ウォーキング途中の道端に見たことがないような花が咲いていた。Googleレンズで検索してみるとキカラスウリ(黄烏瓜)の花のようである。鮮やかな朱色のカラスウリの実は見たことがあるがキカラスウリの実を見たことがないので注意してみよう。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-キカラスウリ
梅雨の合間で6月の晦日であった昨日、速谷神社において前半年間の過ち穢れを祓う神事が行われ、多くの善男善女が茅の輪を三度くぐって家内安全、無病息災、疫病退散を祈っていた。速谷神社-夏夏越大祓式
大野地区と宮島との間の大野瀬戸に設置されている亀石灯標で上の浜地区護岸からの遠望画像である。大野瀬戸の中央部や北側、また西方には浅礁が広がっているようであり、昭和25年(1950)5月6日に旧亀石灯柱の位置に灯標を設置点燈したようである。亀石灯標
以前に宮浜温泉の駐車場で宮浜温泉3号源泉の掘削準備作業が行われていることを紹介した。それから日にちが随分経過したが昨日所用で訪れてみると駐車場脇に宮浜温泉3号源泉井と思われる囲いがあった。ここから温泉(冷泉)が湧出するのであろうか。宮浜温泉3号源泉
オープン間近であった平良体育館跡に設けられた公園を以前に紹介したが、すでに「平良っ子わいわい広場」として開放されていた。以前にも紹介したがこの地には平良村役場、平良小学校講堂・体育館(平良小移転後平良体育館)などがあった地である。平良っ子わいわい広場
山陽自動車道の宮島サービスエリア展望広場の芝生の中にゴルフボールのようなクソナバが生えていた。Googleレンズで検索するとオニフスベのようである。大きく育つようであるが多くの人が通るところでありどのようになるだろうか。オニフスベか?
平良丘陵開発の進捗状況を時折り紹介しているが、梅雨の合間の五庵山東麓にある調整池付近からの遠望画像である。昨日は開発用地の上側からの画像であったが今日は下側西方面からの画像である。以前訪れた時には山林の樹木がみられたが用地内では樹木はほとんどなくなっている。平良丘陵開発の今
平良丘陵開発の進捗状況を時折り紹介しているが、梅雨の合間の宮島サービスエリアからの遠望画像である。これから梅雨も本格化していくものとみられる。下画像のような土砂流出の防止策は施されているのであろうが・・・平良丘陵開発の今
時折紹介している臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋で、下り線側橋脚工事の現在の工事進捗状況である。看板表示には来年4月14日までの工期で海上部上部工工事が行われているようである。広島はつかいち大橋の今
原地区にある「ふれあいライフ原」後方の山中に中電の高圧線鉄塔がみられるが、早朝ウォーキングをしていると朝日に照らされて鉄塔上部が白く光って見え、少し場所を変えてみると通常の鉄塔となるのである。高圧線鉄塔は鉄骨部材を組み合わせた骨組みであるのだが、なぜ面的に光って見えるのだろうか?高圧線鉄塔の不思議
田んぼの水廻りを兼ての早朝ウォーキングで速谷神社を参詣しているが、夏越祓の茅の輪が設置されていた手前に、風鈴まつりの風鈴棚が設置されていた。鈴がかなでる音色は邪気を払うとのことである。速谷神社の風鈴棚
田んぼの水回りを兼ての早朝ウォーキングをしていると藤戸の谷の田んぼにサギがいた。何というサギであろうか?以前にこのようなサギをアオサギと教えて頂いたような気がするが・・・アオサギか?
久しぶりに原方面をウォーキングしていると、原小学校のプール脇で原低区配水池の工事が行われていた。看板表示によると来年3月末までの工事のようで、下画像のような配水タンクが設けられるようである。原低区配水池工事
安来市広瀬町には中世尼子氏の居城月山富田城があり、江戸期、松江藩の支藩であった広瀬藩の陣屋があった所である。半世紀前頃に月山富田城跡や陣屋跡、街並みなどを訪れ八幡焼の窯元があったので記念に求めたものである。抹茶碗で一服②-八幡焼
以前にも紹介したが、佐伯区五日市港の広大な埋め立て地に「かっぱえびせん」のカルビー新広島工場が建築中で8割方工事が終わっているようにみえる。完成後には当市木材港にある広島工場や広島西工場も順次移転され稼働開始となるようである。「かっぱえびせん」のカルビー工場建築中
吉野山にある中電の高圧線鉄塔が場所を変えて建て替えられることを以前に紹介した。現在、藤戸の谷の作業用地から山上の鉄塔までの工事部分の山林が伐採されていた。また資材などを運搬する索道の準備作業が行われているようである。吉野山の高圧線鉄塔
以前紹介した吉野山に生息しているイノシシによって、山裾の畑で被害があったことを聞いていた。当ブログ主の田んぼの近くに以前から捕獲檻が設置されており、一昨日親子のイノシシが捕獲されていた。一昨年は田んぼをイノシシに荒らされたことがあったなぁ・・・ならず者御用だ!
