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2023/10/12

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  • 理解しようとしてあげること、認めてあげること

    こんにちは! ケミオです! 関東はいい天気ですが、まだまだ寒いですね。 朝、ちょっと外を歩きましたが、寒さはまだ冬そのものでした。 それはそうと、昨日の記事で私は、このように書きました。 「10年単位で続いてきた認識や思考を変えるのは、簡単ではないんだなと実感しています。」 このことについて、別の方面から見た事実がこれまた強烈なことに気づきまして…。 一言で言えば、リミットです。 あれはできない、これしかできない、どうせこんなもん、望んではいけない、これで満足しなければならない…等々の、行動や思考に自らかける、リミット。 紛れもなく、私が子どもの頃から、母親が口癖と行動癖としてきたものです。 …

  • 安心や安全を感じられる家庭がなかった私にある、壁

    おはようございます! ケミオです。 今日はお休みの日ですし、朝から書いてみます。 夜は、ダルビッシュと大谷を見なければならないですし…。 さて、昨日私は、「自分はダメで認められない存在である」という自己認識について、転換が起きたことを書きました。 実のところ、100%そうなったとはまだ言い切れない気もするのですが、いづれそうなるだろうから心配なかろうと思っています。 一方で、転換前の自己認識を一言で言い表せば、「自己肯定感がない」ということになると思います。 自覚もしておりますが、私にそれは全くありませんでした。 ゼロ。 最近になってようやく、それがおかしいということを、実感として認識し始めた…

  • 「ダメで誰からも認められない」自己認識は、呆れるくらい単純な話へと転換した

    こんばんは! ケミオです。 昨日のEMDRから今日にかけては、割と調子がいいです。 ただ、その前が極端に悪かっただけに、アップダウンが不気味で怖さを感じています。 一寸先は、またダウンかもしれない。 そんなことが、常に頭の中にあります。 一方で、4日前に書いたような、私が子どもの頃にした反抗や無視、そして母親が家を出ていったことについて、やはり私は間違ってはいなかったんだという思いが増していきました。 この記憶についてはずっと、私がダメで誰からも認められない存在だから、このようなことになってしまったのだという認識とセットでした。 それが私を長い間、苦しめていたんです。 しかし、昨日のEMDRを…

  • あなた、それは無理だよ、普通じゃないよ

    こんばんは! ケミオです。 今日は、EMDRでした。 かれこれ3度くらい続けているトラウマについて、今日もフィニッシュには至りませんでしたが。 ただ、今日については最初から、終わるとは思ってはいませんでした。 一方で、前回ひどかった体調悪化は、今回はありません。 疲れはしましたが、それは仕方ないです。 そしてちょっとだけ、今日の脳内で起こったことを記しておこうと思います。 子どもの頃の母親に向かって、今の私が、「あなた、それは違うでしょ。おかしいでしょ」と注意するシーンがイメージされました。 怒ってはいません。 諭すような感じです。 そして、子どもの私を、母親から引き離そうとしました。 また、…

  • アダルトチルドレン克服後の世界を目ざしながら、どうしてもそこを拒否?

    こんにちは! ケミオです! アダルトチルドレンの克服に取り組んでいる私は、否応なしに過去から続く自分というものを考えさせられます。 そうした中にあっては、気分だったり、物事の見方だったりが、大きく揺れることがあります。 したがって、ここで以前に書いたことと矛盾するようなことを書くことがあるかもしれませんが、そこはご容赦頂きたいと思います。 ある課題をクリアしたら、違う課題が登場し、それをクリアしようとすると前にクリアした課題も一度リセットされる…みたいな感じの繰り返しです。 それでも、トータルで見たらちょっとずつクリアした課題は増えていってる…というような形でしょうか。 克服は簡単ではないです…

  • 負う必要のなかった、子どもの頃の傷や負い目

    こんにちは! ケミオです。 やっと、温かくなってきました。 まだ朝晩は冷えますが、もうすぐ春ですね。 個人的には、自分の外の動きに、今年は目を向けられそうにないですが…。 アダルトチルドレンの克服の大変さを、実感しています。 あっけなくできた人もいるのかもしれませんが、ここまでのところ、私にとっては簡単ではないです。 自分の内面と、強引にフタをしていた過去に、「これでもかっ!」と向き合う。 すると、やっぱり溢れる思いとか、そういうのがあるんです。 私は泣くまではいかないのですが、やはり辛く悲しい気持ちになります。 子どもの頃の心境が思い出されても、その後に続いた苦しみや困難を考えても。 胸が痛…

  • これまで生きてきた前提となる世界観を、根底からひっくり返す大革命

    こんばんは! いきなりですが…今日は疲れました。 昨日のしんどさとは違う、どーっとした疲れ。 とはいえ、何か他人から見てすごく生産的なことをしたとかではないんです。 今日はずっと、仕事はぼちぼちしていましたけど。 何に疲れるのか、色々考えました。 疲れるということは、エネルギーはものすごい使っていると思うんです。 たぶん、思考の大転換が起きているからではないかと。 いや、起きているというより、精一杯起こそうとしている、と言った方が正しいような気がします。 これまで、親の影響から「自分はやりたいことや希望を持ってはいけない」だったり、「自分は誰からも愛され認めてもらえない」のが当たり前だった私。…

  • しんどくても、必死になって頑張っていれば

    こんにちは! 地味に、ブログタイトルを変えました(笑) 同時に、ちょっと自分も書くことに対する方向性というか、変えようと思いまして。 これまでは、ひたすら書きなぐっているだけでした。 それはそれで、小さくない意味があったと思いますが。 とはいえ、何がしたいわけでもなく、なんとなく、アダルトチルドレン克服のステージが新しい段階に入ったような、そんな意識のただの表れであります。 正直に言えば、アダルトチルドレンの克服に取り組み始めて半年ほどで、今は格段にマックスの辛さに襲われている最中。 侵入症状と言うのかもしれませんが、すごくありありと、子どもの頃の辛さと悲しみが、出来事と共に蘇ってばかりです。…

  • 最後の最後の罪悪感みたいなものを、あと少しで…

    先日、数年ぶりに学生時代の後輩に会った。 数年ぶりと言っても、10年経っていたかもしれない。 とても久々で、やっぱり歳を取ったんだなと思った。 きっと後輩も私を見て、同じことを思っていただろう。 その後輩も、私と似たような苦労を色々重ねてきた男であった。 だから、私が今こうして取り組んでいることを話しても、おおよそ理解する。 もちろん、お互い望んでそうなったわけではないし、似たような苦労をしたから交流しているわけでもない。 とりあえず、元気そうでよかったし、私も元気に復活したいと思う。 それはそうと、今日は冷静に、私の子どもの頃の状況はどんなであったかを、振り返ってみたい。 と言っても、ほとん…

  • 瞑想して、眠れなくなってしまったか?

    ここ何日か、寝る前にインナーチャイルドを癒す瞑想動画を流している。 聞こえてくるのは、ヒーリング音楽と音声のガイド。 私はガイドに従って、子どもの頃をイメージしたりする。 はじめたころは、と言っても数日前だけど、流している間にほとんど寝てしまい、そのまま朝までぐっすり。 これはいいかもしれないと、続けた。 しかし、子どもの頃を思い出すと、トラウマとつながってしまうせいだろう。 興奮状態になってしまうようだ。 うとうとしても、眠りに入ることはなくなった。 昨日などはいざ寝ようとしても、しばらく寝付けなかった上に、起きてもぐっすり寝た感がまるでなかった。 眠りが悪くなるのは、よくないだろう。 しか…

  • 親離れした私の心についての問題

    世の中は愚痴や文句が多くて、暗い。 私はずっと、そう信じていた。 子どもの頃の家が、いつもそんなだったから、世の中みんなの家もきっと同じなんだろうと思っていた。 ところが、そんな私の認識は、間違っていたらしい。 愚痴や文句が全くない人は稀有かもしれないけど、家庭の中で日頃からそれを当たり前のように吐く人は、お世辞にも立派な人とは言えないらしい。 まして、子ども相手にそんなことをしたり。 もちろん、私の親のことである。 世の中を暗いと信じていたというのは、見方を変えれば、そんな世の中しか私は知らなかったということだろう。 常に「暗い」というフィルターを通してしか、世の中を見ることができなかった。…

  • 無理して回避をしない、回避行動を取っていた私

    今週初めのEMDRの後に顕著になった、胸の痛みや息苦しさ。 これは、トラウマ反応と考えてよかろう。 今それは、少し治まってきた。 しかしその後は、自分がこんな状況に遭わなければならないことについて、たいそう悲しい気持ちに襲われるように。 それを全く知らず、昔と変わらない毒親ぶりを見せる親を見ると、「てめぇ絶対に許さないからな」と言いたくなるものである。 怒りの気持ちではなく、復讐を楽しんでやりたい、みたいな感じで。 親に対して持つ気持ちがあるとするなら、アダルトチルドレンさえ克服できれば、残酷でもなんでもいいのだ。 ただ、怒りの気持ちはよくない。 怒りは、まだ親に支配され振り回されていることの…

  • ずっと見ないようにしていた辛い記憶が、色鮮やかに再生される

    EMDRは、トラウマを解消するために行っていること。 しかし、今の私はそれで心身がおかしくなっている。 それは、効果がないのではなく、大きなトラウマを扱っていながら一回の時間が限られているために、尻切れになってしまうからだ。 効果の本当のところは先生が判断することであり、あくまで私の感じでは、ということになるけど。 ただ、今のトラウマは私自身も想像できなかったほど強力で、セッション中に出来事の記憶そのものがありありと、芋づる式に登場してきたのだった。 尻切れになったら一応それを箱に入れてフタをするのだけど、その後どうしてもボーンっと勢いよくフタが開いてしまい、記憶が出てきてしまうのだ。 ずっと…

