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平良丘陵開発用地内にあった市道が通行止めとなったので工事の進捗状況は遠方からの撮影となる。上画像は廿日市市HP「廿日市市新機能都市開発事業の概要」のイメージ図で、工事写真はさくらぴあ駐車場付近からと旧石州往還道から見た工事現場の現在である。平良丘陵開発の今
早朝の田んぼの水廻りを兼ねてのウォーキングで速谷神社に参詣しているが、現在創祀1800年記念事業で神門内での拝殿前から社務所前などの石敷き工事が行われている。以前に紹介した外玉垣の工事はほぼ終わっているようである。速谷神社の今
秋掛にはかつて秋掛小学校や秋中保育園があったが、秋掛小学校は平成13年(2001)に閉校となっている。木造校舎がいつ建築されたのかは不明であるが廃校後も昔懐かしい木造校舎が残されており今も活用されているようである。保育園跡は下画像のような状態であった。秋掛ぶらり②
浅原地区から山口・広島県道2号を西に向かって行くと秋掛集落がある。かつて秋掛や本郷方面には広電廿日市駅前より広電バスが通っており廿日市とは関りの深かった所である。昭和37年(1962)頃には広島バスセンターから5便往復しており、4便目が秋掛止まりで翌朝の始発便となっていた。かつて賑わっていた町並みも閑散としており以前みかけた特徴ある町家が無くなっていた。下画像の建物は住宅のように見えるが入口上部が洒落た造りとなっており、ベルも設置されているが何の建物(簡易郵便局?)であったのであろうか。秋掛ぶらり
浅原地区のほぼ中心地にある大きな民家でかつては結婚式の披露宴や各種の宴会などに使用されていたようである。この地にはかつて浅原村役場があった所で、昭和49年(1974)の戸別地図をみると公民館・小学校・駐在所・農協支所・郵便局・医院・広電バス車庫・自転車店・商店が数店みられ賑わっていたようである。しかし過疎化によってこれら多くの施設が無くなっており割烹料理店も廃業されたようである。元割烹料理店
浅原地区にある廿日市市重文指定の安井家住宅で、文化年間(1804~1817)に建てられたといわれる江戸時代の豪農の威容を伝えている農家住宅である。当家の土蔵には波文に飛び兎を表した蔵飾りが設けられている。安井家住宅蔵飾り-波に飛び兎
昨日紹介した浅原地区の旧家の蔵飾りで当家の家紋であろうか左三階松が漆喰細工で表されている。通常鏝絵と云われていますが当ブログ主は蔵に設けられているものは蔵飾りと称しています。昨日も触れたが当家は無住のようであり敷地内は荒れ気味であり先行きが・・・蔵飾り-左三階松
浅原地区の旧家で見たことがないような珍しい画像のような床下透かし彫り欄間があったので平成26年(2014)4月に撮影していた。ところが現在当家は無住のようであり下画像のようになっているので先行きが・・・床下透かし彫り欄間が!
観光で訪れることがないようなダムを、過去に訪れた画像(2022.6)で再掲します。北海道沙流郡平取町を流れる沙流川に設けられた二風谷ダムで「にぶたに湖」と称されているようである。堰堤の高さは32メートルで長さは550メートルもあり、見たことがないような構造の堰堤である。ダムカード③-二風谷ダム
観光で訪れることがないようなダムを、過去に訪れた画像(2018.5)で再掲します。隠岐島後の隠岐の島町を流れる八尾川水系支川の銚子川に設けられた銚子ダムで「伊賀湖」と称されているようである。治水・上水道用用水確保のために設置された多目的ダムのようである。ダムカード②-銚子ダム
