畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に上田端八幡神社畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に上田端八幡神社
忘れられた日本時代劇のふるさと100年前の日本人の写真とともに東京神社待乳山(まつちやま)聖天何度訪れてもまた訪れたくなる不思議なお寺。池波正太郎の小説にちらほら出てくる神社仏閣の一つです。江戸時代の空気を色濃く残す聖域ですが、その創始はかなり古いもの。当時の偉人が建てたのではなく、庶民の間から見出された仏様。それが今も続いているとは、ありがたい。たくさんの人に待乳山聖天を知ってもらって、人々と幸せを享受したい。忘れられた日本時代劇のふるさと
忘れられた日本。聞け、学問の神の声。上見れば平田神社明治神宮からこんなに近いところに学問の神様が。意外なところに鎮座する、幕末の思想家・平田篤胤を祀る、学問の神です。もともとの創始は明治初年、東京柳島横川町(墨田区)に平田家邸内社として創立したよう。巡り巡って明治天皇のそばにやってきました。彼の考え抜いた世界観が今につながっているかと思うと、感慨深い。忘れられた日本。聞け、学問の神の声。上見れば
忘れられた日本この地を守る守護神浅草の地護稲荷神社と伏見稲荷社移転すると祟りというか、触りのある神社の話はよく聞きます。ここも、そんな神様。家々に囲まれながらも、清らかな空気を保っている小さな神様。浅草は小さな神様でも大切にしているのがわかる、よい土地柄。忘れられた日本この地を守る守護神
忘れられた日本日本の運命を変えた男・藤原鎌足が太刀を奉納亀戸香取神社東京で藤原鎌足の伝説に出会えるなんて、驚きました。茨城県にある古社、鹿島神宮・香取神宮・息栖神社など東の守りである聖域に天智天皇の密命を受けて来たのかな?などと、妄想が進みます。藤原秀郷も戦勝を祈願し多くの武将たちの願いを叶えてきた神様。今はスポーツの勝利を勝ち取る祈願も多いよう。神様も人間にあわせて変化変容しているのも面白いところ。境内はゆったりとした空気です。忘れられた日本日本の運命を変えた男・藤原鎌足が太刀を奉納
忘れられた日本殺すなかれ櫻田神社東京都港区西麻布3217六本木ヒルズそば六本木ヒルズという都会を象徴するようなビルのそばに佇む神社。源頼朝の逸話から、桜の木が植えられて昔の人とつながることができるような気がします。境内に入ると、とても静か。平安時代の出来事が今に蘇るようです。本殿の右に小さなお稲荷さんが鎮座して、あやうく見過ごすところでした。こちらも大切な神様。お参りしていただいて、この心地の良い神社を好きになってもらいたい。櫻田神社の近隣紹介徒歩で1分六本木ヒルズ徒歩で2分浄土宗一向山専称寺徒歩で7分出雲大社東京分祠徒歩で10分朝日神社徒歩で11分龍土神明宮天祖神社徒歩で13分十番稲荷神社(港七福神宝船)徒歩で14分永平寺別院長谷寺(麻布大観音)徒歩で14分麻布氷川神社徒歩で15分広尾稲荷神社(廣尾稲荷...忘れられた日本殺すなかれ
誰も知らない日本1300年東京・隅田川の歴史石浜神社陸と陸をつなぐ舟の渡し場であり戦場にもなり古城も築かれていた隅田川の要所。江戸時代には景勝地として栄えたとか。当時の絵にも残されています。いまは食事処も建てられた現代風の境内ですが、やはりそこかしこに昔の遺物が残っています。狐占いのような伝説を残す祠や富士塚、観音様など…。そして、すかっとさわやかな空が見渡せる境内はとても清らかです。誰も知らない日本1300年東京・隅田川の歴史
忘れられた日本シーボルトの娘薬の神ヤマトタケルの伝説を持つ、もと古墳の上に鎮座していた五條天神社花園稲荷神社(穴稲荷)の隣にあるのを忘れそうなほど静かな神社。同じ神社なのに、全く雰囲気ががらりと変わります。室町時代までは、摺鉢山古墳の上に気づかれていたという聖域。上野の地は他にも、桜雲台古墳,蛇塚古墳,表慶館古墳など、数多くの古墳があったらしいのですが、東京文化会館、東京国立博物館の建築で潰れてしまったそう。もしかしてこれらの古墳の主が、ヤマトタケルが東征してきた際に、助け手になったのではないかな、と想像してしまいます。五條天神社の近隣紹介徒歩で1分花園稲荷神社徒歩で2分不忍池辯天堂徒歩で2分上野大佛徒歩で2分摺鉢山古墳徒歩で5分上野東照宮徒歩で9分摩利支天徳大寺徒歩で10分東京国立博物館徒歩で12分湯島...忘れられた日本シーボルトの娘薬の神
忘れられた日本最後の決戦彰義隊上野戦争最後の決戦の地穴稲荷花園稲荷神社江戸の悲しい歴史の終わりにその名を刻む神社です。「穴稲荷の戦い」彰義隊の戦いは上野だけじゃなく、実際は広範囲に及んでいたらしい。こちらの穴稲荷は戸を開けて入る聖域。入ってみると、電気がついて明るく清々しい雰囲気。毎日のようにお参りしている人もいるようです。花園稲荷神社の近隣紹介徒歩で2分不忍池辯天堂徒歩で4分上野東照宮徒歩で6分西郷隆盛像徒歩で2分上野アメ横商店街徒歩で9分摩利支天徳大寺徒歩で10分東京国立博物館徒歩で13分湯島天満宮徒歩で16分寛永寺根本中堂徒歩で17分下谷神社徒歩で18分根津神社忘れられた日本最後の決戦
忘れられた日本瞽女旅する盲目の目の薬師様普門寺府中市府中競馬正門前駅からすぐ。創建の詳しいことはわからないけれど、やはり戦国時代に荒廃してしまったお寺。それを再建して、薬師観音様を祀って再び民衆と結びついた仏様です。地域の公会堂もそばに建ってあって、この地に溶け込んでいる聖域。普門寺の近隣紹介徒歩で4分馬頭観世音菩薩徒歩で4分馬霊塔徒歩で4分妙顕神社徒歩で4分日吉神社徒歩で4分天神社徒歩で6分妙光院徒歩で7分安養寺徒歩で8分金比羅神社徒歩で8分大國魂神社徒歩で8分武蔵国府八幡宮徒歩で9分善明寺徒歩で15分瀧神社徒歩で16分高安寺観音堂徒歩で19分聖将山東郷寺忘れられた日本瞽女旅する盲目の目の薬師様
忘れられた日本村老野人にかたらひて草堂を営む開祖の志を残す寺橋場不動尊にお寺参り幹線道路から小道に入ったところにあるお寺。派手さはないけれど優しい雰囲気の境内です。開祖は道鏡と同じ時代の人ですが、「草堂を営む」と言うように権力とは無縁、民衆に仏の道を説いたのでしょう。そんな志が脈々と残っているような本堂です。お不動様は憤怒の表情で恐ろしい外見ですが、内面は慈愛の優しさに満ちているご神仏。その優しさもいっぱい満ちているような聖域なのです。忘れられた日本村老野人にかたらひて草堂を営む
忘れられた日本奪われた神様ふるさとに帰ってきた東伏見氷川神社この神社の参道を探して少し迷いました。今は住宅街、そして大学にほど近い場所。本殿は立派ですが、なぜか横にある小さな小さな祠がきらきら輝いているように感じて不思議でした。帰ってから、その由来を調べてみると、この地域の人々が必死に大切なものを奪われまいと、抗った歴史が見つかり。「上保谷村下柳沢集落の鎮守は、榛名権現社でした。ところが、神社合祀令により、大正4年に尉殿神社に合祀されてしまいます。現在の氷川神社は、氏子の切望により、埼玉県さいたま市蓮見新田の村社を、昭和17年に引宮したものです。昭和59年、長い時間を経て、ようやく榛名の神は、相殿ではありますが、故地に還ってきたそうです。「榛名大権現石造物群」は、その歴史を今に伝える貴重な文化財なのです」...忘れられた日本奪われた神様
