鎌倉幕府誕生と中世の真相は書いている人は歴史家ですが、史学の本ではないので事実が羅列されているだけではなく、歴史の行間を読むみたいなところがあるので、面白いです。清盛がどうやって覇権を取ったかは、先日の大河でもありましたね。清盛自身は中国(宋)との貿易を通して大きな利益を得て、それを後白河法王や公卿への賄賂に使ったりしました。でも戦いはそんなに得意ではなかったそうです。保元、平治の乱を通して平家が伸びる過程が今日の読みどころでした。【7月18日】
木暮理太郎という明治から大正にかけての登山家がいて、多くの文章を残しました。多くが青空文庫に収録されていて、その中から奥秩父の山旅日記を読みました。まだ地図(地形図)もまともでなく、道標などあるはずもない山道を歩きました。文章をたどりながらスマホで地形図も開き足跡を確認しました。先年、東京の水源である笠取山から唐松尾山を歩いたコースの逆を歩いた文章があって、バスが通じていない集落が登山口なのですが(当然マイカーです)、理太郎氏は中央線塩山駅から歩いてたどったのです。青梅街道の最高点である柳沢峠までは今は国道がありますが、当時は塩山駅からもう山道だったと思います。そもそも中央線が飯田町駅が始発駅であり、各駅列車名古屋行きに乗って夜明け頃に塩山に行着いたという時点で時代を彷彿とさせます。とにかく脚が全てで、食...【2月28日】
富士山や男体山などのきれいな成層火山には大沢崩れとか大薙というのが有名です。日々崩落を続けていて、いずれ火口付近も崩れそうです。月山も鳥海山も蔵王山も崩壊の跡を残していますし、火山でなくても大地震で崩れが始まることも多いです。立山カルデラの鳶崩れ、松原湖を生じた八ヶ岳の大月川岩石崩れなどここかしこにあります。また風化が進んでいたり、木々が生い茂っていると、そこがかつての地すべり地であることに気がつきません。緩斜面であっても地すべりは起きるので地すべり地域をよく理解しないといけませんね。なお一部の数字表記に校正漏れがあり、高い学術本だけにしっかりしてもらいたいです。「図説空から見る日本の地すべり山体崩壊」八木浩司井口隆朝倉書店【2月27日】
イタリア史と一緒に図書館で借りてきた空から見る日本の地すべり山体崩壊をイタリア史と並行で読んでいたのですが、続きを読んでいます。イタリア史もこの本も4千円しますから、こういう本こそ図書館の出番ですね。地すべり地形というのは山間部のここそこにあって、規模が小さいものは地すべりですが、沢を流れ下るのは岩石なだれといいます。大雨で水も一緒に流れるとなると土砂崩れです。岩石なだれは火山に多く、火山というのは溶岩でコーティングされているように見えて、スコリアとか火山灰とかフワフワの部分が中にあるので、地震とか水蒸気爆発とか大雨が誘因となって一気に山体崩壊と共に崩れるのです。【2月26日】
イタリア史を読み終えました。20世紀に入ってしばらくすると、北部ではファシズムが台頭し始めます。第一次大戦後に本来イタリア領でオーストリア領となっていた地域がようやく戻ってきます。イタリアの首相は(日本と同じく)ころころ変わりますが、ムッソリーニは20年間ファシスト党を率いて首相を維持しました。ナチスドイツのポーランド侵攻には不戦の立場でしたが、フランス占領が見えてくるとおこぼれを与ろうと英仏に参戦します。日本もイタリアもドイツの力を過信して同盟(日独伊三国同盟)したものですから、結果的に裏目に出てしまいましたね。ざくっとイタリアの歴史をたどることができました。さて欧州では極右政党が票を伸ばしていて(昨日のドイツ総選挙もそうですね)、現イタリア首相のメローニ(イタリア初の女性首相)もファシスト党の流れを汲...【2月25日】
サルディーニャ王国変わってイタリア王国になったイタリアは19世紀後半は南北問題(現在もそうですが)や列強の仲間入りをするべく、エチオピア侵攻をしたり(エチオピアは皇帝の元強くて負け戦が続きますが)します。王国ではありますが、制限つきながら議会が存在し、首相が行政を指揮して日本の明治維新とほぼ時を同じくしていますね。【2月24日】
この2月は久しぶりに本当に冬らしい冬を体験しました。八方尾根スキー場の積雪が650cm(現在日本一の積雪です)というのは何十年ぶりの積雪ではないでしょうか(というか最高積雪では?)。自分も1月に行った野沢温泉スキー場はその時は200cm位の積雪でしたが、いまは500cmを超えていますものね。違った世界があるでしょう。イタリア史はフランス革命がイタリアに大きな影響を与えます。フランス革命は3回起きていますが、その3回とナポレオンによってイタリアは変わりました。オーストリアの影響は最後まで残りますが、1860年にサルディニア王国を中心として全イタリアがまとまるようになります(徐、教皇領とオーストラリア占領地)。【2月23日】