  • 胸のドキドキ、オンリー

    胸のドキドキは、続く。 正直、しんどい。 私はカウンセリングに行って、苦しくしんどい思いをしているわけで、もしかしたらそんなカウンセリングに意味はあるのかと、思う人がいるかもしれない。 実のところ、私もこのしんどさに対しては、なぜお金を払ってこんな目に合わなければいけないんだと、恨めしい気持ちがないでもない。 しかし、私は一時の癒しが欲しくてカウンセリングを受けているわけではない。 苦しいは苦しいのだけど、目標をもってやっているわけで、言ってみれば試合のために厳しい練習を課すアスリートと似たようなものだと思う。 また、ドキドキの他、起きている時は常に頭がカッカしている感じもする。 そしてこうし…

  • とうとう正体を現した、トラウマという名のモンスター

    昨日のEMDRから一夜明けた今日は、すこぶる調子が悪かった。 いや、調子が悪かったというのは、少し違うかもしれない。 トラウマとなっていた出来事に対する、強烈な悲しみと怒りがどっと押し寄せて頭が回らなくなり、胸がドキドキし、腹の具合も悪くなった。 まるで自分の思考と体を、コントロールできない。 これにより、トラウマがトラウマであったことと、その強烈さを強く実感したのであった。 たった今楽しんでいたマンガを取り上げられ、親に目の前で真っ二つに裂かれて捨てられた私は、激しく泣いた。 ショックを受けながら、すぐに敗れたマンガにテープで修復を試みた。 しかし、どうあっても元の状態には戻らない。 私は、…

  • 心臓がドキドキして、胸がチクチク痛い

    心臓がドキドキする。 胸がチクチク痛い。 悲しい、切ない、苦しい…。 EMDRが終わり、帰った後の私である。 めちゃくちゃしんどいけど、どうしたらいいか全くわからない。 横になって、気持ちを落ち着ける以外になかった。 くり返しになるけど、本当にしんどくて、かろうじて正気を保っていられるような感じであった。 今も、それとほとんど変わらないと言えば、変わらないけれども。 今日、何度も登場したのは、家では認めてもらえず、いつも精神的に孤独であった少年の頃の私である。 どうすることもできなくて、ただ自分を殺しながら、時に泣き叫ぶしかなかった私である。 そんな状況で、かつて見た家の中の風景が思い出された…

  • 自分がやりたいことを見守ってくれる大人たちや理解してくれる親がいる環境

    昨日のニュースではあるけど、大谷翔平が結婚したらしい。 おめでとう。 私は野球が好きなので、あとは野球でこれまでと変わらず活躍を見せてくれれば、嬉しいものである。 仮にこれまで通りとはいかなくても、もう十分賞賛に値する野球選手だけれども。 一方で、その大谷翔平しかり、藤井聡太しかり、他にもすごいことをやってのける人はいっぱいいる。 しかし、そういう人たちの育った環境と、私のそれとはどれほどの違いがあったのだろうかと、考えたりもする。 もちろん、私自身も環境さえそろえば彼らと肩を並べられる、などと言うつもりはない。 彼らに開花する才能や資質が元々あったのかはわからないけど、人並外れた努力や研究を…

  • 普通に仕事をして、たまに運動して、たまにゆっくりして…

    前に住んでいた家で、私はアメリカのトランプ前大統領と話をした。 そんな夢を見た。 この夢が、私のどこから出てきたのかは、全くもってわからない。 そんなことはどうでもいいのだけど、私がアダルトチルドレンの克服に取り組み始めてから、ちょうど6ヵ月目に入る。 カウンセリングなどを受けても、克服にはだいたい半年から1年以上かかるということをあちこちで見聞きしており、それを踏まえるとそろそろ、自分のここまでの歩みはどうだったであろうかと考えてみたくなった。 もちろん、期間など人それぞれだろうし、私もはじめからいついつまでに克服したいなどと、考えていたわけではない。 早いに越したことはないと思うけど。 こ…

  • おぞましく思ってしまうことが多くなった

    ここ最近、気持ちの浮き沈みが激しいと書いたところだけど、特にこの2日ほどは、その沈んでいる時におぞましく思ってしまうことが多くなった。 子どもの頃に見た情景や記憶が思い出されては、なんだかもう絶望的なのではないかと思うことが、多々ある。 私は、自分を認めてもらえて、安心できる家庭がなかったのだ。 物理的に叩かれたことが無いではないけど、身体に影響するような虐待は無かっただけ、まだよかったということはできる。 でも、それで「そんなの昔のことじゃん」で済まされないのが、アダルトチルドレンである。 それで済まそうとしたけれども、苦しさは続き、済ませられないから今こうして、その克服に取り組んでいる。 …

  • 花粉症でわかった自らの成長

    昨日は頭が痛かったけど、かなりすっきりしてきた。 しかし、薬の副作用か、お腹が緩い。 お腹の薬ももらっているのに。 こっちがよくなれば、あっちが悪くなる。 なかなか楽にはならないけど、これが現実で、私は生きている。 ただ、かつてはこのようなことになった時、誰に向かってとはなしに「誰かなんとかしてくれ~」みたく、叫ぶような気持になったものだった。 同時に、それが満たされないむしゃくしゃが襲ってきた。 おそらくそれは、私の「子どもの部分」であっただろう。 ただ誰かに、無条件にどうにかしてほしいのだ。 しかし、大人になった以上、それは叶わない。 それもわかっているから、むしゃくしゃするしかなかったの…

  • 恐ろしくも自分にも当てはまる事柄が多々ある「生き写し」

    花粉症が、ひどい。 頭がガンガンするとまではいかないけど、感覚としては痛いというそのもの。 関節も、しかり。 体に力が入らない。 久々に首都圏に帰り、覚悟はしていたけどここまでとは。 今日は午前中に医者に行き、帰ったら寝ているしかなかった。 まだ頭がボーっとしている中、これを書いている。 ずっと「しんどい」と言っていたいところだけど、そんな状態でふと、不思議と我に返るような瞬間が何度かあった。 「俺は、生きている」 このしんどさは、自分しかわからない。 もちろん、似たような状態を経験する人は、日本中を見渡せばたくさんいるだろう。 しかし、今この瞬間のしんどさを経験しているのは、私だけなのだ。 …

  • どうしようもなかった子どもの頃が思い出されては…

    浮き沈みが大きいと昨日は書いたけど、今日は沈んでいる方が圧倒的に多かった。 子どもの頃の記憶が何度も何度も思い出されては、それを消化できない。 なんで自分は、こんなに受け入れてもらえないのだろう。 こんなに寂しい思いをしているのだろう。 それでも家に帰るしかなくて、どうしようもなくて、胸が痛くなるのだ。 完璧な家庭というのはごく一部、もしくはないのかもしれないけど、それでも多くの人は、自分を受け入れてもらえることを経験して育つらしい。 本でもネットでも、よく書いてある。 しかし私は、そんな経験の記憶はない。 外では周囲から良く思われるよう振る舞うことだけを要求され、家ではダメ出しばかりをくらっ…

  • 子どもの頃を思い出しては、浮き沈み

    子どもの頃を思い出しては、「俺はいいんだ」と思ったり、悲しくなったり。 とにかく、浮き沈みが大きい。 ただ、一つ言えるのは、そんな自分を客観的に見られていること。 浮いている時も、沈んでいる時も、自分なのだ。 かつては、どんな感情が起こっても自分のものである気がしなかったから、この点、進歩したといえよう。 それとは別に、なんで親はいつもあんなに暗いのだろうと思う。 それに対して怒りの感情はもうないし、そんなに深く追求しようとも考えていないけど。 親はとにかく、明るい話題でさえ、暗い部分に目を向ける。 すぐに自分のレベルの低さを嘆く。 すぐに他人を悪い方に批評する。 私もこの親に育てられたアダル…

  • 許さない気持ちがあってこそ、私は私になる

    数日前のEMDRの後から、子どもの頃のことがよく思い出される。 また、「俺は俺でいいんだ」みたいな気持ちと一緒の生きている実感が出てくることがあれば、その逆になることもある。 たまに、泣きたい気持ちになったり。 なんともない日々を過ごしているはずなのに、混乱に巻き込まれてしまっている感じだ。 副作用みたいなものかもしれない。 しかし、私に変化が起きていることだけは確かだと思う。 自分の人生を取り戻せるなら、副作用も喜んで受け入れよう。 楽ではないけど、私は耐える。 一方で、今日も親について少し書こう。 私は、親を許さない。 親が子どもの頃の私にしたことについての、理由は問わない。 私が自分の人…

  • しんどかったEMDRで得たもの

    嫌いな2月がやっと下旬に入ったところで、厳しい季節は続く。 花粉がやってきた。 10年ほど前に、突如私を襲った花粉症。 今日も仕事中、頭がボーっとしてしまった。 そんな中にあって、昨日はEMDR。 これまでで、一番しんどいセッションだった。 頭が混乱する。 息苦しくなる。 ただでさえ花粉でちょっとしんどかった上に、ダブルのしんどさでとてもくたびれてしまった。 しかし、しんどかった分の得るものは、あっただろう。 だんだん、自分が蘇ってきたのを感じる。 過去をかなりほじくりだしたけど、アダルトチルドレンになる前の無邪気な気持ちなどが、なんとなく、少しだけリアルに思い出されるようになった。 そしてま…

