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承久之乱(平安時代叢書第二十集)月〜金18時 https://ameblo.jp/tokunagi-reiki/

鎌倉幕府の成立後も平安時代は続く。平安時代の終わりは承久の乱。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時

<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書

德薙 零己
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緑区
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川口市
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2008/01/03

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  • 承久之乱 180

    建暦三(一二一三)年五月二日の申刻、現在の時制に直すと午後四時頃、和田義盛がいきなり挙兵し、源実朝のいる大倉御所への襲撃を目的に動き始めた。 最初に和田義盛…

  • 承久之乱 181

    さらに、三浦兄弟は北条義時の側に立つと告げたことで、北条義時は御所に向かう時間を確保できただけでなく、御所に向かった後に源実朝を護衛しながら法華堂へと向かう…

  • 承久之乱 179

    この流れで重要なのは、別働隊となる三浦義村らである。三浦義村とその弟の三浦胤義は和田義盛の求めに応じて、御所の北門の制圧をすることについて起請文を記していた…

  • 承久之乱 178

    和田合戦は本来であれば、建暦三(一二一三)年五月三日に挙兵する予定であったのに、実際にスタートしたのは五月二日の夕方。横山時兼が軍勢を率いてやってきたのが五…

  • 承久之乱 177

    建暦三(一二一三)年四月二七日、源実朝がはじめて和田義盛謀反の噂に対する行動を見せた。この日、源実朝が宮内兵衛尉公氏を和田義盛の屋敷へと派遣した。謀反有無の…

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  • 承久之乱 176

    さらに、泉親衡の乱に関与して拿捕された和田義盛の二人の息子は助命できたが、甥の和田胤長は助命どころか後ろ手に縛られて和田義盛の前に付き出されたが、この待遇の…

  • 承久之乱 175

    ここで視点を北条義時に向けると、これはもう、穏やかな話ではなくなる。自分を敵とし、自分を武力で倒そうという勢力が誕生しているのだ。同じ権力争いであっても、選…

  • 承久之乱 174

    和田義盛の孫の和田朝盛が、父の追放に悲しむ六歳の幼女のために和田胤長を演じたことは既に記した。 ここで泉親衡の乱における和田一族を振り返ると、少なくとも三名…

  • 承久之乱 173

    鎌倉において泉親衡の乱の中心人物と扱われた和田胤長、すなわち和田義盛の甥は流罪となったが、一族もろとも流罪となったのではなく一人だけが流罪となっている。つま…

  • 承久之乱 172

    現在のカレンダーは、どんなに大雑把なものでも月、日、曜日がわかるようになっている。少し細かなカレンダーを見ると、日付だけでなく月の満ち欠けや旧暦の日付、そし…

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  • 修学旅行(34)

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  • 承久之乱 171

    源実朝が従二位から正二位に昇叙したのは建暦三(一二一三)年二月二七日のこと。そして、その知らせが鎌倉に届いたのは三月六日になってからである。 大騒動が一段落…

  • 承久之乱 170

    そこで改めて泉親衡の乱を振り返ると、ここに世代間対立の芽が見て取れる。 和田義盛は源頼朝の挙兵のときから鎌倉方の一員として戦った実績を有している。すなわち、…

  • 承久之乱 169

    ただ、どんなに現在まで残る説話になり現在の地名の由来になるほどの人物であるとの評判が確立されようとも、そのことと、建暦三(一二一三)年時点の泉親衡が一三〇名…

  • 承久之乱 168

    捕縛された者は流罪となったが、首謀者と見做されている泉親衡は消息不明となっている。 泉親衡の消息が判明したのは建暦三(一二一三)年三月二日のこと。鎌倉の中心…

  • 承久之乱 167

    大願を果たすためと称して逃走する者がいる一方、源実朝の和歌趣味に頼ることで命乞いをする者も出た。 吾妻鏡によると、建暦三(一二一三)年二月二五日に、渋河兼守…

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  • 修学旅行(33)

