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  • 【2月28日】

    木暮理太郎という明治から大正にかけての登山家がいて、多くの文章を残しました。多くが青空文庫に収録されていて、その中から奥秩父の山旅日記を読みました。まだ地図(地形図)もまともでなく、道標などあるはずもない山道を歩きました。文章をたどりながらスマホで地形図も開き足跡を確認しました。先年、東京の水源である笠取山から唐松尾山を歩いたコースの逆を歩いた文章があって、バスが通じていない集落が登山口なのですが(当然マイカーです)、理太郎氏は中央線塩山駅から歩いてたどったのです。青梅街道の最高点である柳沢峠までは今は国道がありますが、当時は塩山駅からもう山道だったと思います。そもそも中央線が飯田町駅が始発駅であり、各駅列車名古屋行きに乗って夜明け頃に塩山に行着いたという時点で時代を彷彿とさせます。とにかく脚が全てで、食...【2月28日】

  • 【2月27日】

    富士山や男体山などのきれいな成層火山には大沢崩れとか大薙というのが有名です。日々崩落を続けていて、いずれ火口付近も崩れそうです。月山も鳥海山も蔵王山も崩壊の跡を残していますし、火山でなくても大地震で崩れが始まることも多いです。立山カルデラの鳶崩れ、松原湖を生じた八ヶ岳の大月川岩石崩れなどここかしこにあります。また風化が進んでいたり、木々が生い茂っていると、そこがかつての地すべり地であることに気がつきません。緩斜面であっても地すべりは起きるので地すべり地域をよく理解しないといけませんね。なお一部の数字表記に校正漏れがあり、高い学術本だけにしっかりしてもらいたいです。「図説空から見る日本の地すべり山体崩壊」八木浩司井口隆朝倉書店【2月27日】

  • 【2月26日】

    イタリア史と一緒に図書館で借りてきた空から見る日本の地すべり山体崩壊をイタリア史と並行で読んでいたのですが、続きを読んでいます。イタリア史もこの本も4千円しますから、こういう本こそ図書館の出番ですね。地すべり地形というのは山間部のここそこにあって、規模が小さいものは地すべりですが、沢を流れ下るのは岩石なだれといいます。大雨で水も一緒に流れるとなると土砂崩れです。岩石なだれは火山に多く、火山というのは溶岩でコーティングされているように見えて、スコリアとか火山灰とかフワフワの部分が中にあるので、地震とか水蒸気爆発とか大雨が誘因となって一気に山体崩壊と共に崩れるのです。【2月26日】

  • 【2月25日】

    イタリア史を読み終えました。20世紀に入ってしばらくすると、北部ではファシズムが台頭し始めます。第一次大戦後に本来イタリア領でオーストリア領となっていた地域がようやく戻ってきます。イタリアの首相は(日本と同じく)ころころ変わりますが、ムッソリーニは20年間ファシスト党を率いて首相を維持しました。ナチスドイツのポーランド侵攻には不戦の立場でしたが、フランス占領が見えてくるとおこぼれを与ろうと英仏に参戦します。日本もイタリアもドイツの力を過信して同盟(日独伊三国同盟)したものですから、結果的に裏目に出てしまいましたね。ざくっとイタリアの歴史をたどることができました。さて欧州では極右政党が票を伸ばしていて(昨日のドイツ総選挙もそうですね)、現イタリア首相のメローニ(イタリア初の女性首相)もファシスト党の流れを汲...【2月25日】

  • 【2月24日】

    サルディーニャ王国変わってイタリア王国になったイタリアは19世紀後半は南北問題(現在もそうですが)や列強の仲間入りをするべく、エチオピア侵攻をしたり(エチオピアは皇帝の元強くて負け戦が続きますが)します。王国ではありますが、制限つきながら議会が存在し、首相が行政を指揮して日本の明治維新とほぼ時を同じくしていますね。【2月24日】

  • 【2月23日】

    この2月は久しぶりに本当に冬らしい冬を体験しました。八方尾根スキー場の積雪が650cm(現在日本一の積雪です)というのは何十年ぶりの積雪ではないでしょうか(というか最高積雪では?)。自分も1月に行った野沢温泉スキー場はその時は200cm位の積雪でしたが、いまは500cmを超えていますものね。違った世界があるでしょう。イタリア史はフランス革命がイタリアに大きな影響を与えます。フランス革命は3回起きていますが、その3回とナポレオンによってイタリアは変わりました。オーストリアの影響は最後まで残りますが、1860年にサルディニア王国を中心として全イタリアがまとまるようになります(徐、教皇領とオーストラリア占領地)。【2月23日】