忘れられた日本連れ立っていく白玉稲荷大明神•セキセキ稲荷大明神郵便局の裏手に鎮座している神様。参道はおそらく宅地によってつぶされています。井戸が残っていて、驚きました。お世話をしている方がおられるんでしょうね、清められた境内。源義家の御家人のお塚だったんでしょうか。千年経って、お塚が聖域になっている不思議。白玉稲荷大明神•セキセキ稲荷大明神の近隣紹介徒歩で5分初台出世稲荷大明神徒歩で8分初台不動堂徒歩で11分代々木八幡宮徒歩で17分幡ヶ谷不動尊厄除不動明王徒歩で19分銀世界稲荷神社徒歩で19分幡ヶ谷氷川神社徒歩で21分津島神社徒歩で22分明治神宮徒歩で22分平田神社徒歩で29分大山稲荷神社徒歩で30分多田神社忘れられた日本連れ立っていく
忘れられた日本落ち武者は小田原から隅田川へ流転の神は小田原城落城から隅田川を選んだ…なぜ?袖摺稲荷神社「我を供奉して隅田の辺に下るべし」小田原城落城で敗者である小田原側の武者に夢見で告げたお稲荷様。信心深いこの男なら神の言うことをきくだろうと考えてのことかもしれません。源頼朝が彫ったお稲荷様が隅田川でご神威を輝かせ人々が「そですりあう」ほど大勢参拝していたという、お稲荷様。今は静かな住宅街にひっそりと鎮座しておられます。★袖摺稲荷神社の年表など紹介はこちらhttps://note.com/tokyozinja/n/n087bc3986741袖摺稲荷神社の近隣紹介徒歩で3分合力稲荷神社徒歩で4分浅草富士浅間神社徒歩で5分熱田神社徒歩で8分今戸神社徒歩で9分待乳山本龍院(待乳山聖天)徒歩で9分箭弓稲荷神社徒歩...忘れられた日本落ち武者は小田原から隅田川へ
忘れられた日本坂の上の初台出世稲荷大明神気軽な気持ちで訪れてみると、結構な坂に驚きながら参拝した神社。昔は太田道灌が築いた砦があったとか、歴史ある地区。公園と一緒にされても穏やかな雰囲気で佇んでいる神様です。初台出世稲荷大明神の近隣紹介徒歩で3分初台不動堂徒歩で6分白玉稲荷大明神(セキセキ稲荷大明神)徒歩で11分代々木八幡宮徒歩で15分幡ヶ谷不動尊厄除不動明王徒歩で18分平田神社徒歩で18分明治神宮徒歩で21分幡ヶ谷氷川神社忘れられた日本坂の上の初台出世稲荷大明神
忘れられた日本元・魔王?高木神社もともとは第六天社、そして今は結びの神様・たかむすびの神を祀る「むすび」の神社。第六天社は関東に来て初めてまみえた神様。謎が多いのです。仏教の総本山・比叡山を焼き討ちした織田信長が「仏敵」として「第六天魔王」と呼ばれたとか、神より「魔」の色合いが濃いような…。けれど、こちらの境内は明るく楽しげ。可愛らしいおむすびの縁起物に思わず顔がほころびます。そしてアニメの「からかい上手の高木さん」とコラボするという日本の神社らしいエンターテイメント・・・忘れられた日本元・魔王?
忘れられた日本桜が散ったあと武蔵国府八幡宮桜の時期の終わりかけに訪れた神社。とても静かで、静謐でした。花見には近隣の人々が訪れているのでしょうか。無口な神様です。武蔵国府八幡宮の近隣紹介徒歩で6分東京競馬場徒歩で8分普門寺徒歩で8分馬頭観世音菩薩徒歩で9分瀧神社徒歩で9分日吉神社徒歩で10分天神社徒歩で10分妙光院徒歩で12分金比羅神社徒歩で14分大國魂神社忘れられた日本桜が散ったあと
忘れられた日本吉原遊廓遊女たちが生きてきた証吉原神社吉原神社吉原神社の歴史は、吉原遊郭の歴史とも言えます。辺鄙な場所が一大歓楽街となる。そして接待の場所・文化交流のメッカになっていき、春は桜の木が通りに持ち込まれ、人々の目を楽しませ江戸の観光名所となる。吉原に来る人々の7割が素通りの客(ひやかし)だったとも言います。美しい女性、美しい場所を見に来る人々。遊女たちはお稲荷様を篤く信仰していたそう。いろいろな願掛けをしたのだと思います。それに思いをはせることができる聖域です。【吉原遊郭と吉原神社の歴史年表】和同4(711)年千葉九朗助の夢見に白狐黒狐が天下り元吉原の地に勧請元和3年(1617)幕府の許可を得て江戸中の遊女屋を集める。元吉原時代始まり(現在の日本橋人形町周辺)元吉原の総鎮守は末廣神社https:...忘れられた日本吉原遊廓遊女たちが生きてきた証吉原神社
忘れられた日本浅草の小さな神様巡り無事冨稲荷大明神幸福稲荷大明神嬉乃森稲荷神社浅草は神仏がひしめきあっている土地。明治の廃仏毀釈や、関東大震災や、アメリカ軍による空襲で消滅させられている神仏もかなりあると思うのですが、それでも日本人と寄り添ってくださるご神仏たち。小さな神様も大切にされているのを見ると、嬉しくなります。無事冨稲荷大明神東京都台東区浅草1丁目14−2幸福稲荷大明神東京都台東区浅草1丁目39−1嬉乃森稲荷神社東京都台東区花川戸1丁目15忘れられた日本浅草の小さな神様巡り
忘れられた日本ゴッホが描き写した現場梅屋敷歌川広重が浮世絵に描いた梅の名所梅屋敷伏見稲荷神社江戸時代、梅の名所を梅屋敷と呼んだ。こちらは、かの有名な水戸光圀公や、将軍・徳川吉宗も梅見に来た名所。歌川広重が錦絵でも残し、それをゴッホが模写した絵の現場。たくさんの人々が見に集った場所です。今はものすごく細い路地の先に鎮座しています。それでも大切にされているのがわかる清らかな聖域。忘れられた日本ゴッホが描き写した現場梅屋敷
忘れられた日本破壊か変容か神か仏か府中の妙光院の金比羅神社初めて訪れたとき、神社のような輝きよりも、仏様のような細かな優しい光のような感覚を覚えた神社。江戸時代の境内地図を見ると、どう考えてもここは観音堂だったはず。それ以上のことはわかりませんでした。かつての廃仏毀釈で私達人間が争い合うかわりに、観音様が代わりとなって傷つけられ、破壊されたのではないか、と私は感じています。とても優しい聖域です。お墓も近くにあるので、やはりここにおられるのは仏様ではないかと思います。金比羅神社妙光院の近隣紹介徒歩で1分大國魂神社徒歩で2分馬頭観世音菩薩徒歩で2分妙顕神社徒歩で2分日吉神社徒歩で2分天神社徒歩で5分善明寺徒歩で5分普門寺徒歩で9分東京競馬場徒歩で10分武蔵国府八幡宮徒歩で11分高安寺徒歩で17分瀧神社忘れられた日本破壊か変容か神か仏か
忘れられた日本日本橋常磐稲荷神社城の守護・大漁祈願・安産祈願江戸の歴史を支えてきた神社。もとは太田道灌が江戸城築城の際に京都から勧請したお稲荷様です。江戸時代になり移転した際、そこの地名が常盤橋になったくらい大きな存在だったよう。その後、日本橋魚市場内に移っています。安産祈願のお参りも多く、お礼参りに桜の若木が奉納される慣わしがあり、当時は魚市場桜花爛漫の景観であったということ。城の守りから大漁祈願、商売繁盛、安産祈願まで。こちらの神社は安全や「実る」幸せを守ってくれているのでしょう。今は日本橋にさりげなく鎮座していますがすごい神様。忘れられた日本日本橋
