きょうの詩は、降る雨にみる怒りとひとのおごりに対する思いをみる詩雨にみる思い降る雨に私と同じ怒りを見て思うのは雨の素直さ雨は怒りをダイレクトに伝え、一気に暴走し破壊しRESETしながら流れ回帰させる雨その人のおごりに怒りで戒めようと注意を促すがそれを無視する私に向かって怒りで回帰Resetする雨の優しさ。雨にみる思い
きょうの詩は、二月の終わりになると里山の森に春の灯りを求めるが、この春は春の訪れは遅くいまだに冬彩が残る。森に春を求めて春と言われても落葉に木の葉はなく常緑の木の葉に精彩はなく森に積もる落ち葉が朽ち色に染まり落ち葉を踏む音が静寂を壊し緩む土の中に萌えはなくつかの間の日和が燃え萌えを誘うが無反応で「春か・・・」思う萌え彩はいまだなく森に冬をみる。早春の森で
きょうの詩は、二月の終わりにみる春の生れに思う春の生まれさめた土が寒の戻りの潤いでゆるみそのなかから萌える産女に私の冷めも緩み恋が春から生まれるように私にも生まれ二人でときめく早春のなかに誕生と出会いに私も覚めるが町はまだ…冬の抵抗のなかにあるけれど土の見えるところで春が生まれるが誰も私に気を留めないし知らない。春をみる
きょうの詩は、私の好きな椿で早春にその咲を求めて里山を歩く花は未開でいまだに口を閉じている薮の蕾冬の終わりのなかで蝋梅水仙と咲いてそろそろ次はあなたの番と促されても・・・私はその気になれず固い表情を崩さない藪椿の蕾「花はいつかな・・・」茂みのなかに膨らみを探すがまだ見ぬ人に思い寄せる恋路は見えず未恋の蕾があかりを灯す時を待っている早春の藪椿の蕾。未開の藪椿
きょうの詩は、好みで分かれる海と山、きょうの詩は山好きの私からみた海の四季をみて思う詩好み山が好きな人は海より山がいいというが一度山を離れ海に行って砂浜を走り海に入り潜り潮の流れを泳ぎながらサンゴの森を抜け谷を下り山を越え魚と一緒に自由に泳いでみれば山とは違う色彩の風景が広がって四季ごとに変わる温もりで私を抱きしめる海は母の優しさで山は父の厳しさで愛してくれる。海と山
きょうの詩は、梅園の白梅でなく放棄地となった畑で春になると存在感をみせる白梅をみて彼女に贈る詩見捨てられたように私はもう見捨てられたのか、彼女は思い私はここになぜ一人でいるのか思う一本の樹木その彼女が笑顔になるのが早春で花をいっぱいつけ逆ハートの形の花が私を好きになってもあなたの色には染まらないと彩を貫くそのあなたにかわいい子がたわわに実るfamilyを私は何年も知らないなぜなら逢瀬は笑顔の時のみだから。白梅
きょうの詩は、居座る冬のなかで冬の日和を拾いながら温まった蕾が開き、咲く一コマの想いの詩早春の紅梅節は春を告げているが冬が居座り寒々としている二月の半ば冬の緩みの間で蕾を温めた紅梅がそろそろ私の旬固い表情を緩ませひとり…と咲いて花ともりとなって燈り笑みが満面のほほ笑みとなり溢れ花から匂う芳香で壊れ始める冬の中に春を見る。早春の紅梅
きょうの詩は、私が好きな容と生に思う私の想い、考えの詩容と生容はひとが作り、生は授かる。この二つは何れ形の機能を失い、消える。容も生も使用で消耗し、容は壊れ、生の機能は停止して二つは壊れる。容のなかにはその扱い・管理により、生よりも長く容を保つが、生の保ちは限られ、そのひとによって違い、終えれば無に帰する。この二つはひとにより作られ、ひとの関わりでその終えが決まるのかも知れない。容と生に思う