  • 残る記録は何もなくても、めちゃくちゃ頑張って、相当難しいことをやってきた

    一般的に、まだ死ぬような年齢でないのは重々承知の上だけど、人はいつ死ぬかわからないんだよなと思うと同時に、ではこれからの10年、20年生きるとして、どうなっていくのだろうかと考えたりする。 過去にも、この先ああなりたいこうなりたいと、色々考えたことはあった。 しかし、そのことごとくはアダルトチルドレンに起因する云々で、実現することはなかった。 「だからこの先も、きっと同じだろう」とはならないかもしれないけど、今から望むものは、過去に望んだものに比べるとめっきり減ったと思う。 とにかく、普通に暮らしたい。 できれば週に一度くらい、ラーメンを食べて、テニスをして程よい疲れを得て心地よく眠るくらいが…

  • わざとではなく、できっこないことを求められて対応に困るだけ

    久々に、打ち合わせの連続というものを味わった。 そして久々に、仕事でかなり疲れた。 そのうちこうなることは、わかっていたことではあったけど。 そんな中にあって、最近はごく一般的な大人の心境というか、精神状態というか、そんなものがだんだんわかってきた気がする。 具体的にどんな心境なりかと聞かれれば、言葉で説明するのは難しく、あえて言えば「異常でない」と言うことになろうけど。 逆に言えば、これまでの自分の異常さやしんどさも、よくわかってきたということにもなろう。 もちろん、わかったからといってすぐに、一般的な大人と同じになれるわけではない。 そこは訓練が必要だし、もう始めているところだ。 詳しくは…

  • 現実に慣れるにはもう少し時間が必要だろう

    昨日は、根拠のないコンプレックスを持っていたことを書いた。 言い換えればそれは、間違った自己像を信じ込んでいたということでもある。 その等の本人として思うには、これは宗教の原理主義に似ているだろう。 か弱くて人に頼るしかない自己像を100パーセント信じていて、それ以外は考えられない。 一応、大人になるまで育ったからにはそんなことはなく、自分で出来ることもたくさんあるのに、それは信じられない。 全く現実が見えていないから、生きている感じもしない。 そんな状態に陥っていた。 その間違いから目が覚め、現実に戻ってきたのがここ数日だ。 今はまだ夢から覚めたばかりで、現実に慣れるにはもう少し時間が必要な…

  • 気づくべきであり、知るべきであった事実

    仕事中ではあるけど、ちょっと間が空いたので書いてみよう。 それにしても、今日は暖かい。 このところ色々考えたことの帰結として、今までの私を巣食っていたものを端的に表現すると、「コンプレックス」というのがピッタリなのではないかと思った。 私はできない人間だ 私は愛されない人間だ 私は人と仲良くなる資格がない 等々… それだけでも発見ではあるけど、発見したら発見したらで、今度はこれらのコンプレックスには、まるで根拠がないことにも気づいた。 コンプレックスを持つように、親から脳を汚染されていただけである。 この事実は、書き出してみると単純な話で、そんなことにも気づかなかったのかと自分でも思う。 しか…

  • イライラは自分でも認めていいものなのか、超克すべきものなのか

    もっと、仕事がしたい。 そして、そのように言えば、客先に出かけるなりなど、どんどん仕事を振ってもらえるはず。 しかし、まだもう少しである。 親の呪縛から解き放たれ、私本来の心のありようで、いつでも過ごせるようになるまでに。 そんな自分を、確かに自分だと思えるようになるまでに。 先日、親がどうにもならないバカだと書いた。 整理する意味を込めて、どのように手に負えないのか、書いてみよう。 いつも自分優先である=こちらの話を聞かない すぐムキになる これらは、今の母親を見てもそうだけど、昔から変わっていないことでもある。 一言で言えば、子どもっぽい。 子どもの頃の私は、この親と一番長く顔を合わせなけ…

  • 「親がバカ」とネットに書いた同士よ…ありがとう

    過去から今に続く色々なことをなんとなく考えているうちに、自分と同じことを思っている人がいるのか知りたいと思い、ネットで検索してみた。 「親がバカ」 すると、たくさん出てきた。 私と同じことを考えている人は、それなりにいるらしい。 中には親があんなだこんなだと、細かく書いてあるものも。 そのほとんどが、私にもそっくりそのまま当てはまりそうな話であった。 私は、親がバカだなどと言いたくはない。 むしろ、言いたくないから、そこには目をつむり、見ないようにして、考えることもしないようにした。 しかし、思いっきり親がああだこうだバカだと白状している他人の書き込みを見て、自分が親(母親)のそれを見て見ぬふ…

  • 若き頃の可愛い私を発見

    誰だって、自分を不幸だと考えていて後ろ向きな人間には、近寄りたくないだろう。 そんな人がいたとして、無下に嫌悪することはないかもしれないけど、仲良くなりたいと思ったり、関心を持ったりすることはないのが普通だと思う。 明るいかどうかは人それぞれの性質があると思うけど、少なくとも前向きに生きている人の方に、人は集まるだろう(災害に遭った後とかいうのは別にして)。 だんだんよくわかってきたのは、私の母親が、この近寄りたくない人の部類に入るということだ。 子どもの頃、そんな人の下に閉じこめられていたのでは、たまったものではない。 でも今は大人だから、私は脱出する。 それはそうと、今日はF1について書い…

  • ストレスが小さくなる、不幸な世界と決別する

    以前に比べれば、親にイライラすることはなくなった。 しかし、これは親が変わったからではない。 変わったのは、私である。 イライラしなくなったことで、精神的なストレスが小さくなった。 また、アダルトチルドレン的被支配の状態から抜け出した、私本来の気持ちや考え方が、だんだん見えてくるようになった。 それと同時に、私はたまに出くわす、母親の愚痴や批判、見栄に、軽蔑の気持ちを持つようになった。 この人は、自分がいつも不幸だという観念があるのだと思うけど、それに家族を道連れにしようとしている。 もちろん、そんなのはごめんだ。 ごめんだと言ったところで、もう一度は深く道連れにされてしまったのだけれども。 …

  • 価値観と世界観の違いと想像力

    昨日は、EMDRであった。 しかし、昨日については、ちょっと私の方で認識のズレがあったかもしれない。 これについては、また今度改めて書こう。 自分でも、まだ色々と整理できていないところがある。 そして今日は、あまり生産的でない一日で、ちょっと気分も良くないのだけど、そんな日もあろうと思い直して、適当にテーマを見つけて書いてみる。 なんとなく、飲み屋について。 とはいえ、最近は全然行っていない。 節約しているというのもあるし、引っ越してからは飲みに行くような機会もない。 また、節約しているから、飲みにお金を使われる機会はなくていいと思っている。 しかし、飲むこと自体は嫌いでないし、色んなお店に入…

  • うまく説明できないけど、惹かれてしまった芸術があった

    短いようで長かった気がするけど、とにかくウィークデーが終わった。 とはいえ、明日も少し、仕事に関することをしようと思う。 そしてテニス。 新しいスクールで、正式なクラスでは初めてだけど、楽しみだ。 今はそのテニスが運動のメインになっているけど、私の元々のそれは野球である。 かく言いながら、高校ではやっていないけど。 とにかく、野球でもテニスでも、私は運動が好きなことは間違いないようだ。 十数年前から定期的な運動を始めたけど、やらなかった期間がある程度続くと、体が気持ち悪くなってくる。 と、ここまで書いて続きに、「一方で、私は芸術はめっきりダメで~」みたいなことを書こうとして、実際書き進めていた…

  • 2月はやはり、1年で一番嫌いなようだ

    最近、「バカになれ」というのをたまに、自分に言い聞かせる。 「バカにならなきゃ!」みたくそんなに差し迫ってではないが、きっとその方がいいんだろうなという、ふわりとした思いである。 バカというのは、勉強がどうとか頭がどうかということではない。 「感じたり思ったまま、素直になろうよ」みたいな感じだ。 周りがどう思うかとか、こうすればああなってしまうだろうとか、考えずに。 逆に言えば、今までずっとそんなことばかり考えてきたわけで、その訳は、バカになることを禁じられて育ってきたからだ。 「笑われないようにしなさい」みたいなことを、ことあるごとに言われていた。 今もって母親は、そんなことしか考えていない…

  • Wifiを追加した。迷うことはない。 このまま、突き進め!

    まだ道半ばだけど、私は変わりつつあると思う。 アダルトチルドレンの、克服に向けて。 しかし、変わりつつあればあったで、ちょっと悩ましく思うこともある。 それは、私は母親との交流を極力避けているが、それでいいのかということ。 もちろん、本心では進んでそんなことはしたくない。 しかし、私がこのまま変わったとしても、親は変わらない。 つまり、私がどんな努力をしても、結局はかつての頃のように、未だ子どものような親に合わせてあげなければならないのである。 と、そんなことを考えたりすることがたまにあるのだが、やめよう。 交流が無くても仕方がない。 残念なことではあるけど、どうすることもできないし、自分が生…

  • 散髪とマンガのつながりと思うこと

    今日は書くことが浮かばないけど、書いていればとにかく何か発見があるものだから、とりあえず書いてみる。 なんとなく、先週末に散髪に行ったことについて。 家からそんな近いとは言えないが、ギリギリ歩いて行けるくらいのところにある美容院であった。 引っ越してから散髪するのは2回目。 ただ前回、つまり引っ越して最初の散髪は、ちょうど前に住んでいた地方に用事があって出かけたタイミングと重なったから、引っ越す前にずっと通っていたところで済ませていた。 だから今回行ったのは、改めて探した上での、初めて行くお店であった。 髪型にそんなにこだわっているわけではないから、出来不出来については特になんと言うことはない…

  • 自分の「信じるもの」はなんだろう?

