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2023/04/24

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  • 畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に 上田端八幡神社

    畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に上田端八幡神社畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に上田端八幡神社

  • かつて筑波山や隅田川が見通せた景勝地 諏方神社

    諏方(すわ)神社東京都荒川区西日暮里3丁目4-8西日暮里駅からすぐの高台に鎮座する神社。朝伺うと、ちょうどラジオ体操の時間で、近所のみなさんが集まっているところでした。電車の音と、駅の音と、ラジオ体操の放送で、とても賑やかでした。昔ながらの雰囲気で、聖域かつ人々の寄り合う場所でもある大切な場所。諏方(すわ)神社東京都荒川区西日暮里3丁目4-8西日暮里駅からすぐの高台に鎮座する神社。朝伺うと、ちょうどラジオ体操の時間で、近所のみなさんが集まっているところでした。電車の音と、駅の音と、ラジオ体操の放送で、とても賑やかでした。昔ながらの雰囲気で、聖域かつ人々の寄り合う場所でもある大切な場所。かつて筑波山や隅田川が見通せた景勝地諏方神社

  • 下田の代官の屋敷神? 八丁堀の今村幸稲荷神社

    下田の代官の屋敷神?八丁堀の今村幸稲荷神社下田の代官の屋敷神?八丁堀の今村幸稲荷神社

  • 四つ木白髭神社 悲恋 数百年の時を越えてこの地を守護する神となる 東京都葛飾区四つ木

    四つ木白髭神社東京都葛飾区四つ木2丁目20−8不思議な雰囲気の神社です。拝殿だと思った建物が社務所で、拝殿は新しい雰囲気で、その裏手の摂社エリアはお寺の空気。そして、朽ちかけた掲示板に小さな祠の伝承が書かれてありました。それは、想像もしていなかった悲恋と心霊の物語。忘れさられそうになっているお話です。四つ木白髭神社悲恋数百年の時を越えてこの地を守護する神となる東京都葛飾区四つ木

  • 王子白髭神社 王子様を祀る 百年前の日本人の写真 東京都葛飾区東四つ木 清和天皇第七皇子の貞辰親王 慈覚大師円仁

    王子白髭神社東京都葛飾区東四つ木1丁目12この先は行き止まりでは・・?、と思うような細い路地の突き当りに立つ神社。昔は林や田んぼのなかにあったのでしょう。貞辰親王がここで亡くなったということは、地元の豪族の屋敷あとかなにかのでしょうか?いろいろ、想像してしまいます。今その場所は、鄙びた落ち着く雰囲気の聖域。いい場所だなあ、と感じさせてくれる神社です王子白髭神社王子様を祀る百年前の日本人の写真東京都葛飾区東四つ木清和天皇第七皇子の貞辰親王慈覚大師円仁

  • 渋江白髭神社 客人まろうど 千客万来 あなたの知らない日本 100年前の日本の写真が凄過ぎる

    渋江白髭神社東京都葛飾区東四つ木4丁目36−18たくさんの人が住む中心地に、でん、と佇んでいるような神様。江戸時代はお客にたくさん来てほしい職種の人達が多く参拝したという面白い歴史を持っています。人と人との縁をつなぐ、幸せをもたらしてくださる神様。境内には小さな祠も、記念碑のような碑もたくさんあって、昔の人の思いをしのぶことができる場所です渋江白髭神社客人まろうど千客万来あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる

  • 原稲荷神社 江戸と京都 勧請五ヶ月の旅路 あなたの知らない日本 100年前の日本の写真が凄過ぎる

    原稲荷神社東京都葛飾区東立石4丁目39−8どこに導かれるのだろう、と思いながら進んだ路地の先に、すっきりときれいな神社が立っていました。そして、駅に向かうために境内を通る人が多いことにも驚き。手を合わせる人もいて、ほっとする光景です。珍しく由来がわかっている神社なのですが、京都との往復でなぜか5ヶ月もかかり、そのことをわざわざ記録としてしたためていることも不思議。御神体を地面に置かないようにとか、気遣いながら旅路をしたと思うのです。原稲荷神社江戸と京都勧請五ヶ月の旅路あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる

  • 立石諏訪神社 葛飾 立石のお諏訪さま あなたの知らない日本 100年前の日本の写真が凄過ぎる 幕末の通訳士 立石斧次郎

    立石諏訪神社東京都葛飾区立石8-2-6電車が通るのが境内から見える神社。かつては林や田んぼの中にのんびりと立ってらっしゃったのではないかと思われる場所。諏訪からどなたかが勧請したのだと思われる名前ですが、詳細はわからず。この地の鎮守としてずっと人々を守ってくださっている神社です立石諏訪神社葛飾立石のお諏訪さまあなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる幕末の通訳士立石斧次郎

  • 五方山熊野神社 安倍晴明80才 江戸に来ていた陰陽師 あなたの知らない日本 100年前の日本の写真が凄過ぎる

    五方山熊野神社東京都葛飾区立石8-44-31東京で会えた、陰陽師・安倍晴明の由来を持つ神社。京都にある晴明神社とまた違った雰囲気の聖域です。この神社は五角形の形。その5つの頂点で、晴明がなにか儀式をしたかもしれないと思うと、興奮します。早朝訪れたので、神主さんたちがほうきで清めている際中でした。ありがたいことです五方山熊野神社安倍晴明80才江戸に来ていた陰陽師あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる

  • 福森稲荷神社 徳川吉宗 徳川家斉 将軍たちが訪れた川 百年前の日本人の写真

    福森稲荷神社東京都葛飾区青戸1丁目11−8中川のすぐそばに立つ、鎮守様。今は穏やかな中川も、かつては蛇行を繰り返し洪水をもたらした川。そのそばにあるということは、川が穏やかであるように祈願したこともあるのでしょうか、小さな小さな水神宮の祠も残っています。境内は下り宮になっています。大昔に堤防代わりに川境を高く盛土したのかもしれません。徳川家斉将軍が鷹狩りをし、徳川家斉将軍が御成になった記録も残る、江戸らしい場所です福森稲荷神社徳川吉宗徳川家斉将軍たちが訪れた川百年前の日本人の写真

  • 中原八幡神社 疫病から身を守る 青砥駅すぐ 百年前の日本人の写真とともに

    中原八幡神社東京都葛飾区青戸2丁目2−2青砥駅すぐの賑々しい場所に立つ神社。境内に入ると、虫の声が聞こえてきて、繁華街とは思えない鄙びた雰囲気に変わります。こちらの神社の社宝は、疫病退散の祈願の様子を描いた絵馬。必死に生き延びようとしてきた日本人の姿を残してくれています。中原八幡神社疫病から身を守る青砥駅すぐ百年前の日本人の写真とともに

  • 中原八幡神社 疫病から身を守る 青砥駅すぐ 百年前の日本人の写真とともに

    中原八幡神社疫病から身を守る青砥駅すぐ百年前の日本人の写真とともに中原八幡神社東京都葛飾区青戸2丁目2−2青砥駅すぐの賑々しい場所に立つ神社。境内に入ると、虫の声が聞こえてきて、繁華街とは思えない鄙びた雰囲気に変わります。こちらの神社の社宝は、疫病退散の祈願の様子を描いた絵馬。必死に生き延びようとしてきた日本人の姿を残してくれています。中原八幡神社疫病から身を守る青砥駅すぐ百年前の日本人の写真とともに

  • 田中稲荷大明神 下高井戸 100年前の日本人の写真とともに 田んぼの中の神様

    田中稲荷大明神東京都杉並区下高井戸3丁目21−33住宅街のすきまに立つ、通り過ぎてしまいそうな細い路地の先の聖域。なぜか、鳥居はかがんで入る低さ。地震の危険性を考えてこの高さなのか、あるいは、江戸時代の鳥居は現代に残っているものは低いものが多いので、昔の鳥居と同じ高さにしたのか。ちょっと気になりますが、ここをお世話する地元の方の愛を感じる清潔な境内。ありがたい聖域です。田中稲荷大明神下高井戸100年前の日本人の写真とともに田んぼの中の神様

