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  • 広電宮島口駅整備工事の今

    2日に宮島線の線路切り替えが行われると新聞報道されていたので9時過ぎに訪れてみたが、線路の切替え工事はすでに終わって関連の整備作業が行われていた。新駅舎では午後に開通式セレモニーが行われて1時半ごろに貸切りの一番電車が出発して行き、13時50分から定時運行が始まったようである。広電宮島口駅整備工事の今

  • 北海道ぶらり-二風谷アイヌ文化博物館

    一昨日紹介した二風谷コタンにアイヌ文化博物館がありアイヌの人達の暮らし、祈りや信仰、農耕や狩猟、文様装飾などの民具・資料が展示されていた。当方は俵のコモや注連縄のコモ編みをしているが民具類の中に編み機があった。編み機はイテセニと言われているようで、編み紐は石に巻き付けてありこの石をピッというようである。北海道ぶらり-二風谷アイヌ文化博物館

  • 速谷神社「夏越大祓」

    炎天下の昨夕、今年前半の区切りとなる6月の晦日、速谷神社では半年間に溜まった罪や穢れを払い清める神事「夏越の大祓式」が三年ぶりに行われた。参詣者一同神前で大祓詞を唱え人の形の紙で出来た「人形」に罪や穢れを移す人形神事、茅で作った「茅の輪」をくぐって身や心を清める茅の輪神事が行われ、多くの参詣者が後半年間の無病息災、家内安全、疫病退散を祈念した。速谷神社「夏越大祓」

  • 北海道ぶらり-二風谷コタン

    昨日紹介した二風谷ダム湖の脇にはかつてのアイヌ集落(コタン)を復元したチセ(家屋)群がみられる。茅葺屋根の伝統的な建築技法や儀礼を継承するためにチセ群整備など行われているようである。下画像は昭和15年(1940)頃の沙流川沿いの集落の様子(沙流川歴史館)北海道ぶらり-二風谷コタン

  • 北海道探訪-二風谷ダム

    先日旅先から紹介した北海道沙流郡平取町にある二風谷ダム(二風谷湖)で沙流川に設けられた重力式コンクリートダムであるが、このような形式のダムを見るのは初めてである。ダム湖の脇には沙流川歴史館がありダム工事に伴う遺跡調査の考古資料などが展示されている。当館で二風谷ダムのダムカードと上流部で建設中の平取ダムのダムカードを頂戴した。北海道探訪-二風谷ダム

  • 鬼のお出迎え

    鬼のお出迎えや地獄谷がある恐ろしい所に宿泊したが!今日はどこに行こうか・・・鬼のお出迎え

  • ニ風谷ダム

    昨日は北海道に来訪、千歳空港からレンタカーでツアーでは行くことのない二風谷ダム周辺を散策。ホテルから慣れないタブレットで・・・今日はどこを放浪しようか。ニ風谷ダム

  • 田の神像が ⁉

    当地域では見られない田の神像があることを何度か紹介したが、佐伯区の観音神社境内に田の神像があるとのことで当神社を参詣した。手水舎の脇に小さな石鳥居が建てられておりその先に田の神像が安置されていた。看板表示によると鹿児島県の崇敬者によりこの田の神像は奉納されたもののようである。田の神像が⁉

  • カブトエビが ⁉

    田植えを済ませた田んぼでは沢山のオタマジャクシが泳いでおり、その中に少し変わったものが泳いでいた。よく見るとカブトエビのようであるが泳ぎが早く画像が撮りづらかった。カブトエビは外来のようであり、水田に水が入ると孵化し早い場合は2週間程度で成熟するようで,田土に卵を生み卵は乾燥に耐えるようである。カブトエビが⁉

  • 接合樹が ⁉

    一昨日紹介した梅雨太郎さんに向かう山道の脇に何の木であろうか枝分かれした幹の1本が折れ曲がっていた。折れ曲がった幹を見ると真っ直ぐに伸びた幹に交差した部分が接合して一体化していた。接合樹が⁉

  • 梅雨太郎水が ‼

    昨日紹介した梅雨太郎さんの近くに湧出している梅雨太郎水が上画像のようになっていた。蛇の頭を模した口から下画像のように湧き水が流出していたが流出穴が砂で詰まったようで応急処置でビニールホースが設けられていた。当ブログ主が小学生の頃この付近は田んぼが植えられており、田畔を通って清水(後に梅雨太郎水と称するようになった)を飲みに行ったことを思い出した。梅雨太郎水が‼

  • 梅雨太郎

    梅雨空の中、上平良二重原地区にある梅雨太郎さんに会いに行ったが見かけることは出来なかった。江戸期の地誌には「上平良村石か小屋にあり、石罅に雙蛇を栖しむ、梅雨の後、去て見えず、此の石犯すものは祟ありといふ」とある。岩国市大藤地区には梅雨左衛門があり、以前に紹介した『2019年7月探訪』『2020年6月探訪』が現在は訪れることが出来ないであろう。梅雨太郎

  • 田植え民具-筋交点付け

    佐伯歴史民俗資料館蔵ひと時代前に使用していた田植え民具をストック画像から紹介しよう。吉和地区の2ケ所と佐伯歴史民俗資料館でみられた民具で六角枠を引いて筋と交点の跡を付けていくようなもので作業は効率的なものである。田植え民具-筋交点付け