きょうの詩は、私が過ごすなかでいろいろ恋して思うその思いの詩性男と女が求めるもうひとつの形はある出会いから始まり縛られながらも人目を避け重ねる逢瀬、いまを忘れる口づけで求め合いは理性を失い日々のなかで燃え続ける恋はわれを忘れ夢中になり、哀しい性生を知る一時。恋に思う
きょうの詩は、若い世代の半ばの絶ちに思う私の想いというか寂しさの詩絶ちに思う自然に生える樹木や植物と同じようにある意味で過酷な自然の中で人は生き耐え、周りに支えられながら喜怒哀楽を通して自然に果てるまで生きていくのが私たちそれがなぜ、どうして自ら絶つのかその心の内を誰も分かろうとしていないし見捨てているのかもしれないでも人は生を受けた以上あなたに生を授けた愛する人のため絶ちは何も生まない。半ばのわかれに思う
きょうの詩は、早春のなかでひとあし早く咲く蒲公英への想いともる一輪名も知られていない雑草に混ざり一輪の蒲公英が天に手を伸ばし、花を一輪つけ丸顔を黄色の厚化粧で冬の終わりの日和の日差しをむさぼり濁りのない花彩の美を見せるがもう誰も私には触れない、手に取らない私が少女に摘まれたのは今は遠い昔のこと雑草となった今、町の片隅でひっそり咲く。早春の蒲公英
きょうの詩は以前に旅した伊良湖の菜の花咲くなかを散策したときの想い出の詩伊良湖の想い出海辺の丘陵地を花が黄一色に染まりひとひらが天に舞花で埋まる花のなかに分け入れば海からの甘じょっぱい湿りが風に飛ばされ私にキスして「温かいでしょう」と笑みをこぼし冬がひと足早く菜の花に染まる伊良湖から海に逃げていく。旅の思い出
きょうの詩は、私の友人の誕生日に贈る言葉誕生日の詩昨日で私という一年草の私が散り新たな花を咲かせるために今日から蕾を膨らませる私の誕生日今までの私は散り今日から新たな一期一会で蕾を育みすてきな私を創り一年かけて私を咲かせたい。贈る言葉
きょうの詩は、立春が過ぎたなかでみる日和に思う詩日和で顔は穏やかで笑っているが心の内は冷め笑みからこぼれる日差しは優しいがさめて暖まらない今日の日和つかむ日和に熱い思いは感じられずクールで笑みに和みは感じられず抱きしめる日差しに心がない日和。晩冬の日和
きょうの詩は、私の気分転換は飲み歌いでなく、寂のなかを時間をかけて歩くことで自然換気すること寂のなかを歩く今では死語というかあまり使われない「寂」私はこの言葉が好きでこの言葉に合う場所に時折訪ねいまの私の心を捨て空にして寂のなかをゆっくりと歩きいまの薄汚れた心を空白にして自然換気で私を洗うがそれで何も変わらないし、その場限りとそれを知りながら寂歩きを止められない私の弱さ、人の哀しい性。私の寂歩き
きょうの詩は、私が四季折々歩く小さな森に佇む寺の山門横に立つ対の銀杏に思う私の想い寺の銀杏地味な私がスポットライトを浴びるのが秋で春には萌え花が咲き小葉が広がって新緑になっても私を見上げ「新緑がみずみずしい」と見る人はなく今秋になり黄葉しても逢瀬の相手は少なく初恋のときめきを持ちながら終えその思いは引き潮となって消える。----山門の銀杏
きょうの詩は、湖辺を歩きながらみる春の萌えの一コマ温の湖うみが春の中で凪いでいる朝の風が「おい、朝が来た」と枝を揺らし声をかけ起こしていく立春の朝空は汚れの取れた碧い空となって広がり海の向こうには雪の積もる山が連なり足元では日差しを受け緩む土の中で新芽が春のともりとなってともり冷めを点々と点し空間を広げる春が始まる。湖辺でみる春
きょうの詩は、寺の境内の片隅でひっそり咲く水仙の一輪を灯りとして眺め思う花への思い花ともりツーンと伸びた茎の先で小さな胸を膨らませまだ見ぬ人を待つ小さな蕾その咲はともりであかりは咲いて燈り散りで燈は消えその小さな明かりに魅せられた者はなく独りの時の中で見初めてくれる人を待ち一喜一憂して消える一輪のともりに暗さはない。一輪の水仙