可愛川の西側流域で広電廿日市市役所前駅のロータリと旧国道の間、住宅に囲まれた中にある田んぼが最下流の田んぼである。用水は薬師井手か新宮川から取水しているものとみられる。平良地区最下流域の田んぼ--2
可愛川の東側流域で平良保育所脇に見られる田んぼが最下流の田んぼである。用水は柳庵川から取水しているものとみられる。平良地区最下流域の田んぼ
ウオーキング途中に赤い実がびっしりと付いた植物があった。ヒペリカムと教えて頂き、挿し木するとつきやすいとのことで、枝を分けてもらった。挿し木した枝は大きく育ち、黄色の花が咲いて赤い実となりつつある。ヒペリカム
ウォーキング途中にカヤがあったので、久しぶりにバッタを作ってみた。当ブログの最初はウォーキング途中カヤでバッタを作っていたバッタおじさんから習ったバッタ画像であった。カヤのバッタ
水稲育苗箱で陸稲(左側)と黒米苗(右側)が育っている。陸稲は昨年秋に収穫した籾であり、黒米は昨年陸植した籾で陸植2代目となる予定の黒米苗である。陸植した赤米は育ちが悪く籾が採れなかったのである。遊びの菜園ー陸稲・黒米苗
宮園団地の高い法面下の擁壁から赤褐色の水「赤水」「かなけ水」などと呼ばれる水が湧出している。擁壁下にある田んぼはこの水が使用されており既に田植えがされていた。かなけ水を使用した田んぼと通常の川水を使用した田んぼの米の出来ぐわいが異なるのであろうか。かなけ水の田んぼ
玖島上大町地区のとある谷筋(谷名分からず)を入った所に小さな溜め池があり、その上に張り出した樹木の枝に「モリアオガエル」の産卵の泡である卵塊が数多くみられた。ここの場所では梅雨時期に近いこの頃になると毎年見ることができるのであるが、今年は卵塊の数が少ないようである。モリアオガエルの卵塊
「引き回転定木」引き回転定木は引っ張っていき円板で筋を付け十の字跡を付けていくものである。上画像と中画像は吉和地区でみたもので、下画像は佐伯歴史民俗資料館に展示されているものである。このような民具は吉和地区と佐伯地区で使用されていたようである。田植えに関する民具⑤
「六角枠」六角枠は前に転がして碁盤の目のような跡を付けていくもので、交点に前向きで植えて行くため効率的である。植え筋が縦列と横列が揃った植え方となるのである。田植えに関する民具④
「スジツケ」上画像は前に向かって植え筋を付けていくもので、下画像は引いて植え筋を付けていくものである。隠岐郷土館に展示してあるスジツケ(下画像)には「ババ」と表示してあり、出雲地方では筋を引くことをババヒキと言っているようである。筋の上に前に向かって植えて行くので効率的であるが植え手によって間隔はバラバラとなるのである。田植えに関する民具③
田んぼの水廻りを兼ねた早朝ウォーキングで速谷神社に参詣したら社殿前に茅で作った茅の輪が設置されていた。6月の晦日には酷暑の真夏をひかえ、人々の健康と厄除け無病息災を願う夏越の大祓神事が斎行される。速谷神社「茅の輪」
「三角枠」上画像は親の時代に使用していたもので、4~5人で印の付いた所に植えて手前に回していくものである。植え手のスピードや後すだりのため効率はあまりよくないものであった。下画像の「タウエワク」は廿日市町史通史編に掲載されていたものであるが、三角枠と同じように印の付いた所に植えて手前に回していたもののようである。田植えに関する民具②
当ブログ主の田植は何とか終わったので、過去にみかけた田植えに関する民具を紹介する。原地区で以前にみかけた「マグワ」2基であるが現在は無くなっている。マグワは馬や牛に曳かせて代掻きをする器具で「ホ・コ(爪の部分の呼称)」が木製のものと金属製のものがある。「エブリ」は当ブログ主が使用しているもので代掻きをして田んぼの不陸を均すものである。(中画像-日原民具志)田植えに関する民具①
昨日、田植えの二便が助っ人2(田植え2年生)により当ブログ主は田んぼに入ることなく終了した。四角な田んぼであるが植えた列は湾曲していたが片目をつぶってみておこう。田植え②
当ブログ主の畑に隣接して大きな桑の木がある。昔、養蚕の名残りの桑の木がそのまま大きく育ったものとみられ現在沢山の実を付けている。白い実から赤みが付いて赤黒くなって熟したものは美味しいものである。若い頃、中国トルファン(吐魯番)郊外のヤールフー千仏洞近くで見た桑の実は2cm位の大きな実で白いままで熟しており、美味しかったのを今でも覚えているのである。桑の実
