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2023/06/10

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  • 祇園祭を支える鉾町と町衆の豊かさを映し出す旧校舎・京都新町通

    前回から、京都市を南北に貫く新町通を南へ歩いています。 今回のスタート地点である新町通御池の交差点は、祇園祭の巡行のさい、山鉾の辻回しが行われる場所。 広い御池通から正面に見える狭い新町通に、大きな山や鉾が直角に曲がって入って行くのですから、祭りの大きな見どころになります。 高さ25mにもなる鉾が通る新町通では、道路を横切る電線がありません。 この道を山鉾は、軒先すれすれに通って各会所へ帰って行きます。 姉小路を過ぎたあたりには、「町頭町」という面白い町名。 応仁の乱後に、京都の町は政治都市・上京と商工業都市・下京の二つに分かれましたが、このあたりが下京における町尻小路(新町通の元々の呼び名)…

  • 「新しくはない新町通」でレトロを感じて歩く・京都市

    京都市上京区の区役所前に、安政5年に建てられた道標があります。 その東面には、「右 上かも」とあります。 区役所横を通るのは、上賀茂から南へ伸びる新町通。 「新町」というと新しい通りのように聞こえますが、元は平安京の町尻小路なので、歴史のある古い通りです。 豊臣秀吉が京都を大改造したさいに、新町通と呼ばれるようになったらしい。 それでは、仁丹の琺瑯看板が残る今出川通新町からスタート。 南へ歩くと、見えてくるのが十字架を掲げた教会の鐘楼。 カトリック西陣聖ヨゼフ教会です。 明治期に創設された教会ですが、今の場所へは昭和になって移転しています。 3つのアーチを2本のオーダーで支える、独特なエントラ…

  • 英国客船の船材を用いた洋館と始皇帝が祭神の神社・京都市太秦

    前回からの続きで、もう少し京都市右京区の太秦を歩きます。 広隆寺楼門前の三条通では、路面を走る嵐電。 この太秦交差点を少し南に歩くと、ちょっと珍しい洋館に出合うことができます。 和調の出世地蔵の背後に見える、この洋館。 正面から見ると、木の柱を意図的に外に見せる、ハーフティンバー様式です。 側面から見ても、木の曲がりをうまく活かしたデザイン。 柱の表面には意図的に残された、粗い削り痕。 キャンドル型の窓に嵌めこまれた、3つのステンドグラス。 煙突の先にも、筒状の先端が3つ並んでいます。 煉瓦積みの門柱も、なかなかに美しい。 古い太秦の街の中で、ちょっと異彩を放つこの洋風建築は、旧徳力彦之助邸。…

  • 撮影所ゆかりの商店街と住宅街に残る巨石遺構・京都市太秦

    京都市右京区にある、京福電鉄帷子ノ辻駅に来ました。 通称嵐電(らんでん)の嵐山本線と北野線の接続駅ですが、「帷子ノ辻」は京都難読地名の代表格の一つ。 「かたびらのつじ」と読みますが、地名の由来は興味深いけれどもちょっと怖いので、他で調べてください。 ja.wikipedia.org 駅を出ると、すぐ南側に嵐山へと通じる三条通。 角のスマート珈琲店太秦店の前からは、通りの向こうに現役である松竹撮影所の建物が見えます。 ここは、かつて栄えた映画撮影所の街。 店内に入ると、珈琲豆の焙煎機越しに見えるのは、商店街のゲート。 大映通り商店街は、1986(昭和61)年に閉鎖された大映京都撮影所の名を留める…

  • 日本初の田園都市と即位礼饗宴場を遺す真宗寺院・吹田市千里山

    大阪府吹田市にある阪急千里山駅で降り、西側の丘陵を少し登ると、千里山第一噴水があります。 丸い噴水の真ん中には美しい彫刻があり、てっぺんには勢いよく水を放つ小便小僧。 このロータリーを中心として、千里山の丘陵上には放射状に道が整備され、ゆったりとした住宅地が広がっています。 噴水横には、「千里山開設記念碑」。 1920(大正9)年に住宅地を開発した「大阪住宅經營株式會社」が、会社を解散するにあたって建てた石碑です。 千里山住宅地は、産業革命後のイギリスで生まれた田園都市の構想を、日本に初めて持ち込んだものらしい。 少し北に歩くと、千里山キリスト教会が小高い丘の上に建っています。 1948(昭和…

  • 幕末に由来する家具の街と八端十字架の教会堂・京都夷川通

    鴨川の二条大橋上流に、夷川(えびすがわ)飛び石があります。 ここには、昭和初期の洪水で流されるまでは、夷川橋が架かっていました。 少し大股で跳びながら、石伝いに鴨川を渡ります。 鴨川を越えると、今度はすぐに狭いみそそぎ川。 この下流にある木屋町・先斗町で、夏の風物詩である納涼床の下から冷気を送り込んでくれる、ささやかな流れです。 川を渡って階段を登ると、ここからが夷川通。 西を目指して歩き始めると、銅駝(どうだ)会館の前には、銅駝水の蛇口。 防火用水でもある美味しい地下水の前には、いつも水汲みをする地元民の姿が絶えません。 同じ敷地内には、「舎密(せいみ)局跡」の駒札。 ここには、明治初年にお…

  • 海と山に挟まれた斜面の街で洋館を巡る・垂水区塩屋

    JR塩屋駅は、海と山に挟まれた神戸の街でも、とりわけ山が迫る場所にあります。 後ろに見えているのは、須磨浦ロープウェイがある鉢伏山。 塩屋は、紀淡灘に面した斜面の街であるため、美しい眺望を楽しめる街でもあるようです。 駅を山側に出ると、いきなり狭い商店街。 こんなに狭い駅前通りは、あまり見たことがありません。 商店会のコミュニティースペース前に貼られているポスターには、「こそだては しょうてんがいで はなしがい」の標語。 クスッと笑ってしまいますが、これは町全体で子どもたちを育てますという宣言ですよね。 掲示板に貼られた塩屋まちづくり推進会の日程案内を見ると、ひと月に6回もの行事。 自分たちの…

  • 「大大阪時代」を垣間見る街歩き・中央公会堂から府庁舎本館へ

    大阪市中心部にある、美しい中州の中之島。 土佐堀川の向こうに、1918(大正7)年に建てられた大阪市中央公会堂が見えます。 赤煉瓦に白い石の帯を配した外観は、いわゆる辰野式。 実施設計の段階で、東京駅も設計した辰野金吾の手が入っています。 正面アーチの上から小さく覗いているのは、知恵の女神・ミネルバと商業の守護神・メルキュール。 大阪に相応しい神々ですね。 「定礎」の揮毫は、今や1万円札の顔となった経済人・渋沢栄一。 腰壁部分に黒っぽい大理石を用いた、重厚なエントランスホール。 階段の木製親柱にも、美しく彫刻が施されていました。 地下の展示室では、大阪が「大大阪(だいおおさか)」とよばれた時代…

  • 明智薮のある旧小栗栖街道を歩く・六地蔵から勧修寺へ

    京都市伏見区桃山に、「六地蔵」交差点があります。 ここは隣接する宇治市に近く、豊臣秀吉の伏見城があった桃山の、ちょうど裏手にあたる場所。 近くに建つ道標には、「ひたり おうはく(黄檗) うち(宇治)道」と刻まれています。 別の面には、「みき 京みち」「ひたり ふしみみち」。 この宇治、京都、そして伏見に至る旧道の分岐点に、小野篁作の地蔵菩薩を祀る大善寺がありました。 小野篁は、冥土で生身の地蔵菩薩を拝し、蘇ったのちに一木から6体の地蔵菩薩を彫りだしたと伝えられています。 平清盛が、都に通じる主要街道の入口に5体を分けて祀ったため、大善寺には1体のみが残っているらしい。 山門前左側の石碑には、「…

  • 旧淀川に面して並ぶ明治初期の遺構・大阪造幣局

    今回は、八百八橋の大阪にあって、現存最古といわれる本町橋からスタート。 橋の西詰には、東横堀川に面して自家焙煎珈琲店があります。 1968年創業の濱田屋さんのお勧めは、窯出しシュークリームらしい。 店内の席からも、1913(大正2)年に架け替えられた本町橋を、眺めることができます。 香り高い珈琲と、ずっしりと重いシュークリームをいただいて、さあ川沿い歩きを始めましょう。 桜が美しい東横堀川を北へ。 まもなく、旧淀川である大川の流れに突き当たるので、天神橋を渡ります。 橋の下にある中之島には、ぽつんと残るラジオ塔。 設置時期等の詳しいことは分かりませんが、昭和前期に設けられた「公衆用聴取施設」だ…

  • 国際都市で南西アジアを感じる小さな旅・神戸市中央区

    神戸三宮駅で降り、北野坂に来ました。 正面に見える山麓には、北野異人館街の象徴である「風見鶏の館」の塔屋が見えます。 異国情緒漂う洋風建築が建ち並び、中華街からも遠くないこの界隈で、今回は南アジアや中東の文化を感じてみたいと思います。 まずは、北野坂の途中にある社交倶楽部、インドクラブ神戸へ。 こちらでは、週に一度、北インド料理がランチでいただけます。 ドアを開けてガンジーさんにご挨拶しましたが、とても静かで様子がおかしい。 スタッフに尋ねると、残念、臨時休業でした。 仕方なく別のインド料理店を目指している途中、なぜか民家の前にヒンドゥー教のガネーシャ神。 すぐにハンター坂にある、インドの家庭…

  • 京都最古の木造建築から醍醐水を求めて山を登る・醍醐寺

    京都市営地下鉄東西線の小野駅近くを通る醍醐街道に、「葛籠尻の小町カヤ」と呼ばれる古木が残っています。 小町とは、世界三大美人に数えられる平安期の女流歌人・小野小町。 この木は、小町のもとへ百夜通いを続けた深草少将が、百夜の前日に世を去ったことを悼んで、小町が種を播いたものと伝えられています。 醍醐街道は、すぐに滋賀県境にある髭茶屋追分から来た旧奈良街道に合流。 まもなく左手には、小野小町ゆかりの隨心院。 境内にある小町の邸宅跡には、「小野小町化粧の井戸」が残ります。 旧奈良街道を南へ進むと、街道沿いに「弘法大師獨鈷水」の石柱。 真言宗の開祖・空海ゆかりの水場があったようです。 石仏は残りますが…

