日々思いついた「お話」を思いついたままに書く
或る時はファンタジー、或る時はSF、又或る時は探偵もの・・・などと色々なジャンルに挑戦して参りたいと思っています。中途参入者では御座いますが、どうか、末永くお付き合いくださいますように、隅から隅まで、ず、ず、ずぃ〜っと、御願い、奉りまする!
その日の夜、さて寝ようとしたところに、みつと豆蔵が現れた。二人は並んで座っている。みつは凄腕で美貌の女剣士。豆蔵は渋い中年の岡っ引きで江戸でも五本の指に入る腕利きだ。この二人ならさとみもイヤではない。霊体を抜け出させ、ちょこんと二人の前に座る。「みつさん、豆蔵、お久しぶりね」さとみの声がうきうきしている。昨日からイヤで面倒な事ばかり聞かされていたからだ。「嬢様……」豆蔵はさとみをそう呼ぶ。「知っていますかい?」「何?」「竜二さんの新しい……」豆蔵は言うとぷっと吹き出した。「……新しい恋人ですよ」「ええ、知っているわ」さとみは思い出してうんざりした顔をする。「虎之助とか言う男の人でしょ?昨日、竜二が助けてくれって泣きながらやって来たわ」「さとみ殿」みつはさとみをそう呼ぶ。「世の乱れがわたしたちの世界にも入ってきて...霊感少女さとみ2学校七不思議の怪8
さとみは霊体をからだに戻そうと振り返った。朱音が、ぽうっとした顔で立っているさとみの頬を指先でつんつんと突ついている。それでも反応しないさとみの周りを興味深そうな顔で一周する。さとみは霊体を戻すタイミングがつかめない。「……先輩……」朱音がさとみのからだに話しかけている。「いきなりどうしちゃったんですか?……ひょっとして、霊とお話中ですかぁ?」朱音は自分の言った言葉にきゃあきゃあとはしゃいで跳ね回っている。……やれやれ。さとみはため息をついて霊体をからだに戻した。途端に、ぽうっとしていたさとみがのろのろと動き出す。「あ、先輩!」朱音が嬉しそうに話しかけてくる。「今、霊とお話していたんでしょ?」「え?」さとみは朱音を見る。ぱっちりした瞳がきらきらしている。純粋な尊敬の眼差しだ。さとみはうなずいた。「……ええ、そう...霊感少女さとみ2学校七不思議の怪7
「それで、先輩、どうなんですか?」朱音が唐突に切り出す。「え?何の話だっけ?」さとみは言う。言い方がぎごちなく、白々しい。「ほら、お昼休みに訊いた事ですよ!」朱音がじれったそうに言う。言葉の裏には「もう分かっているんです!諦めて認めて下さい!」との圧が強くにじみ出ている。しかし、さとみは白ばっくれる。そもそも、さとみが霊体と話が出来る能力は、困っている霊体の心配事を解決して無事に成仏してもらうためだった。だから、他の人に知ってもらおうなんてつもりは無い。だから、ここで認めるつもりは無かった。とは言え、根が正直なさとみは口には出さないが、態度で朱音にはほぼバレていた。それでもさとみは白を切り通す。「ああ、霊体が見えるとか話せるとか言うヤツ?」「そうです。……先輩、話が出来るんでしょ?」「出来ないわ。朱音ちゃんのお...霊感少女さとみ2学校七不思議の怪6
午後の授業は、さとみの得意技である「目を開けたまま寝る」で乗り切った。おかげで眠気は一掃した。廊下にはすでにアイが立って、さとみを待っていた。アイを見つけた麗子が、さとみよりも先に教室を出てアイと楽しそうに話をしている。時々互いに耳元で囁き合ってはくすくすと笑っている。……良かったぁ、二人とも仲良しに戻ってくれて。さとみはにまにましながら教科書をカバンに詰め込んでいる。詰め込みが終わって教室を出ようと廊下の二人を見たさとみの表情が変わった。それに気が付いたアイが教室に入って来た。「姐さん!どうしたんですか?」アイが心配そうにさとみを見る。「何やら困り事のありそうなお顔ですけど……」「え?いえ、そんなでも無い、けど……」さとみは開いてい教室のドアから廊下を見ながらつぶやいた。アイはさとみの視線を追う。麗子の隣に見...霊感少女さとみ2学校七不思議の怪5