一昨日買ったビックコミックオリジナルを読んでからイタリア史を読みました。イタリア史は17世紀に入ります。スペイン継承戦争後、スペインの影響が後退し、オーストリア(ハプスブルグ家)、フランス・スペイン(ブルボン家)がイタリアに介入するようになります。未だ統一の政体がないイタリアは、王国、公国が欧州の戦争(三十年戦争など)に絡んだ外部からの介入で右往左往することが続きます。そしていよいよナポレオンの登場となります。【2月22日】
ローマ帝国が消滅してからイタリアは低迷期があったものの、12世紀から15世紀にかけて特に北部でヴェネチアやフィレンツェなどが交易を中心とした共和国体制をつくり、金融を含めて世界の中心になります。北部は神聖ローマ帝国下ではありましたが、神聖ローマ帝国はドイツ経営に専念することとなり、ミラーノやジェノバなども含めて群雄割拠となります。しかし、世界の覇権は地中海から東西インドを巡りイギリス、オランダに移っていき、北部共和国は農業国家に変質していきます。文化的にはルネサンスを生み出しますが、イタリア全体としてはスペインの王統に組み込まれ、逆に言えば国内は安定することになります。イタリアが世界の表舞台に再び登場するのはしばらく後になるのですね。【2月21日】
西ローマ帝国滅亡の後のイタリアは、北部はフランク王国分裂後の東フランク王国(これが神聖ローマ帝国になります)、中部はローマ教皇領、南部はムスリムの占領からノルマン朝によるシチリア王国建国へとおよそ三分割されます。北部は神聖ローマ帝国内のイタリア王国となりますが、神聖ローマ帝国皇帝(ドイツ皇帝ですな)のタガが緩んできてジェノバ、フィレンツェ、ベネツィアなどの都市国家の割拠となります。なるほどそうだったのかという感想です。【2月20日】
イタリア史は550P近い厚い本です。100Pくらいまではローマ帝国史です。そこまで読んで、いわゆるイタリア史が本番となりました。西ローマ帝国がゲルマン人によって滅ぼされ、北イタリアはランゴバルト王国になり、やがてフランク帝国に取って代われ・・とかつて世界史の授業で聞いた国々の名前が出てきます。【2月19日】
かつて塩野七生のローマ人の物語の読んで以来、イタリアに行きたくてなりません。紀元前後に世界帝国を作ったローマ人の業績を肌身で感じたいのと、西ローマ帝国が滅亡して以来、都市国家の集合体となったイタリアが、現代はG7くらいしか世界的な地位を得ていなくて、国内も色々と問題を抱えているものの、それでもラテン人気質というのか、楽しげに生活している様をテレビで見たりすると、日本人も何か学ぶべきものがあるのではと思うのですね。こと、地震の防災については(イタリアは欧州の地震火山大国)、日本よりも対策が進んでいるところもあります。なかなか行けそうにないので、詳しい歴史を紐解いてみようと図書館から山川出版社が出している世界各国史の一冊、イタリア史を借りてきて読み始めました。【2月18日】
お正月の頃読みかけていた再読の宇宙のエンドゲームを読み終えました。現在の大方の予想では、宇宙は加速膨張を続けていることがわかっています(但し、観測可能な宇宙の範囲ではという条件がつきます)。なので宇宙はこの先どんどん希薄になっていきます。10^100年後にはブラックホールでさえ蒸発・爆発して無くなってしまいます。そもそも物質をつくる陽子が崩壊してしまっています。この冷たく暗黒の時代には電子と陽電子とダークマターが存在しているはずで、電子と陽電子の対消滅で放射がおきるという時代になります。一方で、もし宇宙が閉じた宇宙だとしたときのシナリオ(どこかで膨張が終わって収縮に転じる)は凄いものです。それは500億年後に収縮して潰れる可能性(ビッグクランチ)です。宇宙の最後まで1千万年というとき、宇宙の温度は氷の融点...【2月17日】
敵は後半から様相が変わります。書かれている事柄に儀助の妄想が増えてくるのです。どうやらPC通信会議室の敵情報も儀助の妄想のようです。筒井康隆の文体は読点「。」は打たれますが、句点「、」は一切使われていません。それがまた独特の読み応えとなっています。そして擬音に当て字をふんだんに使っているのです。どうもこれも儀助の妄想の末らしい。最後のお題、春雨では雨音に聞き惚れる儀助なのですが、使徒使徒、死都死都、使途使途、歩足り、保取りと擬音が続き、登場していた友人たちに雨が止めば会えるかなあと呟いて終わるのでした。一級の老人小説です。著者はこの作品の後、銀嶺の果て(老人同士の生存をかけたバトル)という傑作も書きます。「敵電子版」筒井康隆新潮文庫【2月16日】
敵はちょうど半分まで読んだところで、敵の章が登場しました。筒井康隆自身はITを取り入れるのが早く(SF作家だったからですかね)、パソコン(PC)通信も初期のころからやっていました。PC通信上で作品を展開するという実験も行いました。この作品中もPC通信をやるシーンが出てきます。作品発表は1998年でWindowsがまさに日の出の勢いで普及し始めていた時でSNSはまだなく、PC通信がでいろいろな掲示板が展開されていました。ひろゆきの2チャンネルも全盛の頃ですね。主人公はとある掲示板のROMで(ROMとはReadOnlyMemberの略)掲示板を眺める生活でしたが、ある時あるハンドル(参加者)から北から敵が押し寄せてくるとの書き込みがあります。しかし、まだ敵の正体は明らかになりません。【2月15日】