  • 大阪城に残る陸軍の遺構と上町台地・大阪市中央区

    大阪環状線の森ノ宮駅から、大阪城公園に来ました。 あいにくの曇り空ですが、大阪城の周辺を歩きます。 歩き出す前に、森の中のオープンカフェでパンをいただこうと思ったら、なんとも人慣れしたスズメさん。 一羽と仲良くしていると、どんどん仲間が寄ってきます。 ちょっと楽しい、1日のスタートです。 公園を北西に進むと、すぐに大阪城の石垣が見えてきます。 まず出会うのが、南無阿弥陀仏と彫られた石塔と、蓮如上人碑。 豊臣秀吉が最初に大坂城を築く前、ここには織田信長と全面対決した石山本願寺がありました。 秀吉は、蓮如が開いた一向一揆の総本山を破却した跡に、築城したことになります。 城内には、石山本願寺推定地の…

  • 道頓堀芝居小屋の名残と心斎橋のヴォーリズ建築・大阪市中央区

    大阪市中央区の道頓堀に来ました。 道頓堀川は、江戸初期に安井道頓・道卜(どうぼく)らによって開かれた運河。 開削後から、右手の南岸には、大坂中の芝居小屋が集められました。 その多くの姿を今見ることはできませんが、浪花五座といわれた代表的な芝居小屋のうち、人形浄瑠璃の竹本座(浪花座)の跡には石柱が建てられています。 こちらは、1923(大正12)年に竣工した、正面のアーチが特徴的な大阪松竹座。 イタリア・ミラノのスカラ座をモデルにして、木村得三郎が設計しています。 木村といえば、京都にある泰山タイルで覆われた先斗町歌舞練場や、弥栄会館を設計した人でもありますよね。 保存されている外観には、テラコ…

  • 天保山台場跡から天空のなみはや大橋を徒歩で渡る・大阪市

    大阪メトロで、港区にある大阪港駅に来ました。 ここは安治川の河口に位置し、江戸後期から明治にかけて生み出された、築港と呼ばれる人工の島。 大阪万博が開催される少し西の夢洲とは、大阪メトロで繋がっています。 駅から少し西へ行くと、レトロな旧商船三井築港ビル。 かつての大阪の玄関口に残る、数少ない近代建築の一つです。 1933(昭和8)年の竣工当時は3階建てでしたが、水没対策として街全体がかさ上げされたため、2階建てになってしまったらしい。 蔦がからまる壁面は、スクラッチタイルで覆われています。 かさ上げしたために、元2階に作られたエントランス。 昔ながらの丸い照明灯が並ぶ、板張りの廊下。 「消火…

  • くらわんか舟の宿場町と信長に焼かれた寺内町跡・枚方市

    京阪本線枚方市駅を出ると、すぐ前に文政九年と刻まれた道標が立っています。 表の面には「右 大坂みち」とあり、豊臣秀吉が整備した京街道の道標になります。 ここは、江戸幕府が設けた東海道五十三次の延長ルート、五十七次の「枚方宿」が置かれていた町。 街道沿いには、旧家が残ります。 街道脇の縁石をよく見ると、今の石の下から昔の石が覗いていたり、 味噌屋さんの前では、積み重ねた石臼の上に看板。 こちらは、本陣が置かれていた場所。 船番所跡もありました。 左手の土手は、現在の淀川の堤防。 江戸時代にこのような堤防はなく、枚方宿では、三十石船を利用した人や荷の往来が盛んだったようです。 近くには、宿の問屋役…

  • 楠葉台場跡と刻が止まったような京街道の町・橋本駅周辺

    京都府八幡市にある、京阪本線橋本駅に来ました。 小さな駅舎を出たところには、錆びついた鉄製の火の見櫓が建っています。 でも、駅改札の真ん前に屹立する火の見櫓なんて、これまで見たことがありません。 いきなり、ちょっと不思議な町に来たことを、実感させられます。 櫓の足元には、「橋本渡舟場三丁」の道標。 橋本は、桂川・宇治川・木津川の三川が合流して淀川となる地点に面していて、古代には行基によって日本三古橋の一つである山崎橋が架けられたところ。 橋本の地名は、山崎橋のたもとにある集落ということなのでしょう。 橋の流失後に、渡し舟が用いられていたようです。 道標の側面には、「湯澤山茶久蓮寺跡」。 豊臣秀…

  • 桂川の畔にある魚市場跡と旧幕府軍潰走の痕・鳥羽街道を南へ

    前回より、平安京の玄関口であった羅城門址から出発し、旧千本通を南行しています。 この道は、平安京の造営時に淀から資材を運ぶための「鳥羽作り道」として開かれ、その後は「鳥羽街道」とも呼ばれている古い道。 今回は、その途中にある、「赤池」という印象的な名前の地からスタート。 この辺りにかつてあった赤い色の池は、平安末期に起きた袈裟御前(けさごぜん)の悲話に関連づけられています。 袈裟御前は、自分に横恋慕した遠藤盛遠から夫を守るために身代わりとなって切られ、その血で池は赤くなったとか。 ちなみに、院の警固をする北面の武士であった遠藤盛遠は事件を機に出家し、文覚という怪僧になったらしい。 千本通赤池か…

  • 羅城門遺址から鳥羽離宮栄華の跡へ・鳥羽作り道を辿る

    京都駅の南西に、九条通に面して、よく京都のシンボルのように扱われる東寺五重塔が聳えています。 東寺は、平安京の正門である羅城門の東に建立された官寺でしたが、空海に下賜されて真言宗の根本道場となりました。 正式には「教王護国寺」とよばれ、多くの国宝を有する大寺院です。 東寺の少し西には、「九条御土居」の標識。 京都の町は、豊臣秀吉によって御土居とよばれる土塁で囲まれた城郭都市に改造されましたが、ここはその南端らしい。 標識が立っているあたりから、御土居の外、つまり洛外になるのでしょう。 近くには、「羅城門」のバス停がありました。 平安京のメインストリートである朱雀大路南端にあった羅城門は、平安期…

  • なんば界隈の百貨店建築と路地裏に残る通称「百貨店」・大阪市

    大阪ミナミの「なんば」に来ました。 今回は、お昼からのスタートなので、まずは腹ごしらえ。 「元祖とんかつカレー」を名乗る、難波公園近くのカツヤへ。 数年前に移転したようで、看板は写真で見たことのある渋い物ではないようです。 大阪のカレーとしては、安くありません。でも、「年に一度仕込んで三年間野菜の濃縮エキスを発酵熟成」させたルーを、食べてみたかったのですよ。 ラードが香る大きな豚カツがトッピングされた、極シンプルな出で立ち。 でも一口頬張ると、「うーん、なるほど」。 洗練されたと言うのは違うかもしれませんが、三年間熟成された豊潤な味が口の中に広がる、唯一無二のカレーなのですね。 御主人のお話で…

  • 千林商店街にある旧京阪本線停留所跡と強頸絶間・大阪市旭区

    「日本一安い」とよく耳にする千林商店街を訪ねて、京阪本線の千林駅に来ました。 千林の南隣の駅は、森小路(もりしょうじ)。 千林駅は、戦前に改称されるまでは「森小路千林駅」と呼ばれており、二つの駅の関係は面白そうです。 アーチが連なる西口を出ると、すぐ前にドラッグストア。 今はオーエスドラッグですが、この場所は、かつて日本一の巨大スーパーであったダイエーの1号店があったところ。 当時の店名は、「主婦の店・大栄(ダイエー)薬局店」でした。 本通りのアーケード。 この道は、江戸から明治にかけて野崎観音への参詣道として賑わった、野崎街道でもあります。 右手には、創業・昭和50年と書かれた「大一そば」。…

  • 七瀬川という小さな川の行方・異形の大岩神社から子守唄の里へ

    夏に訪問した京都市伏見区にある大岩神社を、冬にも再訪してみました。 今回は、この異彩を放つ神社から流れ出す小さな川を、辿ってみたいと思います。 まだ、紅葉が残っていた師走の大岩神社参道入口。 右手に、小川が流れています。 これが、今回探索してみた七瀬川。 竹林の小路を進むと、 名も無き小さな滝があったり、 ほとりに白姫龍神大神のお塚が建つ、薄暗い池があったり。 その奥には、赤い鳥居や傾いた石柱とともに、異様な四角い石柱の鳥居。 多国籍、いや無国籍な雰囲気を放っている鳥居は、 日本画家・堂本印象が1958(昭和33)年に寄進したもの。 その横にある小さな鳥居をくぐると、 石を組んだ小さな滝場があ…

  • 旧高瀬川の終着点と三栖閘門・京都市伏見区

    前回訪問した大阪の毛馬閘門(こうもん)が面白かったので、今回は京都市伏見区にある三栖閘門を目指します。 ここは、伏見城の外堀であった濠川に架かる大手橋。 伏見は酒処なので、橋の向こう側には「富翁」の蔵が見えます。 橋の上流には、「月桂冠」の昭和蔵。 下流の方向の先に、目指す三栖閘門があります。 橋のたもとには、「坂本龍馬 避難の材木小屋後」の碑。 近くの船宿・寺田屋にいた龍馬が伏見奉行配下に襲撃されたさい、両手首を切られながら身を潜めて難を逃れた材木小屋の跡になります。 西へ少し歩くと、路傍にポンプ式の井戸と、木の上に小さな祠。 地下に豊かな「伏水」が流れる、伏見らしい光景です。 すぐに、「近…

  • 新旧淀川の分流点に残された近代化遺産・大阪毛馬

    今回は、今の淀川と旧淀川(大川)が分流する地点である毛馬へ行こうと、天神橋筋に来ました。 ここは、天神橋筋の8丁目。 日本一長い商店街と言われる天神橋筋商店街のアーケードは、1丁目から6丁目まででおしまい。 8丁目まで来ると、「ふれあいの街」と書かれたゲートはありますが、商店の姿はちらほら。 通りに並ぶ照明灯には、「天神橋八丁目商店」とあるのだけれど、 と思っていると、あっけなく通りはおしまい。 ここが、天神橋筋の北端です。 その先にあるのは、「長柄小橋」。 橋ですが、下には川跡があるだけ。 ここには、かつて長柄運河が流れていたようです。 長柄小橋の北詰には、明倫観世音菩薩が祀られています。 …