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  • 承久之乱 166

    以下が吾妻鏡に名の記されている者と、身柄を預かることとなった御家人である。 一村近村、信濃国の御家人。北条泰時が預かる。 籠山高成、信濃国の御家人。高山重親…

  • 承久之乱 165

    本来であれば源実朝の正二位昇叙は大々的な祝事として鎌倉幕府全体で騒ぎになるニュースであったのだが、鎌倉幕府はそこまでの騒ぎとはなっていない。無視したわけでは…

  • 承久之乱 164

    源実朝が従二位に昇叙したことについて朝廷の提示した理由は征夷大将軍としてのこれまでの実績を評価してものであるが、これは真実の全てでは無い。もう一つ忘れてはな…

  • 承久之乱 163

    建暦二(一二一二)年の吾妻鏡の記事を読むと、特に年の後半に、鎌倉に向けて雑多な訴えが起こされていることが読みとれる。 先に記した津料や河手の廃止の場合も、そ…

  • 承久之乱 162

    租税についてさらに加えて記すと、鎌倉幕府が租税管理のために守護と地頭を派遣していると同時に、鎌倉幕府が守護と地頭そのものを管理監督しているという構図も成り立…

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  • 承久之乱 161

    ここで後鳥羽上皇が独自の徴税を命じたとして、鎌倉幕府が従う可能性は低い。鎌倉幕府とは、朝廷に仕える貴族の一人である源実朝のもとに集った私的な組織であると同時…

  • 承久之乱 160

    先に、後鳥羽上皇が大内裏の復旧を目論んでいることは記した。と同時に、予算の問題でうまくいっていないことも記した。院にしても、朝廷にしても、潤沢な予算というわ…

  • 承久之乱 159

    鎌倉幕府の本質は東国武士の集合体である。流罪となって京都から流されてきた源頼朝が、東国の武士達が集まった勢力のトップに君臨しているというのが鎌倉幕府の図式で…

  • 承久之乱 158

    さて、先に源平こそが武士であり、その他の氏族は、それこそ隆盛極める藤原氏ですら、武士としてはカウントされることが乏しかったと記したが、藤原を姓とする武士がゼ…

  • 承久之乱 157

    源実朝という人は生涯に亘って京都に赴くことのなかった人である。もっと言えば、鎌倉とその周辺だけが源実朝の行動範囲である。それでいて日本全国に視点を向けていた…

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  • 修学旅行(31)

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  • 承久之乱 156

    保元の乱までは源氏も平氏も朝廷の動員できる有力な武士であった。だが、平治の乱を迎えたときにはもう、清和源氏も、伊勢平氏も、朝廷の言いなりになる存在ではなくな…

  • 承久之乱 155

    その当時、京都の朝廷が問題視していたのが、比叡山延暦寺をはじめとする宗教勢力の有する武力である。彼らの武装デモは厄介きわまりない話であったが対処するには困難…

  • 承久之乱 154

    三浦義村や和田義盛といった三浦家の人物を京都大番役の管理監督に採用した経緯を見てくると、初期鎌倉幕府の本質が見えてくる。初期鎌倉幕府の本質を突き詰めると、こ…

  • 承久之乱 153

    ただ、前述のように法然はもう八〇歳になっていた。数え年であるから満年齢にすると七八歳であるが、それでもかなりの高齢だ。当時でも高齢なだけでなく現在の感覚でも…

  • 承久之乱 152

    正論を用いての話し合いは通じないが、正拳を用いての殴り合いは通じる。暴れ回ることを目的とする集団を抑え込むもっとも確実な方法は、暴れ回ろうとしている集団を力…

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  • 修学旅行(30)

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  • 承久之乱 151

    貴族の時代である平安時代から武士の時代である鎌倉時代に移り変わったのは一瞬の出来事ではない。平安時代の草創期に登場した武士が少しずつ勢力を持つようになり、朝…

  • 承久之乱 150

    さて、建暦元(一二一一)年七月に京都から脱税疑惑を指摘され、北条時房のもとでの監禁生活となった惟宗孝尚が、一二月一日に軟禁解除となって釈放されたのは既に記し…

  • 承久之乱 149

    その予算はどこにもなかった。 予算がないために平安京の復興どころか日々の生活をいかに再建するかに汲々とする状態であった。そのときの日本で潤沢な資産を持ってい…

  • 承久之乱 148

    三善康信は不吉な例を列挙することで後鳥羽上皇の求めた大内裏復興を暗に否定した。 大内裏復興という野望は、推し進める後鳥羽上皇の意見も、暗に否定する三善康信も…

  • 承久之乱 147

    平安京は本来、北端中央に大内裏、その中心に内裏があるという都市計画のもとで建設された都市である。しかし、建暦元(一二一一)年時点の大内裏はかつて内裏があった…

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  • 修学旅行(29)

