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承久之乱(平安時代叢書第二十集)月〜金18時 https://ameblo.jp/tokunagi-reiki/

鎌倉幕府の成立後も平安時代は続く。平安時代の終わりは承久の乱。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時

<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書

德薙 零己
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緑区
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川口市
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2008/01/03

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  • 本年の締めの挨拶

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  • 承久之乱 65

    九条兼実と法然との関係のきっかけを追い求めると、九条兼実の長男である九条良通が早世してしまったことに行き着く。法然の唱える専修念仏は我が子を亡くして悲しみに…

  • タイムマネジメント 55

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  • 修学旅行(12)

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  • 承久之乱 64

    法然の起こした浄土宗に対する反発として興福寺から上奏文が朝廷へと提出されたのが元久二(一二〇五)年一〇月のことである。法然とその周囲が社会問題を伴う存在へと…

  • 承久之乱 63

    北条政子の猶子になった女児がいる一方、後に源実朝の猶子になる男児も人生を定める運命に立たされていた。 亡き源頼家の息子である善哉(ぜんざい)である。善哉(ぜ…

  • 承久之乱 62

    亡き平賀朝雅に代わる新たな京都守護となった中原季時が上洛して最初にしたのは、畠山重忠以降の混乱の後始末であった。特に京都在駐の御家人達の統率と京都の治安維持…

  • 承久之乱 61

    新たな京都守護の中原季時が京都に向かったのが一〇月一〇日。その三日後の元久二(一二〇五)年一〇月一三日、実に物騒な記録が京都から届いた。既に記している通り京…

  • 承久之乱 60

    とは言え、誰かが鎌倉幕府を代表して京都に駐在しなければならない。 それも、京都の貴族達とまともに渡り合ってきた北条時政や平賀朝雅と同等、さらにはそれ以上の成…

  • タイムマネジメント 54

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  • 修学旅行(11)

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  • 承久之乱 59

    平賀朝雅がこの世の人でなくなり、北条時政も鎌倉から追放された。 この二人がいなくなったことは、鎌倉幕府における北条家の勢力拡充という点ではプラスに働いたが、…

  • 承久之乱 58

    和歌に耽溺するようになったとは言え、源実朝が将軍としての職務を放棄したわけではない。元久二(一二〇五)年八月の一連の流れでは全く姿を見せず、鶴岡八幡宮での催…

  • 承久之乱 57

    源実朝の立場で考えると理解できなくもない。 祖父が自分を殺そうとし、北条政子と北条義時、源実朝にとっては母と叔父が祖父である北条時政を追放し、生まれる前から…

  • 承久之乱 56

    宇都宮頼綱の祖父である宇都宮朝綱は建久五(一一九四)年五月に訴えを起こされ、土佐国への流罪が決まった人物である。孫の宇都宮頼綱もその事件の連座として豊後国へ…

  • 承久之乱 55

    元久二(一二〇五)年八月二日、平賀朝雅の死が鎌倉へ伝えられた。吾妻鏡に平賀朝雅の死に関する感想などの描写はなく、ただ情報が届いたことを記すだけである。 ただ…

  • タイムマネジメント 53

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  • 修学旅行(10)

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  • 承久之乱 54

    しかし、もう一人忘れてはならない人物がいる。新たな征夷大将軍として擁立される可能性のあった平賀朝雅である。 元久二(一二〇五)年閏七月二〇日、すなわち北条時…

  • 承久之乱 53

    さて、北条時政は出家して鎌倉を去ったが、牧ノ方は、そして、次の将軍として擁立されるという話のあった平賀朝雅はどうなったのか? まず牧ノ方であるが、彼女はどう…

  • 承久之乱 52

    さらにもう一つ、吾妻鏡が畠山重忠の謀叛を虚報であると明言したのはなぜかという問いが必要である。 畠山重忠を破滅に追い込んだことでもっともメリットを獲得したの…

  • 承久之乱 51

    吾妻鏡は畠山重忠の謀叛を虚報であると明言した。 源実朝はただちに事態の対処にあたることとし、六月二六日には関東諸国の守護や地頭に対して先例に基づく職務遂行を…

  • 承久之乱 50

    それにしても奇妙な流れである。 そもそも謀叛でないと早々に理解できたはずなのに、謀叛であるとされて畠山重忠は、そしてその子供達は、死を迎えなければならなくな…

  • タイムマネジメント 52

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  • 修学旅行(9)

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  • 承久之乱 49

    出発時は長男の畠山重保が殺害されたなど夢に思っておらず、また、自分が謀反人扱いされているとも想像すらしていなかった畠山重忠であったが、鎌倉まで南下して二俣川…

  • 承久之乱 48

    畠山父子の謀叛計画であると御家人達が知ったのは、謀反人を討伐しようとした軍勢の中にいた畠山重保を三浦義村率いる軍勢が取り囲んだときである。このとき、畠山重保…

  • 承久之乱 47

    ただし、その翌日に何があったかを考えると、陰謀のスタートだとするしかないのだ。 では、元久二(一二〇五)年六月二一日に何があったのか? 吾妻鏡の伝えるところ…

  • 承久之乱 46

    実のところ、このときの吾妻鏡の記載は、誰が武装勢力を結成させているのかを明言してはいない。北条時政の後妻の兄である大岡時親が国司に就任したのも、鎌倉幕府の御…

  • 承久之乱 45

    源実朝が正五位下に昇叙し右近衛権中将を拝命したことで、源実朝は源頼朝や源頼家と同じ道を歩むと誰もが考え、源頼家が亡くなったことで動揺を迎えたかのように見えた…

  • タイムマネジメント 51

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