忘れられた日本かつて銀世界と呼ばれた銀世界稲荷神社新宿パークタワーの脇道の階段を登ると出会える神社。「こんなところに」という言葉がぴったしの場所にあります。自転車置き場がそばにあって、通り過ぎる人がちらほら。このビルに勤務している人も、あまり知らないんじゃないでしょうか。朝参りするととても気持ちよさそうな聖域です。銀世界稲荷神社の近隣紹介徒歩で5分箒銀杏天満宮・銀杏天神社徒歩で8分東京都庁徒歩で8分十二社熊野神社徒歩で10分幡ヶ谷不動尊厄除不動明王徒歩で11分平田神社徒歩で12分明治神宮徒歩で13分初台不動堂徒歩で16分初台出世稲荷大明神徒歩で20分白玉稲荷大明神徒歩で22分幡ヶ谷氷川神社忘れられた日本かつて銀世界と呼ばれた
忘れられた日本不夜城錦糸町ど真ん中田螺(たにし)稲荷神社眠らない街・錦糸町ど真ん中の路地裏。火事を防いだという不思議な伝説が残る神社。飲食店のビルのすきまに、鎮座されているのです。そこはきれいに清められ、周辺の人々から大切にされているのが感じられる聖域。千種稲荷神社から徒歩2分の江東寺http://www.tendaitokyo.jp/jiinmei/kotoji/田螺稲荷神社から徒歩9分の【不夜城錦糸町の強運守護神】千種稲荷神社田螺稲荷神社から徒歩9分の【成功運上昇神社】【勝海舟】五柱稲荷神社忘れられた日本不夜城錦糸町ど真ん中
忘れられた日本 三味線を弾く乙女 都内最古のお稲荷様 下谷神社
忘れられた日本三味線を弾く乙女都内最古のお稲荷様下谷神社下谷(したや)神社上野公園から歩いていける場所に古くから鎮座するお稲荷様。幾層にも歴史が積み重なっている東京は面白い。境内は穏やかで、朝参りの方も多くて。地元の人々に大切にされているのがわかる清々しい参拝でした下谷神社の近隣紹介徒歩で5分上野駅徒歩で14分不忍池辯天堂徒歩で15分上野動物園徒歩で16分東京国立博物館徒歩で16分鳥越神社徒歩で17分上野東照宮徒歩で21分浅草寺徒歩で27分妻恋神社忘れられた日本三味線を弾く乙女都内最古のお稲荷様下谷神社
忘れられた日本不夜城・錦糸町の強運守護神鎮座するのは眠らない街・錦糸町、錦糸公園はし。関東大震災もアメリカ軍による東京大空襲でも生き延びた、すごい神社です。とくに空襲時は、境内に大勢の人が逃げ延びて助けられました。強運の神様。忘れられた日本不夜城・錦糸町の強運守護神
忘れられた日本 火消しの任侠大親分 新門辰五郎 旅人を殺す老婆に娘は
忘れられた日本火消しの任侠大親分新門辰五郎旅人を殺す老婆に娘は姥宮沙竭羅龍王・福寿稲荷大明神公園の片隅に残る、浅草の歴史。浅茅が原の伝説は日本各地に残っていて、いろいろの説があるようです。都心の公園にこのような伝説が残っているのはとても不思議。被官稲荷神社新門辰五郎のことは、調べれば調べるほど逸話が出てきて、面白い。明治に入ってからの親分の言説も残っていて、血の気が多いように見えてとても深慮深かった話もありました。そんな由来を残す神社です忘れられた日本火消しの任侠大親分新門辰五郎旅人を殺す老婆に娘は
忘れられた日本浅草の守り神東武浅草駅(浅草エキミセ)正一位出世稲荷大明神デパートの屋上に、神社を祀る。日本ならではないじゃないかな、と思います。こちらの神様は、建物が建つ前より、この地に鎮座していたお稲荷様。屋上に移転していただいているのです。狛狐が黒ずんでいるのは、江戸時代の火事か関東大震災あるいはアメリカ軍の空襲による火災で焼けてしまったのでしょうか。東武浅草駅(浅草エキミセ)正一位出世稲荷大明神の近隣紹介徒歩で2分嬉乃森稲荷神社徒歩で3分浅草寺徒歩で4分福寿稲荷大明神(右)と姥宮沙竭羅龍王(左)徒歩で9分西浅草八幡神社徒歩で9分待乳山本龍院(待乳山聖天)徒歩で11分牛嶋神社徒歩で11分本社三島神社(寿三島神社)徒歩で11分黒船稲荷神社徒歩で13分今戸神社徒歩で14分袖摺稲荷神社徒歩で14分三囲神社徒...忘れられた日本浅草の守り神
忘れられた日本須佐之男命の化身仏教の慈覚大師・円仁が創設した神社牛嶋神社東京神社千年以上続いているせいか、古い遺構がそこかしこにさりげなく置かれています。最初「牛」と名前につくから太宰府天満宮系だと勘違いして参拝したところ、全く違う雰囲気で…。どことなく京都のように雅で、箱庭的な雰囲気が漂う神社。どんな病気も、怨霊も、暗い気持ちも払われます。忘れられた日本須佐之男命の化身
忘れられた日本かつては陶器問屋の町濱町神社東京、日本橋。ビル街のなかに溶け込んだように鎮座している神社です。朝早く参拝したのですが出勤前の人々の参拝が多い。この街の守護神なのですね。お稲荷様らしいのですが、無口で静かな佇まいの神様です濱町神社の近隣紹介濱町神社から徒歩4分【東京ならではミニ聖地】元徳稲荷神社・綱敷天満神社濱町神社から徒歩5分【ビルの中にある聖地】松嶋神社濱町神社から徒歩5分【陽のパワー溢れる女性の味方の神様】水天宮濱町神社から徒歩8分【街角の小さな森の聖地】茶ノ木神社濱町神社から徒歩9分【ビルのすきまのパワースポット】末廣神社濱町神社から徒歩7分【江戸時代、徳川綱吉将軍も家族で参拝】笠間稲荷神社東京別社濱町神社から徒歩11分【ビルの2階で北条政子の秘仏を公開】大観音寺忘れられた日本かつては陶器問屋の町
忘れられた日本その神は海からやってきた築地市場の守護神波除(なみよけ)神社築地場外市場や新鮮な魚介類を販売する商店街の最奥にこの神社はあります。元は海だったこの地。江戸時代の埋め立て工事で荒波に堤防が幾度も流され、困難を極めていたそう。そんなとき。夜、波間を白く光りながら漂ってきたお稲荷様の御神体。それをお祀りしたところ、波がぴたりとおさまり工事がやすやすと運び、無事に埋め立てできたそう。不思議な伝説ですよね。江戸時代の不思議話ですが、本当にそうだったんじゃないかと思われるような清らかな境内です。面白いのが、「寿司塚」など、生き物への感謝と供養をするための塚がいくつもあるところ。築地市場の守護神とも言える神様。忘れられた日本その神は海からやってきた
忘れられた日本徳川家康がふるさとから連れてきた神様孫三(まごぞう)稲荷神社東京都台東区元浅草3丁目19徳川家康がふるさとから連れてきた神様。昭和まで、地名としてこの神様の元々の祠があった場所の「安倍川」が残っていたそう。江戸時代、いろいろな地方からやってきた人々は、故郷から自らの産土の神様を江戸に祀っていました。家康公も、同じ。武将でも庶民でも、故郷を離れ、寂しい、拠り所がほしい、という心境は同じだったんでしょうね。孫三稲荷神社近隣紹介徒歩で1分伏見稲荷社徒歩で7分東本願寺徒歩で7分梅森稲荷神社徒歩で8分正一位地護稲荷神社徒歩で8分下谷神社徒歩で8分吾右ェ門稲荷徒歩で8分小丸山稲荷神社徒歩で8分寿三島神社徒歩で8分矢先稲荷神社徒歩で9分黒船稲荷神社徒歩で9分柳栄稲荷神社徒歩で10分廣澤稲荷神社徒歩で10分...忘れられた日本徳川家康がふるさとから連れてきた神様