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ウォーキング途中の道端に見たことがないような花が咲いていた。Googleレンズで検索してみるとキカラスウリ(黄烏瓜)の花のようである。鮮やかな朱色のカラスウリの実は見たことがあるがキカラスウリの実を見たことがないので注意してみよう。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-キカラスウリ
ウォーキング途中で見掛ける可愛川に架かる橋梁の進捗状況で、橋桁がすべて架けられていた。これから床版のコンクリート打ちが行われるのであろうか。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
原地区にあるかつての国立療養所原病院は現在社会福祉法人三篠会「ふれあいライフ原」の施設として使用されている。現在老朽化した建物が取り壊されており、何らかの施設建物が建築されるようである。(上画像-国立療養所原病院記念誌より)※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/国立療養所原病院今昔
梅雨の時期なので以前に訪れた岩国市六呂師大藤地区にある梅雨左衛門を紹介しよう。田んぼの脇に巨岩があり岩の隙間に蛇がいるというが、現在農地は荒れており近づくことは出来ない。江戸派の地誌に「田疇ニ大岩高サ四間程也、岩中ニ有一双小蛇、形鳥蛇ノ如ク、頭帯白色、毎年入梅ノ日ヨリ、彼蛇岩ノ穴ヨリ頭ヲ出シ不退、・・・」と記されている。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/梅雨左衛門
梅雨の合間に二重原地区石か小屋にある巨岩の割れ目に栖んでいるという梅雨太郎さんに会いに行ったが姿を見せてくれなかった。江戸期の地誌に「異石-・・・石罅に雙蛇を栖しむ、梅雨の後、去て見まず、此石犯すものは祟ありといふ」と記されている。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/梅雨太郎
廿日市20代目桜島大根(上画像)と廿日市10代目切葉松本地大根(下画像)の現状で、切葉松本地大根は苗の時に虫被害でもうこれまでかと思っていたが何とか育って種が取れそうである。これらから種を採って廿日市21代目桜島大根と廿日市11代目切葉松本地大根を育てるつもりである。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の今
峠地区の最禅寺境内に安置されている浅浮彫合掌仏立像(線刻仏像?)を久しぶりにお参りした。板状の石に浅浮彫りされたもので、衣文線が特徴的である。この合掌仏立像は以前不適切な状態であったものを当寺に移設し安置されたものであると教えてもらったことがある。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/浅浮彫合掌仏立像
玖島地区の大町と平谷集落の中ほどの県道沿いに大きな背石のある石仏が安置されており、刻銘に「安永九年(1780)子十月日」とある。現在は県道沿いであるがこの場所は旧石州往還道(廿日市~匹見・益田方面)があった所であり旅人の安穏を祈念して建立されたものであろう。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の石仏
玖島地区の大町集落のとある谷合(近所の人に聞いたが谷名不明)を登った所に小さな池(沼)がある。その周辺にある樹木の池上部分にモリアオガエルの卵塊がたくさん見られた。今年はまだ卵塊からオタマジャクシが垂れ落ちていなかった。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/モリアオガエルの卵塊
時折り紹介している可愛川に架かる橋梁の進捗状況で、前回紹介した時より橋桁が多く架けられていた。橋台部分を見るともう1本位橋桁が架けられるのであろうか。橋桁上の材料であろうかクレーンで運搬されていた。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
昨日紹介した自室前の田んぼに別のグループのコサギとアオサギかがやってきた。コサギは昨日のものより大きく成鳥のようであった。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/コサギ・アオサギが!