筒井康隆の敵は日常生活の一部一部(朝食、友人、物置、講演、病気・・・)を取り上げて、儀助がどういう生活をしているかを淡々と書いているのですが、タイトルの「敵」とはどういう意味なのか、まだわかりません。儀助は妻を亡くしてからも食事や生活に気をつけつつ、月一回の近くのクラブ(バー)での酒が楽しみであったり、料理に手間をかけて自分の味を守っています。書斎にはパソコン(MAC)があり、それは筒井康隆と同じ環境のように思えます。【2月14日】
作家の筒井康隆は、もう90歳になるのですね。頚椎を痛めて車椅子生活になったので、妻とともに有料老人ホームに入っているのだそうです。この筒井康隆が1998年断筆宣言からの復帰後、63歳の時に老いをテーマとした連作長編小説「敵」を出しました。妻に先立たれた元大学教授75歳の渡辺儀助の日常を描いたものです。これを読み始めました。たまたま読み始めたのですが、1月17日に映画が公開されています。東京国際映画祭で三冠をとった作品ということで、長塚京二が主演です。見てみたいです。【2月13日】
沈黙する歴史は著者が平成8年から10年にかけて徳間書店のオピニオン誌サンサーラ(現在休刊)に発表した評論集です。日本人は1945年8月15日に戦争は終わったと思っていますが、連合国からみればそれは戦闘が終わったに過ぎず(戦争は9月10日前後のミズーリ号艦上での降伏文書調印を持って戦闘終了と理解され、ソ連はそれを担保に北海道侵攻を仕掛けていました)、アメリカによる戦争は継続されていたというのが著者の見立てです。8月15日から9月10日までは日本では自由な言論が再開していましたが、その後は検閲が行われるようになり、アメリカの都合で教育や歴史認識が日本人に行われるようになったのです。特に日本人への道徳への手入れは、今回の戦争は全て日本人が悪いのであるとの植え付けを狙い、その後の自虐史観につながるのでした。著者は...【2月12日】
月一山行に行ってまいりました。山梨は大月の近くにある九鬼山です。大月市では富士山がよく見える山を秀麗富嶽十二景を選定していて、その10番山頂になります。先月は丹沢から富士山を見ましたが、今日は山梨からの富士です。標高は970mです。行き帰り5時間ほどの電車行で西尾幹二の本を読み切るつもりでしたが、あと10%ほど残してしまいました。【2月11日】
昨秋、評論家の西尾幹二氏が亡くなりました。新しい歴史教科書をつくる会の初代会長を務めた人で、自虐史観といわれる日本人の歴史観を改めるべく活動しました。中国・韓国にいいようにかつての「罪」を責められて、日本の政治家は頭を下げることしか能がないという実態が続きました。政治家だけでなく外務省も脳が足らんのでしょうが。現在でも何かと日本を責め立てる風潮が両国にありますが、そういう日本の史観は実はアメリカが作ったのではないかということです。実は戦争は1945年に終わったのではなく、そこから戦争が新たに始まったのだと言います。沈黙する歴史という本を読んでいます。【2月10日】
スキーに行っていて5日の発売日をすっかり忘れていたビックコミックオリジナルをスーパーの書店に買いに行ってきて読みました。コンビニにはもう売っていないのですね。そのコンビニですが、ローソンとファミマは3月に雑誌の扱いを止めるそうです。もうセブンとスーパーでしか買えなくなってしまいますなあ。【2月9日】
松本良順という人はとても人柄がよく、また実に波瀾万丈な人生を送った人です。大河ドラマの主人公になっても全然おかしくないです。是非やってもらいたい。土方歳三に諭されて仙台から横浜に戻った良順ですが、その後の明治政府の幽閉と無罪放免を経て、早稲田に日本初の西洋式病院を開設します。そこへ山縣有朋が訪れて是非明治政府に出仕して欲しいと切望します。悩んだ末に出仕を受け入れ、初代軍医総監になります。ここで名前を良順から順に変えます。牛乳飲用や海水浴を市井に勧め、自らも大磯に住みます。晩年は家族、親族に先立たれ、そういう意味では不遇でしたが、76歳の天寿をまっとうしました。政治向きとは関係せず、医学一筋な人生でしたね。「暁月の旅人」吉村昭講談社文庫電子版【2月8日】
松本良順に戻っています。江戸から追われるように会津に逃げた良順は、ここで戊辰戦争の真っ只中、負傷兵の手当てをします。しかし、落城間近に藩主松平容保から落ち延びるようにと言われ、酒田藩に行きます。ここで官軍との戦いに腰を据えようと考えますが、仙台にやってきた榎本武揚に来るように誘われます。そこで箱館に行こうと言われますが、土方歳三が宿を訪れ、良順ほどの人は生き延びて欲しいと諭します。イギリス人の船があるから江戸に行けというのです。迷っていた良順はこれで心を決め、取り合えず横浜に行き商館に身を潜めます。しかし、結局新政府に捕まり、幽閉されます。しかし、かつての医学所頭取である良順は丁寧に扱われ、しばらくして無罪放免となるのでした。【2月7日】
