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四季の旅人 https://blog.goo.ne.jp/rogu-0322

四季の自然を中心にして書いています。

時には人などに関わることを書くことがあります。

rogu
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住所
八幡市
出身
福井市
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2006/11/04

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  • 早春の森で

    きょうの詩は、二月の終わりになると里山の森に春の灯りを求めるが、この春は春の訪れは遅くいまだに冬彩が残る。森に春を求めて春と言われても落葉に木の葉はなく常緑の木の葉に精彩はなく森に積もる落ち葉が朽ち色に染まり落ち葉を踏む音が静寂を壊し緩む土の中に萌えはなくつかの間の日和が燃え萌えを誘うが無反応で「春か・・・」思う萌え彩はいまだなく森に冬をみる。早春の森で

  • 春をみる

    きょうの詩は、二月の終わりにみる春の生れに思う春の生まれさめた土が寒の戻りの潤いでゆるみそのなかから萌える産女に私の冷めも緩み恋が春から生まれるように私にも生まれ二人でときめく早春のなかに誕生と出会いに私も覚めるが町はまだ…冬の抵抗のなかにあるけれど土の見えるところで春が生まれるが誰も私に気を留めないし知らない。春をみる

  • 未開の藪椿

    きょうの詩は、私の好きな椿で早春にその咲を求めて里山を歩く花は未開でいまだに口を閉じている薮の蕾冬の終わりのなかで蝋梅水仙と咲いてそろそろ次はあなたの番と促されても・・・私はその気になれず固い表情を崩さない藪椿の蕾「花はいつかな・・・」茂みのなかに膨らみを探すがまだ見ぬ人に思い寄せる恋路は見えず未恋の蕾があかりを灯す時を待っている早春の藪椿の蕾。未開の藪椿

  • 海と山

    きょうの詩は、好みで分かれる海と山、きょうの詩は山好きの私からみた海の四季をみて思う詩好み山が好きな人は海より山がいいというが一度山を離れ海に行って砂浜を走り海に入り潜り潮の流れを泳ぎながらサンゴの森を抜け谷を下り山を越え魚と一緒に自由に泳いでみれば山とは違う色彩の風景が広がって四季ごとに変わる温もりで私を抱きしめる海は母の優しさで山は父の厳しさで愛してくれる。海と山

  • 白梅

    きょうの詩は、梅園の白梅でなく放棄地となった畑で春になると存在感をみせる白梅をみて彼女に贈る詩見捨てられたように私はもう見捨てられたのか、彼女は思い私はここになぜ一人でいるのか思う一本の樹木その彼女が笑顔になるのが早春で花をいっぱいつけ逆ハートの形の花が私を好きになってもあなたの色には染まらないと彩を貫くそのあなたにかわいい子がたわわに実るfamilyを私は何年も知らないなぜなら逢瀬は笑顔の時のみだから。白梅

  • 早春の紅梅

    きょうの詩は、居座る冬のなかで冬の日和を拾いながら温まった蕾が開き、咲く一コマの想いの詩早春の紅梅節は春を告げているが冬が居座り寒々としている二月の半ば冬の緩みの間で蕾を温めた紅梅がそろそろ私の旬固い表情を緩ませひとり…と咲いて花ともりとなって燈り笑みが満面のほほ笑みとなり溢れ花から匂う芳香で壊れ始める冬の中に春を見る。早春の紅梅

  • 容と生に思う

    きょうの詩は、私が好きな容と生に思う私の想い、考えの詩容と生容はひとが作り、生は授かる。この二つは何れ形の機能を失い、消える。容も生も使用で消耗し、容は壊れ、生の機能は停止して二つは壊れる。容のなかにはその扱い・管理により、生よりも長く容を保つが、生の保ちは限られ、そのひとによって違い、終えれば無に帰する。この二つはひとにより作られ、ひとの関わりでその終えが決まるのかも知れない。容と生に思う

  • 恋に思う

    きょうの詩は、私が過ごすなかでいろいろ恋して思うその思いの詩性男と女が求めるもうひとつの形はある出会いから始まり縛られながらも人目を避け重ねる逢瀬、いまを忘れる口づけで求め合いは理性を失い日々のなかで燃え続ける恋はわれを忘れ夢中になり、哀しい性生を知る一時。恋に思う