  • 田植え民具-六角枠

    ひと時代前に使用していた田植え民具をストック画像から紹介しよう。六角枠は田植えをする跡を付ける民具である。六角枠を前に転がして方形の跡を付けていくもので縦横が揃った田植えが出来るのである。田植え民具-六角枠

  • 田植え民具-スジツケ

    ひと時代前に使用していた田植え民具をストック画像から紹介しよう。上画像は引いて筋を付けるもので中画像は押して筋を付けるものである。引かれた筋の上に前向きに苗を植えて行くので効率的であるが早乙女により間隔はまちまちとなる。隠岐郷土館に展示されていたスジツケに「ばば」と表示してあり筋を引くことをババヒキというようである。田植え民具-スジツケ

  • 田植え民具-三角枠

    今年は水不足気味で田植え準備が遅れた所もあったようであるが、遅ればせながら当ブログ主も田植えを済ませることが出来た。親の時代に使用していた田植え民具をストック画像から紹介しよう。三角枠は植え付け定規であり、早乙女数人が並んで枠の印がある位置に植え付けて手前に回転させていくものである。早乙女の植え付け差と後下がりのために効率的ではない。田植え民具-三角枠

  • 遊びの菜園-陸稲畑植

    昨年秋に採っていた陸稲の種籾から育てていた育苗を田植えならぬ畑植した。下画像は田植えした黒米の苗が余っていたので畑植してみたがうまく育っていくのであろうか。遊びの菜園-陸稲畑植

  • 広電宮島口駅整備工事の今

    上画像の左側に見える三角屋根が現在の宮島口駅舎で右側が新駅舎となる。新駅舎は改札口もなく開放されており、小銭を握ってたまに乗る昔人間は戸惑いそうである。現在架線工事が行われていたが新駅舎内の信号機には試点灯していた。広電宮島口駅整備工事の今

  • 広電宮島口駅整備工事の今

    広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、赤崎第2踏切上にペンキ印が付けられており既設・新設線路と接続していく部分であろうか。新聞報道によると来月2日に臨時運休して新宮島口駅への線路切り替えが行われるようである。広電宮島口駅整備工事の今

  • 速谷神社駐車場拡張工事の今

    遠く離れた田んぼの水廻りを兼ねての早朝ウォーキング途中に速谷神社を参詣、何度か駐車場の拡張工事進捗状況を紹介しているが、下段の第二駐車場は舗装工事と駐車枠線が引かれて完成しているようである。上段の第一駐車場はこれから土盛りが行われるようである。速谷神社駐車場拡張工事の今

  • 代掻き民具

    マグワ(2006年撮影)エブリ今年は水不足気味で代掻きが遅れた所もあったようで、当ブログ主も田植えをやっと済ませることが出来た。昔の人達がしていた代掻きの民具をストック画像から紹介しよう。耕した田んぼに水をあて牛や馬に引かせたマグワで田土を泥化してエブリで不陸を均していた。マグワの爪は金属製と木製のものがあり、地方で「ホ」「コ」などと云われていたようである。代掻き民具

  • 熊四手(クマシデ)

    昨日紹介した田の神像の周辺を散策していると松ぼっくりのような形状のものが沢山垂れ下がった見たことがないような木があった。ネットで調べてみるとクマシデのようで垂れ下がっているものは果穂というようである。葉の変形の果苞の根元には小さな種子があり果苞が翼のようになって風に運ばれ遠くに飛散するようである。熊四手(クマシデ)

  • 田の神像再び

    今年は水不足気味であったがやっと田植えが終わったので、宮崎県や鹿児島県でみられる田の神像がある小瀬川沿いにあるカフェテラス北山を訪れた。カフェテラス北山のカシミールカレーは具の肉や野菜もゴロゴロと大粒であり、スパイシーな香りとコクと深みで汗をかきながら今回も美味しく頂いた。田の神像再び

  • 萩の花

    ウォーキング途中山陽自動車道の側道脇の法面に生えている萩の花がもう咲いていた。萩の花といえば中秋の名月にススキや秋の七草の一つである萩の花を飾っていたような気がするが・・・今年の中秋の名月は9月10日のようである。萩の花

  • 高架橋のど根性幼木

    上平良地区を通る山陽自動車道の速谷高架橋下にある上平良交差点脇の橋脚上に、何の幼木か不明であるが生えているのを昨年紹介したが枯れもせず今年も緑の葉を付けていた。橋脚上は橋梁のジョイント部分であり道路面からの雨水がしみ込んで育ったのであろう。田んぼでは水不足で大変なところもあるのにこんな場所でよくも育っているものだ。高架橋のど根性幼木

  • マタタビの白化葉

    極楽寺山に向かう国道(酷道)433号線沿いに白い花が咲いているのかと思わすようなマタタビの白化葉が各所でみられ、花が終わり実のなる頃には再び緑の葉に戻るようである。マタタビの白化葉

  • 蛇の池の亀

    昨日紹介した蛇の池には多くの鯉が泳いでいるが亀もいるようで2匹の亀がそれぞれ倒木の上で甲羅干しをしていた。以前みかけた倒木の上にも数匹の亀が甲羅干ししているのがかすかにみられるが雑木が繁茂して撮影出来なかった。(下画像:2019撮影)蛇の池の亀

