『はつかいち』ぶらり
住所
広島県
出身
広島県
ハンドル名
hathuさん
ブログタイトル
『はつかいち』ぶらり
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/hera_001
ブログ紹介文
安芸の宮島がある廿日市−見たままを紹介します。
自由文
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更新頻度(1年)

279回 / 274日(平均7.1回/週)

ブログ村参加:2007/05/12

hathuさんの人気ランキング

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hathuさんのブログ記事

  • 室町将軍展-歴代将軍座像

    室町幕府を開いた足利尊氏、金閣寺の足利義満、銀閣寺の足利義政、鞆幕府の足利義昭位しか知っていなかったが、同展で京都等持院所蔵の足利将軍歴代の座像が展示してあり撮影可能であった。初代尊氏、二代義詮、三代義満、四代義持、六代義教、七代義勝、八代義政、九代義尚、十代義稙、十一代義澄、十二代義晴、十三代義輝、十五代義昭(五代・一四代無かった)の座像があり、七代義勝は幼将軍であったことが座像からも伺える。室町将軍展-歴代将軍座像

  • 九州国立博物館に・・・

    昨日は太宰府にある九州国立博物館で開催されている室町将軍ー戦乱と美足利15代展を・・・足利将軍というと足利尊氏、金閣寺の義満、銀閣寺の義政、鞆幕府の義昭くらいしか知らないが15代あったとは知らなかった。ホテルから更新。今日はどこに・・・九州国立博物館に・・・

  • 懐かしい計算尺・機械式計算機

    電卓を購入するまでは掛け算と割り算を計算尺でし、足し算と引き算は算盤でしていたが計算尺では位取りを間違うことがあった。計算尺では正確な数値が出せないので、正確な数値が必要な時はタイガー計算機をガリガリと前後に回して算出していた。電卓の登場で計算尺・算盤・タイガー計算機の出番は無くなって物入れ行きとなった。懐かしい計算尺・機械式計算機

  • 懐かしいプログラムカード

    上画像にみられるプログラムカードを使用した人や知っている人は今ではほんのわずかではなかろうか。昨日紹介した8インチフロッピーディスクが普及する以前の昭和51年(1976)から昭和56年(1981)まで、当ブログ主はSEIKOS-500でこのプログラムカードを使用していた。それまでの電卓での手計算から比べると格段のスピードで計算でき、計算結果はレシートロールに出力されていた。出力された約束事のある数字を清書して計算書を作成していた。懐かしいプログラムカード

  • 懐かしい8インチフロッピーディスク

    上画像にみられる8インチのフロッピーディスクを使用した人や知っている人はわずかであろうが、右側の3.5インチのフロッピーディスクを使用した人は多くおられるのではなかろうか。当ブログ主は昭和56年(1981)から平成2年(1990)まで中画像のSEIKO5900、SEIKO9100ⅡLのパソコンで8インチのフロッピーディスクを使用していた。それ以降の機種では3.5インチのフロッピーディスクを使用するようになっていた。当時のUSBケーブルは太く現在のものに比べると接続コネクターも化け物のような大きなものであった。懐かしい8インチフロッピーディスク

  • 爽凉-原の滝・湯舟の滝

    うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・大野地区内にある大竹市の飛地である松ケ原町近くで、県道289号沿いを流れる恵川の支流に巨岩を滑り落ちるような滝がある。この滝を大野地域では原の滝、松ケ原地区では湯舟の滝と言われているようである。かつて上流域に県立施設「大野寮」があり水質が悪化していたが、現在は廃止されて太陽発電所が設けられてからは清流が流れるようになっている。爽凉-原の滝・湯舟の滝

  • 嵐の前の夕焼け

    今夕、野貝原山上の台風来襲前の夕焼け。明日、明後日台風の被害がなければよいが。嵐の前の夕焼け

  • 爽凉-七尋淵

    うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・川上地区を流れる吉末川で大峰山登山口付近にある七尋淵で看板表示によるとエンコウ(河童)伝説の地とあるが、どのような伝説があるのか定かでない。七尋淵は七ヒロの高さ又は大きさのある淵であるということであろうか。縄の長さを計るのに両手を広げた長さを一尋(ヒロ)と言っていたが・・・爽凉-七尋淵

  • 盆燈籠づくり

    毎年墓前に供えている盆燈籠が昨日やっと出来上がった。孫達の早めの帰省と長逗留で我が家は戦場のような状態で燈籠の骨組みだけは出来ていたが貼り付け作業が出来なかった。毎年冬場に藪でシノダケを採取しているが段々生え方が少なくなっているので新しい場所を探さなければいけない。シノダケを6角の朝顔型に加工して色紙(燈籠紙)を貼って角に飾り房を取り付けたものであり、販売しているものよりは質素であるが手作りであるので御先祖さんも喜んでくれるであろう。盆燈籠づくり