当方、ダムカードマニアではないが観光で訪れることがないようなダムを、過去に訪れた画像(2018.4)で再掲します。萩市の沖合にある見島にある見島ダムで「見島ゆりや湖」と称されているようである。治水・上水道用水確保のために設置されたダムの堰堤は長いけれど小規模なダムである。ダムカード①-見島ダム
山口県境を流れる小瀬川に設けられている小瀬川ダムに数十年ぶりに訪れてみた。当ダムは2つの都道府県が共同管理している国内唯一のダムのようである。当ダムは洪水調節・工業用水の供給を目的に1964年に設けられたようで、放流されている水を利用した小瀬川発電所が堰堤の下に設けられている。ダムマニア・ダムカードマニアではないがダムカードを頂戴した。小瀬川ダム
佐伯町保曽原地区の県道293号沿いにある三興中学校跡で当時の門柱が残されているのみであり、現在はグランドゴルフ場として使用されている。昭和49年(1974)の戸別地図を見ると浜本工芸の工場があったようである。昭和24年(1949)に四和村・津田町・浅原村組合立の中学校だったようであり、昭和44年(1969)に三興中学校は友和中学校・玖島中学校と統合して,新しく佐伯中学校が誕生したようである。中学校跡にユリが咲いていたが何んというユリであろうか。三興中学校跡
佐伯町の県道30号線沿い津田口バス停付近の田んぼにマコモタケが栽培されている。水田の活用や保全のためにマコモタケを栽培し栽培面積を拡大して地域の特産品にと試験栽培されているようであるが、見た限り以前のように手がはいってないような気がするが・・・マコモタケ栽培
昨日紹介した紅葉谷を流れる御手洗川沿いあった當川旅館で江戸期の終わりころに岩惣旅館と川の上に納涼床を設けていたようである。當川旅館については明治34年(1901)発行の山陽鉄道案内の広告にみられる以外に詳しいことは定かでない。絵葉書で宮島ぶらり③-當川旅館
毎日暑い日が続いていますが、江戸期末刊行の厳島図会によると紅葉谷を流れる御手洗川沿いの旅館などが川の上に納涼床を設けていたようで、涼を求める人々が芸者を挙げ料理を食したり川の中に入って涼を求めていたようである。宮島-紅葉谷納涼
宮島にある広島経済大学成風館の地はかつての厳島港商船桟橋の跡であったことを以前に紹介したことがある。(2016.12.26)(2022.10.30)大阪商船の宮島遊覧パンフレットをみると山陽航路で阪神から門司航路の途中宮島に寄港、宮島遊覧船の屋島丸は阪神から宮島寄港、岩国へ、宇品別府線が宮島寄港していたようである。また、瀬戸内商船の時刻表によると多度津・宮島線の一便があったようである。絵葉書で宮島ぶらり②-厳島港商船桟橋
6月21日に陸稲の苗と本来は水田に植える古代米の黒米と赤米の苗を畑に植えてみた。画像の手前側が陸稲で向う側右が黒米で左が赤米の現在の生育状態で、なぜか陸稲より水田に植える黒米の方が大きく育っているのである。日照りの日が多かったので毎日水やりをしたが陸稲の一部は枯れてしまった。手間暇かけてこれらがどのように育っていくのかまさに遊びの菜園である。遊びの菜園-陸稲・黒米・赤米の今
以前に栽培しているスイカのすべてを食べられてしまったことを紹介したが、自己防衛のために駆除装置を仕掛けてアナグマを捕獲した。しかし、また一昨夜トタン柵を設置している黒瓜の畑に侵入して画像のような状態となっていた。鳥獣被害
長く続いた猛暑で山々の樹木が茶色になっていることを以前に紹介したが、宮島サービスエリア近くの山で大きな木が枯れ葉となっていた。近づいてみるとクヌギの木のようであり、炎天下で弱って葉が枯れたのであろうか枯れ木になったとは思われないのだが・・・樹木の枯れ葉?枯れ木?
