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承久之乱(平安時代叢書第二十集)月〜金18時 https://ameblo.jp/tokunagi-reiki/

鎌倉幕府の成立後も平安時代は続く。平安時代の終わりは承久の乱。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時

<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書

德薙 零己
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川口市
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2008/01/03

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  • 承久之乱 149

    その予算はどこにもなかった。 予算がないために平安京の復興どころか日々の生活をいかに再建するかに汲々とする状態であった。そのときの日本で潤沢な資産を持ってい…

  • 承久之乱 148

    三善康信は不吉な例を列挙することで後鳥羽上皇の求めた大内裏復興を暗に否定した。 大内裏復興という野望は、推し進める後鳥羽上皇の意見も、暗に否定する三善康信も…

  • 承久之乱 147

    平安京は本来、北端中央に大内裏、その中心に内裏があるという都市計画のもとで建設された都市である。しかし、建暦元(一二一一)年時点の大内裏はかつて内裏があった…

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  • 修学旅行(29)

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  • 承久之乱 146

    さて、栄西が著した喫茶養生記は現在まで伝わる名著であるが、鎌倉ではほぼ同タイミングで現在まで伝わる名著の著者が姿を見せている。 その人物が鎌倉に来た理由は源…

  • 承久之乱 145

    僧侶としての成功者である栄西であるが、同時に、現在で言う数多くのビジネス書を発行する作家のような存在でもあった。確認できる範囲では、密教について問答形式での…

  • 承久之乱 144

    鎌倉時代の特色の一つとして歴史の教科書に取り上げられることの多い鎌倉新仏教。大学入試で日本史を選択したならば、あるいは高校入試で社会科を学んだならば、以下に…

  • 承久之乱 143

    ここで話を源実朝に戻すと、源実朝は自分のことを独自の政治権力であるとは、ましてや朝廷から独立した勢力であるとは考えていなかった。父の事績を追いかけ、父と兄の…

  • 承久之乱 142

    建暦元(一二一一)年六月二六日、東海道に新しい宿駅を設置する件について、過去に何度も決裁されているにもかかわらず未だに実行されていないことについて、源実朝か…

  • タイムマネジメント 71

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  • 修学旅行(28)

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  • 承久之乱 141

    この時代にビジネスとしての旅館などない。旅行客は誰かの家に泊めてもらうか、寺院などに泊めてもらうか、野宿するかである。なお、このあたりは現在よりも鷹揚であっ…

  • 承久之乱 140

    建暦元(一二一一)年六月になると不穏な記事が増えてくる。 六月二日に源実朝が急病で倒れたのだ。 もともと源実朝は天然痘に罹患した過去がある。これは天然痘に限…

  • 承久之乱 139

    なお、この裁決からおよそ一ヶ月後の建暦元(一二一一)年五月一〇に、源実朝は、現代人からすると穏当あるいは当然と感じる、しかし、この時代では考えられない指令を…

  • 承久之乱 138

    現在に生きる我々の改元とは、新たな天皇となったと同時に元号が変わることを意味し、それ以外に元号が変わることはないという一世一元の制が共通認識となっているが、…

  • 承久之乱 137

    吾妻鏡には、後鳥羽上皇から特権の放棄を命じられたことの記録など存在しない。 しかし、承元五(一二一一)年一月時点で鎌倉幕府は、征夷大将軍に付随していた天叢雲…

  • 修学旅行(27)

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  • 承久之乱 136

    さて、改めて承元五(一二一一)年元日時点の公卿補任を眺めると、源実朝の位置付けの意外なまでの低さも感じる。 源実朝が職務としている征夷大将軍が三種の神器の一…

  • 承久之乱 135

    まず、議政官の面々、すなわち左大臣から参議までの人数はもともと二十名でも多いとされてきたのに、承元五(一二一一)年元日時点で実に左大臣から参議末席まで二十九…

  • 承久之乱 134

    こうした後鳥羽上皇の動きを鎌倉はどのように捉えていたのか? 吾妻鏡に従うと、何の前触れもなくいきなり、承元四(一二一〇)年一二月五日の記録として、先月二五日…

  • 承久之乱 133

    また、天皇の朝儀や行幸では以前から「剣が先、璽が後」、すなわち、三種の神器のうち天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を先、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を後…

  • 承久之乱 132

    少なくとも承元四(一二一〇)年一一月時点で源実朝のもとに男児が生まれたという知らせは届いていない以上、源実朝の身に何かが起こったら、その瞬間に三種の神器の一…

  • タイムマネジメント 69

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  • 修学旅行(26)

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  • 承久之乱 131

    さて、後鳥羽天皇、土御門天皇と、三種の神器が揃わない状態での即位が続いていた。平家滅亡時、三種の神器の一つである天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が壇ノ浦に…

  • 承久之乱 130

    ただ、他者に対して厳しい態度を取ることがないのだ。選挙のある現在では、他者を激しく糾弾した上で自らを強く主張することも当選のための方法の一つであるが、それが…

  • 承久之乱 129

    それにしても後鳥羽上皇はどうして観測気球を打ち上げたのか。そして鎌倉幕府はどうして観測気球に対して迅速に対処したのか? 院政というものは、退位した天皇が上皇…

  • 承久之乱 128

    承元四(一二一〇)年後半の吾妻鏡の記載は、源実朝があまり政務に携わっていないかのような記し方をしている。しかし、記録をよく読むと、源実朝は合格点をつけて良い…

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