より幾らかは年若いが、一応敬老乗車証を持っている知人、先日話の合う仲間が集まって、一杯飲みをして 気が付けば四時半 もう空が明るくなる刻限 しっかりと足元の見える時間のご帰還安全だねとコメント
柳居子より幾らか年若いが、一応敬老乗車証を持っている知人、先日話の合う仲間が集まって、一杯飲みをして 気が付けば四時半 もう空が明るくなる刻限 しっかりと足元の見える時間のご帰還安全だねとコメントを
部外者 素人が軽く論じる話でも無ければ、その道の専門家の間でも結論めいた事が判っていないか 公表を控えているのかと思われる現象に『被爆』が有ると思う。 唯一の被爆国である我国では、殊更この言葉
辞書・辞典・事典の類が随分沢山在る。岩波の広辞苑だけでも三冊 国語辞典だけでも広辞苑含めて七冊。 不思議な事にまともに金を払って買い求めたという記憶が無いのだ。 広辞苑の初版は、本好きだった
永六輔 中村八大両氏の 作詞・作曲による曲は数多く有る。世界的なヒット曲になった 坂本九氏の『上を向いて 歩こう』はアメリカでは「すきやきソング」の異名となってヒットした。この歌が流行った時 既にす
親分とか師匠・先生・翁と言うような尊称を奉って頂く事が時々ある。尤もネット ウェブサイト上だけの事で、直接お目に掛るとそういう尊称は出てこないのだが、何となく我が身に似つかわしく無いと思う事が再々であ
仕事場同じお町内 和装小物でも無い 土産物でも無い 実用品を扱っかっている店でも無い 敢えて言えば趣味の品揃えという店。店頭の暖簾を短くした。 『暖簾の丈が短くなったね。』と、声掛けると『手作りの
鹿児島・宮崎など 九州南部を襲った 梅雨前線の活発化による大雨の被害は、未だ予断を許さぬ現在進行形の災害で、鹿児島市等は 全市民に避難指示が出されたと聞く。 地震・津波・火山噴火・台風・大雨等の自
ブログ記事の連載を始めた頃からの読者は、「よくこれだけ毎日毎日 書きネタが尽きずに続きますね。」と、言うような事は仰らない。書かれたモノ読む事が習い 日課となると、続けているという事には関心が向かな
明治天皇にsuggestion 示唆を与えた男、否 明治天皇が教えを乞うた人物がいた事を知った。明治天皇は英名の君と誉が高いが、英明の質は有っても最初から何もかもが秀でていた訳では無く、その立場やその時代の世
毎年六月晦日は、亡き人を偲ぶ日としている。師であり、親しい友であり、長くお迎えした客人でもあった。 中学校時、美術の教科担任だった三尾公三先生。中学在学中は 極く 普通の生徒と先生の間柄だったが、五
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
相変わらず 遠来の客人の絶え間が無い。 月に一度は必ずお越しの御常連が、先日『毎月一回 散髪にお邪魔するけど、度々外人さんに出くわすね。』と仰った。 六月は53人外人客を数えたから 営業日数 単純に割
日本の歌謡曲が、最初に世界で認められた曲と云うのをご存知だろうか? 未だ戦後という色合いが若干残っていた昭和三十年代 『上を向いて、歩こう』 坂本九の歌唱の曲 アメリカに渡ってスキヤキソングと
戰や、大勢の人が住む故の度々の大火、諸々の事情で途切れた事も有ったと思われるが 祇園御霊会 祇園祭が続いている事に 特に山鉾巡行に直接関わる 鉾や山町の人々に 深甚なる敬意と、ご苦労様の気持ちを伝え
このところ オーバーワーク気味で、昨日 『海の日』とやらで、午後三時半頃には 雨にも降られず帰宅した。 家に帰ったら色々と用事が有るのだが、ひとまず一服と 常時腰に巻きつけているコルセットを外し ベ
常日頃 何気なく使う日本語を難しいと思う事がある。『敬語』である。 使う年代を限定される言葉かと思う。余り歳の端もいかない 子供が 大人が使う敬語を使うと 可愛げが無いし 柳居子の年代が、年若い
京に生まれ育って、変らぬ視点で見たり体験してきた事 眼で覚えている季節感覚と言うのが有る。 誰もが浮かれる気分になる祇園祭り 山鉾巡行の十七日 雨が降って傘をさして巡行を見たという記憶が無い
両親共 愛煙家だった。 中学校を卒業して直ぐに理容の仕事を始めた社会人と言う訳でも無いが、未成年の喫煙を咎めだてする事も無かったから 二十歳前には立派な喫煙家になっていた。二十歳の時に何か始めようと
昨日お越しの客人との会話は、祇園祭の事から派生して、京都の旧い話題で 盛り上がった。 『洛中洛外屏風』と言うのは 京都の昔の人の営みが 詳しく描かれていますが 京都の 中と外という意味だと思いま
共に白衣の作業衣を着用しているのだが、 客と患者の差異は歴然。 先日 月に一度の内服薬を貰いに行くだけの心算で 朝一番乗りなら直ぐに帰れると思い 八時の受け付け開始の一時間前 七時に並んで 九時の
都界住いだと 田舎 特に農作業の事等 殆ど何も知る事無く生涯を過ごす事になるのだが。昔はそうでも無かった様だ。未だ幼かった頃 肥え汲み屋さんというのが 時々やって来て それは肥料として使われていた様
オーバー ツーリズムの波は、京都の繁華街 祇園町花見小路界隈とか 錦小路 河原町辺りに限定される訳では無く、柳居子の住む北白川地区 哲学の道の少し北 (上流) 琵琶湖疏水を挟んで向かい側 北白川小倉
昨日は、現役で仕事をしているという 小学校時代の同級生二人に会った。ブログのプリント版を 発刊毎に届けているのだが、仕事をしている事は判っていても 第一線からは退いていると感じる事が有った。
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