畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に上田端八幡神社畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に上田端八幡神社
2024年4月
畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に 上田端八幡神社
畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に上田端八幡神社畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に上田端八幡神社
諏方(すわ)神社東京都荒川区西日暮里3丁目4-8西日暮里駅からすぐの高台に鎮座する神社。朝伺うと、ちょうどラジオ体操の時間で、近所のみなさんが集まっているところでした。電車の音と、駅の音と、ラジオ体操の放送で、とても賑やかでした。昔ながらの雰囲気で、聖域かつ人々の寄り合う場所でもある大切な場所。諏方(すわ)神社東京都荒川区西日暮里3丁目4-8西日暮里駅からすぐの高台に鎮座する神社。朝伺うと、ちょうどラジオ体操の時間で、近所のみなさんが集まっているところでした。電車の音と、駅の音と、ラジオ体操の放送で、とても賑やかでした。昔ながらの雰囲気で、聖域かつ人々の寄り合う場所でもある大切な場所。かつて筑波山や隅田川が見通せた景勝地諏方神社
2024年4月
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諏方(すわ)神社東京都荒川区西日暮里3丁目4-8西日暮里駅からすぐの高台に鎮座する神社。朝伺うと、ちょうどラジオ体操の時間で、近所のみなさんが集まっているところでした。電車の音と、駅の音と、ラジオ体操の放送で、とても賑やかでした。昔ながらの雰囲気で、聖域かつ人々の寄り合う場所でもある大切な場所。諏方(すわ)神社東京都荒川区西日暮里3丁目4-8西日暮里駅からすぐの高台に鎮座する神社。朝伺うと、ちょうどラジオ体操の時間で、近所のみなさんが集まっているところでした。電車の音と、駅の音と、ラジオ体操の放送で、とても賑やかでした。昔ながらの雰囲気で、聖域かつ人々の寄り合う場所でもある大切な場所。かつて筑波山や隅田川が見通せた景勝地諏方神社
下田の代官の屋敷神?八丁堀の今村幸稲荷神社下田の代官の屋敷神?八丁堀の今村幸稲荷神社
四つ木白髭神社東京都葛飾区四つ木2丁目20−8不思議な雰囲気の神社です。拝殿だと思った建物が社務所で、拝殿は新しい雰囲気で、その裏手の摂社エリアはお寺の空気。そして、朽ちかけた掲示板に小さな祠の伝承が書かれてありました。それは、想像もしていなかった悲恋と心霊の物語。忘れさられそうになっているお話です。四つ木白髭神社悲恋数百年の時を越えてこの地を守護する神となる東京都葛飾区四つ木
王子白髭神社東京都葛飾区東四つ木1丁目12この先は行き止まりでは・・?、と思うような細い路地の突き当りに立つ神社。昔は林や田んぼのなかにあったのでしょう。貞辰親王がここで亡くなったということは、地元の豪族の屋敷あとかなにかのでしょうか?いろいろ、想像してしまいます。今その場所は、鄙びた落ち着く雰囲気の聖域。いい場所だなあ、と感じさせてくれる神社です王子白髭神社王子様を祀る百年前の日本人の写真東京都葛飾区東四つ木清和天皇第七皇子の貞辰親王慈覚大師円仁
渋江白髭神社東京都葛飾区東四つ木4丁目36−18たくさんの人が住む中心地に、でん、と佇んでいるような神様。江戸時代はお客にたくさん来てほしい職種の人達が多く参拝したという面白い歴史を持っています。人と人との縁をつなぐ、幸せをもたらしてくださる神様。境内には小さな祠も、記念碑のような碑もたくさんあって、昔の人の思いをしのぶことができる場所です渋江白髭神社客人まろうど千客万来あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる
原稲荷神社東京都葛飾区東立石4丁目39−8どこに導かれるのだろう、と思いながら進んだ路地の先に、すっきりときれいな神社が立っていました。そして、駅に向かうために境内を通る人が多いことにも驚き。手を合わせる人もいて、ほっとする光景です。珍しく由来がわかっている神社なのですが、京都との往復でなぜか5ヶ月もかかり、そのことをわざわざ記録としてしたためていることも不思議。御神体を地面に置かないようにとか、気遣いながら旅路をしたと思うのです。原稲荷神社江戸と京都勧請五ヶ月の旅路あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる
立石諏訪神社東京都葛飾区立石8-2-6電車が通るのが境内から見える神社。かつては林や田んぼの中にのんびりと立ってらっしゃったのではないかと思われる場所。諏訪からどなたかが勧請したのだと思われる名前ですが、詳細はわからず。この地の鎮守としてずっと人々を守ってくださっている神社です立石諏訪神社葛飾立石のお諏訪さまあなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる幕末の通訳士立石斧次郎
五方山熊野神社東京都葛飾区立石8-44-31東京で会えた、陰陽師・安倍晴明の由来を持つ神社。京都にある晴明神社とまた違った雰囲気の聖域です。この神社は五角形の形。その5つの頂点で、晴明がなにか儀式をしたかもしれないと思うと、興奮します。早朝訪れたので、神主さんたちがほうきで清めている際中でした。ありがたいことです五方山熊野神社安倍晴明80才江戸に来ていた陰陽師あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる
福森稲荷神社東京都葛飾区青戸1丁目11−8中川のすぐそばに立つ、鎮守様。今は穏やかな中川も、かつては蛇行を繰り返し洪水をもたらした川。そのそばにあるということは、川が穏やかであるように祈願したこともあるのでしょうか、小さな小さな水神宮の祠も残っています。境内は下り宮になっています。大昔に堤防代わりに川境を高く盛土したのかもしれません。徳川家斉将軍が鷹狩りをし、徳川家斉将軍が御成になった記録も残る、江戸らしい場所です福森稲荷神社徳川吉宗徳川家斉将軍たちが訪れた川百年前の日本人の写真
中原八幡神社東京都葛飾区青戸2丁目2−2青砥駅すぐの賑々しい場所に立つ神社。境内に入ると、虫の声が聞こえてきて、繁華街とは思えない鄙びた雰囲気に変わります。こちらの神社の社宝は、疫病退散の祈願の様子を描いた絵馬。必死に生き延びようとしてきた日本人の姿を残してくれています。中原八幡神社疫病から身を守る青砥駅すぐ百年前の日本人の写真とともに
中原八幡神社疫病から身を守る青砥駅すぐ百年前の日本人の写真とともに中原八幡神社東京都葛飾区青戸2丁目2−2青砥駅すぐの賑々しい場所に立つ神社。境内に入ると、虫の声が聞こえてきて、繁華街とは思えない鄙びた雰囲気に変わります。こちらの神社の社宝は、疫病退散の祈願の様子を描いた絵馬。必死に生き延びようとしてきた日本人の姿を残してくれています。中原八幡神社疫病から身を守る青砥駅すぐ百年前の日本人の写真とともに
田中稲荷大明神東京都杉並区下高井戸3丁目21−33住宅街のすきまに立つ、通り過ぎてしまいそうな細い路地の先の聖域。なぜか、鳥居はかがんで入る低さ。地震の危険性を考えてこの高さなのか、あるいは、江戸時代の鳥居は現代に残っているものは低いものが多いので、昔の鳥居と同じ高さにしたのか。ちょっと気になりますが、ここをお世話する地元の方の愛を感じる清潔な境内。ありがたい聖域です。田中稲荷大明神下高井戸100年前の日本人の写真とともに田んぼの中の神様
下高井戸八幡神社東京都杉並区下高井戸4丁目39−3寄付をしたことをすっかり忘れていたので、数年後の今になってお礼の品を送っていただき、とても嬉しかった神社。杉並区の、閑静な住宅街に立つ聖域。驚いたのが朝参りの人の多さ。動画ではわかりませんが、一人参ってまた一人、と地元の方々が続々と参拝していました。昔からのつながりと、伝統と、神様を大切にするここはものすごく祝福された地になっていると感じます下高井戸八幡神社100年前の日本人の写真とともに