以前に広電宮島口駅の周辺整備工事の進捗状況を時折り紹介していたが、長らく御無沙汰であった。昨日久しぶりに訪れたがこの画像撮影時に大粒の雨が突然に降り出し傘もなく早々に退散した。画像を見ると競艇場側に高い防潮堤が出来ており、観光客用アクセス道路(赤崎3号線)周辺は何かの整備が行われるのであろうか。広電宮島口駅周辺の今
先日はつかいち美術ギャラリーで開催された第5回七尾中学校アートの同窓会「七美会展」の作品小画集が届いた。当ブログ主は当展に駄作を出品し関東からの同級生の仏像出品で、同級生十数名が久しぶりに集い懐かしい話などで楽しい一時を過ごした。七美会展作品画集
昨日紹介した元広電バスの廿日市停留所待合所内の古ぼけた案内図の続きで上画像にはマルシン・宮島信用金庫・家納喜酒造など懐かしい名前がみられる。中・下画像は国道2号線より海側の案内図であるが劣化剥落で読み取れないような状態であった。画像は何れも2019年1月に撮影したものである。古ぼけた案内図②
国道2号線沿いの廿日市港脇にある元広電バスの廿日市停留所待合所内に古ぼけた案内図が数枚みられる。一部ではこういう看板を作っては無断で貼りだして、看板料の名目でしつこく集金に来る業者がかつていたような話を聞いたことがある。下画像の案内図をみると2号線沿いに廿日市町役場やダイイチがみられ、宮島信用金庫の宮の字が広に修正されているなど懐かしい商店名などがみられ歴史を感じるのである。古ぼけた案内図
極楽寺山系や野貝原山系の山々をみると秋でもないのに茶色となった木々があちらこちらでみられる。連日の猛暑での水分不足で葉が枯れて樹木も弱っているものとみられる。もう枯れ木となったものもあるかも知れない。今日は待望の一雨降りそうだが・・・山々に枯れ木が!?
先日骨組みを作っていた盆燈籠に二等辺三角形の6色の燈籠紙を張り、上部角に飾り房などを取り付けて耳飾り紙を張り付けて完成である。店舗先にみられる盆燈籠に比し豪華さに劣るが汗水流して作成した燈籠であり先祖たちも喜んでくれるだろう。盆燈籠づくり
上平良地区内を横切っている山陽自動車道速谷高架橋が出来る前の状況から橋脚工事が進んで行く状況であるが、同一場所での橋梁の架橋工事の画像が見当たらない。当時は平良いちご栽培が盛んであり所々にいちご栽培のビニールハウスがみられる。山陽自動車道速谷高架橋②
先日、山陽自動車道の速谷高架橋の床版舗装の老朽化で舗装補修工事を今月末頃から夜間に行うとお知らせ案内があった。この区間は昭和62年(1987)2月に開通しておりもう36年経っているのだ。画像は昭和59年(1984)頃の速谷高架橋工事の初期段階で向う側は現在の宮島サービスエリア方面である。山陽自動車道速谷高架橋
盆も近づいてきたので例年の如く盆燈籠づくりを始めた。体調不良で暑い時期なので店で購入すれば楽でよいのであるが老化防止のために出来る限り作っていきたい。冬場に切り取っていた篠竹を必要長さに切り揃え上部側一節分を6つ割りにして先端部に割れ目をつけ別途制作した六角型の竹枠を嵌め込んで朝顔型燈籠の骨組みが完成する。以前は孫達用の燈籠も作っていたのであるが・・・盆燈籠づくり①
極楽寺の梵鐘蓮教寺の梵鐘極楽寺本堂の宝珠厳島多宝塔の九輪厳島神社反橋擬宝珠正覚院の梵鐘昨日紹介した廿日市本陣を経営していた山田家は中世から代々鋳造活動をしていた家であり、市域では山田貞栄の極楽寺の梵鐘、蓮教寺の梵鐘、山田貞能の極楽寺本堂の宝珠、厳島多宝塔の九輪、山田貞利の厳島神社反橋擬宝珠、山田貞運の正覚院の梵鐘などの鋳造作品が残されている。鋳物師山田家の鋳造作品
廿日市本陣と本陣を経営していた山田家の居宅の間取り図があったので復元立体間取り図を描いてみた。また間取り図からこのような姿の本陣があったのではなかろうかと復元立面図も描いてみた。(中央画像-芸州廿日市本陣の3次元外観復元想定図より)廿日市本陣②
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gooブログを利用させて頂き昨日丸19年を終えることが出来ました。トータル訪問数1959415UU、トータル閲覧数7210015PVと多くの方々の御来訪、閲覧をして頂きまして大いに励みとなり何とか継続することが出来ました。gooブログ様、御来訪・閲覧者の皆様どうも有難うございました。これからは移転先のAmebaブログ(https://ameblo.jp/n3491/)で更新をしていきますのでどうぞ宜敷くお願い致します。尚、当gooブログは11月18日の消滅までこのまま残しておきますが、これらすべてAmebaブログに移転されています。Amebaブログに移転しました。
蛇の池極楽寺下池先日紹介した蛇の池廻りを一周していると池畔で1塊のモリアオガエルの卵塊がみられた。また極楽寺下の登山道脇にある小さな池の廻りの樹木に3塊のモリアオガエルの卵塊がみられた。※明日が20年目の開設日なので当ブログの更新は本日が最後となります。移転先のAmebaブログでこれからは更新をしていきますので宜敷くお願い致します。https://ameblo.jp/n3491/極楽寺山-モリアオガエルの卵塊