二泊三日のスキー旅行から帰ってきました。信州中野で美味しい蕎麦の昼飯を食べ、渋滞もなく帰ってこれました。今朝は志賀も雪がしっかりと降って、駐車場から車を出すのに一苦労でした。なにせ腰位までの雪に埋もれているので、まずかき分け、掘り出しという作業。そして一回では車は(空転して)動かず、昔北国に住んでいた経験がものをいって、なんとか一人で脱出したという具合。ここ何年も大雪というのに出会っていなかったので、今年は久しぶりの経験でした。上越と違って軽い雪だったのも助かりましたね。【2月6日】
志賀高原の2日目です。今日も冷え込んで-10℃位です。小学校から大学まで多くのスキー授業がいっぱいあって、それらがスキー場経済を支えている感じです。今日も活字はお休みです。【2月5日】
スキーで志賀高原に来ています。大雪のニュースが大変ですが、志賀高原は程よくふかふかの新雪が積もってゲレンデは最高です。朝早く家を出てやってきたので今日の活字は無しです。【2月4日】
暁の旅人、松本良順は江戸に帰還します。将軍家定に気に入られ医師としてそばに使えます。京に上ることになり随行します。しかし、脚気により家定は死去します。その間に新選組ともつながりができて、屯所の環境改善を行います。江戸に再び戻ってからは西洋医学を広めるための幕府開設の学校で奮闘しますが、鳥羽伏見の戦い戦いで将軍慶喜が江戸に逃げ帰り隠居することになってしまい、良順も官軍から身を隠すように佐倉順天堂から茨城を経て会津藩に向かうのです。【2月3日】
暁の旅人を読もうと思ったらKindoleのバッテリー不足表示が出たのでやむなく充電にまわし、本棚の奥にあるのを見つけた房総沖巨大地震を取り出して読みました。自分が住んでいる千葉(房総)の大きな地震というのは、相模トラフ、南海トラフ、首都直下地震というのが3本柱です。相模トラフの巨大地震は関東大震災が有名で去年が100年目という節目でした。関東大震災の前の相模トラフの大地震は元禄大地震で、関東大地震よりも大きなものでした。震源も前者のそれが小田原近海だったのに対して、元禄大地震は野島崎の南東沖でした。なので両者とも津波は起きましたが、後者の方が房総半島に与えた影響は大きなものでした。この本はちょっと古くて1983年のものです。買ったのは2011年でしたが、初版のままなので文中の「最近の大地震」は秋田沖地震で...【2月2日】
暁の旅人を読んでいます。長崎での医科修業は幕府の長崎奉行の理解もあって、順調に進みます。畿内では不運急を告げ始めていますが、3年後に妻子を江戸から呼び一緒に暮らし始めます。【2月1日】
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鎌倉幕府誕生と中世の真相は書いている人は歴史家ですが、史学の本ではないので事実が羅列されているだけではなく、歴史の行間を読むみたいなところがあるので、面白いです。清盛がどうやって覇権を取ったかは、先日の大河でもありましたね。清盛自身は中国(宋)との貿易を通して大きな利益を得て、それを後白河法王や公卿への賄賂に使ったりしました。でも戦いはそんなに得意ではなかったそうです。保元、平治の乱を通して平家が伸びる過程が今日の読みどころでした。【7月18日】
昨日と同じくデカメロンを数話、鎌倉幕府誕生と中世の真相を読みました。面白かったの藤原摂関政治どうやって院政になって武家政治に変わっていくのかということです。保元の乱を通じて藤原忠道はもう摂関政治には戻れないと覚悟して、近衛家、九条家を作る方向に持っていき、そして鷹司家、二条家、一条家の五摂関家を作り、五家で摂関を回す仕組みにして藤原家の存続を図ったという流れがよくわかりました。【7月17日】
デカメロンを5日分読みました。そのあとはこの頃日本史中世づいているので鎌倉幕府誕生と中世の真相というのを図書館で借りてきて読み始めました。真相なんて言葉は学術本にはありませんで、発行が日経BP社ということで平易な本となってます。【7月16日】
小澤征爾の名前は日本人に永遠に残っていくと思いますが、山本直純の名前はどうでしょう。真に天才の音楽家でした。作曲家・指揮者・ピアニスト・エンターテナーでした。普通の日本人にクラシックを馴染ませてくれた人です。なんと言っても寅さんの全作品の音楽担当、さだまさしとの交友、一年生になったらーの名曲、8時だよ全員集合の登場マーチ、森永チョコレートのCM(大きいことはいいことだーー)、NHK大河のテーマ曲、え、それもこれも直純さんの曲だったのーという人です。そして自ら出演したオーケストラがやってきたは楽しい番組でした。クラシックの曲も多く書いているので、もっと再評価されるべき人でありますね。「山本直純と小澤征爾」柴田克彦朝日新書【7月15日】
