野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ。商店街を歩いたり、近代建築を眺めたり、旧街道をたどったり、ふらふらすることが大好きです。
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大阪市東住吉区にある駒川商店街は、天神橋筋商店街や千林商店街などと並ぶ、大阪を代表する商店街の一つです。 アーケードは、南北に540m、東西に190m続いているようです。 商店街の名前にもなっている駒川は、商店街の少し西側を南北に並行するように流れています。 そんな駒川に、「百済大橋」が架かっています。 でも、橋から見た駒川は、こんな狭い水路。 どうして、幅の狭いこの川に架かる橋が「大橋」なんだろう。 ちなみに、橋のある通りも百済大橋通と呼ばれています。 かつては川幅が広く、大きな橋が架かっていたのでしょうか。 よく分かりません。 駒川は、人工的な護岸工事が施されて水量も少ないですが、驚くべき…
今回は、大阪市東住吉区にある近鉄針中野駅周辺を歩きます。 「針中野」とは、面白い駅名です。 しかも、駅周辺には鍼灸院や整骨院がやたらと多い。 針中野の「針」は、鍼灸の「鍼(はり)」と関係がありそうです。 針中野駅の少し東には、近鉄南大阪線と並行するように庚申(こうしん)街道が南北に通っています。 庚申街道は、日本の庚申信仰発祥の地といわれる四天王寺へと続く、庚申堂参りの古い道。 街道沿いには、旧家も残ります。 旧家の屋根には、珍しい亀の鬼瓦もありました。 住所表示には、しっかり「針中野」とあります。 街道沿いの中井神社。 901(延喜元)年に書かれた『日本三大実録』にも、摂津国の「田辺東社」と…
今回の看板を巡る小さな旅は、京都の二条通。 二条通は狭い通りですが、かつては政治都市・上京と商業都市・下京を分けた、京都にとって重要な通りでした。 鴨川に架かる二条大橋からのスタートです。 鴨川を越えると、右手に見えてくるのが、「貝葉書院」の木製看板。 貝葉(ばいよう)とは聞きなれない言葉ですが、古代インドなどで紙の無かった時代に、このヤシの一種の葉に経典などを書写していたらしい。 ということで、こちらは禅学書籍経典のお店。 1681(天和元)年に、一切大蔵経を専門に摺る書店として創業したようです。 実はこのお店、昨年までは軒上の看板とは別に、「大般若經古板再板版元」と書かれ、130年間も掲げ…
桜が満開だったので、京都の蹴上方面から琵琶湖疎水沿いを東へ歩いてみることにしました。 琵琶湖疎水は、着工から5年の難工事を経て1890(明治23)年に完成し、現在では近代化産業遺産に認定されている水路です。 九条山にある旧御所水道ポンプ室前には、大津から来た観光用の「びわ湖疎水船」が停泊中。 背後には、琵琶湖疎水第3トンネルの東口が見えます。 写真では良く見えませんが、トンネル上部には、初代内大臣・三条実美による「美哉山河(うるわしきかなさんが)」の扁額があります。 旧御所水道ポンプ室は、御所へ疎水の水を防火用水として送る施設。 平屋の小さな施設ですが、手の込んだ造りで、竣工は1912(明治4…
今回も、看板を巡る京都の小さな旅です。 歩くのは、三条通の一本南側にある六角通。 西木屋町から途切れながら西へと続く六角通ですが、今回は河原町あたりからスタート。 京都の「へそ」があると言われる、六角堂を目指します。 河原町から六角通に入ると、まもなく新京極のアーケードが見えてきます。 その左手に並ぶ、赤い提灯。 「日本一の鰻」を掲げる、「京極かねよ」です。 平たい出汁巻き卵でうな丼を覆った、きんし丼が名物。 明治創業のようですが、大正期の木造建築が今も残ります。 和紙の看板は、風雨にも晒され、良い感じの風合いを醸し出しています。 新京極のアーケードを越え、寺町京極商店街のアーケードも越えます…
前回は、京都市中京区の寺町通にある商店街「寺町会」を、御池から二条まで北上しました。 今回は、この商店街を丸太町まで歩いて、味わいのある看板を探りたいと思います。 寺町二条にある、創業およそ100年の「熊谷道具處」。 この通りに多い、古美術のお店の一つです。 左から書き出している看板は、戦後のものと思われますが、なかなかの達筆です。 その北側には、和風建築が多いこの通りにあって、目立つ洋風建築の「村上開新堂」。 創業は、1907(明治40)年です。 正面に大きく、「村上開進堂菓舗」の切り文字看板。 昭和初期の木造建築で、アールがつけられたショーウインドウや大理石が、レトロさを醸し出しています。…
