時折り紹介している市道堂垣内広池山線工事の可愛川に架かる架橋工事の進捗状況で、昨日ウォーキングをしていると現場に鉄骨の橋桁が搬入されていた。もうすぐ架橋の工事が行われるものとみられる。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
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時折り紹介している市道堂垣内広池山線工事の可愛川に架かる架橋工事の進捗状況で、昨日ウォーキングをしていると現場に鉄骨の橋桁が搬入されていた。もうすぐ架橋の工事が行われるものとみられる。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
久しぶりに通ったウォーキング途中の畑の一部に麦を植えておられた。穂が熟しているようなのでぼちぼち刈り取りを迎える時期ではなかろうか。穂先をみると小麦のようである。この地域で麦畑を見ることは殆どないが、出雲平野では広大な麦畑があちらこちらでみられたことを思い出したのである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/麦秋
昔、親の時代に減反政策で梅の木を植えた所がジャングル状態になっていたので昨日草刈りをした。自然に生えたものか定かでないが大きな桑の木かあり沢山の実が付いていた。もう少しすると熟しておいして実になるものとみられる。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/桑の実
時折り紹介している市道堂垣内広池山線工事の可愛川に架かる架橋工事の進捗状況で、昨日ウォーキングをしていると現場に鉄骨の橋桁が搬入されていた。もうすぐ架橋の工事が行われるものとみられる。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
久しぶりに通ったウォーキング途中の畑の一部に麦を植えておられた。穂が熟しているようなのでぼちぼち刈り取りを迎える時期ではなかろうか。穂先をみると小麦のようである。この地域で麦畑を見ることは殆どないが、出雲平野では広大な麦畑があちらこちらでみられたことを思い出したのである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/麦秋
昔、親の時代に減反政策で梅の木を植えた所がジャングル状態になっていたので昨日草刈りをした。自然に生えたものか定かでないが大きな桑の木かあり沢山の実が付いていた。もう少しすると熟しておいして実になるものとみられる。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/桑の実
令和6年3月に竣工した南棟上層階の外周に配置されている病室は中画像のように凹凸のある変わった平面とされている。屋上にはヘリポートが設置されており、ドクターヘリ、防災ヘリ、自衛隊ヘリなどの受入ができるようである。駐車場にいるときにドクターヘリが患者さんを緊急搬送されてきた。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/JA広島総合病院②
JA広島総合病院の全景で左側の南棟は令和6年3月に竣工したようで、当病院の前身は昭和22年(1947)12月23日に農業会佐伯病院として開設されたようである。当ブログ主が小学高学年の時に鼻茸治療のために下画像の佐伯病院に通っていたことを思い出した。(下画像-ふるさとの写真集より)※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/JA広島総合病院
広電宮島線のJA広島病院前駅は平成10年(1998)9月1日に開業された請願駅で、宮内駅-地御前駅間にある広島総合病院前に新規開設された駅である。朝の6時・7時台には当駅始発の7便の折り返し便がある。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/JA広島病院前駅
時折り紹介している市道堂垣内広池山線工事の可愛川に架かる架橋工事の進捗状況で、昨日大きなクレーン車が2台止まっていたが架橋工事は行われていなかった。もうすぐ架橋の工事が行われるものとみられる。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
今年は色々と事情があって通年より10日以上も早く終わることが出来た。広大な田園地帯のような田んぼではなく箱庭みたいな田んぼで、助っ人を得て4条植えの田植え機で植え付けた。親の時代には下画像のような三角枠で印の所に数人の早苗(?)が植付て、手前に回転させ後すだりをして植えていた。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/田植え
ウォーキング途中、道路脇から河川に向かって繁茂しているウツギの小さな白い花がびっしりと咲いていた。ウツギの茎は小竹のように中空であり子供の頃に笛を作っていたことを思い出して作ってみたがうまく鳴らなかった。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-ウツギ
ウォーキング途中、歩道脇にある側溝のコンクリート隙間に大きな株を張り小さなピンクの花びらをつけた花があった。Googleレンズで検索するとユウゲショウのようで、原産地は南米から北米南部、帰化植物のようである。どこからか種が飛んできてコンクリートのわずかの隙間に入り込んで成長したようである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-ユウゲショウ
菩提寺の総会で久しぶりに参詣した。本堂前には石造の天水桶が設置されているが刻銘には露盤とある。この天水桶は大正3年(1914)にこの地からハワイのカウアイ(加哇)島のケカハ、ワイノヤ。リフエ、キャリー、マカウエ、ハナベ、カバア、キャリヤなどに移民した人々の寄進によるものである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/西連寺の天水桶
