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  • 後畑河内神社境内の巨樹群

    河内神社の境内には大きな樹木が多くみられ、この中でコウヤマキ(上画像)とヒノキ(下画像)が市の天然記念物に指定されている。看板表示によるとコウヤマキは胸高幹囲199cm、樹高25.5mとあり、県内6位の大きさのようである。ヒノキは胸高幹囲221cm、樹高30mのようである。かつて胸高幹囲300cmの松の木があったが枯れてしまった。後畑河内神社境内の巨樹群

  • 後畑河内神社の鳥居

    原地区後畑集落にある河内神社は長い石段を上がったところに祀られており、木造の両部鳥居は現在石段登り口にある。昭和57年(1982)に祠堂調べで訪れた時には石段の中間点位置に建立されていたが、現在跡地には礎石の一部が残されている。後畑河内神社の鳥居

  • 体験学習の田んぼ

    原小学校では近くの田んぼで米つくりの体験学習が行われており、ウォーキング途中にある田んぼをみると稲苗の植え筋がずれており農家の方が植えたものでないことがわかるのである。以前にカカシやハゼカケなどを紹介したことがある。体験学習の田んぼ

  • 原低区配水池工事

    ウォーキング途中、原低区配水池工事で原小学校プール脇の工事では配水タンクの基礎は既に完成していた。中画像のような配水タンクが設置されるものとみられる。平良・原地区界付近では中継配水タンクの基礎工事が行われていた。原低区配水池工事

  • 広島はつかいち大橋の今

    時折紹介している臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側海上部橋桁架設工事の昨日の進捗状況である。廿日市市側の橋桁第4ブロックの架設は先日紹介したが、昨日の午前中、廿日市市側の橋桁の第5ブロックが起重機船により橋脚上に吊り降ろされていた。もう1ブロックの架設で全架橋となるのである。広島はつかいち大橋の今

  • 平良丘陵開発用地内の大型ダンプカー

    平良丘陵開発用地内にみられるダンプカーは通常道路を走っているダンプカーとは違った工事用地内専用の大型ダンプカーのようである。大型ダンプカー・・・下画像は孫たちが小松市にいた頃(2013)の小松駅前に設置されていた「コマツ電気駆動ダンプトラック930E—2」で最大積載量296,728kgと表示してあった。平良丘陵開発用地内の大型ダンプカー

  • 平良丘陵開発の今

    廿日市の街中から見た平良丘陵開発用地のほぼ全域の現在である。画像中央を西広島バイパスの廿日市高架橋が横切っている。向こうの高い山の左側が中世の城跡である星ケ城跡で、右側の山に極楽寺がある。かつて開発用地内には極楽寺への廿日市参道があったのであるが・・・(廿日市参道①廿日市参道②)平良丘陵開発の今

  • 広島はつかいち大橋の今

    時折紹介している臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側海上部橋桁架設工事の昨日の進捗状況である。広島市側の橋桁第3ブロックの架設は先日紹介したが、昨日の午前中、廿日市市側になるのであろうか橋桁の第4ブロックが起重機船により橋脚上に吊り降ろされていた。広島はつかいち大橋の今

  • 管弦祭(聞き取りー松明振り)

    昨夜は十七夜、厳島神社では管弦祭が斎行され、下画像は過去の厳島神社前と地御前神社沖の画像である。上画像は原地区北方に聳える通称汐見山(右側高い峰)で、山頂には三等三角点(標高635.7m)があり点名は南峠とある。昔、峠の人たちは管弦祭の時に管弦船が地御前神社前についた際に汐見山で松明を振っていたと古老から聞いたことがあった。管弦祭(聞き取りー松明振り)

  • のうが高原廃墟遠望

    バブル全盛期の夢の跡、野貝原山頂あった「のうが高原」の施設(当時のパンフレット)であった大岩風呂棟が朽ちて鉄骨骨組みが露出しているのがみられる。右側の宿泊棟は画像では崩壊状況は確認できない。のうが高原廃墟遠望

  • カープグッズの折り紙

    早朝ウォーキングで平良丘陵開発用地を見るために宮島サービスエリアの展望所に行った。SAトイレの手洗い所壁面にカープグッズを模したカーブの帽子とユニホームの小さな折り紙が吊り下げられていた。カープファンの従業員の方が織り上げて吊り下げられたのであろうか。カープグッズの折り紙

  • ならず者御用だ!