  • 【2月22日】

    一昨日買ったビックコミックオリジナルを読んでからイタリア史を読みました。イタリア史は17世紀に入ります。スペイン継承戦争後、スペインの影響が後退し、オーストリア(ハプスブルグ家)、フランス・スペイン(ブルボン家)がイタリアに介入するようになります。未だ統一の政体がないイタリアは、王国、公国が欧州の戦争(三十年戦争など)に絡んだ外部からの介入で右往左往することが続きます。そしていよいよナポレオンの登場となります。【2月22日】

  • 【2月21日】

    ローマ帝国が消滅してからイタリアは低迷期があったものの、12世紀から15世紀にかけて特に北部でヴェネチアやフィレンツェなどが交易を中心とした共和国体制をつくり、金融を含めて世界の中心になります。北部は神聖ローマ帝国下ではありましたが、神聖ローマ帝国はドイツ経営に専念することとなり、ミラーノやジェノバなども含めて群雄割拠となります。しかし、世界の覇権は地中海から東西インドを巡りイギリス、オランダに移っていき、北部共和国は農業国家に変質していきます。文化的にはルネサンスを生み出しますが、イタリア全体としてはスペインの王統に組み込まれ、逆に言えば国内は安定することになります。イタリアが世界の表舞台に再び登場するのはしばらく後になるのですね。【2月21日】

  • 【2月20日】

    西ローマ帝国滅亡の後のイタリアは、北部はフランク王国分裂後の東フランク王国(これが神聖ローマ帝国になります)、中部はローマ教皇領、南部はムスリムの占領からノルマン朝によるシチリア王国建国へとおよそ三分割されます。北部は神聖ローマ帝国内のイタリア王国となりますが、神聖ローマ帝国皇帝(ドイツ皇帝ですな)のタガが緩んできてジェノバ、フィレンツェ、ベネツィアなどの都市国家の割拠となります。なるほどそうだったのかという感想です。【2月20日】

  • 【2月19日】

    イタリア史は550P近い厚い本です。100Pくらいまではローマ帝国史です。そこまで読んで、いわゆるイタリア史が本番となりました。西ローマ帝国がゲルマン人によって滅ぼされ、北イタリアはランゴバルト王国になり、やがてフランク帝国に取って代われ・・とかつて世界史の授業で聞いた国々の名前が出てきます。【2月19日】

  • 【2月18日】

    かつて塩野七生のローマ人の物語の読んで以来、イタリアに行きたくてなりません。紀元前後に世界帝国を作ったローマ人の業績を肌身で感じたいのと、西ローマ帝国が滅亡して以来、都市国家の集合体となったイタリアが、現代はG7くらいしか世界的な地位を得ていなくて、国内も色々と問題を抱えているものの、それでもラテン人気質というのか、楽しげに生活している様をテレビで見たりすると、日本人も何か学ぶべきものがあるのではと思うのですね。こと、地震の防災については(イタリアは欧州の地震火山大国)、日本よりも対策が進んでいるところもあります。なかなか行けそうにないので、詳しい歴史を紐解いてみようと図書館から山川出版社が出している世界各国史の一冊、イタリア史を借りてきて読み始めました。【2月18日】

  • 【2月17日】

    お正月の頃読みかけていた再読の宇宙のエンドゲームを読み終えました。現在の大方の予想では、宇宙は加速膨張を続けていることがわかっています(但し、観測可能な宇宙の範囲ではという条件がつきます)。なので宇宙はこの先どんどん希薄になっていきます。10^100年後にはブラックホールでさえ蒸発・爆発して無くなってしまいます。そもそも物質をつくる陽子が崩壊してしまっています。この冷たく暗黒の時代には電子と陽電子とダークマターが存在しているはずで、電子と陽電子の対消滅で放射がおきるという時代になります。一方で、もし宇宙が閉じた宇宙だとしたときのシナリオ(どこかで膨張が終わって収縮に転じる)は凄いものです。それは500億年後に収縮して潰れる可能性(ビッグクランチ)です。宇宙の最後まで1千万年というとき、宇宙の温度は氷の融点...【2月17日】

  • 【2月16日】

    敵は後半から様相が変わります。書かれている事柄に儀助の妄想が増えてくるのです。どうやらPC通信会議室の敵情報も儀助の妄想のようです。筒井康隆の文体は読点「。」は打たれますが、句点「、」は一切使われていません。それがまた独特の読み応えとなっています。そして擬音に当て字をふんだんに使っているのです。どうもこれも儀助の妄想の末らしい。最後のお題、春雨では雨音に聞き惚れる儀助なのですが、使徒使徒、死都死都、使途使途、歩足り、保取りと擬音が続き、登場していた友人たちに雨が止めば会えるかなあと呟いて終わるのでした。一級の老人小説です。著者はこの作品の後、銀嶺の果て(老人同士の生存をかけたバトル)という傑作も書きます。「敵電子版」筒井康隆新潮文庫【2月16日】