  • 蛇の池の睡蓮

    一昨日、睡蓮を見るために極楽寺山の蛇の池を訪れ、池面には色とりどりの睡蓮の花が咲いて見頃であった。看板表示によるとアトラクション(赤色)、ローズアレー(桃色)、サルフェリア(黄色)、プリシマ(白色)の種類があるようだが当ブログ主には区別が分からない。今頃から夏にかけては見頃になるので避暑をかねて足を運んでみられてはいかがでしょうか。蛇の池の睡蓮

  • 桑の実

    当ブログ主の畑脇に大きな桑の木があり沢山の実を付けている。この桑の木はかつて養蚕が行われていた名残りの木であろうか。実の熟れたものは黒紫色をして甘みと酸味がありさっぱりとした味であるが誰も見向きもしない。下画像は若い頃、中国の吐魯番(トルファン)の吐峪溝千仏洞を見物した時に、現地の娘さん達が桑の実を食べたり採取していたのを思い出してストック画像から引っ張り出してみた。桑の実

  • 広電宮島口駅整備工事の今 ②

    線路上では架線工事が行われており、大きな立体駐車場脇には以前訪れた時には見られなかったが何かの施設であろうか建築中であった。新駅舎の周辺部ではアブローチの整備工事が行われており、大詰めに近づいているようである。広電宮島口駅整備工事の今②

  • 広電宮島口駅整備工事の今

    広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、新聞報道によると来月2日に臨時運休して新宮島口駅への線路切り替えが行われるようであり、準備作業であろうか赤崎第2踏切付近で作業をされていた。コンクリート枕木の付いたカーブしたレールが置かれており既設線路と接続するレールであろうか。広電宮島口駅整備工事の今

  • 速谷神社駐車場拡張工事の今

    速谷神社では創建1800年記念事業として参詣者の利便性向上に向けて駐車場の拡張工事が行われていることを何度か紹介したが、整地工事は終わってこれから駐車場路面工事が行われるようである。下画像の駐車場は混雑期以外は憩いの場として利用できるようになりそうだ。速谷神社駐車場拡張工事の今

  • 水稲の育苗

    昨日2便の育苗が届いた。赤箱はタンチョウモチであり神社のしめ縄に使用予定のものである。今年は水不足気味であり約10日後位に田植えが出来るようになれば良いのであるが・・・1便は水廻りの良い田んぼでありすでに田植えは済ませたのである。水稲の育苗

  • ムナクト

    当地域ではぼちぼちと田植えの準備が進められており、かつて田んぼの水捌け口に麦藁や稲藁で作ったムナクト(ミナクト)が設けられていたが今見ることが無い。以前通りがかりでムナクトを作っておられ教えて貰ったのを思い出して作ってみたがうまく出来なかった。(下画像)ムナクト

  • チガヤの花穂

    ウォーキング途中の宮園小学校の法面に繁茂している茅萱(チガヤ)の花穂が今や綿毛のようになって種子を遠くに飛ばせていくのであろう。新芽の頃はズボーナといって甘いものに飢えていた子供の頃チューインガムの代用としてこれを噛んでいたことを思い出すのである。チガヤの花穂

  • 麦秋

    ウォーキング途中にある麦畑で先日紹介した時にはまだ葉や茎が緑色であったが、もう熟れて刈り取りはもうすぐのようである。麦畑は格好の餌場と多くの鳥がやって来るそうである。この小麦を使用して味噌を作っておられるようであり手作り味噌を頂戴して美味しく頂いた。麦秋

  • 私は何ツツジ ⁉

    ウォーキング途中の原伊勢神社一の鳥居を過ぎた参道脇にあるツツジであるが、見たことが無いような細長い花びらであり何という種類のツツジであろうか。私は何ツツジ⁉

  • 玖島小学校跡の石碑

    先日来紹介している玖島小学校跡の校庭片隅に百年記念碑と閉校記念碑が残されていた。百年記念碑は明治6年(1873)に玖島小学校の前身である有護舎が創立されて昭和48年(1973)の百周年記念に建立されたようである。閉校記念碑は平成27年(2015)3月31日の閉校に伴って建立されたようである。玖島小学校跡の石碑

  • 遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の種採取

    時折り紹介している廿日市17代目桜島大根と廿日市7代目切葉松本地大根の種を採取した。引き抜いた右側が桜島大根で左側が切葉松本地大根であるが隣接して栽培しているので両交配してこのようになった。来季には廿日市18代目桜島大根と廿日市8代目切葉松本地大根を栽培する予定である。遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の種採取

  • 懐かしい銘酒-家納喜・勝力

    先日来紹介している「玖島花咲く館」のくじま知ルーム(歴史展示資料室)のショ-ケース内に懐かしい廿日市の銘酒であった家納喜酒造の「家納喜」磁器酒樽・桝酒と地御前の銘酒であった勝谷酒造の「勝力」盃が展示してあった。懐かしい銘酒-家納喜・勝力

  • 玖島の酒-弥栄菊

    昨日紹介した玖島花咲く館内のくじま知ルーム(歴史展示資料室)のショウケース内に、大正15年(1926)頃玖島で酒醸造が行われていた資料が展示してあった。玖島酒造合資会社が弥栄菊を醸造していたようであるが、展示資料以外に詳しいことは定かでない。玖島の酒-弥栄菊