忘れられた日本歯痛神社に御札を貼る100年前の女性荻窪白山神社歯痛の神様都心の駅近にもかかわらず、参道が長く伸びていることに感動。荻窪を守ってきたお姫様神社です。その歴史はこの地を守る領主から始まっています。そして、昔の人は虫歯の治療法がなく、重症化したら死に至ることもあったとか。歯痛を取り除いてくれる神様として、たくさんの人の信仰をあつめた時代。今は街中に歯医者があふれるように建ち、神様の役割も違うものに変化しているんでしょうね。けれど、昔の人が真剣に歯痛に悩み、苦しんで、その時代を乗り越えて今があることは覚えておきたいなと感じさせてくれる聖域です。忘れられた日本歯痛神社に御札を貼る100年前の女性
忘れられた日本霊僧が刻んだ火伏せの神向島・秋葉神社正面の参道が家々に挟まれているので狭く、残っていることが奇跡のように思われる聖地。車道近くでも境内に入ると不思議と静謐な雰囲気です。お稲荷さんと火伏せの神様のようですが、大名が奉納した石燈籠、村が奉納した力石など、境内に残る遺物にまさに大名から庶民まで信奉したことがわかる神社。今は公園のように座って休むこともできる、人々の憩いの場。向島・秋葉神社の近隣紹介秋葉神社から徒歩で5分【おにぎり絵馬】高木神社秋葉神社から徒歩で6分【身を挺して空襲から人々を守った御神木】飛木稲荷神社秋葉神社から徒歩で9分【大財閥の守り神】三囲神社秋葉神社から徒歩で13分【比叡山延暦寺中興の祖慈恵大師開祖】白鬚神社(東向島)秋葉神社から徒歩で17分【東京スカイツリーに一番近い神社】押...忘れられた日本霊僧が刻んだ火伏せの神
忘れられた日本100年前の日本人の写真とともに感謝八幡春日神社口伝で残る伝説。二柱を創始から勧請した、珍しくも清らかな神様です。そして、切り株となった御神木や、手水舎さえも祀る、神域の守り人が大切にしている場所。八幡春日神社の近隣紹介徒歩で12分【縄文の森】根頭神社徒歩で13分【平将門】道野辺八幡宮徒歩で13分【水源の聖地】囃子清水七面堂忘れられた日本100年前の日本人の写真とともに感謝
忘れられた日本仕事運を上げてくれる神様東京・港区浜松町讃岐稲荷神社・小白稲荷神社東京・ビジネス街浜松町駅おりてすぐこんなところにこんな聖域が・・・。清らかな雰囲気が漂っている不思議な場所。こちらを参拝中に、男性から声をかけられました。「自分はこちらの神社に参拝してから・・・」と始まるお話はとても霊験あらたかな経験。仕事運を強力に後押ししてくださる神様。ぜひ、感じてみてください。そして、機会があれば参拝してみてください。讃岐稲荷神社・小白稲荷神社の近隣紹介。徒歩で6分【「金色夜叉」小説家・尾崎紅葉生誕の地】首尾稲荷大明神徒歩で6分【江戸初期の大名庭園】旧芝離宮恩賜庭園徒歩で9分【古くは伊勢神宮の荘園・日本最古の公園の一つ】芝公園徒歩で9分【東京で会えるお伊勢様】芝大神宮徒歩で10分【御祭神は徳川家康公・勝運...忘れられた日本仕事運を上げてくれる神様
忘れられた日本 仏様に手をあわせる江戸時代の日本人 龍を封印し、祀る土地
忘れられた日本仏様に手をあわせる江戸時代の日本人龍を封印し、祀る土地成顕(じょうけん)寺駒木諏訪神社の奥宮だったお寺。訪れてみると、昔と今が融合したような穏やかな場所でした。昔の古い井戸が残っているのも面白い。境内には小さな祠がそこかしこにあって、宝探しのように探してみるのもおすすめです。成顕寺の近隣紹介徒歩で11分駒木諏訪神社徒歩で24分天形星神社徒歩で24分熊野神社忘れられた日本仏様に手をあわせる江戸時代の日本人龍を封印し、祀る土地
忘れられた日本上野東照宮春いっぱい上野公園の、権現様。人が多くて、そしてみんな楽しそう。昔の上野公園の写真を見れば、花見客がたくさんいて、今も昔もそんなに変わらないんだと感じて、嬉しい気持ちになります。権現様も、喜んでいるのではないでしょうか。忘れられた日本上野東照宮
忘れられた日本麻布七不思議祟り神を祀る狸穴(まみあな)稲荷神社講談「江戸名物麻布七不思議」。明治31(1898)年の本です。狸穴の怪物の話は、こちらの神社をモチーフにしている講談。江戸時代は湿地帯の土地を埋め立て、開墾し、川の流れを変え、水害をなくし、民が暮らしやすいように変えていった時期。人が豊かになっていく一方、その犠牲になっていったと思われる動物の御霊が起こした恐ろしい事件をモチーフとしたお話です。悲しいお話。怪物が花嫁を迎える花嫁行列のシーンもあり、悲しいながらも美しく、そして怪物も人と同じように生きているのを感じます。けれど、その怪物は人に退治され、埋められた地でひっそりと子猫を育て上げ、その猫も化け猫となり退治される。人は、その御霊を神として大切に祀るのです。そうすると、御霊の魂は休まり、今度...忘れられた日本麻布七不思議祟り神を祀る
忘れられた日本人 人斬りと呼ばれた男 八坂神社(松戸市小金)猫神社
忘れられた日本人人斬りと呼ばれた男八坂神社(松戸市小金)猫神社朝一番で参拝すると、たくさんの猫。穏やかな聖域に、こちらものんびりした気持ちになります。こちらの神社に朝参りできる近隣の人が羨ましいな、と感じます。八坂神社(松戸市小金)の近隣紹介。徒歩で5分東漸寺徒歩で7分鹿島神社徒歩で15分本土寺徒歩で17分香取神社徒歩で17分天満宮神社徒歩で27分香取駒形神社忘れられた日本人人斬りと呼ばれた男八坂神社(松戸市小金)猫神社
飛不動尊入り口から提灯が賑々しく飾られ、楽しげな外観。けれど中に入ると、清らかなもやがかかったような空気感で、静けさが広がっていました。面白い伝説を持つお不動さまを御本尊とするお寺。航空関係者や「飛ぶ」伝説から合格祈願、宇宙の安全まで、崇敬者は幅広いです。誰も知らない日本宇宙飛行士や小惑星探査機も頼る
忘れられた日本船頭の守り神隅田川神社水神の森学校や公園の片隅に、静かに鎮座しておられる神社。そして、高速道路の真下。東京らしいです。かつては隅田川の船頭や荷船仲間に広く深く信仰されていた、水神の森。本殿も江戸時代のもの。鳥の声と車の音。船頭たちと同じ風景を見ることはかないませんが、本殿や境内のそこかしこに残る昔の遺構から、昔の空気を感じることができます隅田川神社の近隣紹介徒歩で2分木母寺徒歩で13分石浜神社徒歩で14分橋場不動尊徒歩で14分白鬚神社徒歩で16分平賀源内墓徒歩で17分胡録神社徒歩で17分向島百花園徒歩で20分玉姫稲荷神社忘れられた日本船頭の守り神
誰も知らない日本平安時代のスーパースターが江戸に小野照崎神社東京に鎮座する、小野照崎神社。平安時代の傑物が江戸に来ていたなんて、驚きました。小野篁は「野狂」とも呼ばれ反骨精神にあふれた人物。流罪にあっても後に復帰し政治に文化に芸術に大活躍。夜は井戸から冥府に通って閻魔様の仕事の手伝いをした伝説で、その井戸は京都にあります。境内は、不思議な空気に満ちています。震災や空襲に負けずに残った遺物がそこかしこに置かれていて、飽きることのない聖域。江戸時代に流行した富士塚も残っていて、当時の信仰も偲ばれます。天才にあやかって自分の能力もあげてくださるようお参りしたい神社です。誰も知らない日本平安時代のスーパースターが江戸に