  • 日米和親条約調印の地から旧居留地を歩く・横浜市

    横浜大さん橋近くの開港広場公園に、球状の「日米和親条約調印の碑」があります。 幕末にアメリカからペリーが来航し、鎖国を終わらせたのが1854(嘉永7)年。 その後、日本は激動の時代に突入し、明治維新を迎えることになりました。 広場の奥には、白い教会堂が見えます。 表にまわると、日本キリスト教会横浜海岸教会とのこと。 敷地内には、「日本基督公會発祥地 明治五年」の碑がありました。 日本で最初のプロテスタント教会は、ここで誕生したようです。 公園の西側には、旧英国総領事館。 イギリスは、開国後に最大の貿易相手国でした。 現在の建物は、関東大震災後に建て直されたものですが、正面に回るとなかなかに壮麗…

  • 開港場だった関内に残る壮麗な建築群・横浜市

    横浜の旧居留地を歩いてみようと、「馬車道駅」に来ました。 馬車道は、開港後に外国人たちが馬車で往来した、港から続く開港場内の道です。 当時、外国人たちは居住範囲を制限されましたが、居留地を含む開港場エリアが関内と呼ばれていたようです。 駅前を通る本町通りのY字路には、旧第一銀行横浜支店。 渋沢栄一が創設した第一国立銀行の支店として、明治初期に開設されています。 こんなに幅が狭い建物ですが、丸みを帯びた正面に、4本の列柱が堂々と立つバルコニーがとても印象的。 この部分は、関東大震災からの復興時に建てられたものが、そのまま残されています。 少し東へ歩くと、馬車道に面して、壮麗な旧横浜正金銀行本店本…

  • 東方正教会の大聖堂から古書の街へ・千代田区

    JR御茶ノ水駅を降りると、すぐに行き当たる強烈な存在感の教会堂。 日本では珍しい、ビザンチン様式の「ニコライ堂」です。 こちらは、古くに西のカトリック教会と分かれた、東方正教会の聖堂。 ギリシアやスラブ圏などを経て伝わっているので、エキゾチックになりますよね。 正式名称は、「東京復活大聖堂」。 説明板では工事監督となっていますが、実施設計をしたのは、辰野金吾らを育て日本における西洋建築の基礎を築いたジョサイア・コンドルだったようです。 1891(明治24)年竣工の煉瓦及び石造で、正面には丸みを帯びた屋根の鐘楼。 関東大震災まではもっと高く尖った形状だったようですが、倒壊して後ろのドームを崩落さ…

  • 日本道路網の起点と風格ある建築群・東京日本橋

    時には首都圏の近代建築を眺めてみようと思い、東京駅に来てみました。 八重洲地下街を抜けて地上に出ると、中央分離帯にヤン・ヨーステン記念碑。 関ケ原の戦いの年に、リーフデ号で漂着し、徳川家康に取り立てられたオランダ人「やようす」さん。 この地が「やえす」と呼ばれるのは、この地に屋敷を与えられた彼の名前に由来しているようです。 少し北に歩くと、日本橋高島屋のモダンな店構え。 関東大震災からの復興が図られていた昭和初期の竣工で、設計は高橋貞太郎。 百貨店建築としては、最初に重要文化財指定されています。 まだ、開店前だったので、エントランス周辺を少しだけ。 石と銅と鋳鉄による、風格のある顔立ち。 天井…

  • 「うずらの里」深草と謎のキリシタン遺物・京都市伏見区

    今回のスタート地点は、京阪電鉄の龍谷大前深草駅東口。 以前は、「深草駅」でしたが、5年前から近くの大学名を冠しています。 駅前には、鴨川運河とも呼ばれる琵琶湖疎水。 上流を眺めると、二つ向こうの橋が、朱い色をしています。 あれは、伏見稲荷大社近くの稲荷橋。 伏見稲荷も含めて、このあたり一帯は、日本書紀にも名前が見える「深草」になります。 駅前の植え込みの中には、「七面大天女 東南是より五町」の道標。 七面大天女って何だろう。 とりあえず、東南の方角へ進んでみます。 歩いていると、左手に名水「茶碗子の井戸」。 昔、都の茶人が、使いの者に宇治橋まで茶の湯に用いる水を汲ませに行かせていたところ、この…

  • 源氏物語と茶師の街で建築を巡る・宇治市

    京都府宇治市にある京阪宇治駅に来ました。 駅構内は、たくさんの円形が重なり合う楽しいデザイン。 南海特急「ラピート」をデザインした若林広幸による設計で、1996年に竣工しています。 外観にも、5つの切妻屋根の下に、連続するサークル。 駅横にも茶畑が広がる風景が、お茶の街宇治らしい。 駅の北側には、豊臣秀吉が宇治川で行った大土木工事の跡である「太閤堤」。 立ち並ぶ木の杭と石積みは復元されたものですが、実際の護岸もこの2m下に保存されています。 後ろの杜は、応神天皇の皇子であったとされる菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の宇治墓とのこと。 その脇の陪塚には、「浮舟宮跡」の石碑。 浮舟は、源氏物語の宇…

  • 下町情緒を残す商店街と頓挫した古代の大工事跡・美章園から天王寺へ

    大阪市阿倍野区にある、JR阪和線の「美章園」駅。 華やかな名前の駅には、 大戦末期の空襲により駅で亡くなった多くの犠牲者を弔う、「遭難供養之碑」があります。 (Wikipedia「美章園駅」より) 被災直後の写真では、すでに阪和線のこの区間が高架になっていたことが分かります。 美章園で高架下が商店や住宅として活用され始めたのは、敗戦後のことらしい。 その高架下にある、レトロな商店街。 訪れたかったお好み焼きの「甘辛や」さんは、あいにくのお休み。 でも、鉄骨に包囲された手ごわそうな入口に、大阪でもっとも古い高架下商店街の実力を実感できました。 商店街は、北に向けて続きます。 高架の向かいある、な…

  • 西本願寺境内に残る明治前期の学舎群・龍谷大学大宮学舎

    京都市下京区にある、広い堀川通に面した西本願寺。 浄土真宗本願寺派の本山である、大きな寺院です。 門前には、底にまで石が組まれた堀があり、いくつもの石橋が架かります。 北端から見ていくと、まずは太鼓楼。 立派な太鼓楼ですが、幕末には新選組が2年間、今は無い北集会所とともに屯所として使用していました。 新選組は、境内で大砲の実弾射撃を行うなど、僧侶や門徒から見るとずいぶん困った人たちだったようです。 続いて、立派な銅の灯篭が出迎えてくれる、阿弥陀堂門。 灯篭の下辺りで、獅子が後ろ足であごを掻いているのが可笑しい。 きらびやかな阿弥陀堂門から、阿弥陀堂を望みます。 今度は、御影堂門から御影堂。 御…

  • レトロな七条通から妖怪のいる本願寺伝道院へ・京都市下京区

    京都駅のすぐ北にある、烏丸七条の交差点に来ました。 東西に走るのは、七条通。 京言葉では、「しちじょう」と言わず、「ひちじょう」もしくは「ひっちょう」と発音します。 この通りには、1877(明治10)年に開業した京都駅の駅前でもあるため、レトロな建築やお店が残ります。 いきなり通りの北側にあるのが、アーチ窓が並ぶ旧不動貯金銀行七条支店。 1930(昭和5)年竣工で、設計はこの銀行の設計を多く手掛けた関根要太郎です。 少し行くと、京都では珍しくなったディープな飲み屋街である「リド飲食街」。 夜は賑わうこの路地も、早い時間には施錠されていました。 続いて、鉄の格子が古めかしい「酒類商若松屋本店」。…

  • 最古の花街に残る揚屋建築と泰山タイル・京都島原

    京都市下京区にある、大宮花屋町の交差点。 大宮通の左手に続くのは、西本願寺です。 交差する花屋町通を西に入ると、 すぐに左手に細い路地。 この奥では、元新選組隊士で箱館戦争をも生き延びた島田魁が、維新後に西本願寺の夜間警備をしながら暮らしていたらしい。 路地の横には、連棟式の木造建築。 ここは少し寂しくなった島原商店街ですが、これらの建物も、良く見ると一軒一軒が店舗だったようです。 さらにその隣に残るのは、珍しい木造三階建の京町屋。 ここも店舗だったのでしょうか。 今も頑張っておられる、「太夫最中」が名物の、御菓子司・伊藤軒老舗もありました。 まもなくすると、島原の大門に出会います。 京都では…

  • 和洋織り交ぜた城下町でウクライナ料理・彦根市

    琵琶湖の東岸にある、滋賀県彦根市へ来ました。 街の中心には、国宝の天守を戴く井伊家の彦根城。 全国で国宝に指定されてされている、5つの天守の一つです。 大手門に続く京橋。 その前には、江戸時代の建築を再現したお店が並ぶ、夢京橋キャッスルロードが続きます。 こちらは、石田三成の佐和山城大手門を移築したと伝えられる、宗安寺の赤門。 外交使節団であった朝鮮通信使の宿泊所としても使われたようです。 その向かいにあるのが、青と黄の国旗を掲げたウクライナ料理店「ファイナ」。 城下町ではありますが、なかなか国際色が豊かです。 こちらは、ウクライナ避難民のご家族が開いておられるお店。 お父さんは、まだ向こうに…

  • 平安京に開削された古い人工河川を辿る・京都堀川

    京都市を南北に流れる、平安京造営時に開削された運河であった堀川。 平安時代には、都への物資搬入や、庭園への水の引込などに用いられていたようです。 今回は、有数の古い人工河川である堀川の、現在の姿を辿ろうと思います。 堀川紫明の交差点からスタート。 堀川通は、戦中に家屋を強制疎開させ拡幅しているので、京都市の南北の通りとしては最も広い道路。 右手から合流している紫明通下の暗渠には、下賀茂を横断し、賀茂川をサイフォンで立体交差してきた琵琶湖疎水が流れていて、現在は堀川の水源として使われています。 交差点の少し北には、大河ドラマで注目される紫式部の墓が、なぜか閻魔大王の冥官であったと伝えられる小野篁…

  • 絹で栄えた西陣と奇妙な名和長年遺蹟・大宮通を歩く

    今回は、京都の町を南北に貫く通りの一つ、大宮通を北から歩いてみようと思います。 北山大宮の交差点。 ここから南に向けて、新大宮通沿いの「新大宮商店街」が始まります。 角には、古い木造家屋を活用した「サーカスコーヒー」。 この辺りは、昭和の建物が残り、新しいお店として活用されていることも多いようです。 こちらは、閉じてしまった商店でしょうか。 店名を判読できないベーカリーと、「みかど焼」のお店。 回転焼きの一種なのかな。 今宮通と交差します。 この今宮通を西へ行くと、今宮祭や門前のあぶり餅で知られる今宮神社に行きあたる。 昔ながらの豆腐屋さんや、漬物屋さん。 「門前湯」の向こうには、一休宗純や千…

