chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 昭和の思い出(アマチュア無線)

    戦前からの古いラジオに代わり、新しい真空管ラジオがやってきた。今度のラジオは2バンドで短波放送が聞ける。ダイヤルを回して日本短波放送などが聞ける。しかし面白い放送ではない。7メガサイクル付近にたくさんのざわついた話し声が聞こえた。アマチュア無線だった。ときおりものすごくはっ...

  • 昭和の思い出(石)

    石という地味なものに興味がわくには幼すぎた。学校から河原に鉱物を拾いに行く授業だった。石は河原一面に大きいのから小さいのまでいろいろある。変わったものを見つけようとするがほとんど平凡なもので鉱物のようなものは見つからない。かろうじて水晶が一部含まれているようなものを見つけた...

  • 昭和の思い出(あさぶら)

    いつもはいていた履物があさぶらだ。本来、あさぶらは名の通り麻などでできた履物だそうだ。寒い時期を除いて、これで過ごした。大学生になってからアルバイトにもこれで通った。最近、ビーチサンダルを履いてみると親指と人差し指の間が痛くて耐えられなかった。長い間、この手の鼻緒のある履物...

  • 昭和の思い出(おおきに)

    近所の家でお菓子などもらったら「ありがとう」か「おおきに」というように教えられた。ありがとうは口がもつれて言いにくく、「おーきに」が言いやすい。駄菓子屋に行って「おばちゃん」といいながら戸を開けるのが最初は怖くてできなかった。こういう経験はいつの頃か思い出せないが幼稚園から...

  • 昭和の思い出(デシリットル)

    デシリットル、この言葉は懐かしい響きがある。遠い記憶の彼方にあるが、普段気にすることがない。調べると現在も小学2年で教えている。容積の単位として最初にリットル、デシリットルを教える。かすかな記憶にあるのが学校の校舎の北側にあった水飲み場に集まってコップに水を汲んでいる景色だ...

  • 昭和の思い出(円周率)

    小学校で円の面積を求める作業をした。方眼紙に円を描き、囲まれた方眼の数を数えて円の面積を求めた。欠けている方眼は四捨五入で数える。そうして円を囲む正方形との面積の比率を求める。正確にはπ/4=0.785となるが、それぞれ近い値を出した。この数値で、面積の公式 (直径)×(...

  • 昭和の思い出(必要条件と十分条件)

    高校数学Ⅰで早々に出会うのが必要条件と十分条件。これが分かりにくい。 「PならばQ」が真なら、PはQの十分条件、QはPの必要条件という。 これが意味不明だった。Pが条件はわかるとしても、Qがどうして条件なのだ。しかたないので機械的に覚えることになる。 「明日晴れなら、遊園地...

  • 昭和の思い出(授業)

    高校の授業で古文の先生は出席を毎時間とった。50名あまりの名を読み上げる。生徒の顔は見ていなかった。それをいついも聞いていると生徒の名簿順の名を覚えてしまって今でもあOOO,いOO,うOOとでてくる。また、べつの先生は教壇の高いところから挨拶はしない。みんなと同じ高さの床で...

  • 昭和の思い出(生活費2建築費)

    家を建てるのは高度成長を経て何十年たっても相変わらず一生事である。昭和42年ころの建築費を調べると 建物の標準的な建築価額表(単位:千円/㎡) 構造 木造 木骨 1967年(昭和42年)19.9 100平米の家で約200万円 田舎ではこの数年後、家を建て替えたが、値上がりが...

  • 昭和の思い出(行進)

    東京オリンピックをテレビで見ることができた。印象に残ったものは多いが、一番は開会式と入場行進だ。整然とした日本選手団。敬礼。トランペットのファンファーレ。鳩の飛び立ち、聖火。白いパンツとランニングで階段を駆け上がる。 行進が一番の出し物なのはなぜだろう。運動会の練習も行進が...