  • 半ばのわかれに思う

    きょうの詩は、若い世代の半ばの絶ちに思う私の想いというか寂しさの詩絶ちに思う自然に生える樹木や植物と同じようにある意味で過酷な自然の中で人は生き耐え、周りに支えられながら喜怒哀楽を通して自然に果てるまで生きていくのが私たちそれがなぜ、どうして自ら絶つのかその心の内を誰も分かろうとしていないし見捨てているのかもしれないでも人は生を受けた以上あなたに生を授けた愛する人のため絶ちは何も生まない。半ばのわかれに思う

  • 早春の蒲公英

    きょうの詩は、早春のなかでひとあし早く咲く蒲公英への想いともる一輪名も知られていない雑草に混ざり一輪の蒲公英が天に手を伸ばし、花を一輪つけ丸顔を黄色の厚化粧で冬の終わりの日和の日差しをむさぼり濁りのない花彩の美を見せるがもう誰も私には触れない、手に取らない私が少女に摘まれたのは今は遠い昔のこと雑草となった今、町の片隅でひっそり咲く。早春の蒲公英

  • 旅の思い出

    きょうの詩は以前に旅した伊良湖の菜の花咲くなかを散策したときの想い出の詩伊良湖の想い出海辺の丘陵地を花が黄一色に染まりひとひらが天に舞花で埋まる花のなかに分け入れば海からの甘じょっぱい湿りが風に飛ばされ私にキスして「温かいでしょう」と笑みをこぼし冬がひと足早く菜の花に染まる伊良湖から海に逃げていく。旅の思い出

  • 贈る言葉

    きょうの詩は、私の友人の誕生日に贈る言葉誕生日の詩昨日で私という一年草の私が散り新たな花を咲かせるために今日から蕾を膨らませる私の誕生日今までの私は散り今日から新たな一期一会で蕾を育みすてきな私を創り一年かけて私を咲かせたい。贈る言葉

  • 晩冬の日和

    きょうの詩は、立春が過ぎたなかでみる日和に思う詩日和で顔は穏やかで笑っているが心の内は冷め笑みからこぼれる日差しは優しいがさめて暖まらない今日の日和つかむ日和に熱い思いは感じられずクールで笑みに和みは感じられず抱きしめる日差しに心がない日和。晩冬の日和

  • 私の寂歩き

    きょうの詩は、私の気分転換は飲み歌いでなく、寂のなかを時間をかけて歩くことで自然換気すること寂のなかを歩く今では死語というかあまり使われない「寂」私はこの言葉が好きでこの言葉に合う場所に時折訪ねいまの私の心を捨て空にして寂のなかをゆっくりと歩きいまの薄汚れた心を空白にして自然換気で私を洗うがそれで何も変わらないし、その場限りとそれを知りながら寂歩きを止められない私の弱さ、人の哀しい性。私の寂歩き

  • 山門の銀杏

    きょうの詩は、私が四季折々歩く小さな森に佇む寺の山門横に立つ対の銀杏に思う私の想い寺の銀杏地味な私がスポットライトを浴びるのが秋で春には萌え花が咲き小葉が広がって新緑になっても私を見上げ「新緑がみずみずしい」と見る人はなく今秋になり黄葉しても逢瀬の相手は少なく初恋のときめきを持ちながら終えその思いは引き潮となって消える。----山門の銀杏

  • 湖辺でみる春

    きょうの詩は、湖辺を歩きながらみる春の萌えの一コマ温の湖うみが春の中で凪いでいる朝の風が「おい、朝が来た」と枝を揺らし声をかけ起こしていく立春の朝空は汚れの取れた碧い空となって広がり海の向こうには雪の積もる山が連なり足元では日差しを受け緩む土の中で新芽が春のともりとなってともり冷めを点々と点し空間を広げる春が始まる。湖辺でみる春

  • 一輪の水仙

    きょうの詩は、寺の境内の片隅でひっそり咲く水仙の一輪を灯りとして眺め思う花への思い花ともりツーンと伸びた茎の先で小さな胸を膨らませまだ見ぬ人を待つ小さな蕾その咲はともりであかりは咲いて燈り散りで燈は消えその小さな明かりに魅せられた者はなく独りの時の中で見初めてくれる人を待ち一喜一憂して消える一輪のともりに暗さはない。一輪の水仙