    むむむむっ… だんだん、わかりかけてきた。 私の心の異質性を、言葉にするならば。 私には、「信じるもの」がなかった。 一方で人は普通、何かを信じて生きている。 より正確に言えば、大人になる中で、「信じるもの」が形成される。 信じるというと、神や仏や宗教が対象として連想されそうだけど、それだけではない。 むしろ、神や仏や宗教以外の方が多い、幅広いもの。 あれやこれやをするのが好きだとか、こうすれば世の中もっと良くなるはずとか、あんな風なのが理想だなとか、自分だけでなく世の中も含めての、考えうるあらゆる信念みたいなもののこと。 普通はそうしたものを持っているのが当たり前であり、「信じている」などと…

  • iPhoneやシャンプーやリンスや歯磨き粉から、私の何がわかるか

    私は、私でいい。 それは最近、なんとなくわかってきた。 しかし、まだピンとこない。 なにせ、はるか昔に「あなたはダメだ」と思い込まされ、かつそれが30年ほど続いていたのだ。 短時間でピンとこないのは仕方がないかもしれないと思う一方で、ピンとこないことに、なんだか腹が立ったりする。 そんな一方で、同時に、別のことにも理解が及ぶようになった気がする。 アダルトチルドレンを克服するということは、自分の人生を取り戻すこととイコールだと思っている。 それはまたつまり、自分の人生に、責任を持って生きること。 これは当たり前のようだけれど、ずっと自分が自分でないような解離があった私は、この意識がまるでなかっ…

  • コーヒー一つでも少し明らかになる、自分自身

    昨日、自分自身が本当は学ぶことが好きなことに気づき、その上でさらなる「本心を明らかにする作業と時間」が必要かもしれないと、書いた。 では、続いてトライしてみる。 私が好きなことは、何か? 嫌いなことは、何か? そんな問いかけが本心を明らかにするうえで正しいのかは、わからない。 しかしとにかく、やってみる。 何かやってみれば、だんだん正しい方法に向かっていくだろう。 パッと思いついたので、コーヒーについて。 コーヒーはおそらく、誰がなんと言おうと私は好きである。 インスタントコーヒーは飲まない。 必ずレギュラーコーヒーで、ブラック。 気分によって、前に飲んでおいしいと感じたものを改めて買ったり、…

  • 自分の本心を明らかにする作業と時間も必要かもしれない

    そろそろ一月も、終わりに入ろうとしている。 なんだか、いつもと比べて長いひと月だった。 仕事は忙しくなった一方で、テレビをつければいつも能登半島地震。 定期的な運動もしておらず、楽しみも交流も無い状態で、代り映えのない毎日を過ごしていたためであろうか。 すべて仕方のないことだから、文句を言いたいわけではない。 そのうち色々変わっていく。 実際、テニスは運よく1月からスタートできることになった。 引っ越して2ヵ月が経とうとしている今、いよいよ本格始動である。 しかし、話は変わり、昨日のEMDRの後のドキドキはまだ収まらない。 「俺って、これでいいのかもしれない」という、これまでにない自己認識とと…

  • 最大の敵と「自分に対する信頼」

    私は、「自分に対する信頼」がひどく欠けている。 「全くない」と言っていいレベルかもしれない。 無力感、無価値感、自己否定…。 すべてが合わさっているのが、私という人間だ。 今日はEMDRの日で、特別に「自分に対する信頼」がどうのこうのと話したわけではないのだが、終わってみるとなぜかそのことを、すごくよく分かったのだった。 もちろんこれまでも、なんとなくは知っていた。 しかし、今日感じたようにはそれをリアルな自分事の問題として、認識できていなかった。 今日、やっとストンと腑に落ちた感じであった。 当然ながら、嬉しいことではない。 今日のEMDRの後はひどく疲れたけど、それは自分自身への信頼の欠如…

  • 考えや気持ちが自分のものだというのが自然である状態へ

    まだまだではないと思うけど、もうちょっとでもない。 私が、私という人間に自信が持てる、これからもなんとかやっていけると思えるレベル。 イコール、普通に暮らしていけるという確信だ。 とはいえ、アダルトチルドレンの克服に取り組み始めた当初よりは、だいぶレベルが上がったと思う。 自分の考えることは自分の考えることであって、それ以上でも以下でもない。 かつての私は、自分の考えることや思うことは無視して、他人が私に何を期待しているかを推し量って、従おうとするだけだった。 自分の考えることや思うことは、無かったと言っていいだろう。 子どもの頃に身につけてしまった悲しき習性であり、病気である。 それが今は、…

  • メカ、マンガ、運動に読書にラーメン

    自分の本心の探索は、まだ続いている。 しかし続いてはいても、実家に引っ越してからの2ヵ月、進化のスピードがだいぶ落ちたようで歯がゆい。 前にも書いたが、仕事以外の活動がまるっきりなくなったのが要因。 活動がないから、人と会わないし、楽しかったということもない。 そして実家は、昔と変わらず陰鬱で暗い。 母親は会話しようとすることもあるが、とにかく暗いしつまらなすぎる。 それも私の本心と言えば本心なのだろうけど、毎日だからもはや発見でもなんでもないし、ちょっとは何かしら楽しさを味わいたいものだ。 仕事がちょっとずつでも悪くない感じで進んでいることが、せめてもの救いである。 先日、親のことを書くのは…

  • 「自分は自分でいい」が当たり前になっている?

    今年最初のEMDRは、昨日だった。 今年と言ったって、もちろん来年やるつもりはないけれど。 昨日のセッションは、昨年末にやり残したトラウマの解消。 結果を言えば、目的を達成した。 トラウマの中身を書くと長くなるので改めるけど、アダルトチルドレン克服の階段を、何段か上がった気がしている。 EMDRは、それなりにお金がかかる。 時間も必要だ。 私の場合、仕事の条件は最低にしてでも、EMDRに必ず行くことにしている。 お金と時間において、引き換えに得られないものもあるが、ここまでくれば効果はあると断言して良いだろう。 あくまで私の場合、ではあるけど、やってよかったと思い始めている。 今は、「自分は自…

  • これまでも私は、色んな人から必要とされてきたし…

    今年は元日に、誓いを立てた。 それはいいのだけれど、今日から仕事も始まり普段モードに入ったところで、張り合いの無さを覚えるようになった。 理由として今は、仕事をめちゃくちゃ抑えているというのがある。 まだアダルトチルドレンを克服しておらず、社会で頑張る自信がまだ中途半端とはいえ、今の自分でもできることを考えれば、本当はもっと頑張れる。 しかし、まだ安全策を取り続けている。 焦らないようにしているし、仕事のことだけ切り離せば焦らなくても、いずれ抑えは外されるはずだ。 だから、仕事に関しては成り行きに任せているし、今は仕事よりもまず、アダルトチルドレンの克服が優先。 本当は私だって、仕事で活躍した…

  • 新年の誓いは、すぐに軌道修正された

    今年は、ここ最近の数年と違い、元日に初詣に行った。 誓いは、昨年末に書いた通り。 kenmental.hatenablog.jp しばらくぶりに首都圏に戻り、昨年途中まで過ごした地での冬とは180度違って天気が良かったこともあり、ちょっと遠出もした。 朝に見えた富士山は綺麗で、「今年はいい一年にしたいな。いや、なるだろう」と思ったものだった。 ちょっとした用事をこなし、初詣をして誓いを立て、帰る途中にネットで能登半島の地震と津波を知る。 それから新年気分はなくなってしまったところで、翌日は羽田空港で飛行機が燃えている衝撃的なテレビの映像。 天気も、初詣に行ったことも、社会で起きている出来事も。…

  • 「会えばお互いに笑顔になれる」理想を忘れないように

    前の記事で、「親のことを書くのはもうやめよう」と書いた。 その思いは、やはり変わらない。 考えるのは、煩わしい。 大切なのは、親に関係なく自分が何を感じ、何を思うかである。 ただ、親のことを書かなければ、アダルトチルドレンの克服をテーマとしているこのブログが、いったい何なのかわからなくなってしまう気がする。 しかし、それでもいいかと思い至った。 そんなこんなであるが、私は最近、「どんな世界が理想か」をよく考える。 「世界」といっても、地球儀を眺めてみるような世界ではない。 私が関わりを持てる、狭い範囲での「世界」である。 友人だったり、仕事関係だったり、趣味の集まりだったり、よく行く店で顔を合…

  • 親のことを書くのはもう卒業だろう

    ブログでこのところ、親がああだのこうだのと書いた。 それらは、新たに気づいたり発見したことではなく、その前から書いていたこととさしたる違いはないと思う。 同じようなことを繰り返し書いているとおり、親はまだ私の中で、私を惑わす存在であることは間違いない。 しかし、今はそんな自分を一歩引いたところで冷静に見ていることも確かで、惑わされながらも一方では自分の本心や、自然な自分の姿をいつも探っている。 するとなんだか、親に心を煩わされている状態そのものに、不快に感じてくるようになった。 かつてのような怒りや恐怖もなくはないが、冷静に抑えられている。 それらが抑えられている分だけ、単に不快に思う気持ちが…

