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さわやか易 https://blog.goo.ne.jp/kanouyuukougoo

易は難しい、易は解らないと挫折した方に、「さわやか易・講座」で解ったと言ってもらえれば幸いです。(猶興)

さわやか易
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2024/06/17

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  • ユダヤ人とオスマン帝国

    ムハンマドの出現以来、アラビア半島から中東一帯、地中海周辺までイスラム勢力の支配下になった。始めはアラビア人主導だったが、やがて武力に強いトルコ周辺の騎馬民族が王朝を作った。十字軍の遠征もあり、王朝は次々と変わったが決着をつけた王朝がオスマン帝国である。1299年に建国され、1453年にはコンスタンティノープルを陥落させ、約1500年続いたローマ時代を終焉させた。最盛期の16世紀にはヨーロッパの名門ハプスブルク家の都市ウィーンをあと少しで陥落させるほど、ヨーロッパ人を震撼とさせた。国家が富国強兵となるには、単に戦争が強いばかりではない。経済力は勿論、科学技術、社会体制、国民の文化レベルが他国より一歩進んでいたことを物語る。トルコの騎馬民族は過酷な環境を生き抜く生命力と闘争力はどこにも負けない国民性はあっただろう...ユダヤ人とオスマン帝国

  • カノッサの屈辱

    カノッサの屈辱十字軍がヨーロッパ人を熱狂させた背景には、その頃のローマ教皇に対する絶対的な畏れ敬いの念があったことが想像される。一般の民衆にはキリスト教を教え導く立場のものは司祭であり、司教であったが、その司祭たちの総元締めがローマ教皇であった。そのローマ教皇がどれほど権威のある存在であったかを示すある事件が起きている。十字軍が始まる少し前の1077年1月に起きた「カノッサの屈辱」と言われる事件である。事件の発端は司祭、司教の「叙任権」問題にあった。司祭、司教は教会の聖職であるから、その職を叙任するのは本来教会の本部であるローマ教皇である。しかし、司祭、司教は信者たちによって成り立っている。その信者たちはその土地の君主が支配している。君主たちは自分の国を治めるため、自分に忠誠を尽くしてくれる人を司祭、司教に着け...カノッサの屈辱

  • (26)スペインの異端審問所

    スペインのあるイベリア半島は紀元前には北アフリカのカルタゴが植民都市を建設していた。その後ギリシャ人も進出し、以後ローマ対カルタゴの両雄はポエニ戦争として何度も争いローマ軍が勝利した。約600年間ローマ時代が続いたが、ゲルマン民族の大移動により、西ゴート王国が出来る。7世紀、ムハンマドの出現により、北アフリカを制圧したイスラム教徒のウマイヤ朝が進出してきた。750年、シリアで政変が起こり、ウマイヤ朝はアッパース朝に滅ぼされた。ただ一人生き残った王族のアブド・アッラフマーン1世はモロッコ経由でイベリア半島に逃れる。ウマイヤ朝を再興し、後ウマイヤ朝としてイベリア半島を支配する。東方から文化人たちが移住し、首都コルドバはバクダット、カイロと並びイスラム文化の栄華を極めた。約300年間続いた後ウマイヤ朝だが、11世紀に...(26)スペインの異端審問所

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