彰義隊上野戦争最後の決戦穴稲荷花園稲荷神社東京都台東区上野公園4江戸の悲しい歴史の終わりにその名を刻む神社です。「穴稲荷の戦い」彰義隊の戦いは上野だけじゃなく、実際は広範囲に及んでいたらしい。こちらの穴稲荷は戸を開けて入る聖域。入ってみると、電気がついて明るく清々しい雰囲気です。毎日のようにお参りしている人もいるよう。上野花園稲荷神社最後の決戦彰義隊100年前の日本人の写真とともに
吉守稲荷神社東京都杉並区浜田山2丁目11周りの色に溶け込んだような神社。結構、車通りの多い道に面した神様は、この地域を開拓した子孫の方の屋敷神のよう。誰でもお参りできるようになっています。ありがたい。吉守稲荷神社浜田山を開拓した子孫の屋敷神あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる
現代的に、列車で運ばれてきた神様。そしてお塚エリアがとても明るく、楽しい神社です。「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」の「壺坂霊験記」名調子で成功した浪曲の浪花亭綾太郎を祀るお稲荷さんも鎮座。ふるさとに戻ったような懐かしい気持ちを感じてみてください東伏見稲荷神社浪曲の浪花亭綾太郎のお稲荷様も列車で京都からやってきた
江東天祖神社東京都江東区亀戸3-38-35日本で初めて鉄筋コンクリートで本殿を作った神社。そのおかげで、たくさんの人々を空襲から守りました。神が人を守り、人は神を祀る。長い歴史と現代が融合した素敵な神社です。東京大空襲強運神様織田信長由来の流鏑馬が残る江東天祖神社
浜田山稲荷大明神東京都杉並区浜田山3丁目4−2浜田山の静かな住宅街。通り過ぎそうにさりげなく聖域は、言葉では表せない清らかな空気にあふれていました。浜田山の歴史を見てきた神様です「杉並風土記」森泰樹著.杉並郷土史会浜田山この辺り、神田川の北側は浜田山。浜田山の地名は江戸の頃、内藤新宿の商人である浜田屋弥兵衛に由来する。浜田屋は浜田山4丁目の杉並南郵便局辺り一帯に松やくぬぎの林(此の辺りでは「山」と呼ぶ)を持っていたようである。そこには一族が眠っており、お彼岸には浜田屋の一族がこの地を訪れ、仏の供養へと村の子供たちにお菓子や銭を配り、それはもうお祀りのような騒ぎでもあり、一躍「浜田山」という名が有名になった。浜田屋は明治に米相場に失敗し没落したが、浜田山は小字として残った、と言うあなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる件伊勢の米問屋の第二の故郷になった浜田山稲荷大明神
熱田神社東京都台東区今戸2丁目13−6今戸の静かな聖域。こちらのご神宝は、江戸時代に奉納された大太刀「陰陽丸」。調べてみると、その刀工は旗本。どういう経緯で刀鍛冶になったのかはわかりませんでしたが、彼の得意作は短刀と言うにもかかわらず、大太刀を奉納しています。60歳を超えて、ものすごいチャレンジをしているのです。その大太刀はコロナの流行時に、町内を祓うために巡行した神の刀となったのです。あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる旗本は刀鍛冶になった
忘れられた日本仏様に手をあわせる江戸時代の日本人龍を封印し、祀る土地成顕(じょうけん)寺駒木諏訪神社の奥宮だったお寺。訪れてみると、昔と今が融合したような穏やかな場所でした。昔の古い井戸が残っているのも面白い。境内には小さな祠がそこかしこにあって、宝探しのように探してみるのもおすすめです。成顕寺の近隣紹介徒歩で11分駒木諏訪神社徒歩で24分天形星神社徒歩で24分熊野神社忘れられた日本仏様に手をあわせる江戸時代の日本人龍を封印し、祀る土地
忘れられた日本上野東照宮春いっぱい上野公園の、権現様。人が多くて、そしてみんな楽しそう。昔の上野公園の写真を見れば、花見客がたくさんいて、今も昔もそんなに変わらないんだと感じて、嬉しい気持ちになります。権現様も、喜んでいるのではないでしょうか。忘れられた日本上野東照宮