  • 花の散り

    きょうの詩は、いろいろな花の咲と散りにみる私の思い咲けば花は咲けばその美ははかなく散りでその彩と美が消えるはかなさそう思うと哀しく寂しい一面もある植物と樹木それは植物と樹木で違うが散りは散りで…植物は散り後は枯れ、樹木は存在を残し二人はそれぞれの形で再び彩を描く花たちこれは彼女たちが見せる個性美。花の散り

  • 私の気分転換

    きょうの詩は、気分転換に思う私の考えと思いは自然換気私の自然換気ひとは日々過ごすなかで悩み誰もがストレスを抱え気分転換が必要でその方法はひとそれぞれあって良いしこれがベストというものはなく人により違っていい私は必ずひとりのオフを作りストレスを吐き出し一日オフを楽しむことでリセットして抱えをゼロにして終わる私の気分転換。私の気分転換

  • 思いの褪め

    きょうの詩は、ひとがもつ恋の思いを多年草の花に例えその思いを冷めでなく褪めに例え思う想い恋のさめひとがもつ思いはそのひとがもち咲かせる一輪の花花はバラにも野花にもなりその咲きは何れも美しいが散りがあるその咲きのプロセスは一つの恋であり、性ひとの恋も花の咲きであり、咲いた後には散りが来るひとは一年草でなく多年草の花散り後は再び萌え、花を咲かせ、さめで恋がうせる。思いの褪め

  • 冬の森の恋人たち

    きょうの詩は、私がもう一人の愛するひとと思い慕い、冬の森で逢瀬を重ねるひとへの思い冬の落葉樹衣を脱ぎ捨てた冬の落葉樹が見せる裸体のいろいろな形はそれぞれに個性美がありああ・・・このひとはコナラ、このひとは・・・とその多種多様な形に話しかけ歩く冬の森の楽しさは衣を脱ぎ捨てた彼女たちの素顔の個性に萌えを思い巡らせる冬の森。冬の森の恋人たち

  • 愛する冬人

    きょうの詩は、私が冬になると求める日本水仙、花は私が生まれ育った地で咲く雪中花。冬の愛するひと花の少ない冬の野にあって花はひっそり咲いて花期を終える水仙花は海を見下ろす段丘で清楚な花彩を寒空の中で震えさせながら愛を求めるように唇を開き甘い香りを「ふぅ・・」と吹きながら私の恋心をくすぐる水仙の芳香に閉ざされた恋心があなたの香りで緩み思いは空に向かって解き放され花の香りに包まれて萌える。愛する冬人

  • 私の好きなひとり

    きょうの詩は、私が求めてやまない山のひとりに思う詩愛してやまない人私が求めてやまない独りでそのあなたへのアプローチは長くピークに至る過程で私を試すあなたが怖いあなたの唇を奪おうと詰める私を迸る水と歩きを阻む雪渓がしがみつく岩稜が私を振り落とそうと隙(げき)を伺うそう愛しているあなたが私を愛していないことを知っているからあなたが私は怖い。私の好きなひとり

  • 私の二つ

    きょうの詩は私の性を主る二つの欲と心に思う欲と心私を創る欲と心の二つが私を創りいまを私は生きている欲は私を生かし心は私を創り欲が逸脱すれば心が制御し私を人に戻す欲と心私の性を作る二つを失くして私は存在しないしこの二つがいまの私を創る。私の二つ

  • 2月3日

    きょうの詩は、日頃余り気に留めない立春にみる私の思い立春に思う時折語りかけるように氷空がゆるみ隙間から笑みがこぼれ仄々とした温もりに包まれながらああ・・・今日は凪いでいるそう思う立春の訪れその春はまだ逢えぬ人となって居座る冬に阻まれが萌えはこの日から時折こぼれ落ちる温もりを拾い初心な恋を温めながらときめきを待つ立春。2月3日

  • 散り

    きょうの詩は、冬のなかで散る寒椿の終わりを花の恋に重ねみる花のうせ咲は花がもつ恋であり、散りはわかれ冬のなかで咲を終えた寒椿が旬を終え一片を涙に変え落ち、辺り一面を残り彩で染め終えの一時を楽しみ、生前色を消す寒椿のうせそのうせは花のひと冬の恋の終わりであり、寒椿はいつも冬に恋し、わかれを私と違い、冬に幾度となく恋する。散り

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