ウォーキング途中、里山の山裾に数輪のササユリが咲いていた。山裾にはまだ咲いていない蕾も各所にみられもうすく咲くものとみられる。里山に人の手が入らなくなってササユリも減少しているようであるが、ここの山裾は毎年手を入れておられるので保たれているのである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-ササユリ
宮島サービスエリアからみた一昨日の平良丘陵開発の現状で、上画像は展望できる東側部分で尾根筋が掘削されて低くなっている。下画像は西側部分で谷筋が埋め立てられて広大な平地となっている。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/平良丘陵開発の今
ウォーキング途中で見かけたことがないような鮮やかな花をみかけた。Googleレンズで検索してみるとカルミア・オスボレットようである。北米やキューバに分布するツツジ科の常緑低木のようで、紅色の濃い蕾がびっしりと付いており開いた花は桃色であった。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-カルミア・オスボレット
かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港周辺には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。呉要塞第三区地帯標石は岩根砲台から2250間(4095m)の第三区地帯の区域標石である。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/近代戦争制限区域標石-呉要塞第三区地帯標石
かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港付近には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。呉要塞地帯区域標石は要塞地帯法に基づいた陸軍・海軍連帯告示によるもので、宮島の紅葉谷道、大元谷道や岩船岳に向かう尾根筋など7ケ所にみられる。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。ttps://ameblo.jp/n3491/近代戦争制限区域標石-呉要塞地帯区域標石
かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港周辺には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。呉要塞地区域は明治36年(1903)5月1日に陸軍・海軍省連帯告示で広島湾要塞区域と改称されており、大野地区高見川上流の地蔵橋脇に広島湾要塞第三地帯標石がある。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp...近代戦争制限区域標石-広島湾要塞第三地帯標石
かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港周辺には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。宮島の腰細浦にある軍港第二(三)区標石は呉鎮守府とあり呉軍港境域の標石である。呉港部分が一区でその他の部分が二区とされたが後に呉港部分に一区、二区が設定されその他が三区とされ、刻字がバランス良くない三となっているのである。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。近代戦争制限区域標石-軍港第二(三)区標石
野貝原山の第53号第54号かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港周辺には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。陸軍輸送港域は2区に分けられており、昨日紹介した第一区は防御営造物から250間(455m)、第二区は750間(1365m)に設定された。廿日市市域では第二区標石が極楽寺・野貝原山系など赤丸ケ所に残されていたが、野貝原山の第53号は造成のため消滅した。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。近代戦争制限区域標石-陸軍輸送港域第二区標石
かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港周辺には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。陸軍輸送港域は2区に分けられており、旧廿日市市と旧大野町境の標高108.2mの三角点ケ所に画像の陸軍輸送港域第一区標石があったがふじタウン造成のため所在不明である。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。近代戦争制限区域標石-陸軍輸送港域第一区標石
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時折り紹介している市道堂垣内広池山線工事の可愛川に架かる架橋工事の進捗状況で、昨日ウォーキングをしていると現場に鉄骨の橋桁が搬入されていた。もうすぐ架橋の工事が行われるものとみられる。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
久しぶりに通ったウォーキング途中の畑の一部に麦を植えておられた。穂が熟しているようなのでぼちぼち刈り取りを迎える時期ではなかろうか。穂先をみると小麦のようである。この地域で麦畑を見ることは殆どないが、出雲平野では広大な麦畑があちらこちらでみられたことを思い出したのである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/麦秋