忘れられた日本麻布七不思議祟り神を祀る狸穴(まみあな)稲荷神社講談「江戸名物麻布七不思議」。明治31(1898)年の本です。狸穴の怪物の話は、こちらの神社をモチーフにしている講談。江戸時代は湿地帯の土地を埋め立て、開墾し、川の流れを変え、水害をなくし、民が暮らしやすいように変えていった時期。人が豊かになっていく一方、その犠牲になっていったと思われる動物の御霊が起こした恐ろしい事件をモチーフとしたお話です。悲しいお話。怪物が花嫁を迎える花嫁行列のシーンもあり、悲しいながらも美しく、そして怪物も人と同じように生きているのを感じます。けれど、その怪物は人に退治され、埋められた地でひっそりと子猫を育て上げ、その猫も化け猫となり退治される。人は、その御霊を神として大切に祀るのです。そうすると、御霊の魂は休まり、今度...忘れられた日本麻布七不思議祟り神を祀る
忘れられた日本人人斬りと呼ばれた男八坂神社(松戸市小金)猫神社朝一番で参拝すると、たくさんの猫。穏やかな聖域に、こちらものんびりした気持ちになります。こちらの神社に朝参りできる近隣の人が羨ましいな、と感じます。八坂神社(松戸市小金)の近隣紹介。徒歩で5分東漸寺徒歩で7分鹿島神社徒歩で15分本土寺徒歩で17分香取神社徒歩で17分天満宮神社徒歩で27分香取駒形神社忘れられた日本人人斬りと呼ばれた男八坂神社(松戸市小金)猫神社
飛不動尊入り口から提灯が賑々しく飾られ、楽しげな外観。けれど中に入ると、清らかなもやがかかったような空気感で、静けさが広がっていました。面白い伝説を持つお不動さまを御本尊とするお寺。航空関係者や「飛ぶ」伝説から合格祈願、宇宙の安全まで、崇敬者は幅広いです。誰も知らない日本宇宙飛行士や小惑星探査機も頼る
忘れられた日本船頭の守り神隅田川神社水神の森学校や公園の片隅に、静かに鎮座しておられる神社。そして、高速道路の真下。東京らしいです。かつては隅田川の船頭や荷船仲間に広く深く信仰されていた、水神の森。本殿も江戸時代のもの。鳥の声と車の音。船頭たちと同じ風景を見ることはかないませんが、本殿や境内のそこかしこに残る昔の遺構から、昔の空気を感じることができます隅田川神社の近隣紹介徒歩で2分木母寺徒歩で13分石浜神社徒歩で14分橋場不動尊徒歩で14分白鬚神社徒歩で16分平賀源内墓徒歩で17分胡録神社徒歩で17分向島百花園徒歩で20分玉姫稲荷神社忘れられた日本船頭の守り神
誰も知らない日本平安時代のスーパースターが江戸に小野照崎神社東京に鎮座する、小野照崎神社。平安時代の傑物が江戸に来ていたなんて、驚きました。小野篁は「野狂」とも呼ばれ反骨精神にあふれた人物。流罪にあっても後に復帰し政治に文化に芸術に大活躍。夜は井戸から冥府に通って閻魔様の仕事の手伝いをした伝説で、その井戸は京都にあります。境内は、不思議な空気に満ちています。震災や空襲に負けずに残った遺物がそこかしこに置かれていて、飽きることのない聖域。江戸時代に流行した富士塚も残っていて、当時の信仰も偲ばれます。天才にあやかって自分の能力もあげてくださるようお参りしたい神社です。誰も知らない日本平安時代のスーパースターが江戸に
日本の宝高尾山薬王院天狗の神様飯縄大権現山岳信仰東京都八王子市100年前の日本人の写真とともに東京の神社を訪れてみると、人々から守られ続けた聖域に驚くことが多い。水害、火災、震災、戦災、そして拝金主義。小さな神社、ビルの屋上に鎮座する神社、高速道路の真下にある神社。どのような形でも人によりそってくれる聖域と、それを守ってくれる護り人。日本の宝高尾山薬王院天狗の神様飯縄大権現
忘れられた日本江戸時代の霊石を残す聖域カッコウの名所だった幸稲荷神社・瘡護神社江戸時代、増上寺の周辺はたくさんのお寺に満ちていました。徳川家の菩提寺、仏教の学校・寄宿舎としての役割、諸国大名からの崇敬、参拝者をもてなす場所。巨大な宗教聖地でした。明治維新で廃仏毀釈が起こり、お寺が管理していた神社を引き受けたのがこちらの神社。その前から寺からは氏子の希望で独立し、神社単体で運営されていたという面白い歴史を持っています。境内には水をかければ病が治るという霊石が残され、昔のご先祖様たちの心の拠り所だったということを感じます。東京タワーに鎮座するタワー大神宮の神事も司っている神社。今も昔も増上寺エリアを象徴するような神様。ぜひ、感じてみてください。忘れられた日本江戸時代の霊石を残す聖域