  • アダルトチルドレンの自分が登場しなくなればいい

    今年ももうすぐ終わる。 しかし、個人的にそんなことは、あまり意識していない。 例年、正月だからって、何か特別なことをするでもなく。 今は休むより、淡々と仕事をして、最大限学んでいたい。 そんな中にあって、アダルトチルドレンの克服の方はどうか。 こちらは、一進一退だ。 よくなったと思えば、逆戻りしたのでは?と思うこともある。 しかし、前進と後退をトータルで見れば、前進していることは間違いない。 最近は、かつてのアダルトチルドレン真っ只中の自分が登場するか、しそうになると、自分で気がつく。 そして気づいた次にはすぐ、「私は私でいい」という考えが頭を駆け巡ったり、自分の理想がイメージされたりする。 …

  • 面倒くさいなら面倒くさいでいい

    今日は、EMDRカウンセリングの日。 前回の続きで、ちょっとだけ残っていたトラウマの解消に取り組んだところ、それは順調にコンプリート。 kenmental.hatenablog.jp このトラウマは、消えた。 私は、私で良い。 私が望むものは、望んでもいい。 それが終わったら、次のトラウマへ。 これについては、改めて書きたいと思う。 ところで、EMDRの第一目標は、トラウマの解消で間違いないと思う。 しかしEMDRをやっていることで、だんだん自分の本心というものも、明らかになってきた気がする。 これまではトラウマの解消とは別に、自分の本心は何なんだろう?と探り続けていた。 そうではなくて、トラ…

  • アダルトチルドレン克服の段階に、かなり深く入っただろう

    しかしまあ、実家は暗いものである。 特に母親。 その発言の一つ一つは割愛するにしても、本人は面白半分で言っているのかもしれないが、全く面白くないし、耳にすると気持ちが暗くなる。 もっとも、そんな発言には、いちいち反応はしていない。 完全にスルーしている。 それに、今はもう、親が暗くてもいいのである。 本人がそのようにしかならないのであれば、そうしていればいい。 私だって、無理に暗さに付き合うこともない。 それだけのことだ。 しかし、子どもの頃はそうはいかなかったのである。 暗い環境からは逃げられないし、付き合わざるを得なかった。 付き合わざるを得なかったということは、自分はもっと楽しくありたい…

  • 自分の気持ちや憧れは、大事にするべし

    引っ越した後から、ブログの更新頻度が減っている。 しかしもちろん、アダルトチルドレンの克服を忘れているわけではない。 理由は、色々と気づくことが減ってきたからだ。 さらにこれには、2つ理由がある。 一つは、気づくべきことには、もうほとんど気が付いたのではないかということ。 ただこれは、気づかなければいけないことが全部でどのくらいあるのかわからないから、推測だ。 しかし、ここまでに書き出したくらいのことに気づけば、もうだいたいはいいのではないかとも思っている。 もう一つの理由は、引っ越してからというもの、人との交流が仕事以外にないこと。 その仕事だって、私は今リモートで、ほとんどツールを使って文…

  • 恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい…に引きずられて

    今は、本来であれば色々やりたいことを、我慢している。 我慢と言っても、べつにそんな大層なことをではない。 例えば週に一度ラーメンを食べに行くとか、そんな程度のこと。 理由もこれまた大層なことではなく、今はお金の入りが少ないというだけのことである。 とはいえ、それが何か苦しい思いにつながっているかといえば、そうでもない。 なんとか生きられているだけマシだし、自分はまだ恵まれている方だという思いさえする。 以前であれば、というよりアダルトチルドレンの克服に向けて動き出したつい最近までであれば、自分だけがひどい目に会わされているように感じ、ふつふつと怒りが込み上げてきたであろう。 その先には、親がい…

  • 焦らないように、セーブしながらも、見据える先には

    引越し後の暮らしに、少しずつ慣れてきたと思う。 やはり、あまり知らなかった地方に引っ越した時に比べると、生まれ故郷に近いせいか、慣れるのが早い。 そして慣れてくるにつれ、だんだんと引越し前にあった思考サイクルみたいなものに、戻りつつある。 引越しから2週間が経とうとしているが、振り返ればこの間は、ちょっとあたふたしていたようだ。 その思考サイクルみたいなものとは、前にブログで書いたような「私は強い」だったり「勝ち組思考」だったり。 どちらも、他人と優劣を競ってどうのこうのということではない。 初めから、根拠もないのに弱いと思ったり、負けていると思うのは明らかな間違いであるといった、認知のゆがみ…

  • EMDR後の不思議な変化

    つい一昨日、私はEMDRを行ってきて、そのことをブログにも書いた。 kenmental.hatenablog.jp ただそこでは、今私がEMDRで取り上げている、トラウマとなった出来事の話は割愛していた。 それをここで端的に書けば、母親が私との約束を守らなかったのに、私がそのことを指摘して文句を言ったら、猛烈に逆ギレされたという話である。 ところが一昨日のEMDR以降、この出来事について、不思議なことが起こっている。 たまにEMDRでしたことを振り返るのだが、その時に、すぐには思い出せない。 たった一昨日のことで、自分にとって重大なEMDRで取り扱った話なのに、やや考えて、「そういえばそうだっ…

  • 新渡戸稲造曰く「人を排斥すれば自分を小さくしてしまう」がそのままの、私と親

    昨日今日の話ではないが、新渡戸稲造の本を読んでいて、心に残る一節があった。 ところで、とかく油断すると、性質が違うために他人を排斥し、あからさまに悪口を言ったり、陰に回って罵ったりすることがある。このようなことは自分の仕事に不便なだけでなく、自分の人格をも小さくしてしまう。どんな人でも、他人を容れるという考えがあれば自分というものの輪郭を大きくするが、人を排斥すれば自分を小さくしてしまうのである。 新渡戸稲造著、『自分をもっと深く掘れ!』、知的生きかた文庫、2006、P195 これがなぜ、心に残ったのかを自分に問うたら、親と私の姿を端的に表しているからだと思い至った。 「性質が違うために他人を…

  • 私とEMDR(眼球運動による脱感作・再処理法)

    私は、定期的にEMDR(眼球運動による脱感作・再処理法)というのを行っている。 一言で言えば、過去のトラウマを解消する治療。 眼球運動なんたらと言うが、私は目を動かすやり方は合わなかったので、別の手段を使っている。 1ヵ月半ほど前に、小さなトラウマの解消から始めて、それはクリアした。 クリアしたと言うのは、トラウマではなくなったということで、その原因となる出来事を思い出しても、フラッシュバック的な怒りの感情は出なくなった。 また、少なくともその出来事においては、自分は自分でよかったのだという、確たる自覚も今やある。 私は専門家ではないし、これが同じような症状を抱えている大多数の人に効果のある方…

  • 「弱い者」の空気を、ただはね返せるように

    実家にいると、引き戻されそうになる。 子どもの頃から続いた、弱い存在のアダルトチルドレンに。 少し前に、今の目線で親を客観的に見られることが実家にいるメリットだと書いたが、一方でこの私を引き戻そうとする力は、デメリットである。 それは、同調圧力と言い換えることもできる。 「あなたも私と同じ、弱い者同士なのよ」。 親はハッキリとそんなことはもちろん言わないが、これが私の実家を支配している空気なのだ。 母親がこの空気をまき散らすが、父親は綺麗にしない。 ずっと循環していて、同じ空気を私も吸わされてしまう。 ここまで克服に向けていい感じに来ていても、気を付けないと、全部無駄になりかねないという危機感…

  • 私にとって、自分の存在と足跡を確認できだ、初めての卒業式

    実家に戻り、最初のウィークデーが終わった。 とはいえ、まだ色々と慣れていない。 まだ荷物がきちんと整理できておらず、あれはどこだこれはどこだをやっているというのがある。 また、離れた地方から首都圏に戻ってきた。 その地方には、7年くらいいただろうか。 首都圏には慣れているつもりでも、そのくらいいれば、かなりの程度は地方暮らしに馴染んでしまったようだ。 天候は、大きく違う。 空気や流れてくるニュースの質などは、微妙に違う。 環境の変化に、体も脳もまだ、順応していないようである。 それに、これまでルーティーンのように行ってきたことが、まるでリセットされてしまった。 野球にテニス。 どうしようか、考…

  • 親と会話を、無理にしてあげなくてもいいでしょう

    私は今、実家にいる。 しかし、親とはほとんど会話をしていない。 日中は仕事をしているし、それどころではないというのもある。 ただ、ちょっと考えてみたら、「会話がないことがおかしい」みたいな考え方が、無くてもいいことではないかと思った。 前は親といる時、会話ができないことに忸怩たる思いがしたし、「自分のことをわかってもらいたい」という思いが強かった。 それはやはり、子どもの頃の後遺症だろう。 親の気持ちと話すことには、私が合わせてあげなければならず、それができなければ私は否定された。 一方で私のことは、理解しようとしてもらえなかった。 それをなんとかしたいという、発作のような症状が、「会話をして…

