三月一八日に京都を出発した高倉上皇を三月一九日に平清盛が福原の地で出迎えた。前述の通り早馬であれば陸路でも京都から福原まで一日で連絡できる。先に早馬で高倉上…
天下を握った平家が、わずか5年半という短さで滅亡した。なぜか? その答えを求めていく。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時
<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書
1件〜100件
木曾義仲は明らかに焦っていた。寿永二(一一八三)年一二月三日に後白河法皇に対して、伊勢国にまで侵略してきた源頼朝の勢力を討伐することの院宣を求めたのである。…
平家物語から他の有名な例を探すと、木曾義仲と猫間中納言のエピソードが挙げられる。平安京を東西に走る七条大路と南北に走る壬生大路の交わるあたりの地名は「猫間」…
木曾義仲が貴族としての教育を全く受けてこなかったことは木曾義仲自身も認めざるをえないことであった。だからこそ、文武のうちの武については木曾義仲自身が引き受け…
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寿永二(一一八三)年一一月二九日、京都に源行家の動静が伝わった。源行家は播磨国室山、現在の兵庫県たつの市に陣を構える平家の軍勢に対して攻撃を仕掛けるものの、…
木曾義仲一人でここまでやったわけでも、松殿基房が木曾義仲を介してここまでやったのでもない。木曾義仲個人の怨念と松殿基房の怨念が合わさってしまった結果がこうだ…
法住寺の戦いに関わる人事改定として確認できるのは以下の通りである。 近衛基通こと藤原基通、摂政を解任。 徳大寺実定こと藤原実定、内大臣を解任。 新たに摂政内…
平家物語では法住寺の戦いの後、木曾義仲が、自分は天皇になろうか法皇になろうかと悩み、天皇となるには元服前の姿をしなければならず、法皇になるには出家しなければ…
寿永二(一一八三)年一一月一九日、法住寺の戦いの幕が開けた。これより書き記すのは、平家物語が寿永二(一一八三)年一一月一九日に法住寺で起こったこととして書き…
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寿永二(一一八三)年一一月一七日、多田行綱や源光長といった清和源氏の武士が木曾義仲との決別を宣言し、木曾義仲と後白河法皇との関係がこれ以上悪化するならば後白…
木曾義仲の行動に危機感を覚えたのが源行家である。このままでは院御所全体が鎌倉方の襲撃を受けかねないとして、寿永二(一一八三)年一一月九日に、既に発令されてい…
時間を追う毎に源頼朝が京都に送り込む代官の様子が明瞭になってきていた。当初は末弟の源義経だけの名が挙がっていたのが、時間とともに源範頼も代官として京都にやっ…
寿永二(一一八三)年閏一〇月一四日、備中国水島で木曾方が平家の前に大敗したとの報告が京都に届き、京都は騒然となった。後白河法皇は損害が大きくとも平家討伐は継…
先に木曾義仲は、自分が向かおうとしている場所と現時点で自分がいる場所との情報連絡の重要性を理解している人だと述べた。これから向かおうとしている西国は木曾義仲…
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木曾義仲が播磨国に留まっている間、平家は讃岐国屋島を本拠地として徐々に勢力を盛り返しつつあった。これは木曾義仲にも責任がある。いや、ここは木曾方の責任と言う…
寿永二(一一八三)年一〇月一九日、一人の貴族が姿をくらましたことで京都は騒然となった。平家都落ちに帯同しなかった平頼盛が姿を消したのだ。 都落ちに帯同しなか…
寿永二(一一八三)年一〇月、京都で源頼朝が希望の存在になっていた頃、平家は海上を漂流していた。 好きで漂流していたのではない。どこにも上陸できなかったのだ。…
寿永二(一一八三)年一〇月一日、関東に派遣されていた中原康定が帰京し、源頼朝からの要望を伝えた。既に第一報で述べていたのと同じように、東海道、東山道、北陸道…
寿永二(一一八三)年九月、すなわち足利俊綱の討伐の頃、源頼朝がどのようなことをしていたのかの記録が吾妻鏡に残っていないのは悔やまれるところであるが、時系列を…
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先にも記したが、吾妻鏡は寿永二(一一八三)年の巻が欠落しているものの、偶然が重なって寿永二(一一八三)年の記事が存在している箇所がある。どういうことかという…
吾妻鏡から寿永二(一一八三)年の記述が欠落し、残っているのは編集ミスで他の年に記されている箇所のみである。一方、平家物語は情報の正確性ではなく物語性を求めら…
