メインカテゴリーを選択しなおす
「国防は軍人の占有物にあらず」加藤友三郎100年前の軍縮条約
首席全権の加藤友三郎海軍大臣は海軍大将 調印は1922年2月6日のワシントンだから 日本時間で2月7日か ちょうど100年前だ主力艦の米・英・日:10対10対6 を決めた ワシントン海軍軍縮条約 海軍の強硬派は日本の7 を主張していたのに6 交渉のさなか本国に伝えられた加藤の言葉が 「国防は軍人の占有物にあらず」 書き留めたのは 随行していた堀悌吉 (当時は機密) 「伝言」はこう続く 「国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、 国力を涵養し、 一方外交手段により戦争を避くることが、 目下の時勢において国防の本義なりと信ず」 今ではすっかり忘れ去られたようだ 調印から丁度100年の今日だが 取り上げる新聞もない 敵基地攻撃論や台湾有事や 憲法改正の話はあっても… 人気ブログランキング ←応援クリックを是非とも!にほんブログ村 ←人気投票、上下ふたつともどうかよろしく! 加藤をワシント..
『 「国防は軍人の占有物にあらず」加藤友三郎100年前の軍縮条約』の続き) https://noraneko-kambei.blog.ss-blog.jp/2022-02-07 原敬は1886年から3年余り公使館書記官として パリで暮らした。 原が法学校を放校となったあと 中江兆民の仏学塾で学んだことは前回書いたがその後新聞に寄稿したり フランス語の翻訳をしたりのあと 外務省入りしたのちの 30歳代初めのフランス滞在である。 政界に入ってのちの50代の初めには 半年もかけて突然の欧米周遊 1908年~1909年 太平洋を渡ってアメリカ さらに大西洋を渡って欧州 ロシア経由で帰国 40年近く前岩倉使節団が 1年半以上もかけ欧米を巡ったころは 列強の植民地になってなるものかの日本も いつしか朝鮮半島や中国大陸に触手を伸ばす国に、、 原はそれでも欧米諸国の国力は嫌というほど 見せつけられた..