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クニの部屋 −北武蔵の風土記− https://blog.goo.ne.jp/kuni-furutone118/

北武蔵を中心とした歴史を紹介。地方のあまり知られていない城や古墳などを発掘します。

高鳥邦仁
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埼玉県
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埼玉県
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2006/06/13

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  • 羽生城の“広田直繁”は義将だったのか?

    羽生城(埼玉県羽生市)は義に厚い城。周囲の城が北条氏に帰属しても、羽生城だけは上杉謙信への忠節を曲げなかった。羽生城の歴史の流れのみを見たならば、そう捉えることはできる。実際、謙信は羽生城主広田直繁に宛て、あなたの忠信はほかに類がない、と激賞している。忠義者としての一面はあったかもしれない。ただ、上杉氏への従属の理由の全てを、忠義のためとすることには違和感を覚える。忠節は真実の一端を語るものであっても、その全てではないのではないか。周囲の情勢、羽生城の置かれた立場、広田・木戸氏の在地的基盤などを見ると、「上杉氏に属さざるを得なかった」というのが本当のところではないだろうか。戦国後期の羽生城は、広田直繁と木戸忠朝の兄弟が同城を守っている。兄の広田直繁は、武辺者で現実主義者。実利的で野心家。冷静沈着である一方...羽生城の“広田直繁”は義将だったのか?

  • 下妻の“大宝城”で小骨が刺さる?

    利根川沿いに住む人からかかってきた連絡。あれ、予定と違っているのじゃ?ある人が段取りを間違えたらしい。誰も悪意はない。よかれと思ったことが、意外な事後処理を発生させることはよくあること。そんなモヤモヤした気持ちのまま訪ねたのが“大宝城”(茨城県下妻市)だった。言わずと知れた南北朝時代の争乱の舞台である。城址には“大宝八幡神社”が鎮座している。ゆえに、自ずと城址探訪=神社参拝となる。“春日中将顕国”が興良親王を奉じて大宝城へ移ったことにより、同城は南朝方の拠点となった。これを守るは“下妻政泰”。北朝方の“高師冬”らの猛攻に2年間耐え忍んだ。が、欠乏する食糧と城内で降伏を唱える者も少なくなく、1343年11月12日に落城した。現在の大宝城は水田に囲まれているが、西側には大宝沼が広がり、北と東も沼地と湿地だった...下妻の“大宝城”で小骨が刺さる?

  • 関宿攻防戦で “水上戦”が展開された?

    関宿城の天守を模した博物館の模擬櫓といい、城に関わる史料の多さから、どうしても水海城(茨城県古河市及び同県境町)は後回しにしがちになる。時間が余ったから水海城にも行ってみようか、というような。それは遺構の残存率にもよるのだろう。関宿城も遺構としては、ほんの1部が残っているだけである。が、何と言っても模擬天守の存在は大きい。一方、水海城は「何もない」。この城を訪ねるとき、神明神社を目的地にするのがセオリーかもしれないが、城の遺構らしきものは見当たらない。それに、神明神社を含む一帯は「内水海」であり、ここは簗田氏が関宿城からの退去後に整備された城だったと見られる。古い城跡は「南部地域」であり、現在の利根川の河川敷を含む土手の下だろう。新利根川橋を渡って国道4号を逸れたとき、「塚崎」(茨城県境町)の交差点がある...関宿攻防戦で“水上戦”が展開された?

  • 映画「セブン」の“雨”はいまなお降り続く?

    まさか、映画館で再び「セブン」が観られるとは思わなかった。主演はブラッド・ピットとモーガン・フリーマン、監督はデヴィッド・フィンチャー。後味の悪い作品として知られている。確かに、「衝撃の結末」と言われても異論はない。初めてこの映画を観たのは17歳のときだった。多感な年齢ということもあって、その衝撃は強かった。が、いい意味で忘れられない作品となり、ノベラズも2冊買い、春が近づくと何とはなしに手に取るのが癖になっていた。このブログでも、何度か「セブン」を題材に記事を書いたことがある。あれから約30年。46歳になって再び映画館で観ると、案外影響を受けていたように思えた。何にか?2人の刑事の仕事に対する姿勢である。モーガン・フリーマン演じるサマセットは言う。「断片を集めている」とサマセットはいった。「ありとあらゆ...映画「セブン」の“雨”はいまなお降り続く?

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