豊後国で太宰府を討伐する一大勢力が結集されていることを知った平家は、平資盛を緒方惟栄のもとに派遣することにした。緒方惟栄はかつて平重盛の家臣をしており、平資…
平家が太宰府に到着したことは九州の多くの武士が知っている。そして、平家の太宰府到着を多くの武士は歓待しつつ、迷惑にも感じている。平家を歓待するか平家に反発す…
平家物語では、高倉天皇の第三皇子である惟明親王と第四皇子である尊成親王のどちらを新たな天皇とすべきかで、後白河法皇はまず、第三皇子である惟明親王を連れてこさ…
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九州各地に届けられた新帝即位の知らせは平家を動転させた。平家の考えによれば京都が新たな天皇を即位させることなどあり得ないことであった。安徳天皇は退位などして…
福原を出発した平家がどこにいるのかの情報は京都でも把握できていた。当然だ。平家のもとには安徳天皇と三種の神器がある。安徳天皇を還御させ、盗み出した三種の神器…
寿永二(一一八三)年八月一四日、安徳天皇に変わる新たな帝位を選定しているという話が木曾義仲の元に届き、木曾義仲はただちに後白河法皇のもとにむかって、以仁王の…
さて、平家は賊軍とされたわけであるが、寿永二(一一八三)年七月末時点ではまだ公職を持つ身でもあった。 朝廷とて平家が西へと逃げ延びていくのを黙っていたわけで…
平家物語は木曾義仲のことを無知な無礼者として描いている。京都の貴族であれば誰もが身につけているはずの有職故実を身につけていなかったのはそのとおりである。しか…
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どうにかして木曾義仲を京都から追い出す必要が生じた朝廷は、寿永二(一一八三)年七月二八日に二つの方法をスタートさせた。 一つは、平家討伐の院宣という名目での…
京都で何が起こっているかを知らない貴族などいない。当然だ。まさにその貴族自身が被害者なのである。京都のどこを探しても、強盗集団と化してしまった木曾方の損害を…
木曾義仲と源行家が京都入りを果たしたのは寿永二(一一八三)年七月二八日である。 その前日である七月二七日、京都は地獄を見た。 木曾方の軍勢が一斉に押し寄せて…
さて、平家が同行させようと企図するも、行方不明となったために不在もやむなしと考えた後白河法皇であるが、後白河法皇は黙って逃げただけではなかった。平家が福原に…
平宗盛が呼び戻さなかった平家があと二人いた。宇治で源行家率いる軍勢に行く手を阻まれていた平資盛と平貞能の二人である。この二人のもとにも平家の京都脱出の知らせ…
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寿永二(一一八三)年七月二五日、平家一門、京都を脱出。平家の都落ちである。 各地に派遣していた平家はただちに呼び戻され、安徳天皇、三種の神器、後白河法皇とと…
寿永二(一一八三)年七月二二日、平家の命運が見えてくる出来事が立て続けに発生した。 まず、丹波国に派遣した平忠度が、何もできずに帰京した。山陰道の確保どころ…
寿永二(一一八三)年七月二〇日、平家がついに京都離脱の具体的な方策について協議しはじめた。このまま京都を舞台に反乱軍と戦闘をしようものなら、京都という都市が…
集めることのできた軍勢の乏しさもさることながら、平家はもう一つの問題に直面していた。あるいは、この問題が先に起こったから、平忠度に託すことのできる軍勢がわず…
覚明(かくみょう)の姿が記録から消えて木曾方から文が消えたとは言え、木曾方の武はまだ残っている。木曾義仲はお世辞にも政治家としての才覚が全く期待できず源頼朝…
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比叡山延暦寺が木曾方の軍勢の近江国通過を黙認したという知らせはまだ公開されていない。天台座主の明雲(みょううん)は僉議(せんぎ)の結果を秘匿したので、あくま…
木曾義仲は全くの無学であるが、木曾義仲自身は何度か書状を発している。木曾義仲が独学で書を学んだのではなく、木曾義仲の書を一手に引き受けた僧侶がいたのだ。その…
これまで木曾義仲は以仁王の令旨に基づいて平家打倒のために行動しており、ここで仮に平家が全てを捨てて野に下ったとしたら木曾義仲は京都まで行軍する意味が無くなる…
寿永二(一一八三)年六月上旬、木曾義仲が越前国府に入ってきた。具体的に何月何日に木曾義仲が越前国府にやってきたのかはわからない。木曾義仲が越前国府にいると判…
寿永二(一一八三)年六月四日、篠原の合戦で平家軍完敗との知らせが京に届いた。篠原の戦いで平家が敗れたらしいという伝聞は既に京都に届いていたが、この日は加賀国…