日本の宝高尾山薬王院天狗の神様飯縄大権現山岳信仰東京都八王子市100年前の日本人の写真とともに東京の神社を訪れてみると、人々から守られ続けた聖域に驚くことが多い。水害、火災、震災、戦災、そして拝金主義。小さな神社、ビルの屋上に鎮座する神社、高速道路の真下にある神社。どのような形でも人によりそってくれる聖域と、それを守ってくれる護り人。日本の宝高尾山薬王院天狗の神様飯縄大権現
忘れられた日本江戸時代の霊石を残す聖域カッコウの名所だった幸稲荷神社・瘡護神社江戸時代、増上寺の周辺はたくさんのお寺に満ちていました。徳川家の菩提寺、仏教の学校・寄宿舎としての役割、諸国大名からの崇敬、参拝者をもてなす場所。巨大な宗教聖地でした。明治維新で廃仏毀釈が起こり、お寺が管理していた神社を引き受けたのがこちらの神社。その前から寺からは氏子の希望で独立し、神社単体で運営されていたという面白い歴史を持っています。境内には水をかければ病が治るという霊石が残され、昔のご先祖様たちの心の拠り所だったということを感じます。東京タワーに鎮座するタワー大神宮の神事も司っている神社。今も昔も増上寺エリアを象徴するような神様。ぜひ、感じてみてください。忘れられた日本江戸時代の霊石を残す聖域
忘れられた日本祇園の美女証券界の守り神兜神社高速道路の直下にあることに驚いた聖域。この小さな祠は日本の証券界の守り神です。こんな都会でも清水がこんこんと湧き出ていることに感動。時折、サラリーマンらしき人がお参りもしていました。資産形成の神様とも言えるかもしれません。兜神社の近隣紹介徒歩で4分日本橋日枝神社徒歩で5分常盤稲荷神社徒歩で5分明徳稲荷神社徒歩で5分大原稲荷神社徒歩で6分銀杏八幡宮・銀杏稲荷徒歩で6分小網神社徒歩で8分茶ノ木神社徒歩で9分大観音寺徒歩で9分出世稲荷神社・岩代稲荷神社徒歩で9分福徳神社(芽吹稲荷)徒歩で9分日本橋西河岸地蔵寺教会徒歩で10分水天宮徒歩で10分松島神社徒歩で10分笠森稲荷徒歩で11分三光稲荷神社徒歩で11分椙森神社徒歩で12分新川大神宮徒歩で13分末廣神社徒歩で14分元...忘れられた日本証券界の守り神兜神社
誰も知らない日本徳川家康から守り抜いた御神体産土神(うぶすなかみ)。人が産まれた時のその土地の守護神で、その者を生まれる前から死んだ後まで守護してくれる。他所に移住しても一生を通じ守ってくださる神様。平安時代の武士・渡辺綱(わたなべのつな)の産土神というこの神社。渡辺綱の名前をとって、周辺は昔は「綱町」という地名だったようで、綱町三井倶楽部など、建物でその名残が残っています。そして、渡辺綱が産まれた時、その水で身体を清めたという伝説の井戸が何箇所も残っている。地域の誇りだったのですね。そして江戸時代、徳川家康から御神宝と御神体を差し出すように命じられた神社なのです。氏子たちは産土神をどうしたのか。この聖域がずっと守られてきたこと、誇らしいことと思います。★元神明宮の近隣紹介です徒歩で7分【赤羽橋南交差点に...誰も知らない日本徳川家康から守り抜いた御神体
忘れられた日本人明治時代の象徴、人力車乃木神社日露戦争の陸軍大将・学習院の学校長、乃木希典公の死を悼んでつくられた神社。訪れてみると、優しく清らかな聖域にこちらの心身もすっきりする感覚がします。数千年のちには、誰が祀られているかわからないけれど、なんだか清々しい神社と人々に受け入れられてくれるといいな、と思う大切な場所です乃木神社の近隣紹介徒歩で6分龍土神明宮天祖神社徒歩で10分赤坂氷川神社徒歩で11分出雲大社東京分祠徒歩で13分朝日神社徒歩で16分日枝神社徒歩で16分久國神社徒歩で17分豊川稲荷東京別院徒歩で17分櫻田神社徒歩で20分麻布大観音徒歩で20分大松稲荷神社徒歩で22分十番稲荷神社徒歩で22分秋葉神社(港区北青山)徒歩で23分青山熊野神社徒歩で25分狸穴稲荷神社忘れられた日本人乃木神社
名前もわからない日本人明治初期の美男美女元徳稲荷神社・綱敷天満神社元徳稲荷神社・綱敷天満神社都会の街角にたたずむ小さな神様です。鳥が気持ちよさそうにさえずる、森のような雰囲気でした。河村徳右衛門が祀っていた屋敷神を庶民に解放し、その後、大名の屋敷神として分霊をたまわり、近くの天神さまと合祀された神社。歴史を調べると明治維新後、いくつも地主が変わり、変遷を耐え抜いて今に至る聖域でした。今、ここに鎮座していただいていることにありがたいな、と思います元徳稲荷神社・綱敷天満神社の近隣紹介徒歩で4分笠間稲荷神社東京別社徒歩で4分松島神社徒歩で4分清正公寺徒歩で5分末廣神社徒歩で5分大廣神社徒歩で5分水天宮徒歩で6分茶ノ木神社徒歩で8分銀杏八幡宮・銀杏稲荷徒歩で8分大観音寺徒歩で9分三光稲荷神社徒歩で10分小網神社徒...名前もわからない日本人明治初期の美男美女
忘れられた日本上野公園花見の茶店探し人のビラを西郷さんの像に貼る上野大仏上野大仏は仏頭どころか、顔だけの仏様。なんだか見ていると穏やかな気持になっていく不思議なお顔です。憩いの場になっている温かい聖域。上野公園って、慰霊の場であり憩いの場であり祈りの場であり、日本らしい場所です上野大仏近隣紹介。徒歩で2分上野東照宮徒歩で2分花園稲荷神社徒歩で3分五條天神社徒歩で4分不忍池辯天堂徒歩で10分摩利支天徳大寺徒歩で16分下谷神社忘れられた日本上野大仏
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畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に上田端八幡神社畠山重忠の伝説を残す「争いの杉」は小さな祠に上田端八幡神社
諏方(すわ)神社東京都荒川区西日暮里3丁目4-8西日暮里駅からすぐの高台に鎮座する神社。朝伺うと、ちょうどラジオ体操の時間で、近所のみなさんが集まっているところでした。電車の音と、駅の音と、ラジオ体操の放送で、とても賑やかでした。昔ながらの雰囲気で、聖域かつ人々の寄り合う場所でもある大切な場所。諏方(すわ)神社東京都荒川区西日暮里3丁目4-8西日暮里駅からすぐの高台に鎮座する神社。朝伺うと、ちょうどラジオ体操の時間で、近所のみなさんが集まっているところでした。電車の音と、駅の音と、ラジオ体操の放送で、とても賑やかでした。昔ながらの雰囲気で、聖域かつ人々の寄り合う場所でもある大切な場所。かつて筑波山や隅田川が見通せた景勝地諏方神社
下田の代官の屋敷神?八丁堀の今村幸稲荷神社下田の代官の屋敷神?八丁堀の今村幸稲荷神社
四つ木白髭神社東京都葛飾区四つ木2丁目20−8不思議な雰囲気の神社です。拝殿だと思った建物が社務所で、拝殿は新しい雰囲気で、その裏手の摂社エリアはお寺の空気。そして、朽ちかけた掲示板に小さな祠の伝承が書かれてありました。それは、想像もしていなかった悲恋と心霊の物語。忘れさられそうになっているお話です。四つ木白髭神社悲恋数百年の時を越えてこの地を守護する神となる東京都葛飾区四つ木
王子白髭神社東京都葛飾区東四つ木1丁目12この先は行き止まりでは・・?、と思うような細い路地の突き当りに立つ神社。昔は林や田んぼのなかにあったのでしょう。貞辰親王がここで亡くなったということは、地元の豪族の屋敷あとかなにかのでしょうか?いろいろ、想像してしまいます。今その場所は、鄙びた落ち着く雰囲気の聖域。いい場所だなあ、と感じさせてくれる神社です王子白髭神社王子様を祀る百年前の日本人の写真東京都葛飾区東四つ木清和天皇第七皇子の貞辰親王慈覚大師円仁