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  • 承久之乱 146

    さて、栄西が著した喫茶養生記は現在まで伝わる名著であるが、鎌倉ではほぼ同タイミングで現在まで伝わる名著の著者が姿を見せている。 その人物が鎌倉に来た理由は源…

  • 承久之乱 145

    僧侶としての成功者である栄西であるが、同時に、現在で言う数多くのビジネス書を発行する作家のような存在でもあった。確認できる範囲では、密教について問答形式での…

  • 承久之乱 144

    鎌倉時代の特色の一つとして歴史の教科書に取り上げられることの多い鎌倉新仏教。大学入試で日本史を選択したならば、あるいは高校入試で社会科を学んだならば、以下に…

  • 承久之乱 143

    ここで話を源実朝に戻すと、源実朝は自分のことを独自の政治権力であるとは、ましてや朝廷から独立した勢力であるとは考えていなかった。父の事績を追いかけ、父と兄の…

  • 承久之乱 142

    建暦元(一二一一)年六月二六日、東海道に新しい宿駅を設置する件について、過去に何度も決裁されているにもかかわらず未だに実行されていないことについて、源実朝か…

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  • 修学旅行(28)

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  • 承久之乱 141

    この時代にビジネスとしての旅館などない。旅行客は誰かの家に泊めてもらうか、寺院などに泊めてもらうか、野宿するかである。なお、このあたりは現在よりも鷹揚であっ…

  • 承久之乱 140

    建暦元(一二一一)年六月になると不穏な記事が増えてくる。 六月二日に源実朝が急病で倒れたのだ。 もともと源実朝は天然痘に罹患した過去がある。これは天然痘に限…

  • 承久之乱 139

    なお、この裁決からおよそ一ヶ月後の建暦元(一二一一)年五月一〇に、源実朝は、現代人からすると穏当あるいは当然と感じる、しかし、この時代では考えられない指令を…

  • 承久之乱 138

    現在に生きる我々の改元とは、新たな天皇となったと同時に元号が変わることを意味し、それ以外に元号が変わることはないという一世一元の制が共通認識となっているが、…

  • 承久之乱 137

    吾妻鏡には、後鳥羽上皇から特権の放棄を命じられたことの記録など存在しない。 しかし、承元五(一二一一)年一月時点で鎌倉幕府は、征夷大将軍に付随していた天叢雲…

  • 修学旅行(27)

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  • 承久之乱 136

    さて、改めて承元五(一二一一)年元日時点の公卿補任を眺めると、源実朝の位置付けの意外なまでの低さも感じる。 源実朝が職務としている征夷大将軍が三種の神器の一…

  • 承久之乱 135

    まず、議政官の面々、すなわち左大臣から参議までの人数はもともと二十名でも多いとされてきたのに、承元五(一二一一)年元日時点で実に左大臣から参議末席まで二十九…

  • 承久之乱 134

    こうした後鳥羽上皇の動きを鎌倉はどのように捉えていたのか? 吾妻鏡に従うと、何の前触れもなくいきなり、承元四(一二一〇)年一二月五日の記録として、先月二五日…

  • 承久之乱 133

    また、天皇の朝儀や行幸では以前から「剣が先、璽が後」、すなわち、三種の神器のうち天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を先、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を後…

  • 承久之乱 132

    少なくとも承元四(一二一〇)年一一月時点で源実朝のもとに男児が生まれたという知らせは届いていない以上、源実朝の身に何かが起こったら、その瞬間に三種の神器の一…

  • タイムマネジメント 69

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  • 修学旅行(26)

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  • 承久之乱 131

    さて、後鳥羽天皇、土御門天皇と、三種の神器が揃わない状態での即位が続いていた。平家滅亡時、三種の神器の一つである天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が壇ノ浦に…

  • 承久之乱 130

    ただ、他者に対して厳しい態度を取ることがないのだ。選挙のある現在では、他者を激しく糾弾した上で自らを強く主張することも当選のための方法の一つであるが、それが…

  • 承久之乱 129

    それにしても後鳥羽上皇はどうして観測気球を打ち上げたのか。そして鎌倉幕府はどうして観測気球に対して迅速に対処したのか? 院政というものは、退位した天皇が上皇…

  • 承久之乱 128

    承元四(一二一〇)年後半の吾妻鏡の記載は、源実朝があまり政務に携わっていないかのような記し方をしている。しかし、記録をよく読むと、源実朝は合格点をつけて良い…

  • 承久之乱 127

    はっきり言って、後鳥羽上皇が藤原秀康を上総国に派遣したことは大失敗であった。いかに各国の国司を歴任し、また、北面武士として鎌倉幕府とは独立した独自の武力を有…

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  • 修学旅行(25)