「ここじゃ、ちょっと……」朱音が困った顔をして周りを見る。確かに、二年生の教室に一年生がいると言うのは、ちょっと、である。さとみは廊下に出た。不思議なもので、一年生はやはりどこか初々しい。制服がまだ新しさを失っていないからなのか、学校の空気に染まりきっていないからなのかは、分からないけれど。「……それで?」さとみが偉そうに言う。一年生相手だと、何となく先輩風を吹かしたくなる。「話って言うのは?」「実はですねぇ……」朱音は意味ありげな笑顔をさとみに向けた。「わたし、知っているんです。さとみ先輩の秘密を……」「わたしの秘密?」さとみはきょとんとする。「何の事?」「ま~たまたまたぁ!」朱音がくすくすと笑う。「隠してもダメですよぉ。……ほらぁ、例の……」「例の……?」さとみは本当に見当が付かない。おでこをぴしゃぴしゃや...霊感少女さとみ2学校七不思議の怪4
この声は、さっきの……さとみは両手を広げたままでその娘を見る。「……あなた?さっき、わたしを呼んでいたの?」「はい!」女生徒は元気良く返事をする。「わたし、一年の中沢朱音(あかね)と言います。聞いていただきたい事があって……」「あなたもなのぉ!」さとみはうんざりした顔をする。「今、取り込み中なのよ。見て分かるでしょ?」「そうだぜ!」アイが凄む。「後にしな……」「そうね、その方が良いわ」麗子はうなずく。「明日にでもしてよ」「さとみ先輩、これは先輩の取り合いですよ」朱音は平然とした顔で言う。「先輩が二人のうち、どっちが好きなのかって言う……」「おい、余計な事を言うな!」アイが怒鳴る。しかし、顔が赤くなっている。「そうよ!あなたには関係ないでしょ!」麗子も赤くなって言う。「え?え?」さとみがアイと麗子を見る。「どう言...霊感少女さとみ2学校七不思議の怪3
そんなわけで昼休みのうたた寝に賭けていたさとみだったが、それが出来なくなった。教室で自分の机に頬杖をついて、得意の目を開けたまま寝ると言う体制を取ろうとした時、クラスメイトの麗子が目の前に立ってばんと机を叩いてきたのだ。「さとみ!ちょっと聞いてよ!」さとみがいつものようにぽうっとしているのを眠いからとは思わない麗子は、何度も机を叩く。「……何よう」さとみは眠いと機嫌が悪い。むっとした顔で麗子を見上げる。しかし、麗子には通じない。「何が『何よう』よ!いつも通りにぽうっとしているだけの癖に!」「大きなお世話よ!わたし、昨日あんまり寝てないから、眠いの!」「知ったこっちゃないわよ!それよりさ、話を聞いていよう!」「昨日もそれで眠れなかったのよ!」さとみは昨夜の竜二の事を思い出し腹を立てる。あの後、竜二と虎之助がどうな...霊感少女さとみ2学校七不思議の怪2
「さとみせ~んぱい!」どこからか声がする。さとみは、一瞬廊下の方を見た。でも良く考えたら、部活もやっていないさとみが呼ばれるわけが無い。同名異人だろう。貴重な昼休み、軽くうたた寝でもと考えいた。と言うのも、昨日夜遅くまで起きていたからだ。昨夜、さて、寝ようかなと思ったところに竜二がわんわん泣きながら現われた。竜二はチンピラ気取りの若い霊体だ。しかし本質は情けないダメ男だ。涙と鼻水とでぐちゃぐちゃになった竜二の顔は、その辺の恨めし顔の霊体よりひどいと、さとみは思った。「何なのよう!」自分の霊体を抜け出させたさとみは竜二に怒る。寝ようとしたのを邪魔されたのもそうだが、イチゴ柄のパジャマ姿を竜二に見られたのが腹立たしかった。「泣くんなら近所の公園でやってよね!」「泣きに来たんじゃないよ、話を聞いてほしいんだよう!」「...霊感少女さとみ2学校七不思議の怪1
お坊様はついと立ち上がられました。「ははは、厠じゃ」お坊様はそうおっしゃいますと部屋を出て行かれました。わたくしは開いている障子戸から外を見ておりました。あれほど嫌悪していた花々が、今はとても愛おしく感じておりました。と、そこへ、おたきさんが徳利を二本と湯気の立つ山菜の煮物を盛った小鉢を乗せたお盆を運んでまいりました。開いたままの障子戸から、おたきさんはわたくしに頭を下げました。それから部屋に入って参りました。「……おや、お坊様は?」おたきさんはお盆を持ったままきょろきょろと見回しています。「何だね、年寄りに用を言い付けておきながら……」「いえ、お坊様は、その……」わたくしが言い淀んでおりますと、おたきさんは察したようで、笑い出しました。「ああ、厠でございますね。お坊様とは言え人でございますからねぇ……」わたく...怪談青井の井戸41FINAL