渋江白髭神社東京都葛飾区東四つ木4丁目36−18たくさんの人が住む中心地に、でん、と佇んでいるような神様。江戸時代はお客にたくさん来てほしい職種の人達が多く参拝したという面白い歴史を持っています。人と人との縁をつなぐ、幸せをもたらしてくださる神様。境内には小さな祠も、記念碑のような碑もたくさんあって、昔の人の思いをしのぶことができる場所です渋江白髭神社客人まろうど千客万来あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる
原稲荷神社東京都葛飾区東立石4丁目39−8どこに導かれるのだろう、と思いながら進んだ路地の先に、すっきりときれいな神社が立っていました。そして、駅に向かうために境内を通る人が多いことにも驚き。手を合わせる人もいて、ほっとする光景です。珍しく由来がわかっている神社なのですが、京都との往復でなぜか5ヶ月もかかり、そのことをわざわざ記録としてしたためていることも不思議。御神体を地面に置かないようにとか、気遣いながら旅路をしたと思うのです。原稲荷神社江戸と京都勧請五ヶ月の旅路あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる
立石諏訪神社東京都葛飾区立石8-2-6電車が通るのが境内から見える神社。かつては林や田んぼの中にのんびりと立ってらっしゃったのではないかと思われる場所。諏訪からどなたかが勧請したのだと思われる名前ですが、詳細はわからず。この地の鎮守としてずっと人々を守ってくださっている神社です立石諏訪神社葛飾立石のお諏訪さまあなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる幕末の通訳士立石斧次郎
五方山熊野神社東京都葛飾区立石8-44-31東京で会えた、陰陽師・安倍晴明の由来を持つ神社。京都にある晴明神社とまた違った雰囲気の聖域です。この神社は五角形の形。その5つの頂点で、晴明がなにか儀式をしたかもしれないと思うと、興奮します。早朝訪れたので、神主さんたちがほうきで清めている際中でした。ありがたいことです五方山熊野神社安倍晴明80才江戸に来ていた陰陽師あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる
福森稲荷神社東京都葛飾区青戸1丁目11−8中川のすぐそばに立つ、鎮守様。今は穏やかな中川も、かつては蛇行を繰り返し洪水をもたらした川。そのそばにあるということは、川が穏やかであるように祈願したこともあるのでしょうか、小さな小さな水神宮の祠も残っています。境内は下り宮になっています。大昔に堤防代わりに川境を高く盛土したのかもしれません。徳川家斉将軍が鷹狩りをし、徳川家斉将軍が御成になった記録も残る、江戸らしい場所です福森稲荷神社徳川吉宗徳川家斉将軍たちが訪れた川百年前の日本人の写真
中原八幡神社東京都葛飾区青戸2丁目2−2青砥駅すぐの賑々しい場所に立つ神社。境内に入ると、虫の声が聞こえてきて、繁華街とは思えない鄙びた雰囲気に変わります。こちらの神社の社宝は、疫病退散の祈願の様子を描いた絵馬。必死に生き延びようとしてきた日本人の姿を残してくれています。中原八幡神社疫病から身を守る青砥駅すぐ百年前の日本人の写真とともに
中原八幡神社疫病から身を守る青砥駅すぐ百年前の日本人の写真とともに中原八幡神社東京都葛飾区青戸2丁目2−2青砥駅すぐの賑々しい場所に立つ神社。境内に入ると、虫の声が聞こえてきて、繁華街とは思えない鄙びた雰囲気に変わります。こちらの神社の社宝は、疫病退散の祈願の様子を描いた絵馬。必死に生き延びようとしてきた日本人の姿を残してくれています。中原八幡神社疫病から身を守る青砥駅すぐ百年前の日本人の写真とともに
田中稲荷大明神東京都杉並区下高井戸3丁目21−33住宅街のすきまに立つ、通り過ぎてしまいそうな細い路地の先の聖域。なぜか、鳥居はかがんで入る低さ。地震の危険性を考えてこの高さなのか、あるいは、江戸時代の鳥居は現代に残っているものは低いものが多いので、昔の鳥居と同じ高さにしたのか。ちょっと気になりますが、ここをお世話する地元の方の愛を感じる清潔な境内。ありがたい聖域です。田中稲荷大明神下高井戸100年前の日本人の写真とともに田んぼの中の神様
下高井戸八幡神社東京都杉並区下高井戸4丁目39−3寄付をしたことをすっかり忘れていたので、数年後の今になってお礼の品を送っていただき、とても嬉しかった神社。杉並区の、閑静な住宅街に立つ聖域。驚いたのが朝参りの人の多さ。動画ではわかりませんが、一人参ってまた一人、と地元の方々が続々と参拝していました。昔からのつながりと、伝統と、神様を大切にするここはものすごく祝福された地になっていると感じます下高井戸八幡神社100年前の日本人の写真とともに
彰義隊上野戦争最後の決戦穴稲荷花園稲荷神社東京都台東区上野公園4江戸の悲しい歴史の終わりにその名を刻む神社です。「穴稲荷の戦い」彰義隊の戦いは上野だけじゃなく、実際は広範囲に及んでいたらしい。こちらの穴稲荷は戸を開けて入る聖域。入ってみると、電気がついて明るく清々しい雰囲気です。毎日のようにお参りしている人もいるよう。上野花園稲荷神社最後の決戦彰義隊100年前の日本人の写真とともに
吉守稲荷神社東京都杉並区浜田山2丁目11周りの色に溶け込んだような神社。結構、車通りの多い道に面した神様は、この地域を開拓した子孫の方の屋敷神のよう。誰でもお参りできるようになっています。ありがたい。吉守稲荷神社浜田山を開拓した子孫の屋敷神あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる
現代的に、列車で運ばれてきた神様。そしてお塚エリアがとても明るく、楽しい神社です。「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」の「壺坂霊験記」名調子で成功した浪曲の浪花亭綾太郎を祀るお稲荷さんも鎮座。ふるさとに戻ったような懐かしい気持ちを感じてみてください東伏見稲荷神社浪曲の浪花亭綾太郎のお稲荷様も列車で京都からやってきた
江東天祖神社東京都江東区亀戸3-38-35日本で初めて鉄筋コンクリートで本殿を作った神社。そのおかげで、たくさんの人々を空襲から守りました。神が人を守り、人は神を祀る。長い歴史と現代が融合した素敵な神社です。東京大空襲強運神様織田信長由来の流鏑馬が残る江東天祖神社