  • 日野の里から山中にある鴨長明方丈跡へ・京都市伏見区

    京都市伏見区の東部にある、京都市営地下鉄「石田」駅前に来ました。 駅名やこの付近の地名は「いしだ」ですが、 すぐ南東にある、こちらは「いわたの杜」と呼ばれ、万葉集の歌枕にも使われている古い杜らしい。 歴史的には、「いしだ」ではなく「いわた」だったようです。 そんな石田から、公家であった日野家ゆかりの地に続く、日野道を歩きます。 日野道が、奈良街道と交差する角に、二つの石柱。 左は、「乳薬師 日野法界寺」への道標です。 側面には、「三寶院 従是北十五町」とあり、奈良街道を左に行くと醍醐寺。 右の石柱には、「親鸞聖人日𡌛誕生院」とあります。 日野道を進むと、醍醐の山並みを背景に、火の見櫓が建つのど…

  • 日本で最も複雑な地下街で化石探し・大阪梅田

    今回は、ちょっと涼しい街歩きをしようと、大阪の梅田に来ました。 空調の効いた地下街で、壁や床面に潜む化石を探してみようという趣向です。 「化石」と聞くと、なぜか心がワクワクしてしまうのは、自分だけでしょうか。 実際の化石発掘は何度か経験しましたが、屋内での探索は初めてです。 JR、阪急、阪神、大阪メトロ3線の駅が集中する駅前には、メタリックで楽しい形状の、巨大な5本の梅田吸気塔。 都ホテルや日生劇場を手掛けた村野藤吾の設計で、1963(昭和38)年に建てられています。 このユニークな吸気塔は、下に広がる地下街の換気を担っているようです。 (「梅田地下街ダンジョン案内地図」より) 梅田の地下には…

  • 旧東海道線廃線跡を辿り大岩神社の異世界へ・京都市

    京都市の山科区小野を通る名神高速道路脇に、「日本で最初の高速道路 名神起工の地と旧東海道線山科駅跡」があります。 この地で日本初の高速道路建設が始められたのは、1958(昭和33)年のこと。 旧東海道線の廃線跡が活用できるため、旧山科駅跡から手を付けたのでしょう。 説明板にある地図を見ると、現在の東海道線と旧東海道線、そして名神高速道路の位置関係が良く分かります。 今の東海道線は、京都駅から2つのトンネルを抜けて、東の大津駅までほぼ直線。 これに対して旧東海道線は、京都駅から一旦南へ下り、東山を大きく迂回して大津駅へという遠回りルート。 青い色で示された名神高速道路は、迂回した旧東海道線の跡を…

  • 城とよばれた山科本願寺の寺内町を歩く② 内寺内・外寺内・南殿エリア

    京都市山科区には、遠く戦国の時代に、要塞化された山科本願寺がありました。 前回はその寺内町のうち、城で言うと本丸にあたる「御本寺」エリアで、当時の痕跡をたどりました。 norajirushi.hatenablog.com 今回は、その周囲にあった「内寺内(うちじない)」、「外寺内」と、蓮如の隠居所があった「南殿」エリアを歩きます。 二の丸にあたる「内寺内」エリアの北東角に、今は山科中央公園があります。 内寺内は、法主の家族や坊官の屋敷が並んでいた場所らしい。 この公園には、内寺内と外寺内を隔てた、大きな土塁がよく残っています。 土塁は、登れるように道が整備されていて、高さは7mほどもある。 土…

  • 城とよばれた山科本願寺の寺内町を歩く① 御本寺エリア

    京都市山科区には、戦国時代に「城」とよばれた山科本願寺がありました。 今回は、公家の日記にも「荘厳ただ仏国のごとし」と記録されながら、焼き討ちにより一夜にして消滅した寺内町の跡を歩きます。 渋谷西野道のT字路に、古い道標が立っています。 「右 蓮如上人御往生舊地」とあり、側面を見ると1797(寛政9)年に建てられたことが分かります。 山科では、このような蓮如関係の旧跡が、いたる所で見られます。 衰微していた浄土真宗本願寺教団を大教団にしたのが、本願寺8世で「中興の祖」と言われる蓮如。 延暦寺により大谷本願寺を破却されたため、近江・北陸での布教に転じた蓮如ですが、1483(文明15)年、山科に壮…

  • 雑喉場魚市跡と戦災の傷跡が残る堂島大橋・大阪市

    大阪メトロ中央線の阿波座駅から少し西へ歩くと、木津川の手前に「舊大阪府廳」の石柱が立っています。 ここは、1874(明治7)年に2代目大阪府庁舎がおかれた江之子島。 当時の庁舎は、中央にドームのある壮麗な洋風建築で、「江之子島政府」と呼ばれていたようです。 庁舎の大手前への移転後、建物は大阪府工業奨励館として利用されていましたが、戦災により焼失してしまいました。 石柱の後ろに建っているのは、庁舎移転後に建てられた大阪府工業奨励館附属棟。 1938(昭和13)年に竣工した、昭和初期のモダニズム建築です。 エントランス上部の照明。 道路を挟んで、大正期に建てられた大阪府官舎の木村家住宅主屋。 玄関…

  • 日本最古の「つるのはし」跡から鶴橋商店街の迷宮へ・大阪市生野区

    古代より渡来人との関りが深い、大阪市生野区へ来ました。 降りた駅は、JR大阪環状線の「桃谷」。 今日の目的地である「鶴橋」の、1つ南の駅になります。 桃谷駅前からは、東へアーケード商店街が続いています。 右手には串カツ屋さん、左手にはたこ焼き屋さん。 大阪らしい商店街です。 脇道には、「温泉通商店街」などという、魅力的な看板も。 途中で、猫間川筋と交差。 現在は暗渠化されていますが、かつては名前に猫がつく珍しい川が流れていました。 「高麗(こま)川」が訛って、猫間川になったようです。 約600m歩いて4つの商店街を過ぎると、やはりたこ焼き屋さんのあるアーケード東口へ。 すぐに出会うのが、大戦中…

  • 旧陸軍火薬製造所分工場跡と奈良街道・宇治市木幡周辺

    前回は、京都府宇治市の黄檗周辺にある、旧陸軍の火薬庫や火薬製造所跡を訪ねました。 今回は、北隣の木幡周辺を歩いてみます。 JR木幡駅です。 駅周辺には、宇治陵と呼ばれる、平安期に栄華を極めた藤原北家の陵墓が点在しています。 写真は、その総遥拝所でもある1号墳。 石碑には「藤原氏塋域(えいいき)」と書かれ、藤原道長の名前もあります。 大きな製茶場や、 長屋門の奥に洋館が残る旧家もありました。 そんな木幡駅のすぐ北側には、今は「木幡緑道」と呼ばれていますが、旧陸軍宇治火薬製造所木幡分工場への引込線跡が残されています。 説明板にある、地図に加筆してみました。 青く印をつけた2つの宇治火薬製造所のうち…

  • 旧陸軍の火薬製造所跡と移転させられた許波多神社・宇治市黄檗

    京都府宇治市の「黄檗(おうばく)」に来ました。 宇治では、京都と滋賀の府県境で旧東海道から分岐した奈良街道が、市域を南北に貫いています。 手前の奈良街道沿いの十字路に、上部に仏像を彫りんこんだ仏道標。 隣には、大正9年に設置された「宇治村道路元標」も並んでいます。 奈良街道と交差する道は、岡屋の津と黄檗山萬福寺を結ぶ道でもあり、この辺りはかつての交通の要衝だったのでしょう。 東へ進むと、中国文化の香りが漂う萬福寺総門に出会います。 棟の両端を飾るのは、鯱(しゃちほこ)ではなく、摩伽羅(まから)と呼ばれる想像上の動物。 黄檗宗は、江戸初期に中国の僧・隠元隆琦により伝えらた禅宗であり、萬福寺はその…

  • 安治川開削で分割された九条島と河底トンネル・九条から西九条へ

    前回から、大阪市西区の九条に来ています。 大阪メトロの九条駅から、戦前には「西の心斎橋」と呼ばれた九条商店街を、西に抜けてきました。 ところで、大阪には三条や四条がないのに、どうして「九条」という町があるのでしょうか。 諸説ありますが、大川(旧淀川)が海へ出るところに大きな中州があり、これを幕府の儒官であった林羅山が、「衢壌(くじょう 賑やかな地の意味)島」と名付けたのが始まりとのこと。 「衢壌」は、やさしい「九条」の文字に変わっていったようです。 キララ九条商店街を抜けた先には、「源兵衛渡」の交差点。 この交差点の向こうには、安治川が流れ、かつては渡し場がありました。 そして、この安治川です…

  • 脇道に風情を残すかつての「西の心斎橋」・九条商店街

    大阪市西区に、九条という町があります。 地下鉄なのに地上高くを走る大阪メトロ中央線で、「九条駅」に来ました。 駅の東西どちらにも商店街のアーケードが見えますが、まずは東側から。 「ナインモール九条」のアーケード西口があります。 メタリックで、ちょっと要塞を思わせるデザイン。 商店街入口の上の方には、「名門九条ОS」の電飾看板。 10年以上前に閉鎖された、オジサンたちの劇場のようです。 入口から、昔の面影を残しているのが、この商店街らしいのかも知れません。 (ナインモール九条のHPより) この写真は、戦前のナインモール商店街辺りの風景。 映画館や寄席、劇場なども多く、百貨店も軒を連ねて、「西の心…

  • 明治に拓かれた文化ゾーンと八ッ橋発祥の地・左京区岡崎界隈

    左京区の岡崎は、今の京都で観光地として賑わっている場所のひとつです。 しかし、東京遷都後の明治初期には、「狐狸の棲処(こりのすみか)」と呼ばれるほどに、田畑ばかりが広がる地域でした。 南禅寺の中を通る、美しい煉瓦造の水路閣。 京都を近代化するため、大工事を経て1890(明治23)年に完成した、琵琶湖疎水の一部です。 疎水により、この岡崎エリアで日本初の水力発電が始められ、京都の町を電気鉄道も走るようになりました。 七代目小川治兵衛作の名庭園で知られる、「明治の元勲」山縣有朋の別荘・無鄰菴。 疎水は、水流を利用した多くの庭園も、岡崎の地にもたらしています。 そんな岡崎を、三条神宮道から北へ歩いて…

