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  • 昭和の思い出(リヤカー)

    家にリヤカーがあった。これはどうやら父親が作ったものらしい。骨組みの鉄パイプを溶接して作ったのだろう。溶接の仕事をしていたので、合間に作ったのではと思う。これが母親に少し不満だった。バランスが悪く、重心が前に偏っていて、持ち手が重いらしい。市販のよりも小さいのが原因か。ある...

  • 昭和の思い出(拡大器)

    田舎の祭りは秋祭りが最大のものだが、その他に寺社の主催するものがある。太子祭、厄神祭、花祭りなど。そこで露店が出る。輪投げやルーレット、景品はほとんど手に入らない。店の主人がやって見せるといとも簡単に当てる。からくりがあった。これとは別に拡大器なるものが印象に残り、手に入れ...

  • 昭和の思い出(コッパ)

    田んぼの手伝いで苦痛だったものに、刈り取った後の稲の株を掘り起こす作業があった。家では牛を飼っていなかったので、鋤を親類に頼んでいた。いきなり田んぼに鋤を入れても株が邪魔で牛が負担となるらしい。何株一反にあったのか、膨大な数の株をひとつづつコッパを打ち下ろして掘り起こす。手...

  • 昭和の思い出(作図)

    昭和の思い出(作図) 数学の授業を思い浮かべると、大きな三角形と大きなコンパスで黒板に作図をする姿を思い出す。ノートに小さな図を描くよりも気持ちよさそうだ。作図の授業がいつだったか忘れたが、まず垂直二等分線、正三角形、正六角形までは簡単。いろいろやって、最後に正五角形の図を...

  • 今日の一枚(フェルマー)昭和の思い出(ポンプ)

    今日の一枚(フェルマー肖像画) 昭和の思い出(吸い上げポンプと押上ポンプ) 学校にあった井戸は地面からパイプが出ていて、端に手押しポンプがついていた。鉄製のハンドルを上げるとピストンが下がり、押し下げると、上がる。このとき井戸からパイプを通して水が上がる。ポンプの横についた...

  • 今日の一枚(ガロア)

    今日の一枚(ガロア肖像画) 経済界の有名人 柳井正、孫正義、三木谷浩史、渡邉美樹 これらの人は、服飾、通信、インターネット、外食といずれも大衆の日常生活を支える大事な仕事をされていて、ご苦労様です。

  • 今日の一枚(大礼橋)

    今日の一枚(大礼橋下流の堰) 学校の実験で印象深いのは酸素中の燃焼実験。先生が教壇でやったものだが、ビーカー中に酸素を満たし、そこへ線香の火をいれると激しく燃え上がる。酸素は危険なものだと分る。この燃焼の理論を作ったのがラボアジェ。フランス革命で断頭台の露と消えた。 化学の...

  • 昭和の思い出(麦踏み)今日の一枚(村の景色)

    家では裸麦を作っていた。冬の麦踏みは妙に疲れる。麦の根元を飛ばさないよう両足で一つ一つ踏んでいく。とくに力がいるとかではない。稲刈りなどの重労働ではない。腰をかがめることもない。しかし面白くない。麦の穂に黒いのが混じっている。この穂を抜く。穂の部分をとり、数センチの麦のパイ...

  • 昭和の思い出(鉄砲)今日の一枚(月見橋)

    おもちゃの鉄砲というと、市販では煙硝鉄砲と水鉄砲。煙硝鉄砲は渦巻テープになった煙硝玉を鉄砲に装着してパンパン鳴らす。銃口から煙がでるのもあった。この仕組みは煙硝玉を打ち付ける銃口の入り口に小さな穴があけてあり、この穴から煙が銃口に抜ける。水鉄砲も夏には人気で、音はないが水を...

  • 昭和の思い出(自転車)今日の一枚(加古川大堰)

    昔は子供用自転車は一般的でない。26インチで自転車も今のようにフレームがU字方に下に曲がってなくてサドルとハンドルの間に一本のパイプがある(三角フレーム)。だからサドルが高い。またぐと足が届かないので、片足をペタルにのせて助走して、もう一方の足を十分あげて乗らないといけない...

  • 昭和の思い出(紙芝居)今日の一枚(闘竜橋)

    10数人が村の公民館の広場に集まって紙芝居が来るのを待っている。誰かが「来た来た」という。皆が来る方向に目をやる。そいつが指で北方を指す。そのうちやってきた。拍子木でカチカチ叩き、合図する。水あめを2本の割りばしに巻いて、10円出す子に渡す。「買うてないのは後ろ」。自分も後...