  • 玖島花咲く館

    昨日紹介した玖島小学校跡の校舎は玖島の里づくり交流拠点施設「玖島花咲く館」として活用されている。旧校舎1階にはくじまルシェ、カフェ玖島学園、くじま知ルームなどがあり、くじま知ルームは歴史展示資料室では旧小学校で使用されていたものや教室内の一部が復元、玖島出身の大田洋子、枝正義郎などの資料展示、地域で使用されていた民具などが展示されていた。玖島花咲く館

  • 玖島小学校跡

    平成27年(2015)に閉校した玖島小学校跡で元校門の左側門柱には「玖島小学校/玖島中学校/津田高校玖島分校」、右側門柱には「玖島学園」とあり、昭和27年(1952)頃に保育園、小学校、中学校、高等学校分校が揃っており玖島学園と総称していたようである。現在、玖島小学校跡は玖島の郷づくり交流拠点施設「玖島花咲く館」として活用されている。玖島小学校跡

  • ニホンアナグマか !

    ウォーキングの途中に目の前に小動物が現れたがカメラを準備する間に移動して良い画像は撮れなかった。撮れた画像からネットなどによると毛色は背側が灰褐色や褐色などで、腹部と四肢は黒っぽく両眼の周辺は黒褐色なのでニホンアナグマのようである。ニホンアナグマか!

  • 原どろんこバレー

    原地区をウォーキングしていると「原どろんこバレー」のポスターが掲示してあった。コミュニティ推進協議会・どろんこバレー実行委員会の主催で今月29日に原小学校プール脇の田んぼで行われるようである。まだ田んぼは草もぐれであるが・・・原どろんこバレー

  • 麦秋間近

    ウォーキングの途中に2ケ所の麦畑があり上画像の麦畑は刈り取り間近のようであるが、下画像の麦畑は葉や茎が緑がかっているので刈り取りはもう少し先のようである。当ブログ主が子供の頃は麦の取入れが終わってから田んぼの準備をしていたのである。麦秋間近

  • 菊紋木皿

    木地屋の人達は惟喬親王を業祖と仰いでおり親王に随伴した人達の末裔として菊の御紋を使用するようになったものとみられ墓碑に刻されている。画像の木皿は西中国山地で作られたもので、直径9cmの木皿で菊弁は上から16弁、15弁、14弁、13弁と様々あり、木地屋自ら使用していたものか製品として作られたものかは定かでない。菊紋木皿

  • 西中国山地の木地屋

    先日来紹介している廿日市の挽物細工の源流の一部は西中国山地で稼業していた木地屋が移住して町木地屋になったことが史料などから伺うことができるのである。画像は西中国山地の木地屋が使用していた轆轤(上:匹見、中:吉和、下:戸河内で使用)と山県地方で制作したものとみられる木盆である。(廿日市の文化第24集西中国山地の木地屋-木地屋の足跡探訪を中心にして-参照)西中国山地の木地屋

  • 講中椀セット

    かつて上平良の大原講中で昭和の後期頃まで使用されていた講中椀セットで明治37年(1904)3月に40セット位調製されている。昨日紹介したように廿日市・下平良で挽物細工が盛んに行われていたので地元で製造されたのは間違いなかろう。講中椀の使われ方は先に紹介しているので参照してください。講中椀セット

  • 轆轤細工の碁器が !

    物入れの片隅から轆轤細工の碁器が出てきた。昭和の中頃まで須賀町で轆轤細工の碁器を作っておられたのを記憶している。(下画像:図説廿日市の歴史より)江戸期から廿日市では挽物細工が行われており、椀や盆、木鉢、木皿などが作られたものとみられるが定かなことは不明である。大正期頃はけん玉などの玩具や宮島土産の挽物細工が製造されていたようである。轆轤細工の碁器が!

  • 厳島神社の反橋(曽利橋)

    厳島神社西廻廊の曲がり角から陸地側に架かる反橋で、瀟洒な勾欄と反りのある橋である。この反り橋に10ケ所の擬宝珠がありこの内1ケ所廿日市鋳物師が鋳造したものがみられる。刻銘によると安永5年(1776)3月に廿日市鋳物師の山田氏藤原貞利が鋳造している。解体修理前は廻廊側に取り付けられていたが、解体修理後はなぜか陸地側に取り付けられているのである。厳島神社の反橋(曽利橋)

  • 大願寺山門(楼門)

    厳島神社の西廻廊出口前にある大願寺の山門で江戸期の芸州厳島図会の絵図では南向きに描かれており、昭和20年代に現在のように東向きに移転されたようである。山門内の仁王像は要害山にあった仁王門に安置されていたものが明治維新時の神仏分離で当山門に移されたようである。大願寺山門(楼門)

  • 三翁神社の鳥居

    厳島神社社務所の道路向かいにある三翁神社の鳥居で、以前にも紹介したが銘文があることに気が付かなかった。このほど訪れた時に銘文があることに気が付き「細工人大坂江戸堀錺屋吉兵衛」と刻されていた。銅板製の部材を鋲で鉸めて組み立てられた鳥居のようで細工人の錺屋吉兵衛が築造したものとみられるのである。以前は木鳥居に銅板を張り付けたのではないかと思っていたが・・・三翁神社の鳥居