浜田山稲荷大明神東京都杉並区浜田山3丁目4−2浜田山の静かな住宅街。通り過ぎそうにさりげなく聖域は、言葉では表せない清らかな空気にあふれていました。浜田山の歴史を見てきた神様です「杉並風土記」森泰樹著.杉並郷土史会浜田山この辺り、神田川の北側は浜田山。浜田山の地名は江戸の頃、内藤新宿の商人である浜田屋弥兵衛に由来する。浜田屋は浜田山4丁目の杉並南郵便局辺り一帯に松やくぬぎの林(此の辺りでは「山」と呼ぶ)を持っていたようである。そこには一族が眠っており、お彼岸には浜田屋の一族がこの地を訪れ、仏の供養へと村の子供たちにお菓子や銭を配り、それはもうお祀りのような騒ぎでもあり、一躍「浜田山」という名が有名になった。浜田屋は明治に米相場に失敗し没落したが、浜田山は小字として残った、と言うあなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる件伊勢の米問屋の第二の故郷になった浜田山稲荷大明神
熱田神社東京都台東区今戸2丁目13−6今戸の静かな聖域。こちらのご神宝は、江戸時代に奉納された大太刀「陰陽丸」。調べてみると、その刀工は旗本。どういう経緯で刀鍛冶になったのかはわかりませんでしたが、彼の得意作は短刀と言うにもかかわらず、大太刀を奉納しています。60歳を超えて、ものすごいチャレンジをしているのです。その大太刀はコロナの流行時に、町内を祓うために巡行した神の刀となったのです。あなたの知らない日本100年前の日本の写真が凄過ぎる旗本は刀鍛冶になった
忘れられた日本仏様に手をあわせる江戸時代の日本人龍を封印し、祀る土地成顕(じょうけん)寺駒木諏訪神社の奥宮だったお寺。訪れてみると、昔と今が融合したような穏やかな場所でした。昔の古い井戸が残っているのも面白い。境内には小さな祠がそこかしこにあって、宝探しのように探してみるのもおすすめです。成顕寺の近隣紹介徒歩で11分駒木諏訪神社徒歩で24分天形星神社徒歩で24分熊野神社忘れられた日本仏様に手をあわせる江戸時代の日本人龍を封印し、祀る土地
忘れられた日本上野東照宮春いっぱい上野公園の、権現様。人が多くて、そしてみんな楽しそう。昔の上野公園の写真を見れば、花見客がたくさんいて、今も昔もそんなに変わらないんだと感じて、嬉しい気持ちになります。権現様も、喜んでいるのではないでしょうか。忘れられた日本上野東照宮
忘れられた日本麻布七不思議祟り神を祀る狸穴(まみあな)稲荷神社講談「江戸名物麻布七不思議」。明治31(1898)年の本です。狸穴の怪物の話は、こちらの神社をモチーフにしている講談。江戸時代は湿地帯の土地を埋め立て、開墾し、川の流れを変え、水害をなくし、民が暮らしやすいように変えていった時期。人が豊かになっていく一方、その犠牲になっていったと思われる動物の御霊が起こした恐ろしい事件をモチーフとしたお話です。悲しいお話。怪物が花嫁を迎える花嫁行列のシーンもあり、悲しいながらも美しく、そして怪物も人と同じように生きているのを感じます。けれど、その怪物は人に退治され、埋められた地でひっそりと子猫を育て上げ、その猫も化け猫となり退治される。人は、その御霊を神として大切に祀るのです。そうすると、御霊の魂は休まり、今度...忘れられた日本麻布七不思議祟り神を祀る
忘れられた日本人人斬りと呼ばれた男八坂神社(松戸市小金)猫神社朝一番で参拝すると、たくさんの猫。穏やかな聖域に、こちらものんびりした気持ちになります。こちらの神社に朝参りできる近隣の人が羨ましいな、と感じます。八坂神社(松戸市小金)の近隣紹介。徒歩で5分東漸寺徒歩で7分鹿島神社徒歩で15分本土寺徒歩で17分香取神社徒歩で17分天満宮神社徒歩で27分香取駒形神社忘れられた日本人人斬りと呼ばれた男八坂神社(松戸市小金)猫神社
飛不動尊入り口から提灯が賑々しく飾られ、楽しげな外観。けれど中に入ると、清らかなもやがかかったような空気感で、静けさが広がっていました。面白い伝説を持つお不動さまを御本尊とするお寺。航空関係者や「飛ぶ」伝説から合格祈願、宇宙の安全まで、崇敬者は幅広いです。誰も知らない日本宇宙飛行士や小惑星探査機も頼る
忘れられた日本船頭の守り神隅田川神社水神の森学校や公園の片隅に、静かに鎮座しておられる神社。そして、高速道路の真下。東京らしいです。かつては隅田川の船頭や荷船仲間に広く深く信仰されていた、水神の森。本殿も江戸時代のもの。鳥の声と車の音。船頭たちと同じ風景を見ることはかないませんが、本殿や境内のそこかしこに残る昔の遺構から、昔の空気を感じることができます隅田川神社の近隣紹介徒歩で2分木母寺徒歩で13分石浜神社徒歩で14分橋場不動尊徒歩で14分白鬚神社徒歩で16分平賀源内墓徒歩で17分胡録神社徒歩で17分向島百花園徒歩で20分玉姫稲荷神社忘れられた日本船頭の守り神
誰も知らない日本平安時代のスーパースターが江戸に小野照崎神社東京に鎮座する、小野照崎神社。平安時代の傑物が江戸に来ていたなんて、驚きました。小野篁は「野狂」とも呼ばれ反骨精神にあふれた人物。流罪にあっても後に復帰し政治に文化に芸術に大活躍。夜は井戸から冥府に通って閻魔様の仕事の手伝いをした伝説で、その井戸は京都にあります。境内は、不思議な空気に満ちています。震災や空襲に負けずに残った遺物がそこかしこに置かれていて、飽きることのない聖域。江戸時代に流行した富士塚も残っていて、当時の信仰も偲ばれます。天才にあやかって自分の能力もあげてくださるようお参りしたい神社です。誰も知らない日本平安時代のスーパースターが江戸に
日本の宝高尾山薬王院天狗の神様飯縄大権現山岳信仰東京都八王子市100年前の日本人の写真とともに東京の神社を訪れてみると、人々から守られ続けた聖域に驚くことが多い。水害、火災、震災、戦災、そして拝金主義。小さな神社、ビルの屋上に鎮座する神社、高速道路の真下にある神社。どのような形でも人によりそってくれる聖域と、それを守ってくれる護り人。日本の宝高尾山薬王院天狗の神様飯縄大権現
忘れられた日本江戸時代の霊石を残す聖域カッコウの名所だった幸稲荷神社・瘡護神社江戸時代、増上寺の周辺はたくさんのお寺に満ちていました。徳川家の菩提寺、仏教の学校・寄宿舎としての役割、諸国大名からの崇敬、参拝者をもてなす場所。巨大な宗教聖地でした。明治維新で廃仏毀釈が起こり、お寺が管理していた神社を引き受けたのがこちらの神社。その前から寺からは氏子の希望で独立し、神社単体で運営されていたという面白い歴史を持っています。境内には水をかければ病が治るという霊石が残され、昔のご先祖様たちの心の拠り所だったということを感じます。東京タワーに鎮座するタワー大神宮の神事も司っている神社。今も昔も増上寺エリアを象徴するような神様。ぜひ、感じてみてください。忘れられた日本江戸時代の霊石を残す聖域
忘れられた日本祇園の美女証券界の守り神兜神社高速道路の直下にあることに驚いた聖域。この小さな祠は日本の証券界の守り神です。こんな都会でも清水がこんこんと湧き出ていることに感動。時折、サラリーマンらしき人がお参りもしていました。資産形成の神様とも言えるかもしれません。兜神社の近隣紹介徒歩で4分日本橋日枝神社徒歩で5分常盤稲荷神社徒歩で5分明徳稲荷神社徒歩で5分大原稲荷神社徒歩で6分銀杏八幡宮・銀杏稲荷徒歩で6分小網神社徒歩で8分茶ノ木神社徒歩で9分大観音寺徒歩で9分出世稲荷神社・岩代稲荷神社徒歩で9分福徳神社(芽吹稲荷)徒歩で9分日本橋西河岸地蔵寺教会徒歩で10分水天宮徒歩で10分松島神社徒歩で10分笠森稲荷徒歩で11分三光稲荷神社徒歩で11分椙森神社徒歩で12分新川大神宮徒歩で13分末廣神社徒歩で14分元...忘れられた日本証券界の守り神兜神社