  • 昭和の思い出(帽子)今日の一枚(福田橋)

    小学校の旅行の記念写真をみると、男子はほぼ全員帽子をかぶっているか手に持っている。女子もかぶっている人も結構いる。帽子も野球帽から学生帽とまちまちである。高校生になったときは誇らしげに校章の付いた制帽を被っていた。帽子をわざと汚したり、くしゃくしゃにもんだりした。貫禄を付け...

  • 昭和の思い出(カレー)

    カレーライスはドロッとして肉入りのものだが、思い出すのはカレー粉で色と風味をつけた野菜煮だった。さらさらで、これは体に良かったのかもしれない。最近カレーライスで胸やけを起こすようになったが、油とメリケン粉は胃に負担がかかるようだ。母は外食を「店やもん食いゆうてな、あかんのや...

  • 昭和の思い出(版画)

    学校で版画を作った。彫刻刀のセットを買った。ゴム版、木版、そして紙を切り貼りしての紙版画、順序は忘れたが、面白かったのは紙版画。切った紙を重ね貼りして謄写版のインクを使ってローラーでインクをつけ、画用紙に写す。予想外の絵が出てきた。他に比べて大きいこともよい。木やゴム板を彫...

  • 昭和の思い出(ぽり)

    ビー玉のことを村では「ダルメ」といっていた。これはラムネのなまりと思う。このダルメを使った遊びに「ぽり」がある。これは全国的に流行っていたようだ。学校で教えることもなかったのに、全国的に同じような遊びをしていたようだ。空き地に中心と東西南北に4点の計5店に穴を掘り、これらか...

  • 昭和の思い出(地図のあるプール)

    小学校の中庭にプールが作られた。プールは5X10m足らずだったと思う。その中に日本列島の形をした平坦な島が作られた。島の下は空洞で水が出入りする。北側は日本海で反対側は太平洋。そこで南に湾曲しているので、日本海側は広く、太平洋側は狭い。これを見て太平洋よりも日本海のほうが大...

  • 昭和の思い出(満員列車)

    町に出かけることが年に1~2度あった。町に何か催し物があったときだから、列車は満員である。背が低いので息もできないほど。父親が私を荷台に押し上げた。帰りはまた満員である。ホームにぎっしりと客がいる。列車が到着すると、我勝ちに乗り込み席を取ろうとする。当時は順に並ぶ習慣がなか...

  • 昭和の思い出(バス旅行)

    小学校では年に2度ほどバス旅行があった。50人乗りのバスいっぱいに、背の順に奥に詰めていくと、背が低いので必ず最後部に座ることに。車酔いの性質だったので弱った。弱い女生徒はビニール袋に吐いていた。どうも弱音を吐くのが嫌で、前にという言葉がでなかった。言っても無視か、バカにさ...

  • 昭和の思い出(真空管ラジオ)

    テレビがまだない時代、各家庭には真空管ラジオが1台あった。5球スーパーという。真空管の数が5本から6本で、スイッチをいれてしばらくして鳴り出す。NHKの全盛時代で夢中になって放送を聞いた。一丁目一番地(サエコさんは黒柳徹子)、お父さんはお人よし、ヤンボウニンボウトンボウ、二...

  • 昭和の思い出(ぶちゴマ、叩きゴマ)

    市販のコマは軸にひもをかけてぐるぐる巻きつけ、投げ捨てるようにして回す。これとは別にぶち(むち)ゴマというもの(名は知らなかった)があった。直径5~6cmの太めの桜の木を適当な長さ(10cm?)に切る。一方の先を削って下半分を円錐形にする。上半分は円筒のまま。これをコマのよ...

  • 昭和の思い出(肩たたき)

    「母さんお肩をたたきましょ」で始まる歌があるように、よく親の肩たたきをした。50回とか100回とか忘れたが、肩がこるということが多かった。根を詰める労働が多かったのだろう。あまり見かけなくなったのは、家事労働が楽になったということか。家では内職などもよくやっていた。キャンデ...

  • 今日の一枚(明石公園)

    明石城天守閣

  • 昭和の思い出(春の小川)

    「春の小川」は小学校の低学年で習う。「春の小川はさらさらいくよ」で始まる。これが当時、違和感を感じた。「いくよ」とはなんだ。ずっとあとで文語の「ながる」の変更だと知った。「うさぎおいし、かのやま」。美味しいのか。口語では「うさぎがおった、あのやま」となり、調子が悪い。文語調...