  • 金岡水

    洞雲寺金岡水龍文寺金岡水杉の浦金岡水洞雲寺の開山である金岡用兼に関連する金岡水をみていこう。洞雲寺本堂西側に金岡水があり、洞雲寺蔵の「金岡和尚行状記」には「寺、時ニ清水無シ、明神大宮司ニ託シテ岩畔ヲ穿タシム、清冷湧出ス、以テ茶水洗面等に充ツ、国人呼ビテ金岡水ト称ス」とある。金岡用兼の永平寺伽藍復興などの功績を称えるために金岡水と称されたものであろう。金岡用兼は周防龍文寺の大庵須益・為宗仲心に師事しており、為宗仲心の示寂後弟子の金岡用兼と春明師透が法席を譲りあい、最後に春明師透が六世を継ぎ五世と六世の間に碑を建て金岡用兼を前住和尚とされている。開山堂裏手の金岡水は金岡用兼が仏祖に供える湯茶水のために岩を砕いて作ったという。宮島杉の浦にある金岡水は「芸州厳島図会」には「・・・金岡和尚此處に座禅せられしことあり、その...金岡水

  • 洞雲寺の開山

    昨日紹介した洞雲寺は中世の長享元年(1487)に厳島神主で桜尾城に居た藤原教親が創建し、周防龍文寺(周南市長穂門前)の金岡用兼を招いて開山した寺である。当寺には永正8年(1511)の紀年銘のある金岡用兼禅師の肖像画が残されており、県の重文に指定されている。勧請開山の功山寺(下関市長府)にも金岡用兼禅師の肖像画が残されている。(金岡用兼肖像画-左側:廿日市の文化、右側:金山功山禅寺より)洞雲寺の開山

  • とおーんじ-洞雲寺花まつり

    昨日は「とおーんじ」の日だった。廿日市駅裏にある洞雲寺の花まつりの日であるが「とおーんじ」といっても分かる人は少ないであろう。本堂前につくられた花御堂に安置された誕生仏に甘茶を注ぎお釈迦さんの誕生を祝う行事である。昨日は門前マルシェが開催されておりかつて植木露店や一般露店がずらりと並んで終日賑わっていた頃を彷彿とさせる。とおーんじ-洞雲寺花まつり

  • アオサギ ?

    嚴島神社西廻廊出口付近を流れている御手洗川の中にアオサギとみられる鳥がいた。御手洗川の片側道路沿いに土産物の商店街があり観光客が大勢行き来しているが逃げもせずに川の中で餌を食していた。我々には見えない水の流れの中の小魚を瞬時に口先でつかまえて食んでいた。アオサギ?

  • 台風一過

    連休には孫達がやってきて長男が空飛ぶ自転車を作ると古自転車を分解始めると、次男・三男も幼児時代の乗り物を分解し始めてスクラップ状態に。カド(庭)を掘り返して泥んこ遊び遊びと転勤族でアパート住まいである孫達は町中では体験出来ないことを・・・台風一過

  • 厳島神社大鳥居の今

    大規模な保存修理工事が行われている朱の大鳥居は報道によると12月に防護シートが取り除かれ朱色の大鳥居が見られるようになりそうだ。看板表示によると現在行われている東廻廊、客神社拝殿・祓殿などの屋根葺替、塗装工事が来年3月で全体事業が終了するようである。厳島神社大鳥居の今

  • 厳島神社の鋳造燈籠

    厳島神社の東廻廊入口の石段右脇に建立されている鋳造燈籠で、燈籠の竿部分の銘文をみると天明8年(1788)正月に萩の鋳物師である郡司信向が鋳造している。鋳物師の郡司信向は始め七兵衛信尚と名乗っており安永頃に七兵衛信向と改名している。この燈籠は信向時代のもので寛政初め頃に再び七兵衛信尚に復している。厳島神社の鋳造燈籠

  • 宮島連絡船

    連休の谷間の昨日、孫達と宮島を訪れたが商店街や厳島神社は大勢の観光客でいっぱいであった。JR西日本宮島フェリーは「ななうら丸」「みやじま丸」「みせん丸」の三艘が10分間隔でフル運行しており、宮島松大汽船も10分間隔で運行していた。下画像は明治後期頃の連絡船「厳島丸」の絵葉書宮島連絡船

  • 広電宮島口駅整備工事の今

    広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、以前紹介した頃には駅舎ホーム内へのレールの敷設作業が行われていたが終わっているようであり、レールの接続工事を除いてはレール敷設はほぼ終わっているようである。スロープ工事もほぼ終わっているようであり、新駅舎周辺の整備が行われているようである。広電宮島口駅整備工事の今

  • 井手堰

    5月第一日曜日である昨日は当ブログ主の田んぼに関係する井手堰で、田植え前の農業用水路の掃除補修の作業日であった。現在はコンクリート・U字溝井手となっているので多くの作業は要しないが、関係者一同が会することが出きたのである。この井手は江戸期の地誌に記されているがどの井手に相当するものか今知る人はいない。知る限りこの井手で10戸の農家が田んぼを作っていたが、今年は3戸のみが田んぼを作る予定である。井手堰