きょうの詩は、いろいろな花の咲と散りにみる私の思い咲けば花は咲けばその美ははかなく散りでその彩と美が消えるはかなさそう思うと哀しく寂しい一面もある植物と樹木それは植物と樹木で違うが散りは散りで…植物は散り後は枯れ、樹木は存在を残し二人はそれぞれの形で再び彩を描く花たちこれは彼女たちが見せる個性美。花の散り
きょうの詩は、気分転換に思う私の考えと思いは自然換気私の自然換気ひとは日々過ごすなかで悩み誰もがストレスを抱え気分転換が必要でその方法はひとそれぞれあって良いしこれがベストというものはなく人により違っていい私は必ずひとりのオフを作りストレスを吐き出し一日オフを楽しむことでリセットして抱えをゼロにして終わる私の気分転換。私の気分転換
きょうの詩は、ひとがもつ恋の思いを多年草の花に例えその思いを冷めでなく褪めに例え思う想い恋のさめひとがもつ思いはそのひとがもち咲かせる一輪の花花はバラにも野花にもなりその咲きは何れも美しいが散りがあるその咲きのプロセスは一つの恋であり、性ひとの恋も花の咲きであり、咲いた後には散りが来るひとは一年草でなく多年草の花散り後は再び萌え、花を咲かせ、さめで恋がうせる。思いの褪め
きょうの詩は、私がもう一人の愛するひとと思い慕い、冬の森で逢瀬を重ねるひとへの思い冬の落葉樹衣を脱ぎ捨てた冬の落葉樹が見せる裸体のいろいろな形はそれぞれに個性美がありああ・・・このひとはコナラ、このひとは・・・とその多種多様な形に話しかけ歩く冬の森の楽しさは衣を脱ぎ捨てた彼女たちの素顔の個性に萌えを思い巡らせる冬の森。冬の森の恋人たち
きょうの詩は、私が冬になると求める日本水仙、花は私が生まれ育った地で咲く雪中花。冬の愛するひと花の少ない冬の野にあって花はひっそり咲いて花期を終える水仙花は海を見下ろす段丘で清楚な花彩を寒空の中で震えさせながら愛を求めるように唇を開き甘い香りを「ふぅ・・」と吹きながら私の恋心をくすぐる水仙の芳香に閉ざされた恋心があなたの香りで緩み思いは空に向かって解き放され花の香りに包まれて萌える。愛する冬人
きょうの詩は、私が求めてやまない山のひとりに思う詩愛してやまない人私が求めてやまない独りでそのあなたへのアプローチは長くピークに至る過程で私を試すあなたが怖いあなたの唇を奪おうと詰める私を迸る水と歩きを阻む雪渓がしがみつく岩稜が私を振り落とそうと隙(げき)を伺うそう愛しているあなたが私を愛していないことを知っているからあなたが私は怖い。私の好きなひとり
きょうの詩は私の性を主る二つの欲と心に思う欲と心私を創る欲と心の二つが私を創りいまを私は生きている欲は私を生かし心は私を創り欲が逸脱すれば心が制御し私を人に戻す欲と心私の性を作る二つを失くして私は存在しないしこの二つがいまの私を創る。私の二つ
きょうの詩は、日頃余り気に留めない立春にみる私の思い立春に思う時折語りかけるように氷空がゆるみ隙間から笑みがこぼれ仄々とした温もりに包まれながらああ・・・今日は凪いでいるそう思う立春の訪れその春はまだ逢えぬ人となって居座る冬に阻まれが萌えはこの日から時折こぼれ落ちる温もりを拾い初心な恋を温めながらときめきを待つ立春。2月3日
きょうの詩は、冬のなかで散る寒椿の終わりを花の恋に重ねみる花のうせ咲は花がもつ恋であり、散りはわかれ冬のなかで咲を終えた寒椿が旬を終え一片を涙に変え落ち、辺り一面を残り彩で染め終えの一時を楽しみ、生前色を消す寒椿のうせそのうせは花のひと冬の恋の終わりであり、寒椿はいつも冬に恋し、わかれを私と違い、冬に幾度となく恋する。散り
