春の十字路にて
朝の旗当番に立ったら、通学班の人数が少なく見えた。6年生の子たちがいないことに気付く。もう春が来たらしい。押しボタン式の信号機は、せわしなく点滅していた。先日、夜間使用の公共施設で懐かしい顔を見かけた。卒団式の打ち合わせだったらしい。毎週のように顔を合わせていたのに、春になればもうこの場所で会うことはないのかもしれない。迎える春とともに、過ぎ去ろうとする季節を感じた。新しく始まれば、終わっていくものがある。何気ない日常がさよならを告げる。人生はその繰り返し。歴史もまたその連続。「年度」を入れれば、2回の年越しがある。1月よりも、4月の方が変化を強く感じることが多いかもしれない。環境や体制が組み変わるから。日ごと顔を合わせていた人が、「日常」からいなくなるから。新しく始まるものに気持ちが軽くなる。草花は芽吹...春の十字路にて
2025/03/29 06:00