  • 下高井戸八幡神社 100年前の日本人の写真とともに

    下高井戸八幡神社東京都杉並区下高井戸4丁目39−3寄付をしたことをすっかり忘れていたので、数年後の今になってお礼の品を送っていただき、とても嬉しかった神社。杉並区の、閑静な住宅街に立つ聖域。驚いたのが朝参りの人の多さ。動画ではわかりませんが、一人参ってまた一人、と地元の方々が続々と参拝していました。昔からのつながりと、伝統と、神様を大切にするここはものすごく祝福された地になっていると感じます下高井戸八幡神社100年前の日本人の写真とともに

  • 上野 花園稲荷神社 最後の決戦 彰義隊 100年前の日本人の写真とともに

    彰義隊上野戦争最後の決戦穴稲荷花園稲荷神社東京都台東区上野公園4江戸の悲しい歴史の終わりにその名を刻む神社です。「穴稲荷の戦い」彰義隊の戦いは上野だけじゃなく、実際は広範囲に及んでいたらしい。こちらの穴稲荷は戸を開けて入る聖域。入ってみると、電気がついて明るく清々しい雰囲気です。毎日のようにお参りしている人もいるよう。上野花園稲荷神社最後の決戦彰義隊100年前の日本人の写真とともに

  • 吉守稲荷神社 浜田山を開拓した子孫の屋敷神 あなたの知らない日本 100年前の日本の写真が凄過ぎる

    吉守稲荷神社東京都杉並区浜田山2丁目11周りの色に溶け込んだような神社。結構、車通りの多い道に面した神様は、この地域を開拓した子孫の方の屋敷神のよう。誰でもお参りできるようになっています。ありがたい。吉守稲荷神社浜田山を開拓した子孫の屋敷神あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる

  • 東伏見稲荷神社 浪曲 の 浪花亭綾太郎 のお稲荷様も 列車で京都からやってきた

    現代的に、列車で運ばれてきた神様。そしてお塚エリアがとても明るく、楽しい神社です。「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」の「壺坂霊験記」名調子で成功した浪曲の浪花亭綾太郎を祀るお稲荷さんも鎮座。ふるさとに戻ったような懐かしい気持ちを感じてみてください東伏見稲荷神社浪曲の浪花亭綾太郎のお稲荷様も列車で京都からやってきた

  • 東京大空襲強運神様 織田信長由来の流鏑馬が残る 江東天祖神社

    江東天祖神社東京都江東区亀戸3-38-35日本で初めて鉄筋コンクリートで本殿を作った神社。そのおかげで、たくさんの人々を空襲から守りました。神が人を守り、人は神を祀る。長い歴史と現代が融合した素敵な神社です。東京大空襲強運神様織田信長由来の流鏑馬が残る江東天祖神社

  • あなたの知らない日本 100年前の日本の写真が凄過ぎる件 伊勢の米問屋の第二の故郷になった 浜田山稲荷大明神

    浜田山稲荷大明神東京都杉並区浜田山3丁目4−2浜田山の静かな住宅街。通り過ぎそうにさりげなく聖域は、言葉では表せない清らかな空気にあふれていました。浜田山の歴史を見てきた神様です「杉並風土記」森泰樹著.杉並郷土史会浜田山この辺り、神田川の北側は浜田山。浜田山の地名は江戸の頃、内藤新宿の商人である浜田屋弥兵衛に由来する。浜田屋は浜田山4丁目の杉並南郵便局辺り一帯に松やくぬぎの林(此の辺りでは「山」と呼ぶ)を持っていたようである。そこには一族が眠っており、お彼岸には浜田屋の一族がこの地を訪れ、仏の供養へと村の子供たちにお菓子や銭を配り、それはもうお祀りのような騒ぎでもあり、一躍「浜田山」という名が有名になった。浜田屋は明治に米相場に失敗し没落したが、浜田山は小字として残った、と言うあなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる件伊勢の米問屋の第二の故郷になった浜田山稲荷大明神

  • あなたの知らない日本 100年前の日本の写真が凄過ぎる 旗本は刀鍛冶になった

    熱田神社東京都台東区今戸2丁目13−6今戸の静かな聖域。こちらのご神宝は、江戸時代に奉納された大太刀「陰陽丸」。調べてみると、その刀工は旗本。どういう経緯で刀鍛冶になったのかはわかりませんでしたが、彼の得意作は短刀と言うにもかかわらず、大太刀を奉納しています。60歳を超えて、ものすごいチャレンジをしているのです。その大太刀はコロナの流行時に、町内を祓うために巡行した神の刀となったのです。あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる旗本は刀鍛冶になった

  • あなたの知らない日本 100年前の日本の写真が凄過ぎる件 村の弱虫の少年は日本一になった 合力稲荷神社 浅草

    合力稲荷神社東京都台東区浅草6丁目42住宅街にさりげなく建つ神社。かつて、吉原遊廓に通う男たちがよく参ったという神様です。どういうことを願ったんでしょう。そして、境内には「足持石」という巨大な石が置かれています。これを足で持つのは難しいのではないか、と思われるほどの巨石。ぜひ、現地へ行ってその目で確かめてほしい面白い石です。あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる件村の弱虫の少年は日本一になった合力稲荷神社浅草

  • 菊の節句のお祭りは江戸名物 三田春日神社

    三田春日神社慶應義塾大学の隣に鎮座する聖域東京都港区三田2丁目13−9境内からも校舎が見えて、不思議な風景です。アメリカ軍の空襲により全焼したため建物は新しいものに見えますが、創始は天徳二年(958年)と、千年を超える古社。東京はこういう神社が多いですね。新しいものと、古いものが混在する神域。菊の節句のお祭りは江戸名物三田春日神社

  • 100年前の日本人の写真 彰義隊結成の地 浅草の東本願寺と西浅草八幡神社 明治時代の端午の節句 鯉のぼり

    浅草の東本願寺(東京都台東区西浅草1丁目5−5)と西浅草八幡神社(台東区西浅草2丁目14)。東本願寺は何度も建て直しを迫られ新しい境内ですが、その歴史は古く江戸時代の彰義隊も結成の地であった、江戸とともに生きた聖域。旧暦ですが上野戦争が5月なのです。一日で終わった戦争ですが、調べてみると思った以上に犠牲者が多く、悲劇的。歴史を思い浮かべながら、ぜひ訪れてほしい場所です。100年前の日本人の写真彰義隊結成の地浅草の東本願寺と西浅草八幡神社明治時代の端午の節句鯉のぼり

  • 明治時代の富士山の写真が素敵すぎる 浅草富士浅間神社

    100年前の日本人の写真とともに東京神社浅草富士浅間神社東京都台東区浅草5丁目3−2警察署と小学校が建つ交差点の一角。階段をあがると、すでにそこは富士塚。かつての面影が立地にわずかに残っています。今は植木市で有名な浅草の富士山の神様。この地の守り神です。明治時代の富士山の写真が素敵すぎる浅草富士浅間神社

  • 明治時代の富士山の写真が素敵すぎる 浅草富士浅間神社

    100年前の日本人の写真とともに東京神社浅草富士浅間神社東京都台東区浅草5丁目3−2警察署と小学校が建つ交差点の一角。階段をあがると、すでにそこは富士塚。かつての面影が立地にわずかに残っています。今は植木市で有名な浅草の富士山の神様。この地の守り神です。明治時代の富士山の写真が素敵すぎる浅草富士浅間神社

  • かつて銀世界と呼ばれた 銀世界稲荷神社 新宿パークタワー パークハイアット東京そばの小さな聖域

    100年前の日本人の写真とともに銀世界稲荷神社東京都新宿区西新宿3丁目7新宿パークタワー。パークハイアットホテル東京や、レストラン、オフィスがテナントとして入る新宿を堂々と見下ろしている高層ビル。特に、パークハイアットホテル東京はハリウッドセレブご指名の定宿ホテルになっているそう。別世界感のある空間。そのビルの脇道の階段を登ると出会える神社です。「こんなところに」という言葉がぴったしの場所にあります。自転車置き場がそばにあって、通り過ぎる人がちらほら。このビルに通勤している人も、あまり知らないんじゃないでしょうか・・・?朝参りするととても気持ちよさそうな聖域です。かつて銀世界と呼ばれた銀世界稲荷神社新宿パークタワーパークハイアット東京そばの小さな聖域