自室前の田んぼに兄弟であろうか2匹のシラサギがやってきて田んぼの中の小動物をたべていた。撮影した画像を見ると小型でありクチバシや足が黒色なのでコサギの幼鳥のようである。時間を空けてからアオサキがやってきた。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/コサギ・アオサギが!
ウォーキング途中にブラシノキの花が咲いていた。オーストラリア原産のようで、カリステモン、ハナマキ、キンポウジュ、ボトルブラッシュともいわれているようである。花はビン洗いのブラシによく似ており和名でブラシノキというようである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-ブラシノキ
広電宮島線沿いの廿日市駅東側にあったレンガ建築の廿日市変電所は平成21年(2009)3月に取り壊され変電所跡は駐車場になっており、変電所脇にあった踏切は廃止されていた。新しい変電所は廿日市駅の上り線ホーム脇に設けられている。(広電廿日市変電所)※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/広電廿日市変電所今昔
所用を兼てのウォーキング途中、壁面に本業敷瓦とみられるものが張ってある民家があったが近寄って見ることは出来なかった。本業敷瓦は日本のタイルの源流で、明治時代に焼き物の産地愛知県瀬戸で焼かれた陶製タイルである。参考画像は当ブログ主が所持しているもので、大きさは24cm×24cm厚さは1.8cmのものと15cm×15cm厚さ1.8cmのものである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/本業敷瓦(タイル)
昨日紹介した地御前漁港には築港時代の石積みの防波堤が残されている。大正5年(1916)頃に南北の新開が築調されそれぞれの地先に石積みの防波堤が築造された。防波堤の先端部は海側にL型に折れ曲がって築造されて堤頂部には繋船石柱が設けられている。(地御前漁港築港についてー広島県の近代化遺産参照)※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/地御前漁港の防波堤
上・中画像は平成8年(1996)頃の地御前漁港で、護岸には多くの雁木(石階段)がみられ漁船から漁獲物の荷揚げがされていたものであろう。現在、地御前漁港は艇置施設(プレジャ-ボート係留施設)となってプレジャ-ボートがびっしりと係留されている。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/地御前漁港今昔
所用をかねてのウォーキング途中、可愛川下流域でアオサギが水中の餌を食んでいた。当方の移動を察知して上流方面に飛んで行った。以前に田んぼの中で餌を食んでいたのを紹介したことがあった。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/アオサギが!
一昨日紹介した搬入されていた橋桁が、昨日の昼過ぎ通りがかりにみると可愛川に架けられていた。何本の橋桁が架けられているのか分からないが、画像をみると手前側にまだ数本の橋桁が架けられるのであろうか。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
安来市広瀬町には中世尼子氏の居城月山富田城があり、江戸期、松江藩の支藩であった広瀬藩の陣屋があった所である。半世紀前頃に月山富田城跡や陣屋跡、街並みなどを訪れ八幡焼の窯元があったので記念に求めたものである。抹茶碗で一服②-八幡焼
以前にも紹介したが、佐伯区五日市港の広大な埋め立て地に「かっぱえびせん」のカルビー新広島工場が建築中で8割方工事が終わっているようにみえる。完成後には当市木材港にある広島工場や広島西工場も順次移転され稼働開始となるようである。「かっぱえびせん」のカルビー工場建築中
吉野山にある中電の高圧線鉄塔が場所を変えて建て替えられることを以前に紹介した。現在、藤戸の谷の作業用地から山上の鉄塔までの工事部分の山林が伐採されていた。また資材などを運搬する索道の準備作業が行われているようである。吉野山の高圧線鉄塔
以前紹介した吉野山に生息しているイノシシによって、山裾の畑で被害があったことを聞いていた。当ブログ主の田んぼの近くに以前から捕獲檻が設置されており、一昨日親子のイノシシが捕獲されていた。一昨年は田んぼをイノシシに荒らされたことがあったなぁ・・・ならず者御用だ!