「……さて……」お坊様はおたきさんの足音が聞こえなくなってから、呟くようにそうおっしゃると、わたくしに向き直りました。「うむ、しっかりと憑き物が落ちたようだね。もう案ずることはあるまい」「……はい、お坊様のおかげをもちまして……」わたくしは頭を下げました。「ではございますれど、父や母、それにばあやには……」「気に病むでない。あれは鬼が仕掛けた事じゃ。鬼は人の心など手の平の虫同様じゃ。いかようにも出来るのさ」「はあ……」「人が鬼に敵うわけが無いのだよ。拙僧も御仏のご加護で何とかなっただけの事さ」「ご謙遜を……」わたくしはそう申し上げながら、開いている障子戸の間から外を見ておりました。花が幾つも咲いているのが見えました。「……花が咲いておりますね」わたくしの声にお坊様は振り返り、庭に花をご覧になります。「うむ、綺麗...怪談青井の井戸40
わたくしが意識を取り戻しました時、最初に見えましたのは、相当の年月を経たと思われる高い天井でございました。次いで、お線香の香が鼻を突きました。未だ朦朧とはしておりましたが、わたくしは起き上がりました。わたくしは白の寝巻を着て、畳敷きの部屋に敷かれた布団の上におりました。周りを見回しますと、昼の陽なのでございましょうか、明るい日差しが閉じた障子戸からこの部屋へと射し込んできておりました。わたくしの掛けている布団の足元の方に、小柄で痩せた老婆が正座しながらこっくりと舟を漕いでおりました。「……もし……」わたくしは老婆に声をかけました。いつもの自分の声でございました。老婆はまだ舟を漕いでおります。わたくしはもう一度呼びかけを致しました。老婆はうっすらと目を開け始め、わたくしの姿を認めると、ぱっちりと両の目を開きました...怪談青井の井戸39
「……旦那様……旦那様……」聞き覚えのある声に、わたくしは振り返りました。轟々と音を立てて燃えている屋敷から、母が出てまいりました。炎の中をくぐってきたはずですのに、どこも燃えてはおりませぬ。母は右半分の欠けた顔に残った左の眼を凝らして、動かぬ父を見つめております。あらぬ方向に曲がった右の腕をそのままに、廊下から庭へと降り立ちました。そして、脚も引きずりながら、父の方へと進んでいます。「旦那様……どうして、わたくしを井戸へと落とされたのか……」これは母ではございませぬ。骸の鬼たちの恨気を吸い込んで現われた亡者でございます。「むっ、いかん!」お坊様は亡者の母を見て険しいお顔をなさいました。わたくしに投げつけた錫杖を拾い上げようと無し余す語、それより先に、わたくしから出てきた黒い汚泥のようなものが、母の方へと向きを...怪談青井の井戸38
「お父様!」わたくしは叫びました。倒れている父へと足が向きました。ですが、踏み出せませぬ。足が動かないのでございます。強い力でわたくしを押し留めているようでございます。「お父様!」わたくしは再度叫びます。届かぬものを捕らえるように、わたくしは右腕を伸ばします。ですが、その手は強い力で下されてしまいました。「鬼よ!地獄の亡者よ!お前の負けだな」お坊様はおっしゃいました。「その娘は正気を取り戻しつつある。父上が最期に娘を取り戻してくださったわ!」「ぬかせ!糞坊主が!」わたくしの口が言います。「この娘は我のものだ!鬼の血を持つ、れっきとした鬼じゃ!」「人は鬼にはなれん!鬼になった気がするだけの事じゃ!人は人、それより上は無く下は無い!」お坊様はそうおっしゃいますと、新たにお念仏を唱えられました。お念仏でわたくしの頭が...怪談青井の井戸37