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斎藤実盛はもともと源為義と源義朝に仕えて源氏の家人であった人だが、平治の乱で源義朝が敗れた後は平家に仕えるようになっていた。富士川の戦いのときも平維盛のもと…
一方の平家の軍勢はこのままいかにして京都に戻るかを考え、少しでも無事に戻れる可能性を増やそうと、倶利伽羅峠で敗れた平家の軍勢はまずは志保山に向かおうとした。…
倶利伽羅峠の戦いは、平家の大軍に対しこれ以上無く明瞭な形で勝利を手にしたという点で、治承四(一一八〇)年の富士川の戦いに匹敵する大勝利である。勝利後の状況に…
木曾義仲は軍勢を再結集して能登国へと向かった。源行家率いる軍勢に合流するためである。 能登国に派遣した源行家は、越中国と能登国の国境にある志保山で、平家の平…
平家軍が長楽寺を中心に野陣を敷いて全軍を休息させていた頃、平維盛ら平家軍の首脳陣に源氏方の動きが伝えられた。 源氏の陣営から軍勢が出発したというのである。そ…
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平家とて、何ら考え無しに砺波山を登ろうとしたわけではない。砺波山を登っている最中に源氏方の軍勢と出くわしたら源氏方のほうが高所になるため戦況は不利になること…
般若野の戦いの勝利の知らせは木曾義仲の元だけに届いたのではない。加賀国で平家に抵抗していた武士も、能登国で平家の侵攻に備えていた武士も、そして、越中国で情勢…
越前国だけでなく加賀国も平家のもとに降ってしまったことを知らせる早馬が木曾義仲のもとに到着したとき、木曾義仲はまだ越後国府にいた。平家軍出陣の第一報を木曾義…
越前国を放棄した木曾方の軍勢は、加賀国については保持しようとした。木曾義仲のもとに起ち上がった武士たちは、木曾義仲に従うために起ち上がったのではなく、平家に…
寿永二(一一八三)年四月一七日、北陸道追討使が京都を出発した。ところが、この頃になってもまだ京都では源頼朝を討伐する軍勢を派遣するという認識であった。九条兼…
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源頼朝との間に相互不可侵が成立したことで、木曾義仲は行動の自由を獲得できた。 多くの武士が木曾義仲のもとに集って挙兵したのは、平家への怒りに満ちた正義の感情…
志田義広と足利父子を制圧したことで源頼朝が関東地方を制圧したのはその通りであるが、志田義広も、足利父子も、逃走したのであり、降伏したわけでも命を失ったわけで…
関東地方で反源頼朝の動きがあったことを京都は知っていたのか? 確認しうる限りにおいてそうした情報は無い。 存在するのは、平家がかなり追い詰められていたであろ…
このときの足利俊綱と足利忠綱の親子の様子は不明である。息子の足利忠綱は山陰道を経て九州まで逃れていったとの記録もあるがそこから先の記録はない。もしかしたらこ…
東海道に向けて軍勢が派遣されたという知らせは鎌倉だけが受けたのではない。関東地方にまだ残存している源頼朝に服従していない勢力も知らせを受けた。 これは絶好の…
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源頼朝と北条政子との間の夫婦ゲンカのゴタゴタはあったが、京都に比べれば関東はまだ平和だった。しかし、関東の全てが平和であったわけではない。何しろ平家の軍勢が…
年が明けた寿永二(一一八三)年一月、位階昇叙の大盤振る舞いと、前年一〇月に除目があったとは思えないレベルでの一月恒例の除目が展開された。 正二位内大臣平宗盛…
繰り返すが、牧宗親は北条政子の義理の祖父、ないしは義理の叔父にあたる人物である。その人物を源頼朝は怒鳴りつけた。北条政子を尊重するのはいいが、今回のような件…
その頃鎌倉では大騒動が起こっていた。 寿永元(一一八二)年一〇月一七日、北条政子が子供とともに産所となっていた比企谷殿から大倉御所に戻った。同日、後に源頼家…
鴨長明がその飢饉の様子を記した養和の飢饉は、改元して元号が養和でなくなったと同時に解決したわけではなく、寿永への改元となった後も解決しないままであった。それ…
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それにしても、寿永元(一一八二)年八月の記録は見事なまでに、後の源頼家こと万寿の誕生と、万寿誕生に関連する儀式の羅列である。考えてみれば当然で、万寿は源頼朝…
寿永元(一一八二)年七月一二日、北条政子が出産のために比企能員の屋敷に移った。比企能員は源頼朝の乳母であった比企尼の甥であり、源頼朝の妻が出産する場所として…