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きょうの詩は、降る雨にみる怒りとひとのおごりに対する思いをみる詩雨にみる思い降る雨に私と同じ怒りを見て思うのは雨の素直さ雨は怒りをダイレクトに伝え、一気に暴走し破壊しRESETしながら流れ回帰させる雨その人のおごりに怒りで戒めようと注意を促すがそれを無視する私に向かって怒りで回帰Resetする雨の優しさ。雨にみる思い
きょうの詩は私がよく歩く森のなかに立つ、一本の樹木がみせる一コマをみての思い一本の樹木人知れず立つ一本の樹木きょうも訪れの少ない境内に立つ樹木が得意げになるのが萌からの新緑、青葉からの黄葉彼女が描くプロセスとワンシーンはすてきでいつも切ない恋心をわくわくさせああ…この素顔から萌え広がり深く染まる大きな包容力で怒りを遮りホッとする木陰を一本で阻む包容力を森に立つ一本の樹木にみる。一本の樹木
きょうの詩は梅雨空の下で映える一葉の美しい桜を見ての思い梅雨の桜花を終えた樹木の葉が全体を覆い一葉の緑梅がみずみずしい桜その桜の樹の下に集う者はなく今日も寂しげで日差しが桜に声をかけ「呼ぼうか誰かを」誘うが・・・日差しはまだ…梅雨色で逃れてくる者はなく「先か…」私の梅雨化粧はみずみずしく美しいのに誰も私に振り向いてくれない。梅雨の桜
きょうの詩は6月の梅雨入りで降る雨にみる私の思い雨の6月梅雨入りか・・・この雨が森に潤いを齎し、うまい水が生まれその水で美味しい米が作られ、果実などが育まれ私もこの雨から心身に潤いを受ける6月の雨「いいね」そう言いたいけれど「おいおい少し降り過ぎじゃない」これは驕る私に対しての怒りであり、哀しみか降る雨に対し私は何も言えずああ・・・「きょうもよく降るな」で終わる水無月。6月の雨
きょうの詩は、いままで過ごしたなかで私にとり心残るひととなっているのが、ひとでなく里山で咲くささゆりに対する思い。心残るひと長く生きていると心に残る想い出が多く、心に残る人は多い。その中で一年に一度しか会えないひとが、里山でひっそりと咲くササユリ。花は野山で咲くのに七年以上を要し、会えるササユリが私の心残るひと。消えたら会えるのは七年先。でも会えるとは限らない想い出のひと。心残るひと
きょうの詩は何れ私にもくる、生あるものに必ず平等に来る永遠のわかれに思う会えないわかれひとのわかれにはいろいろなわかれがあるなかで一番悲しく寂しく後悔に抱かれるのが愛おしいひととのわかれ寂しく哀しく募る思いは感情を揺さぶり回帰するが唯唯想い出を拾いしのぶ生あるものすべてに訪れる永遠のわかれなまじ思考があるがゆえにやむ命のうせというわかれ。最後のわかれ
きょうの詩は終わった五月に対する私の思い終わった五月五月の中で私が求める花は新緑の中で燃えるヤマツツジツツジなら街でも見られるじゃないでも違うんだね私が求めるのは小さな赤い花その赤がいいそれが五月で叶わず閉じの末まで待って求めたのはサツキ叶わぬ思いをサツキに重ね、五月が終わるああ終わってしまったと六冊目を開く。五月の思い
きょうの詩は好きになってわかれたあの人の想い出を、季節の花に重ね想う私の思い。嫌な人人は出会いと別れを繰り返し私は何も分かっていないと悩む人との別れ今、別れの思いを花に変え私の好きな人を花に重ね思い出を追うように季節ごとに咲く花を求めるが季節ごとに咲く花は私の浮つく心を見抜き弄び見抜き季節ごとに一コマ…で私の思い出を詰め勝利を満面の笑みで弾けさせる嫌な人。嫌なひと