  • 電話ボックスの公衆電話

    遠くにいる孫と久しぶりにウォーキングをし、途中にあった電話ボックスの公衆電話を使用したことが無いとのことで初体験をした。小学生でもスマートフォンを持っている時代でありプッシュ式公衆電話など使用することはないようである。電話ボックスの公衆電話

  • 新宮川(伴丈木川)④

    一昨日紹介した大之木水路跨線橋から線路に平行な傾斜水路を流れて新宮2丁目集会所前付近から暗渠となり道路下を流れている。広電宮島線の新宮開渠下も現在は暗渠となっており、暗渠は新宮神社横の道路下を通っているが、旧国道付近からの経路は不明であり最終的には串戸港の樋門に流出しているものとみられる。(大正期の地誌には新宮港に流出とある)かつて榎浦の新開にも分水して潮廻しに流出していたものとみられる。新宮川(伴丈木川)④

  • うろこ雲

    昨日の夕方、ウォーキング途中に西の野貝原山系上空にうろこ雲がみられた。うろこ雲の発生は雨天になると言われており、まさに今朝から雨が降っている。うろこ雲

  • 新宮川(伴丈木川)③

    上画像は七尾中学校校庭横の流れで、江戸期この付近から越峠垰を経て串戸にあった上田家御茶屋の御池に分水していたようである。江戸期に通っていた旧西国街道の越峠垰付近は明治期に山陽鉄道建設のために掘割りとなり、従来の旧街道や新宮川が遮断されたために大之木水路跨線橋が設けられ通行の用と下流域の水田を潤していた。明治30年(1897)に開通した当時に設けられた水路跨線橋は昭和3年(1928)に複線化されており、昭和39年(1964)の電化により嵩上げされているので何度か水路跨線橋の変遷があった。新宮川(伴丈木川)③

  • 新宮川(伴丈木川)②

    速谷溜池からかつての長尾の山裾(現在さくらのおか公園)を流れて、かつて中世の山城があった宗高尾城跡(現在陽光台第一公園)ケ所で流路が直角に変わっている。傾斜地の自然流路とは思われず人為的に流路が変えられたのではなかろうか。下流域にはほとんど田地は無くなっているので流量調整のために中平良地区で可愛川へのバイパス水路が設けられている。(地図:廿日市市地図情報システムより)新宮川(伴丈木川)②

  • 新宮川(伴丈木川)

    先日紹介した串戸港に流出している新宮川を上流域から辿ってみよう。上平良地区の日比呂(奥ケ迫・道々ケ谷・熊ケ迫・長尾・中尾)の山々から流れ出た2つの谷川が源流で、市道の陽光台連絡1号線下で暗渠合流して調整池に流入している。調整池からかつての長尾の山裾を流れて速谷溜池に流入する。速谷溜池は昭和18年(1943)に築調されており灌漑面積は5町(5ha)だったようである。新宮川(伴丈木川)

  • 嘉永新開の樋門跡

    昨日紹介した嘉永新開の潮廻しに新開から流れ出す水路に設けた樋門跡があった。現在はコンクリート補修されているが丸く仕上げられた水路両側の石積みの上部に穴の開いた樋門石がみられる。樋門石のヒンジを中心として内外水位差によって自動的に開閉する樋門板があったものとみられる。嘉永新開の樋門跡

  • 嘉永新開の潮廻し

    串戸沖に江戸期の嘉永年間に築調された新開で串戸沖新開とも呼ばれていたようである。潮廻しは樋門によって満潮時の海水をせき止め、低地の排水を一時的に貯水して干潮時に排水するように設けられたものである。中画像の潮廻しの端に昨日紹介した住吉神社跡があり、嘉永新開沖は埋め立てられて廿日市市浄化センター・パークゴルフ場の用地となっている。下画像は明治33年(1900)発行の地図で先日紹介した串戸港は奥まった小さな港であったようである。嘉永新開の潮廻し

  • 串戸港の住吉神社跡

    串戸港入口付近の嘉永新開堤防法面に数年前に焼失した住吉神社の跡が残されている。航海・漁労の安全祈念のために祀られたものとみられるが史料的に裏付けするものが見当たらない。門柱の刻銘によると大正14年(1925)1月に串戸港湾埋立紀念にこの神域が整備されたようである。明治44年(1911)の地誌では嘉永新開に竜宮社がみられるので何らかの関連があったのだろうか。串戸港の住吉神社跡

  • エンジンルームにゴルフボールが!

    車を運転していたらエンジンルームでゴロゴロと音がしたので開けてみるとゴルフボールがあった。今回で3回目である。最初はエンジンルームでゴロゴロと音がするので車整備会社で見てもらったらゴルフボールがあったのでびっくりしたのである。下画像にみられる小さな隙間から小動物が持ち込んだものとみられるが当ブログ主の車が気に入っているのであろうか3度も・・・エンジンルームにゴルフボールが!

  • 串戸港

    串戸港の満潮時と干潮時の画像で干潮時は干潟となる港でありプレジャーボート港となっている。江戸期の地誌によると干潟になるので他国との交易船は入港していなかったようであるが、当国浦々、隣国浦などと小船での薪材木類交易は行われていたようである。明治後期頃の様子は汽船、客船の定期発着はなかったが材木、薪炭、穀物、肥料等の積卸で和船の出入りがあったようである。串戸港

  • 新宮神社の石鳥居が!