昔、親の時代に減反政策で梅の木を植えた所がジャングル状態になっていたので昨日草刈りをした。自然に生えたものか定かでないが大きな桑の木かあり沢山の実が付いていた。もう少しすると熟しておいして実になるものとみられる。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/桑の実
令和6年3月に竣工した南棟上層階の外周に配置されている病室は中画像のように凹凸のある変わった平面とされている。屋上にはヘリポートが設置されており、ドクターヘリ、防災ヘリ、自衛隊ヘリなどの受入ができるようである。駐車場にいるときにドクターヘリが患者さんを緊急搬送されてきた。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/JA広島総合病院②
JA広島総合病院の全景で左側の南棟は令和6年3月に竣工したようで、当病院の前身は昭和22年(1947)12月23日に農業会佐伯病院として開設されたようである。当ブログ主が小学高学年の時に鼻茸治療のために下画像の佐伯病院に通っていたことを思い出した。(下画像-ふるさとの写真集より)※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/JA広島総合病院
広電宮島線のJA広島病院前駅は平成10年(1998)9月1日に開業された請願駅で、宮内駅-地御前駅間にある広島総合病院前に新規開設された駅である。朝の6時・7時台には当駅始発の7便の折り返し便がある。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/JA広島病院前駅
時折り紹介している市道堂垣内広池山線工事の可愛川に架かる架橋工事の進捗状況で、昨日大きなクレーン車が2台止まっていたが架橋工事は行われていなかった。もうすぐ架橋の工事が行われるものとみられる。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
今年は色々と事情があって通年より10日以上も早く終わることが出来た。広大な田園地帯のような田んぼではなく箱庭みたいな田んぼで、助っ人を得て4条植えの田植え機で植え付けた。親の時代には下画像のような三角枠で印の所に数人の早苗(?)が植付て、手前に回転させ後すだりをして植えていた。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/田植え
ウォーキング途中、道路脇から河川に向かって繁茂しているウツギの小さな白い花がびっしりと咲いていた。ウツギの茎は小竹のように中空であり子供の頃に笛を作っていたことを思い出して作ってみたがうまく鳴らなかった。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-ウツギ
ウォーキング途中、歩道脇にある側溝のコンクリート隙間に大きな株を張り小さなピンクの花びらをつけた花があった。Googleレンズで検索するとユウゲショウのようで、原産地は南米から北米南部、帰化植物のようである。どこからか種が飛んできてコンクリートのわずかの隙間に入り込んで成長したようである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-ユウゲショウ
菩提寺の総会で久しぶりに参詣した。本堂前には石造の天水桶が設置されているが刻銘には露盤とある。この天水桶は大正3年(1914)にこの地からハワイのカウアイ(加哇)島のケカハ、ワイノヤ。リフエ、キャリー、マカウエ、ハナベ、カバア、キャリヤなどに移民した人々の寄進によるものである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/西連寺の天水桶
ウォーキング途中、里山の山裾に数輪のササユリが咲いていた。山裾にはまだ咲いていない蕾も各所にみられもうすく咲くものとみられる。里山に人の手が入らなくなってササユリも減少しているようであるが、ここの山裾は毎年手を入れておられるので保たれているのである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-ササユリ
宮島サービスエリアからみた一昨日の平良丘陵開発の現状で、上画像は展望できる東側部分で尾根筋が掘削されて低くなっている。下画像は西側部分で谷筋が埋め立てられて広大な平地となっている。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/平良丘陵開発の今
ウォーキング途中で見かけたことがないような鮮やかな花をみかけた。Googleレンズで検索してみるとカルミア・オスボレットようである。北米やキューバに分布するツツジ科の常緑低木のようで、紅色の濃い蕾がびっしりと付いており開いた花は桃色であった。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-カルミア・オスボレット
かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港周辺には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。呉要塞第三区地帯標石は岩根砲台から2250間(4095m)の第三区地帯の区域標石である。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/近代戦争制限区域標石-呉要塞第三区地帯標石
かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港付近には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。呉要塞地帯区域標石は要塞地帯法に基づいた陸軍・海軍連帯告示によるもので、宮島の紅葉谷道、大元谷道や岩船岳に向かう尾根筋など7ケ所にみられる。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。ttps://ameblo.jp/n3491/近代戦争制限区域標石-呉要塞地帯区域標石
かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港周辺には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。呉要塞地区域は明治36年(1903)5月1日に陸軍・海軍省連帯告示で広島湾要塞区域と改称されており、大野地区高見川上流の地蔵橋脇に広島湾要塞第三地帯標石がある。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp...近代戦争制限区域標石-広島湾要塞第三地帯標石
かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港周辺には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。宮島の腰細浦にある軍港第二(三)区標石は呉鎮守府とあり呉軍港境域の標石である。呉港部分が一区でその他の部分が二区とされたが後に呉港部分に一区、二区が設定されその他が三区とされ、刻字がバランス良くない三となっているのである。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。近代戦争制限区域標石-軍港第二(三)区標石
野貝原山の第53号第54号かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港周辺には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。陸軍輸送港域は2区に分けられており、昨日紹介した第一区は防御営造物から250間(455m)、第二区は750間(1365m)に設定された。廿日市市域では第二区標石が極楽寺・野貝原山系など赤丸ケ所に残されていたが、野貝原山の第53号は造成のため消滅した。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。近代戦争制限区域標石-陸軍輸送港域第二区標石
かつて軍都であった広島市・呉市及び広島港・呉港周辺には色々な制限区域が設けられて、この区域内では色々な規制や制限が定められて産業や住民生活に大きな制約を受けていた。陸軍輸送港域は2区に分けられており、旧廿日市市と旧大野町境の標高108.2mの三角点ケ所に画像の陸軍輸送港域第一区標石があったがふじタウン造成のため所在不明である。※これらの標石詳細は『近代戦争制限区域標石について(上)』(広島県文化財ニュース第168号平成13年3月広島県文化財協会)、『近代戦争制限区域標石について(下)』(広島県文化財ニュース第170号平成13年8月広島県文化財協会)参照。近代戦争制限区域標石-陸軍輸送港域第一区標石
上平良地区の吉野山にある中電の廿日市八幡線高圧線鉄塔(上画像赤丸ケ所)が同じ山上で少し位置を変えて建替えられるようである。藤戸の谷の田んぼでは作業をするための用地が整備されていた。吉野山の高圧線鉄塔
市道堂垣内広池山線で可愛川に架かる橋脚工事の進捗状況を時折り紹介しているが、東側の工事はほぼ終わっているようである。周辺整備がもう少し残っているのだろうか。今年度は西側の橋脚工事が行われるのであろう。市道堂垣内広池山線工事の今
昨日、田植えの一便が助っ人により当ブログ主は田んぼに入ることなく終了した。平野地で圃場整備された四角な田んぼであれば苦労は少ないが、いびつな箱庭のような段々田では何かと大変である。田植え
早朝、田んぼの水廻りを兼ねた夏場のウォーキングコースとなり速谷神社に参詣した。現在、楼門や神門、社殿に防護覆いがしてあり修復工事が行われているようである。速谷神社社殿の修復工事
一昨日の中国新聞に広電宮島線でかつての廿日市駅舎前にある山田漬物店が閉店されることが大きく掲載されていた。以前にも紹介したが、昭和18年(1943)にマキノバスが広島電鉄に買収統合されて廿日市営業所となった。当ブログ主が小学生の頃、漬物店の所に営業所と待合所があったのを記憶している。昭和29年(1954)に国道2号線沿い(メガネ21ケ所)に移転しており、昭和42年(1967)に廃止となっている。(下画像-ふるさとの写真集)広電廿日市営業所跡
知り合いの畑にみたことが無いような植物があり名前を教えて貰ったが覚えることは出来なかった。画像を撮ってGoogleレンズで検索するとキク科に属するアザミの仲間の多年生宿根草本のアーティチョークのようであった。蕾を貰ったがどのようにして食べるのか分からずネットで調理方法を調べてみたが、御飯に味噌汁人間には・・・アーティチョーク
臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側の橋脚工事で現在何かの工事が行われていると先日紹介した。後日訪れてみると周辺部に看板表示がしてあつた。来年4月14日までの工期で海上部上部工工事が行われているようである。海上部上部工とあるが橋が完成するまでが含まれているのであろうか。広島はつかいち大橋の今
先日来、諏訪大社を参詣したことを紹介したが、諏訪大社上社前宮と下社秋宮で鋳造鳥居を撮影することが出来た。上社前宮の鳥居は鋳造銘文によると大正10年(1921)年に鋳造建立されたようであり、下社秋宮の鳥居は刻銘分によると文化12年(1815)に鋳造建立されたようである。鋳造鳥居二基
さくらのおか公園や周辺の法面に鮮やかな黄色の花が咲いており何の花かと思っていたが、なんと特定外来生物に指定されたオオキンケイギクとのことであった。この花は日本の生態系に重大な影響をおよぼすおそれがある植物ということで栽培、運搬、販売、野外に放つことなどが禁止されているようである。臨港道路廿日市草津線の分離帯でもオオキンケイギクの群生がみられた。特定外来生物オオキンケイギクが!