  • 「パンが食べたい」という気持ちがあることが大事

    アダルトチルドレンの克服に向けて、ここまで順調に来ていると思う。 親の支配から逃れられつつある私は、親を客観的に見られるようになっているし、また同時に、怒りの強さ度合いも小さくなっているようだ。 いや、正確には、怒りは相変わらずあるのだけれど、それが出てきてもいなしてかわしているというか、そんな感じだろう。 「親は親。私は私。親の人生に、私からもう首を突っ込むことはない」 そんな考えを、頭で瞬時に回転させながらである。 ほとんど無意識に。 その点はうまくいっていると思うが、また一方では、とかく忘れがちなこともあることにも気づいた。 「私は、自分で選択して決めていい」ということである。 もちろん…

  • 苦し紛れの「そういう選択をせざるを得なかった」は、これで最後に

    ブログの間が、空いてしまった。 書くのを忘れていたわけではない。 引越しがあり、ブログどころではなくなったのだ。 これがなかなかハードで、何日か経った今も疲れが取れない。 移動も長距離だったし、もうこんなことはしたくないとも思うが、いずれもう一度、引っ越しをしなければならない。 というのは、実家に戻ってきたからだ。 しかし、ずっと実家にいる気はさらさらないから、アダルトチルドレンを克服できたらまた引越しをする。 もう、そんなに遠い移動はしないだろうから、今回よりは楽だろうけれど。 とはいえ、アダルトチルドレンは親に問題がある。 そんな親の元へ戻るなど、おかしなことではないかと思われるかもしれな…

  • 停電に遭い、生きている実感が持てた

    生きていれば、色々なことが起こる。 つい最近、停電した。 外は暗い時間で、かなり寒い中。 できることとは、スマホでできる予約とかだけ。 それでも、自分のいじるスマホしか光源がないのは、奇妙に感じたものだった。 そんな時、かつての私であれば、激しい怒りの気持ちで頭がいっぱいになったであろう。 そして、現実から解離していったであろう。 世界は、「俺をこんな目に合わせたしょうもない世界」にしか映らなかったはずだ。 今回の出来事では、それがなかったのである。 もちろん、困ったことがあったのは確かで、「早く復旧してくれよ」くらいは思った。 でもメインで考えていたことは、「この状況でできる最善のことは何か…

  • 大丈夫、Let it be

    不安な気持ちがふと、襲ってくることがある。 しかしその度に、「大丈夫なんだ」という想念が自然にやってきては、落ち着く。 その「大丈夫」に根拠はないけれど、なんとなく確信に近いものはある。 不安になっている暇などない。 とにかく私は、生きなければならない。 ずっと死んでいたような状態から、脱出して。 それがわかっているから、自然に「大丈夫」が浮かんできて、不安も落ち着いていくのではなかろうか。 これは、最近たまに聞くと心に響く、この歌を我が物としているようでもある。 Let it be, let it be, let it be, let it beWhisper words of wisdom…

  • スラスラ言葉が出たら、生きている実感がした

    昨日、ウダウダ考えなくなったと書いたが、それは一人でいる時のこと。 同時に、人と接している時でも、同じになっているんではないかと思った。 というのは、これまでより格段に、スラスラ言葉が出てくるようになった気がする。 考えたこと、思ったことが同時に、口から出てきたというか。 なんでもない話だが、昨日、テニスのストリングスを張り替えに、とあるスポーツ用品店に行った。 そこでラケットを渡した店員さんからの一言。 「すごく重くないですか?」 私はただ用が足りればよかっただけだし、それしか頭になかったから、一瞬「えっ!?」となった。 しかし次には、スラスラ言葉が出てきていた。 「310グラムですけどね。…

  • 私をアダルトチルドレンにしている要素は徹底的に洗い出して、徹底的に潰す

    最近は、ウダウダ考えなくなった。 何かをやり始める前、どうするかをある程度考えたら、「もういいや面倒くさい。やってしまえ」。 何かが終わったあとは、「もう終わっちまったものはしょうがない」。 これが、現実に生きる本来の私の脳の動きであり、またそこから起こる行動のような気がしている。 そのせいか、ウダウダ考えなくなってからは、頭がスッキリすることが多いし、多少気が楽になっている。 逆に言えば、以前はいつも気が重かったのである。 今思えば、ちょっと信じられないくらい。 しかも、気が重いことにすら気づかず、当たり前に「人生は苦しいことしかないんだ」みたいな感覚だった。 我ながら、そんな状態によく耐え…

  • ファミリーヒストリーより、自分が生まれてからのルーツ

    見ているようで見ていないが、NHK「ファミリーヒストリー」が流れている。 私が仮に有名人だとして、この番組の出演を打診されたとしたら、間違いなく断るであろう。 家にいるのが嫌だったくらいだから、育った家庭には、良い思い出はない。 だからそのルーツなども、辿りたくない。 というか辿ったって、親がアダルトチルドレンなのだから、どうせどこかで美化しようもない話が出るに決まっている。 また、今の私に必要なのは、出自がどうであろうと本来の自分が持つ、心のあり方だと思っている。 それは、血縁や家族のことより、自分が生まれてからの、自分のルーツの方が大事だということでもある。 家庭で自分を殺してきた私にとっ…

  • アダルトチルドレンの連鎖を止める

    とても綺麗な景色を見た。 紅葉に色づく山だったのだが、「心から」あぁ綺麗だなぁと思えたのは、初めてのような気がした。 私は自分の目で現実の世界を見て、自分の心で綺麗だと思っていた。 私はやはり、変わっている。 進歩している。 そんな嬉しい驚きがあったが、今日のメインは景色を見ることではなく、子どもと遊ぶことだった。 行ったのは、田舎の小さな動物園。 子どもは無邪気に楽しんでいたが、それでいい。 私も大いに楽しんだ。 一方で、私自身が、私に似ているらしい子どもの今と同じ年頃はどうだったのだろうと、ちょっと考えたりもした。 ただ、具体的なことはほとんど記憶にない。 それが普通のことなのか、そうでな…

  • フラッシュバックが邪魔に思うようになった

    一昨日は、すこぶる調子が悪かった。 昨日は、すこぶる調子が良かった。 そして今日は? すこぶる、調子が悪かった。 なんだか、四六時中怒りの感情を抱えていた。 激しい怒りではなく、絵で描いたら、おでこにわずかな血管が浮き出ているような状態だろうか。 それがずっと。 しかし激しくない分、半分は冷静であったことも確かだ。 自分の怒りの感情を客観的に認識できていると同時に、現実に生きている感覚も損なわれていなかった。 解離はなかったと思う。 怒りはあるけど、自分が生きている感覚も確かにあった。 そこは以前とは、かなり違うと思う。 では、怒りはどこから湧いてきたのか。 まず、カウンセリングの予定を、一度…

  • 「私は私でいい」に基づく行動へ

    調子が悪かった昨日とはうって変わり、今日はすこぶる調子が良かった。 それでも、フラッシュバックはかなりある。 しかし、以前はメインだった激しいボカンという怒りが、緩やかな不快な怒りに変わってきている気がする。 そして最後には、「これまでのことは仕方ない。これから自分の人生を取り戻すしかない」と考えて、落ち着く。 これは良い方向への変化かもしれないが、一方で、怒りが出て、親を思い出して、いちいちそんなことを考えているようでは、アダルトチルドレンの克服にはまだまだだと思う。 「自分の人生を生きる」のは、とても大切なことだ。 しかし、それは考えるまでもなく、自分の中では当たり前のこととしなければなら…

  • イライラしても冷静でいられるようになった進歩

    今日は、ひどく調子が悪い。 停電もしたようだが、昨晩、寝ている間に雷と風の音がすごく、よく眠れなかったせいもあるだろう。 とにかく、朝からイライラしていた。 今朝のイライラはかように、現実の外部に原因があったと思う。 しかし、そこで親が思い出されてしまった。 現実に原因がなくてもやってくるのがフラッシュバックだとばかり思っていたが、感情からたどりよせるフラッシュバックというのもあるらしい。 いい年こいて、イライラしたら親を求めているようで格好悪いし恥ずかしいことこの上ないが、しかしこれが現実。 実際、私はまだ心の底で、親からの無条件の愛情を求めているのだろうし、だからこそアダルトチルドレンなん…

  • 親が求める姿と、自分が求める姿は違う

    まだ、ふらつきはある。 でも、自分は自分でいいのだと、だんだん思えるようになっていると思う。 それと同時にハッキリしてきたことだが、私はずっと、親に合わせて生きてきた。 本当は、生きている世界も、求める理想も全然違うのに。 このことは、子供の頃から薄々感じていたことではあった。 単に居心地が悪かったせいもあるだろうが、私はなんとなく、家庭に馴染めなかった。 家族でいるのは嫌で、友達や家の外のグループにいた方が、居心地は良かった。 でも、家には帰らないといけないから、自分を殺して無理に合わせていた。 親子でありながら、なぜこうも全然違うのか?というのは謎だ。 謎だけど、親といえども他人である。 …

  • 通知表も家庭訪問も授業参観も、「できない子」につながっていった

    いつか書こうと思っていたが、親に対して今でも憤っていることがある。 学業について、だ。 私は子どもの頃、自分で自分を「できない子」だと思っていた。 通知表やテストの結果を見せれば、他の誰かの方が立派ねと言われ。 家庭訪問が終われば必ず、先生が言った私の足りないところをダメ押しされ。 授業参観が終われば「やる気が見られないのよ!」と責め立てられ。 こと学校での出来事を知られるといつもそんな感じになり、私はダメなんだと自認していたし、またダメ出しされるのが嫌で、親には学校での私には関わらないでほしいと思っていた。 ただ、「できない子」だと思うこと自体は、必ずしも間違った方向に向かう考え方ではないか…

  • KANさんが亡くなられて、悲しい

    「愛は勝つ」 メロディー、歌詞、KANさんの声の全てが、タイトルに凝縮されていると思う名曲。 私が思ういくつかの名曲の中で、「愛は勝つ」は間違いなく、その筆頭候補であった。 いつも聞いていた、というわけではない。 しかし、愛は勝つはイコール名曲として、私の人生に当たり前のように存在するもの。 それは、小学校低学年の頃に登場した。 当時、覚えようとしなくても、全てがスッと頭に入っていて、いとも容易くリピートされていたと思う。 以来今もって、素晴らしい曲だと思うことに、変わりはない。 KANさんが、亡くなった。 私はこの「愛は勝つ」しか知らないが、それでもニュースで訃報を聞いた時はショックを受けた…

  • フラッシュバックこそ、アダルトチルドレン克服のサイン?