忘れられた日本祇園の美女証券界の守り神兜神社高速道路の直下にあることに驚いた聖域。この小さな祠は日本の証券界の守り神です。こんな都会でも清水がこんこんと湧き出ていることに感動。時折、サラリーマンらしき人がお参りもしていました。資産形成の神様とも言えるかもしれません。兜神社の近隣紹介徒歩で4分日本橋日枝神社徒歩で5分常盤稲荷神社徒歩で5分明徳稲荷神社徒歩で5分大原稲荷神社徒歩で6分銀杏八幡宮・銀杏稲荷徒歩で6分小網神社徒歩で8分茶ノ木神社徒歩で9分大観音寺徒歩で9分出世稲荷神社・岩代稲荷神社徒歩で9分福徳神社(芽吹稲荷)徒歩で9分日本橋西河岸地蔵寺教会徒歩で10分水天宮徒歩で10分松島神社徒歩で10分笠森稲荷徒歩で11分三光稲荷神社徒歩で11分椙森神社徒歩で12分新川大神宮徒歩で13分末廣神社徒歩で14分元...忘れられた日本証券界の守り神兜神社
誰も知らない日本徳川家康から守り抜いた御神体産土神(うぶすなかみ)。人が産まれた時のその土地の守護神で、その者を生まれる前から死んだ後まで守護してくれる。他所に移住しても一生を通じ守ってくださる神様。平安時代の武士・渡辺綱(わたなべのつな)の産土神というこの神社。渡辺綱の名前をとって、周辺は昔は「綱町」という地名だったようで、綱町三井倶楽部など、建物でその名残が残っています。そして、渡辺綱が産まれた時、その水で身体を清めたという伝説の井戸が何箇所も残っている。地域の誇りだったのですね。そして江戸時代、徳川家康から御神宝と御神体を差し出すように命じられた神社なのです。氏子たちは産土神をどうしたのか。この聖域がずっと守られてきたこと、誇らしいことと思います。★元神明宮の近隣紹介です徒歩で7分【赤羽橋南交差点に...誰も知らない日本徳川家康から守り抜いた御神体
忘れられた日本人明治時代の象徴、人力車乃木神社日露戦争の陸軍大将・学習院の学校長、乃木希典公の死を悼んでつくられた神社。訪れてみると、優しく清らかな聖域にこちらの心身もすっきりする感覚がします。数千年のちには、誰が祀られているかわからないけれど、なんだか清々しい神社と人々に受け入れられてくれるといいな、と思う大切な場所です乃木神社の近隣紹介徒歩で6分龍土神明宮天祖神社徒歩で10分赤坂氷川神社徒歩で11分出雲大社東京分祠徒歩で13分朝日神社徒歩で16分日枝神社徒歩で16分久國神社徒歩で17分豊川稲荷東京別院徒歩で17分櫻田神社徒歩で20分麻布大観音徒歩で20分大松稲荷神社徒歩で22分十番稲荷神社徒歩で22分秋葉神社(港区北青山)徒歩で23分青山熊野神社徒歩で25分狸穴稲荷神社忘れられた日本人乃木神社
名前もわからない日本人明治初期の美男美女元徳稲荷神社・綱敷天満神社元徳稲荷神社・綱敷天満神社都会の街角にたたずむ小さな神様です。鳥が気持ちよさそうにさえずる、森のような雰囲気でした。河村徳右衛門が祀っていた屋敷神を庶民に解放し、その後、大名の屋敷神として分霊をたまわり、近くの天神さまと合祀された神社。歴史を調べると明治維新後、いくつも地主が変わり、変遷を耐え抜いて今に至る聖域でした。今、ここに鎮座していただいていることにありがたいな、と思います元徳稲荷神社・綱敷天満神社の近隣紹介徒歩で4分笠間稲荷神社東京別社徒歩で4分松島神社徒歩で4分清正公寺徒歩で5分末廣神社徒歩で5分大廣神社徒歩で5分水天宮徒歩で6分茶ノ木神社徒歩で8分銀杏八幡宮・銀杏稲荷徒歩で8分大観音寺徒歩で9分三光稲荷神社徒歩で10分小網神社徒...名前もわからない日本人明治初期の美男美女