    田の水廻りを兼ねた早朝ウォーキングをしていると、田んぼの近くに設置してある捕獲檻に可愛いウリボウ2匹が捕獲されていた。可愛くても畑を掘り返すならず者であり御用となったのである。ならず者御用だ!

  • クソナバが!

    人も通らないような里道にクソナバが3本(上・中画像)生えていた。Googleレンズで検索してみたがシロハツモドキ、ツチカブリ、キハツダケなどの画像が出てきたがどれに該当するのかよくわからない。当ブログ主は食用にならない名前もわからないキノコをクソナバと称している。クソナバが!

  • 広島はつかいち大橋の今

    時折紹介している臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側海上部橋桁架設工事の昨日の進捗状況である。広島側の橋桁第二ブロックの架設は既に終わっており、昨日の午前中、橋桁の第三ブロックが起重機船により橋脚上に吊り降ろされていた。広島はつかいち大橋の今

  • コフキサルノコシカケが!

    先日、梅の木を植えた畑で草刈りをした所の老木に通称サルノコシカケが出来ていた。Googleレンズで検索するとコフキサルノコシカケのようで、食用ではなく煎じて薬とするなど、薬用として利用されるようである。コフキサルノコシカケが!

  • 林道玖島川末線工事の遠望

    原地区川末の泉水峠付近で林道工事が行われていることを以前に紹介したが、工事が順次進捗しているようである。上画像は昨年9月の状態であるが現在は下画像のように工事ケ所が延伸しているのである。県道294号虫道廿日市線の険道区間が林道として建設整備されているようである。林道玖島川末線工事の遠望

  • 市道堂垣内広池山線の今

    時折紹介している市道堂垣内広池山線の進捗状況で、宮島サービスエリアから遠望すると平良丘陵開発用地側の工事が始まっているようである。菊ケ迫山の樹木が伐採され掘削も始まっているのであろうか。以前にも紹介したがこの山の尾根筋に旧石州往還の名残りがあったところであった。市道堂垣内広池山線の今

  • ツガノマンネンタケ?

    梅の木を植えている畑の草刈りをしていたら鮮やかな色のクソナバがあった。Googleレンズで検索するとツガノマンネンタケのようであり、枯れ木に発生するとのことであった。しかし雑草の中に生えていたのであるが枯れ枝が雑草の下に埋まっていたのであろうか・・・ツガノマンネンタケ?

  • ホタルブクロが!

    極楽寺山に向かう自動車道脇に見慣れない花が咲いていた。Googleレンズで検索するとホタルブクロのようである。ホタルブクロは中国原産の多年草のようであるが、このような山中にもあるものだろうか・・・ホタルブクロが!

  • 速谷神社-磐座祈りの図

    速谷神社社務所の待合室に掲げられている、磐座の前でこの地の長(おさ)が祈りをささげている図で、先日の中国新聞に掲載されていた。速谷神社の前身は、磐座を神が降臨する場所とする自然崇拝が行われていたものとみられ、その後磐座を中心にして社殿が建立され現在に至っているのである。速谷神社-磐座祈りの図

  • 広島はつかいち大橋の今

    時折紹介している臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側海上部橋桁架設工事の現在である。橋桁の広島側の第一ブロック(上画像の右端)の架設は終わっており、第二ブロックの工事を進めるべく貯木場沖に起重機船が橋桁を吊り下げて待機しているようである。広島はつかいち大橋の今

  • スミレホコリタケ?