画像A画像B画像C極楽寺に久しぶりに参詣した。当日は仏事があったようで本堂の外でも参詣者がお参りされていた。画像Aは明治末期頃の絵葉書で裳階部分に腰壁のようなものがみられる。画像Bは昭和初期頃(広島を繞る山の研究より)の画像で本堂の西側に建物がみられ庫裡があったのだろうか。画像Cは昭和後期ごろの画像である。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/極楽寺今昔
極楽寺山にある蛇の池のスイレンを見に行った。池全面に色とりどりのスイレンが咲いておりローズアレー、アトラクション、プリシマ、サルフェリアの品種があるようである。池畔からすべての品種は確認できなかったが、鯉と亀が出迎えてくれた。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/蛇の池のスイレン
ウォーキング途中の道端に見たことがないような花が咲いていた。Googleレンズで検索してみるとキカラスウリ(黄烏瓜)の花のようである。鮮やかな朱色のカラスウリの実は見たことがあるがキカラスウリの実を見たことがないので注意してみよう。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-キカラスウリ
ウォーキング途中で見掛ける可愛川に架かる橋梁の進捗状況で、橋桁がすべて架けられていた。これから床版のコンクリート打ちが行われるのであろうか。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
原地区にあるかつての国立療養所原病院は現在社会福祉法人三篠会「ふれあいライフ原」の施設として使用されている。現在老朽化した建物が取り壊されており、何らかの施設建物が建築されるようである。(上画像-国立療養所原病院記念誌より)※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/国立療養所原病院今昔
梅雨の時期なので以前に訪れた岩国市六呂師大藤地区にある梅雨左衛門を紹介しよう。田んぼの脇に巨岩があり岩の隙間に蛇がいるというが、現在農地は荒れており近づくことは出来ない。江戸派の地誌に「田疇ニ大岩高サ四間程也、岩中ニ有一双小蛇、形鳥蛇ノ如ク、頭帯白色、毎年入梅ノ日ヨリ、彼蛇岩ノ穴ヨリ頭ヲ出シ不退、・・・」と記されている。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/梅雨左衛門
梅雨の合間に二重原地区石か小屋にある巨岩の割れ目に栖んでいるという梅雨太郎さんに会いに行ったが姿を見せてくれなかった。江戸期の地誌に「異石-・・・石罅に雙蛇を栖しむ、梅雨の後、去て見まず、此石犯すものは祟ありといふ」と記されている。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/梅雨太郎
廿日市20代目桜島大根(上画像)と廿日市10代目切葉松本地大根(下画像)の現状で、切葉松本地大根は苗の時に虫被害でもうこれまでかと思っていたが何とか育って種が取れそうである。これらから種を採って廿日市21代目桜島大根と廿日市11代目切葉松本地大根を育てるつもりである。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の今
峠地区の最禅寺境内に安置されている浅浮彫合掌仏立像(線刻仏像?)を久しぶりにお参りした。板状の石に浅浮彫りされたもので、衣文線が特徴的である。この合掌仏立像は以前不適切な状態であったものを当寺に移設し安置されたものであると教えてもらったことがある。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/浅浮彫合掌仏立像
玖島地区の大町と平谷集落の中ほどの県道沿いに大きな背石のある石仏が安置されており、刻銘に「安永九年(1780)子十月日」とある。現在は県道沿いであるがこの場所は旧石州往還道(廿日市~匹見・益田方面)があった所であり旅人の安穏を祈念して建立されたものであろう。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の石仏
玖島地区の大町集落のとある谷合(近所の人に聞いたが谷名不明)を登った所に小さな池(沼)がある。その周辺にある樹木の池上部分にモリアオガエルの卵塊がたくさん見られた。今年はまだ卵塊からオタマジャクシが垂れ落ちていなかった。※6月22日が丸19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/モリアオガエルの卵塊
時折り紹介している可愛川に架かる橋梁の進捗状況で、前回紹介した時より橋桁が多く架けられていた。橋台部分を見るともう1本位橋桁が架けられるのであろうか。橋桁上の材料であろうかクレーンで運搬されていた。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/市道堂垣内広池山線工事の今
昨日紹介した自室前の田んぼに別のグループのコサギとアオサギかがやってきた。コサギは昨日のものより大きく成鳥のようであった。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/コサギ・アオサギが!