今回も、京都で看板を訪ねて歩きます。 これまでも歩いて来た寺町通りを、もう少し北まで歩いてみます。 寺町御池の交差点。 まっすぐに続く細い通りが、寺町通です。 ここから丸太町通までの間に、アーケードはありませんが、「寺町会」という商店街が続きます。 戦中の強制疎開で広げられた御池通りを越えると、右手に工事が続く京都市役所が見えます。 市役所の正面玄関。 1927(昭和2)年に、「関西建築界の父」と呼ばれる武田五一の監修で建てられています。 塔屋があり、窓やバルコニーや壁面などあちらこちらに装飾が目立つ、役所としては珍しいネオバロック様式。 そして、ありました。 篆書体で「京都市役所」とあります…
前回は、大阪市の北浜から天神橋筋を目指して歩きました。 今回は、いよいよ日本一長い天神橋筋商店街に入ります。 1丁目から始まるアーケード。 天神橋筋は、古くから大阪天満宮の表参道として栄えていたようです。 江戸時代には、天下の台所を支えた大坂三大市場の一つ天満青物市場や、寄席などの歓楽街として賑わっていたとのこと。 1.9kmの商店街ができたのが、明治初期。 アーケードが設置されたのが、1957(昭和32)年。 現在のアーケードの長さは南北2.6kmで、歩いて約40分かかります。 まずは、生そばの「天一更科」。 大阪らしく、出汁が利いていそうですね。 赤い切り文字で「萬(よろず)金物百貨」と書…
今回は、大阪市にある京阪電車・北浜駅から、日本一長いと言われる天神橋筋商店街を目指して歩きます。 北浜と言えば、大阪の金融街。 地下の駅から出ると、すぐに大阪の経済発展に貢献した五代友厚の像。 その後ろには、存在感のある円筒形の大阪取引所。 長谷部竹腰建築事務所の設計です。 この建築は、1935(昭和10)年に竣工していますが、2004年に全面増改築されたさいにも、この円型エントランスホールは残されました。 大理石の床面には、天秤を表しているのでしょうか、アールデコ調の幾何学模様がデザインされています。 こちらもアールデコの、美しいステンドグラス。 残された街灯も、面白い。 道路を挟んで向かい…
今回は、京都市中京区の寺町通を、三条から北に向かって看板を訪ねます。 アーケードのある、寺町通専門店会商店街の入口。 三条通と御池通の間にある、約200mほどの商店街です。 アーケード入口の右手には、矢田地蔵とよばれる矢田寺。 小さなお寺ですが、平安初期より続いています。 そのお隣は、「生そば常盤」。 上部の市松模様の壁に、切り文字看板で「善哉」とあるように、元々はぜんざい屋さんだったようです。 昭和の香りを感じる出で立ちですが、創業はさらに古く、1878(明治11)年とのこと。 蛍光灯が照らすショーケースには、年季の入ったサンプルが並びます。 商店街歩きを始めたばかりですが、風情に惹かれ、い…
趣のある看板を訪ねて、歩き始めています。 今回は、京都市の三条通の一本北側の道である、姉小路通。 京の通り名数え唄にある、「丸、竹、夷、二、押、御池、姉、三、六角・・」に出てくる「姉」ですね。 姉小路通は、東は高瀬川にかかる姉小路橋から始まります。 ちなみに通り名は、「あねこうじ」とも言われますが、「あねやこうじ」と呼ばれることが多いようです。 姉小路橋の北西角には、「従是西 徳川時代対馬宗氏屋敷跡 付 桂小五郎寓居跡」の碑が建っていました。 西へ歩き、河原町通を越えます。 最初に出会ったのが、変体仮名で「生楚者゛」と書かれた切り文字看板。 「きそば」のお店のようですが、明らかに営業してはいま…
前回から、趣を感じる看板を求めて、京都を歩いています。 今回は、繁華街である三条通と四条通を結ぶ、寺町京極商店街にやってきました。 最近は若者向けの新しいお店も増えてきましたが、まだまだ歴史のあるお店が点在する、落ち着いた商店街です。 寺町三条の角には、方位を示すきれいな舗石タイル。 その奥には、「寺町京極」の丸い提灯が見えます。 そして、手前左には、良い感じに古びた「牛肉 すき焼」の看板が。 京都を代表する高級すき焼き店の、「三嶋亭」。 創業は、1873(明治6)ということですから、牛鍋が広まった文明開化の時代です。 看板は、格子状の木枠に和紙を張ったもののようです。 二つの角には和紙を張ら…
街歩きをしていて、気になるものの一つに看板があります。 特に好きなものが、趣のある年代物の木彫り看板。 そこで今回は、木製看板を中心として、古い看板を探して歩こうと思います。 京都の三条大橋から、西に向かってスタート。 大橋は、改修したばかりなので、高欄の檜はまだ白いままです。 さっそく大橋の西詰に、五色豆の「本家 船はしや」があります。 五色豆とは、砂糖の衣をまとった煎り豆に、5色の色をつけた京都の銘菓。 1905(明治38)年創業以来、今も店の奥で五色豆を作っているそうです。 瓦葺の庇の上に、「京都名産 五色豆 舩はしや」の木製看板がありました。 小さな屋根が付けられた、風情のある厚い一枚…