    「私は弱い」から「私は強い」へ。 「負け組思考」から「勝ち組思考」へ。 起きているかな?と考えられる変化を、2回続けて書いた。 特に意図したわけではないけれど。 こうした変化は素晴らしいものだと思うし、またこれらの完成形が、アダルトチルドレン克服の時なのかと思う。 しかし、考え方を変えるだけで行動も伴い、完成形までたどりつくかというと、そうではないだろう。 フラッシュバックがあるからだ。 フラッシュバックがある限り、完成形まではたどり着かない。 私はフラッシュバックの時、怒りの気持ちと同時に、弱くて負け組の思考がぶわっと出てくるが、それがあると「私は強い」も「勝ち組思考」も、自然とどこか疑わし…

  • 「負け組思考」から「勝ち組思考」へ

    人生に、勝ち組、負け組はない。 私はそう考えているし、またそれを競うような考え方も嫌いである。 その人が、その人らしく、総合して満足して暮らすことができるなら、そこに勝ち負けはない。 また、仮に満足しない状況になったにしても、そこには何らかの支援があってしかるべきだと思う。 しかし、「勝ち組思考」と「負け組思考」は存在すると、私は思う。 なにせ私が常に「負け組思考」であり、それはしっかり親から受け継いだものだったからだ。 怒り、嫉み、憤り、陰口。 私自身、いつもそれらのオンパレードで長い間過ごしてきたが、そこには「自分はいつも負けている」との深層意識があると思う。 そしてこれは、親にもピッタリ…

  • 「私は弱い」から「私は強い」へ

    「私は生きている」と感じられるようになったのは、一ヶ月ほど前だっただろうか。 もう最近は、そのこと自体を意識することは少なくなった。 だからといって、生きていないような感じを持つことに、逆戻りしたのでもない。 はっきり自覚しなくても、「私は生きている」感じはある。 慣れてきた、というか、当たり前になってきたのだろう。 その証拠に、かつてと違い、近々で見た風景や聞いた音、周囲で起きた出来事などを、かなりよく覚えていられる。 さて、そんなところで知らず知らずのうちに、次のステップに入っていったような気がする。 これは自分でも不思議に思うが、「私は強い」といった意識が、出てくるようになったのだ。 決…

  • 今は自ら望んで、「アダルトチルドレンを、克服するためです」

    ネットで調べると出てくるが、アダルトチルドレンには「人間関係リセット癖」があるらしい。 なるほど、私も全くもってそうである。 職場が変わり、住むところが変わり、その度にほとんどすべてがリセットされた。 社会に出てから出会った人で、環境が変わっても縁を切らさずにいる人はいない。 大人の世界はそんなものかもしれないと思うが、たとえ職場が変わったりしても、ほとんど変わらない仕事を発展させ続けているのであれば、縁が切れずに付き合う人がいても不思議ではないだろう。 しかし私は、キャリアもひっちゃかめっちゃか。 当然ながら、そんな相手は生まれなかった。 さらに言えば、私は学生の頃から続いている付き合いは、…

  • 一人でいても、寂しいと思わなくなった

    ブログを始めて、一月半くらいになるだろうか。 一ヶ月経つくらいまでは、書きながら感情が溢れてくるような状態が常だった。 怒りや悲しみ、やるせなさ、など。 それが最近は、ほとんどなくなった。 過去に書いたことを遡ってみることはほとんどしないが、おそらく最近の私が書いたことは、理屈っぽくなったんではないかと思う。 振り返ると最初は、とにかく先が見えなくて、必死に足掻いていたようだ。 今は、「この調子でやっていけばいいんだな」みたいな自信がなんとなくあって、冷静になる時間が増えた。 それでも、たまにかなり、お先真っ暗な気分に襲われることがある。 今朝がまさにその状態だったが、全体としてはアダルトチル…

  • 毎晩、「生きている自分」を描いて眠りにつく

    普通に話そうと思えば、話せるものだ。 何年間もお付き合いのあるメンバー相手であるが、ビクビクすることはほとんどなくなった。 完全にない、とは言えないが、ちょっと冗談ぽい話だってできる。 恥ずかしながら、毎週のように会っている同じ人でも、以前の私はビクビクして、言葉に詰まってばかりだった。 それを考えれば、結構な進化である。 たぶん、相手も変化を感じているのではあるまいか。 また最近は毎晩、「生きている自分」を描いて眠りにつく。 「生きている自分」とは当たり前だが、要は、 物事を動かしている自分 人に行動を起こしている自分 堂々としている自分 である。 いずれも、アダルトチルドレンである自分が抱…

  • 大いなる怒りは、湧いてこなくなった?

    少しずつ、良い方に変わりつつあると思う。 昨日のテニスでは、相手を笑わせるよう仕向けたり、普通に会話のキャッチボールをしてその中身もはずんだり。 もちろんそれらはちょっとしたことで、べつに大仰なことではない。 取り立てて騒ぐほどのことでもないと言えば、全く持ってその通り。 しかし、それらができることは、私が長い間死なせておいた本望。 できたということは、確実に一つのステップを上がったと見ていいのではないだろうか。 そして今日は、子どもに会った。 少々離れた遊び場へ車で移動中、子どもはディズニーのDVDに夢中になっていたが、その様子を傍から見て、ちょっと思ってしまったことがある。 DVDを見なが…

  • 自分を認められれば、相手も認められるようになるだろう

    自分自身の過去や今について気づくことも、だんだんと小さなことが多くなってきた。 しかし、それでいい。 ちょっとしたことでも、どんどん気づきを増やしていく。 そして、アダルトチルドレンとしての私の生きづらさにつながっているものは、徹底的に潰していく。 今日は割と調子がよかったが、夕刻になってやはり、怒りのフラッシュバックが襲ってきた。 ただ、それと同時に、「自分はかわいい」「自分はよくやっている」みたいに認める気持ちもやってきた。 意識してそのように思おうとしたのではない。 自然にふと、そうなった。 それはスーパーにいる時で、いつも通りの買い物をしている人が私以外にもたくさんいた。 買い物客たち…

  • 「恐れることなど何もない」自分が怖くなったり

    揺り戻しが、激しい。 怒りのフラッシュバックのまさにその時と、そのあとの「(フラッシュバックが)また来たな」と余韻が残っている間は、やはり心が現実にあらずで、まさにアダルトチルドレンそのものの私になる。 しかし一方で、ふと現実世界の我に返って、「恐れることなど何もない」みたいな自分になったりもする。 割合的には、前者が8、後者が2くらいではあるけど。 そして、この後者の自分を振り返った時、自分で自分を恐ろしく感じたりもする。 なんてったって、怖いものなんか何もない気がするのだ。 本当は、それでいいんだと思う。 しかし私は長い間、恐怖に縛られた状態だった。 それが、いきなり真逆の「恐れることは何…

  • 現状把握の段階は終わりかもしれない

    今日は、調子が悪かった。 フラッシュバックによる怒りが、何度も何度も押し寄せてきた。 昨日、カウンセリングを受けたばかりである。 とはいえ、そんなすぐに全て良くなり全開!などということはあり得ない。 カウンセリングで何かをすれば、きっと反動もあるだろうとは、ちょっと予想していたこと。 やっぱり来たかな?という感じである。 それに、カウンセリングの結果もあるだろうが、最近はよく、昔のことを思い出す。 全く消してしまったような記憶が、ふと蘇ったり。 覚えていることは、よりリアルな情景として思い出されたり。 夢を見て起きることも多い。 そんなことを振り返ると、今はフラッシュバックが頻繁することも全然…

  • 家庭と親の平穏無事と、子どもの考え方生き方が両立しない時

    感覚や思うことに現実感が出てきて、人に対しても少し堂々と接することができるようになってきた。 複雑性PTSDとアダルトチルドレンの克服に向けて、確実に一歩一歩進んでいると思う。 だがしかし、これまで何年も自分を縛り付けてきた習性というのは、手ごわい。 一歩進んで「ああ、いいな」と思えば、「お前はそんなんじゃないだろう。弱々しいままでいいんだよ」と内なる声が、私をまた元に戻そうとするのである。 ほとんど大したことをしていないような時でも、私の心の中では、この強くなろうとする自分と、元の弱いままにしておこうとする自分がバチバチ戦っている。 いつも心がもぞもぞしている感じで、心はいっぱいいっぱいだ。…