坊主は錫杖に数珠を打ち付けるのをやめました。「ほほう、敵わぬと悟ったか!さっさと立ち去れい!今ならその命、放っておいてやろうぞ」わたくしの口は言い、笑います。坊主は数珠を袂にしまい、錫杖を地面から抜き取りました。わたくしは燃え盛る屋敷を見ておりました。すると、黒い人形がぞろぞろと出てまいりました。何か薄汚いものを引きずっています。父でございました。煤で顔やからだを黒く染め、着ている物も乱れ破れており、所々から小さく炎が上がっております。ぐったりはしておりますが、頭を無意味の左右に振っていますので、意識はあるようでございます。人形に引きずられながら、父がわたくしの横を過ぎて行きます。父がふと顔を上げ、わたくしを見ます。目が合いました。「……きくの……」絶え絶えの息の中で父がわたくしの名を呼びます。「青井は鬼ではな...怪談青井の井戸36
数珠が錫杖に打ち付けられる音が頭に響きました。不快感が増して、目が開けていられないほどの痛みが頭に渦巻きました、また、胃の腑が締め付けられるように痛くなってまいりました。あまりの気持ち悪さに、わたくしは吐きました。吐き出すと言うよりは、口から流れ出し、顎を伝って庭に落ちいて行くというものでございました。それは井戸から這い出てきた人形を作る汚泥のような黒い塊でございました。それが次々と口から流れ出します。わたくしは息が継げず、苦しさに涙が溢れてまいりました。坊主はわたくしの様子を見てとると、数珠を打ち続けながら、聞いた事もない念仏を唱え始めました。「やめい!やめい!」わたくしの口が叫びます。「やめぬと喉を掻っ切るぞ!」わたくしの両手の爪がいきなり指の長さ程に伸び、先の尖ったものとなりました。そして、両手を坊主に向...怪談青井の井戸35
むかしむかし、ある村に、何をされても怒らない、五助と言う若い衆がいました。馬鹿にされても、殴られても、いつもへらへらしていたのでした。五助は元々が村の者ではありません。どこからともなくふらりとやって来て、いつの間にか住みついたのでした。だからなのか、五助にされる仕打ちについては、年寄りたちもうるさく言わなかったのです。閉鎖的な田舎の村、しかも、他所者。村八分とまでは行かなかったものの、それに近い扱いを五助は受けていたのでした。気の毒に思った村の娘のおちえが五助に訊きました。本当は、気の毒に思っただけではないのですけどね。「のう、五助。何で怒らんのじゃ?おなごのわしでも腹が立つぞえ」「ははは、こんな程度では腹の皮一枚も立たぬわさ」「どつかれて、痛くはないのかえ?」「あんななまくら、ちっとも効かんわ」「……ほんに、...ブラックメルヒェンその26「怒らぬ五助」
母を見た時の父の顔と言ったら!黒い人形どもに向かって虚しく刀を振り回していた父が、無様に狼狽し、刀を取り落としてしまいました。「奥!」父は井戸から這い上がろうとしている母に向かって声を張ります。しかし、その声は裏返り、さながら女の悲鳴でございました。「旦那様……」母はすっかり井戸から這い上がりました。右の腕があらぬ方向に曲がっております。井戸に落ちた際に骨をぶつけて曲がってしまったのでございましょう。脚も引きずりながら、父の方へと進んでいます。右半分の欠けた顔に残った左の眼はじっと父を見つめております。「旦那様……何故わたくしを井戸に落とされたのでございます……」次第に母の声が低くなっていきます。左目にちらちらと鬼火が燃えてきます。「待て!悪かった!」父は母を制するように右手を伸ばして広げます。その手は震えてい...怪談青井の井戸34
Ⅰ「知ってるかい?流れ星が消えるまでに、三回お願いごとを繰り返すと叶うって話」「ええ、知っているわ」「今夜はここで流星群が見られるから、お願いしまくりだね」「そうね。楽しみだわ」「……あっ、始まったみたいだよ」「……ああっ!ダメだわ……」「どうしたんだい?」「どれにお願いすれば良いのか、決めているうちに流れて行っちゃうの……」「そうなんだ……」「それに降ってくる速度が速くって、三回のお願いなんて間に合わないわ……」「そうなんだ……」「どうしよう……お願いが叶わないかも……」「どんな願いなんだい?教えてくれるかい?」「あのね、わたしはあなたが好き。だから、あなたもわたしが好きになってくれるようにって……」「ははは……」「笑わないでよ!」「ごめん、ごめん……でも、それはどうかなぁ?叶うかなぁ?」「えっ!どう言う事…...カップルの会話三題
