当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
想いをかたちにしていくということは、まずかたちの前に大前提としての想いがなければなりません。私は深く住まい手を想いながら、かたちを紡いでいきますが、その前に住まい手の中に深い想いがなければなません。こんな暮らしがしたい、こんなシーンの連続
おそらくは、情緒的な不確かなことよりも、コスパとか実利的な事にフーカスした時代が近年長く続いた事による弊害かもしれません。漠然としていても、なんとなく脳内に浮かんだイメージを想像の赴くままに矛盾だらけでも辻褄が合っていなくても表現して頂い
実に40年近く住まいづくりをしていて、そうなのです。住まい手の息遣いを感じながら、その方の暮らしがどうなっていけば良いかとずっと考えて住まいづくりをしてきたというわけです。ですからある意味注文分譲や賃貸などの仕事はほとんどした事がないので
そう考えると、もちろんかたちになる事の緻密さや正確さは重要ですが、それよりも何よりも先駆けてある「想い」というものが重要なことは自明のことだと思います。コンセプトをどう立てていくかということなのですが、住まいの間取り一つとっても、どんな想
私たち人間が、その能力で巧みに成していく崇高な仕事として「創造」というものがあるのだと思います。そこに存在しえない湯よう形なものを、現実よりも先に自らの脳内に結実させて、有形な存在に表していくことは、人類の歴史の中で幾度となく繰り返されて
今回、私的な経験として生まれて初めて入院という経験をしてみて、空間が五感を通して人の心理に深く影響していることをいつもより敏感に感じることができました。何気ない日常の中でもそういうものが微に入り細に入り影響しているとすれば、住まいもまた、
私がいた病棟でも、どの病院でもおそらくそうなのでしょうが、空間の足りない部分を人が補っているといった感が多々ありました。認識しにくい段差には赤いテープが貼ってあり、必ず患者さんが通るたびに「そこ段差ありますから気をつけてください」と、どの
数日間の入院で、いろいろなことを考えていました。いつもは24時間めまぐるしく動いている自分が、ベッドの上にいると、いつものように五感が絶え間なくマルチタスク的に情報を処理していない分、光や風やノイズ、仕上げの質感や様々な事柄が外部から感覚
病院といえば、私の頭に浮かぶのは、若き日に写真集やテキストで学んだフィンランドの巨匠、アルヴァ・アアルトのパイミオのサナトリウム。有名な話ですが、このサナトリウムの病室は光の入り方を綿密に計算して配置され、有機的な形をした名建築です。病室
実はこの原稿を、とある病室のベッドで書いています。三日間の検査入院でとある病院の中にいるのですが、日々の日常から全く隔離された場所にいることもほとんどないのですが、実に60年余り生きてきて、入院というものを初めてしているので(笑)いささか
感覚も、感情も、好転させるためには一度リセットさせることが必要だなとよく思います。現実的には惰性のように日々の時間が流れていますが、帰巣本能の赴くままに我が家に皆さんが戻ってくるのは、このリセットのためではないかとよく思います。何かとスト
常に、住まいは住まい手に寄り添って、ストレスをなるべく与えない設えであることが大切であるといつも思います。私の場合はそこを一番に考えます。そしてその次により美しく、少しでも住まい手の暮らしが豊かで上質なものであるように、設えとしてはできる
数人のお客様が、他氏の言葉に従って階段の上がり端のところを登り降りして、私は最後のお一人の動きに合わせて解説したのです。リビング側から階段に向かうとき、そこは間取り上、身体を右旋回しながら登り始めるのですが、みなさんその間取りの出っ張った
気を衒った仕掛けやデザインは、住まいの完成の瞬間を華やかなものにしてくれるのにはあまりあるのですが、結局はその瞬間のサプライズの演出にすぎなくて、それが華やかであればあるほどになんとなく時を過ぎると色褪せて見えてしまったりすることもありま
殺伐とした世の中のうねりの中で、これから先の住まいの役割というものを考えると、みなさん住まい手の心身をいかにニュートラルに回帰させ、ストレスを次に持ち込まない仕掛け和いかにできるかということに関わってくるのではないかとよく思います。私がよ
今回は、味わうという言葉をテーマに少し考えていました。人間は情緒の動物です。その瞬間瞬間をどれほど快適だとかフィット感に安心すると言うような良い感覚で満たすと言うことが、日々の暮らしを豊かにしていくかと言うことに大きく影響していくと思いま