きょうの詩は6月が旬の紫陽花を宴に例え書いた花に対する思い。6月の宴素焼きの器で甘露の雨水を受けほろ酔いし少し飲み過ぎたかな・・・ほんのり顔を赤らめ酔った姿が美しい器の数々そろそろ紫陽花の季節かな・・・その個性その表情は多種多様で雨後の度毎に酔いを深めきょうはこの器で明日はこの器でと杯を変え宴の場を盛り上げる多彩な器の宴が愛おしい。咲を宴として
きょうの詩は降る雨に、ひとの感情を重ね想う雨の降り雨に思うああ・・・今日も雨か降る雨に今では人と同じような感情を見て雨は時には怒りを見せて降るがその源は人間にあるのか考えさせられる雨はすべての生をつかさどる命の源本来それぞれに対し愛しみを込められながら降っていた雨を人々がその環境を変えたことで今では感情をあらわにして雨を見て思う「おまえ今日は随分機嫌が悪そう」と思う雨。降る雨に思う
きょうの詩は私の恋についての思い恋に思う私恋それは私がひとが持つ性恋なくともひとは生きられるが恋は情熱情熱は生きるための活力でを失えば覇気が消えひとは人間を失う唯何となく煩わしいことも捨て生きるそれもありかでもひとは恋を追い求めないと容を失うそうひとの恋は人対人でなく人対四季の自然な恋もいい。私が思う恋
きょうの詩は、私が生を受け過ごすなかで生じる悩みを、解消する気分転換に思うに思う私の気分転換ひとは生を受けるとその時点から悩みを負う。それは成長に従って悩みの対象は広がり、「私は悩みなどない」そう思うひとは少なく、大抵のひとが悩みを抱え込む。それは思考と言葉を持つひとの宿命で、それがゆえにひとの心は荒み、Stressを抱え込み、「いまを変えよう」思うなか、私は悩みを解消するため、野山を歩くことで悩みを吐き出し、空にするResetが私の気分転換。私のReset
きょうの詩は、街の公園で咲く小さな花群をみて想う私のバラへの思い初夏に咲くバラ私がよく気分転換に訪れる街中の公園のバラ小さな囲みの中で群れ咲くバラを見て初夏か・・・知り花色はイレブンくらいであるがそのひとりには育ての愛が込められて彩の個性は少ないが花の色と数は多様で咲きに私たちの子育てをみて楽しくうれしくなる街で咲くバラたち。初夏に咲くバラ
きょうの詩は、私がよく使う二つの言葉に対する私が思うこと。二つの言葉私たちが使う一対一で「好き」「愛している」使う二つの言葉はいまは日常会話となって二人の関係を深めるが本来は「好き」と「愛している」とは対象が違い「好き」「愛している」は一対一の限定に対し「愛」はすべてのものが対象に対し「好き」「愛している」は最愛の人に使い「愛」は生あるものに対して使う思いやりや慈悲の心。二つの言葉に思う
きょうの詩は私が思う愛についての思い愛に思う愛は生あるものが持つCoreとなる心ひとは彼らと違い言葉と判断で自らの愛を温かい包容力で優しく包み和ませるのがひとの愛愛は利を求めずすべてのものに対し相手を労り傷ついた心を癒やし優しくあやすように温もりを伝えて元気にする人の愛愛は温もりで思いやりであり生きる喜びの道となるのがひとの愛。ひとの愛に思う
きょうの詩は初夏の街で咲いて散った、花の終りを旅たちに変え思う私の思い散りという旅立ち私の思う散りというツツジの旅立ちその旅立ちは恋して楽しい逢瀬を数日過ごし別れを予感しああ旅立ちか・・・知り涙し散るツツジの容のうせ笑顔が消え生みとなった木の葉が化粧し美しい顔で「またね」と告げる花の旅立ち。ツツジの散り
