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『 「国防は軍人の占有物にあらず」加藤友三郎100年前の軍縮条約』の続き) https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2022-02-07 原敬は1886年から3年余り公使館書記官として パリで暮らした。 原が法学校を放校となったあと 中江兆民の仏学塾で学んだことは前回書いたがその後新聞に寄稿したり フランス語の翻訳をしたりのあと 外務省入りしたのちの 30歳代初めのフランス滞在である。 政界に入ってのちの50代の初めには 半年もかけて突然の欧米周遊 1908年~1909年 太平洋を渡ってアメリカ さらに大西洋を渡って欧州 ロシア経由で帰国 40年近く前岩倉使節団が 1年半以上もかけ欧米を巡ったころは 列強の植民地になってなるものかの日本も いつしか朝鮮半島や中国大陸に触手を伸ばす国に、、 原はそれでも欧米諸国の国力は嫌というほど 見せつけられた..