  • 今日の一枚(明石公園)

    公園の風景

  • 昭和の思い出(地球儀)

    教科書で一番使ったのは地図帳だと思う。地図というとメルカトール図法。世界全図の地図はこれである。ソ連がとてつもなく大きい国で、日本はなんとちっぽけかと感心する。この図法は方位は上下左右とわかりやすい。北極は点だが直線に引き伸ばされている。地図帳には各地域の図があって、欄外に...

  • 今日の一枚(明石公園)

    明石公園入口から天守閣を見る

  • 昭和の思い出(模型地図)

    日本全図の模型地図を作った。厚紙に描かれた等高線に沿って彫刻刀でコツコツと切り抜く。低い方から順にベニヤで作った台に重ねて張る。数枚重ねる。終われば等高線ごとに色分けして絵具で着色し、さらに河川や鉄道を書き込む。そして最後に地図と同様、都市、河川、平野、山脈などの名が印刷さ...

  • 今日の一枚(明石公園)

    明石城の天守閣

  • 昭和の思い出(つるかめ算)

    ツルカメ算は6年の終わりころやったが、当時はできたのが、今はできない。一次方程式で未知数2つの問題だから、それに慣れると小学校でどのように解いたのか。説明を見るとそうかと思うが、最初から考えることはできなくなった。わざわざ難しい解き方をすることができなくなった。これはみんな...

  • 今日の一枚(明石公園)

    明石公園の入り口

  • 昭和の思い出(針孔写真機)

    小学校では実にいろんなものを作った。まず針孔写真機。四角い上下の箱をボール紙で作り、大きい方の箱の中央に針で穴をあけ、下の箱の底を切り抜いて薄い光を通す紙(トレース紙)をはる。箱の内側は墨で黒く塗る。乾いたら大きい箱に小さい箱を同じ向きで入れ、これで完成。明るい方に向かって...

  • 今日の一枚(明石公園)

    明石城の風景

  • 昭和の思い出(プロレス)

    力道山が相撲取りだったことは、当時知らなかった。空手チョップで外人を倒す。しかし、手よりも足で蹴るほうが強いのではと思っていた。当時はプロレスという言葉の持つ意味が、今と違ってうさん臭さはなかった。みんな盛り上がっていた。馬場が加わって、さらにその疑問は増大した。16文キッ...

  • 今日の一枚(須磨浦公園)

    須磨浦公園

  • 昭和の思い出(学級当番)

    生徒にも多くの仕事があった。学級委員長のほか、図書委員など。委員のほか当番があった。教室や理科室などの掃除。日直、給食当番、4~6人(50人クラス)。ミルク、パン、バター、おかず一皿をそれぞれ机の上のコップ、皿などに入れる。これらは順番に回ってくる。自分だけ指名された係があ...

  • 今日の一枚(須磨浦)

    須磨浦公園

  • 昭和の思い出(紅白)

    子供の頃は正月が近づくと凧揚げ、駒回しなどして遊ぶのが楽しみであった。凧は奴だこで近所の駄菓子屋で買った。凧のしっぽにテープをつけて安定させるのだが、テープの代わりに新聞紙を細長く切ってつないだ。前が運動場だったので休みはいつでも自由に凧揚げした。こまは鉄の輪がついた重いも...

  • 今日の一枚(須磨浦公園)

    須磨浦公園の展望台

  • 昭和の思い出(学校音楽)

    小学校の音楽で初めにハーモニカ、木琴を習った。「空も港も夜は晴れて、月にかずます船の影」これを音符で「ドレミミ ソラソソ ミレドレミ」。演奏するのに夢中になった。ハーモニカ、木琴は音に味がある。ハーモニカを吹いていると唾がたまって、手でふって飛ばしたりした。小学校では斉唱が...

  • 今日の一枚(須磨浦公園)

    須磨浦山上公園に至る遊歩道

  • 昭和の思い出(柔道)

    みんな柔道に憧れがあった。姿三四郎という名が焼き付いている。それは少年漫画雑誌にも、また、歌謡曲にも見る。美空ひばり「柔」、村田英雄「柔道一代」、姿憲子「姿三四郎」など。それが遠因なのか、体育で柔道を選択した。計15回、柔道部の顧問の教官が担当だった。柔道着は借りて、同じく...

  • 今日の一枚(須磨浦)

    須磨浦公園から見た海

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