  • 埋め立てられた蜆川と堂島界隈・大阪市北区

    あいにくの天候ですが、JR大阪駅前に来ました。 万博会場シャトルバスターミナルの建設が、始まっているようです。 広い曽根崎通と四ツ橋筋が交差する「桜橋」交差点。 曽根崎通の南側は、江戸時代には全国から米が運び込まれ、諸藩の蔵屋敷が建ち並んだ「堂島」になります。 今回は、この曽根崎通と少し南にある中之島に挟まれた、「堂島」を歩いてみようと思います。 少し南へ歩くと、「元 櫻橋 南詰」の碑。 大きな交差点の名前にもなっている桜橋ですが、橋はもちろんのこと、川の姿も今はありません。 すぐ近くには、「左 堂島薬師堂」の道標。 道標の示す方角には、「堂島」の名前の由来にもなっている、薬師堂がありました。…

  • 三津屋商店街と中国街道のヴォーリズ建築・神崎川から十三へ

    阪急神戸線の神崎川駅に、初めてふらりと来てみました。 大阪梅田駅から3つ目の小さな駅です。 土地勘はありませんが、すぐに「三津屋商店街」のアーケードに出会いました。 アーケードは、駅の西口から南方向へと続いているようです。 左手には、赤い装飾の沖縄料理店。 右奥には、ネパール料理店。 「スナック アリラン」。 「神崎川に在るキリストの集会所」の前には黒猫さん。 街猫なのでしょう、お腹まで出して撫でさせてくれました。 スタミナ食品の「宮里商店」。 店頭で焼いてくれるホルモン焼は、タレ味というよりは塩味ベースのようですが、おいしい。 カウンター上には、サーターアンダギーやスパムなど、沖縄らしい食品…

  • かつて上京と下京を繋いだ一本の道・室町通界隈

    ちょっと古い話ですが、応仁の乱により衰退した京都の町は、政治都市・上京と、商工業都市・下京の二つの町に分かれてしまったことがあります。 その時代に、上京と下京を繋いだ唯一の道が、室町通でした。 京都駅や京都タワーの北側にある東本願寺。 門前には、古そうな法衣店や、 400年以上続く念珠店などが並びます。 そんな東本願寺の北端を通る花屋町通から、室町通を北に向かって歩き出します。 応仁の乱後には京都のメインストリートだった室町通も、今見ると、このような細い通りです。 先ほどの写真の左手にある、「トユ 中村」の立体看板が、ちょっと面白い。 古い通りには、仁丹の琺瑯看板が良く似合います。 右上の住所…

  • 野漠の窪地と広大な長屋街の名残り・空堀商店街界隈

    前回訪問したばかりですが、また大阪市中央区にある空堀商店街に来てしまいました。 大阪大空襲で焼け野原となった大阪の中心部で、奇跡的に焼け残った空堀通にある、戦後すぐからの商店街です。 ここは上町台地の北西のへりですから、もともと大きな段差があるところ。 そして、大阪冬の陣までは、「空堀(からほり)」とも呼ばれる大坂城の大きな外堀、つまり凹みがあった場所です。 でも、この空堀は、冬の陣後の和議条件として徳川方により破壊され、埋められています。 その後、大阪城の再建時より、瓦土を採取するために200年以上も掘り続けた結果、「野漠(ノバク)の窪地」ができてしまいました。 空堀商店街周辺は、いくつもの…

  • 上町台地のへりとノバクの窪地・生玉寺町から空堀商店街へ

    大阪の町は平地のように思えますが、その真ん中には、北の大阪城から南の住吉大社に至る南北9km、東西2kmの上町台地が伸びています。 今回は、地下鉄の四天王寺前夕陽ヶ丘駅から、上町台地の北西のへりを歩いてみます。 駅西側にある真光院の門前には、「聖徳太子御直作 六万体地蔵尊安置」の石柱。 面する谷町筋にある「六万体」という面白いの交差点の名前は、ここから来ているようです。 このあたりから、少し西の通りに入ると、生玉寺町筋に出ます。 豊臣秀吉の時代から江戸時代にかけて形成された寺町には、道の両側にたくさんの寺院が軒を連ねます。 その中に、突如奇抜なデザインのファッションホテルが割り込んだりしている…

  • 古代からの面影を残す大阪の街・四天王寺周辺

    大阪で、古い時代の面影を最も残しているのではと思われる町に来ました。 大阪市営地下鉄谷町線の四天王寺夕陽ヶ丘駅です。 駅名にある四天王寺は、天王寺の地名の元になった古い寺院。 今回は、その四天王寺界隈を巡ります。 あっ、来年の大阪万博に備え、駅前の舗石を切り取ってミャクミャクマンホールに交換しましたね。 駅前を通る旧熊野街道。 電柱の陰の飛び出し坊やは、聖徳太子ですよ。 こちらは、「岩崎太子堂薬局」。 大峰山の開祖である役行者が製法を伝えたと言われ、胃腸に効くとても苦い生薬の陀羅尼助丸を扱っています。 袖うだつの上がる、釣鐘まんじゅうの「総本家 釣鐘屋」。 2階には、寺院のような火灯窓が並びま…

  • 旧造船所界隈にアートが氾濫する街・大阪北加賀屋

    大阪市営地下鉄四つ橋線の北加賀屋駅に来ました。 北加賀屋は、大阪市住之江区にあり、かつては造船業で栄えた町です。 駅前の歩道では、さっそく黄色く円らな瞳のあひるマンホール発見。 これは珍しい。 大阪市のマンホールは、通常、あひるの部分に大阪城が描かれているんですがね。 この可愛いあひる君は、何者なんだろう。 駅からは、大阪湾に注いでいる木津川河口方面に歩きます。 工場街を抜けると、古い大きな建物のコンクリート壁に描かれた、楽し気な壁画。 人も、不思議な生き物たちも、仲良く手をつないでいます。 建物のゲートに行きあたりました。 錆びが目立つ建物の屋上に、「名村船渠」の金網看板。 「船渠」って聞き…

  • 冥界との境を越えてゆく元五条通・京都松原通

    京都の町を東西につらぬく松原通は、近くの四条通や三条通と比べて、華やかな通りではありません。 しかし、豊臣秀吉が町を改造するまでは、この通りが本来の五条通でした。 かつては、平安京の五条大路であり、清水寺への参詣道としても賑わっていたようです。 新町松原にある松原道祖神社。 平安期の『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』にも登場する小さな道の神が、今もポツンと残っています。 長い間、通りを行き交う多くの人々の、旅の安全を願ってきたのでしょう。 今回は、ここから清水寺のある東に向かい、昔の旅人のように歩きます。 烏丸松原近くには、こちらも平安期から残る因幡薬師。 正しくは、平等寺という真言宗智山派の寺…

  • 酒蔵と練羊羹の街で看板を巡る・伏見区大手筋商店街界隈

    今回は、味わいのある看板を求めて、京都市伏見区の大手筋商店街へ来ました。 大手筋は、かつて豊臣秀吉が築いた伏見城の大手門から続いていた道です。 伏見城からの坂道を西へ下ってくると、京阪電車の踏切越しに見えてくるのは、大手筋商店街のアーケード。 商店街に入る前に、ちょっと周辺を見ておきます。 少し手前にある近鉄京都線の高架下には、こも被りをたくさん並べた伏見らしい居酒屋。 京阪本線と並行する京町通りには、古い和菓子店もあります。 木製看板には、「総本家 駿河屋 練羊羹」。 元をたどれば、1461(寛正2)年に「鶴屋」として創業した、練羊羹の元祖のお店です。 その後、紀州徳川家に随伴して本店が和歌…

  • 小さな百済大橋と駒川商店街・大阪東住吉区

    大阪市東住吉区にある駒川商店街は、天神橋筋商店街や千林商店街などと並ぶ、大阪を代表する商店街の一つです。 アーケードは、南北に540m、東西に190m続いているようです。 商店街の名前にもなっている駒川は、商店街の少し西側を南北に並行するように流れています。 そんな駒川に、「百済大橋」が架かっています。 でも、橋から見た駒川は、こんな狭い水路。 どうして、幅の狭いこの川に架かる橋が「大橋」なんだろう。 ちなみに、橋のある通りも百済大橋通と呼ばれています。 かつては川幅が広く、大きな橋が架かっていたのでしょうか。 よく分かりません。 駒川は、人工的な護岸工事が施されて水量も少ないですが、驚くべき…

  • 庚申街道と針中野の「なかのはり」・大阪東住吉区

    今回は、大阪市東住吉区にある近鉄針中野駅周辺を歩きます。 「針中野」とは、面白い駅名です。 しかも、駅周辺には鍼灸院や整骨院がやたらと多い。 針中野の「針」は、鍼灸の「鍼(はり)」と関係がありそうです。 針中野駅の少し東には、近鉄南大阪線と並行するように庚申(こうしん)街道が南北に通っています。 庚申街道は、日本の庚申信仰発祥の地といわれる四天王寺へと続く、庚申堂参りの古い道。 街道沿いには、旧家も残ります。 旧家の屋根には、珍しい亀の鬼瓦もありました。 住所表示には、しっかり「針中野」とあります。 街道沿いの中井神社。 901(延喜元)年に書かれた『日本三大実録』にも、摂津国の「田辺東社」と…

  • 幕府公認の薬種街で看板を訪ねる・京都二条通

    今回の看板を巡る小さな旅は、京都の二条通。 二条通は狭い通りですが、かつては政治都市・上京と商業都市・下京を分けた、京都にとって重要な通りでした。 鴨川に架かる二条大橋からのスタートです。 鴨川を越えると、右手に見えてくるのが、「貝葉書院」の木製看板。 貝葉(ばいよう)とは聞きなれない言葉ですが、古代インドなどで紙の無かった時代に、このヤシの一種の葉に経典などを書写していたらしい。 ということで、こちらは禅学書籍経典のお店。 1681(天和元)年に、一切大蔵経を専門に摺る書店として創業したようです。 実はこのお店、昨年までは軒上の看板とは別に、「大般若經古板再板版元」と書かれ、130年間も掲げ…

  • 京都の近代化産業遺産と咲き誇る桜・琵琶湖疎水

    桜が満開だったので、京都の蹴上方面から琵琶湖疎水沿いを東へ歩いてみることにしました。 琵琶湖疎水は、着工から5年の難工事を経て1890(明治23)年に完成し、現在では近代化産業遺産に認定されている水路です。 九条山にある旧御所水道ポンプ室前には、大津から来た観光用の「びわ湖疎水船」が停泊中。 背後には、琵琶湖疎水第3トンネルの東口が見えます。 写真では良く見えませんが、トンネル上部には、初代内大臣・三条実美による「美哉山河(うるわしきかなさんが)」の扁額があります。 旧御所水道ポンプ室は、御所へ疎水の水を防火用水として送る施設。 平屋の小さな施設ですが、手の込んだ造りで、竣工は1912(明治4…

