戦国時代が好きで、合戦や武将について基本的には通説に沿って、時には自分なりの解釈や想像を膨らませて思いのままに書かせて頂いています。
2024年8月
一般的に関ヶ原の戦いにおいての西軍の敗因は、小早川秀秋の裏切りによるところが大きいと考えられています。確かに決定打となったのは秀秋の裏切りといえるかもしれませんが、他にも多くの敗因が存在しますので、ここにまとめてみました。
関ヶ原の戦いにおいて、小早川秀秋、吉川広家の裏切りは勝敗に大きな影響を与えましたが、その他にも西軍総崩れの引き金となった裏切りがありました。脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らの裏切りです。
田辺城の戦い~教養は大軍より強し!?わずか500の兵で15000の大軍を釘付け!?~
「田辺城の戦い」は畿内(当時、日本の中心地であった山城、大和、河内、和泉、摂津、5ヵ国の呼称)近国の制圧を目指す西軍、小野木重次、前田茂勝、織田信包ら豊後の諸大名を中心とした1万5000の軍勢と細川家との間で行われた籠城戦です。
五大老の一人で、関ヶ原では副大将として17,000人という西軍最大の軍勢を率いて主力として戦った宇喜多秀家でしたが、実はその多くが浪人(牢人)達で編成された寄せ集めの軍勢でした。
2024年8月
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