  • 昭和の思い出(愛と死をみつめて)

    東京オリンピックも近づき、世間に遅れて家にもテレビが入った。14インチの白黒。そのころ、学校から帰って誰もいない家でテレビドラマをよく見ていた。大空真弓、山本学でドラマ化した純愛作品「愛と死をみつめて」だ。高校生としては縁が遠い衝撃的な話だった。食い入るようにドラマに見入っ...

  • 昭和の思い出(模型船)

    模型にもいろいろあるが簡単で面白いものと言えばゴム動力船だろう。板を船の形に切り、船尾にスクリュー、先頭にくぎを打ち、ゴムをかける。ゴムは少したるませる。これを小川の堰のある所に行き、ゴムを巻いて走らせる。スクリューがプルプルと音を立てながら船尾の水をまき上げて進む姿と音は...

  • 昭和の思い出(生活費)

    下宿生活はすべて自分で金銭の始末をつけなければならない。当時の物価を思い出してみる。 定食 100~120円 風呂 32円 はがき 7円 散髪 380円 家賃 5000円(4畳半、共同(便所、洗濯機、水道、新聞)代含む) 電気 12円/kWh 即席ラーメン 25円 一か月の...

  • 昭和の思い出(定食屋)

    最初の下宿の近くの定食屋はご飯を個別の小さなおひつから茶碗に盛る。コメの味が良くて感動した。家では麦飯だったせいかもしれない。しかし、それ以外の印象は学生が一人ずつもくもくと食べている姿だった。半年で陰気な雰囲気の下宿を大勢の住む下宿屋に引っ越した。そこでは同じ大学の学生で...

  • 昭和の思い出(駄菓子)

    近所の駄菓子屋で甘いものを買うのが日課であった。キャラメル一箱10円でそれぞれ特徴がある。飴の味で勝負するのが本道だが、子供の射幸心をあおるものが多い。グリコのおまけ、日の丸の野球カードで景品、カバヤと森永は飴だけ。カバヤは10個、森永は8個。カバヤが安いがやや固い。どちら...

  • 昭和の思い出(脱穀)

    図工の時間に好きな絵を描くときに思いつくのが脱穀の絵だった。石油発動機と脱穀機がべるとでつながれてエンジンの音が鳴り響き、稲わらからモミが飛び散るのが心地よい。とくに石油発動機の動きと音が迫力があってみているだけで楽しかった。かけはじめにはずみ車を勢いよく回すと、エンジンが...

  • 昭和の思い出(畔豆)

    田んぼの畔の境界に植えるので畔豆という。田植えの頃に田んぼの泥で塗ってある斜面に棒で穴をあけ、種を落とす。豆ができると枝ごと引き抜いて干し、千羽こきでさやを落とす。収穫した豆は炒っておかずやおやつとなる。どんぶりに盛った炒り大豆が食卓にあった。醤油や砂糖で味付けもした。石臼...

  • 昭和の思い出(学生鞄)

    小学生の鞄というとランドセルだ。しかし思い出はほとんどない。白い肩掛け鞄が流行りで、小学3年ぐらいにはこれを使っていた。中学途中からは手提げかばんが流行りで親の古い鞄を使った。これは高校卒業まで使った。学生服はよく親類のお古を使わせられた。ボタンのマークがまちまちで、どこか...

  • 昭和の思い出(蓄音機)

    田舎の家の納屋の屋根裏で古い手回し蓄音機をみつけた。同時にレコード盤もあった。レコードは浪花節などが多く、そのなかに菊池寛の「父帰る」があった。「お父さんを呼んで来い」というところで終わる。短いものだったが妙に記憶に残った。自分で取り寄せた無線通信士講座もあった。取り寄せた...