  • カウンセリングで怒りの感情が、肯定に入れ替わる

    カウンセリングの効果を、強く実感した。 今日取り扱ったのは、小さな怒りの記憶。 親から他人と比較され、劣っていた私が、「べつにどうってことはないじゃないか」と、軽い反発を覚えた記憶である。 怒りの記憶はまだまだ他にもあるのだが、まずは感情的なエネルギーが小さなものからやりましょうということで、この出来事になった。 終わってみれば、これに対する怒りの感情は、消えた。 親が誰と比較しょうが、自分は自分でよかった。 深層心理にあった怒りの感情が、そんなような肯定の気持ちに、そっくり入れ替わった感じである。 もちろん、「自分は自分でいい」なんてことは、頭では理解していた。 また、そんな子どもの頃の話な…

  • 身近な出来事や自分の行動を、よく覚えているようになった

    記憶について、書きたい。 ただ今回のそれは、子どもの頃ではない。 最近の身近な出来事や自分の行動のことで、結論を言えば、よく覚えているようになったと思うのだ。 ありありと思い出せるようになったというか、そんな感じだ。 以前は逆だった。 前にも書いたが、他の人が覚えていた些細なことが、私の記憶には全くなかったことが何度もあった。 また、つい数日前のことも、自分が何をしていたか、現実感をもって思い出せなかった。 実際には必ず何かをしていたはずだが、その何かをしていた時でさえ現実感がなかったのに、それから数日たてば、出来事はさらに幻に消えていってしまったような。 それがもしかしたら、変わってきたのか…

  • 私は日本シリーズを見ていいし、楽しんだっていい

    「〇〇してよい」。 とても面倒くさいとは思うのだが、私の場合、これを自分で自分に呼びかけないと、何かを楽しいと思うことができない。 例えば、日本シリーズを見る場合。 「私は、これを見てよい」と一旦立ち止まり、冷静に、念じるように復唱する。 そうしないと、心ここにあらずというか、自分の存在がどこかに行ってしまったような状態で見てしまうからだ。 だから、一度現実に引き戻すように、自分に許可を与えて、素の心を出せるようにする。 この状態は、私が楽しむことに、罪悪感を抱えているが故だ。 同じことは何度も書いているが、私は自分が心から何かをやりたいと思ったとして、そう思うこと自体を取り上げられて育った。…

  • 思考も行動も、親とかけ離れている私

    あれ? 普通に、話せるではないか。 ビクビクせずに。 そう思ったのは、今日のテニスの帰り道。 前にも登場した、ちょっとギャルの女性と話をした時のことを、振り返ってのことだった。 これまでと違い、私はなんか堂々としていたのである。 声も、かつてより大きかったようだ。 「話せるようになった」ということを考えるなら、相手に慣れたとか、お互い打ち解けたからといった理由は、よくあるだろう。 しかし、今日に関してはそうではない。 明らかに、私の心持ちと態度が変わったのだ。 さらに、そんな出来事を振り返ったら、ふと、小さい頃のおぼろげな記憶が、顔を覗かせた気がした。 シーンは学校でもなんでもあるが、人と会う…

  • 手を合わせて祈るファンの気持ちを、理解しはじめる

    日本シリーズが、熱い。 プロ同士が、あまり後先を考えない短期勝負でガチで戦うと、こうも面白くなるのかと思う。 面白いと思ったのは、私が親の支配に関係なく持つ感情で間違いない。 物事の受け取り方については、だいぶ親や恐怖から離れることができているようだ。 ところで、勝負自体が面白いと思ったのはもちろんだが、私はまた、違う角度で試合を見ていた。 ファンのことである。 特に阪神ファンの熱狂ぶりはよく世間の話題になるが、阪神に限らずとも、私は何かにそこまで思いを込めてしまうことが、よく理解できなかった。 テレビを見ていると、たまに祈るように手を合わせている観戦者の姿が映るだろう。 その気持ちのことであ…

  • 「俺はかわいい」「それでいいんだ」

    「俺は生きている」 何かの物事から自分が受け取る感覚に、現実を少しずつ感じられるようになったところで、この言葉がふと浮かぶようになったことは先に書いた。 しかし最近は、これに「俺はかわいい」が混じってきている。 これはたぶん、「さて、自分が持つ思いや考えは、どんなものなんだろう?」と探り始めたところから、そうなりだした。 ここでいう「自分が持つ思いや考え」とは、「自分は何をすると喜びを感じるのだろう」のような、自分が何かをすることで現実に影響を与える、能動的態度と結果のことである。 そして、能動的態度というからには、親と恐怖の支配から離れたところでとる行動でなければならない。 これまでは、支配…

  • 朝のフラッシュバック

    朝はどうも、気が立ってしまう。 フラッシュバックだろう。 現実には誰もいないのだが、親が思い出されてしまって、怒りが込み上げる。 なんで朝にこうなるのか、理由はわからない。 また、いつからかはわからないが、実はかなり前から続いていることだ。 しかし、アダルトチルドレンであると認識するまでは、そんな事象を客観的に変だと思われなかった。 この怒りの心情を探ってみると、見えるのは私に残る幼児性である。 なんで、自分を認めてくれないの? 子供の頃に自分の気持ちや考えを受け止めてもらえることのなかった、私の思い。 それが一気にぶり返して、怒りと反抗を再生している。 もちろん、気持ちのいいものではない。 …

  • 自分を支配する恐怖は、誠に手強い

    心と行動の習慣を変えるのは、なかなか難儀なことだ思う。 感覚には現実感が出てきて、アダルトチルドレンの克服に少しは近づいたと思うけど、まだまだ生きやすくなるはず。 だいたい、まだ今の状態では、たくさんの人と接するとたちまち、ストレスの塊になってしまうだろう。 自信がない分だけ、漠然とした生きづらさがまだある。 そんな感じだ。 やるべきことは、まだまだ多い。 先にも書いたが、現実に生きる等身大の自分を、自分で理解する必要がある。 さらに、私の思いや考え、行動を制限するリミッターも、外す必要があるだろう。 このリミッターを外さない限り、心と行動の習慣は変わらないと思う。 それが冒頭に書いたことで、…

  • まだ「等身大の自分」のイメージがない

    だいぶ、感じることが自分のものだと思えるようになった。 そして時に、「俺は生きている」という当たり前のことが、脳裏にこだまする。 前は、自分が生きている感覚がまるでなかった。 何が、自分を動かしているのか? 自分の意思や考えや感覚は、どこにあるのか? そんなふうに、どこかを彷徨っている感じだった。 今、自分に起こりつつある変化は、正直、嬉しい。 ♪ぼくらはみんな 生きている♪ ふと「手のひらを太陽に」が、自然に流れてくる。 こうした変化は、何かアダルトチルドレン克服へのロードマップがあって、起こったことではない。 こんな変化が起こるとはわからなかったし、次にどんな変化が起こるのかもわからない。…

  • 自分の話し声が聞こえて、驚いたことなど

    大したことはしていなくても、かなりの疲れようである。 昼に本気で、寝てしまった。 たぶん、現実の身の回りに起きている、色んな物事に反応しているからではないだろうか。 今まではずっと、頭の中に起きている世界だけで完結していた。 音も匂いも見るものも、「こうあるべきだ」みたいに考えるものが全てであり、そうでないものは存在しなかった。 しかし現実では、ありとあらゆる事象が感じ取れる対象だ。 今、現実感を感じられるとしたら、それは現実のあらゆる事象を受け取っていて、またそのために、長い間お休みしていた体か脳のどこかを使うようになっているのではないか? それが体の気管なのか脳の部分なのかはわからないが、…

  • 突然入り込んだ現実世界に違和感?

    ありありと思い出した、自分が家庭の犠牲となっていた記憶。 昨日も書いたように、やはり頭の中から離れない。 しかし不思議なのは、それと同時に「自分が現実世界にいる実感」のようなものを、感じられるようになっていることだ。 その実感には自分自身、まだ違和感があって、していることがあっても集中できない感じが続く。 一方で、何かをしている自分のことを、自分でしっかりと把握できているような感じも続いている。 感覚も研ぎ澄まされたような気もしていて、目に見えるもは見るともなくても、聞こえるものは聞こうとしていない音でも、時折リアルにスッと認識したりすることもある。 一言で言えば、「生きている感じ」がするので…

  • ガッチリフタをしてきた、重大な記憶

    私は家庭を円満にしておくために、犠牲になった。 それは先にも書いたことだけど、したくてそうしたのではない。 子供ながら生きるために、そうせざるを得なかっただけ。 思い出して自分ごとと確信したショックはまだ残っていて、心がそわそわする。 何をするにも、そのことが頭から離れない。 しかし、悲しさはやわらいで、冷静にもなった。 そして冷静になったところで、自分がなぜ解離を起こしているのか、その理由というかメカニズムが、ようやくよくわかったと思う。 私が、自分の存在も、見たり聞いたり感じたりする世界も、現実感を持つことができなかった理由。 それは、「記憶にガッチリと蓋をしていたこと」である。 今回あり…

  • 思い起こした中で一番、ショッキングであり悲しい記憶

    記憶にしていた大きな蓋が、空いた気がする。 確実に20年は思い起こされなかった記憶が、ある時、ふと蘇った。 とても長い間、その記憶を「無いもの」として過ごしてきたからだろう。 たまに思い出しては当時のことを考えるけど、ちょっとまだ半信半疑というか、もやがかかったように見える記憶である。 でも、だんだんもやは消えていき、今では間違いないはずだという確信もある。 思い出したのは、父に対する記憶。 これまでよく覚えていたのは、母親とのおぞましい出来事であったが、今度は父親。 それは具体的な出来事ではなく、私が家庭内でどのような態度と振る舞いで、父に向かっていたかというものだ。 結論を言えば、子供の頃…

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