父は手にした刀の切っ先を井戸へと向けました。井戸からの声が次第に大きくなってまいります。何かが這い登って来ているようでございます。「ははは……聞こえるか?」わたくしの口は笑います。「骸の鬼どもが、青井の家の者に挨拶がしたくて、這い上がって来ておるのだ」「何を申すか!」父は切っ先をわたくしに向けます。切っ先は震えています。性根の座らぬ父をわたくしの声は笑いました。「何が可笑しいか!青井の家は、その初めより、殿を、そして、お家を、陰ながらお守りするを生業としてきた家柄じゃ!骸となったは、その者たちの不忠な故であろう!」「青井が斬った者たちには、殿を諌める者、殿に正道を解く者も多く有った」わたくしの口が言います。「殿はそれが嫌いでな、それで青井に斬らせておったのだ。青井が斬ったのは、むしろ忠孝の者たちよ!」「たわけた...怪談青井の井戸33
井戸の大石が跳ねあがらんばかりに動き出しました。それを見た父は井戸に駈け寄り、庭に刀を突き立てると、からだ全体を覆い被せて石を押さえ付けました。ではございましたが、石の動きは止まず、押さえ付けていた父を跳ね飛ばしました。父は庭に無様に転がされました。わたくしはその様に笑い声を上げておりました。父は立ち上がり、再び石を押さえます。歯を剥きだしに食いしばり、こめかみに青筋を立てた必死の形相でございました。鬼になれぬ父が、石を押さえつけるなど出来ようはずがございませぬ。父は再び無様に庭に転がりました。「きくの!」父の矛先はわたくしに向きました。血走った眼、わなわなと震える唇、こめかみの青筋もひくついています。突き立てた刀を抜き取りました。「そこに直れい!」「ははは……直ってどうするのじゃ?」わたくしの口はわたくしの声...怪談青井の井戸32
父は抜身の刀を持って庭へ通りました。切っ先をわたくしに向けております。「ははは……自分の娘を怖れて刃を向けるとは、腰抜けの極みよ!」わたしの口は言い放ちます。わたくしの言葉に父は震えています。怒りと恐怖が綯い交ぜ(ないまぜ)になっているのでございましょう。「何が鬼だ!きくの!いい加減にいたさぬか!」父は声を荒げ、刀を構え直しました。わたくしの眼にはその様は滑稽以外の何者とも映りませぬ。「威勢だけは良いようじゃ。だが、鬼にもなれぬ腰抜けが娘を斬ることなど出来まいが!」わたくしの口はそう言い、嘲りの笑い声を立てました。と、古井戸の乗っている大石ががたがたと音を立て、左右に揺れ出しました。母とばあやはそれを見て悲鳴を上げました。「ははは……今までに青井に手で骸になった者どもが、鬼となって出たがっておるのじゃ!青井の血...怪談青井の井戸31
「きくの!」名を呼ばれました。声の方を見ますと、目を大きく見開いた父が立っておりました。しばらくぶりに見た父はますます老いぼれておりました。もはや父は鬼とはかけ離れた姿でございました。青井の血を持つ者としては情けのうございました。と共に、滑稽さに笑いが込み上げて参りました。「ははは、お父様、何をそのようの慌てふためいているのです?」「きくの!」父は再びわたくしの名を呼びます。当人は威厳を込めたつもりかもしれませぬが、わたくしには老いぼれの空威張りにもすらも見えませぬ。「名を呼ぶだけであれば、一度でよろしいのではございませぬか?」「……お前、乱心したのか!」父は苦渋の表情でわたくしの足元を指差します。「その白装束は、今宵の為ぞ!何と言う事をしてくれたのだ!」「ほほほ……」わたくしは笑いながら、さらに白装束を踏み付...怪談青井の井戸30
