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2023/02/12

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  • 宇喜多秀家公潜居地跡~薩摩は牛根郷へ逃げた豊臣の貴公子を偲んで

    太守の鹿児島訪問記。今回は垂水市牛根麓にある宇喜多秀家公潜居地跡についてじゃ。以前、八丈島に行ったとき、宇喜多秀家の墓参りをしたのじゃが、じつはそのときから機会あれば牛根にも訪れてみたいと思っていたんじゃよ。 八丈島に秀家の墓を訪ねたときの記事はこちらにあるので読んでもらえたらうれしいぞ。 関ケ原に敗れ、薩摩に逃れる 牛根郷、平野屋敷での逃亡生活 うたた寝の夢は牛根の里にさえ… 関ケ原に敗れ、薩摩に逃れる 備前宰相こと宇喜多秀家は宇喜多直家からの子で豊臣五大老のひとり。子どもがいなかった豊臣秀吉の寵愛を受け、前田利家の娘で秀吉の養女となっていた豪姫を妻に迎えていた。そんなこともあって秀家は豊臣…

  • 戦艦大和、第2艦隊の御霊に捧ぐ~枕崎の平和記念展望台に行ってきた

    先日、所用があって鹿児島を訪問したので、枕崎まで足を延ばして坊ノ岬沖海戦で海に沈んだ戦艦大和乗組員ら英霊たちを慰霊する平和祈念展望台に立ち寄ってきた。映画「男たちの大和/YAMATO」公開時にはずいぶん注目のスポットだったようじゃが、今は落ち着いていて、わしが行った時も人はほとんどいなかったぞ。 平和祈念展望台(殉難鎮魂之碑) 昭和20年4月7日、戦艦大和を旗艦とする第2艦隊は坊ノ岬沖を沖縄へ向かっていた。米軍が沖縄に迫る中、発令されたのは「天一号作戦」。大和ら第2艦隊は沖縄に突入し、艦を座礁させて浮き砲台として砲撃を行い、砲弾が尽きれば乗組員は陸戦隊として突撃せよ、というものであった。 ただ…

  • 三浦義村の最期~三浦半島は金田湾岸、南向院跡にある墓前で合掌

    きょうはぷらっと三浦半島の金田湾へ。金田湾は久里浜の南、県道215号沿いに広がりのんびりした海岸で、朝市も行われてる。ただ、今日の目的はお魚ではない。三浦義村の墓前に手を合わせてきたぞ。 つねに北条義時に与した三浦義村 三浦義村の急死。死因は脳卒中か 三浦義村の墓所(南向院跡)にて 三浦義村の墓へのアクセスは、専用の駐車場はないものの、わしは朝市の駐車場に止めさせてもらった。公共交通機関なら、京浜急行の三浦海岸駅からバスで10分ほどの「岩浦」バス停で下車するとよい。「三浦義村の墓」の文字が壁面にうっすら書いてあるので、そこの階段を上がっていく。近くに民家もあるので、静かに上がっていくんじゃぞ。…

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