さて、これまで本作では源頼朝を、何もかもが計画通りに進むだけでなく未来予知もできるスーパースターであるかのように記してきたが、実際には源頼朝もごく普通の人間…
この飢饉を養和の飢饉という。 貴族の日記の抜粋した百錬抄では治承五(一一八一)年六月の記録として「近日、天下飢饉、餓死者其の数を知らず。僧綱有官の輩も其の間…
新しい都市が建設されていることを日々実感できる鎌倉と反比例するかのように、その頃の京都には不穏な空気が立ちこめていた。 治承三年の政変で官職を失った貴族たち…
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北条政子が妊娠したこともあり、源頼朝は都市鎌倉の本格的な整備に向けて動き出した。 養和二(一一八二)年三月中旬、吾妻鏡によれば三月一五日に、鎌倉を南北に貫く…
それは突然の出来事であった。 養和二(一一八二)年二月二一日、三条高倉にある女御殿御所が炎に包まれたのだ。 火の不始末ではなく放火が原因の火災である。 先に…
養和二(一一八二)年二月一日、京都に不穏な噂が流れた。源行家が率いる軍勢が尾張国に現れたというのである。これは不穏な噂ではなく鎌倉方は前年の段階で既に掴んで…
平時家が勝算の高い博打と考えた選択を選ぶことのできる環境にあった人がもう一人いた。 伊東祐親だ。 息子とともに富士川の戦いに加わるべく駿河湾を横断していたと…
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三月一八日に京都を出発した高倉上皇を三月一九日に平清盛が福原の地で出迎えた。前述の通り早馬であれば陸路でも京都から福原まで一日で連絡できる。先に早馬で高倉上…
寺社勢力の利用に失敗した高倉上皇に残されていたのは、当初の宣言通りに厳島神社に参詣することだけである。高倉上皇は輿(こし)で、まずは鳥羽に幽閉されている父の…
治承四(一一八〇)年二月二五日、平知盛が新院別当となった。まだ正式に高倉院政は始まっていないが平家主導の高倉院政の準備が続々と事実化されてきていた。寺社勢力…
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これは明らかに上皇宣下を利用した政略である。そして、高倉院は政略として一つの意思を示した。上皇宣下を受けるなら一つだけ条件があるというのである。 その条件と…
その翌日である治承四(一一八〇)年二月二一日、高倉天皇が退位し、春宮言仁親王が践祚した。安徳天皇の治世の開始である。 治世開始とは言え、安徳天皇はこのとき数…
平家政権の権勢は、治承四(一一八〇)年一月下旬からピークを迎えた。一月二八日、平重衡が二四歳で蔵人頭に任じられたのである。かつての藤原摂関家の若者であれば珍…
治承三年の政変によって軟禁状態に置かれることとなった後白河法皇は憔悴状態に陥っていたという。中山忠親こと権中納言藤原忠親の日記によると、治承四(一一八〇)年…
年が明けた治承四(一一八〇)年一月二〇日、皇太子言仁親王の魚始の儀が執り行われ、数えで三歳になったばかりの幼児への帝位継承路線が広く広報された。通常であれば…
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その後、配流が解けて京都に戻った伊藤忠清は内裏の警備を職務とするようになり、安元三(一一七七)年四月の延暦寺の強訴では警護として出陣。その際、伊藤忠清の放っ…
京都では平家政権が確立され、危惧された宗教勢力の蜂起は奈良の興福寺が立ち上がったと思ったらすぐに消え、京都に唯一残った源氏の武力である源頼政は出家して第一線…
平家は春宮言仁親王が帝位に就くことを隠さぬようになっていた。 具体的な日付は不明であるが、治承三(一一七九)年一二月中に後院庁を設置したことが判明しているの…
平家政権の成立とは言え、藤原摂関家が連綿と受け継いできた政治体制と比べると脆弱である。 強固に見える藤原摂関家の政権にしても、その根底は律令に基づく官職の独…
ここで、平家物語の生みだした創作について語らねばならないことがある。 それは「禿(かむろ)」と称される少年たちである。 平家物語は平家に批判する者を監視する…
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平家が政権を担ったことに対する反発はあるが、平家政権を打倒する術(すべ)をこの時代の京都の貴族たちは持っていない。期待するとすれば宗教勢力の蜂起が連鎖して京…
オンライン小説・ライトノベル投稿サイト「のべぷろ!」に参加している方、また参加しようと思ってる方はトラバください。 小説公開したよー。などの話をしてくだされば見に行きたいです。