  • 誰も知らない日本 秘密の扉の先には 初台不動堂

    初台不動堂東京都渋谷区初台1丁目12−7初台出世稲荷大明神を参拝した際に、奉納名簿の中にこちらの名前を見つけました。「へ~。近くにお不動様があるのか」と、訪れたお寺。お寺?というか、静かな聖域。瞑想しているような、静かな空間です。誰も知らない日本秘密の扉の先には初台不動堂

  • 誰も知らない日本 秘密の扉の先には 初台不動堂

    初台不動堂東京都渋谷区初台1丁目12−7初台出世稲荷大明神を参拝した際に、奉納名簿の中にこちらの名前を見つけました。「へ~。近くにお不動様があるのか」と、訪れたお寺。お寺?というか、静かな聖域。瞑想しているような、静かな空間です。誰も知らない日本秘密の扉の先には初台不動堂

  • 100年前の日本の写真が切なすぎる件 吉原遊郭の女性たち 近くのお稲荷様

    千束繁城稲荷神社東京都台東区千束3丁目とっても小さなお稲荷様。けれど、清潔に保たれたようすにほっとします。新吉原花園池からすぐ近くなので、近場まで来た人はこちらもお参りしてほしい。100年前の日本の写真が切なすぎる件吉原遊郭の女性たち近くのお稲荷様

  • 時代劇のふるさと 待乳山聖天

    待乳山(まつちやま)聖天何度訪れてもまた訪れたくなる不思議なお寺。池波正太郎の小説に、ちらほら出てくる神社仏閣の一つです。江戸時代の空気を色濃く残す聖域ですが、その創始はかなり古いもの。当時の偉人が建てたのではなく、庶民の間から見出された仏様。それが今も続いているとは、ありがたい。時代劇のふるさと待乳山聖天

  • 100年前の日本の写真が凄過ぎる件 不戦敗の猛者は主君とともに剃髪 忠義者 伝説の一族の守護神

    太郎稲荷神社東京都台東区入谷2-19拝福岡、柳川の大名・立花藩の下屋敷の大名屋敷の神様。福岡には立花藩の由来を持つ太郎稲荷がありました。江戸時代に太郎稲荷は「流行神」と称されるほど爆発的に流行ったそうですから、このお稲荷様は福岡の太郎稲荷から分祀されたのか、あるいは江戸で流行っていたどこかのお稲荷様から分祀されたのか、そこまでの由来はわかりませんが、立花藩の魅力的な人たちと関わりのある神様だと思うと、とても興奮しました。今は家族写真のよう地域の人々の写真が飾られ、地元にしっかりと根づいたお稲荷様。ちなみに、この一族の末裔は柳川で「泊まれるお殿様屋敷は日本でただ一つ」と銘打った料亭を営んでいらっしゃいます。100年前の日本の写真が凄過ぎる件不戦敗の猛者は主君とともに剃髪忠義者伝説の一族の守護神

  • 壽光稲荷大神 置いていかれた神様 発見された100年前の日本の写真とともに

    入谷の住宅街、大正小学校の向かい側に、個人のお宅に建つような神様。由来書きを読むと、江戸時代に神様が人間の口を借りた霊験話がありました。千年も昔から、この地を守る神様の始まりは、本当にささいなきっかけから始まりました壽光稲荷大神置いていかれた神様発見された100年前の日本の写真とともに

  • あなたの知らない日本 出前? 発見された古い写真 銀座 安平神社

    タワーマンションの足元にあり、そして古い家屋の裏手にある聖域。ひとつ路地に入るだけで、こんなにも静かな空間になるんだ、と驚きました。銀座には人は住んでいないと思っていたのですが、まだまだいらっしゃるのですね。そして、静かに佇む神様。その歴史は武家から料亭、そして街角の神様と変化してきたもの。銀座で静かにお参りしたい人におすすめです。あなたの知らない日本出前?発見された古い写真銀座安平神社

  • 発見された100年前の日本人の写真 宝童稲荷神社 銀座八丁神社めぐり

    銀座八丁神社めぐりの札所の一つでもあるこちらは本当に路地の真ん中。この神社がここにあることを知らないと、決して出会えないような場所です。少し迷ってしまったので、「宝童小路」を目指して向かえばいいかもしれません。江戸時代、将軍家の跡継ぎの成長を祈るため江戸城に奉られていた神社から名主の弥左衛門が分祀したといういわれ・・・。子育てやなにかを生み出すことにご利益がありそうな、きらきらした雰囲気。銀座の散歩にぜひ立ち寄って欲しい神社です発見された100年前の日本人の写真宝童稲荷神社銀座八丁神社めぐり

  • 衝撃 金運急上昇 蛇神 その蛇神様を祀るお寺 心光院龍王堂 東京タワー 近く

    テレビやネットの口コミで広がった蛇塚の評判。秋田県出身で郷土料理店を都内で営み始めた女将が、この祠を拝んだところ蛇と遭遇、その後もビルを建て替えるごとに蛇の抜け殻や蛇に遭遇し、仕事も順調に進んだということ・・・。実際に見てみたく行ってみたところ、立ち入り禁止になっていました。けれど、東京タワーの足元にこんな緑がいっぱいの場所があることがわかって、行って良かったです。そして、この近くの心光院に同じ由来で蛇神様を祀る祠があるということなのでそちらにお参りできました。そこで意外な出会いが。お竹さんを祀った祠に初めて遭遇。江戸時代の聖女です。なんとなく知っている程度でしたが、この祠を建てたのが徳川家光の側室で玉の輿を果たした桂昌院ということも知って驚き。家光公の愛馬を供養する馬頭観音様もおられました。東京タワーと...衝撃金運急上昇蛇神その蛇神様を祀るお寺心光院龍王堂東京タワー近く

  • 松陰神社 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも

    100年前の日本人の写真とともに松陰神社身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし日本魂幕末の思想家・吉田松陰を祀る神社。幕府を転覆する危険思想家として処刑されますが、その思想は日本が生まれ変わる根底となり幕末の志士たちに受け継がれます。久坂玄瑞、高杉晋作、山縣有朋、伊藤博文・・・。錚々たる志士たちの親とも言える松蔭の思想は、父から教わった教養が元になっている。それは、子供時代からの農作業をしながらの親子授業でした。松陰神社身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも

  • あづま稲荷大明神 銀座八丁神社めぐり 火を出して知らせた神様

    100年前の日本人の写真とともに東京神社小さな小径に入ると出会える神様。この神様がここにいらっしゃることを知らなければ、一生出会えないような銀座の聖域。戦災で焼け野原になった銀座の片隅で、ここにいることを知らせてくださったお稲荷様は今は銀座の人々にお世話されて、この小径におられます。銀座八丁神社めぐりの札所ですあづま稲荷大明神銀座八丁神社めぐり火を出して知らせた神様

  • 名前もわからない100年前の日本人 明治初期の美男美女 元徳稲荷神社・綱敷天満神社

    元徳稲荷神社・綱敷天満神社日本橋。都会の街角にたたずむ小さな神様です。鳥が気持ちよさそうにさえずる、森のような雰囲気でした。河村徳右衛門が祀っていた屋敷神を庶民に解放し、その後、大名の屋敷神として分霊をたまわり、近くの天神さまと合祀された神社。歴史を調べると明治維新後、いくつも地主が変わり、変遷を耐え抜いて今に至る聖域でした。今、ここに鎮座していただいていることにありがたいな、と思います名前もわからない100年前の日本人明治初期の美男美女元徳稲荷神社・綱敷天満神社

  • 葛西神社 金運アップ なで蛇様

    金町駅おりて10分、駅近とは思えない境内は森の雰囲気を残した神社。葛飾区最古の鳥居、たくさんの摂社、ご神木、精霊が宿っていそうな可愛らしい石の像。そして、金運アップのなで蛇様も鎮座されています。神社の楽しさがたくさん味わえます。葛西神社金運アップなで蛇様

