戦国時代が好きで、合戦や武将について基本的には通説に沿って、時には自分なりの解釈や想像を膨らませて思いのままに書かせて頂いています。
一般的に関ヶ原の戦いにおいての西軍の敗因は、小早川秀秋の裏切りによるところが大きいと考えられています。確かに決定打となったのは秀秋の裏切りといえるかもしれませんが、他にも多くの敗因が存在しますので、ここにまとめてみました。
関ヶ原の戦いにおいて、小早川秀秋、吉川広家の裏切りは勝敗に大きな影響を与えましたが、その他にも西軍総崩れの引き金となった裏切りがありました。脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らの裏切りです。
田辺城の戦い~教養は大軍より強し!?わずか500の兵で15000の大軍を釘付け!?~
「田辺城の戦い」は畿内(当時、日本の中心地であった山城、大和、河内、和泉、摂津、5ヵ国の呼称)近国の制圧を目指す西軍、小野木重次、前田茂勝、織田信包ら豊後の諸大名を中心とした1万5000の軍勢と細川家との間で行われた籠城戦です。
五大老の一人で、関ヶ原では副大将として17,000人という西軍最大の軍勢を率いて主力として戦った宇喜多秀家でしたが、実はその多くが浪人(牢人)達で編成された寄せ集めの軍勢でした。
戦国の世を生きた武将や姫などについてご紹介。
小早川隆景は兄の吉川元春と並び「毛利両川」と謳われ毛利家の発展に大きく貢献し、また秀吉からも高く評価され、豊臣政権の最高役職である五大老に任じられました。知略に優れ、天才軍師の黒田官兵衛をして賢人と言わしめた人物です。
【真田昌幸】天文16年(1547年)~慶長16年(1611年)享年64歳武田勢において屈指の知将であった真田幸隆(幸綱)の三男として生まれた昌幸(幼名、源五郎)は、幼少の頃よりその才能を見出され奥近習衆(信玄の側近中の側近)に抜擢され英才教
大谷吉継は越前敦賀を治めた大名で、豊臣秀吉の家臣で石田三成の盟友でもありました。名将として知られ、戦場でも内政でも類稀な才能を発揮して秀吉の懐刀として重宝されました。また戦国を代表する義将としても有名です。
関ヶ原の戦いは、関ヶ原での本戦をはじめとして日本各地で合戦が繰り広げられました。その為、もう一つの関ヶ原と呼ばれる戦いが多数存在しますが、その中でも特に興味深いのが天才軍師と呼ばれた黒田官兵衛(孝高・如水)の九州においての戦いです。
関ヶ原の戦いの勝敗を決定づけたといっても過言でない小早川秀秋と吉川広家の裏切り。この二つの大きな裏切りには共通した陰の仕掛け人がいました。関ヶ原の戦いでの西軍にとって最大の裏切り者、そして東軍にとっての最大の功労者とは!?
関ヶ原の戦いで裏切り者と言えば真っ先に小早川秀秋の名が挙がると思います。確かに勝敗を決定的にしたのは秀秋ですが、関ヶ原の戦いでは他にも多くの裏切りがあり、中でも秀秋に匹敵する程、戦いの勝敗に大きな影響を及ぼした、もう一つの裏切りがあります。
一般的に石田三成といえば戦下手で三成の軍勢は弱いといったイメージがありますが、一概にそうとはいえない部分があり、事実、その配下には勇猛で名を馳せた武将が数多く存在します。
「大津城の戦い」は関ヶ原の戦いにおける前哨戦の一つで、突如、東軍に寝返り籠城した大津城城主、京極高次と西軍による戦いです。一般的にはあまり知られていませんが、関ヶ原本戦に大きな影響を与えた戦いの一つです。
第二次上田合戦は、中山道を通って関ヶ原に向かう徳川秀忠の軍勢3万8000と上田城に約3000の兵を以て籠城した真田親子(昌幸、信繁※幸村)との戦いで、関ヶ原の戦い本戦に大きな影響を与えた一戦です。
北陸地方で繰り広げられた「浅井畷の戦い」は関ヶ原の戦いの一環で北陸の関ヶ原とも呼ばれています。大谷吉継は知略をもって前田利長の大軍を撤退させ、それを好機に丹羽長重は前田軍に追撃を加え勝利しました。
小山評定(おやまひょうじょう)とは、家康と会津征伐に従軍していた諸大名によって行われた軍議で、関ヶ原の戦いを決定づけた重要な出来事です。
高貴な身分に生まれながらも運命に翻弄され波乱の人生を遂げた細川ガラシャ。今もなお戦国の世を代表する悲劇として語り継がれています。
関ヶ原の前哨戦ともいわれる伏見城の戦いは、西軍の主力4万の大軍に対し、わずか2300人の兵力で迎え撃った籠城戦です。そこには三河武士の鑑と称された忠臣と家康との苦渋の別れがありました。
「岐阜城の戦い」は関ヶ原の戦いの前哨戦の一つで、西軍の重要拠点であった岐阜城をめぐって東軍、西軍が激突した戦いです。福島正則、池田輝政ら3万5000の兵力に対して、6000の兵をもって岐阜城を守っていたのは信長の孫の織田秀信です。
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