自室前の田んぼに兄弟であろうか2匹のシラサギがやってきて田んぼの中の小動物をたべていた。撮影した画像を見ると小型でありクチバシや足が黒色なのでコサギの幼鳥のようである。時間を空けてからアオサキがやってきた。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/コサギ・アオサギが!
ウォーキング途中にブラシノキの花が咲いていた。オーストラリア原産のようで、カリステモン、ハナマキ、キンポウジュ、ボトルブラッシュともいわれているようである。花はビン洗いのブラシによく似ており和名でブラシノキというようである。※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/路傍の花-ブラシノキ
広電宮島線沿いの廿日市駅東側にあったレンガ建築の廿日市変電所は平成21年(2009)3月に取り壊され変電所跡は駐車場になっており、変電所脇にあった踏切は廃止されていた。新しい変電所は廿日市駅の上り線ホーム脇に設けられている。(広電廿日市変電所)※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。https://ameblo.jp/n3491/広電廿日市変電所今昔
原地区川末の泉水峠付近で林道工事が行われていることを以前に紹介したが、工事が順次進捗しているようである。上画像は昨年9月の状態であるが現在は下画像のように工事ケ所が延伸しているのである。県道294号虫道廿日市線の険道区間が林道として建設整備されているようである。林道玖島川末線工事の遠望
時折紹介している市道堂垣内広池山線の進捗状況で、宮島サービスエリアから遠望すると平良丘陵開発用地側の工事が始まっているようである。菊ケ迫山の樹木が伐採され掘削も始まっているのであろうか。以前にも紹介したがこの山の尾根筋に旧石州往還の名残りがあったところであった。市道堂垣内広池山線の今
梅の木を植えている畑の草刈りをしていたら鮮やかな色のクソナバがあった。Googleレンズで検索するとツガノマンネンタケのようであり、枯れ木に発生するとのことであった。しかし雑草の中に生えていたのであるが枯れ枝が雑草の下に埋まっていたのであろうか・・・ツガノマンネンタケ?
極楽寺山に向かう自動車道脇に見慣れない花が咲いていた。Googleレンズで検索するとホタルブクロのようである。ホタルブクロは中国原産の多年草のようであるが、このような山中にもあるものだろうか・・・ホタルブクロが!
速谷神社社務所の待合室に掲げられている、磐座の前でこの地の長(おさ)が祈りをささげている図で、先日の中国新聞に掲載されていた。速谷神社の前身は、磐座を神が降臨する場所とする自然崇拝が行われていたものとみられ、その後磐座を中心にして社殿が建立され現在に至っているのである。速谷神社-磐座祈りの図
時折紹介している臨港道路廿日市草津線の広島はつかいち大橋の下り線側海上部橋桁架設工事の現在である。橋桁の広島側の第一ブロック(上画像の右端)の架設は終わっており、第二ブロックの工事を進めるべく貯木場沖に起重機船が橋桁を吊り下げて待機しているようである。広島はつかいち大橋の今
ウォーキング途中で見たことがないようなクソナバがあった。Googleレンズで検索するとスミレホコリタケのようである。当ブログ主は食用とならないような不明のキノコをクソナバと称している。スミレホコリタケ?
しめ縄づくりや春の桜などで時折り紹介している河野原大歳神社の拝殿が老朽化のために撤去されていた。昭和15年(1940)に多くの寄進者によって社殿が建てられ境内周囲にはずらりと並んだ玉垣や数多くの石灯籠が建立され整備されたが・・・現在は氏子数も少なく修復費用の捻出が難しいために本殿のみで存続されるようである。河野原大歳神社が!