世界文学全集ものをこのごろ読んでいませんが、先日デカメロン(全3巻)の1冊(上巻)を買っておいたので、挑戦し始めました。中世(日本は鎌倉時代)のイタリア、ペスト禍で街から別荘に避難した10人の男女が暇つぶしに1日1話10日間で100話を語るというものです。今日は第一日5話まで読みました。1話はそんなに長くないので、全体としては長編ですが、好きな時にポロポロと読めますね。デカメロンだけではなく新書で山本直純と小澤征爾も並行しています。小澤征爾は多くの人が知るところの大指揮者ですが、山本直純はある年代以上の人ならば知っているという指揮者・作曲家ですね。この二人は大の親友であり、小澤征爾は山本直純に対して指揮は彼の方が上であると尊敬しています。ほぼ同年代の二人の生まれから指揮者としての成功の足取りを書いています...【7月14日】
中央公論6月号の続きをよみました。日本史の話の他に、現代の政治事情とか国内のルポルタージュとか久しぶりに読んだ総合誌は面白かったです。【7月13日】
中央公論6月号の特集が逆転の日本史ということで、最近はかつての悪人と評価された人たちのみならず高評価の人たちの見直しなどが進んでいるというもので、中央公論なんて本当に久しぶりに読んでいます。それは新しい資料が出てきたりとか、集中的に研究されたりとかしての結果のようです。足利尊氏と後醍醐天皇との関係とか、織田信長の天下のこととか、坂の上の雲で司馬遼太郎に無能と言われた乃木将軍とか面白いです。【7月12日】
昨日、美女たちの日本史を読み終えて、夕食後読み始めた山のミステリー異界としての山を読み始めて、今朝の退院までの間に読んでしまいました。ミステリーといっても推理小説ではなく、とかく山に接して暮らしていると色々と不思議なことが起こります、ということを収集した本です。(管理人のいない)避難小屋で一人で宿泊していると、人(その付近で亡くなった遭難者が多い)が見えたりとか、引き止められたのに無理やり登山を強行して遭難しそうになったところ、幽霊のようなものに導かれて避難小屋にたどり着いたとか、そういうお話ですね。医者なのに山小屋に連れ込まれた瀕死の登山者を、今日は休日だからと診ることを拒否した医者の話(登山者は死んだ)もありました。「定本山のミステリー異界としての山」工藤隆雄ヤマケイ文庫電子版【7月11日】
歴史小説というジャンルでは男性中心のものがほとんで、かの司馬遼太郎も女性が主人公のものを聞いたことがありません。戦国時代までは女性がかなり歴史の表舞台にあって、歴史を動かしてきたことは事実。永井路子はそういう女性を掘り起こして、歴史小説全集まで出ました。NHKでのトークでこの全集からいくつかの作品を語り、終了後エッセイ化したものを読みました。へえと気づきを与えてくれる話でした。「美女たちの日本史中央公論社電子版」永井路子ゴマブックス【7月10日】
鎖骨整形の手術をうけまして、全身麻酔をしたあと回復に3時間余。そのあとは朦朧とした頭でトイレに立ちましたが、左腕に痛み止めの麻酔注射がされているので、アームスリング(昔でいう三角巾)から外れたら、ただの肉棒がぶら下がっているようで、我ながら気持ち悪かったです。手術のまえの待ち時間に、Kindoleで読んだのが(山小屋と同じくこういう時はKindoleに限ります)杉本苑子の美女たちの日本史。歴史上に名を残した女性の話です。【7月9日】
朝ランをしていましたら転倒してしまいまして、左肩甲骨をバキバキに折ってしまい、明日は再建手術となってしまいました。左手がいうことをきかず、時折骨が皮下神経を触るので激痛があって、やれやれな1日でした。図説室町幕府をトボトボと読んでいました。明日は全身麻酔をかけたあと、ぼーっとしていなくてはならないでしょう。【7月8日】
日本史づいていまして、図説室町幕府なる本を読んでいます。室町幕府というのは南北朝の延長にあって応仁の乱などはありますが、日本史でも地味なところですよね。この時代は日本文化の基礎ができたとは言われていますが、派手さがないので大河にもなりにくいです。このところ鎌倉府、古河公方、千葉氏などの本を読んだので、関東から離れて京の動向をということで読み始めました。【7月7日】
田んぼの苗もここのところだいぶ伸びてきました。現代の稲作は消毒を1回行いますがあとは水管理をしっかりすれば、秋にはお米ができ、田んぼに人が入っているのを見ることは多くないですが、江戸時代は苗作りから田んぼ作りまでとても手間暇がかかって、これから夏を迎えて雑草取りに追われる毎日で、田んぼ漬けでした。農民は休みなく働いていたということがよくわかりました。そして面白かったのが、結髪で、江戸時代の男女は鬢つけ油を塗っているので髪型はいつも整然としているのですが、あまり洗髪をしないので、汗や埃で臭気が漂っていたそうです。それを香料でごまかそうとするので、余計に複雑な悪臭がしたそうです。幕末の京都で新撰組が芸妓を捕らえて取り調べたとき、頭髪の異臭で耐えられなかったという話が残っているそうです。江戸でも御殿女中ですら日...【7月6日】