その日以降、わたくしは自分の部屋で食事をいたしておりました。これはわたくし自らが父母に言ったのでございます。青井の家の者でありながら、鬼となる覚悟の無き者たちと共になど過ごしたくはございませぬ。わたくしは、夕餉のみを持ってくるようにと、ばあやに言い付けました。最早ばあやは何も言いませぬ。父も母も同様でございました。わたくしはしんとした部屋で、時折鳴る雨戸を叩く音を聞いておりました。聞こえる度に下腹部に広がる甘い疼きに恍惚としておりました。そんな或る日でございます。「……お嬢様……」障子戸の向こうからばあやの声が致しました。わたくしは返事を返しませぬ。「今宵、亡き殿に殉ずる段と相成りましてございます……こちらにお召しになる白装束をお持ちいたしました」ことりと廊下に衣装盆を置く音がし、ばあやが去って行く衣擦れの音が...怪談青井の井戸29
それからまた幾日かが過ぎました。屋敷内はひっそりとしております。いずれは自らの命を絶つとの決心をしております故、食事も至って質素なものとなっておりました。父も母もばあやも黙して箸を動かしています。わたくしは家の者のその様な様を面白く見ておりました。悲壮感を漂わせながらも食事を摂ると言うのが滑稽でございました。父など、明らかに足らずにお替りをしたそうに空になった茶碗を覗いておりましたし、母は食事の後に食べていた菓子を思い出して溜め息をついておりました。父も母も所詮は鬼に成れぬ人でございました。わたくしは父や母とは真逆にほとんど食事には箸を付けませぬ。「お嬢様……」ばあやが心配そうにわたくしの顔を見ます。わたくしは知らぬ顔をいたします。「もう少し、お召し上がりになりませんと……」わたくしは抑えていた笑いが噴き出して...怪談青井の井戸28
太鼓の音がどんどんと響いている。……ああ、秋祭りの準備だね。瀧江は衣替えの手を止める。こんな山奥の寒村で秋祭りなんて……もう人も減ってしまったし、残っているのは年寄りばかり。あの太鼓も隣町の若い衆に金を払って叩いてもらっていると聞いた。そこまでして祭りをやらねばならないのかねぇ……瀧江は溜め息をつく。瀧江はこの村で生まれ、この村で育った。村の幼馴染の嘉吉と所帯を持ち、授かった長男と長女は村を出て都会でそれぞれ所帯を持ち、嘉吉はもう十年ほど前に先立った。その際に、長男夫婦が一緒に暮らそうと言ってくれたが、今さら他所には住めないと断った。それ以降、長男夫婦と長女夫婦とが、お盆の頃に顔を見せるだけとなった。冬は雪深いので訪れるのが難儀になるからと、瀧江の方から言い出したのだ。瀧江は衣替えの手を動かし始めた。今している...衣替え
亡き殿に殉ずる……一聴、美談とも聴こえましょうが、もはや打つ手無しな父の最後の手なでございましょう。わたくしも、どちらからも引き取りが無い身の上であれば、父の仰せに従うは致し方の無き事と存じます。ただ、目覚めた鬼の血を残せぬ事が何とも口惜しゅうものと、最期を前にもどかしゅう思えたのでございます。父が部屋を出て行かれ、一人座っておりますと、松澤様の清江様のお部屋で春画を見た時の、あの下腹部の不思議な感触が、熱く、それでいて甘い疼きが、蘇ってまいりました。近々、自害をいたさねばならぬとの思いが、そうさせているようでございます。白装束で身を包み、懐剣で喉を突く事になるのでございましょうや。喉からは血が流れ、白装束を赤く染めるのでございましょうや。裾が乱れぬようにと脚を縛り、そのまま前倒しになって果てるのでございましょ...怪談青井の井戸27
わたくしは敢えて父のお姿を見つめておりました。父には既に威厳も貫録もございませぬ。一介の老人でございました。すべてを失のうた者の行く末とは斯くやとわたくしに思わせました。痛ましいと思うより、滑稽でございました。わたくしは内心から湧き出す父への侮蔑と、惨めな老人を目の前にしたとの愉快さとに、危うく口元が綻びかけるのを顔を伏せる事で隠しました。父はわたくしの前にお座りになられました。「きくの……」悲痛なお声で父が話し掛けていらっしゃいました。「……お父様、お話とは何でございましょうや?」わたくしは父の部屋を訪れなかった事を詫びも致しませんでした。「うむ……」父はそう言ったきり口を閉ざされました。わたくしの非礼を咎めも致しませぬ。笑いを収めたわたくしは顔を上げ父を見ました。相変わらず悲痛な面持ちをなさっておいででござ...怪談青井の井戸26