大阪府との境にある、京都府大山崎町に来ました。 訪れるのは、昨年の夏以来です。 norajirushi.hatenablog.com 阪急大山崎駅のすぐ北側を通る西国街道から、天王山に向かいます。 古い民家の間を抜け、天王山に向かう小路。 角に、「銭原山寶寺」の石柱があります。 「宝寺」は通称で、正式には宝積寺(ほうしゃくじ)。 奈良時代に行基が建立したことに始まる、古いお寺です。 この石柱では山号が「銭原山」となっていますが、現在は「天王山」を名乗っているようです。 小路を抜け、JR京都線の広い踏切を渡ります。 正面の山が、天王山。 踏切を越えると、天王山登り口。 宝寺は、天王山の中腹にあり…
大阪府にある吹田市といえば、万博公園や千里ニュータウンのような、緑豊かな丘陵地ばかりをイメージしてしまいます。 でも、それは吹田をよく知らない私のような人間の、勝手な思い込み。 吹田にも、下町感が漂う街はありました。 JR吹田駅に直結する、サンクス1番館。 飛び掛かるゴリラに注意が必要な2番館。 駅前商店街のうち、吹田サンクス名店会だけはビルの中。 ここから南側の朝日町周辺には、いくつもの商店街が拡がります。 すぐに、中通商店街のゲート。 ほとんど読めなくなった商店街名。 昭和感のある民家の前を、細い通りが続きます。 ペットショップは、「鳥獣店」でした。 ここは吹田市。 マンホールの中央には、…
阪急電車は、大阪梅田終点に到着するまぎわ、国道176号線と並走します。 国道の右後ろに、阪急電車の小豆色ボディが少し見えています。 ここに、阪急電車の中から見ると、美しい教会に見える建物があります。 丸い塔屋の上にあるのは、どう見ても十字架・・・ ではなくて、十字に組まれた避雷針のようです。 この建築は、教会ではなく、1935(昭和10)年竣工の済生会中津病院。 設計は、朝鮮や旧満州、静岡などで多くの公共建築を手がけた中村與資平。 現在の建物は、2002(平成14)年に一旦解体され、復元されたものです。 大きな車寄せの上は、バルコニーになっています。 車寄せ上部と、バルコニーの意匠。 エントラ…
兵庫県芦屋市にある阪急電鉄芦屋川駅から、少し北に来ました。 芦屋川に架かる、開森橋です。 橋の東詰めからは、右奥に道が登っていきます。 坂道の起点には、「愛称名 ライト坂」の木の看板。 今日は、「近代建築の三大巨匠」のひとり、フランク・ロイド・ライト設計の旧山邑(やまむら)家住宅に向かいます。 この住宅は、灘の酒造会社・櫻正宗八代目当主の別邸として建てられています。 坂を登り始めると、左手の木の向こうに、ベージュ色の建物が見えてきます。 すごいものを見つけました。 旧山邑家住宅の敷地を示すフェンスの手前には、「急傾斜地崩壊危険区域」の看板と標柱が立っています。 知事の許可なく形状変更ができない…
阪神電車で、神戸市灘区にある深江駅に来ました。 駅舎は船をイメージした設計で、この地域の海とのつながりを感じさせてくれます。 そもそも、「深江」という地名は、深い入り江といった意味ですよね。 実際、江戸時代から昭和40年代まで、深江は帆を立てた多くの打瀬船が停泊する、漁業の村でした。 駅舎の下を通る道路を少し海側へ進むと、道路沿いに「魚屋道(ととやみち)」の碑があります。 魚屋道は、江戸初期より続いた、深江から六甲最高峰を越え、有馬温泉に通じる山越ルートの交通路。 幕府が定めた正規の街道ではありませんが、遠回りを嫌う人々は、この道を利用して魚を有馬温泉に運んだようです。 すぐ横の、東西に交差す…
前回からの続きです。 神戸市灘区の水道筋商店街にある、魅惑的な串カツ一燈園さん。 その前の通りから北を見ると、向こうに摩耶山が少し見えています。 今日は、目の前の坂を登り、この山の頂を目指します。 まっすぐに坂を進むと、左手に小学校。 神戸市立摩耶小学校です。 公立の小学校には珍しい、優美なデザインのエントランス。 尖頭アーチ窓が並び、 その上部には、美しいステンドグラスが配されています。 もとは、1929(昭和4)年に、神戸市立西灘第三尋常小学校として開校しています。 設計は、阪神間モダニズムを代表する建築家のひとり、古塚正治。 宝塚ホテルや六甲山ホテルも手掛けています。 改修は施されていま…
阪急電鉄で、神戸市灘区にある王子公園駅に来ました。 駅の西側に、紅葉した王子公園の木々が見えます。 公園のメインは、やはり神戸市立王子動物園。 ジャイアントパンダは、体調管理のために見ることができませんでしたが、レッサーパンダは元気です。 カバくんが、ゆったりと水に浮かんでいたりもします。 遊園地の背後には、摩耶山。 そんな動物園の一角に、裏葉色の瀟洒な洋館が保存されています。 重要文化財に指定されている、木骨煉瓦造の旧ハンター住宅。 もともとは、1889(明治22)年頃、ドイツ人のA・グレッピーがイギリス人技師に依頼し、異人館の多い北野町に建てたもののようです。 これを、イギリス人商人である…
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