  • 熊谷稲荷神社 銀座八丁神社めぐり 源平合戦の武将が銀座に来ていた

    100年前の日本人の写真とともに東京神社銀座八丁神社めぐりの札所の一つ、熊谷稲荷神社。飲食店の隣に立つ、見落としてしまいそうな小ささですが、その歴史は古く、不思議な話もありました。そして配電盤を点検できるように、移動式の神様です。銀座らしい、都市型の神社。熊谷稲荷神社銀座八丁神社めぐり源平合戦の武将が銀座に来ていた

  • 豊岩稲荷神社 バブル期の地上げを乗り越えた 銀座の隠れパワースポット 銀座八丁神社めぐり

    100年前の日本人の写真とともに東京神社ものすごい立地のお稲荷様。調べてみると、やはりバブル期の土地の高騰で、土地の所有者が何度も変わり収賄事件を起こした会社に買われると、その会社の収賄が世の中に次々と明らかになり地元の人から「お稲荷様の祟り」とささやかれていたのだとか。当時の週刊誌に豊岩稲荷の様子が写真として残っていました。更地にされた土地の隅っこに今にも取り壊されそうな雰囲気で立つ小さな祠。その時は独立した母屋があり、普通乗用車2台もないくらいの大きさの神社の敷地でした。参道はほんの隙間として残され、とてもじゃないけれどお参りしにくいさみしげな雰囲気。今はその頃よりもっと小さい敷居ですが、参道がきっちりと確保され、誰でもお参りできるルートがとられています。残してくれた地主の方、地元の方々に感謝します豊岩稲荷神社バブル期の地上げを乗り越えた銀座の隠れパワースポット銀座八丁神社めぐり

  • 銀座 朝参り② 風水の神様・Drコパが建てた神社 銀座三宅宮

    風水の第一人者と言える人、Drコパ。昔、この人の本を読んだな~、と思いつつ、銀座に神社を建てたとニュースで見てびっくり。かつて、別の神社で金運を願う人達の念がこもった洞窟の空気が怖かった記憶があったので、うかがってみて怖そうな感じだったら引き返そうと思いつつ、訪問。意外ときれいな空気で、元気がもらえそうな気配がします。手水舎も自動で、銭洗いをする仕組みもあり。ご挨拶だけしましたが、ここがどんなふうになっていくのか、見ていきたいと感じる神社でした銀座朝参り②風水の神様・Drコパが建てた神社銀座三宅宮

  • 銀座 朝の神社参り 八官神社 銀座八丁神社めぐり

    朝一番の、銀座。かつて神主さんがいたという神社は、ビルトイン・神社。けれど、そうと感じさせない、自然な感じで鎮座しています。成功を願い、宝くじの当選を願い、たくさんの願いを聞いてくれそうな神社です2023年の銀座八丁神社めぐりは十三札所で11月1日~3日の間、行われます。銀座朝の神社参り八官神社銀座八丁神社めぐり

  • 江戸幕府 黒鍬同心の鎮守 戦時には工兵隊、平時は城の普請、土木、影の立役者 末廣稲荷神社

    赤坂がこんなに坂だらけの土地だとは、知りませんでした。お目当ての場所に行くのに登って降りて、が多いのです。この土地をもらった「黒鍬の者」たち。今は地元の方がお世話している様子ですが、このような歴史のかけらが見つかることも東京の神社巡りの素敵なところです江戸幕府黒鍬同心の鎮守戦時には工兵隊、平時は城の普請、土木、影の立役者末廣稲荷神社

  • 猫が人を救う 死してなお守り続ける猫の神様 美喜井稲荷 赤坂

    100年前の日本人の写真とともに東京神社豊川稲荷東京別院と道をはさんですぐの場所。階段をあがったベランダのような、中二階のような、不思議な空間が作られていました。そこに祀られているのは狐ではなく、猫。猫がいる神社を猫神社と呼んだりしますが、ここはまさしく猫が神様なのです。飼い主の命を何度も救った「美喜井」を死後も祀り続ける聖域です。猫は気まぐれで自分本位だけれども、何万匹に一匹はこのように人を守るような神様猫が生まれ落ちてくるのかもしれません。ありがたく、そして猫の像に癒やされる空間です猫が人を救う死してなお守り続ける猫の神様美喜井稲荷赤坂

  • 忘れられた日本 水害の助け手 100年前の日本人の写真とともに 茶ノ木神社 日本橋人形町

    茶ノ木神社東京の神社をお参りしだして、私が一番最初に感動した聖域です。日本橋というまちなかにありながら、森のような雰囲気。手水舎も水がわきでていて、東京はゴミゴミしているのではないかと思っていた私の予想を打ち砕いてくれました。地元の人々が大切にお手入れしてくれているおかげです。忘れられた日本水害の助け手100年前の日本人の写真とともに茶ノ木神社日本橋人形町

  • 豊川稲荷 東京別院 江戸時代の名奉行 大岡越前が信奉したお稲荷様に会いに行く

    100年前の日本人の写真とともに東京神社東京・赤坂という、ビジネス街、皇族がいらっしゃって、高級住宅街でもあるような、いかにも「東京」という立地におわすお稲荷様。仏教系のお稲荷様は、優しい雰囲気です。境内の狐・狐・狐。もう、そこらじゅうに像があって、テーマパークのよう。祀り始めた大岡越前は、楽しい人だったんじゃないかと感じられる聖域。豊川稲荷東京別院江戸時代の名奉行大岡越前が信奉したお稲荷様に会いに行く

  • 名前もわからない江戸時代の日本人 横浜美人 嵐を起こした観音様 100年前の日本人の写真とともに 大観音寺

    100年前の日本人の写真とともに大観音寺ここの秘仏は月に二回もご開帳される観音様。とても大きな仏頭ですが、ご尊顔を見ていると心が穏やかになっていく不思議な感覚を覚えます。人形町まで旅してきた観音様の由来は明治時代の時代も感じさせるもの。ぜひ。お参りしてもらいたいお寺です。人形町駅から数分。大観音寺の近隣紹介徒歩3分茶ノ木神社徒歩3分水天宮徒歩3分小網神社徒歩4分末廣神社徒歩4分出世稲荷神社・岩代稲荷神社徒歩5分松嶋神社徒歩7分椙森神社徒歩7分常盤稲荷神社徒歩9分兜神社徒歩13分福徳神社(芽吹稲荷)名前もわからない江戸時代の日本人横浜美人嵐を起こした観音様100年前の日本人の写真とともに大観音寺

  • 忘れられた日本 100年前の日本人の写真とともに 子供は宝 安産祈願 水天宮

    東京、水天宮駅おりてすぐ。東京都中央区日本橋蛎殻町2丁目4−1。空がすかっと開けた不思議な聖地です。いつ訪れても明るい気で満たされているのです。安産祈願だけでなく、気持ちをアップしたい時にもおすすめの神社。忘れられた日本100年前の日本人の写真とともに子供は宝安産祈願水天宮

  • 川越 出世稲荷 御神木に会いに行く 古木に神が宿る

    100年前の日本人の写真とともに子どもたちの遊び場となっている境内。穏やかな空気で、笑い声が絶えない優しい雰囲気。川越っていい街だな、と感じさせる聖域です川越出世稲荷神社近隣紹介徒歩1分仙波日枝神社徒歩5分川越熊野神社徒歩6分小江戸蔵里川越市産業観光館徒歩6分喜多院徒歩8分浄土宗蓮馨寺徒歩9分川越市立中央図書館徒歩10分本川越駅徒歩13分川越市立川越第一小学校徒歩16分川越市駅徒歩12分川越八幡宮徒歩11分埼玉県立川越総合高等学校徒歩12分川越市立川越第一中学校徒歩18分川越城本丸御殿徒歩20分川越駅川越出世稲荷御神木に会いに行く古木に神が宿る