  • 京都の「へそ」へと続く看板の道・六角通

    今回も、看板を巡る京都の小さな旅です。 歩くのは、三条通の一本南側にある六角通。 西木屋町から途切れながら西へと続く六角通ですが、今回は河原町あたりからスタート。 京都の「へそ」があると言われる、六角堂を目指します。 河原町から六角通に入ると、まもなく新京極のアーケードが見えてきます。 その左手に並ぶ、赤い提灯。 「日本一の鰻」を掲げる、「京極かねよ」です。 平たい出汁巻き卵でうな丼を覆った、きんし丼が名物。 明治創業のようですが、大正期の木造建築が今も残ります。 和紙の看板は、風雨にも晒され、良い感じの風合いを醸し出しています。 新京極のアーケードを越え、寺町京極商店街のアーケードも越えます…

  • 味わいのある看板を巡る・御池通から寺町を北へ②

    前回は、京都市中京区の寺町通にある商店街「寺町会」を、御池から二条まで北上しました。 今回は、この商店街を丸太町まで歩いて、味わいのある看板を探りたいと思います。 寺町二条にある、創業およそ100年の「熊谷道具處」。 この通りに多い、古美術のお店の一つです。 左から書き出している看板は、戦後のものと思われますが、なかなかの達筆です。 その北側には、和風建築が多いこの通りにあって、目立つ洋風建築の「村上開新堂」。 創業は、1907(明治40)年です。 正面に大きく、「村上開進堂菓舗」の切り文字看板。 昭和初期の木造建築で、アールがつけられたショーウインドウや大理石が、レトロさを醸し出しています。…

  • 味わいのある看板を巡る・御池通から寺町を北へ①

    今回も、京都で看板を訪ねて歩きます。 これまでも歩いて来た寺町通りを、もう少し北まで歩いてみます。 寺町御池の交差点。 まっすぐに続く細い通りが、寺町通です。 ここから丸太町通までの間に、アーケードはありませんが、「寺町会」という商店街が続きます。 戦中の強制疎開で広げられた御池通りを越えると、右手に工事が続く京都市役所が見えます。 市役所の正面玄関。 1927(昭和2)年に、「関西建築界の父」と呼ばれる武田五一の監修で建てられています。 塔屋があり、窓やバルコニーや壁面などあちらこちらに装飾が目立つ、役所としては珍しいネオバロック様式。 そして、ありました。 篆書体で「京都市役所」とあります…

  • 日本一長いアーケード商店街と天満駅裏界隈

    前回は、大阪市の北浜から天神橋筋を目指して歩きました。 今回は、いよいよ日本一長い天神橋筋商店街に入ります。 1丁目から始まるアーケード。 天神橋筋は、古くから大阪天満宮の表参道として栄えていたようです。 江戸時代には、天下の台所を支えた大坂三大市場の一つ天満青物市場や、寄席などの歓楽街として賑わっていたとのこと。 1.9kmの商店街ができたのが、明治初期。 アーケードが設置されたのが、1957(昭和32)年。 現在のアーケードの長さは南北2.6kmで、歩いて約40分かかります。 まずは、生そばの「天一更科」。 大阪らしく、出汁が利いていそうですね。 赤い切り文字で「萬(よろず)金物百貨」と書…

  • 北浜から日本一長い天神橋筋商店街へ

    今回は、大阪市にある京阪電車・北浜駅から、日本一長いと言われる天神橋筋商店街を目指して歩きます。 北浜と言えば、大阪の金融街。 地下の駅から出ると、すぐに大阪の経済発展に貢献した五代友厚の像。 その後ろには、存在感のある円筒形の大阪取引所。 長谷部竹腰建築事務所の設計です。 この建築は、1935(昭和10)年に竣工していますが、2004年に全面増改築されたさいにも、この円型エントランスホールは残されました。 大理石の床面には、天秤を表しているのでしょうか、アールデコ調の幾何学模様がデザインされています。 こちらもアールデコの、美しいステンドグラス。 残された街灯も、面白い。 道路を挟んで向かい…

  • 歴史と絡む老舗の木製看板・寺町通を三条から御池へ

    今回は、京都市中京区の寺町通を、三条から北に向かって看板を訪ねます。 アーケードのある、寺町通専門店会商店街の入口。 三条通と御池通の間にある、約200mほどの商店街です。 アーケード入口の右手には、矢田地蔵とよばれる矢田寺。 小さなお寺ですが、平安初期より続いています。 そのお隣は、「生そば常盤」。 上部の市松模様の壁に、切り文字看板で「善哉」とあるように、元々はぜんざい屋さんだったようです。 昭和の香りを感じる出で立ちですが、創業はさらに古く、1878(明治11)年とのこと。 蛍光灯が照らすショーケースには、年季の入ったサンプルが並びます。 商店街歩きを始めたばかりですが、風情に惹かれ、い…

  • 和菓子木型で縁どられた木製看板・京都姉小路通

    趣のある看板を訪ねて、歩き始めています。 今回は、京都市の三条通の一本北側の道である、姉小路通。 京の通り名数え唄にある、「丸、竹、夷、二、押、御池、姉、三、六角・・」に出てくる「姉」ですね。 姉小路通は、東は高瀬川にかかる姉小路橋から始まります。 ちなみに通り名は、「あねこうじ」とも言われますが、「あねやこうじ」と呼ばれることが多いようです。 姉小路橋の北西角には、「従是西 徳川時代対馬宗氏屋敷跡 付 桂小五郎寓居跡」の碑が建っていました。 西へ歩き、河原町通を越えます。 最初に出会ったのが、変体仮名で「生楚者゛」と書かれた切り文字看板。 「きそば」のお店のようですが、明らかに営業してはいま…

  • 時代を映し出す看板たち・京都寺町京極商店街

    前回から、趣を感じる看板を求めて、京都を歩いています。 今回は、繁華街である三条通と四条通を結ぶ、寺町京極商店街にやってきました。 最近は若者向けの新しいお店も増えてきましたが、まだまだ歴史のあるお店が点在する、落ち着いた商店街です。 寺町三条の角には、方位を示すきれいな舗石タイル。 その奥には、「寺町京極」の丸い提灯が見えます。 そして、手前左には、良い感じに古びた「牛肉 すき焼」の看板が。 京都を代表する高級すき焼き店の、「三嶋亭」。 創業は、1873(明治6)ということですから、牛鍋が広まった文明開化の時代です。 看板は、格子状の木枠に和紙を張ったもののようです。 二つの角には和紙を張ら…

  • 趣のある看板を訪ねて・京都三条通

    街歩きをしていて、気になるものの一つに看板があります。 特に好きなものが、趣のある年代物の木彫り看板。 そこで今回は、木製看板を中心として、古い看板を探して歩こうと思います。 京都の三条大橋から、西に向かってスタート。 大橋は、改修したばかりなので、高欄の檜はまだ白いままです。 さっそく大橋の西詰に、五色豆の「本家 船はしや」があります。 五色豆とは、砂糖の衣をまとった煎り豆に、5色の色をつけた京都の銘菓。 1905(明治38)年創業以来、今も店の奥で五色豆を作っているそうです。 瓦葺の庇の上に、「京都名産 五色豆 舩はしや」の木製看板がありました。 小さな屋根が付けられた、風情のある厚い一枚…

  • 「打出」と「小槌」の宝寺と大山崎山荘美術館

    大阪府との境にある、京都府大山崎町に来ました。 訪れるのは、昨年の夏以来です。 norajirushi.hatenablog.com 阪急大山崎駅のすぐ北側を通る西国街道から、天王山に向かいます。 古い民家の間を抜け、天王山に向かう小路。 角に、「銭原山寶寺」の石柱があります。 「宝寺」は通称で、正式には宝積寺(ほうしゃくじ)。 奈良時代に行基が建立したことに始まる、古いお寺です。 この石柱では山号が「銭原山」となっていますが、現在は「天王山」を名乗っているようです。 小路を抜け、JR京都線の広い踏切を渡ります。 正面の山が、天王山。 踏切を越えると、天王山登り口。 宝寺は、天王山の中腹にあり…

  • 旭通商店街とアサヒビール発祥の地・大阪府吹田市

    大阪府にある吹田市といえば、万博公園や千里ニュータウンのような、緑豊かな丘陵地ばかりをイメージしてしまいます。 でも、それは吹田をよく知らない私のような人間の、勝手な思い込み。 吹田にも、下町感が漂う街はありました。 JR吹田駅に直結する、サンクス1番館。 飛び掛かるゴリラに注意が必要な2番館。 駅前商店街のうち、吹田サンクス名店会だけはビルの中。 ここから南側の朝日町周辺には、いくつもの商店街が拡がります。 すぐに、中通商店街のゲート。 ほとんど読めなくなった商店街名。 昭和感のある民家の前を、細い通りが続きます。 ペットショップは、「鳥獣店」でした。 ここは吹田市。 マンホールの中央には、…

  • 教会のような病院と梅田駅跡、そして中津商店街

    阪急電車は、大阪梅田終点に到着するまぎわ、国道176号線と並走します。 国道の右後ろに、阪急電車の小豆色ボディが少し見えています。 ここに、阪急電車の中から見ると、美しい教会に見える建物があります。 丸い塔屋の上にあるのは、どう見ても十字架・・・ ではなくて、十字に組まれた避雷針のようです。 この建築は、教会ではなく、1935(昭和10)年竣工の済生会中津病院。 設計は、朝鮮や旧満州、静岡などで多くの公共建築を手がけた中村與資平。 現在の建物は、2002(平成14)年に一旦解体され、復元されたものです。 大きな車寄せの上は、バルコニーになっています。 車寄せ上部と、バルコニーの意匠。 エントラ…