    以前紹介した下平良地区の新宮神社の石鳥居が無くなっていた。紹介した時は神額と貫石が無くなって上部の笠木・島木に補強養生がしてあったのでこれから補修がされるものと思っていたのであるが・・・秋祭りまでには新しく鳥居が築造されるようである。新宮神社の石鳥居が!

  • 宮内天王社の神鴉の岩

    宮内天王社の社殿横に神鴉の岩と表示された岩があり注連縄が縛られていた。江戸期の地誌には御鳥喰飯石とあるのみであるが、古い時代にこの岩上に御鳥喰飯を献上しての神事が行われていたのであろうか。宮内天王社の神鴉の岩

  • 伊勢神社から瀬戸内遠望

    ウォーキング途中の伊勢神社から広島湾を遠望すると画面中央の山中を山陽自動車道が横切っており、瀬戸内の右側に宮島が見え町並みもかすかにみられる。左側に向かって能美島、江田島がみられ、宮島と能美島の間の厳島海峡沖には大黒神島がみられる。能美島と江田島の間は江田島湾への津久茂瀬戸がみられる。伊勢神社から瀬戸内遠望

  • ツクシの群生が!

    ウオーキング途中の休耕荒れ地にツクシが群生していた。休耕田に果樹が植えられているが長年経過して荒れ地状態でスギナが繁茂しておりこの時期にはツクシが数多く頭を出している。ツクシの群生が!

  • 広電宮島口駅整備工事の今

    斬新な宮島口駅舎側の工事仮囲いが取り除かれて内部の工事状況がよく見られるようになっていた。昨日紹介したレールの敷設作業のレールが駅舎ホーム内に伸びるようである。新駅舎には広電宮島口駅と駅名標が取り付けられていた。広電宮島口駅整備工事の今

  • 広電宮島口駅整備工事の今

    広電の宮島口駅の移設工事の進捗状況を時折り紹介しているが、架線を支持するビームと言われる梁が電柱間に架けられていた。多くのレールが敷設されていたが現在も敷設作業が行われていた。2ケ所のレールが伸びた部分が赤坂第2踏切付近の既設レールに接続されるようである。広電宮島口駅整備工事の今

  • ハナモモ満開

    ウオーキング途中で見かけた各所の桜はすでに葉桜となっているが道中のハナモモが満開であった。1本の木からピンクや赤、白の花が咲いており何の花であろうかと思っていたが、ネットで調べてみると花を観賞するために改良されたハナモモのようである。ハナモモ満開

  • 宮迫川源流の鯉

    以前にも紹介したが、宮園団地の高い擁壁下の流出口から流出している宮迫川の源流は鉄分を多く含んだ茶色の水が流れており、現在も鯉が泳いでおり生息には影響ないようである。宮園団地は真砂土の山を掘削して造成しているので、湧き水に鉄分を多く含んでいるものとみられるのである。宮迫川源流の鯉

  • 可愛川の一本橋(榎之窪新宮線橋)

    江戸期絵図/明治33年(1900)地図可愛川に架かる一本橋(現榎之窪新宮線橋)で江戸期には潮音寺の裏手の小道からこの一本橋を通り串戸方面に行く近道で、西国の大名行列は越垰垰(コイトウダオ)をさけて平らなこの小道を通っていたという。街道の街中では威厳を保つために槍持ち奴を先頭に行列していたのであろうが、街を出ると街道を外れた近道の小道を通るなどと現実的で滑稽でもある。可愛川の一本橋(榎之窪新宮線橋)

  • 川末川からの分水井手

    上平良大原地区の田んぼには長野川から引水しているが、水量が少ないために古い時代から川末川から分水バイパスの井手が設けられていた。(井手名不明)中世の大原地区は厳島社領の大原御衣領(御縕繒領)であり、原地区の森宗名は桜尾城主の桂元澄領でどの井手かは不明であるが永禄頃に用水懸りで紛争が起こっている。このような紛争を解消するためだろうか分水井手が設けられていたのである。川末川からの分水井手

  • 遊びの菜園-廿日市17代目桜島大根・廿日市7代目切葉松本地大根

    時折り紹介している廿日市17代目桜島大根と廿日市7代目切葉松本地大根は花盛りであり、これらの種を採って来季に廿日市18代目桜島大根と廿日市8代目切葉松本地大根を栽培する予定である。遊びの菜園-廿日市17代目桜島大根・廿日市7代目切葉松本地大根

  • 田植え民具が!

    ウォーキング途中の中平良地区にある民家納屋に田植えに使用していた民具が残されていた。田んぼの代掻きの後に不陸を均すエブリが2丁と田植えの筋を付ける引きスジツケがみられた。隠岐の島ではスジツケのことババヒキと云っているようである。田植え民具が!

  • 粘土細工の狛犬が!

    ウォーキング途中にあった民家の門柱上にユーモラスな粘土細工の狛犬が置かれていた。粘土板を折り曲げて口を開けた阿形を表したものと閉じた吽形を表すなど各部にユニークにデザインがなされている斬新な狛犬である。粘土細工の狛犬が!