  • 忘れられた日本 水害の助け手 100年前の日本人の写真とともに 茶ノ木神社 日本橋人形町

    茶ノ木神社東京の神社をお参りしだして、私が一番最初に感動した聖域です。日本橋というまちなかにありながら、森のような雰囲気。手水舎も水がわきでていて、東京はゴミゴミしているのではないかと思っていた私の予想を打ち砕いてくれました。地元の人々が大切にお手入れしてくれているおかげです。忘れられた日本水害の助け手100年前の日本人の写真とともに茶ノ木神社日本橋人形町

  • 川越市連雀町 川越熊野神社 と 蓮馨寺 渡り鳥・連雀の名が残った 行商の日本人

    川越の観光地の中心地にある神社とお寺。観光客も日本人、海外の人、たくさんいました。神社はそういうなかではごちゃごちゃした雰囲気になりがちですが、不思議なことにこちらの熊野神社と蓮馨寺は清らかな空気を保っています。なにか秘訣があるんでしょうか?訪れたこちらの心身が浄化されたような気分になりました川越市連雀町川越熊野神社と蓮馨寺渡り鳥・連雀の名が残った行商の日本人

  • 不動明王の奇跡 失明が治った 江戸時代の奇跡 成田山川越別院

    100年前の日本人の写真とともに喜多院から歩いて2分。成田山の分院があることを知りませんでした。由来を調べてみると、お不動様の奇跡の力。お不動様を信じ切った男の物語がありました不動明王の奇跡失明が治った江戸時代の奇跡成田山川越別院

  • 隠れ家聖地 歌舞伎の初代 市川團十郎 の夢を叶えた神様 今は自転車おきばの神様

    地価の高い東京で生き延びる聖域、出世稲荷神社・岩代稲荷神社。「え?ここ?」誰もがそうつぶやくに違いない場所。自転車置き場の神様とも言えるかもしれません。けれど、その由来は古く、歌舞伎の初代・市川團十郎が信奉したという神様。出世を願う芸能関係者の参拝も多い。最寄り駅は人形町駅A5出口。隠れ家聖地歌舞伎の初代市川團十郎の夢を叶えた神様今は自転車おきばの神様

  • 椙森神社 江戸時代、宝くじといえば 忘れられた日本

    椙森(すぎのもり)神社江戸時代、紙と木でできた江戸の町は火事が多く発生し、寺社はたびたび焼失。再建費用を集めるため、富くじを興行したそう。いまの宝くじのもとになった由来が、江戸の火事とは意外です。日本でこの神社だけにある、富塚。宝くじを買ったなら、この神社に持ってきて富塚の前に置いて祈願をするとよいとのこと。夢が膨らみますね。境内は静かで落ち着きます。椙森神社江戸時代、宝くじといえば忘れられた日本

  • 2千年の泉 龍神が宿るご神木 秩父今宮神社

    埼玉・秩父の神社です。入り口で美しい泉に迎えられます。その歴史は2千年というのに、水がずっと巡っていて清らか。境内の中心には龍が宿るという千年の樹齢の巨大なご神木。そして役小角との関わりから、修験道の中心となった神社。自然を敬い、山岳信仰である修験道、そして病気平癒のスサノオ神を本殿に祀る…、たくさんのご神仏がいらっしゃる境内。とても楽しいのと同時に、世界の根源に触れるような厳かな気持ちになれる神社です。2千年の泉龍神が宿るご神木秩父今宮神社

  • 川越大師 喜多院 不思議な霊力を持った高僧たちの故郷 天海慈眼大師 円仁慈覚大師 慈恵元三大師

    川越大師喜多院不思議な霊力を持った高僧たちの故郷天海慈眼大師円仁慈覚大師慈恵元三大師川越大師喜多院不思議な霊力を持った高僧たちの故郷天海慈眼大師円仁慈覚大師慈恵元三大師

  • 徳川家康 死後の旅路 天海による法要 川越の東照宮 仙波東照宮 忘れられた日本

    小江戸川越ウエブによる解説照宮といえば徳川家康を祀った日光東照宮が有名だが、仙波東照宮は日本三大東照宮の一つで、喜多院の南側に隣接している。元和2年(1616)駿府で徳川家康公が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、寛永10年(1633)建立された。それから5年後の寛永15年(1638)、「寛永の大火」と呼ばれる大火事によって、喜多院山門を残し、焼け落ちたが、徳川家光より喜多院復興の命令が下ると、まず東照宮の再建が行われ寛永17年(1640)に完成した。漆塗りの極彩色の飾りが鮮やかな本殿・唐門・瑞垣・拝殿・幣殿・随身門(写真左上)・石鳥居と全てが重要文化財に指定されており、社殿の柱には東照宮の名に相応しく立派な彫刻が施されている。本殿内部には...徳川家康死後の旅路天海による法要川越の東照宮仙波東照宮忘れられた日本

  • 二千年の古社 秩父神社 最奥にはたくさんの…

    夜祭りで有名な神社。秩父三社の一つであり、その社殿の彫刻の美しさも日本らしいもの…。こんな素晴らしい神社が駅から徒歩で行けるのは旅行者にとってもありがたい。通り一遍の下調べで参拝し、社殿の最奥にとても素晴らしいものを見つけました。やはり神社は、行ってみないとわからない。最奥の宝物。日本らしい美しさを、ぜひ感じてみて下さい。二千年の古社秩父神社最奥にはたくさんの…

  • 宝くじ高額当選者のお礼の絵馬が並ぶ 聖神社 やっと銅が見つかった 日本初の貨幣 和同開珎 1300年前 秩父

    宝くじ高額当選者が数多くお礼参りにきている、という神社。確かに境内には○億円当たったという報告の絵馬が…。小さな集落の神様なのに、人々が絶え間なく訪れるのはそのおかげでしょう。その歴史は古く、この土地から「銅」が発見されたことを喜んだ朝廷が神を祀ったのが始まりです。そして、日本初の流通通過和同開珎が作られました。当時の天皇は、女性天皇の元明天皇。息子の文武天皇を亡くした後、即位したお母様天皇。前代から探し続けていた銅が見つかり、とても喜んだ、とのこと。歴史で習ったことに神社の由来で出会えるなんて、日本ってすごいな、と改めて感動。境内はひなびた感じでどこか懐かしい感じがします。宝くじ高額当選者のお礼の絵馬が並ぶ聖神社やっと銅が見つかった日本初の貨幣和同開珎1300年前秩父

  • 忘れられた日本 その相撲取りは人間に化けた者 川越八幡宮

    見どころがたくさんあって、楽しい神社。とても細かいところまで手入れがされていて、気持ちがいい境内です。小さな神様がたくさん鎮座されていて、どこで祈願しようか悩むほど。その歴史は古く、現代的な雰囲気ととてもうまく組み合わさっています。楽しい神社巡り。忘れられた日本その相撲取りは人間に化けた者川越八幡宮

  • 宝登山神社 狼の神は英雄を火事から守り山頂まで導いた

    宝登山(ほどさん)神社秩父三社山中に建つ絢爛豪華な社殿。緑をバックに、とても不思議な風景です。その歴史は古く、英雄ヤマトタケルが身を清めた泉も残っているほど。狼の神様がヤマトタケルを火事から守り、山頂の神がおわすところまで導いた伝説。ロマンがありますよね。秩父三山のひとつ。美しい神社と、山々の清らかな空気のハーモニーを感じてみて下さい。宝登山神社狼の神は英雄を火事から守り山頂まで導いた

  • 千年の古社 白鬚神社 東向島 元三大師 の 道開き 忘れられた日本

    東京はこのような歴史のある神社がさりげなく立っているところが、すごい。比叡山中興の祖・角大師厄除け御札を創始した元三(慈恵)大師が開祖なのです。元三大師は仏教の僧。子供の頃から霊力があったようで霊童と謳われ、流行り病を角大師という悪霊というか疫神を描いた見た目怖い御札を作り上げ大勢の人を病から救った人物。境内に入ると、歴史が積み上がってきたことがわかる石碑がたくさんあって、驚きます。やはり神社は実際に行ってみなければわからない、と感じさせられた聖域です。千年の古社白鬚神社東向島元三大師の道開き忘れられた日本