  • 急傾斜地に建つF.L.ライトの名建築・芦屋川

    兵庫県芦屋市にある阪急電鉄芦屋川駅から、少し北に来ました。 芦屋川に架かる、開森橋です。 橋の東詰めからは、右奥に道が登っていきます。 坂道の起点には、「愛称名 ライト坂」の木の看板。 今日は、「近代建築の三大巨匠」のひとり、フランク・ロイド・ライト設計の旧山邑(やまむら)家住宅に向かいます。 この住宅は、灘の酒造会社・櫻正宗八代目当主の別邸として建てられています。 坂を登り始めると、左手の木の向こうに、ベージュ色の建物が見えてきます。 すごいものを見つけました。 旧山邑家住宅の敷地を示すフェンスの手前には、「急傾斜地崩壊危険区域」の看板と標柱が立っています。 知事の許可なく形状変更ができない…

  • 魚屋道と浜沿いのヴォーリズ建築・神戸市深江

    阪神電車で、神戸市灘区にある深江駅に来ました。 駅舎は船をイメージした設計で、この地域の海とのつながりを感じさせてくれます。 そもそも、「深江」という地名は、深い入り江といった意味ですよね。 実際、江戸時代から昭和40年代まで、深江は帆を立てた多くの打瀬船が停泊する、漁業の村でした。 駅舎の下を通る道路を少し海側へ進むと、道路沿いに「魚屋道(ととやみち)」の碑があります。 魚屋道は、江戸初期より続いた、深江から六甲最高峰を越え、有馬温泉に通じる山越ルートの交通路。 幕府が定めた正規の街道ではありませんが、遠回りを嫌う人々は、この道を利用して魚を有馬温泉に運んだようです。 すぐ横の、東西に交差す…

  • 摩耶山麓のレトロな建築と山頂夜景

    前回からの続きです。 神戸市灘区の水道筋商店街にある、魅惑的な串カツ一燈園さん。 その前の通りから北を見ると、向こうに摩耶山が少し見えています。 今日は、目の前の坂を登り、この山の頂を目指します。 まっすぐに坂を進むと、左手に小学校。 神戸市立摩耶小学校です。 公立の小学校には珍しい、優美なデザインのエントランス。 尖頭アーチ窓が並び、 その上部には、美しいステンドグラスが配されています。 もとは、1929(昭和4)年に、神戸市立西灘第三尋常小学校として開校しています。 設計は、阪神間モダニズムを代表する建築家のひとり、古塚正治。 宝塚ホテルや六甲山ホテルも手掛けています。 改修は施されていま…

  • 王子公園に残る洋館と水道筋商店街の路地奥

    阪急電鉄で、神戸市灘区にある王子公園駅に来ました。 駅の西側に、紅葉した王子公園の木々が見えます。 公園のメインは、やはり神戸市立王子動物園。 ジャイアントパンダは、体調管理のために見ることができませんでしたが、レッサーパンダは元気です。 カバくんが、ゆったりと水に浮かんでいたりもします。 遊園地の背後には、摩耶山。 そんな動物園の一角に、裏葉色の瀟洒な洋館が保存されています。 重要文化財に指定されている、木骨煉瓦造の旧ハンター住宅。 もともとは、1889(明治22)年頃、ドイツ人のA・グレッピーがイギリス人技師に依頼し、異人館の多い北野町に建てたもののようです。 これを、イギリス人商人である…

  • 伏見街道のインクラインと河川港跡・墨染から中書島

    京と伏見をむすぶ「伏見街道」に沿って、前回は起点の五条から、中間点の藤森までをたどりました。 今回は、後半として、墨染から終点である河川港・中書島までを見ていきます。 墨染の交差点。 右奥の藤森方面から来た伏見街道は、ここで直角に曲がり、墨染通に入ります。 すぐに差しかかるのが、これまでは街道と並行して流れてきた鴨川運河。 墨染桜の伝説で知られる、墨染寺(ぼくせんじ)があります。 墨染通と師団街道が交差するところで、伏見街道は南へ左折。 師団街道は、軍都伏見を南北につないだ道路です。 すぐ左手には欣浄寺。 小野小町を愛した、深草少将の邸宅跡と言われています。 あまり知られてはいませんが、江戸中…

  • 伏見街道の石橋と軍都の名残り・五条から藤森

    京と伏見の町を南北につなぐ「伏見街道」は、大和街道などとも呼ばれています。 今回は、かつての京都における動脈の一つであったこの街道を、北の端からたどってみようと思います。 まずは、その前半として、中間地点の藤森を目指します。 鴨川より少し東側の五条通。 五条通と交差する本町通が、ここから南に向けて続いています。 この場所が、伏見街道の起点。 街道の終点は、城下町伏見の南端にある中書島になります。 現在は、一方通行の狭い道。 南へ進むと、すぐ左手に、豊臣秀吉を神として祀る豊国神社の鳥居。 かつて秀吉が、巨大な方広寺大仏殿を築いたところです。 鳥居の前には、耳塚。 文禄・慶長の役で秀吉軍が朝鮮半島…

  • 五条楽園跡のタイルと河井寛次郎記念館・陶器の道を歩く

    京都市の東部、五条大橋東詰にある京阪電車の清水五条駅です。 後方に、清水寺のある東山を望みます。 東に向けてゆるやかに登るこの先の道は、五条坂。 清水焼の窯元や陶器店が軒をつらねています。 五条坂を登る前に、ちょっと寄り道。 五条大橋西詰を高瀬川に沿って少し南へ歩くと、サウナの梅湯さんがあります。 この周辺は、かつて五条楽園とよばれた旧遊郭街。 唐破風のついた妓楼建築が、いくつか残されています。 戦後は、洋風の「カフェー建築」も多く建てられ、たくさんの美しいタイルを見ることができる場所でもあります。 少し、ここで陶磁器であるタイルを見ていきます。 今は、おしゃれなレストランになっている建物の2…

  • 琵琶湖畔の宿場町とレトロな建築・大津市

    滋賀県の大津湖岸なぎさ公園に来ました。 琵琶湖に面して、大きな「石場の常夜燈」があります。 1845(弘化2)年に建てられ、高さは8.4m。 近くから移設されてはいますが、琵琶湖を渡る舟の目印に使われていたものです。 常夜燈の基壇に刻まれた当時の船仲間の名前には、大阪や、阿州(徳島)、尾州(愛知)などとあります。 ここが、かつて水上交通の要衝であったことがわかります。 少し南側には、旧東海道と宿場町。 琵琶湖の水運で運ばれた物資は、東海道を通り、京都に運びこまれていました。 こちらは、格子や虫籠窓のある北川家住宅主屋。 大津に残る、最大規模級の町屋です。 古い町家の前に、石碑がありました。 「…

  • 鴨川を遡行して眺める橋と建築②・三条から出町へ

    京都市の東部を流れる、美しい鴨川。 前回は、この川を七条大橋から四条大橋までさかのぼり、橋やレトロな建築を眺めました。 今回は、その続きとして、三条大橋から出町橋までを見ていきます。 三条大橋を、南から見ました。 三条大橋は、かつて江戸の日本橋を起点とする東海道の終点でした。 このため、鴨川に数ある橋の中で、五条大橋とともに幕府直轄の公儀橋でもありました。 今も、ヒノキの欄干が使用され、青銅の擬宝珠(ぎぼし)が残ります。 橋のたもとには、『東海道中膝栗毛』の主人公、弥次さん喜多さんの像が立っていたりします。 橋の西詰を少し下がったところに、外壁全体がタイルで覆われ、八角形や六角形の窓がある、目…

  • 鴨川を遡行して眺める橋と建築①・七条から四条へ

    京都盆地の東部を、南へと流れる鴨川。 今回は、風光明媚なこの川をさかのぼりながら、橋やレトロな建築を見ていこうと思います。 七条大橋からスタートします。 明治末から開始された京都市三大事業の一環として架け替えが進められ、1913(大正2)年に開通しています。 鉄筋コンクリートのアーチ橋で、鴨川にたくさん架かる橋のうち、唯一明治期の意匠を残している最古の橋です。 東詰の親柱は新しいものですが、西詰には竣工当初のものが残ります。 高欄のデザインは、矢車模様。 これは、1987(昭和62)年に改修されたものですが、ほど近い三十三間堂の通し矢がイメージされているようです。 橋の北側には、イギリス積みの…

  • 屋上には中央大通、地下にはメトロの駅4つ~大阪らしい船場のビルを訪ねる~

    大阪の街には、雑多なものを包み込む寛容さを感じます。 今回は、そんな大阪らしい船場のすごいビルを中心に見ていきます。 船場センタービルの1号館。 上部に阪神高速道路や中央大通の高架が見えますが、その下部の1階部分がビルになっています。 このビルは、場所により2階建て、3階建てと高くなり、 最も高い部分は地上4階建て。 地下は2階まであり、大阪メトロの3路線・4駅と直結しています。 ビルの上も下も大賑わいで、「ごった煮の街」・大阪らしさ満載です。 南北に横切る道路によって途切れるため、1号館から10号館までに一応分けられてはいますが、 地下では、このように繋がっています。 東西に伸びた商業施設の…

  • 旧芥川宿とイスラム調のヴォーリズ建築・高槻市

    JR京都線で、大阪府にある高槻駅へ来ました。 北口を出て少し北西に歩くと、ちょっと懐かしい雰囲気の商店街があります。 ゲートには、芥川商店街とあります。 高槻市内で最も古く、昭和初期から形成されてきた商店街のようです。 アーケードの長さは、東西約200m。 入口を入ると、左手に「のり・しいたけ・味付のり製造販売店」の看板。 でも、店頭に並んでいる商品は、手編みの帽子や手づくり小物。 おもしろいですね。 1939(昭和14)年創業の、古い花屋さんの本店も。 字体が、いにしえ感を醸し出しています。 昔ながらの商店街には、よくある煙草屋さん。 カフェの隣では、社交ダンスもやっています。 表はおしゃれ…

  • 戦災をまぬかれたモダン建築パラダイス・大阪中之島

    京阪電車中之島線で、大阪市北区にある渡辺橋駅に来ました。 堂島川と土佐堀川にはさまれた中之島は、大阪市役所や中央公会堂などのある大阪市の中枢であるとともに、水の都・大阪を代表する美しい中州です。 かつて戦災によって焼野原となった大阪ですが、中之島は東側半分以上が空襲をまぬかれたため、美しい建築が保存されている地区でもあります。 渡辺橋駅を出て西へ行くと、すぐに出会うのがダイビル本館。 もともとは、大阪商船(現商船三井)の本社ビルでした。 外壁をスクラッチレンガで覆われているため、一見地味にも見えますが、中之島のシンボルとなってきたビルです。 細部に目をやると、仕事の繊細さがわかります。 竣工は…

