下宿で流行った。誰かの部屋のホーム炬燵の上板の裏が麻雀台になる。少し覚えて仲間に入った。もちろん弱い。それ以上に姿勢が一定で数時間費やすのがつらい。根気が続かないが一周するまでは抜けられない。点数もまともに数えられず、負け戦が続いた。サラリーマンには必須科目とのことで、これ...
下宿したころボーリングがブームとなった。1ゲーム300円と高価だった。当時の人気ボウラー、中山律子。スターだった。そして須田代子、並木恵美子。下宿屋の仲間といった。ボールも靴も借りる。ボーリングがプロのようにカーブがかけられない。当時は下手だからと思っていたが、ずっと後でボ...
4畳半の下宿に置いたものにファンシーケースがある。軽いのと簡単な作りで流行った。机と小さなタンス以外何もないところにむき出しで壁に服をかけていた殺風景な部屋を少しでも豊かな気分にさせようという努力だ。しかし部屋も狭くなるしビニール製で通気もよくないのであまり好きではなかった...
駅近くにクレー工場があった。そこでは石を砕いてクレー粉を作っていた。工場の周りにはクレー粉の山があった。そこに勝手に入り込んで遊んだりした。クレー工場は道から覗けて大人の背の高さを超えるほどの大きな石のローラーがメリーゴーラウンドのようにぐるぐる回っていた。その工場が不景気...
小学6年の頃、父がマミヤ6を持ってきた。家で初めての写真機だ。子供の写真や運動会でとった。高校に入ったころ主に自分が使うようになった。友人との写真を幾枚かとった。6X6版でとれる枚数が少なく経済的ではなかった。いつのまにか飽きて2年の秋、修学旅行でみんな一眼レフをもっていた...
下宿するまでは自主的に映画館にいくことはなかった。自由になる金がないことがひとつ、そして映画そのものに関心はなかった。下宿屋の同居人がカークダグラスのスパルタカスがお気に入りで何度も見たという。そこで映画館に行った。確かに面白かった。それからフーテンの寅第一作、第二作とみた...
田舎の家では毎年甘酒を作っていた。スーパで売っている甘酒の味とは違う。北側の廊下に白い米麹が台の上に広げてあった。つまんで食べると甘い美味しい味がした。甘酒は布団でくるまれた容器(何だったか思い出せない)に入れられて数日置かれて出来上がった。最初は甘い味がだんだん変わってあ...
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