難しくただ、こだわるということではなくて、愉しむという意味での「味わう」ができれば、こんなにハッピーなことはないのではないかなと思います。私としては、住まいというものはそれを演出する舞台だから、しかも、その住まい手専用の舞台だから、もっと
何気なくやり過ごしてしまえば、ただただルーティンの予定消化的な時間の羅列になりがちな日常ですが、視点を変えて、味わうというイメージをめぐられせると、その景色はずいぶん違ったものに見えてくるものです。日々雑多なことに追われても、それを「味わ
現代人は、実は生涯の9割以上を屋内で過ごしているというデータがあるそうです。住まいばかりとは限りませんが、いわゆる建物の中で我々はほとんどの時間を過ごして生きていると言って良いのだと思います。近年のコロナ禍で、その中の内訳の中でも、いよい
日々雑多なことで追い立てられている現代人の時間の流れは、一見豊かなように思える部分もありますが、実は無味乾燥で殺伐とした部分も少なくなく、ともすると予定消化で自分自身を見失ってしまうそうなほどの加速度は、常に私たちに「それで良いの?」と問
もう日付が過ぎてしまった。毎年、3.11には当時のことをこのコラムに書いている。今年も決して忘れたわけではないけれど、いつもと同じ、視察先の宮崎県の日向市で津波警報を受けて川上に避難した話を書いて、行きすぎて良いものか躊躇いがあったのだ。
「豊かさ」というものの感覚はまさに人それぞれだと思います。近年の経済優先主義は、結局のところ物質的な豊かさがどうしても重要視されてしまって、その代替物としての貨幣的に潤沢な環境こそが豊かさだという意味合いを色こく社会に浸透させてしまいまし
現在進行中のプロジェクトでも、これまでと同仕様でもかなりのコストアップとなってしまうケースがあり、予算取りで難航する案件も少なくありません。ただ、これをマイナスイメージで捉えてしまうと、皆さんの住まいに対する大きな夢は萎んでしまうばかりで
大は小を兼ねるとは、昔からよく言いいますが、住まいに関してはそうとも言えない。ひと世代前の老朽化した住居を相続して、持て余されている方達も少なくないと思います。それが理にかなった間取りであればまだしも、ただただ部屋の羅列のようなものであれ
極端な言い方をすれば、例えばお金持ちが、通帳口座に並ぶゼロの数の多さをつまみに、優越感に浸ってお酒を飲んでいても、それを単純に豊かだとは思えないのは、富と豊かさが必ずしもイコールではないからなのではないかと思います。豊かさとは、全く別のレ
そもそも貨幣経済というものは、貨幣そのものには価値があるわけではなく、人間同士の価値観の代替物として流通しているものだとま思いますが、問題はその代替物であることがいつか忘れられて、そのものが価値があるかのように錯覚してしまっていることに問
このところお伝えしているのは物価上昇や金利の引き上げ、大資本が支える地価高騰など、庶民にとっては世知辛い話題ばかりです。ただ、いつの時代も庶民は歴史の傍観者では決してなく、やはり主役だということを思えば、ここはしたたかに賢く生きていきたい
人口減少、少子高齢化、さまざまな多様性というのはある意味社会の成熟度という意味も含まれていると思います。そして、一個人のパーソナルが重要視されて、尊重されていくというのも良いことだと思ったりします。ただ、ここになかなかついていけない人たち
何を、どうひと手間をかけて、誰と、どんな場所で食事するかと言うことが、少し大袈裟な言い方になりますが、私には人生の中の大変重要な要素ではないだろうかとよく思います。「個食」と言うスタイルがだんだん増えてきている現状の中で、この部分をどう捉
食は、華美なものでなくても、旬の季節のものをシンプルに調理していただくという感覚は、日本人の素敵な食事感覚として、今でも共有できているものではないかと思います。禅とともに世界に伝搬している精進料理などに原点を持つのかもしれませんが、食材の
いわゆる核家族化が進んで、家族単位が都市部ほど小さくなって、4人家族くらいが標準的だった時代から、いよいよ時代は「個」の時代に突入しているのかもしれませんね。NOMADOなどという言葉が生まれて、もはや定住すらしない人々が出始
最近、スーパーやコンビニでも、個食用のアイテムがすごく増えて、日本人の食生活の変容の一変が垣間見れるような気がして、さてどうしたものかと考えることが多くあります。老いも若きも、一人暮らしが大変多くなって、食事を一人で取る方が増え始めている
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史