  • 源頼義・義家、将軍徳川家光、沖田総司…。武将の神 から 縁結び の神様へ 今戸焼 発祥の地 今戸神社

    今戸神社は隅田川沿いの今戸焼の発祥地域にあります。その由来も古くて驚きます。平安時代後期の武士による建立。この頃から武士は信心深かったんですね。今は縁結びの神様。穏やかな雰囲気を感じてみて下さい。源頼義・義家、将軍徳川家光、沖田総司…。武将の神から縁結びの神様へ今戸焼発祥の地今戸神社

  • 三峯神社 奥宮登山 昔は命がけ 今は整備された山道を快適に歩く 昔の写真とともに

    三峯神社奥宮妙法ヶ岳年に一度の三峯神社ご眷属のお借り換えの際の、奥宮登山。雨が降ったらやめよう、とどきどきしながら訪れると、晴れていました。幸運なことに今年も登れたことに感謝。長い年月をかけて先人たちが登りやすく整えてくれた山道の歴史。そして、不思議と毎年、筋肉痛がないのです。宿坊の興雲閣に泊まって温泉に浸かる効能もあるとは思いますが、神様のおかげだと思います。三峯神社奥宮登山昔は命がけ今は整備された山道を快適に歩く昔の写真とともに

  • 元寇 を乗り越えて 三島の水軍の将が江戸に来ていた 三島神社 (下谷) 雷を井戸に封じた聖域

    1274年(文永11)と1281年(弘安4)の二度にわたる元寇(モンゴル帝国による日本への侵略戦争)。船をことごとく沈めたという「神風」が大きくとらえられがちですが、実際は武士たちの奮戦が大きかったよう。神風をPRしたのは勝利を祈祷した僧侶たちだという話もあります。武士の力ではなく神仏の力で敵を滅したのだとアピールするために。東京で元寇で活躍した武士の逸話に出会えるなんて驚きました。残し続けてくださっている人々に感謝。元寇を乗り越えて三島の水軍の将が江戸に来ていた三島神社(下谷)雷を井戸に封じた聖域

  • 江戸城無血開城 勝海舟 の成長を見守った 五柱稲荷神社

    マンションの間にあるそこは、江戸時代の空気を残す不思議空間。仕事運アップの祈願詣りをする人が多いです。江戸城無血開城を導いた勝海舟の往来も伝える場所。ぜひ、味わってみてください。江戸城無血開城勝海舟の成長を見守った五柱稲荷神社

  • 三峯神社 狼の神様 御眷属拝借 の旅 昔は歩き 今は列車とバスで快適に

    三峯神社御眷属拝借の旅今年もやってきました、三峯神社。雨がふらないかドギマギしながら、けれど列車とバスに座りっぱなしの旅。昔と違って、お山にとても早く、楽に行けるようになりました。このような条件で、三峰神社に行かないのは絶対にもったいない。そんな気持ちになります三峯神社狼の神様御眷属拝借の旅昔は歩き今は列車とバスで快適に

  • 乃木神社 乃木希典 公を祀る 100年前の日本人の写真とともに

    日露戦争の陸軍大将・学習院の学校長、乃木希典公の死を悼んでつくられた神社。訪れてみると、優しく清らかな聖域にこちらの心身もすっきりする感覚がします。数千年のちには、誰が祀られているかわからないけれど、なんだか清々しい神社と人々に受け入れられてくれるといいな、と思う大切な場所です乃木神社乃木希典公を祀る100年前の日本人の写真とともに

  • 上野大仏 100年前の日本人の写真とともに 上野公園 花見の茶店 忘れられた日本

    上野大仏は仏頭どころか、顔だけの仏様。なんだか見ていると穏やかな気持になっていく不思議なお顔です。憩いの場になっている温かい聖域。上野公園って、慰霊の場であり憩いの場であり祈りの場であり、日本らしい場所です上野大仏100年前の日本人の写真とともに上野公園花見の茶店忘れられた日本

  • 名前もわからない日本人の写真 みんなわらじを履いてきた わらじ石 小岩神社

    100年前の日本人の写真とともに東京神社小岩神社小岩の旅、最終地。道路沿いに立つ神社ですが、入ってみるとがらりと雰囲気が変わります。摂社ごとに醸し出す個性というか、空気が変わるのが面白い。和魂社は戦没者を祀るお宮だというのに、とても明るくて驚きます。わらじ石は、とても素朴な日本人の魂に触れるようなお宮。懐かしい、と感じる聖域でした名前もわからない日本人の写真みんなわらじを履いてきたわらじ石小岩神社

  • しばられて 願いかなえる 地蔵尊 300年間しばられ続けるお地蔵様 大岡越前 南蔵院しばられ 地蔵尊

    縄でお地蔵様を縛って願い事をするという、変わったお寺。願い事をしたあとは、庭にたたずむ、だるまの石仏様にさらに「願いをかなえるパワー」をいただきます。またがると出世する牛にまたがったり、美しい音色を奏でる水琴窟に癒やされたり。参拝者を楽しませてくれる仕掛けがたくさんあるお寺です。楽しいお寺参り。しばられて願いかなえる地蔵尊300年間しばられ続けるお地蔵様大岡越前南蔵院しばられ地蔵尊

  • 忘れられた日本 日本の運命を変えた男・藤原鎌足が太刀を奉納 亀戸香取神社

    東京で藤原鎌足の伝説に出会えるなんて、驚きました。茨城県・千葉県にある古社、鹿島神宮・香取神宮・息栖神社など、東の守りである聖域に天智天皇の密命を受けて来たのかな?などと、妄想が進みます。平安時代の武将・藤原秀郷も戦勝を祈願し、多くの武将たちの願いを叶えてきた神様。今はスポーツの勝利を勝ち取る祈願も多いよう。神様も人間にあわせて変化変容しているのも面白いところ。境内はゆったりとした空気です。忘れられた日本日本の運命を変えた男・藤原鎌足が太刀を奉納亀戸香取神社

  • 忘れられた日本 富士山が大好きな日本人 巨大富士塚 飯塚富士神社

    飯塚富士神社木花咲耶姫命昔の人は富士山が大好き。好きが高じて、自分の近所に富士塚を作ってしまうくらいです。東京から富士山は昔は見えていて、ものすごく身近な存在だったんでしょうね。金町駅近くの神社です。忘れられた日本富士山が大好きな日本人巨大富士塚飯塚富士神社

  • 忘れられた日本 橋場の渡し 源頼朝は浮舟を橋とした 橋場不動尊

    開祖の志を残す寺橋場不動尊にお寺参り幹線道路から小道に入ったところにあるお寺。派手さはないけれど優しい雰囲気の境内です。開祖は道鏡と同じ時代の人ですが、「草堂を営む」と言うように権力とは無縁、民衆に仏の道を説いたのでしょう。そんな志が脈々と残っているような本堂です。お不動様は憤怒の表情で恐ろしい外見ですが、内面は慈愛の優しさに満ちているご神仏。その優しさもいっぱい満ちているような聖域です。忘れられた日本橋場の渡し源頼朝は浮舟を橋とした橋場不動尊

  • 江戸時代に善政を敷いた役人一族 代官所跡 中曽根天祖神社 忘れられた日本

    100年前の日本人の写真とともに東京神社中曽根天祖神社まさに住宅街のど真ん中。静かにこの神社は佇んでいました。創始は不詳だけれども、江戸時代の伊奈半十郎の代官所だった歴史があります。尊敬されていた役人って、どういう人だったんでしょうね。そういう想像もかきたてられる聖域です江戸時代に善政を敷いた役人一族代官所跡中曽根天祖神社忘れられた日本