アルプス公園内に設けられている山と自然博物館の5階展望室からは北アルプス連峰や松本平、安曇野平など360度が一望できた。生憎の曇天で美しい北アルプス連峰の画像は撮れず画像のような状態であった。アルプス公園からの遠望
今年の3月に訪れてから再度の探訪となった。城内見物は数珠繋ぎ状態であったが、前回の時よりは少な目であった。前回は時間の関係で赤い埋橋方面に行くことが出来なかったが赤い折れ曲がった埋橋と天守閣画像が撮れた。松本城は国宝の天守閣5城の一つであり、現存の天守閣12城の一つでもある。国宝松本城天守閣探訪
松本城下町に祀られている深志神社を参詣した。当神社は中世にこの地の領主により先日来紹介している諏訪大社の分霊を宮村宮としてこの地に祀り、北野天満宮の分霊が他所に祀られていた。後に天満宮を宮村宮の傍に遷し宮村両社とされていたのを深志神社と改称されたようである。ここの宮司さんは何と当市佐方にお住まいであったようで、遥か昔に当ブログ主は父上様と姉上様に別々の場所でお逢いしたことがあったのである。深志神社
信濃国一ノ宮である諏訪大社は諏訪湖の周辺4ケ所に祀られている神社で、下社春宮は旧中山道脇に祀られている。社殿配置は秋宮とほぼ同じようであり中央に神楽殿があり、後方に弊拝殿と左右片拝殿と東西御宝殿が配置されている。現在車道となっている参道中央に下馬橋(太鼓橋)があったが、マイクロバス移動だったので撮影できなかった。これで諏訪大社の上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮を参詣することが出来た。諏訪大社参詣-下社春宮
信濃国一ノ宮である諏訪大社は諏訪湖の周辺4ケ所に祀られている神社で、下社秋宮は旧中山道と甲州街道が交わる地に祀られている。温泉地であり手水に温泉(御神湯)が使われている。社殿の周囲には7年に一度の大祭である御柱大祭の4本の御柱が立てられている。諏訪大社参詣-下社秋宮
信濃国一ノ宮である諏訪大社は諏訪湖の周辺4ケ所に祀られている神社で、前宮は本宮より少し離れた場所に祀られている。諏訪信仰の発祥の地だったが、室町中期に本宮の地に神殿が移転したようである。本殿は神明造りで伊勢神宮の用材で建てられたようである。諏訪大社参詣-上社前宮
信濃国一ノ宮である諏訪大社は諏訪湖の周辺4ケ所に祀られている神社で、上社本宮は弊拝殿の左右に片拝殿が並んでいる諏訪造りという社殿配置のようである。四脚門は徳川家康が寄進した門のようである。7年に一度の大祭である御柱大祭の一ノ御柱のみしか撮影できなかった。諏訪大社参詣-上社本宮
下関市豊田町殿居に祀られている厳島神社で、江戸期の防長寺社由来によると芸州佐伯郡宮島勧請とあり、文安5年(1448)に願主佐伯盛安によって再造立されたようである。江戸期、長州藩一門家老である吉敷毛利家の5代当主毛利広包が社殿を再建している。各地の厳島神社㉚-殿居の厳島神社
昨日は某研修旅行で名古屋から木曽路、諏訪地方にきた。諏訪大社など参詣して諏訪湖畔のホテルに宿泊した。慣れないタブレットから送信。信州探訪
臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側の橋脚工事で海中部分の工事は去年位に終わっていた。現在何かの工事が行われているようであり、上部橋梁工事に向けての準備工事が行われているのであろうか。広島はつかいち大橋の今
半世紀前頃に訪れた地にあった窯元で記念に求めたものである。安来市伯太町母里には江戸期、松江藩の支藩であった母里藩の陣屋があった所で、陣屋跡や街並み、母里焼の窯元など探訪し求めたものである。ノコギリの刃のようにギザギザの町並みがあったのを現在でも覚えている。現在、求めた母里焼窯元は廃窯となっているようである。抹茶碗で一服①-母里焼