ビックコミックオリジナルです。セシルの女王はヘンリー8世の6人の妻の生き様が終わり、1ヶ月のブレイクがあって、エドワード王子とメアリ女王の話になっていきます。セシルとエリザベス女王との話はまだまだ先ですね。【7月5日】
江戸時代は駅前商店街などはありませんから、日々の食品とか日用品などをお店を探して買うことになります。実際はお店に買いに行くよりも、行商が裏長屋の奥まで売りにくるのを買うのですね。売るものを細分化していて、一人の行商は一つのものを売っているわけで、江戸の町中は行商の売り歩く声で実に賑やかだったのではないかと思います。時代劇を見ていると、夜暗くなって家に戻ると火打石で行燈に簡単に明かりを灯すシーンがありますが、火打石の火花でそんなに簡単に灯心、ローソクに火がつくものかと不思議に思っていました。そこのところは付木売りという行商が付木を売って歩いていたのです。マッチのようなもので、柿葺き(こけらぶき)の板のような薄い小片の板の先に硫黄が付いていて、火打石の火花をそこに移すと発火して燃え、その炎を行灯などに移して点...【7月4日】
先日、大江戸復元図鑑武士編を読みましたが、今度は庶民編を借りてきました。裏長屋、町奉行、町年寄などの話から始まりました。作者の画がわかりやすくて面白いのがこの本の特徴です。【7月3日】
最近は図書館に足繁く通っているのですが、(文学作品の)書架を眺めていると、かつて名のしれた作家の単行本が静かに資料のように並んでいて、一方でこの作家の作品がこれしか並んでいないのかと思ったりもします。職業作家は食うために売れる本を書いてきたわけですが、売れなくても純文学を書き続けるという人は今やいないのでないでしょうかね。ただでさえ本が売れないというご時世で、作家も大変です。また出版社を通さずにネットで作品を発表する人もいますね。かつてのベストセラー作家とその作品は今はどう評価されているんだろう、と文芸評論家の小谷野淳の本を読みましたが、面白かったです。発表当時の評価と今になっての評価とが、時代の流れですっかり変わって、この一作品で名を残した作家もいるし、数多く発表しても埋もれてしまった作家もいます。それ...【7月2日】
千葉一族の歴史を読了です。著者は高校生の時から千葉氏にハマり在野の研究家として幾星霜という人です。日本中の千葉氏の末裔を訪ね、中国にも行っています。面白かったので千葉市郷土博物館に行ってもっと知りたかったのですが、10月までリニューアル閉館中でした。残念。そういえば江戸東京博物館も長期の閉館中で、オープンは来年とのことです。「千葉一族の歴史」鈴木佐編著戎光祥出版【7月1日】
引き続き千葉一族の歴史を読んでいます。千葉県に住んでもいない限り、千葉一族に興味を持つことはないと思うのですが、本当に全国に系譜や伝承が広がっていることがわかります。前5千円札の新渡戸稲造も千葉氏の末裔だそうですよ。【6月30日】
千葉常胤は千葉六党と呼ばれる本宗家と庶流を生みました。本宗家は北条氏についていたので、小田原合戦で秀吉に敗れ滅亡しましたが、三党は大名として残ることができました。一つは名前を伊達と変えて伊達家の重臣として大名になり、一つは相馬中村藩として伊達に対峙しつつ大名となり、一つは東氏の流れをくむ郡上八幡で初代の藩主となった遠藤氏で、藩主の妹は有名な山内一豊の妻となりました。その他には徳川の重鎮土井利勝が佐倉藩主となってから旧千葉氏の一族は仕官がなり、身と徳川家も積極的に千葉氏を引き受けたのですね。【6月29日】
川路聖謨の二日目です。長崎でプチャーチンとの外交交渉が終わって江戸への帰還中、ペリーの二回目になる江戸湾への来航事件が起きました。川路は勘定奉行という高官でありながら、人目のないところでは籠を降りて徒歩で先を進めます。共の者たちの方が参ってしまうほどの強硬軍でした。ペリーは軍事力を背景に強硬に開港を迫ります。そして幕府は下田と箱館の開港を認めるのでした。【7月19日】
久しぶりに吉村昭を読み始めました。幕末の幕府の外交を支えた川路聖謨の物語です。落日の宴というタイトルで、ロシアからの使節、プチャーチンと長崎で外交交渉をするところから物語は始まります。幕府(日本)として外交経験が無い中、開国要求を突きつけるロシアを相手に、一歩もひるまずに交渉した川路聖謨は現代の日本外交にも登場してほしいですね。【7月18日】
オリエントというのは一言でいえば今の中近東といわれるところです。中近東はアラブ人とイラン人が住んでいるというイメージですが、古代オリエントは他民族が切磋琢磨で王の興亡を繰り返していました。イラン人はペルシャとして古代オリエント史でも一番最後に登場しますし、アレクサンダー大王の帝国が崩壊した後はギリシャ人が先住民族の上に王国を作って支配しました。ヘレニズムという時代ですね。エジプト最後の王朝でクレオパトラのプトレマイオス朝もギリシャ人国家でした。ローマ帝国に支配された後混沌として、やがてマケドニアにはトルコ人が入り、イスラームが始まるとアラブ人が全体を覆うという風になったようです(イラン=ペルシャはイラン人)。古代オリエント史というのはアラブの歴史ではないのですね。駆け足でしたが人類最初の文明を俯瞰できた本...【7月15日】