  • 剣客商売の舞台 池波正太郎 真崎稲荷 を境内に抱く 石浜神社 1300年の歴史

    石浜神社陸と陸をつなぐ舟の渡し場・橋場の渡しであり戦場にもなり古城も築かれていた隅田川の要所。江戸時代には景勝地として栄えたとか。当時の絵にも残されています。狐占いのような伝説を残す祠や富士塚、観音様など…。時代劇小説では境内社となっている真崎稲荷のそばに住んでいた剣客の話・池波正太郎の「剣客商売」の舞台ともなったところ。今は食事処も建てられた現代風の境内ですが、やはりそこかしこに昔の遺物が残っています。そして、すかっとさわやかな空が見渡せる境内はとても清らかです。剣客商売の舞台池波正太郎真崎稲荷を境内に抱く石浜神社1300年の歴史

  • 神の鹿、死す 鹿島から奈良の都へ 鹿骨見神社

    100年前の日本人の写真とともに東京神社鹿骨見神社ファミリーマートも立つ鹿骨交差点に面した場所。静かに、こちらの神社は佇んでいます。かつて高い塚があったという話ですが、おそらく周りの住宅や道路に削られ、こじんまりとした神社。春日大社の柱となった神を運んだ、尊い鹿をこの地の人々はありがたく、そして可哀想に思ったのでしょう。昔の人々の心に触れることのできる聖域。神の鹿、死す鹿島から奈良の都へ鹿骨見神社

  • 戦国時代、小田原落城 もう一つの物語 落ち武者は小田原から隅田川へ 袖摺稲荷神社

    流転の神は小田原城落城から隅田川を選んだ…なぜ?袖摺稲荷神社「我を供奉して隅田の辺に下るべし」難攻不落と言われた小田原城は豊臣秀吉に攻め落とされ、敗者である小田原側の武者に夢見で告げたお稲荷様。信心深いこの男なら神の言うことをきくだろうと考えてのことかもしれません。源頼朝が彫ったお稲荷様が隅田川でご神威を輝かせ人々が「そですりあう」ほど大勢参拝していたという、お稲荷様。今は静かな住宅街にひっそりと鎮座しておられます。戦国時代、小田原落城もう一つの物語落ち武者は小田原から隅田川へ袖摺稲荷神社

  • 忘れられた日本 元・魔王? 高木神社 そして からかい上手の高木さん

    もともとは第六天社、そして今は結びの神様・たかむすびの神を祀る「むすび」の神社。第六天社は関東に来て初めてまみえた神様。謎が多いのです。仏教の総本山・比叡山を焼き討ちした織田信長が「仏敵」として「第六天魔王」と呼ばれたとか、神より「魔」の色合いが濃いような…。けれど、こちらの境内は明るく楽しげ。可愛らしいおむすびの縁起物に思わず顔がほころびます。そしてアニメの「からかい上手の高木さん」とコラボするという日本の神社らしい、エンターテイメント忘れられた日本元・魔王?高木神社そしてからかい上手の高木さん

  • 忘れられた日本 落ち武者5つの一族 上州群馬より来る 鹿骨鹿島神社

    静かな神社です。ご先祖を祀っているような、静謐さ。驚いたことに、本殿の後ろに小さな小さなお稲荷様が鎮座していました。最奥にはいちばん大切なものを祀るはず。お稲荷様のような雰囲気ではないので、本当は違う神様かも知れません。あるいは、ここに落ち武者5部族が来る前から、祀られていた古い神様か。謎の多い神社です忘れられた日本落ち武者5つの一族上州群馬より来る鹿骨鹿島神社

  • 吉原遊廓 遊女たちが生きてきた証 吉原神社

    吉原神社の歴史は、吉原遊郭の歴史とも言えます。辺鄙な場所が一大歓楽街となる。そして接待の場所・文化交流のメッカになっていき、春は桜の木が通りに持ち込まれ、人々の目を楽しませ江戸の観光名所となる。吉原に来る人々の7割が素通りの客(ひやかし)だったとも言います。美しい女性、美しい場所を見に来る人々。遊女たちはお稲荷様を篤く信仰していたそう。いろいろな願掛けをしたのだと思います。それに思いをはせることができる聖域です。吉原遊廓遊女たちが生きてきた証吉原神社

  • 忘れられた日本 不夜城 錦糸町 ど真ん中 田螺稲荷神社

    田螺(たにし)稲荷神社錦糸町は不思議な街。ラブホテル街やキャバクラ街、性風俗街、場外馬券場、人の欲望ひしめきながらも川を一本超えると住宅街になって、すっきりとした印象になる。欲望ひしめく眠らない街・錦糸町ど真ん中の路地裏・・・。火事を防いだという不思議な伝説が残る神社。人間の火消し組(消防)のような田螺の存在に、昔は人と自然の距離勝ちかかったのではないかと思われる出来事なのです。場所は、飲食店のビルのすきま。そこはきれいに清められ、周辺の人々から大切にされているのが感じられる聖域。忘れられた日本不夜城錦糸町ど真ん中田螺稲荷神社

  • 100年前の日本人の写真とともに 風に飛ばされ川に流されてやって来た神様 篠崎浅間神社

    東京都内でもどこか懐かしい一軒家が畑が残っている土地。その一角にこの神社は広大な敷地を持っています。摂社が多く鎮座し、過去に参拝したときはわからなかった神様を、今回見つけることができました。どこか懐かしい雰囲気が漂う聖域。摂社のひとつ、霧島神社が鹿児島だからでしょうか?植えられている木々の種類から、南国の雰囲気も感じられます。100年前の日本人の写真とともに風に飛ばされ川に流されてやって来た神様篠崎浅間神社

  • 忘れられた日本 不夜城・錦糸町の強運守護神 千種稲荷神社

    鎮座するのは眠らない街・錦糸町、錦糸公園はし。錦糸公園は錦糸町駅そばだというのに広くて驚きます。関東大震災もアメリカ軍による東京大空襲でも生き延びた、すごい神社です。とくに空襲時は、境内に大勢の人が逃げ延びて助けられました。強運の神様。忘れられた日本不夜城・錦糸町の強運守護神千種稲荷神社

  • 100年前の日本人の写真 武将二人が同じ夢 室町時代の太田道灌 出世稲荷神社

    100年前の日本人の写真とともに東京神社新宿の出世稲荷神社新宿の住宅街に鎮座する、静かな静かなお稲荷様。隠れるようにたたずむそこは、戦乱から避けて建てられた聖域。もとの「カッコウの丘」がどこにあったのは、わかりませんでした。兵士の進む街道沿いにあったのではないかと想像します。太田道灌と同じ夢を見た、粟津民部豊重。この神社は「粟津稲荷」と呼ばれていた時期もあるそう。太田道灌の配下だったことしかわかりませんが、彼と道灌が夢を見た自分を信じた証の神社。昔の人と神様は、距離が近かったような気がします。昔の武将の人生に触れることが出来るような場所。100年前の日本人の写真武将二人が同じ夢室町時代の太田道灌出世稲荷神社

  • 牛鬼が祀られる 牛嶋神社 須佐之男命の化身 吾妻鑑 忘れられた日本

    仏教の慈覚大師・円仁が創設した神社牛嶋神社千年以上続いているため、古い遺構がそこかしこにさりげなく置かれています。最初「牛」と名前につくから太宰府天満宮系だと勘違いして参拝したところ、全く違う雰囲気で…。鎌倉時代の『吾妻鑑』には不思議な伝承があります。建長三年(1251)、浅草寺に牛のような妖怪が現れ、食堂にいた僧侶たち24人が悪気を受けて病に侵され、7人が死亡。この牛鬼が社中を走り回り、牛嶋神社に飛び込み、落として行った牛玉を牛島神社の神宝としたという・・・。牛鬼のその後は描かれていないのですが、もしや牛嶋神社に封じられ、祀られているかもしれない。どことなく京都のように雅で、箱庭的な雰囲気が漂う神社。清らかなだけじゃない、深い暗闇も感じる不思議な雰囲気。牛鬼が祀られる牛嶋神社須佐之男命の化身吾妻鑑忘れられた日本

  • 100年前の日本人の写真とともに 新宿の弁天様 厳島神社抜弁天

    交差点に面した神様。新宿のまちなかというのに、水がこんこんと湧き出ているのに驚きました。どなたかが丁寧に清めていると思われる境内。ありがたいです。小さな空間ですが、とても歴史のある神様。100年前の日本人の写真とともに新宿の弁天様厳島神社抜弁天