  • 爽凉-スマル滝

    うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・極楽寺山にある蛇の池の睡蓮を以前紹介したが、この池から流れ出ている下流域にスマル滝がある。中国自然歩道を下っていくと蛇の池下の駐車場からの遊歩道との出合いから少し下っていくとスマル滝がある。中国自然歩道は土砂崩れのために現在通行止めとなっているところがある。かつてはスマル滝のある谷を下っていくと清鈴園のところに出ることが出来たが現在は荒れており通ることができない。爽凉-スマル滝

  • 子供会のラジオ体操

    早朝に田んぼの水廻りを兼ねてのウォーキングをしていることを以前に紹介した。山陽道速谷高架橋の下にある上平良公園では子供会のラジオ体操が行われているので、途中寄道して平生使わない筋肉をほぐしていたが昨日で終了した。子供の頃出席のハンコを押してもらっていたが今はシールを張ってもらっているようである。子供会のラジオ体操

  • 爽凉-瀬戸の滝

    うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・十方山系からの最大の谷である瀬戸谷には関門である瀬戸滝があり容易に瀬戸谷に入ることが出来ない。瀬戸滝は二段の滝で下の滝は30数m、上の滝は10数mのようであり、水量が多く滝前では自然のドライミストで涼を得ることが出来る。若いころ三度ばかり滝上に至り瀬戸谷を遡上したことがあるが、滝は滝上から見るものではなく滝下から眺めるものだ。爽凉-瀬戸の滝

  • 爽凉-寂地峡・龍ケ岳峡

    うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・隣接市の岩国市錦町宇佐にある寂地峡のうちの龍ケ岳峡はヤケヤマ谷の急峻な渓谷に多くの滝が形成されており、龍尾の滝、登龍の滝、白龍の滝、龍門の滝、龍頭の滝などと名付けられているようである。爽凉-寂地峡・龍ケ岳峡

  • 爽凉-万古渓

    うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・所山地区を流れる大虫川に形成された二段の滝と大きな甌穴のある渓谷で万古渓と称されている。上の滝の画像は撮れなかったが高さが10m位あるようで下の滝は高さが26m位あるようである。少し下流域に大きな甌穴があり孫渕と称されている。爽凉-万古渓

  • 爽凉-ニノワラのリュウズ

    うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・吉和地区の最北部近くにある立岩ダム(竜神湖)沿いの県道296号線で、ニノワラ(二の原)谷に架かる二の原橋から谷を遡っていくとニノワラのリュウズ(二の原の龍頭)がみられる。国土地理院の地図には二ノ原滝とあり、さらに遡って行くとハシゴのリュウズがあるようである。爽凉-ニノワラのリュウズ

  • 爽凉-三滝

    うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・昨日紹介した夫婦滝の少し下流で国道186号線下を流れる鹿の打川が小瀬川(木野川)に合流している。合流地点より鹿の打川を少し遡ると主滝と滝壺から二股の滝になった三滝がみられる。国道186号線下のボックスカルバートを鹿の打川が流れており国道を走っていても橋とは気づかず、隣接して旧三滝橋の一部が残されているが樹木の繁茂で分かりにくい。爽凉-三滝

  • 爽凉-夫婦滝

    うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・国道186号線沿いの小瀬川(木野川)で鹿の打川合流地点より少し上流側にある夫婦滝であるが、画像のような全貌は簡単に見ることが出来ない。少し下流から川に降りて川中を横断し川岸をしばらく遡ると画像のような巨岩の両側を流れ落ちる夫婦滝がみられる。爽凉-夫婦滝

  • 出会いの滝

    うだるような毎日、滝画像でちょっぴりの凉を・・・国道488号線沿いの水内川(加下川)と栗谷郷川の合流ケ所にある出会いの滝であるが、訪れた当時は撮影した場所に到達するのには困難であったが現在整備されているかは定かでない。出会いの滝

  • 最禅寺の浅浮彫合掌仏立像

    峠地区の最禅寺境内に浅浮彫合掌仏立像が移設建立され祀られている。板状石に浅浮彫りされたもので、顔面は平面的で頭部には肉髻珠がみられ衣文線が特徴的である。この合掌仏立像は以前不適切な状態であったものを当寺に移設し建立したものであると教えてもらったことがある。最禅寺の浅浮彫合掌仏立像

  • ならず者御用だ ‼

    3年前に猪の出没で田畑が荒らされて泣かされたことがあったが、市の有害鳥獣駆除の捕獲檻の設置で沢山の猪を駆除してもらった。ところがまた出没を始めたようで田畑の手前に設置された捕獲檻に若いならず者が昨日の朝2匹御用となっていた。ならず者御用だ ‼

  • 馬ケ原の馬頭観音

    宮内馬ケ原地区の県道30号線脇に安置祀られている一面二臂の馬頭観音で、以前は旧津和野街道の脇にあったもので天保10年(1839)11月に建立祀られたものである。ここ旧津和野街道は佐伯郡奥筋や石州、山代方面からの多くの小荷駄馬が行き来していたものとみられ、この地で行き倒れた馬を供養するために馬頭観音が安置祀られたものとみられる。馬ケ原の馬頭観音

  • 孫と鉱石ラジオづくりが!