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  • 承久之乱 126

    先に述べたように、侍所別当和田義盛は上総介就任を望みながら放置されていた。 源実朝が和田義盛の上総介就任について朝廷や後鳥羽院に打診したという記録はない。し…

  • 承久之乱 125

    政治家としての源実朝の活動は前年から既に見えていたが、承元四(一二一〇)年に入るとより活発化することとなる。 まず、時間は少し遡ることとなるが、中原広元を京…

  • 承久之乱 124

    承元四(一二一〇)年二月二一日に中原広元が京都に派遣された表向きの理由は、明王院僧正公胤が指導僧をつとめる後白河法皇の持仏堂の長講堂の法事に参加するためであ…

  • 承久之乱 123

    承元三(一二〇九)年一二月一五日。前述の守護と地頭の見直しについての第一段として、関東近隣の守護の見直し結果が発表となった。 ただ、その結果は源実朝の期待を…

  • 承久之乱 122

    どのような事情で対決姿勢を見せるようになったのかを調べた源実朝は、橘公成に対して彼女を美作朝親のもとに返すように命じ、両名に対して矛を収めるようにさせたとい…

  • タイムマネジメント 67

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  • 修学旅行(24)

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  • 承久之乱 121

    どうして承元三(一二〇九)年末までの時点での評価となるのか? これは承元三(一二〇九)年一二月一一日の出来事を考える必要がある。 この日、美作朝親と橘公成と…

  • 承久之乱 120

    鴨長明は武士ではなく、一人の民間人として源平合戦の戦場を体験した。一方の源実朝は源平合戦そのものを体験してはいなくても、武芸そのものは理解していたのである。…

  • 承久之乱 119

    吾妻鏡を読んでいるだけでは源実朝が政治家としての名声を獲得していることを読み取れない。それどころか和歌に耽溺する軟弱な将軍というイメージを意図的に構築してい…

  • 承久之乱 118

    京都では、一七歳の権大納言九条道家が侮れない若者であると認識する者ならば多く、九条道家に比べると見劣りすると捉えられていたのがこれまでの源実朝である。特に、…

  • 承久之乱 117

    源実朝はその園城寺から僧侶を招いたのであるが、このことを延暦寺の立場から捉えると、かつての最大の抵抗勢力が鎌倉幕府と手を組むというのだから、何としても避けた…

  • タイムマネジメント 66

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  • 修学旅行(23)

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  • 承久之乱 116

    まず、先に記したように藤原定家は当代随一の歌人であると同時に、後鳥羽上皇の側近の一人である。源実朝からの書状に始まる和歌を通じたやりとりだけを捉えれば、傍目…

  • 承久之乱 115

    このあたりは吾妻鏡を編纂した人の取捨選択の結果であろうが、従三位に昇叙した後の源実朝の記録については、吾妻鏡と、その他の記録とで大きな違いがある。 大きな違…

  • 承久之乱 114

    源平合戦において東国の武士達はどうして源頼朝の元に集ったのか? 一言でまとめると、最適解である。数多くの選択肢の中から選び出した最善の選択肢が源頼朝であった…

  • あれから14年

  • 承久之乱 113

    しかし、和田義盛は諦めていなかった。五月二三日に今度は中原広元に嘆願書を提出したのである。中原広元は鎌倉幕府に仕える御家人であると同時に、文人官僚であり、貴…

  • タイムマネジメント 65

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  • 修学旅行(22)

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  • 承久之乱 112

    また、「侍受領」、すなわち左衛門尉を長年務めた武士がどこかの国の国司になるというキャリアは、平家政権の頃から武士の成功として最上級の昇進コースであった。さす…

  • 承久之乱 111

    さて、和田義盛は三浦一族の一員でしかないと記したが、三浦一族における和田義盛の立ち位置はかなり微妙である。 まず、愚管抄は和田義盛のことを「三浦ノ長者」と記…

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