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承久之乱(平安時代叢書第二十集)月〜金18時 https://ameblo.jp/tokunagi-reiki/

鎌倉幕府の成立後も平安時代は続く。平安時代の終わりは承久の乱。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時

<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書

德薙 零己
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緑区
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川口市
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2008/01/03

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  • 承久之乱 171

    源実朝が従二位から正二位に昇叙したのは建暦三(一二一三)年二月二七日のこと。そして、その知らせが鎌倉に届いたのは三月六日になってからである。 大騒動が一段落…

  • 承久之乱 170

    そこで改めて泉親衡の乱を振り返ると、ここに世代間対立の芽が見て取れる。 和田義盛は源頼朝の挙兵のときから鎌倉方の一員として戦った実績を有している。すなわち、…

  • 承久之乱 169

    ただ、どんなに現在まで残る説話になり現在の地名の由来になるほどの人物であるとの評判が確立されようとも、そのことと、建暦三(一二一三)年時点の泉親衡が一三〇名…

  • 承久之乱 168

    捕縛された者は流罪となったが、首謀者と見做されている泉親衡は消息不明となっている。 泉親衡の消息が判明したのは建暦三(一二一三)年三月二日のこと。鎌倉の中心…

  • 承久之乱 167

    大願を果たすためと称して逃走する者がいる一方、源実朝の和歌趣味に頼ることで命乞いをする者も出た。 吾妻鏡によると、建暦三(一二一三)年二月二五日に、渋河兼守…

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  • 承久之乱 166

    以下が吾妻鏡に名の記されている者と、身柄を預かることとなった御家人である。 一村近村、信濃国の御家人。北条泰時が預かる。 籠山高成、信濃国の御家人。高山重親…

  • 承久之乱 165

    本来であれば源実朝の正二位昇叙は大々的な祝事として鎌倉幕府全体で騒ぎになるニュースであったのだが、鎌倉幕府はそこまでの騒ぎとはなっていない。無視したわけでは…

  • 承久之乱 164

    源実朝が従二位に昇叙したことについて朝廷の提示した理由は征夷大将軍としてのこれまでの実績を評価してものであるが、これは真実の全てでは無い。もう一つ忘れてはな…

  • 承久之乱 163

    建暦二(一二一二)年の吾妻鏡の記事を読むと、特に年の後半に、鎌倉に向けて雑多な訴えが起こされていることが読みとれる。 先に記した津料や河手の廃止の場合も、そ…

  • 承久之乱 162

    租税についてさらに加えて記すと、鎌倉幕府が租税管理のために守護と地頭を派遣していると同時に、鎌倉幕府が守護と地頭そのものを管理監督しているという構図も成り立…

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  • 承久之乱 161

    ここで後鳥羽上皇が独自の徴税を命じたとして、鎌倉幕府が従う可能性は低い。鎌倉幕府とは、朝廷に仕える貴族の一人である源実朝のもとに集った私的な組織であると同時…

  • 承久之乱 160

    先に、後鳥羽上皇が大内裏の復旧を目論んでいることは記した。と同時に、予算の問題でうまくいっていないことも記した。院にしても、朝廷にしても、潤沢な予算というわ…

  • 承久之乱 159

    鎌倉幕府の本質は東国武士の集合体である。流罪となって京都から流されてきた源頼朝が、東国の武士達が集まった勢力のトップに君臨しているというのが鎌倉幕府の図式で…

  • 承久之乱 158

    さて、先に源平こそが武士であり、その他の氏族は、それこそ隆盛極める藤原氏ですら、武士としてはカウントされることが乏しかったと記したが、藤原を姓とする武士がゼ…

  • 承久之乱 157

    源実朝という人は生涯に亘って京都に赴くことのなかった人である。もっと言えば、鎌倉とその周辺だけが源実朝の行動範囲である。それでいて日本全国に視点を向けていた…

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  • 承久之乱 156

    保元の乱までは源氏も平氏も朝廷の動員できる有力な武士であった。だが、平治の乱を迎えたときにはもう、清和源氏も、伊勢平氏も、朝廷の言いなりになる存在ではなくな…

  • 承久之乱 155

    その当時、京都の朝廷が問題視していたのが、比叡山延暦寺をはじめとする宗教勢力の有する武力である。彼らの武装デモは厄介きわまりない話であったが対処するには困難…

  • 承久之乱 154

    三浦義村や和田義盛といった三浦家の人物を京都大番役の管理監督に採用した経緯を見てくると、初期鎌倉幕府の本質が見えてくる。初期鎌倉幕府の本質を突き詰めると、こ…

  • 承久之乱 153

    ただ、前述のように法然はもう八〇歳になっていた。数え年であるから満年齢にすると七八歳であるが、それでもかなりの高齢だ。当時でも高齢なだけでなく現在の感覚でも…

  • 承久之乱 152

    正論を用いての話し合いは通じないが、正拳を用いての殴り合いは通じる。暴れ回ることを目的とする集団を抑え込むもっとも確実な方法は、暴れ回ろうとしている集団を力…

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  • 承久之乱 151

    貴族の時代である平安時代から武士の時代である鎌倉時代に移り変わったのは一瞬の出来事ではない。平安時代の草創期に登場した武士が少しずつ勢力を持つようになり、朝…

  • 承久之乱 150

    さて、建暦元(一二一一)年七月に京都から脱税疑惑を指摘され、北条時房のもとでの監禁生活となった惟宗孝尚が、一二月一日に軟禁解除となって釈放されたのは既に記し…

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