  • 「白砂が積もる白川」を志賀越道からたどる・京都市

    京都に、白川という川があります。 比叡山麓から生じ、東山近くを北から南へと向かう、ささやかな流れです。 下流のこの風景をみれば、ドラマや映画で良く使われるあの川かと、思い出していただけるかも知れません。 この川は、その名のとおり、川底の白さが特徴の浅い川です。 今回は、上流域にある北白川付近から、白川の流れをたどってみます。 左京区の北白川別当から御影通を東に進むと、南北に走る志賀越道に突きあたります。 志賀越道は、山中越ともよばれ、比叡山の山並を越える街道。 T字路の北西角にある道標には、「右 阪本道」とあります。 志賀越道は、滋賀県の坂本に通じています。 少し東に入ると、北白川宮智成親王墓…

  • 滑石越で山科から九条湯カフェへ・京都市

    良い天気なので、京都市の山科盆地から自転車で東山を越え、南区にある九条湯カフェを目指します。 途中、10月に西京区から京都駅東側に移転予定の、京都市立芸術大学の様子も見てみようと思います。 滑石新大石道の交差点。 山科盆地から京都盆地に入るには、三条通り、五条通り、大岩街道などのルートがありますが、もっとも道が狭く交通量も少ないのが滑石越(すべりいしごえ)です。 右側の道が、忠臣蔵で知られる大石内蔵助の隠棲地に通じる新大石道。 左側の道が、滑石越になります。 道沿いには、旧家も残ります。 登り坂を少し進むと、漂う甘い香り。 香木?と思っていたら、 漢方薬を製造しておられる、池田薬刻さんの工場で…

  • かつてのメインストリートに建ち並ぶ近代建築群・京都三条通②

    前回から、京都で近代建築が数多く見られる三条通へ来ています。 寺町三条をスタートし、烏丸三条周辺を目指して西へ進んでいるところです。 高倉三条の北西角に、煉瓦造の重厚な旧日本銀行京都支店がありました。 現在は、京都文化博物館の別館として公開されています。 赤い煉瓦に、白い石の横線。 設計は、おなじみの巨匠・辰野金吾ですね。 実質的には、弟子の長野宇平治が設計を担当したようです。 竣工は、1906(明治39)年。 壮麗な、正面のデザイン。 屋根から突きでた、銅板を用いたドーマー窓。 壁面の意匠。 重厚な木の柱と天井。 屋根上のドーマー窓からの採光が、美しい。 隅々まで細やかに手が加えられています…

  • かつてのメインストリートに建ち並ぶ近代建築群・京都三条通①

    今、京都の東西の通りでメインストリートにあたるのは、大丸京都店や京都高島屋があり祇園にもつながる四条通ではないでしょうか。 しかし、明治末に四条通の幅が広げられて市電が開通するまでのメインストリートは、銀行などが建ち並ぶ三条通でした。 寺町三条に来ました。 右奥へと続く今も狭い通りが、三条通。 ここから西へ歩きます。 すぐ左手に、何やらおしゃれなデザインのビルが見えてきます。 現在は「1928ビル」とよばれている、旧毎日新聞社京都支局のビルです。 もちろん竣工は、現在のビル名にもなっている1928(昭和3)年。 三条通に並ぶレトロビルとしては、新しいものです。 御幸町通側から見ました。 横に何…

  • 湧水のある高架下商店街と清水栄二の建築・神戸御影

    阪神電車で、酒どころでもある神戸市東灘区に来ました。 御影駅の駅前には、「澤之井の地」と書かれた碑があります。 ただの石碑ではなく、碑の上部からは水が湧いています。 駅を南側に出て阪神電車の高架下を覗くと、きれいに整備された「沢の井」も。 御影郷は、酒造地である灘五郷のひとつ。 六甲山の花崗岩をくぐってきた伏流水は、酒造に向いた硬水に近い水です。 豊富にたたえられた澄んだ水を見ていると、ここが街中の、しかも高架下であることを忘れてしまいます。 駅前に戻ると、最初の碑の後方に、高架下の商店街・「御影市場」の入口。旨い水がある市場ということでしょう、「旨水館(しすいかん)」とも呼ばれています。 入…

  • 中世の灯りを支配した小さな町と山荘美術館・京都大山崎

    大阪府との境に近い京都府大山崎町に来ました。 こじんまりとしたJR山崎駅。 後方の山は、天王山になります。 駅前には、「天下分け目の天王山 山崎合戦のまち」との碑もありました。 少し西側には、「山崎駅跡」の説明版と発掘調査跡も。 この「山崎駅」は、JRの駅のことではなく、古代の官道におかれ馬や働き手が用意された施設のこと。 古代の人馬の駅と、現在の鉄道の駅が、ほぼ同じ場所にあるようです。 さらに少しだけ西へ行くと、「従是東山城國」の道標があります。 これより東は山城の国。 ここまでが京都府です。 道標の西側は、大阪府島本町。 当時の、摂津国になります。 大阪側にある最初の建物が、関大明神社。 …

  • 江戸時代の町場を今にうけつぐ商店街・豊中市岡町

    阪急宝塚線で、大阪府豊中市にある岡町駅に来ました。 東口を出ると、駅に面したところから、もう岡町商店街が始まっています。 背後から神社のクスノキが、覆いかぶさるように伸びています。 商店街のすぐ横には、ユニークな形状の石碑。 基壇部には、「江戸時代の町場 岡町」と記されています。 説明文によると、原田神社の門前町である岡町は、能勢街道と伊丹街道が交わる交通の要衝であり、江戸時代には大坂町奉行所直轄の町場となって、商業の町として賑わったようです。 おはこまんじゅうのお店や、 懐かしい「ねじりんぼう」のある理髪店、そのむこうにはジャズ喫茶。 すぐに岡町商店街のアーケード入口。 豊中市役所につながる…

  • 元キリスト教会のカフェとムスリムモスク・神戸中央区

    国際色の豊かさがみなぎる港町神戸に来ました。 阪神電鉄神戸三宮駅と春日野道駅のあいだに、旧西国街道の石碑があります。 ここから今回はスタートします。 石碑のすぐ前に、黄色い良く目立つ「大安亭(おおやすてい)市場」の看板があります。 市場のアーケードは、JRと阪急の二つの高架が並ぶあたりまで続く南北約250m。 「大安亭」とは、明治にあった浪花節小屋の名前のようです。 入ってすぐ右手の精肉店。 朝一番の訪問でしたが、「和牛あごすじ」、「和牛バサ(肺の神戸での呼び方)」、「ボイルアキレス」と、ディープ感のある部位がたっぷり並んでいます。 イスラム教徒が食べることを許されているハラルフードのお店。 …

  • 昔の水路と共存する街道の商店街・寝屋川市

    京阪電車で寝屋川市駅に来ました。 駅前を寝屋川が流れています。 さほど広い川ではありませんが、市の名前になっているくらいですから、この地域にとっては重要な役割を果たしてきたのでしょう。 寝屋川にかかる外島橋を渡ると、すぐにアーケード商店街になります。 「ベルおおとし」と書かれたカラフルな東口ゲート。 このネーミングは、どこからきているのでしょうね。 この商店街は、東隣の交野(かたの)市から来ている交野街道に沿ってあります。 商店街に入ってまもなく、南側の鉄板焼き屋さんとブティックの間になにやら隙間が。 下っていく階段があり、向こうに緑が見えているとあれば、行かない手はありません。 先ほどの寝屋…

  • 大阪にもある旧居留地の名残り・西区川口

    幕末以降の日本が、安政の五カ国条約によって外国人居留地を開いた都市としては、横浜や神戸、長崎が良く知られています。 しかし、東京とともに大坂にもまた、居留地は置かれました。 今回は、大阪市西区川口に残された、旧居留地の跡を訪ねてみます。 大阪メトロ阿波座駅を降りて、本町通り沿いに西へ向かいます。 途中、「ざこばばし」と彫られた、橋の親柱が残っています。 雑喉場(ざこば)とは、天満の青物市、堂島の米市とならぶ魚市があったところです。 大坂は、水の都であり、八百八橋と呼ばれたほどに橋が多かった町。 ここには百間堀川に架けられた雑喉場橋がありました。 すぐ左手の江之子島には、明治から大正にかけてドー…

  • 忘れられた首都・伏見城の遺構をたどる②

    前回は、豊臣秀吉と徳川家康の時代に政治首都であった京都伏見の町で、伏見城の遺構をたどりました。 今回は、その城下町を見てみます。 木幡山伏見城の大手門から西へつづく大手筋。 そこにある大手筋商店街のアーケード内から、城の方面を望みます。 城の方面から商店街にかけて、道が下ってきています。 商店街東口を出てすぐのところには、桃山断層が南北に走っています。 本来は、断層による段差があったと思われるのですが、道は平らにならされています。 豊臣秀吉による土木工事のなせる業なのでしょうか。 当然のことなのでしょうが、桃山断層より東側の城に近い高台には、大名屋敷が並びました。 今でも、屋敷を構えた大名の名…

  • 忘れられた首都・伏見城の遺構をたどる①

    京都にある伏見の町です。 あちこちに酒蔵が並んでいます。 伏見の町は、現在では京都市伏見区となっていますが、近世においては豊臣秀吉によって整備された京都の南隣にある城下町でした。 伏見の城では、豊臣秀吉が1591(文禄元)年から没する1598(慶長3)年まで、ここで全国を統治しています。 また見落とされがちですが、秀吉のあとに権力を握った徳川家康もこの城で将軍宣下を行い、1607(慶長12)年に駿府城に移るまでこの城を居城としました。 明らかにこの期間、伏見は日本の政治首都だったわけですが、そのことは多くの場合忘れ去られています。 これには、当時の伏見城の天守や櫓はもちろん、そのままの姿で残る…

  • 駅をつらぬく大樹と超レトロ商店街~寝屋川市萱島~

    こんにちは、のら印です。 京阪電車に乗って、寝屋川市にある不思議な駅に来てみました。 寝屋川市駅のおとなり、萱島駅です。 2階のホームに降り立つと、目の前に大クスノキが。 ホーム下から伸びてきて、さらに上の天井を突き抜けています。 非日常的な、ちょっと楽しくなる光景。 大きな木を店内に取り込んだお店は、まれに見ることがありますが、駅でこのような光景は初めてです。 駅を出て、木が地面から生えているところを確認します。 ホームの下には神社がありました。 萱島神社です。 「萱島流作新田」とよばれたこの一帯の鎮守として、1787(天明7)年に創建されたそうです。 この神社の御神木として大クスノキはそび…

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