  • 昭和の思い出(暖房)

    家には暖房のために火鉢、こたつがあった。豆炭あんかは便利だった。いまでは寒くて我慢できないが当時は火鉢で手を温めるのが気持ちよかった。餅も焼いた。火鉢の火をいらっていると暖かい気持ちが起きる。頭通の時は顔を火鉢にかざすと良くなった。部屋を暖めるストーブのようなものはなく、学...

  • 昭和の思い出(大気圧)

    中学1年の理科で心に残ったことに大気圧がある。1cm四方に1kgの力があらゆるものの表面にかかっている。これを先生は卓上で実験して見せた。教卓の端に長い板を半分ほどせり出して置き、卓上の板をかぶさるように新聞紙を数枚広げておいた。せり出した板を上からかなり強くたたく。板はび...

  • 昭和の思い出(石油コンロ)

    プロパンガスが家で使用する前に石油コンロというものがあった。これは灯油を使うもので使用前に器具についたポンプを押して空気をタンクに貯める操作がある。これが面倒で火が付くのに時間がかかった。火は青白い炎でガスと同じ。あるとき、コンロ全体が火だるまになって家事にでもなるのかとあ...

  • 昭和の思い出(時計)

    家に柱時計が一台、柱に掛かっていた。時報がボーンボーンとなるゼンマイ式で文字盤の左右に計箇所ねじ穴があった。それ以外に時計は知らない。ラジオの時報で扉を開けて針を手で回して時間合わせをしていた。あるとき急に時計の針の音が大きく聞こえて困ったことがあった。疲れていたのだろう。...

  • 昭和の思い出(年末)

    年の暮れが近づくと大掃除をした。畳を上げて干す。下に新聞紙を敷く。障子を張り替える。古い障子を破るのは面白い。今と違い、部屋にほとんど家具がないので苦労なくできた。箪笥は廊下とかにあって畳の上にはほとんど置いてなかった。家事は土間で行うので住居部分には物が少ない。かまどで餅...

  • 昭和の思い出(憲法)

    中学三年の社会で憲法を習う。先生は前文とその他重要条文の暗唱を生徒全員に課した。できそうもないと今でも思うが、当時はみんなできた。完全ではないが文句も言わずやった。戦前の教育の名残りと思って調べると、なんとたくさんの件数がヒットする。60年たったいまでも多くの中学校で憲法前...

  • 昭和の思い出(英語)

    小学校でローマ字を習う。あいうえおがa,i,u,e,o,かきくけこ以降はk,s,t,n,h,m,y,r,wをつけるだけ。これで英語も通じると思った。その後、言葉すべて覚えなければいけないと知った時、落胆し、絶望した。 中学で初めて英語の授業があった。まずアルファベットの筆記...

  • 昭和の思い出(アグリッパ)

    近所によく一緒に遊んだ子供がいた。その子と一緒に遊んでいると、中学生が校舎の2階の窓から身を出して「あほりっぱ」という。そのとき、バカにしているのかと思った。「アグリッパ」というローマの英雄のことだ。今思うと友人はそのような迫力のある顔だったかなと思う。子供はそれを知らない...

  • 昭和の思い出(肖像画)

    小学校の音楽室に掲示されていた音楽家の肖像画。バッハからヘンデル、ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、ウエーバー、、、と続く。全国的にあったらしく、その起源はレコード会社の返礼の寄付だとか。授業前に音楽室に入って見上げて順に名を読んでいくのが習慣になっていた。肖像画の頭は...

  • 昭和の思い出(鬼追い)

    露店で暇つぶししながら鬼の登場を待つ。待ちに待った鬼の登場。子供の頃の印象は顔が体の半分もある。とてつもなく顔の大きい赤鬼だった。持ったたいまつを時折欄干にたたきつけ、火の粉を飛ばす。下から見上げている村人にかかる邪気を払うそうだ。動きがゆっくりだ。ゆっくり足を上げ、間をお...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ronin2008さんをフォローしませんか?

ハンドル名
ronin2008さん
ブログタイトル
ronin2008のブログ
フォロー
ronin2008のブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用