【2月28日】
木暮理太郎という明治から大正にかけての登山家がいて、多くの文章を残しました。多くが青空文庫に収録されていて、その中から奥秩父の山旅日記を読みました。まだ地図(地形図)もまともでなく、道標などあるはずもない山道を歩きました。文章をたどりながらスマホで地形図も開き足跡を確認しました。先年、東京の水源である笠取山から唐松尾山を歩いたコースの逆を歩いた文章があって、バスが通じていない集落が登山口なのですが(当然マイカーです)、理太郎氏は中央線塩山駅から歩いてたどったのです。青梅街道の最高点である柳沢峠までは今は国道がありますが、当時は塩山駅からもう山道だったと思います。そもそも中央線が飯田町駅が始発駅であり、各駅列車名古屋行きに乗って夜明け頃に塩山に行着いたという時点で時代を彷彿とさせます。とにかく脚が全てで、食...【2月28日】
2025/02/28 19:42