誰も知らない日本徳川家康から守り抜いた御神体産土神(うぶすなかみ)。人が産まれた時のその土地の守護神で、その者を生まれる前から死んだ後まで守護してくれる。他所に移住しても一生を通じ守ってくださる神様。平安時代の武士・渡辺綱(わたなべのつな)の産土神というこの神社。渡辺綱の名前をとって、周辺は昔は「綱町」という地名だったようで、綱町三井倶楽部など、建物でその名残が残っています。そして、渡辺綱が産まれた時、その水で身体を清めたという伝説の井戸が何箇所も残っている。地域の誇りだったのですね。そして江戸時代、徳川家康から御神宝と御神体を差し出すように命じられた神社なのです。氏子たちは産土神をどうしたのか。この聖域がずっと守られてきたこと、誇らしいことと思います。★元神明宮の近隣紹介です徒歩で7分【赤羽橋南交差点に...誰も知らない日本徳川家康から守り抜いた御神体
忘れられた日本人明治時代の象徴、人力車乃木神社日露戦争の陸軍大将・学習院の学校長、乃木希典公の死を悼んでつくられた神社。訪れてみると、優しく清らかな聖域にこちらの心身もすっきりする感覚がします。数千年のちには、誰が祀られているかわからないけれど、なんだか清々しい神社と人々に受け入れられてくれるといいな、と思う大切な場所です乃木神社の近隣紹介徒歩で6分龍土神明宮天祖神社徒歩で10分赤坂氷川神社徒歩で11分出雲大社東京分祠徒歩で13分朝日神社徒歩で16分日枝神社徒歩で16分久國神社徒歩で17分豊川稲荷東京別院徒歩で17分櫻田神社徒歩で20分麻布大観音徒歩で20分大松稲荷神社徒歩で22分十番稲荷神社徒歩で22分秋葉神社(港区北青山)徒歩で23分青山熊野神社徒歩で25分狸穴稲荷神社忘れられた日本人乃木神社
名前もわからない日本人明治初期の美男美女元徳稲荷神社・綱敷天満神社元徳稲荷神社・綱敷天満神社都会の街角にたたずむ小さな神様です。鳥が気持ちよさそうにさえずる、森のような雰囲気でした。河村徳右衛門が祀っていた屋敷神を庶民に解放し、その後、大名の屋敷神として分霊をたまわり、近くの天神さまと合祀された神社。歴史を調べると明治維新後、いくつも地主が変わり、変遷を耐え抜いて今に至る聖域でした。今、ここに鎮座していただいていることにありがたいな、と思います元徳稲荷神社・綱敷天満神社の近隣紹介徒歩で4分笠間稲荷神社東京別社徒歩で4分松島神社徒歩で4分清正公寺徒歩で5分末廣神社徒歩で5分大廣神社徒歩で5分水天宮徒歩で6分茶ノ木神社徒歩で8分銀杏八幡宮・銀杏稲荷徒歩で8分大観音寺徒歩で9分三光稲荷神社徒歩で10分小網神社徒...名前もわからない日本人明治初期の美男美女
忘れられた日本上野公園花見の茶店探し人のビラを西郷さんの像に貼る上野大仏上野大仏は仏頭どころか、顔だけの仏様。なんだか見ていると穏やかな気持になっていく不思議なお顔です。憩いの場になっている温かい聖域。上野公園って、慰霊の場であり憩いの場であり祈りの場であり、日本らしい場所です上野大仏近隣紹介。徒歩で2分上野東照宮徒歩で2分花園稲荷神社徒歩で3分五條天神社徒歩で4分不忍池辯天堂徒歩で10分摩利支天徳大寺徒歩で16分下谷神社忘れられた日本上野大仏
誰も知らない日本松島神社初めて訪れたときは、本当にビルの中に神社が鎮座していて驚いた神さま。東京ならでは、の面白いおさまりかたです。お参りをする人々が、先に参拝中の人があれば遠慮して外からお参りする姿も美しい、と感じました。みなのふるさとになっている神社です。松島神社の近隣紹介徒歩3分茶ノ木神社徒歩3分水天宮徒歩4分末廣神社徒歩5分濱町神社徒歩5分銀杏八幡宮・銀杏稲荷徒歩5分大観音寺徒歩5分正一位橘稲荷神社徒歩7分小網神社徒歩7分大廣神社徒歩7分三光稲荷神社徒歩10分兜神社徒歩10分日本橋日枝神社徒歩11分椙森神社徒歩12分常盤稲荷神社徒歩12分高尾稲荷神社(遊女高尾太夫を祀る神社)徒歩15分新川大神宮徒歩15分薬研堀不動院徒歩17分福徳神社(芽吹稲荷)誰も知らない日本松島神社
誰も知らない日本彰義隊結成の地明治時代の端午の節句鯉のぼり明治時代の端午の節句鯉のぼり浅草の東本願寺と西浅草八幡神社。東本願寺は何度も建て直しを迫られ新しい境内ですが、その歴史は古く江戸時代の彰義隊も結成の地であった、江戸とともに生きた聖域。旧暦ですが上野戦争が5月なのです。一日で終わった戦争ですが、調べてみると思った以上に犠牲者が多くて悲劇的。歴史を思い浮かべながら、ぜひ訪れてほしい場所です。東本願寺の近隣紹介徒歩で3分西浅草八幡神社徒歩で5分矢先稲荷神社徒歩で5分無事冨稲荷大明神徒歩で6分本社三島神社(寿三島神社)徒歩で6分感応稲荷神社徒歩で7分孫三稲荷神社徒歩で7分伏見稲荷社徒歩で8分浅草寺徒歩で11分下谷神社徒歩で13分嬉乃森稲荷神社徒歩で27分上野東照宮誰も知らない日本彰義隊結成の地
名前もわからない江戸時代の日本人横浜美人嵐を起こした観音様ここの秘仏は月に二回もご開帳される観音様。とても大きな仏頭ですが、ご尊顔を見ていると心が穏やかになっていく不思議な感覚を覚えます。人形町まで旅してきた観音様の由来は明治時代の時代も感じさせます。ぜひお参りしてもらいたいお寺です名前もわからない江戸時代の日本人横浜美人嵐を起こした観音様
誰も知らない日本水天宮水天宮駅おりてすぐ。空がすかっと開けた不思議な聖地です。いつ訪れても明るい気で満たされているのです。安産祈願だけでなく、気持ちをあげたい時にもおすすめの神社です。また、この日本橋人形町周辺は神様の密集しているエリアでもあります。時間があれば、いろいろ回るのも楽しいエリアです。水天宮の近隣紹介徒歩3分茶ノ木神社徒歩3分大観音寺徒歩3分松嶋神社徒歩5分銀杏八幡宮・銀杏稲荷徒歩5分濱町神社徒歩6分元徳稲荷神社・綱敷天満神社徒歩7分末廣神社徒歩8分小網神社徒歩8分正一位橘稲荷神社徒歩9分高尾稲荷神社徒歩10分兜神社徒歩10分日本橋日枝神社徒歩10分笠間稲荷神社誰も知らない日本水天宮
静かな住宅街の中に鎮座する神様。新興住宅地のなかに、古い神社がまだ残っていると、ほっとします。地域の人に大切にされているのがうかがわれる穏やかな聖域です忘れられた日本人香取駒形神社忘れられた日本人香取駒形神社
東京の神社をお参りしだして、私が一番最初に感動した聖域です。日本橋というまちなかにありながら、森のような雰囲気。手水舎も水がわきでていて、東京はゴミゴミしているのではないかと思っていた私の予想を打ち砕いてくれました。地元の人々が大切にお手入れしてくれているおかげです。茶ノ木神社公式サイトhttps://chanoki-jinja.net/茶ノ木神社の近隣紹介徒歩15分日本橋福徳神社と薬祖神社徒歩3分大観音寺徒歩3分松嶋神社徒歩3分水天宮徒歩5分小網神社徒歩6分末廣神社徒歩6分元徳稲荷神社・綱敷天満神社徒歩7分出世稲荷神社・岩代稲荷神社徒歩7分三光稲荷神社徒歩8分濱町神社徒歩9分常盤稲荷神社徒歩9分兜神社徒歩10分椙森神社誰も知らない日本茶ノ木神社誰も知らない日本茶ノ木神社