  • ウォーキング途中の桜だより

    昨日は宮内方面への所用を兼ねてのウォーキング途中、砂原地区の御手洗川沿いの桜並木は満開を過ぎて散り始めていた。御手洗川の川面には散った桜の花が流れており、花筏がみられたが素養がないので一句は出ない。ウォーキング途中の桜だより

  • 新宮神社の石鳥居が!

    下平良地区にある新宮神社の石鳥居の神額と貫石が無くなっており、上部の笠木・島木に補強養生がしてあった。これから補修がされるようである。刻銘によるとこの石鳥居は昭和3年(1928)11月に下関市の中部幾次郎により寄進建立されたようである。下関市の中部幾次郎は大洋漁業の創業者であり、当地方(当神社)とどのような関係があって寄進されたものであろうか。新宮神社の石鳥居が!

  • 速谷神社の枝垂れ桜

    速谷神社の祓殿前の枝垂れ桜が満開であった。当神社では創建1800年記念事業として参詣者の利便性向上に向けて駐車場の拡張工事が着々と行われており、かつて修養道場があった隣接地(下画像右端)の桜も満開であった。速谷神社の枝垂れ桜

  • 宮内天王社-石燈籠・狛犬

    昨日紹介した宮内天王社境内に建立されている石燈籠・狛犬で、燈籠の左側は享保6年(1721)、右側の燈籠は文政12年(1829)に奉納されたものであり、左側の燈籠は厳島神社棚守寄進のものである。狛犬は嘉永元年(1848)に寄進されたものである。宮内天王社-石燈籠・狛犬

  • 宮内天王社・八坂神社

    宮内地区にある宮内天王社の拝殿内に八坂神社とある神額が掲額されている。江戸期の地誌には天王社・天王明神とあり、神武天皇聖蹟誌によると「神社明細帳に八坂神社となり祭神を素戔嗚尊とし剩へ明治41年(1908)鳥居修繕の際貞享2年刻宮内天王の古額面を廃して八坂神社と改額したと・・・」とあるが、なぜ八坂神社と改称されたのか定かでない。昭和44年(1969)に宮内天王社と改称したようである。宮内天王社・八坂神社

  • ウォーキング途中の桜だより

    さくらのおか公園平良小学校可愛川公園住吉土手昨日は天候が良かったので市役所での所用を兼ねて桜めぐりの長距離ウォーキングをした。陽光台に隣接するさくらのおか公園の桜、平良小学校の校門の桜、可愛川公園の桜いずれも満開であった。住吉土手の桜並木には多くの人達が桜見物の散策をされていた。ウォーキング途中の桜だより

  • 速谷橋開通

    数年に亘り県道294号虫道・廿日市線の速谷橋架橋工事の進捗状況を紹介してきたが本日車が通れるようになっていた。まだ周辺整備は残っているようだけど。速谷橋開通

  • ウォーキング途中の桜だより

    ウォーキング途中の橋本集会所(元原村役場跡)の老桜樹と度々紹介している河野原大歳神社の老桜樹は満開で見頃であった。ずらりと並んだ石燈籠の足元には何の花であろうか小さな黄色い花がびっしりと咲いていた。ウォーキング途中の桜だより

  • ウォーキング途中の桜だより

    ウォーキング途中のふれあいライフ原(元国立療養所原病院)の老桜樹とボンボリが吊り下げられた伊勢神社の老桜樹は満開で見頃であった。下画像は長野川沿いにみられる二種類の桜の花が満開と手前の新葉のグラデーションが見所であるが曇天のため・・・ウォーキング途中の桜だより

  • 石州路ぶらり-大森町並み

    世界遺産に登録されている石見銀山でかつて栄えた大森の町並みを50年ぶりくらいに訪れ散策した。江戸期の武家屋敷や代官所跡、石見銀山で栄えた豪商・熊谷家住宅、商家、町家などの歴史的な建造物が当時の面影を残しており、町並みの多くは石州瓦が葺かれており平入りの建造物が多くみられた。石州路ぶらり-大森町並み

  • ウォーキング途中の桜だより

    ウォーキング途中の河野原大歳神社境内の老樹桜の開花はしているが満開はもう少し先のようである。道すがらのハランキョウの白い花が満開であり、しだれ桜はほぼ満開の様であったが生憎の曇天で画像は・・・ウォーキング途中の桜だより

  • 石州路ぶらり-スカイラブ3号が!

    川本町の町並み裏の高台には斬新な悠邑ふるさと会館とかわもと音戯館があり、以前訪れた時には駐車場脇にアポロ宇宙船スカイラブ3号とあるものが展示されていたが無くなっていた。(撮影:2017年3月撮影)ここにあったものは宇宙科学博覧会で展示されていたもののようで、実際に使用された司令船は米国オハイオ州クリブランドにあるグレートレークス科学センターに展示されているようである。石州路ぶらり-スカイラブ3号が!

  • 石州路ぶらり-石見川本駅跡

    JR三江線は平成30年(2018)4月1日に廃止されたが旧石見川本駅舎は元のまま残されており、切符売り場、改札口や待合室、ホーム上屋、線路などもほぼ元のままであった。駅の事務室跡は島根中央信用金庫の川本支店として使用されていた。下画像は平成29年(2017)3月10日撮影石州路ぶらり-石見川本駅跡

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