羽生城の“広田直繁”は義将だったのか?
羽生城(埼玉県羽生市)は義に厚い城。周囲の城が北条氏に帰属しても、羽生城だけは上杉謙信への忠節を曲げなかった。羽生城の歴史の流れのみを見たならば、そう捉えることはできる。実際、謙信は羽生城主広田直繁に宛て、あなたの忠信はほかに類がない、と激賞している。忠義者としての一面はあったかもしれない。ただ、上杉氏への従属の理由の全てを、忠義のためとすることには違和感を覚える。忠節は真実の一端を語るものであっても、その全てではないのではないか。周囲の情勢、羽生城の置かれた立場、広田・木戸氏の在地的基盤などを見ると、「上杉氏に属さざるを得なかった」というのが本当のところではないだろうか。戦国後期の羽生城は、広田直繁と木戸忠朝の兄弟が同城を守っている。兄の広田直繁は、武辺者で現実主義者。実利的で野心家。冷静沈着である一方...羽生城の“広田直繁”は義将だったのか?
2025/02/27 08:00