    ウォーキング途中で見たことがないようなクソナバがあった。Googleレンズで検索するとスミレホコリタケのようである。当ブログ主は食用とならないような不明のキノコをクソナバと称している。スミレホコリタケ?

  • 河野原大歳神社が!

    しめ縄づくりや春の桜などで時折り紹介している河野原大歳神社の拝殿が老朽化のために撤去されていた。昭和15年(1940)に多くの寄進者によって社殿が建てられ境内周囲にはずらりと並んだ玉垣や数多くの石灯籠が建立され整備されたが・・・現在は氏子数も少なく修復費用の捻出が難しいために本殿のみで存続されるようである。河野原大歳神社が!

  • マタタビの白い葉

    極楽寺山に向かう道すがらの各所に白い花が咲いたように見えるマタタビの葉がみられる。花をつける頃に葉の表が白化して受粉をしてくれる昆虫を誘うためのようであり、葉の裏側は通常の緑のままである。令和元年に漬けたマタタビ酒を飲んでぶらり「又旅」をしようか・・・マタタビの白い葉

  • 極楽寺山の氷河礫層

    極楽寺山に向かう自動車道で、さくらの里分岐手前の斜面に上画像のような氷河礫層があるが、現在は雑木に覆われておりどこにあるか分からない。看板表示も見えにくくなっており氷河礫層があることを気付く人はいないであろう。河原にあるような玉石がなぜこのような山上にあるのだろうか、この氷河礫層については廿日市の文化第11・12集、廿日市町史通史編(上)に詳述されている。極楽寺山の氷河礫層

  • 蛇の池弁財天社跡

    蛇の池一帯は湿地帯であったものを明治・大正期に農業用溜め池として整備されたものとみられ、田圃灌漑、五穀豊穣など祈念のため堰堤西端の山際に弁財天社が祀られていた。昭和43年(1968)の明治100年記念事業で、道路築造のため弁財天社は周回路東側に移転されていたがお参りやお世話をする人もなく昭和後期頃(上画像)から朽ち始め現在は礎石のみとなって知っている人はもういないであろう。蛇の池弁財天社跡

  • 蛇の池の睡蓮

    梅雨の中休みに極楽寺山にある蛇の池のスイレンを見に行った。ピンクや白など色とりどりの睡蓮が池全面に咲いていたが、以前に訪れた時より鮮やかな色合いが少ないようであった。撮影ポイントである展望台が老朽化のために立ち入り制限されており、池端からの望遠撮影となった。蛇の池の睡蓮

  • サラエノヒトヨタケか?

    雨上がりの井出沿いの小道に直径2cm位の小さい唐傘のようなクソナバが生えていた。Googleレンズで検索するとサラエノヒトヨタケかクズヒトヨタケのようであるが定かなことは不明である。サラエノヒトヨタケか?

  • 『はつかいちぶらり-別館』

    ブログのネタ切れで・・・当ブログ主は当ブログの他に以下のホームページなどを開設していますのでどうぞご覧になって下さい。『いにしえのロマンの郷「はつかいち」』は市域の歴史を主体に紹介したものである。『鵬程二萬八千浬』は大正9年(1920)に従曽祖父が練習艦隊「浅間」に乗艦して世界一周の練習航海した記録である。『ゼンマイ式8mmカメラ館』は電池式の8mmカメラが登場する以前のゼンマイ式8mmカメラ、9.5mmカメラを紹介する。『絲綢之路・黄土高原点描』は平成2年(1990)から平成6年(1994)にシルクロードや黄土高原を探訪したものを紹介する。『阿多田島灯台資料館』は大竹市阿多田島にあった灯台官舎が平成8年(1996)に阿多田島灯台資料館として整備されたものを紹介する。『はつかいちぶらり-別館』

  • 路傍の花

    梅雨の合間のウォーキング途中で、紫色の花と朱色の花が重なったような見たことがない花があった。Googleレンズで検索すると上段画像はムラサキルエリアのようであり、下段画像はコエビソウのようである。路傍の花

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