  • 【2月15日】

    敵はちょうど半分まで読んだところで、敵の章が登場しました。筒井康隆自身はITを取り入れるのが早く(SF作家だったからですかね)、パソコン(PC)通信も初期のころからやっていました。PC通信上で作品を展開するという実験も行いました。この作品中もPC通信をやるシーンが出てきます。作品発表は1998年でWindowsがまさに日の出の勢いで普及し始めていた時でSNSはまだなく、PC通信がでいろいろな掲示板が展開されていました。ひろゆきの2チャンネルも全盛の頃ですね。主人公はとある掲示板のROMで(ROMとはReadOnlyMemberの略)掲示板を眺める生活でしたが、ある時あるハンドル(参加者)から北から敵が押し寄せてくるとの書き込みがあります。しかし、まだ敵の正体は明らかになりません。【2月15日】

  • 【2月14日】

    筒井康隆の敵は日常生活の一部一部(朝食、友人、物置、講演、病気・・・)を取り上げて、儀助がどういう生活をしているかを淡々と書いているのですが、タイトルの「敵」とはどういう意味なのか、まだわかりません。儀助は妻を亡くしてからも食事や生活に気をつけつつ、月一回の近くのクラブ(バー)での酒が楽しみであったり、料理に手間をかけて自分の味を守っています。書斎にはパソコン(MAC)があり、それは筒井康隆と同じ環境のように思えます。【2月14日】

  • 【2月13日】

    作家の筒井康隆は、もう90歳になるのですね。頚椎を痛めて車椅子生活になったので、妻とともに有料老人ホームに入っているのだそうです。この筒井康隆が1998年断筆宣言からの復帰後、63歳の時に老いをテーマとした連作長編小説「敵」を出しました。妻に先立たれた元大学教授75歳の渡辺儀助の日常を描いたものです。これを読み始めました。たまたま読み始めたのですが、1月17日に映画が公開されています。東京国際映画祭で三冠をとった作品ということで、長塚京二が主演です。見てみたいです。【2月13日】

  • 【2月12日】

    沈黙する歴史は著者が平成8年から10年にかけて徳間書店のオピニオン誌サンサーラ(現在休刊)に発表した評論集です。日本人は1945年8月15日に戦争は終わったと思っていますが、連合国からみればそれは戦闘が終わったに過ぎず(戦争は9月10日前後のミズーリ号艦上での降伏文書調印を持って戦闘終了と理解され、ソ連はそれを担保に北海道侵攻を仕掛けていました)、アメリカによる戦争は継続されていたというのが著者の見立てです。8月15日から9月10日までは日本では自由な言論が再開していましたが、その後は検閲が行われるようになり、アメリカの都合で教育や歴史認識が日本人に行われるようになったのです。特に日本人への道徳への手入れは、今回の戦争は全て日本人が悪いのであるとの植え付けを狙い、その後の自虐史観につながるのでした。著者は...【2月12日】

  • 【2月11日】

    月一山行に行ってまいりました。山梨は大月の近くにある九鬼山です。大月市では富士山がよく見える山を秀麗富嶽十二景を選定していて、その10番山頂になります。先月は丹沢から富士山を見ましたが、今日は山梨からの富士です。標高は970mです。行き帰り5時間ほどの電車行で西尾幹二の本を読み切るつもりでしたが、あと10%ほど残してしまいました。【2月11日】

  • 【2月10日】

    昨秋、評論家の西尾幹二氏が亡くなりました。新しい歴史教科書をつくる会の初代会長を務めた人で、自虐史観といわれる日本人の歴史観を改めるべく活動しました。中国・韓国にいいようにかつての「罪」を責められて、日本の政治家は頭を下げることしか能がないという実態が続きました。政治家だけでなく外務省も脳が足らんのでしょうが。現在でも何かと日本を責め立てる風潮が両国にありますが、そういう日本の史観は実はアメリカが作ったのではないかということです。実は戦争は1945年に終わったのではなく、そこから戦争が新たに始まったのだと言います。沈黙する歴史という本を読んでいます。【2月10日】

  • 【2月9日】

    スキーに行っていて5日の発売日をすっかり忘れていたビックコミックオリジナルをスーパーの書店に買いに行ってきて読みました。コンビニにはもう売っていないのですね。そのコンビニですが、ローソンとファミマは3月に雑誌の扱いを止めるそうです。もうセブンとスーパーでしか買えなくなってしまいますなあ。【2月9日】