    夏休みに孫と鉱石ラジオを作ろうと二種類の鉱石(ゲルマ)ラジオ組み立てキットを購入していた。楽しみにしていた低学年の孫も部品やら熱い半田ゴテなどをみると尻込みしてしまい、なんと爺の懐かしい鉱石ラジオづくりとなってRCCのみ受信できるものが出来た。ラジオ少年であったころに使用した半田ゴテであり、当時作った石鹸ケース(当時はプラスチックケースの入手が難しかった)とフイルムケースに組み込んだゲルマニュームラジオの2台は、もう劣化しているのではないかと思っていたが現在でもRCCのみ聞くことが出来た。孫と鉱石ラジオづくりが!

  • 夕焼け

    今夕の野貝原山方面の夕焼け。夕焼け

  • 河津の馬頭観音

    県道30号線河津バス停付近の山添にある馬頭観音で刻銘によると嘉永4年(1851)10月に建立されたようである。三面六臂の像で彩色されたような跡がみられる。この地は旧津和野街道から外れた通りであるが、この地で行き倒れた馬を供養するために馬頭観音が祀られたものであろうか。河津の馬頭観音

  • 旧山代街道

    旧山代街道分岐点付近旧山代街道亀尾川垰(県境)亀尾川の街道名残り山代街道亀尾川御番所跡・池の垰一里塚跡昨日紹介した江戸期十王堂があったと思われる地付近の津和野街道から山代街道が分岐しておりその名残りの小路が残されている。上画像の町並みを通る県道30号(旧津和野街道)から左手に入る道が旧山代街道である。旧佐伯町内の旧山代街道についての調べは進んでいないようであるが山口県旧美和町方面の旧山代街道については調査がされ所々に説明表示がされている。旧山代街道

  • 十王堂

    西福寺に隣接している十王堂は一書によると天野医院前あたりの石見路往還道べりにあったとある。昨日紹介した村境碑には「十王堂へ約十八丁」とあり、十王堂は江戸期から津田村の里程起点であったようであるが、天野医院前あたりでは街並み入口付近である。江戸期の地誌に十王堂市十王堂、十王堂御制札所とあり、絵図をみると山代道別れ付近に下市、高札がみられるので、十王堂は山代道別れ付近の町並み中心付近にあったものと思われるのである。(堂内画像-佐伯郡・大竹市の文化財より)十王堂

  • 旧津田村境碑

    佐伯町中組の県道30号線津田口バス停前の三差路脇に建立されている旧津田村の境碑で、大正6年(1917)4月に建立されており、「従是西津田村廿日市町へ約四里余十王堂へ約十八丁」と刻されている。この碑は以前数十メートル津田寄りの県道脇に建立されていたが、道路拡幅(?)によってか移設されたようである。旧津田村境碑

  • 旧津田町役場の玄関礎石

    市佐伯支所の入口脇に建立されている花崗岩製のレトロな門柱(?)は表示によると旧津田町役場の玄関礎石であったようである。津田町役場は昭和7年(1932)に建設されたようであるが、当時の画像は見当たらない。この玄関礎石をみると津田町並みで威厳のある官庁建物であったものとみられるのである。旧津田町役場の玄関礎石

  • 越屋根の民家

    津田の町並みに煙り出しの越屋根がみられる民家があった。いつも車で通っているので気が付かなかったが、徒歩で街並みを歩いていて初めて気が付いた。今春訪れた飛鳥の町並みには越屋根の付いた町家が多く見られたが(下画像)、当地域での街並みで越屋根のついた町家はほとんど見かけることはない。越屋根の民家

  • 旧家納喜広告の待合ベンチが!!

    昨日紹介した広電バスの旧佐伯営業所(現津田車庫)に、かつて廿日市の銘酒であった家納喜の広告の入った待合ベンチが外部に3脚と待合室内部に1脚残されていた。待合室内部には無広告のベンチもあり、バス全盛期にはバスの待合に多くの乗客者がこれらのベンチを利用されていたのであろうが今は人影もみられず寂しい限りである。旧家納喜広告の待合ベンチが!!