忘れられた日本上野公園花見の茶店探し人のビラを西郷さんの像に貼る上野大仏上野大仏は仏頭どころか、顔だけの仏様。なんだか見ていると穏やかな気持になっていく不思議なお顔です。憩いの場になっている温かい聖域。上野公園って、慰霊の場であり憩いの場であり祈りの場であり、日本らしい場所です上野大仏近隣紹介。徒歩で2分上野東照宮徒歩で2分花園稲荷神社徒歩で3分五條天神社徒歩で4分不忍池辯天堂徒歩で10分摩利支天徳大寺徒歩で16分下谷神社忘れられた日本上野大仏
誰も知らない日本松島神社初めて訪れたときは、本当にビルの中に神社が鎮座していて驚いた神さま。東京ならでは、の面白いおさまりかたです。お参りをする人々が、先に参拝中の人があれば遠慮して外からお参りする姿も美しい、と感じました。みなのふるさとになっている神社です。松島神社の近隣紹介徒歩3分茶ノ木神社徒歩3分水天宮徒歩4分末廣神社徒歩5分濱町神社徒歩5分銀杏八幡宮・銀杏稲荷徒歩5分大観音寺徒歩5分正一位橘稲荷神社徒歩7分小網神社徒歩7分大廣神社徒歩7分三光稲荷神社徒歩10分兜神社徒歩10分日本橋日枝神社徒歩11分椙森神社徒歩12分常盤稲荷神社徒歩12分高尾稲荷神社(遊女高尾太夫を祀る神社)徒歩15分新川大神宮徒歩15分薬研堀不動院徒歩17分福徳神社(芽吹稲荷)誰も知らない日本松島神社
誰も知らない日本彰義隊結成の地明治時代の端午の節句鯉のぼり明治時代の端午の節句鯉のぼり浅草の東本願寺と西浅草八幡神社。東本願寺は何度も建て直しを迫られ新しい境内ですが、その歴史は古く江戸時代の彰義隊も結成の地であった、江戸とともに生きた聖域。旧暦ですが上野戦争が5月なのです。一日で終わった戦争ですが、調べてみると思った以上に犠牲者が多くて悲劇的。歴史を思い浮かべながら、ぜひ訪れてほしい場所です。東本願寺の近隣紹介徒歩で3分西浅草八幡神社徒歩で5分矢先稲荷神社徒歩で5分無事冨稲荷大明神徒歩で6分本社三島神社(寿三島神社)徒歩で6分感応稲荷神社徒歩で7分孫三稲荷神社徒歩で7分伏見稲荷社徒歩で8分浅草寺徒歩で11分下谷神社徒歩で13分嬉乃森稲荷神社徒歩で27分上野東照宮誰も知らない日本彰義隊結成の地
名前もわからない江戸時代の日本人横浜美人嵐を起こした観音様ここの秘仏は月に二回もご開帳される観音様。とても大きな仏頭ですが、ご尊顔を見ていると心が穏やかになっていく不思議な感覚を覚えます。人形町まで旅してきた観音様の由来は明治時代の時代も感じさせます。ぜひお参りしてもらいたいお寺です名前もわからない江戸時代の日本人横浜美人嵐を起こした観音様
誰も知らない日本水天宮水天宮駅おりてすぐ。空がすかっと開けた不思議な聖地です。いつ訪れても明るい気で満たされているのです。安産祈願だけでなく、気持ちをあげたい時にもおすすめの神社です。また、この日本橋人形町周辺は神様の密集しているエリアでもあります。時間があれば、いろいろ回るのも楽しいエリアです。水天宮の近隣紹介徒歩3分茶ノ木神社徒歩3分大観音寺徒歩3分松嶋神社徒歩5分銀杏八幡宮・銀杏稲荷徒歩5分濱町神社徒歩6分元徳稲荷神社・綱敷天満神社徒歩7分末廣神社徒歩8分小網神社徒歩8分正一位橘稲荷神社徒歩9分高尾稲荷神社徒歩10分兜神社徒歩10分日本橋日枝神社徒歩10分笠間稲荷神社誰も知らない日本水天宮
静かな住宅街の中に鎮座する神様。新興住宅地のなかに、古い神社がまだ残っていると、ほっとします。地域の人に大切にされているのがうかがわれる穏やかな聖域です忘れられた日本人香取駒形神社忘れられた日本人香取駒形神社
東京の神社をお参りしだして、私が一番最初に感動した聖域です。日本橋というまちなかにありながら、森のような雰囲気。手水舎も水がわきでていて、東京はゴミゴミしているのではないかと思っていた私の予想を打ち砕いてくれました。地元の人々が大切にお手入れしてくれているおかげです。茶ノ木神社公式サイトhttps://chanoki-jinja.net/茶ノ木神社の近隣紹介徒歩15分日本橋福徳神社と薬祖神社徒歩3分大観音寺徒歩3分松嶋神社徒歩3分水天宮徒歩5分小網神社徒歩6分末廣神社徒歩6分元徳稲荷神社・綱敷天満神社徒歩7分出世稲荷神社・岩代稲荷神社徒歩7分三光稲荷神社徒歩8分濱町神社徒歩9分常盤稲荷神社徒歩9分兜神社徒歩10分椙森神社誰も知らない日本茶ノ木神社誰も知らない日本茶ノ木神社