可愛川の西側流域で広電廿日市市役所前駅のロータリと旧国道の間、住宅に囲まれた中にある田んぼが最下流の田んぼである。用水は薬師井手か新宮川から取水しているものとみられる。平良地区最下流域の田んぼ--2
可愛川の東側流域で平良保育所脇に見られる田んぼが最下流の田んぼである。用水は柳庵川から取水しているものとみられる。平良地区最下流域の田んぼ
ウオーキング途中に赤い実がびっしりと付いた植物があった。ヒペリカムと教えて頂き、挿し木するとつきやすいとのことで、枝を分けてもらった。挿し木した枝は大きく育ち、黄色の花が咲いて赤い実となりつつある。ヒペリカム
ウォーキング途中にカヤがあったので、久しぶりにバッタを作ってみた。当ブログの最初はウォーキング途中カヤでバッタを作っていたバッタおじさんから習ったバッタ画像であった。カヤのバッタ
水稲育苗箱で陸稲(左側)と黒米苗(右側)が育っている。陸稲は昨年秋に収穫した籾であり、黒米は昨年陸植した籾で陸植2代目となる予定の黒米苗である。陸植した赤米は育ちが悪く籾が採れなかったのである。遊びの菜園ー陸稲・黒米苗
宮園団地の高い法面下の擁壁から赤褐色の水「赤水」「かなけ水」などと呼ばれる水が湧出している。擁壁下にある田んぼはこの水が使用されており既に田植えがされていた。かなけ水を使用した田んぼと通常の川水を使用した田んぼの米の出来ぐわいが異なるのであろうか。かなけ水の田んぼ
玖島上大町地区のとある谷筋(谷名分からず)を入った所に小さな溜め池があり、その上に張り出した樹木の枝に「モリアオガエル」の産卵の泡である卵塊が数多くみられた。ここの場所では梅雨時期に近いこの頃になると毎年見ることができるのであるが、今年は卵塊の数が少ないようである。モリアオガエルの卵塊
「引き回転定木」引き回転定木は引っ張っていき円板で筋を付け十の字跡を付けていくものである。上画像と中画像は吉和地区でみたもので、下画像は佐伯歴史民俗資料館に展示されているものである。このような民具は吉和地区と佐伯地区で使用されていたようである。田植えに関する民具⑤
「六角枠」六角枠は前に転がして碁盤の目のような跡を付けていくもので、交点に前向きで植えて行くため効率的である。植え筋が縦列と横列が揃った植え方となるのである。田植えに関する民具④
「スジツケ」上画像は前に向かって植え筋を付けていくもので、下画像は引いて植え筋を付けていくものである。隠岐郷土館に展示してあるスジツケ(下画像)には「ババ」と表示してあり、出雲地方では筋を引くことをババヒキと言っているようである。筋の上に前に向かって植えて行くので効率的であるが植え手によって間隔はバラバラとなるのである。田植えに関する民具③
田んぼの水廻りを兼ねた早朝ウォーキングで速谷神社に参詣したら社殿前に茅で作った茅の輪が設置されていた。6月の晦日には酷暑の真夏をひかえ、人々の健康と厄除け無病息災を願う夏越の大祓神事が斎行される。速谷神社「茅の輪」
「三角枠」上画像は親の時代に使用していたもので、4~5人で印の付いた所に植えて手前に回していくものである。植え手のスピードや後すだりのため効率はあまりよくないものであった。下画像の「タウエワク」は廿日市町史通史編に掲載されていたものであるが、三角枠と同じように印の付いた所に植えて手前に回していたもののようである。田植えに関する民具②
当ブログ主の田植は何とか終わったので、過去にみかけた田植えに関する民具を紹介する。原地区で以前にみかけた「マグワ」2基であるが現在は無くなっている。マグワは馬や牛に曳かせて代掻きをする器具で「ホ・コ(爪の部分の呼称)」が木製のものと金属製のものがある。「エブリ」は当ブログ主が使用しているもので代掻きをして田んぼの不陸を均すものである。(中画像-日原民具志)田植えに関する民具①
昨日、田植えの二便が助っ人2(田植え2年生)により当ブログ主は田んぼに入ることなく終了した。四角な田んぼであるが植えた列は湾曲していたが片目をつぶってみておこう。田植え②
当ブログ主の畑に隣接して大きな桑の木がある。昔、養蚕の名残りの桑の木がそのまま大きく育ったものとみられ現在沢山の実を付けている。白い実から赤みが付いて赤黒くなって熟したものは美味しいものである。若い頃、中国トルファン(吐魯番)郊外のヤールフー千仏洞近くで見た桑の実は2cm位の大きな実で白いままで熟しており、美味しかったのを今でも覚えているのである。桑の実
昨日紹介した廿日市19代目桜島大根(上画像)と廿日市9代目切葉松本地大根(下画像)の種を昨日採取した。以前に近接して植えていたことがあったので切葉松本地大根は桜島大根と交配したものとみられ同じような形状の大根となっているのである。遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の今