きょうの詩はミモザに付けられた花言葉を重ねて思う私の思いアカシアの思い私は一つの恋で終わるのではなくひとりに恋しながらもうひとりとの恋を楽しむ私その花の思いなど知る由もなく魅力的な花と繊細な一面に鮮やかな黄花ポンポンのような花を着物の胸元から軽く垂れる様子ははかなく心の満たされない私の思いはあなたにひそかに求める私。花言葉に思う
きょうの詩は私がもち思う「好き」という言葉に対する私の思いSUKI好きという思いは人が持つ性であり感情感情は人が生きるためのツールで人を対の形に作る反が歪みを生み思いを暴走させ制御を失う一面も持つ好きという人の思い思いはその人が持つ個体差で違いそれはその人の魅力であり美しさ好きは人のコアとなる心で好感に変換され互いが惹かれ求め合う性を生む。「好き」その言葉に思う
きょうの詩は、雨雲が去ってもなかなか夏空に回復しない空に対する私の思い----雨後の空雨を降らせた雲がLullabyと去っていくなかで駄々をこねる薄雲を叱るように早く…と追いやる日差しに対し抵抗する雨後の空空に青空を一気に広げて回復する元気はなく空で迷走し夏空になり切れない雨後の空。雨後の空
きょうの詩はひとを待つのでなく「雨が降る」その告知にいまだに来ない雨の降りに対し待つ私の思い。降る雨を待ついまは降る雨に「いつ降るのか」と空を眺めながら時にはわくわくしながら好きなひとを待つように少し焦りながら少し苛立ちながら「まだ来ないのかな」と不安になりながら待つきょうの雨気になって、窓から空をみれば薄いミルクトーンの明るさでこの空色ならやつはどこかで道草を食っているなとみる空にホッとする半面、複雑な恋心を感じる。待つ
夏の花私が好きなアジサイのアナベル花の色は白とピンクいつもみるのは白でピンクはいまだに会えない愛しいひとそのひとは感情をたかぶらせることなく何人にも染まらないむくでその白亜の美しさが薄汚れた私の心を雨と共に洗い流す。紫陽花のアナベル
わたし私は愛する二人から生を受けいまを生きているふたりの愛で私という形を作り多くの関わりあう人たちから愛を受けて糧となる彼等の恵みで生を育みいまの私があるそのいまがあるのは彼等のおかげでその感謝でいまが在りありがとうで私は明日を生きる。私が在るのは
ある想いきょう思う想いは人でなく夏のアジサイそのひとは日本の花でなく西洋アジサイのアナベル色は白とピンク一目でいいそう思いながらいまだに会えないピンクのアナベル一度でいい想いつつ過ぎる夏の想い。一目
森の樹森のなかに立つ一本のケヤキ見た目はでかくでかい割には格好のいいひとりでこれがケヤキかそう思い新緑のケヤキにみとれる夏の青その深緑のテラスに集うものはなく辺り一面を夏の寂が漂う。夏のケヤキ
初夏の桜の堤で花の消えた初夏の桜並木には訪れる人は少なく長い沈黙の時が流れる静寂の一時その樹木の下で座り耳を澄まして命の声を拾うが邪念で固まる私には何も聞こえない。桜の樹の下で
一枚のArt森のなかの小路に立ってゆっくり空をみながら窓の下に広がる森の表情を追いArtに見立て一枚・・区切りBestな一枚を選ぶなかで出会うBestな一枚は私の失せた恋心に再び火を付ける。森は一枚のArt
初夏の花走り梅雨が森に潤いをもたらし雨後の日差しがつぼみに話しかけ優しい新緑の広がりが百合を抱きしめ温める初夏その暖かさのなかで花は恋心をふくらませ淡いpinkの姿態を少しうつむきかげんに咲かせるその姿は控えめで愛くるしく優しい微笑みで私の想いをもてあそぶ。初夏のササユリ
私の想いで人は月日を重ねながら成長して一期一会を重ねながら想いでをつづり一冊の本になりその本は校正なしの一冊で時にははがし破いて修正を重ねるごとで私の一冊となり初めはつまらない一冊が年月を重ねるごとに私の想い出になる。想い出