  • 忘れられた日本 上野不忍池 弁天と姉妹の弁財天さま 朝日弁財天

    小さな池と、公園と。もと大名屋敷の弁天様は、今はこじんまりと鎮座されています。広大な敷地だったことが信じられないくらい、コンパクトな境内。上野の弁天様を建てた大名が自分の屋敷にも勧請した弁天様です。そのため、二柱は姉妹と呼ばれました。空気が似ているかどうか、感じてみてください。忘れられた日本上野不忍池弁天と姉妹の弁財天さま朝日弁財天

  • 1200年前からの奇岩 素盞雄神社 すさのお神社 忘れられた日本

    素盞雄(すさのお)神社南千住駅を降りて数分。参拝してわかる、この神社の凄さ。名前に有名な神様の名をつけていることから、あまり期待せずに行ったところ、ものすごいご神気に衝撃を受けました。車道や高速道路に近いというのに、弾けんばかりの聖域パワー。松尾芭蕉が旅のはじめにこちらに安全を祈願したというのもうなずけます。この神社の始まりは、奇岩。修験道の開祖である役小角の弟子の黒珍(こくちん)という人がこの岩を祀ったことから始まりました。その岩がまだ残っているんです。東京はアメリカ軍の空襲で破壊され尽くした神社が多いのですが、ここではその御神体が、まだ残っていた。奇跡のような場所です。1200年前からの奇岩素盞雄神社すさのお神社忘れられた日本

  • 兵火・震災。災難ののちの不思議に民は希望を見出した 新宿 西向天神社

    100年前の日本人の写真とともに東京神社西向天神社新宿の大都会らしいところをすぎると、住宅街になってきます。その一角の森のような丘にそびえる聖域。新宿なのに清水が湧き出ているのには感動します。鎌倉時代の明恵上人や、室町時代太田道灌の紅皿伝説、江戸時代に流行した富士塚。いくつもの時代が重ねられた空間で、穏やかな気持になるのです兵火・震災。災難ののちの不思議に民は希望を見出した新宿西向天神社

  • 忘れられた日本 安藤広重 ゴッホが描き写した現場 梅の楽園 梅屋敷伏見稲荷神社

    歌川広重が浮世絵に描いた梅の名所梅屋敷伏見稲荷神社江戸時代、梅の名所を梅屋敷と呼んだ。こちらは、かの有名な水戸光圀公や、将軍・徳川吉宗も梅見に来た名所。歌川広重が錦絵でも残し、それをゴッホが模写した絵の現場。たくさんの人々が見に集った場所です。今はものすご~く細い路地の先に鎮座しています。それでも大切にされているのがわかる清らかな聖域。忘れられた日本安藤広重ゴッホが描き写した現場梅の楽園梅屋敷伏見稲荷神社

  • 歌舞伎町の鬼は◯◯屋を繁盛させる 稲荷鬼王神社

    100年前の日本人の写真とともに稲荷鬼王(きおう)神社日本最大の歓楽街となった新宿・歌舞伎町キャバクラ・風俗・ラブホテル・ホスト店が軒を連ねる街の顔も、この神社に立ち寄ると一気に森の雰囲気に変わります。夜の間、扉を閉ざすこともせずに開放された聖域。歌舞伎町で成功を求める人は、こちらに通っているのではないでしょうか。歌舞伎町の鬼は◯◯屋を繁盛させる稲荷鬼王神社

  • 日本橋の歴史 城の守護・大漁祈願・安産祈願 江戸の歴史 常磐稲荷神社 忘れられた日本

    常磐稲荷神社城の守護・大漁祈願・安産祈願江戸の歴史を支えてきたもとは太田道灌が江戸城築城の際に京都から勧請したお稲荷様。江戸時代になり移転した際、そこの地名が常盤橋になったくらい大きな存在だったよう。その後日本橋魚市場内に移っています。安産祈願のお参りも多く、お礼参りに桜の若木が奉納される慣わしがあり、当時は魚市場桜花爛漫の景観であったということ。城の守りから大漁祈願、商売繁盛、安産祈願まで。こちらの神社は安全や「実る」幸せを守ってくれているのでしょう。今は日本橋にさりげなく鎮座していますがすごい神様。日本橋の歴史城の守護・大漁祈願・安産祈願江戸の歴史常磐稲荷神社忘れられた日本

  • 新宿の主 花園神社 100年前の日本の写真とともに 日本人は昔から花園が好き 忘れられた日本

    100年前の日本人の写真とともに東京神社新宿・花園神社新宿三丁目駅E2、あるいはE1出口を降りてすぐ。花園という名の、新宿の主のような神社です。初め、夜遅くに通りを歩いていていて気がついたこちらの聖域。何度か朝参りに伺いました。正面ではない、靖国通りからいつも通っていたので気が付かなかった小さな聖域に今回、初めて気が付いたのでした。新宿の主花園神社100年前の日本の写真とともに日本人は昔から花園が好き忘れられた日本

  • なでると幸せになる大顔おかめ と 酉の市 鷲神社 忘れられた日本 祭りのない静かな早朝

    鷲(おおとり)神社毎年11月の酉の市で大変な賑わいを見せる浅草・鷲神社。普段の顔はどんなふうなんだろうと、参拝しました。早朝から祭りのBGMが流れる不思議な聖域です。参拝している人は、本殿どまんなかに鎮座するなでおかめの顔を遠慮なく額からあごから頬をなでまわしていました。楽しい参拝です。なでると幸せになる大顔おかめと酉の市鷲神社忘れられた日本祭りのない静かな早朝

  • 日本橋 ビジネス街ど真ん中 銀杏の聖域 銀杏八幡宮・銀杏稲荷 忘れられた日本

    銀杏八幡宮・銀杏稲荷兜神社から茶ノ木神社の移動中、ふっと見つけた神社です。外から見ると狭いですが、中に入ると穏やかで静かな空間にとても広く感じられます。お稲荷さんが明るくてイキイキしていて元気がもらえるような表情。このあたりで働いている人は、ここに来てほっとしているんじゃないでしょうか。日本橋ビジネス街ど真ん中銀杏の聖域銀杏八幡宮・銀杏稲荷忘れられた日本

  • いつか聖天様に呼ばれる日が来る 浅草の聖天様 待乳山聖天 他のご神仏では聞いてもらえない願いを叶えてくれる

    浅草・浅草寺から徒歩10分。全く雰囲気の違うお寺があります。それがここ、待乳山聖天。生涯で縁がある人だけが訪れ、信奉することが出来るという言われもある・・・。恐ろしいほど願いが叶うご神仏です。知れば知るほど、自分が無知であることを思い知らされる奥深い仏様のような、神様のような、不思議な存在。いつか聖天様に呼ばれる日が来る浅草の聖天様待乳山聖天他のご神仏では聞いてもらえない願いを叶えてくれる

  • 新橋 密かな聖域 飲み屋街 にひっそりと 忘れられた日本 善処稲荷大明神

    サラリーマンの街・新橋。新橋駅前SL広場から徒歩5分。道を歩いていたらいきなり会える、東京あるある、小さなお稲荷様です。ビルとビルのすきまに鎮座していますが、おそらくあとからビルが建ったのだと思うような敷地。長らく地域の神様だったのでしょう。小さくても清らかな風が吹いているような聖域。新橋密かな聖域飲み屋街にひっそりと忘れられた日本善処稲荷大明神

  • 忘れられた日本 東京でばったり出会えた名前のない聖域 本天沼 三峰神社 と 厳島神社

    本天沼三峰様と厳島さま本天沼稲荷神社あたりをぶらぶら歩いている途中にばったり出会えた、聖域です。鳥居の文字がかすれて見えず、祠に表示しているのでやっと神様の名前がわかるくらい、小さな神社。地元の人が大切にしているのがわかる、きれいに掃き清められた空間。この場所が生き続けていくれているありがたさを感じます。忘れられた日本東京でばったり出会えた名前のない聖域本天沼三峰神社と厳島神社

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