CAPA7月号を読んで、ちょっと知識の再確認でブルーバックスのフォッサマグナをサラサラっと再読しました。フォッサマグナは日本列島の成り立ちと深く繋がっているので、面白いところです。【7月16日】
古代オリエント世界に最後に登場したのがアケメネス朝ペルシャ。ペルシャのイラン人はインド方面から移って来たそうです。イラクとイランはどう違うのか日本人にはわかりませんが、イラクはセム語族、イランはインド・ヨーロッパ語族で明確に違うのだそう。そしてアケメネス朝はほとんどのオリエント地域を支配するほどの大国となり、ギリシャとぶつかり、ペルシャ戦争は有名なところです。そしてギリシャ北方の王国からアレクサンダー3世(大王)が登場し、彼によって滅ぼされます。これで古代オリエントは終焉を迎えるということになるそうです。なるほど。【7月14日】
エジプト史というのは広義にはオリエント史ですが、傍流というものだそうです。エジプトは食料も鉱物資源にも恵まれていたので古王国の頃などは自国で完結していたらしいです。王朝には盛衰があるのであるタイミングで東からシナイ半島に放牧民族が移動してきてそのまま定着したようなことがあったそうで、だんだんオリエントとの結びつきが増えてきます。シリア辺りまで軍隊を出したりもしました。なかなかエジブト史というのを聞く機会がないのですが、ざっとした流れをこの本で知ることができます。エジプトにやってくる民族は多いのですが出て行く民族はないそうです。ナイルの水を使った小麦、大麦栽培はとても魅力があったということです。【7月13日】
古代オリエントの中でもヒッタイトという国は鉄器を始めた国として覚えています。アナトリアという現代トルコの小アジア中部にあった国です。前1500年頃を中心に500年ほど栄えた国です。鉄器を持っていれば青銅器に比べ圧倒的に破壊力があるのでオリエントを全部統一できそうですが、まだまだ貴重品で、他国への献上品としてあったそうなので、実用的に兵器に用いられたわけではありませんでした。国家機密の製鉄はヒッタイト滅亡後周囲に広まり、青銅器文明から鉄器文明へと変わったということです。【7月12日】
古代オリエントの歴史は紀元前8000年の頃に農耕文化が始まり、紀元前3000年頃にナイル川を持つエジプトとユーフラティス川を持つメソポタミアで文明が始まったという流れになります。農耕文化ではすでに灌漑が始まっています。エジプトは王朝が連綿と続きましたが、メソポタミアは王朝が生まれては消え、そしてまた生まれる歴史となりました。そんな中でもよく聞くのがアッシリア、バビロニア、ヒッタイトというところ。これらの国々は2000年という幅の中で関係してきたというと、現代はたかが200年くらいの幅で戦いを繰り広げています。今後1800年で今の諸国は存続できて、未来の歴史教科書に載ることができるでしょうか。【7月11日】
オリエント全史を読み始めたのは昼飯後で、エアコンの下で読み始めたら程なくうたた寝ってしまい、今日はほとんど進まずでした。【7月10日】
高校時代好きだった教科は世界史でした。受験も世界史でやりましたが、世界史は地理の要素もあるので好きでした。でも一国の歴史でも大変なのに日本以外全ての歴史を学ぶなんて大変ですよね。そういう意味で世界史概観というのが正しいのではと思います。人類史を俯瞰するとこの2千年余りは地球のあちこちに文明が栄えましたが、それ以前は東西はイランからエジプト、南北は黒海からアラビア海に面する地域をオリエントと呼び(呼んだのはヨーロッパ人ですが)そこに歴史は集中しました。人類史の半分以上はここで起きたことが歴史だそうです。文字がないと歴史とはいいませんから、縄文時代が5千年続きましたといっても歴史とはいえません(考古学の世界です)。受験の時にも苦労したのがそのオリエント史でしたが、古代オリエント全史を読み始めました。【7月9日】
鉄道ファン7月号を読んでいた1日です。二階の自室が猛烈な暑さで、夕方でも36度なので、涼しい居間に避難してます。で、こういう時は紙の本よりもiPadでパラパラ見る方が楽なので、正しく活字には触れておりません。寝る時はさすがにエアコンで冷やすのですが、寝る頃になっても階段の手すりが過熱しているのであります。【7月8日】
本棚に鎮座している東京電車のある風景Ⅱというのを読みました。昭和30年代から40年にかけての国鉄(当時)や私鉄の写真と今の写真とを対比しています。ただし、今といっても平成12年頃の話です。それから比べてもだいぶ東京は変わりましたからねえ。当時の街の様子が載っていますがこういうのを見ているのが楽しいです。【7月7日】