極楽寺山に向かう道すがらの各所に白い花が咲いたように見えるマタタビの葉がみられる。花をつける頃に葉の表が白化して受粉をしてくれる昆虫を誘うためのようであり、葉の裏側は通常の緑のままである。令和元年に漬けたマタタビ酒を飲んでぶらり「又旅」をしようか・・・マタタビの白い葉
極楽寺山に向かう自動車道で、さくらの里分岐手前の斜面に上画像のような氷河礫層があるが、現在は雑木に覆われておりどこにあるか分からない。看板表示も見えにくくなっており氷河礫層があることを気付く人はいないであろう。河原にあるような玉石がなぜこのような山上にあるのだろうか、この氷河礫層については廿日市の文化第11・12集、廿日市町史通史編(上)に詳述されている。極楽寺山の氷河礫層
蛇の池一帯は湿地帯であったものを明治・大正期に農業用溜め池として整備されたものとみられ、田圃灌漑、五穀豊穣など祈念のため堰堤西端の山際に弁財天社が祀られていた。昭和43年(1968)の明治100年記念事業で、道路築造のため弁財天社は周回路東側に移転されていたがお参りやお世話をする人もなく昭和後期頃(上画像)から朽ち始め現在は礎石のみとなって知っている人はもういないであろう。蛇の池弁財天社跡
梅雨の中休みに極楽寺山にある蛇の池のスイレンを見に行った。ピンクや白など色とりどりの睡蓮が池全面に咲いていたが、以前に訪れた時より鮮やかな色合いが少ないようであった。撮影ポイントである展望台が老朽化のために立ち入り制限されており、池端からの望遠撮影となった。蛇の池の睡蓮
雨上がりの井出沿いの小道に直径2cm位の小さい唐傘のようなクソナバが生えていた。Googleレンズで検索するとサラエノヒトヨタケかクズヒトヨタケのようであるが定かなことは不明である。サラエノヒトヨタケか?
梅雨の合間のウォーキング途中で、紫色の花と朱色の花が重なったような見たことがない花があった。Googleレンズで検索すると上段画像はムラサキルエリアのようであり、下段画像はコエビソウのようである。路傍の花
ブログのネタ切れで・・・当ブログ主は当ブログの他に以下のホームページなどを開設していますのでどうぞご覧になって下さい。『いにしえのロマンの郷「はつかいち」』は市域の歴史を主体に紹介したものである。『鵬程二萬八千浬』は大正9年(1920)に従曽祖父が練習艦隊「浅間」に乗艦して世界一周の練習航海した記録である。『ゼンマイ式8mmカメラ館』は電池式の8mmカメラが登場する以前のゼンマイ式8mmカメラ、9.5mmカメラを紹介する。『絲綢之路・黄土高原点描』は平成2年(1990)から平成6年(1994)にシルクロードや黄土高原を探訪したものを紹介する。『阿多田島灯台資料館』は大竹市阿多田島にあった灯台官舎が平成8年(1996)に阿多田島灯台資料館として整備されたものを紹介する。『はつかいちぶらり-別館』
梅雨の合間で6月の晦日であった昨日、速谷神社において前半年間の過ち穢れを祓う神事が行われ、多くの善男善女が茅の輪を三度くぐって家内安全、無病息災、疫病退散を祈っていた。速谷神社-夏夏越大祓式
大野地区と宮島との間の大野瀬戸に設置されている亀石灯標で上の浜地区護岸からの遠望画像である。大野瀬戸の中央部や北側、また西方には浅礁が広がっているようであり、昭和25年(1950)5月6日に旧亀石灯柱の位置に灯標を設置点燈したようである。亀石灯標
以前に宮浜温泉の駐車場で宮浜温泉3号源泉の掘削準備作業が行われていることを紹介した。それから日にちが随分経過したが昨日所用で訪れてみると駐車場脇に宮浜温泉3号源泉井と思われる囲いがあった。ここから温泉(冷泉)が湧出するのであろうか。宮浜温泉3号源泉
オープン間近であった平良体育館跡に設けられた公園を以前に紹介したが、すでに「平良っ子わいわい広場」として開放されていた。以前にも紹介したがこの地には平良村役場、平良小学校講堂・体育館(平良小移転後平良体育館)などがあった地である。平良っ子わいわい広場
山陽自動車道の宮島サービスエリア展望広場の芝生の中にゴルフボールのようなクソナバが生えていた。Googleレンズで検索するとオニフスベのようである。大きく育つようであるが多くの人が通るところでありどのようになるだろうか。オニフスベか?