いま思うのはいま私が思うのは籠のなかに閉じこもり失せた旅への想いああ・・・知らない街を歩いてみたい思う気持ちと裏腹に行動に移れない私いま消えた想いと情熱を思い「さあ行こう」その一歩が出ない私を窓から流れ込む初夏の風が「さあまずは街を一緒に歩こう」風が私の耳元で誘う。燻る情熱
紫陽花の社交場初夏の街の至る所で紫陽花が一人二人と微笑むなかでまだあどけない子もいれば薄化粧のおしゃま少女もいるまだまだ化粧の美しいひとは少ないが色とりどりのドレスを花がまとい日を追うごとに華やいでいく紫陽花たちの雨後の社交場。夏花の宴
私が思う恋恋か・・・関係ないないな恋を男と女の性として捉えるから相手を失うと終わる私達も動物と同じ本能をもっているがそれをControlする術を持つ出会いイコール恋でなく互いは惹かあうことで恋が生まれるそれはあくまで自然体から。思う恋
私の換気人はソフトとハードで構成されいまを生きているそのソフトは意外とトラブルという弱点を持っているがソフトは更新と交換ができず維持のメンテナンスが生じる怠ればショートし壊れる人のソフトそれを維持するため私は換気とリセットで更新を繰り返す。私の気分転換
想い出の人誰もが忘れられない思い出の人を心のなかに残しているそれは生涯表に出ない私の心のCoreに閉じ込められて私はいまを生きているそれがいま朽ちるなかで時折うずいてああ・・・切ない思い浮かべるあの人との時間それは私が心に閉じ込め消したふたりの想い出の一時。心に残る人
好きと恋私達が使う好きと恋の言葉好きだからといって恋にはならないひとが求める恋はひとの性で好きとは心の部分この二つは混同され錯覚し狂いを生む言葉いま恋し好きになり恋の形を作り二つが私のCoreを生す。二つの言葉
五月の椛色々な場所で初夏の美をみせる椛がちやほやされるのが秋でその私が春の萌えから初夏に移るといまの私は蚊帳の外ああ・・・何で生える所は違っても私も同じ椛そう思うと哀しいいま菜種梅雨と初夏の心地よい風で春を洗い彩化粧で潤う私も見てと椛が誘う。初夏の椛
消える私公園のなかで際立つ一本がみせる香りの存在感樹木の花は個性と色と香りで存在感を示すが足を止め仰ぐものはないいま彼女の満面な笑顔から香りがこぼれるその香りを拾い見上げるものはなく笑顔も消え渇いた涙が樹の下に散らばる。フサアカシアの散り
風に乗って堤で咲き終えたタンポポが花びらを綿毛に変え新たなる出会いを求めて風を待つ私吹く風は気まぐれでいつ来るかわからないあなたを待ち続ける風が来れば風に必死にしがみついて飛び降りた地で私の生が再び始まる。ある花の旅たち
初夏色染まり散り色あせぬ花びらに別れた女性(ひと)の想いでをかさねる色とりどりのバラ咲く色とりどりの園は多くのひとに愛されるが私もそのひと(女性)りなのに愛されずひとり寂しく散る花もあるその花はどこで咲いても恋化粧は美しく魅惑の微笑みで私を誘う。初夏のバラ
湿り風風が北から南風になって思うのは梅雨の走り雨の季節か・・・曇る空に梅雨の表情こそないが吹く風に感じる重い湿りああ・・・この風は嫌な露を知らせるあの風のさわりその風にみるのはいまでは忘れ会いたくないひとり。南の風
今日の雨朝から雨か・・・それも南から訪れる雨でそれって早すぎない私はまだあなたに会いたくないのにあなたは私の窓を叩き外へと誘っている私は雨に濡れたくないので外には出ないの払う手に触れる雨が意外と温かいと思うきょうの雨。雨に思う