各地の神社名鑑や郷土誌、江戸期の地誌、今井野菊氏による踏査集成などに基づく、現存または具体的な伝承が残る静岡のシャグジ一覧です。
静岡県内のシャグジ(ミシャグジ)の現状に関する情報の一元化を目指し、各地の神社名鑑や郷土誌、江戸期の地誌、今井野菊氏による踏査集成などに基づく、現存または具体的な伝承が残るシャグジの一覧と、各シャグジの踏査記録を中心に紹介しています。
|
https://twitter.com/gonbuto23 |
---|
横内のおしゃもっつあんは、藤枝市横内にあったという杉の霊木である。昭和五十年代には大杉の地上部が残り、注連縄が巻かれていたという。
静岡市清水区尾羽字宮平尾羽若宮八幡神社概要「尾羽のおしゃもじさん」は、尾羽字宮平にあったとされる「小高い場所」のことである。ここを掘り起こすと瘧(おこり)をふるうと言い伝えられていた。現在はみかん畑となっている。(民話・伝説・小字の由来「い
地域タグ:清水区
「ブログリーダー」を活用して、ごんぶとさんをフォローしませんか?
各地の神社名鑑や郷土誌、江戸期の地誌、今井野菊氏による踏査集成などに基づく、現存または具体的な伝承が残る静岡のシャグジ一覧です。
横内のおしゃもっつあんは、藤枝市横内にあったという杉の霊木である。昭和五十年代には大杉の地上部が残り、注連縄が巻かれていたという。
大崩海岸沿いにある唯一の集落、元小浜には、木を切ると祟があると伝わる「おしゃもっつあんの森」があるという。
高松神社は旧大里村の村社であり、素戔嗚尊を祭神とする。判然としない高松神社の由緒を追っているうちに、思わぬ展開となった。
小坂にはかつて左口社があったが、地域の伝承に痕跡は見当たらない。紆余曲折の末、日枝神社に隠されていたシャグジを見い出すこととなった。
天皇神社は旧益津郡中村の氏神である。今井野菊氏によれば、江戸期の中村にあった社宮司社(左口松)は天皇神社に合祀されたようだ。
花沢のオシャモッツァンは焼津市花沢集落の入口にあるシャグジである。歯痛や子どもの病気に御利益があるとされ、耳の神様ともいわれる。
方ノ上八王子神社は旧益津郡方ノ上村の氏神である。方ノ上は伊勢神宮の荘園であった方上御厨の遺称地であり、当地はその中心地に比定される。
通称「関方の一本杉」ここにはかつて「おしゃもつあん」が祀られていたといい、一本杉は枝を切るだけでも祟りがあると伝わる。
吉永八幡宮は平安初期の大同元年創祀と伝わる古社である。旧志太郡吉永三ヶ村の氏神であり、大名行列を模した神輿渡御で知られる。
オシャモジの森は「藤守八箇森」の一つである。現存しないが、かつて森があったと考えられる場所には案内板が設置されている。
御社守稲荷は「藤守八箇森(ハッコー森)」の一つ、「椀貸の森」に鎮座する。オシャモリサン、オシャモジサン、おしゃもつ様などと呼ばれる。
上小杉八幡宮は旧上小杉村の氏神であり、諸国巡遊中の北条時頼に村民が氏神の勧請を言上し、鶴岡八幡宮から分祀が許されたという。
石脇浅間神社は石脇上下の氏神であり、徳川家康が当目合戦の際に旗を掛けたという「旗掛石」の背後に鎮座する。
那閉神社は継体天皇三年、物部氏により当目山(虚空蔵山)上に勧請されたという延喜式内社である。境内社の青木神社には左口社も祀られる。
中里若宮八幡宮は井伊直孝の産土神として知られる。境内社に大井神社のほか、津島神社、秋葉神社、白髭神社、社護神社がある。
女体の森宗像神社は「興津」地名の由来ともされる。境内にある猿田彦大神の小祠は、かつて「社古地ノ森」にあったシャグジではなかったか。
前回記事掲載後に得られた知見を踏まえ、再踏査を行った。興津社護神社は清見寺境内と耀海寺境内の境界神だったのではないか。
小川新町左口神社は「左口森のオシャモッツァン」と呼ばれる小社である。 左口森は田の中にあり、樹木鬱蒼とした森だったという。
三ケ名神明宮は旧志太郡三ケ名村の氏神である。当地は伊勢神宮の小楊津御厨の一部と考えられ、そのために神明宮が勧請されたともいわれる。
吉永八幡宮は平安初期の大同元年創祀と伝わる古社である。旧志太郡吉永三ヶ村の氏神であり、大名行列を模した神輿渡御で知られる。
オシャモジの森は「藤守八箇森」の一つである。現存しないが、かつて森があったと考えられる場所には案内板が設置されている。
御社守稲荷は「藤守八箇森(ハッコー森)」の一つ、「椀貸の森」に鎮座する。オシャモリサン、オシャモジサン、おしゃもつ様などと呼ばれる。
上小杉八幡宮は旧上小杉村の氏神であり、諸国巡遊中の北条時頼に村民が氏神の勧請を言上し、鶴岡八幡宮から分祀が許されたという。
石脇浅間神社は石脇上下の氏神であり、徳川家康が当目合戦の際に旗を掛けたという「旗掛石」の背後に鎮座する。