  • 【2月8日】

    松本良順という人はとても人柄がよく、また実に波瀾万丈な人生を送った人です。大河ドラマの主人公になっても全然おかしくないです。是非やってもらいたい。土方歳三に諭されて仙台から横浜に戻った良順ですが、その後の明治政府の幽閉と無罪放免を経て、早稲田に日本初の西洋式病院を開設します。そこへ山縣有朋が訪れて是非明治政府に出仕して欲しいと切望します。悩んだ末に出仕を受け入れ、初代軍医総監になります。ここで名前を良順から順に変えます。牛乳飲用や海水浴を市井に勧め、自らも大磯に住みます。晩年は家族、親族に先立たれ、そういう意味では不遇でしたが、76歳の天寿をまっとうしました。政治向きとは関係せず、医学一筋な人生でしたね。「暁月の旅人」吉村昭講談社文庫電子版【2月8日】

  • 【2月7日】

    松本良順に戻っています。江戸から追われるように会津に逃げた良順は、ここで戊辰戦争の真っ只中、負傷兵の手当てをします。しかし、落城間近に藩主松平容保から落ち延びるようにと言われ、酒田藩に行きます。ここで官軍との戦いに腰を据えようと考えますが、仙台にやってきた榎本武揚に来るように誘われます。そこで箱館に行こうと言われますが、土方歳三が宿を訪れ、良順ほどの人は生き延びて欲しいと諭します。イギリス人の船があるから江戸に行けというのです。迷っていた良順はこれで心を決め、取り合えず横浜に行き商館に身を潜めます。しかし、結局新政府に捕まり、幽閉されます。しかし、かつての医学所頭取である良順は丁寧に扱われ、しばらくして無罪放免となるのでした。【2月7日】

  • 【2月6日】

    二泊三日のスキー旅行から帰ってきました。信州中野で美味しい蕎麦の昼飯を食べ、渋滞もなく帰ってこれました。今朝は志賀も雪がしっかりと降って、駐車場から車を出すのに一苦労でした。なにせ腰位までの雪に埋もれているので、まずかき分け、掘り出しという作業。そして一回では車は(空転して)動かず、昔北国に住んでいた経験がものをいって、なんとか一人で脱出したという具合。ここ何年も大雪というのに出会っていなかったので、今年は久しぶりの経験でした。上越と違って軽い雪だったのも助かりましたね。【2月6日】

  • 【2月5日】

    志賀高原の2日目です。今日も冷え込んで-10℃位です。小学校から大学まで多くのスキー授業がいっぱいあって、それらがスキー場経済を支えている感じです。今日も活字はお休みです。【2月5日】

  • 【2月4日】

    スキーで志賀高原に来ています。大雪のニュースが大変ですが、志賀高原は程よくふかふかの新雪が積もってゲレンデは最高です。朝早く家を出てやってきたので今日の活字は無しです。【2月4日】

  • 【2月3日】

    暁の旅人、松本良順は江戸に帰還します。将軍家定に気に入られ医師としてそばに使えます。京に上ることになり随行します。しかし、脚気により家定は死去します。その間に新選組ともつながりができて、屯所の環境改善を行います。江戸に再び戻ってからは西洋医学を広めるための幕府開設の学校で奮闘しますが、鳥羽伏見の戦い戦いで将軍慶喜が江戸に逃げ帰り隠居することになってしまい、良順も官軍から身を隠すように佐倉順天堂から茨城を経て会津藩に向かうのです。【2月3日】

  • 【2月2日】

    暁の旅人を読もうと思ったらKindoleのバッテリー不足表示が出たのでやむなく充電にまわし、本棚の奥にあるのを見つけた房総沖巨大地震を取り出して読みました。自分が住んでいる千葉(房総)の大きな地震というのは、相模トラフ、南海トラフ、首都直下地震というのが3本柱です。相模トラフの巨大地震は関東大震災が有名で去年が100年目という節目でした。関東大震災の前の相模トラフの大地震は元禄大地震で、関東大地震よりも大きなものでした。震源も前者のそれが小田原近海だったのに対して、元禄大地震は野島崎の南東沖でした。なので両者とも津波は起きましたが、後者の方が房総半島に与えた影響は大きなものでした。この本はちょっと古くて1983年のものです。買ったのは2011年でしたが、初版のままなので文中の「最近の大地震」は秋田沖地震で...【2月2日】

  • 【2月1日】

    暁の旅人を読んでいます。長崎での医科修業は幕府の長崎奉行の理解もあって、順調に進みます。畿内では不運急を告げ始めていますが、3年後に妻子を江戸から呼び一緒に暮らし始めます。【2月1日】

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