暑くて暑くてうんざりです。あと2ヶ月半もこういう日々が続くのかとおもうと・・・。ビックコミックオリジナルを読みましたが、ビックコミック4誌連合の新人コミック大賞で佳作をとった作品が掲載されていました。初めての殺人というものですが、なかなか衝撃的なストーリーでしたね。殺人が日常的に起きる街での高校生の初めての殺人という話ですが、コミックならではの内容だと思います。【7月6日】
太平洋戦争の記録物語は数多いですが、硫黄島の話といえば栗林中将のものが有名です。おうおうにしてそこにいた軍人からの目線で描かれています。それぞれの兵士たちがどう戦ったのかを知るのはいいのですが、野戦病院長の目線で書かれた玉砕の硫黄島に生きた混成第二旅団野戦病院という本がkindle本で目についたので読みました。著者はここの院長の軍医大尉ですが、この大戦なんと3度目の召集でした。それもよりによって硫黄島でした。サイパンを制圧した米軍はここを制圧し不沈空母とします。ここからB29が日本列島に向けて飛び立ちましたが、日本軍としてはなんとかそれは避けようと激戦が繰り広げられました。米軍もこの戦いでの損失は想定外のものでした。日本戦闘部隊がついに玉砕した後も病院は残ります。院長は最後は軍医兵士たちで(軍事訓練を受け...【7月5日】
愛犬の葬式を出してきました。昨日ドライアイスを買ってきて冷やしたので、すっかりと冷たい体になっていました。でも毛だけは生前のままで、撫でると思い出がよみがえります(涙涙涙)。荼毘に伏して骨を持って帰りました。まだ動物霊園には入れられませんね。前に飼っていた時も、2、3年は家に置いてあった記憶があります。【7月4日】
我が最愛の犬が逝ってしまい、今日はペットロスの1日でした。もう下半身も立たなくなって、昨夜はこのまま夜を越せるかと思っていたのが、朝は望外に生きていたのでこれはよかった、と思っていた矢先、午前のちょっと目を離した隙に旅立ってしまいました。心臓と心膜の間に水が溜まり(心嚢水という)何回も注射器で吸い出していましたが(なんと麻酔なしなんです)ついに力尽きました。中型犬は15歳くらいまでは生きるものですが、10歳の誕生日をあと4日後の七夕に控えた今日9歳でついえました。ということで活字はなしです。【7月3日】
Kindleで別冊文藝春秋7月号をパラパラめくって読みました。全部の小説を読む気はさらさらなかったのですが、推理物とホラーもの、書評に随筆などを読みました。ホラーものって久しぶりに読みましたが、自分自身は超自然というのは信じていないのですが、でも怖いものは怖い。あまり読んでいませんが今までで一番怖かったのは貞子です。【7月2日】
dマガジンで歴史人7月号を読みました。敗者の日本史特集でした。歴史は勝者によって作られるとは古今東西共通ですが、鎌倉北条氏、それを滅ぼした新田義貞、今川義元、武田勝頼、蘇我氏などが登場します。最近はこのような歴史上の敗者の方に興味が湧きますね。かつては豊臣秀吉や徳川家康の成功物語などが好きでしたが、年を取ってくると敗者に気持ちが移りますね。悪人がいいというのではなく、ひょっとしてこちらが勝っていればどうなっただろうというのが一つです。【7月1日】
八甲田山の雪中行軍大量遭難事故は、「無能な指揮官の命令によって、登山経験のない素人が準備不足のまま知らない山に登山した」ということでした。第5聯隊長津川は第31聯隊福島大尉の雪中行軍計画を知り、自分のメンツ保全から急遽雪中行軍を指示、しかし準備期間は全くなく、現地のことを知る人はなく、地図もなく地理も全く無案内で始めたもので、さらに同行の大隊長の雪山素人ぶりは目に余るものがあります。一方で31聯隊の福島大尉はルート上の村民に饗応を指示、さらに教導も強要します。どの将校もまともな判断をできる人たちではありませんでした。事故後陸軍は大甘の処分を下します。軍隊は一人のミスは上官のミス、その上官のミスとつながるのでどうしても処分が甘くなり、無責任体質となってしまいます。太平洋戦争でもこれが大いに発揮されてしまい、...【6月30日】
今日はお出かけしたものですからゆっくりと活字に触れ合えませんでした。八甲田を少しだけ進めました。八甲田の雪中行軍は青森側の第5聯隊の大量遭難と退避して、弘前の第31聯隊が福島大尉以下少人数での行軍で死者を出さなかったことが退避され、映画ではそれを高倉健が演じ、冷静沈着なところを見せましたが、実際の福島大尉は鬼畜のようなヒトでありました。無傷で行軍を終えたのは、その背景に村人たちの止むにやまれずの支援があったからでした。特に道案内(教導)をさせた7人の人たちは、途中で用済みになると金を与え、自分たちで鉄道で帰れと置き去りにしたのです。そしてその7人には固く口止めをしたのですが、帰村後凍傷で悲惨な目に遭いました。映画と真実との落差は第5聯隊はそんなにないのですが、第31聯隊は酷いものですね。高倉健だからひどく...【6月29日】