殿の葬儀が執り行われました。父は、と申しますか、青井の家は、松幸様より「登城に及ばず」との沙汰をされました。父は葬儀の間中、ご自分の部屋に籠ったきりでございました。その後に、松幸様が跡を正式にお継ぎになられました。松幸様は御勉学がお好きだと伺っております。亡き先代の殿にも色々と進言なさったそうでございますが、取り合ってはもらえなかったと聞きました。故に、ご自身が跡を継がれたを期に、代々のもので今に相応しく無きものと判断なさったものを、悉く捨てて行かれました。それらの中には、由来の分からぬ仕来り、役職、庶民への律などがございました。また、若く才のある者たちを多く登用し、それとは反対に年配の者たちを次々と隠居させて行かれました。旧態を悪と見なし、改革をお勧めになる御心積もりのようでございます。国の機運が若返ってまい...怪談青井の井戸25
父の部屋へまいりますと、障子戸は開け放されており、中の様子が見えております。父が床の間を背にして座し、その前に母が座しておられました。わたくしは作法通りに廊下に坐し、名を告げます。「きくの……」父はわたくしを手招きなさいました。このような父の不躾な態度を初めて見ました。「母の隣に座れ」わたくしは一礼して立ち上がり、母の隣へと進み、座しました。その間、母はわたくしを見ることはございませんでした。わたくしも母を見ようとは致しませんでした。わたくしは居ずまいを正し、父の言葉を待ちました。庭の花や葉を打つ雨の音が聞こえてまいりました。「……殿が身罷られた……」父がおっしゃいました。「先日までは、いつもとお変わりなく過ごしておられたそうだ。……それが明け方、急にお苦しみになられた……」「左様でございましたか……」母がおっ...怪談青井の井戸24
或る日、その日は朝から雲行きが悪く、いつ雨が降って来てもおかしくない空模様でございました。巳の刻(午前九時頃)を回りました頃、お城から、急な御使者が見えました。聞くとも無しに聞いておりますと、何やらお城で大事があったようでございます。御使者がお帰りになった後、父はすぐに支度をし、登城致しました。「何があったのでございましょう……」ばあやが誰に言うでも無く言っていました。母も事情を聞かされてはいらっしゃらぬ様でございます。ただ、父のあの慌て様から尋常な事ではない、とだけは分かりました。父が登城してから、すぐに雨が降ってまいりました。雨はしとしとと降り続きました。夏の頃合いではございましたが、肌寒く、何やら不安な心持となっておりました。夕刻になって、父がお帰りになりました。わたくしと母とばあやとで玄関にお迎え致しま...怪談青井の井戸23
それからの数日は、家の中はかなりぎすぎすしたものでございました。父も母とは話さず、母も父とは話さず、わたくしも父とも母とも話しませんでした。間に立つばあやが気の毒にも思いましたが、わたくしは放っておきました。わたくしは、青井の家などとは大袈裟な事、そう思いました。また、青井の家の生業にも強い嫌悪感を持ちました。ではございますが、このわたくしの中に、青井の血が流れております。あの忌々しき生業を連綿と続けてきた青井の血が、鬼の血が流れているのでございます。これは幾ら抗ごうても消える事がございませぬ。ましてや、婚儀の話もございました。わたくしは鬼を継がせることとなりましょうや。このような忌まわしき血筋など絶えさせるが宜しきことと存じまする。……なれど。たしかに、父に対して口答えをいたしました時は、あの夜の出来事も相ま...怪談青井の井戸22
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